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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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日本列島の中世史・近代史と現代史をクシざしにする司馬史観

■10年まえに文庫化された、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのひとつ、「三浦半島記」の、うら表紙カバー・コピーを転載する。


武家政権がうまれた地・鎌倉軍港として、造船の街として昭和海軍を支えた横須賀三浦半島から発した巨大な栄光の根底にあったものは何か。苛烈な節義に生きた武士たちと、「スマートであれ」が教育方針であったという海軍から日本人のありかたの源泉を探り、行く末の姿に想いを馳せる。

■遺族=著作権者の意向も確認したコピーなのだろうが、いくつもの疑問がうかぶ。

■①「横須賀港」は、ウィキペディアの「沿革」にもあるとおり、かなりの歴史的経緯をかかえている。「概要」でも、「東京湾の入り口にあたる港として、幕末には黒船が浦賀沖に来航、ペリーが久里浜に上陸するなど、古くから江戸・東京の玄関口となってきた。明治以降は大日本帝国海軍の横須賀鎮守府が置かれ、軍港として整備、発展する。現在も海上自衛隊の横須賀基地(自衛艦隊司令部・横須賀地方総監部など)があり、アメリカ海軍第7艦隊が横須賀基地(横須賀海軍施設)を置くなど、軍港としての側面を持つ」などと記述されているとおり、近代国民国家「日本」限定しても、明治期からの連続性はあきらかだ。■なのに、「昭和海軍」などと、奇妙な限定をくわえたのは、なぜか?
■②「三浦半島から発した巨大な栄光」と、巨大なくくりをされてしまうが、浦賀久里浜付近を軸とする横須賀港と、鎌倉の武家政権をつなぐ必然性はどこにあるだろう。いくら、三浦氏三浦水軍)などと、鎌倉幕府とが きってもきれない関係にあるとはいえ、三浦半島と その後の武家政権の変遷とを直結させることには、ムリがある。■もちろん、鎌倉政権崩壊後、三浦半島が再度脚光をあびるのは、幕末以降のいわゆる「近代史」という時空のなかであり、それまでは、歴史の中心地でなど一度もなかろう。

■③そしてなにより、日本海軍と、現代日本を直結させ、こんごの日本の「行く末」といったものと関連づけられる発想が理解しがたい。■大体、日本海軍をナショナリスティックに位置づけるにせよ、あのいまわしい太平洋戦争の責任者たちそのものではないか? 日本陸軍は愚劣な組織体だったといわれるが、「スマートであれ」とかきどった組織体が歴史上なにをやらかしたのか? 「スマート」というのは、りこうのはずだが、カッコだけつけて、愚劣なことをくりかえすという皮肉か?



【18:55追記】
■④鎌倉幕府周辺の時空(12世紀後半~14世紀前期)と、幕末から敗戦(19世紀なかば~20世紀なかば)とを直結させる必然性など、どこにもみあたらない。■司馬遼太郎自身が、「頼朝と秀吉」という章を本書のなかにおさめながら、その末尾ちかくで「次章から、一とびに近世に入って横須賀を歩く」としているのは、取材地が鎌倉~金沢文庫などから、横須賀へと取材地がとんでいるからだろうが、中世からとんださきは、近世というより、近代直前の幕末期である。そして、基本的に日本列島内部(いや、本州の北緯35度近辺)での政治闘争史というべき幕末までの三浦半島と、帝国主義時代にはいった列強が海禁体制の解体をせまった「入り口」としての横須賀近辺とでは、連続性がみとめられない。■後者は、近代的な「国際社会」における、地政学的・国策的地理空間であり、前者とは、異質で断絶があるのだ。ここに連続性をみるのは、司馬遼太郎とファンだけだろう。

■⑤もちろん、日本の軍事的拠点としての横須賀という地を、太平洋戦争での敗戦=日本海軍の解体をもって断絶させるのは、おしいというのはわかる。■なぜなら、敗戦後まもない1952年には海上自衛隊横須賀地方隊の前身が設置され、実質上日本海軍が復活し、しかもアメリカ海軍横須賀海軍施設は、ずっと連続性をたもっているのだから。
■しかし、そういった連続性は、幕末以前にさかのぼる意味をほとんどもたない。■そしてなにより、司馬遼太郎自身が、「戦後の横須賀は、海軍が消滅し、米軍が進駐してきた。…」とはじまる、10行たらずの、くだらん取材メモをかいて、お茶をにごしている。この欺瞞は重大だ。なぜなら、日本海軍は解体したようにみえて、復活し、米軍の後方としていきのびているからだ。横須賀市は、幕末以来、軍需工場(横須賀造船所横須賀海軍工廠)ないし軍港として、軍都なのである。横須賀市は、軍隊を中核とした企業城下町なのだ。その集金の中心が自動車工業にかわろうともね。だから、現在こそ「艦艇建造はなく、艦艇の修理等がなされている。米第7艦隊所属艦の事実上の母港として機能している」状態にとどまっているとはいえ、武器輸出が解禁されたら、それこそ、軍需工場地帯として復活する可能性がちいさくないとおもわれる。■米軍に支配されるようになった横須賀に興味をうしなった司馬が直視しようとしなかった連続性こそ、かくされた政治性だ。ほどちかい「米海軍横須賀・池子家族住宅地」が、旧江戸城とならんで、人工衛星からよくみえる、巨大な緑地帯と指摘され、それは、天皇制と海軍という、資本主義のあらなみを拒絶できる巨大権力の象徴だという仮説(ましこ・ひでのり『あたらしい自画像』pp.108-9など)と、それは、かさなっている。

【追記 19:15】
Googleマップの 「不気味な沈黙」も、重要だろう。あたり一帯全部が森林ってことはないはず。■Google Earthでうつすと、どうなるのかな? 「逗子市池子」で検索すると一応、ボカシははいっていないので、検索禁止ではないようだ。つかいかたが、よくわからんので、米軍関係の建造物に ななめにしか接近できないのが残念。解像度は、なかなか。自動車などもみえるし。
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タグ : 日本史 イデオロギー 司馬遼太郎 三浦水軍 横須賀港 海軍 海上自衛隊

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コメント

ミスで削除してしまったようなので、再掲

名前:brother-t
タイトル:地元のものですが
ホスト:61-25-43-73.rev.home.ne.jp
送信者URL:http://members.jcom.home.ne.jp/brother/index.htm
********************
少し突っ込みを

>かなりの歴史的経緯をかかえている。

 個人的にはヤマトタケルのネタが無いのが気に掛かります。あと鎌倉時代以降で見ても室町時代には鎌倉公方がおかれていたり、江戸時代に関しても浦賀に奉行所が置かれたりというのは主役ではないにしても室町時代以前は国内東国、江戸時代以降は諸外国と相手は変わりますが、政権から見たら危険な外部へ備える名脇役としてはそれなりに存在感があったのではと思われます。

>横須賀市は、軍隊を中核とした企業城下町なのだ。

 それほど単純な街ではないでしょう。そう言った側面があるのは否定しませんが、人によっては東京・横浜のベッドタウンと言う見方をする人もいますし、日産と同様NTTの研究所やビクターの研究拠点もあり、そういった見方になるのは一部の左よりの人たちだけではないかと思われます。

すみません、ときどき まぜるネタなので…

brother-t さま

■おこしくだいまして、ありがとうございます。■ときどきおきる機能ミスで、ほかのスパムコメントをけしたときに、一緒にきえてしまうという事故がおきてしまったようです。編集できなくなってしまって、すみません。

■①ヤマトタケルという神話上の話題を、ノンフィクションを称している司馬文学にいれるのは、いかがでしょう、もちろん、司馬さんによる強烈な脚色があったらしいことは指摘されていますが、このシリーズは、あくまで「街道をゆく」なので。■まあ、地域にねづよくのこる伝承があって、それと鎌倉政権をつなぐ議論を、アクロバティックなかたちであれだせるのなら、はなしは別です。

