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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「台湾撤退」?

■『朝日』の朝刊から。ここまで、致命的な「みだし」も、なかなかみあたるまい。

蒋介石、
 台湾撤退を1年前に決意
  米で日記公開

2008年7月31日3時0分

 【パロアルト(米カリフォルニア州)=野嶋剛】米スタンフォード大学が保管する「蒋介石日記」の1946~55年分がこのほど公開され、中国共産党との内戦で敗れた国民党の台湾への撤退について、当時の蒋介石中華民国総統が実際の撤退時期より1年以上前の48年11月に決意を固めた様子が明らかになった。蒋介石は「現状を捨て、再起を図る」と語り、台湾拠点化の準備を始めていた。
 国民党政権は東北地区や北京を次々に共産党に奪われ、首都・南京を放棄して広州、重慶と敗走を続け、49年12月、ついに大陸から台湾に撤退したが、その決定過程には未解明部分が多かった。

 要衝の瀋陽が陥落した直後の48年11月2日。蒋介石は日記で「政治、経済、軍事、社会みな甚だしく動揺。(中略)三十年来、ない状況だ」と嘆く。7日には「終日苦痛と落ち込み、恥辱の中で、最後の闘争の空間と時間を考慮」と追い詰められた心理状態をつづった。

 そして同月24日、長男の蒋経国(後の台湾総統)を呼び、「現状を捨て去り、別途単純な環境を選び、範囲を狭め、根本的改革で再起を図る。今の戦局の勝敗は気にしない」(同日の日記)と告げ、撤退を示唆した。

 撤退先は明言していないが、この時期から陸軍大学や陸軍精鋭部隊の台湾移転を決める記述が相次ぐ。12月に入り、蒋経国を国民党台湾支部トップに起用し、台湾省主席も交代させる方針だと日記に書いた。

 12月27日と29日には中央銀行総裁と面会し、「基金分散を指示」。総裁との面会はその後も数日おきに続き、「外貨と現貨の処理」を指示した。現貨は金塊を指し、大量の資金を台湾や対岸の福建省アモイに移していた。

 蒋介石は49年1月21日に総統を退き、翌22日の日記には側近と「今後の台湾の軍・政・経済と反攻方針を話し合った」と書いている。

 国民党軍はその後、総崩れとなる。蒋介石は台湾と大陸を往復しながら台湾統治の体制整備を進め、撤退完了後の50年3月、総統に復帰した。

 50年6月の朝鮮戦争を機に米国の保護を取り付けた蒋介石は、党改革や軍の近代化に着手、支配基盤を固めた。だが念願の「大陸反攻」は実現せず、75年に総統のまま死去した。
     ◇
 〈蒋介石日記〉中国・台湾の国民党政権で総統を務めた蒋介石(1887~1975)は、72年まで克明に日記をつけていた。蒋介石を批判する台湾・民進党政権の誕生で日記の保全を心配した蒋家が04年、米スタンフォード大学フーバー研究所に50年間の管理と一般公開を委託。06、07年に45年分まで、今年7月から55年分までが公開された。来年は最後の72年分までが公開される予定だ。
     ◇
 〈松田康博・東大准教授(中国近現代史)の話〉中国共産党の背後にはソ連がおり最終的には米ソの対決が必至、と蒋介石は信じていた。そのためソ連に近い西北部への撤退は避け、米国を頼りにでき、陸軍中心の人民解放軍から防衛しやすい台湾でやり直す道を選んだのではないか。ほかの資料でも蒋介石が48年11月以降、空軍や海軍を次第に台湾に移したことが分かっている。内戦中だから撤退は公言できないが、抗戦しつつも内心で敗北を覚悟し、台湾撤退への準備を進める「賭け」に出た姿が日記から読み取れる。

