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Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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取捨選択+補足版ウィキペディア「長崎の鐘」

■ウィキペディアの、現在での最新版から。

長崎の鐘(ながさきのかね)は

1. 永井隆の著書。本稿で記述する。長崎市への原子爆弾投下などを主題としている
2. 1.を基にした藤山一郎池真理子の歌謡曲。作詞サトウ・ハチロー、作曲古関裕而。本項で詳述する。
3. 1.を基にした藤原義江の歌謡曲。作詞・作曲植本一雄。本項で詳述する。
4. 1.を基にした映画。本項で詳述する。
5. 1.から浦上天主堂の鐘の音のことを指す。本項で詳述する
6. 長崎市平和公園に設けられた鐘のモニュメント。本項で詳述する。
概要
長崎の鐘は永井隆が執筆した随筆。1949年1月に出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。同書をモチーフとした歌謡曲はヒット。さらに松竹により映画化され、版を重ねることになった。


随筆
作品は、1946年8月には書き上げられていたが、GHQの検閲によりすぐには出版の許可が下りず、GHQによる記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年1月、日比谷出版社から出版された。


歌謡曲
藤山一郎、池真理子の歌謡曲。作詞サトウ・ハチロー、作曲古関裕而。1949年6月に発売された。その後、1983年ごろに藤山の作詞・作曲によるサビ部分が付け足された。

また、本作品発売の2ヶ月後、永井一家と交流のあった植本一雄の作詞・作曲による藤原義江の歌謡曲が同タイトルで発表されている。


映画
製作: 松竹大船
封切日: 1950年9月23日
監督: 大庭秀雄
脚本:新藤兼人/光畑硯郎/橋田壽賀子
音楽: 古関裕而
出演者: 若原雅夫、月丘夢路、津島恵子、滝沢修、三井弘次

占領下の日本において、GHQによる検閲の為、原爆及び被爆状況等について真正面から取り上げる事が出来ず、永井隆博士の生涯を描いた作品という形で製作された。尚、戦後、日本人によって原爆を取り扱った劇映画第一号である。

浦上天主堂の鐘
詳しくは浦上教会#天主堂の鐘楼を参照。
……

平和公園のモニュメント
1977年(被爆から33回忌にあたる)につくられた、軍需工場で働いていた人々の慰霊のためのモニュメントである。

被爆地となった浦上には当時いくつもの軍需工場があり、そこで働いていた学生など多くの人々が原爆によって亡くなった。


その他関連事項
吉村達也『長崎の鐘殺人事件』徳間書店、1997年。ISBN 978-4198503642

参考資料
永井隆『長崎の鐘』サンパウロ(アルバ文庫)。ISBN 978-4805664056

関連項目
日本における検閲

外部リンク
長崎平和公園 願いのゾーン

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■興味ぶかいブログ記事を発見したので、転載。

故人を貶めることは許されない
<< 作成日時 : 2008/07/07 08:19 >>


永井隆医学博士は、自ら重傷を負いながら、長崎の被爆者の救護のために尽力した人物であり、真に尊敬に値する人物だろう。長崎原爆の日に読み上げられる平和宣言文に、その永井博士の「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という言葉が盛り込まれることになったという。

戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけ 長崎平和宣言に永井博士の言葉

しかし、これは永井博士を政治利用するものであり、故人の名誉を踏みにじるものだろう。

まず、記事では「長崎で被爆し」、「白血病に苦しみながらも」とあるが、永井博士が白血病で余命3年と診断されたのは長崎に原爆が投下される2カ月前のことだ。永井博士は放射線研究の過程で被爆し白血病になったのであり、原爆と直接の関係はない。これは明らかに読者のミスリードを狙ったものだろう

また、永井隆博士は政治家ではない。「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という言葉も、永井博士の随筆家として、あるいは敬虔なカトリック信者としての立場から出てきたものだろう。永井博士の言葉を政治的に利用しようとする平和宣言文起草委員会の行動は、故人を貶めるものだ。