■②「政権から見たら危険な外部へ備える名脇役としてはそれなりに存在感があった」というご指摘ですが、この巻は、そのコピーとして「三浦半島から発した巨大な栄光の根底」などとうたっているわけで、すくなくとも、それと接続できるネタでないと、まずいでしょう。いま、てもとにないので、たしかめられませんが、それがかきこまれいたら、あやまります。


■③「その集金の中心が自動車工業にかわろうともね」とかきましたとおり、ベッドタウンとしての機能はともかく、現在の産業基盤が軍需でないことぐらいの、事実認識はしております。■しかし、アメリカ海軍の基地であるとか、防衛大学校がおかれているなどをふくめても、日本海軍による軍需都市が復元する可能性はきえていないとおもいます。ドイツのフォルクスワーゲンにとどまらず、日本の基幹産業が戦時中軍需工場に変貌したし、それが戦後の新興財閥をかたちづくったように。■かきたかったのは、そういった潜在的能力ですね。日産などの工場は、たとえば三菱重工などを技術提携などをすることで、戦車や軍艦製造の拠点へと数十年で変貌をとげる可能性があるだろうということです。民需の最先端をになう企業は軍需もにないうると。

■④しかし、実をいえば、ここの記事全体が、司馬ファンとか横須賀市民などを、ツルための、ネタです(笑)。ごめんなさい。■だって、司馬さんの視点は、軍事的な栄光の興亡にしか興味がないようなので、こういった、イジワルする視点が必要でしょ。「巨大な栄光」って、なにさ?…ってね。

■⑤ところで、「東京・横浜のベッドタウン」とのことですが、東京まで横須賀からいかれる層は、少数派ではないでしょうか? ■逗子線経由で三浦半島界隈から都心にかよう層はマイナーとはおもえませんが、京浜急行で横須賀界隈から通勤する層は、横浜・川崎どまりが大半ではないかとおもいます。■そうでないと、金沢文庫で車両増結して、横浜できりはなすなんて、ケチケチを鉄道会社がするとはおもえない。横浜駅でおりるか、のりかえてしまう層が大半だから、そんなことをするのでしょう。■避暑地・別荘地・行楽地としての三浦半島という要素をのぞいて、通勤通学のための居住空間としてみたばあい、金沢文庫・上大岡・横浜という、3点がはさむ路線区域が京浜急行の第一の中核であり、横浜以北、横須賀中央以南は、別の経済圏だとおもわれます。

『GTO』(13巻104話)に小野田少尉の名があります。

すみません、あいかわらずのヨタ話もといヲタ話ですが、『GTO』(藤沢とおる・講談社)というマンガの13巻104話に旧日本軍の小野田少尉への言及があります。死んだと思ったのに生きていた事例の一つとして一言ふれられているだけですが。
旧日本軍つながりという以外につながりはないですが、参考までにどうぞ。

返信

>タカマサ さん

 どうもこんばんは、brother-tです。

>1、ヤマトタケル
 この話に関しては確かにフィクションなのですがただ当時の人がこの地域をどうみていたのかと言う点で面白い話かなと見ています。

>2、名脇役
 鎌倉の物語と横須賀の物語を分けて考えると分かりやすいのではと感じます。平安末期~室町時代までの鎌倉は武家政権の東の中心であり、ある意味で主役の都市、一方横須賀の方は三浦氏の攻防や浦賀・久里浜を中心とした幕末の展開を見ると名脇役といったイメージがあります。この辺を無理矢理栄光と言うことは出来そうですがいかがでしょうか?

>3「その集金の中心が自動車工業にかわろうともね」

 軍需都市に変わる可能性そのものは確かに捨て切れませんが結局それは横須賀だけの問題ではなくて首都圏の工業地帯全体がそう言った側面を持っているのではないでしょうか?極端に言ってしまえば「ものづくり」全体がそういった可能性を持っているわけで、横須賀だけを取り上げていうのはフェアでないのでは?
 まぁ日本が工業立国から「女は金で買える」とばかり投資立国に変わるのが平和主義と言うのなら考慮の余地はありますが。

>5、ところで、「東京・横浜のベッドタウン」
 一応2000年度の国勢調査によると横須賀発の通勤通学客の約2割が横浜、約1割が東京へ通っています。所謂ベッドタウンの昼間人口比率が低いところでも6割台と考えると少なくない数字に思えます。
http://members.jcom.home.ne.jp/brother/tr5.htm
 京急に関しては今は神奈川新町での切り離しは殆ど行っていないです。ただもともと横浜までの乗客が多かったのは横浜への通勤客の他に東急に乗り換えたりJRに乗り換えて直接東京へ行く人や川崎で南武線、蒲田・大井町で東急各線に乗り換えて通勤客が多いと言う事情もあります。横須賀と言う都市自体が下手な県庁市並の経済力がある一つの経済圏と言う側面も確かにありますが一方で横浜・川崎・東京とつながっている圏内と言うのも見逃せない側面です。日産の工場のある追浜辺りは金沢地区との結びつきも強いですし。

ていねいに、ありがとうございます。

brother-tさま


■①ウィキペディア「ヤマトタケル(東征)」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%AB#.E6.9D.B1.E5.BE.81)という記述などからすると、「相模から上総に渡る際、走水の海(横須賀市)の神が波を起こして倭建命の船は進退窮まった」といった『古事記』の記事があるとはいえ、それで関東武士たちが、自分たちの正統性を確保しようとはしていないようですね。■ま、もともと「東征」とか「征夷大将軍」なんて表現自体が、ヤマト地域からの東国の蔑視以外のなにもでもないので、頼朝をシンボルとして一度はかついだとはいえ、そういった天皇の分家すじに心酔などできなかったでしょう。


■②「名脇役」うんぬんは、司馬さんやファンが「巨大な栄光」といった視線でしか、三浦半島近辺を評価しようとしない以上、そこでのエピソードも、歴史のコアなファン以外には関心をよびおこさない、しぶい存在に焦点をあてるのは、バランスをかいているとおもいます。■むしろ、なぜ武家政権が 江戸幕府成立まで京都にもどったままだったのか、その点こそ重要ではないかとおもいます。■ちなみに、明治維新期には、東京ありきではなかったことがよくしられており、京都はもちろん、大阪に首都がおかれた可能性はかなりあったわけで、現在の東京一極集中は、かなり偶発的な要素をもちあわせていました。「上方」「下らない」といった語法がのこるとおり、「いきがっているのは江戸っ子だけ」という、京阪の経済的文化的地位のたかさを過小評価してはならないでしょう。■江戸が東京にならなかったら、司馬さんのような三浦半島史観は成立しようがないでしょうし。

■③「軍需都市に変わる可能性…は横須賀だけの問題ではなくて首都圏の工業地帯全体がそう言った側面を持っている」というのは、ご指摘のとおりです。戦時中実際そうでしたし。■しかし、広島・長崎など、被爆地が軍都であり、その後も軍需工場を前身にもつ企業城下町になっているように、過去の経緯は無視できません。■横須賀は、米軍基地をかかえている以上、戦略爆撃がおこなわれるとしたら、ベスト5にははいってしまうでしょう。それは、軍艦のドックがあるといった技術の継承もふくめてです。


