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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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発生時刻に合わせ黙とう 新潟県中越沖地震1年(共同)

発生時刻に合わせ黙とう
  新潟県中越沖地震1年

 15人が死亡した新潟県中越沖地震から1年の16日、大きな被害が出た柏崎市で合同追悼式が開かれ、遺族や泉田裕彦知事ら約500人が地震発生時刻の午前10時13分に合わせて黙とう、犠牲者の冥福を祈った。
新潟県中越沖地震の合同追悼式

 追悼式は県と柏崎市、刈羽村が主催。献花の後、寺の下敷きになり亡くなった猪俣孝さん=当時(76)=の長男宏さん(47)が遺族を代表し「全国の皆さまから心温まる言葉や支援を頂き、ありがとうございました」とあいさつ。

 会田洋柏崎市長は「住民の手による主体的な町づくりが始まっている。災害に強い、安全で安心して暮らせる町への復興と再生を果たしたい」と述べた。


 地震の揺れで自動停止し変圧器が炎上、今も7基すべてが止まったままの東京電力柏崎刈羽原発では、東電や協力企業の社員ら約6000人が敷地内グラウンドに集まり、発生時刻に合わせて黙とう。

 高橋明男所長が再稼働に向けた点検や耐震補強工事について「国内外から注目されており、歴史的大事業。家族や友人、子どもや孫にも誇れる仕事を成し遂げたい」と訓示した。

2008/07/16 12:28 【共同通信】

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■もう1年たったんだなあと、感慨ぶかい。遺族代表者は、ハラナと同世代だ。

■ウィキペディア「新潟県中越沖地震」でふりかえってみると、いろいろなことがおきたこと、さまざまな課題がうかびあがったことが、おもいだされる。
当時の安倍首相らの無意味な現地いりは もちろんのこと、柏崎刈羽原子力発電所での消火体制の不備など、 お粗末な体制。■まったく想定もできていなかった2000ガル強という すさまじいユレは、「世界最大の原子力発電所」が、充分な耐震基準確保できなかったというか、断層の存在を無視した設計だったことを露呈させた。

■「世界最大の原子力発電所」がとまったままというのは、リスク想定からすれば当然のはなしであって、この期におよんで「「国内外から注目されており、歴史的大事業。家族や友人、子どもや孫にも誇れる仕事を成し遂げたい」と訓示」できる神経がしれない。
■いくら、電力会社の企業城下町だとはいえ、「災害に強い、安全で安心して暮らせる町」という理念と原発がおりあいをつけようがないことは、あきらか。■犠牲者の冥福をいのるためには、危険な迷惑施設を巨大都市から おしつけられない、という、ごくあたりまえの生活空間の回復こそ、ふさわしいだろう。


■ひとつきほどまえの「岩手・宮城内陸地震」の記憶はあたらしいかもしれないが、ひょっとすると、さらに ひとつきほどさかのぼる 「四川大地震」は、もはや、記憶のかなたなのではないか? ■核施設がどうの、外国からの救援組織を一時こばんだだの、実は予知できていただと、あれほど 猛攻撃をくわえた 連中は、どこにいってしまったのか? 被害者数や、被害の質、政府対応のひどさからすれば、ミャンマーの水害の方がひどかったのに、不自然に軍政批判をくりかえさない。
■こうして、メディアだけではなく、大衆社会全体が、災害とその救出・復旧事業の実態をどんどんわすれていく。■8月にはいるころには、北京オリンピックの応援とかで、日本中が、一時にしろ みんな わすれてしまうんじゃないか? おそろしいはなしだ。


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●旧ブログ「新潟県中越沖地震」関連記事
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タグ : 中越沖地震 被災 柏崎 刈羽 原発

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柏崎原発ネタ


あれから2年

中越沖地震2年で追悼式=仮設住宅、全員退去にめど-新潟
7月16日5時15分配信 時事通信
 死者15人、重軽傷者2346人を出した新潟県中越沖地震から2年を迎えた16日、震度6強で大きな被害を受けた柏崎市は、新潟県や刈羽村と合同で追悼式を開催し、被災者や泉田裕彦知事ら約500人が犠牲者の冥福を祈った。同市は午前10時13分に防災無線で発生時刻を知らせ、市民が1分間の黙とうをした。
 遺族代表として登壇した元井春夫さん(54)は地震で母を亡くし、昨年に父を亡くしたという。「あの日の光景は今でも忘れられないが、着実に復旧、復興が進み、人の力は素晴らしいと感じる。この日を追悼にとどめず、明るい未来にするためにできることを再認識する日にしていきたい」とあいさつした。
 地震では新潟、長野両県で計約4万3000棟に住宅被害が出た。新潟県内の約1000世帯3000人が入居した仮設住宅は、9月中旬までに全員退去のめどが立った。
 東京電力柏崎刈羽原子力発電所(柏崎市、刈羽村)は、7基の原子炉のうち7号機が5月、約1年10カ月ぶりに事実上の運転再開に当たる起動試験を実施。今月中にも国の審査を経て、約2年ぶりに営業運転に移行する見通し。 




<中越沖地震>復興へ誓い新たに…16日で2年
7月16日11時13分配信 毎日新聞

 最大震度6強の揺れに見舞われ、15人が犠牲になった新潟県中越沖地震から丸2年を迎えた16日、最も大きな被害を受けた柏崎市の市民プラザで午前10時から合同追悼式が営まれた。被災者や泉田裕彦知事ら約420人が犠牲者の冥福を祈り、復興に向けて誓いを新たにした。

 追悼式では、倒れた扉の下敷きになって死亡した元井元(はじめ)さん(当時77歳)の長男春夫さん(54)が、出席した遺族9人を代表して「震えは今でも忘れることができない。7月16日を追悼の日にとどめず、明るい未来にするため私たちができることを考える日にしていきたい」とあいさつした。

 発生時刻の午前10時13分、多くの商店が倒壊した同市中心部の「えんま通り商店街」や、6月末現在で325世帯770人が暮らす仮設住宅、5月に発電を再開した東京電力柏崎刈羽原発などで黙とうがささげられた。

 「えんま通り商店街」で写真店を営む吉野明雄さん(55)は、震災直後から商店街に住む人々の写真を1万枚以上撮り続けてきた。「2年間でみんなの表情も徐々に明るくなってきた。隔世の感があるが、地震を忘れてはならない」と話した。「柏崎東本町二丁目振興会」の寺沢式一理事長(60)は「あっという間の2年間だった。思うように町並みが復興せず焦りを感じているが、町内一丸となって活気を取り戻していきたい」と話し、黙とうをささげた。

 仮設住宅は9月に2年間の入居期限を順次迎えるため、市は4カ所に200戸分の復興公営住宅を建設している。この日は8月に完成予定のJR柏崎駅前の住宅で被災者向けの内覧会もあった。【五十嵐和大、畠山哲郎】




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