政治的に見れば、戦争には勝ちも負けもある。多くの場合、勝った国は繁栄し、負けた国は悲惨を極める。これが現実だ。そして、軍事力が、戦争こそが平和への最短距離であることも、チェンバレンの例を出すまでもなくままあることだ。

真に平和を求めるならば、軍事力や戦争を正しく理解しなければならない。賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶという。平和宣言文起草委員会のメンバーは、紛れもなく愚者だと断言する。

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アカ字部分だけはただしい。しかし、このブログ記事筆者は、自分が政治利用している事実には無自覚なようだ。永井博士が「軍事力が、戦争こそが平和への最短距離であることも、チェンバレンの例を出すまでもなくままあることだ」なんて、ウスっぺらな自称「現実主義」に援用されるなんてことを、のぞんでいたとは到底おもえない。「真に平和を求めるならば、軍事力や戦争を正しく理解しなければならない」という論理は、そっくり、こういった自称「現実主義者」にも、かえさねばならない。かれらは、自分たちだけが、現実的な平和を追求していると信じこみ、反戦平和運動のすべてを、非現実主義のエセ平和主義者だと断定しているようだ。■しかし、戦争の現実がどうだったかは、冷静にみればよくわかるだろう。「ハリネズミ論」が軍備拡張を悪循環かさせ、軍事大国に巨大な搾取・浪費をさせ、軍需業界を不当にこえさせてきた無残な「現実」を直視しない人物たちは、自分たちだけが現実主義者だと信じこみ、あるいはそうウソぶくことで、核廃絶をふくめた平和運動をか過小評価し、侮辱してきた。

■ともかく、永井博士のことばが、妻を被爆でうしなった悲痛な体験なしにでたはずがない。だとすれば、「「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という言葉も、永井博士の随筆家として、あるいは敬虔なカトリック信者としての立場から出てきたものだろう」などと、非政治的・非反戦的な文脈におとしこもうという、この筆者のネジまげこそ、「故人の名誉を踏みにじるものだろう」。「故人を貶めることは許されない」。

■広島・長崎の被爆という歴史的事実は、こういった無自覚な(あるいは、それをよそおった)政治利用を直視するよい機会でもある。■この列島が、人体実験を強行しながら、その子孫たちの大半が半生さえできないでいる北米の巨大帝国と別種の意味で、度しがたい無反省な空間であることを直視するためにも。こういった人士の発言がのばなしだからこそ、沖縄戦が矮小化され、教科書記述も平然とねじまげられ(現場での批判的検討などは、当然ゆるされず)、米軍基地が「平和のために不可欠」などと正当化されるのだから。■かれらの論理では、爆音もレイプ不安も、爆発リスク・放射能汚染も、全部「必要悪」なのだ。ちがうとはいわせない。戦後60年以上それをつづけてきた。かっこうの機会であったはずの、安保延長拒否が可能となった1971年も1972年以降も、いまもずっと。■この手の人士に、「政治利用」だの「故人を貶める」といったセリフはゆるされない。ずっと、反核運動を侮辱しつづけ、米軍基地の周辺の弱者を「貶める」言動・政治選択をくりかえしてきたのだから。自分たちだけが、誠実に平和希求を非政治的に実践してきたかのような、あからさまなウソをつく連中に、そんなセリフをはく権利、どこにある?■かれらには、こういった批判があてはまらないという、立証責任がある。反証する権利はあるが、かれらがそれを行使したことがあるとは、記憶にない。ちがうか?