■⑤京浜急行のデータをもちあわせていなかったので、これはたすかります。■通勤通学の1わりをしめるらしい横須賀→都心という移動をちいさくないとみるか、やはりマイナーとみるかはともかく、やはりおおくは市内にとどまるし、のこりも相当数は、横浜・川崎どまりというのは、重要だとおもいます。■県庁所在地なみの経済圏であるという位置が、かなりの程度「自足」的な性格をおびさせるのでしょうね。■それと、横浜市の金沢区と横須賀の追浜(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E6%B5%9C)は、それぞれ、横浜市・横須賀市の、ハグレものなのでは?(笑)
■いずれにせよ、路線探索サービスをしらべたりすると、都心へのアクセスで横浜のりかえが指示されてしまうような京浜急行の「よわさ」は、どこにあるんでしょうね。品川ちかくで減速して、所要時間がながいとか(笑)。■それと、横浜での、きりはなしは、もうやっていないのかな? 金沢文庫で新逗子方面からのを連結して、それを羽田空港いきに、あとでまた きりはなすとかという方式がはじまっているのには、きづきました。

現実的な視点で

>タカマサ様
>ヤマトタケル

 精神論はさておき、個人的にはある意味で東日本への交通のメインルートかつボトルネックと言う解釈は持っていたのではないかと思います。そう言う場所だったからこそ鎌倉に武家政権を作ったのではと。
 源氏に関しては神輿ではあっても、やはり理不尽な朝廷支配からの開放のシンボルとして心酔している人は多かったのではと思われます。デメリットが多ければ嫌われるのは天皇の分家である源氏に限らず北条氏もそうだったわけで。

>名脇役

 足利、織田、豊臣が関西を首都にしたのは混乱の中で出し抜いて政権を作っただけに権威の源である天皇家を押さえたかったからではないでしょうか?そう言った意味では源氏政権=鎌倉の延長線上にあるやり方と言えます。そして足利は鎌倉に鎌倉公方を置き、豊臣はこの地域を押さえていた北条氏を完膚なきまでにたたいて見せしめとしたのは象徴的なことといえます。
 あとは中国をはじめとする外国との関係もあったのかもしれません。
 明治期に関しては確かに関東地区に首都が来ない可能性と言うのもあったかもしれませんが戦前の関西地区が東京に劣らない経済圏だったように、関東地区も群馬・長野の繊維産業の出荷港としての良港横浜を中心に巨大経済圏を作っていった可能性は大きいように感じます。

>軍需都市
 
 個人的には佐世保はともかく長崎が軍都と言うイメージはないのですがいかがでしょうか?
 さて個人的には仮に日本が戦争に巻き込まれたとして最初から5番目以内に横須賀が空襲される可能性は相当低いのではないかと考えています。総力戦(技術や産業のことを絡めているのならそう解釈せざるを得ません)と考えるならば大陸から攻めるとすればまず日本海側・西日本(これは太平洋戦争でも言える)となるでしょうし、東南から攻めるなら横須賀よりも東京・横浜のほうが効果的でしょう。実際横須賀に空襲が行われたのは1945年の7月だったと言う事実が物語っていることを考えた方がよさそうに感じます。

>ベッドタウン
 多くは市内にとどまると言うのは割合から行くと多くのニュータウンも昼夜間人口比率は7割程度です。それを考えると横浜・東京の影響力は小さくはありません。関西や名古屋圏と比較するなら人口規模、母都市との時間距離でほぼ同等の姫路・和歌山・豊橋(ここはやや小さいが)と言った地域に比べたら圧倒的に母都市(ここでは東京・大阪・名古屋)への通勤数は多いはずです。
 横浜・川崎方面に関しては結局この地域の経済力も相当強いと言うのが大きいです。日産やビクター等の本社が横浜と言うのもありますし。

>京急の横浜乗換

 ラッシュ時に関しては相当スピードダウンすると言うのが大きいと思います。また品川以外では基本的に乗換が必要、あるいは運賃の高い地下鉄直通になるのも大きいです。横浜での切り離しは横浜駅でなくちょっと品川よりの神奈川新町と言う駅なのですが、一応昔ここどまりだった列車が川崎や羽田に延びた際に切り離しをしています。

勉強になります

brother-tさま
■ネタ発信したこと、大成功で、うれしいかぎりです。
■おこたえ自体が勉強になるのですが、もったいないので、ここではお礼だけにとどめ、少々しらべてから、個別のおこたえは。

東国論①

brother-tさま

■①ヤマトタケル/鎌倉政権:司馬さんの熱心なファンではないので、古代史についてどういった見解をもっていたのかしりませんし、すくなくとも「三浦半島記」には、ヤマトタケル等、ヤマト政権がらみのことは除外されていることは、一応再確認しておきます。■でもって、「関西/関東」という呼称自体が、ヤマト政権・律令国家にとっての「東国」への「関所」とか「要塞」を語源にしているわけですし、頼朝らが東国に二重政権をうちたてる正当性=正統性確保のためにもちだした「征夷大将軍」という役職自体が、アイヌほか東国諸勢力の制圧を名目しているわけですね。■「あずまおのこ」としては、「ふざけんなよ」というところです(笑)。
■ですから、北陸などの方向性が、「本州」(ま、これも「本島」などと同様、覇権主義的な呼称ですが)を制圧するうえで、どの程度の地政学的意味があったのかわかりませんが、のちの「東海道」などを陸路制圧するみとおしがあって、「ヤマトタケル」のモデルたちが、さんざん派遣され、犠牲になったことでしょう。■しかし、所詮は、ヤマト政権から東国制圧のために派兵された植民地政策の一環です。東国の武家たち自身が、そういった植民者の末裔だったろうことはおくとしても、「征夷大将軍」うんぬんは、自己矛盾というか、相対的に「奥州」(これも、イヤなひびきだな)を蔑視するという意味で、なんだかなぁ、という印象をぬぐえません。■アクロバティックに、二重政権をつくったのは、平将門より上等でしたけどね。【つづく】

東国論②

■上洛武家政権/幕藩体制/近代経済:上洛武家政権は、所詮、天皇制という律令制イメージをかりないと正統性が主張できない政治エリートたちの必然的回帰だったとおもわれます。■その意味では、家康というのは大したキレもので、ローマ再興ならぬ「第二鎌倉幕府」をつくったんだとおもいます。もともと、奢侈品生産が相当程度蓄積されないと、所詮農本主義経済にとどまり、大した展開がみこめない。だから京都のヘゲモニーがあったわけですが、頼朝が、そういった一元的秩序を破壊して、京都至上主義を政治的に制圧する遠距離支配(守護・地頭による、収奪システムの奪取)を発明した。それを、家康もマネたのですね。■お公家さんとそれをささえる町衆のブランドは、文化資本の蓄積なわけですけど、地方からの収奪システムをおさえられては、いうことをきくしかない。公家さん・寺社がにぎってきた中世的権益は、もともと土豪にしかすぎなかった大名を戦国大名によってきりくずされ、太閤検地によって近世的な収奪システムに変革されることによって、完全にくずされました。■そして、家康は、商人・職人を大量に移住させることで、政治都市を経済都市にきりかえることにも成功しました。刀狩によって完成する城下町の形成は、各地に「小京都」をかたちづくりましたが、その巨大な成功例が江戸だったと。なかでも、政治都市江戸を巨大経済都市にかえるという構想は、参勤交代ぬきには、ありえなかったでしょう。巨大な奢侈経済が人工的につくられたわけです。
■しかし、それでも、江戸幕府が解体すると、江戸の人口は激減しました。要は、政治的・強制的に人工的経済をささえていたという点で、現在の公共工事的なムリがあったわけで、京阪のような「土台」がなかったのだとおもいます。■したがって、江戸経済とその後背地たる関東平野が、250年ぐらいのあいだに、かなりの経済文化を蓄積したとはいっても、そこには、強圧的な「参勤交代」経済という、致命的な基盤のよわさがあった。だから、もし首都が江戸にならなかったら、おそらくいまの中京圏ほどの経済圏にさえ成長しなかったのではないかとおもいます。■東京大学を中心とする学術・出版文化というブランドは、帝都という地政学的ささえがなかったら、いまほどの集中がありえませんでしたし、「工場・ダム以外なんでも東京からはじめる」といった財の集中がなければ、横浜港・横須賀港の機能だって、ずっと位置づけがひくかったはず。
■ちなみに、現在繊維産業が、横浜のスカーフぐらいにおちこんでいるとおり、絹糸・絹布経済は、幕末以降、数十年しかもたなかった、過渡的存在だとおもいます。北関東では「おかいこさま」とか「おこさま」といって、蚕を農家がありがたがりましたが、それは現金収入がめをみはるかたちで、てにはいっただけ。暴落し、そのうち輸出商品のめだまから脱落したあとは、北関東の経済に痕跡しかのこしていないとおもいます(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E7%B9%94)。