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■念のため、ウィキペディア「撤退」を転載しておく。

撤退(てったい retirement and/or withdrawal)とは、戦略においてある部隊が外国の作戦地域から部隊を後方へ移動すること。第二次世界大戦では、大日本帝国陸軍などで転進という表現で言い換えた例もある。戦術論における後退行動とは異なる概念である。

もし敵が攻勢に出ている場合、もしくは作戦地域の治安が極度に悪化している場合、全軍撤退の最終段階において、作戦地域に残っている部隊は戦闘力の低減が避けられないために一時的に危険な状況に置かれる。

撤退はその地域を保持できなくなったためという負の意味合いが強く、軍事的、政治的に勝利を収め、その地域を保持する必要性がなくなって部隊が引き上げる場合は撤収ということが多い。ただし両者の意味は同義である。

・例:米軍は1973年ベトナムより撤退した。
・例:米軍は対ソ戦略拠点としての意味を失ったアイスランドから撤収した。

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■歴史的経緯をどう解釈しようと、蒋介石の意識や言動への周囲の意味づけをどう解釈しようと、「撤退」という表現は、まちがっている。■「蒋介石、台湾撤退を1年前に決意」という みだしを すなおに一読するなら、「蒋介石総統が、台湾島周辺からも、その実効支配をあきらめて撤退することを…決意した」という、事実上意味不明なコピーになる。■なぜなら、「外国の作戦地域から部隊を後方へ移動する」といっても、蒋介石ひきいる国民党・軍は、もはや台湾島周辺以外に「後方」をもたなかったのであり、台湾放棄となれば、たとえば、ハワイなどに亡命政権をうけいれてもらう、といった方策しかなかったからだ。それは、「撤退」でもなんでもない。

■一方、本来の「後方へ移動する」という語義にそうなら、国民党・軍にとっては、中国大陸以外にない。しかし、中国共産党との内戦で連敗につぐ連連敗で、中国大陸から たたきだされたから、台湾に政権をつくったはずで、中国共産党が内部崩壊するなどして、大陸内部に、政権を再構築できるような空隙ができたのでないかぎり、「台湾撤退」は、地政学的にありえない。
■というか、もともと、「台湾島」は日本帝国の崩壊によって、実効支配する政権が空白になっていたわけで、中国大陸に実効支配の拠点をおく意思をもつ政治勢力にとって、準「外国」のような空間だった。かりに、清国時代まで植民地として経営した数百年の経緯があったとはいえ、歴代中華帝国にとって、「固有の領土」といいはるのには、少々ムリがあった。歴代中華帝国の実効支配の経緯を事実上継承しようとした、国民党・共産党、いずれにとってもね。■日本の右派や、不用意な保守派をぬかよろこびさせるようでイヤだが、1895~1945年という、半世紀にわたる日本帝国の植民地支配は、否定できない時空だ。そこで、近代国家台湾のインフラと人材の基盤ができたのだから。■したがって、たとえば中国共産党などは、台湾という地政学的拠点に対して、「仮想敵国」という軍事的緊張感以外に影響をあたえていないという意味で、「固有の領土」論をふりまわすのは、非合理きわまりない。せいぜい、台湾島周辺住民が、最低でも過半数の合意をもって、中国大陸と政治経済的に一体化するのがよろこばしいと政治判断したばあいだけだ。

■これら経緯をふりかえればふりかえるほど、「国民党の台湾への撤退」という表現は、論理的にありえない。その「ありえない」表現をえらんでしまった、朝日の記者と、それをチェックできなかった編集部は、ものすごくはずかしい。

■それにしても、冷戦構造と、それにからまる前史としての帝国日本による植民地支配があったとはいえ、台湾という国家は、ものすごい イビツな建国状況だね。■イスラエルと はりあうような 印象。


●ウィキペディア「中華民国
●ウィキペディア「中華民国の歴史
●ウィキペディア「台湾
●ウィキペディア「亡命政府
●旧ブログ「2月28日(取捨選択版Wikipedia)
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