●「社説:原爆の日 世界は核廃絶の頂を目指せ」(『毎日新聞』 2008/08/06)
●「【主張】原爆の日 北の核許さぬ決意新たに」(『毎日新聞』 2008/08/06)
 ↑ アメリカなど核大国の大規模破壊兵器は、同盟国日本の護衛用で安全なのだといわんばかりの、実に政治的に卑劣な論理。愛読者以外は苦笑するだけだろう。
●ウィキペディア「怒りの広島 祈りの長崎
●「長崎の鐘鳴らす活動」『朝日新聞』(マイタウン長崎)
●「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけ 長崎平和宣言に永井博士の言葉」『西日本新聞』
●「平和祈念 新たな輪」『朝日新聞』(マイタウン福岡・北九州)

●「原子力発電の廃絶なしに、核廃絶はない」(『SENZA FINE』)


●旧ブログ「原爆投下」関連記事
●日記内「原爆投下」関連記事
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タグ : 被爆体験 検閲

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コメント

『毎日』夕刊から

長崎原爆の日:63回目 戦争に勝ちも負けもない、あるのは滅びだけ
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080809dde001040002000c.html

 ◇米露は核削減努力を
 被爆地・長崎は9日、63回目の原爆の日を迎えた。爆心地近くの平和公園(長崎市松山町)で、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典があった。今年は、被爆者救護に尽くした被爆医師、永井隆博士(1908~51年)の生誕100年にあたる。田上富久・長崎市長は平和宣言に博士の言葉「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」を引用し、「核兵器の廃絶なくして人類の未来はない」と呼び掛けた。日本政府には昨年に続き、核兵器廃絶へのリーダーシップと非核三原則の法制化を求めた。

 ◇5650人参列
 式典は午前10時40分に始まり、被爆者ら約5650人が参列。福田康夫首相、河野洋平衆院議長、舛添要一厚生労働相らのほか8カ国の代表が出席。昨年は15カ国だったが、北京五輪開催の影響とみられ、ほぼ半減した。核保有国からは唯一ロシアが出席。原子力潜水艦「ヒューストン」の放射能漏れ問題が明らかになった米国は今年も出席しなかった。

 式典冒頭、この1年間に死亡が確認された3058人分の名簿3冊が平和祈念像前の祭壇に奉安された。これで原爆死没者名簿は計147冊、死没者は14万5984人となった。原爆投下時刻の午前11時2分から1分間、参加者全員で黙とうをささげた。

 田上市長は宣言で、米国のキッシンジャー、シュルツ両元国務長官らが昨年以降、米紙に論文を寄せ、米国に核実験全面禁止条約(CTBT)の批准を促し、すべての核保有国に向けて核兵器廃絶を提言していることを指摘。特に米露両国に「世界の核弾頭の95%を保有しており、核兵器の大幅削減に努力すべきだ」と求めた。

 来年8月に長崎市で開催される平和市長会議(世界2368都市加盟)の総会にも言及し、「2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて核兵器廃絶のアピール活動を展開する」と決意を述べた。

 今年初めて平均年齢が75歳を超えた被爆者についても、日本政府に「実態に即した援護を急ぐよう重ねて要求する」と訴えた。

 福田首相はあいさつで「非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立つ」と表明。原爆症認定問題では「新たな認定方針に従い、できる限り多くの方を認定する」と、4月に導入した新基準を続けていく考えを改めて示した。

 被爆者代表として、森重子さん(72)が被爆死した兄の話を通して、「悪魔の原子爆弾は一瞬ですべてを焼き尽くし、何十万人もの尊い命を奪い、生き残っても後遺症で人を一生苦しめる凶器」と核兵器の残酷さを訴え、「平和への誓い」を読み上げた。【錦織祐一】

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 長崎平和宣言・平和への誓いの全文は10日朝刊に掲載します。

毎日新聞 2008年8月9日 東京夕刊

長崎原爆の日:長崎平和宣言(全文)

長崎原爆の日:長崎平和宣言(全文)
 あの日、この空にたちのぼった原子雲を私たちは忘れません。

 1945年8月9日午前11時2分、アメリカ軍機が投下した一発の原子爆弾が、巨大な火の玉となって長崎のまちをのみこみました。想像を絶する熱線と爆風、放射線。崩れ落ちる壮麗な天主堂。廃虚に転がる黒焦げの亡骸(なきがら)。無数のガラスの破片が突き刺さり、皮膚がたれさがった人々が群れをなし、原子野には死臭がたちこめました。