軍需都市と都市爆撃

■長崎を軍港としたのは、いきすぎでした。軍艦製造をになった軍需都市ですね。■旧ブログ記事(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1838)などで、軍需都市としての長崎の意味に何度か言及してきましたが、いくら雇用確保のために 三菱重工がよかれとおもっているとか、地元市民が経済的に依存しているからといって、軍艦をつくりつづける被爆都市というのは、いささか おそろしい気がします(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E9%95%B7%E5%B4%8E%E9%80%A0%E8%88%B9%E6%89%80)。
■それはともかく、無差別爆撃を事実上正当化する戦略爆撃(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%88%86%E6%92%83)をかんがえるばあい、たとえば、軍需工場としての機能をもたない地方都市もねらわれた戦時中のケース(http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%95x%8ER%91%E5%8B%F3%8FP+site%3Ahttp%3A%2F%2Ftactac.blog.drecom.jp%2Farchive%2F&btnG=%8C%9F%8D%F5&lr=)は、おくとすると、やはり大都市と軍港・軍需都市は、敵国の戦略判断と政治情勢がからんで、その優先順位をきめるとおもいます。■田中宇さんがにらんでいるような、なかばドロぬま化することを目的にしているかのようなイラク戦争などは例外で、基本は短期決戦で決着をつけないと、議会・メディアの賛同をえられないからです。■そして、その際、政治的・経済的な中枢部をたたいて戦意を喪失させるのか、軍事拠点をたたいて反撃・後方支援を不能にするのかは、判断が微妙だとおもいますが、前者は、非戦闘員をまきこむ無差別攻撃を意味しますので、非人道的という批判が、国内外からあがることを懸念すれば、後者をえらぶ確率がたかまっているとおもいます。■その意味では、日本列島をまもっているというより、太平洋・インド洋に展開する米海軍の拠点をたたくことがどの程度戦略的に意味をもつのかわかりません。しかし、列島上のアメリカ空軍に対して制空権(航空優位)がとれるような大国がでたとすれば、日本制圧だけではなくて、列島上の米軍基地を機能停止させることも目的とするような、日米両国を敵国とするところのはずですから、そのばあいに、横須賀港が攻撃対象として順位がひくいとはおもえません。(ま、この辺は、軍事的知識があさいので、これ以上憶測は、やめておきます)

■ちなみに、横須賀が空襲をうけなかったのは、軍港を利用するために温存しておいたという説が有力のようですが、陰謀論的な都市伝説なのでしょうか? そうとはおもえません。■もちろん、占領軍が利用する予定でありながら、東京を徹底的にやきはらいましたし(旧江戸城とかを除外しつつ)、沖縄戦でも散々破壊をおこないながらも、日本軍が工事した滑走路など基地設備をあっというまに復旧させたぐらいの工兵(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A5%E5%85%B5)能力をもちあわせた当時の米軍ですから、機能停止する程度の打撃にとどめ、占領後する復旧するぐらいは、朝飯前だったとはおもいますが。

京浜急行がらみ

■地方都市というのは、近隣のベッドタウンとしての機能が意外にちいさいのですね。
■それにしても、池袋・新宿・渋谷などと同様、ターミナル駅としての品川(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E5%B7%9D%E9%A7%85)にのりいれているのに、京浜東北線・東海道線、そして東急線に横浜(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%A7%85)でのりかえられてしまう京浜急行というのは、やっぱり解せません。■地下鉄との連結の定期券(SUICA)などのあつかいが、ほかの駅・会社線とちがうのかな?


■神奈川新町(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E6%96%B0%E7%94%BA%E9%A7%85)というのは、ふしぎな駅ですね。■ちなみに、“Kanagawa-shinmachi”ってローマ字表記は、訓令式・ヘボン式のチャンポンですね(http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLJ,GGLJ:2006-29,GGLJ:ja&q=Kanagawa%2dshinmachi)。訓令式を意識する表現者なら、こんなチャンポンはありえません(-sinmati)。ヘボン式なら“-shimmachi”でないと。

返信

> タカマサさん

 brother-tです。

> 東国論

 関東・関西・奥州などの見方は結局今でも中東と言った言い方があるように一種のスタンダードなので細かくは言及しませんが一つ言えるのは以外に日本では端っこと見られる地域と言うのは繁栄していたり面白い場所なのではと言うことです。明治幕府を作る原動力となったのは鹿児島・山口の武士たちですし、奥州藤原氏はやはりものすごい繫栄をしています。
 結局源氏政権がああいった形の政権を作った背景には平将門の失敗があったのだと思います。
 更に家康に関しても豊臣氏を倒して政権を作ったわけでないからこそ江戸地区へ拠点を置いたともいえるわけで。
 江戸→明治の人口減少は大阪でも実は同様に見られた事です。参勤交代と言う公共事業と言うか権力によって作られた需要(参勤交代の資金調達のために大阪の蔵屋敷が作られ繁栄した)に依存したのは東京・大阪問わずです。逆に言えば所謂文化資本だけでは経済は支えきれないと言ったところでしょうか?
 横浜に関しては繊維産業で小金を稼いで最終的には重工業化を達成し、大都市として発展すると言う風に考えていました。要は京都に首都が移ったら(東京→京阪)大阪の役回りを横浜が担うのではと言う見方です。

>軍需都市と爆撃
 結局日本との戦争と考えると人口・経済規模が巨大で陸続きの隣国(これは2次大戦におけるフランス・イギリスが参考になりそう)が無い以上短期決戦で決着をつけるのは多分無理で、逆に言えば短期決戦しか出来なくなったからこそ大国同士の戦争がなくなったのだと思われます。
 

> 横須賀空襲の時期

 難しいですが戦争があと半年長引いたら首都圏上陸を行う予定だったみたいです。(参考  http://lopezroom.hp.infoseek.co.jp/syuusen.htm#2 )その際にまとめて何とかするつもりだったのではないでしょうか?
 関係ないですが幸いにして本土戦闘は行われなかったのですが本土戦(ベルリン戦に関しては 参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 )が行われたドイツの戦死者は人口が同等だった日本の3.5倍(日本200万人、ドイツ700万人、ちなみに2次大戦で最も死者の多かったのはソ連で2000万人以上 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6#.E6.A6.82.E8.A6.81_2 )だったことを考えると西側資本主義国家においては2次大戦の段階でとことんやるのは難しい状況だったと思われます。

> 京急
 考えなくてはならないのは単に電車の乗換場所で無く町としてのターミナルと考えた際、京急のターミナルは品川で無くて横浜になります。品川駅の利用者数はJR/京急合わせても6~70万人、一方横浜は200万人を越えます。また東急との乗換駅である蒲田・大井町駅、横浜線東神奈川、南武線川崎と言った乗換駅では定期が通産購入できず(東神奈川はPASMOのみ可能)京急の駅から5~15分程度乗換時間を大目に見なくてはならないと言うのも大きな要因と思われます。

東国/辺境論

日本では端っこと見られる地域と言うのは繁栄していたり面白い場所なのでは…。明治幕府を作る原動力となったのは鹿児島・山口の武士たちですし、奥州藤原氏はやはりものすごい繫栄……家康に関しても豊臣氏を倒して政権を作ったわけでないからこそ江戸地区へ拠点を置いたともいえる

■いわゆる「辺境からの革命論」というのは、「世界史」上も、「普遍的」に「実例」をおびただしく、「発見」できますよね。■ローマ帝国の「ゲルマン」諸勢力による崩壊、中華帝国の北方少数民族の圧迫による解体と漢民族王朝の復権、「ヨーロッパの辺境」イングランドおよびその植民地アングロアメリカ、そして「アジア的ヨーロッパ」ロシアによる東西冷戦という覇権体制ができあがっていった19~21世紀の国際情勢…。■日本列島も、たとえば、御三家のなかで唯一将軍職をだす役目をあたえられていなかった水戸徳川家の光圀が編纂を指揮した『大日本史』が、尊王斥覇イデオロギー→統幕運動という幕藩体制の自壊作用をひきだしていった…。
■しかし、これら「普遍的実例」なるものの実体とは、恣意的な「発見」であって、所詮は、「辺境地域には、覇権中枢部の支配のゆるみ・矛盾が集約している」「辺境地域は、経済的・地政学的に、隣接する『外部』と交渉・相互作用があって、政治システムのなかで例外的存在となりがち」といった、ごくあたりまえの構造が「再現」されているだけですね。■新興勢力が、あらたな覇権をにぎったときに、「辺境出身である」と、あとぢえでまとめれば、なんでもこの図式があてはまってしまいます。


江戸→明治の人口減少は大阪でも実は同様に見られた事です。参勤交代と言う公共事業と言うか権力によって作られた需要(参勤交代の資金調達のために大阪の蔵屋敷が作られ繁栄した)に依存したのは東京・大阪問わずです。逆に言えば所謂文化資本だけでは経済は支えきれない…横浜に関しては繊維産業で小金を稼いで最終的には重工業化を達成し、大都市として発展すると言う風に考えていました。要は京都に首都が移ったら(東京→京阪)大阪の役回りを横浜が担うのではと言う見方です

■大阪の人口減少は、たしかに参勤交代経済に依存していた証拠でしょうね。■しかし、大阪は「天下の台所」としての地位を確立し、そこからすべりおちることがありませんでした。つまり、京都の町衆のささえた工芸品経済でもなければ、大阪城の城下町経済ともちがった、ハブ都市の機能を250年間で確保した。だから、列島上どこに首都がおかれようが、金融資本が中軸となって、軽工業→重化学工業といった資本主義の「段階」をふむことが、なかば必然的だったと。プサンとの定期船ができて朝鮮半島から大量に労働者がわたってくるとか、琉球列島出身者が、移民をめざして横浜港にむかう以外は、結局大阪の工業地帯への労働力移動で定住していったとか、はっきりいって、どこに帝都がおかれがようが、関係なかったでしょう。■しかし、横浜はちがうような気がします。直近の帝都ぬきに、京浜工業地帯が形成されたとはおもえないんですね。250年間という蓄積が前史としてないんですから。

空爆/制圧論

■アフガニスタン・イラクには、いまだに空爆をくりかえしている米軍ですが、コソボ紛争での「NATO介入」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%BD%E3%83%9C%E7%B4%9B%E4%BA%89#NATO.E4.BB.8B.E5.85.A5)は、やはり批判をあびました。■要するに、欧米人なみの「人権」をみとめられいる区域に空爆は、困難になったけど、ドイツに投下されなかった原爆が日本には「実験」として投下されたという事実は、原子爆弾の開発者が亡命ドイツ人研究者だったということもあるでしょうけど、やはり人種差別をうたがうべきでしょう(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B#.E5.8E.9F.E7.88.86.E6.8A.95.E4.B8.8B.E3.81.AE.E8.83.8C.E6.99.AF.E3.81.A8.E7.B5.8C.E7.B7.AF)。

■それはともかく、アメリカのような超大国が小国にせめいるのでないかぎり、陸つづきでないと、ほぼ不可能な状態が、第一次世界大戦ごろにははっきりしていたのだとおもいます。■つまり、空爆したって、軍艦がで艦砲射撃したって、それで降参するわけではない。陸軍がのりこめて、拠点をつくれても、ゲリラ戦にまけない後方支援を延々とつづけるためには、国際社会をみかたにつけて、補給用の海上ルートを確保しないといけない。■しかし、後方支援どころか、主力をうしなってしまった日本海軍なんぞは、制海権あらそいの障害物にさえならず、その意味では横須賀港を爆撃する必要性など全然なかったのだとおもいます。■ご紹介いただいたサイトの情報によるなら、九十九里と湘南海岸(相模湾)が上陸予定地だったそうですけど、九十九里浜はともかく、横須賀港からほどちかい湘南海岸が上陸地点と予定されていたとすれば、そこには、阻止できる海軍や陸軍の砲撃拠点が全然ないも同然といっているようなものです。■このようにかんがえたとき、横須賀市街地を炎上させる意味は0でなくても、横須賀港は極力誤爆しないというのが、米軍の方針だったのではないでしょうか?

横浜/品川

●横浜駅(利用状況 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%A7%85#.E5.88.A9.E7.94.A8.E7.8A.B6.E6.B3.81

●品川駅(利用状況 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E5%B7%9D%E9%A7%85#.E5.88.A9.E7.94.A8.E7.8A.B6.E6.B3.81

■格がちがうとまではいきませんが、新幹線がとまる駅に昇格しても、この差はなかなかちぢまらないかも。■でも、横浜駅周辺は、商業地・観光地ではあっても、政治経済の中心ではないし、所詮は「神奈川都民」の買い物空間なのですよね。「ハマっ子」などと、とりわけ3代ぐらい地つきで定住している層などはプライドがたかいようですけど(笑)。■横浜駅の後背地の人口ボリュームは、かなりおおきいけど、大阪駅(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%A7%85#.E5.88.A9.E7.94.A8.E7.8A.B6.E6.B3.81)や名古屋駅(JR・近鉄・名鉄)などと単純な量的比較をしても、あまり意味がないよう気がします。■大阪駅・名古屋駅は、自立した大阪大都市圏・名古屋大都市圏の中核駅ですけど、横浜駅は、横浜市自体が自立しているようにみえませんもの。京浜工業地帯という巨大な経済空間は、それはそれは巨大な東京大都市圏の生産拠点ですけど、横浜・川崎の市街地と、臨海工業地帯とは、別個の空間ですよね。■大阪・名古屋だって、市街地と臨海工業地帯はちがうっていうかもしれませんが、名古屋市に「本社を置く主な製造業」はともかく、「大阪市内に本社を置く主な企業」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82#.E5.A4.A7.E9.98.AA.E5.B8.82.E5.86.85.E3.81.AB.E6.9C.AC.E7.A4.BE.E3.82.92.E7.BD.AE.E3.81.8F.E4.B8.BB.E3.81.AA.E4.BC.81.E6.A5.AD)などは壮観そのもの。横浜市に「本社を置く主な企業」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82#.E6.9C.AC.E7.A4.BE.E3.82.92.E7.BD.AE.E3.81.8F.E4.B8.BB.E3.81.AA.E4.BC.81.E6.A5.AD)は、おおそうにみえますけど、超一流企業はごくわずか。名古屋市本社の方は、なかなかな実力者ぞろい。■要するに、横浜・川崎市内の工場労働者は市内の臨海工業地帯にむかうけど、ホワイトカラー層の大半は、東京にむかうんだとおもいます。その意味で、横浜駅は、退勤時間にかいものでおりることはあっても、出勤時間帯にはおりない駅。通過するか、乗り換える駅なんだとおもいます。■そうかんがえれば、品川駅を過小評価するのも、まずそうですね。