 7万4000人の人々が息絶え、7万5000人が傷つき、かろうじて生き残った人々も貧困や差別に苦しみ、今なお放射線による障害に心もからだもおびやかされています。

 今年は、長崎市最初の名誉市民、永井隆博士の生誕100周年にあたります。博士は長崎医科大学で被爆して重傷を負いながらも、医師として被災者の救護に奔走し、「原子病」に苦しみつつ「長崎の鐘」などの著書を通じて、原子爆弾の恐ろしさを広く伝えました。「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という博士の言葉は、時を超えて平和の尊さを世界に訴え、今も人類に警鐘を鳴らし続けています。

 「核兵器のない世界に向けて」と題するアピールが、世界に反響を広げています。執筆者はアメリカの歴代大統領のもとで、核政策を推進してきた、キッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員長の4人です。

 4人は自国のアメリカに包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を促し、核不拡散条約(NPT)再検討会議で合意された約束を守るよう求め、すべての核保有国の指導者たちに、核兵器のない世界を共同の目的として、核兵器削減に集中して取り組むことを呼びかけています。

 これらは被爆地から私たちが繰り返してきた訴えと重なります。

 私たちはさらに強く核保有国に求めます。まず、アメリカがロシアとともに、核兵器廃絶の努力を率先して始めなければなりません。世界の核弾頭の95%を保有しているといわれる両国は、ヨーロッパへのミサイル防衛システムの導入などを巡って対立を深めるのではなく、核兵器の大幅な削減に着手すべきです。英国、フランス、中国も、核軍縮の責務を真摯(しんし)に果たしていくべきです。

 国連と国際社会には、北朝鮮、パキスタン、イスラエルの核兵器を放置せず、イランの核疑惑にも厳正な対処を求めます。また、アメリカとの原子力協力が懸念されるインドにも、NPT及びCTBTへの加盟を強く促すべきです。

 我が国には、被爆国として核兵器廃絶のリーダーシップをとる使命と責務があります。日本政府は朝鮮半島の非核化のために、国際社会と協力して北朝鮮の核兵器の完全な廃棄を強く求めていくべきです。また、日本国憲法の不戦と平和の理念にもとづき、非核三原則の法制化を実現し、「北東アジア非核兵器地帯」創設を真剣に検討すべきです。

 長崎では、高齢の被爆者が心とからだの痛みにたえながら自らの体験を語り、若い世代は「微力だけど無力じゃない」を合言葉に、核兵器廃絶の署名を国連に届ける活動を続け、市民は平和案内人として被爆の跡地に立ち、その実相を伝えています。医療関係者は、生涯続く被爆者の健康問題に真摯に対応しています。

 来年、私たちは広島市と協力して、世界の2300を超える都市が加盟している平和市長会議の総会を長崎で開催します。世界の都市と結束して、2010年のNPT再検討会議に向けて核兵器廃絶のアピール活動を展開していきます。国内の非核宣言自治体にも、長崎市が強く呼びかけて活動の輪を広げていきます。

 核兵器の使用と戦争は、地球全体の環境をも破壊します。核兵器の廃絶なくして人類の未来はありません。世界のみなさん、若い世代やNGOのみなさん、核兵器に「NO!」の意志を明確に示そうではありませんか。

 被爆から63年が流れ、被爆者は高齢化しています。日本政府には国内外の被爆者の実態に即した援護を急ぐよう重ねて要求します。

 ここに原子爆弾で亡くなられた方々の御霊(みたま)の平安を心から祈り、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くすことを宣言します。

 2008年(平成20年)8月9日

 長崎市長 田上富久

毎日新聞 2008年8月10日 東京朝刊

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