いままでよんだなかで、もっとも気もちわるかったマンガ

大暮維人(おおぐれ=いと)氏の作品集『FIVE』に収録されている「青輝丸」。
同氏の『天上天下』は塩崎雄二氏の『一騎当千』の元ネタと推測されるという事例がAmazonの書評にあるが、『天上天下』の方が『一騎当千』よりもジェンダー・血統(あるいは家系による規範)・ファロセントリズムがつよい。というか、『一騎当千』にはそれらがあまり(あるいはほとんど?)ない。[注]
血統ネタにかぎっていえば、以前あげたしのざき嶺氏の作品のなかでも『あなどりがたきボクら』は血統ネタであるし、荒木飛呂彦氏の『ジョジョの奇妙な冒険』はまさにそのものズバリだ。
また、ファロセントリズムの一例として『ボクと妹』は以前あげたが、その系統ではNEO GENTLE氏のマンガはさらに肢体が非常に戯画化されている点で、記録にあたいしよう。(おお、なんだか若桑みどり御大の図像学の授業のようだ…って自画自賛しすぎ?)
ただ、ジェンダー・血統・ファロセントリズムが強調され、なおかつ前近代的身分制度にもとずく勧善懲悪(身分秩序をみだす不貞なオンナが不敬罪によってさばかれる)というネタを、もっとも詳細にえがいたマンガは、私のしるかぎりでは大暮維人氏の「青輝丸」である。貝枝的に、もっとも気もちわるかったマンガの事例として、なおかつ司馬史観ネタとのつながりをかんがえて、紹介する次第である。

[注]『一騎当千』においてジェンダーっぽいといえば13巻の序盤において女性キャラ・呂蒙子明(りょもう=しめい)が意中の人の身を案じながら料理する場面くらいか?しかし、それもあくまで役割分担上、その時点において彼女(呂蒙)が前面にたつ必要がないので料理をする立場にまわっただけで、物語全般としては男女とわず戦闘の前線にたっており、料理という後方支援が女性の役割とされているわけではないと感じる。つーか、よくみたら男性キャラ・学就(がくしゅう)もおなじコマで一緒に料理しているし、あくまで立場上その回は後方支援にまわる必要があったので料理する必要にかられたという感じですな。それに意中の人に対してならジェンダーをとわず支援することはやぶさかではないはずであろうし。
あるいは同13巻の外伝における張飛益徳(ちょうひ=えきとく)が内心を吐露した際に、男性中心社会におけるいわゆる一般的なジェンダー規範にしたがった言動をとった場面も、本編ではないがジェンダーの一例としてあげられるかもしれない。しかし、全般的にはジェンダーと無縁であるという点において『一騎当千』は『天上天下』とは作品のイデオロギーが異質であると推測する。

返信

>タカマサ様
 
>東国/辺境論
 「辺境からの革命論」等と言う高尚なことを考えていたのでなく(意味合いは一緒かもしれないが)単に端っこと中心では見えている光景が違うのかなと、ただ自分を中心に地図を作っていくのはどんな人でも共通で考えていることなのであまり言及しても仕方ないことなのかなと感じます。他人と見えている光景が違うことはきちんと意識しておく必要はありますが。
 大阪に関しては確かに金融資本の集積はありますが、江戸時代で様々な集積を重ねていったのは江戸地区も同様です。確かに大阪地区には金融資本はありますが繊維産業の輸出港としては有力な産地を後背地に持たないと言う欠点があり、一方横浜は群馬・長野を抱えていました。繊維製品の輸出港として港湾・鉄道への投資(関西資本もこれは見逃さないでしょう)は行われていたでしょう。少なくとも直接的に金融資本が無くても金融資本を引き寄せる資質は横浜にはあったと思います。

>空爆/制圧論

 原爆に関しては難しいですね。対ドイツに関して使用しなかったのは結局対ドイツ戦においてのアメリカの役割はあくまで助っ人でしかありませんし、原爆完成前にドイツは降伏しています。
 人種差別を疑うのは被害妄想とは申しませんがまずは当時の世界情勢への正しい理解が必要のような気がします。
 2次大戦に関しては結局資源の輸入ー物資の生産ー物資の前線輸送ラインを巡る戦いと言っても過言ではないです。ドイツも日本も結局戦線が延びすぎて自分たちの輸送ラインをつぶされやがて輸入ー生産も追い込まれていくのに対し、連合国はアメリカからの補給ラインを確保して勝利に進んでいきました。国際社会の協力云々はその一部分に過ぎなかったと思います。

>横浜/品川

 あくまで語っているのは横浜駅の役回りで横浜と言う都市ではありません。変な書き方になりますが横浜に通うホワイトカラーの多くも横浜駅で下車するのではなく乗り換えて関内方面に向かいます。
 それはともかくとして京急の品川駅の評価を考える際に忘れてはならないのは浅草線の存在です。こことの直通客(駅名で言えば泉岳寺)を合わせると多分横浜の利用客を越えます。横浜地区に関しては上大岡で乗り換えられる地下鉄の使い勝手がいまひとつだったり、都心に近い黄金町・日の出町が伸び悩んだりで横浜駅一極集中しているのですが品川は分散構造になっているのは見逃せません。
 

何点か補足

■①大阪/横浜論:「大阪地区には…繊維産業の輸出港としては有力な産地を後背地に持たないと言う欠点があり
 ↑ ■京都の西陣とか、織物業の繊維素材がどこから供給されたのかしりませんが、京都に生産拠点があった以上、それを陸路でないかたちで発送する機能は、日清戦争ごろに開花した近代的繊維業の前史となっていたのではないでしょうか? 経済史、うといんで、あまり具体的な推定はできませんが。■回船によって本州全体の商圏のハブ機能をかちえた大阪港と、そんな歴史をもたなかった(そのころ存在自体なかった)横浜港とを、ならべて論じられる根拠がわかりません。

■②原爆論:「対ドイツに関して使用しなかったのは結局対ドイツ戦においてのアメリカの役割はあくまで助っ人でしかありませんし、原爆完成前にドイツは降伏しています。…人種差別を疑うのは被害妄想とは申しませんがまずは当時の世界情勢への正しい理解が必要
 ↑ ■ご趣旨が、全然のみこめません。開発計画がドイツの物理学者によってすすめられようと、その研究開発の施設・資金を提供したのはアメリカですし、アメリカの戦後戦略がなければ、ドイツの物理学者の総動員体制など成立しなかったはずです。■ドイツ人研究者が、アメリカ政府の意向と独立して、かってにやったのは、独占させるのはまずいと、意識的にソ連にリークしたことぐらいでは?
■また、原爆の完成時期とドイツの敗戦の前後関係は、過大評価しても無意味だとおもいます。要は原爆製造計画が、いつからはじまったのか、どこを仮想敵国、ないし実験空間として想定していたかです。■その意味では、ユダヤ系ドイツ人研究者は、自分たちをころそうとした祖国ドイツにアンビバレントな感情がぬぐえなかったでしょうが、たとえば「天罰」として当然の投下をのぞんだりはしなかったでしょう。しかし、アメリカ政府が、「ナチスドイツを妥当するためには、投下やむなし」となれば、対ソ連という地政学的意味(ドイツの単独占領)もこめて、開発をすすめても全然不自然ではないと。

補足に対する返信

>横浜/大阪

 輸出産業としての繊維産業と書いたので分かりづらかったと思いますが要はこの場合の産品は生糸です。
 そして明治期輸出用の生糸の産地は群馬・長野・福島がほぼ独占と言ってよい状況だった為に、生糸の最重要輸出港(これらの地域からのアクセスの良さを考えましょう)として横浜が浮かび上がってくるのです。
 大阪には確かに国内向けの回船輸送のハブポートではあったのかもしれませんがあくまで輸出向きの港と考えるととても対応できないものでしょう。確かに当時の大阪と横浜を同列では語れません。大阪は時代遅れでしたから。逆に言えばその時代の差を神戸を利用しつつと言うめんもありますが最終的にはうめたのは確かに金融的な集積のなせる技ではありますが・・・

>原爆に関して

 言いたいことは単純でアメリカにとってはドイツに原爆を落とすと言う選択肢はありえなかった為「ドイツに原爆を落とさず日本に落としたのは人種差別が原因だ」と言うのは成り立たなかったと言うことです。
 2次大戦中ドイツと主に戦っていたのは建前上ソ連、イギリスでアメリカはこの2国の協力者でしかありえなかった以上そう結論せざるを得ないでしょう。

はなしが、全然かみあいませんね(笑)

■「輸出産業としての…産品は生糸」ぐらいは、さすがにわかりますよ(笑)。■「明治期輸出用の生糸の産地は群馬・長野・福島がほぼ独占と言ってよい状況だった為に、生糸の最重要輸出港(これらの地域からのアクセスの良さを考えましょう)として横浜が浮かび上がってくる」というのは、あくまで、帝都東京の輸出港としての横浜という構造ではないかと、いってきたわけです。■その後京浜工業地帯の輸出入をうけもったという経緯も、京浜工業地帯自体が、帝都東京なしに誕生したとはおもえないという仮説が、横浜港自立=自律論にカゲをさすだろうと。■先日もかいたとおり、生糸などは、過去の栄光なのであり、帝都東京がなくても経済圏の中核になっただろうというのは、仮説としてよわいのでは?
■それに対して、大阪港が時代おくれになろうと、大阪の工業地帯のために神戸港が機能したわけですから、大阪は帝都がはなれていても、自立=自律した経済圏を形成できたと。


■「アメリカにとってはドイツに原爆を落とすと言う選択肢はありえなかった為「ドイツに原爆を落とさず日本に落としたのは人種差別が原因だ」と言うのは成り立たなかったと言うことです。
 2次大戦中ドイツと主に戦っていたのは建前上ソ連、イギリスでアメリカはこの2国の協力者でしかありえなかった以上そう結論せざるを得ない

↑ ■もうしわけないんですが、なにをいいたのか、さっぱりわかりません。■ドイツの敵国はソ連・イギリス→ソ連・イギリスの同盟国アメリカは結局参戦→ドイツ軍をソ連軍とはさみうちにした主戦力となった。■で、「アメリカにとってはドイツに原爆を落とすと言う選択肢はありえなかった」という根拠があがらないんでは、なにをいいたいのか、意図がつかめないわけです。■しかも、「「ドイツに原爆を落とさず日本に落としたのは人種差別が原因だ」と言うのは成り立たなかったと言うことです」といった断定は、一層根拠がしめされない。だって、その直前の事実認識に明確な根拠がしめされていないし。「マンハッタン計画は、当初から太平洋戦争における決定打として日本を想定した原爆製造計画であって、研究者たちの祖国ドイツを攻撃対象にするような方針は絶対にありえなかった」といった、通説があるのでしたら、おしめしください。■ちなみに、原水協系の「澤田昭二の反核ゼミ」というサイトでは、「最初の原爆の投下目標」(http://www.antiatom.org/GSKY/jp/Rcrd/Basics/jsawa-15.htm)という文章があり、つぎのような記述がよめます。

軍事政策委員会

 前回、1944年9月の米英首脳の会談の覚書「ハイドパーク協定」が日本に原爆投下をすることを記した最初の文書だと書きました。書いた後で、『原子科学者通信』の最新号(5月6月合併号)にタコマパーク・エネルギー環境研究所のA・マキジャニーが、「核兵器の目標の始まりから60年」という論文を書いているのを読んで、1943年5月5日に開かれたマンハッタン計画の軍事政策委員会が、ドイツではなく日本を投下目標にする議論をしていたことを思い出しました。マキジャニーはこの会議の重要性を前から主張していました。

 この軍事政策委員会のメンバーは、科学研究開発局長のバーネバー・ブッシュ、国防研究委員会議長のジェームス・コナント、W・R・パーネル海軍提督、ウイルヘルム・スタイヤー大将、それにレスリー・グローブス将軍の5人でした。前回紹介した科学行政官のブッシュとコナントがルーズベルト大統領と科学者の間に立って、ここでも要の役割をしています。山崎正勝、日野川静枝編著『原爆はこうして開発された』1990年青木書店)によると会議の議事録は次のようになっています。

「最初の原爆をどこに投下するかが議論され、全般的な見地から、最良の使用地点はトラック島の港に結集している日本艦隊だということであった。スタイヤー将軍は東京を提案したが、爆弾は、もしそれが不発に終わった時、簡単に引き上げることができない十分深い水中に落ちるようなところで使用すべきだということが指摘された。日本人が選定されたのは、彼らがドイツ人とは異なり、それ(不発爆弾)から知識を獲得しそうにないからであった」

 すなわち、ドイツに使用して不発弾になると、開発している原爆の核分裂物質に使われる可能性が高いと判断して、南太平洋のトラック島(現在のミクロネシア連邦)の日本艦隊を目標に選定したのでした。マキジャニーは『原子科学者通信』の論文で、この決定からちょうど60年が今年の5月であることを強調し、「恐怖(テロ)の兵器を振り回す国では、テロ問題の解決にはならない」と述べて、ブッシュ政権が「核態勢見直し報告」で7つの国を核攻撃の目標にしていることを暗に批判しています。


実験的性格の最初の投下

 マキジャニーが、この会議で最初の投下目標をドイツにすることが除外されたことを強調しているのに対し、山崎正勝さんは、最初の原爆投下は実験的性格が強かったことに着目しています。1943年5月5日の国防研究委員会の議論を伝えるために6月24日ブッシュ議長はルーズベルト大統領と会談しました。ブッシュのこの会談覚書に、複数のドイツの目標についても話し合ったこと、ブッシュが、対日使用は「最初の爆弾」だけで、実験が成功した後には、対ドイツ戦勝利のために原爆の使用する可能性を排除したと誤解されないようにしたことを指摘しています。ただ、ルーズベルトが、ドイツを目標に考えていたかどうかはわかっていません。
……



■「横浜は帝都が東京にきまらなくても、群馬・長野・福島など生糸産地を基盤に阪神と匹敵する貿易都市となりえた」とか、「アメリカにとってはドイツに原爆を落とすと言う選択肢はありえなかった」とか、結論ありきでは、こまるのです。■たとえば「帝都東京がなくても、生糸経済衰退後も阪神地域なみの経済圏を形成しえたのか?」といった疑念に対して、充分対抗しうるデータをだしていただかないと。

取り敢えず横浜の話

 取り敢えず原爆の話に関してはアメリカにとってドイツへの原爆投下が可能かと言う詳しい話は調べるのに時間がかかりそうなので先に取り敢えず横浜港の話から。
 統計データをみる( http://www.customs.go.jp/yokohama/toukei/boueki/data/h19nensuii.xls )と明治期の横浜港は全国の輸出入の過半数を占めています。
 内訳のデータは中々詳しいのが無かったのですが以下のHP( http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/sekaisi12.html )を見ると輸出に関しては明治20年で生糸とお茶でほぼ80%を占めています。
 生糸の主な産地は群馬・長野・福島、お茶の産地は静岡とどこにも東京の影響は無く、帝都の貿易港と言うよりも横浜近辺に優良な輸出産業の集積地があったからと考えるのが妥当でしょう。それでも帝都を言うなら帝都東京のおかげでこれらの地域がそれらの有力産地になれたことを証明する必要があるでしょう。

比較は、もう うちどめに…

■くりかえしになりますが、「単なる漁村でしかなかった横浜港の前身が、250年以上もの資本形成・蓄積(前資本主義的な)をなしとげていた大阪(+神戸)にまさる展開をみせた理由は、帝都東京という存在しか、ありえなかっただろう」という仮説をのべたまでです。■したがって、「東京の存在ぬきでも、経済的中心になりえたはずの横浜」といった仮定こそ、どうして当然視できるのか、データをあげるべきです。こちらは、「直近の帝都ぬきで大阪が神戸港とタイアップして資本主義の中核たりえた」とのべているのであり、「京阪に帝都があったら、横浜など比較にならない圧倒的な格差が生じていただろう」と仮説を提示できるのですから。

■それから、これもくりかえしになりますが、もはや日本資本主義のなかで歴史的使命をおえてしまった生糸・緑茶の輸出などといった過去のデータが、なぜ「その後の横浜港の経済的地位の存続を必然的にもたらす(≒生糸・緑茶経済は、いずれ自生的に重化学・機械工業へと転換されていった)」いう根拠になるのか、さっぱりわかりません。■大阪は、帝都なしというだけではなく、もはや近代資本主義の生産拠点としては時代おくれになっていただろう京都をあてにせず、全国・世界への商品供給を可能にすべく、「東アジア地域からの低廉な労働力のよびよせ」というシステムさえつくりあげました。■しかし、幕藩体制期250余年の蓄積がない横浜港が、帝都という後背地ぬきに、第一次産品の輸出港から現在の京浜工業地帯に準ずるような重化学・機械工業地帯へと、変貌できたとはおもえないと。
■もちろん、「日清・日露戦役などを契機とした阪神工業地帯の発達は、帝国日本という体制ぬきにかんがえられない=帝都東京の存在は、商都大阪の経済力も規定していた点で、参勤交代・米本位制経済の延長線上にある」といった、ツッコミはありえます。しかし、それはむしろ、幕藩体制期250余年の蓄積がない横浜に、一層おもくのしかかります(「神奈川湊」などを横浜港の前身ととらえるのは、あしき歴史主義でしょう)。

■これ以上の議論は不毛だとおもいますから(なぜなら、いくら経済史的な数値データをだそうと、「もし●●だったら…」という仮定のはなしでしかないので)、横浜と大阪の「比較」は、やめにしましょう。

■ちなみに、当方は、東京大都市圏と京阪神大都市圏が、双方とも、事実問題として、大国なみの経済規模をかかえていることを、何度も確認ずみです(たとえば「首都圏整備法と東京大都市圏」 http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-363.html)。

>横浜に関して

 少なくとも私は「繊維産業を中心として日本を代表する貿易港」として集積する物語とその裏づけをきちんと提示した(ついでに言えば横浜正金と言う東京三菱銀行の前身もこの影響で設立されています)わけですから反論するなら「250年の集積」とか「帝都東京」と言うキャッチフレーズに頼らず裏づけをきちんと提示して下さい。ついでに言えば
>「明治期輸出用の生糸の産地は群馬・長野・福島がほぼ独占と言ってよい状況だった為に、生糸の最重要輸出港(これらの地域からのアクセスの良さを考えましょう)として横浜が浮かび上がってくる」というのは、あくまで、帝都東京の輸出港

 と言うのは左翼教では通るのかもしれませんが訳が分かりません。これもきちんと裏づけを出してください。
 それが出せないと言うことはやはり横浜が大阪になりうる可能性を認めたとみなします。

>ドイツへの原爆

 客観的事実としてアメリカがドイツとの戦いに本格的に参戦するのは1944年のノルマンディ上陸(一応根拠 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E6%88%A6%E7%B7%9A_%28%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%29 )となっています。それまでは北アフリカやイタリアでアメリカ軍対ドイツ軍の戦闘そのものは行われてはいたのですが、あくまでこの場合ドイツもイタリアの助っ人と言う意味合いであり、最終的にはソ連の「俺たちばかりにドイツと戦わせるな」と言う圧力に屈したと言う形です。
 またアメリカがヨーロッパで関わった数少ない都市無差別爆撃であるドレスデン空襲では事前協議で「東部戦線ではソ連の許可を取って空襲」と言う要請がなされていたのも注目するべきでしょう。現地にいない科学者が何を言おうとヨーロッパ戦線での状況はそんなものでアメリカが原爆を投下するのは現実的(ソ連だったら可能かもしれないが)ではないです。

>「最初の原爆の投下目標」
 確かにこの話をしている人たちの間に人種差別意識が全く無いと断言することは出来ませんが、これを考える際に重要なのは日本とドイツの化学技術の差でしょう。「ナチスの発明」(彩図社 武田友弘著)と言う著作によると当時のドイツの化学は最先端の水準にあり
・人造石油(石炭から石油生成物を作る)生産年間350万トン(1944年)
・アルミ生産1938年16万トン(アメリカは13万トン)
・人造繊維、人造ゴムの生産
 などの話が掲載されています。
 特に人造石油に関しては同じ産炭国である日本にも技術供与されていますが実質稼動できていない(逆に出来ていたら下手をすれば日米戦そのものが無い)ことを考えると人種を抜いても実質的な技術力の差として日本とドイツで大差がありアメリカから見たらドイツは格上、日本は格下だったと言うことなのでしょう。これは人種を抜いた客観的な化学技術力の認識として間違ってはいないと思います。(一応根拠 http://www.saturn.dti.ne.jp/~ohori/sub23.htm )
 また海上での使用を考えるとやはり主に陸戦を中心としていたドイツよりも海戦を中心とした日本相手となります。
 とは言え結論ありきといっておられますが、個人的にはこの戦争に対して自分なりに知っていることを前提に妥当な考えを書き一応そう考えた前提条件も示しているだけなのですが、結論ありきなのはあなたのほうではないでしょうか?

かきこんでくる動機に地域ナショナリズムしかうけとれないので、具体的な議論はうちどめにします

■にげていると、とろうとけっこうですが、具体的議論は、こちらから一方的にうちどめにします。■前便でかいたとおり、いくら経済史的な数値データをだそうと、「もし●●だったら…」という仮定のはなしでしかないので、横浜と大阪の「比較」は、不毛ですから、やめにしたいのです。
■どうみても、こういった詳細な「証拠」を提出しようとする、そちらには、「三浦半島」愛としか、うけとれない熱意を感じてなりません。■ちなみに、小生は北関東出身で、東海地域にくらしたことはありますが、現在南関東在住で、大阪など京阪神を擁護したくなるような地縁的背景はもちあわせていません。


■それから、敵国としてのドイツと日本の意義のちがいも、ほとんど不毛なやりとりになりつつありますから、もうやめましょう。
■小生は軍事史もしろうとですから、詳細な具体的データなどあげられませんが、欧米人にとって、重要なのはユーラシア西部であり、そこにうまれたナチズムとコミュニズムが、巨大な課題だったことは、まちがいないと断言できるとおもいます。■そして、そういった、かれらにとっての世界史的意義のなかで、極東=西太平洋の「有色の帝国」などは、黄禍論的に恐怖感・不安感はあっても、二の次・三の次の関心事にすぎないはずです。■ヨーロッパ大陸における、ナチズム・コミュニズムは、自分たち自身の課題だったわけで、それこそ必死に対応をねったわけですけど「、極東=西太平洋の野蛮国など、ヨーロッパがおちついたら、じっくり始末しよう」程度の認識しかなかったと、小生は推測しています。なにしろ、「後方」の力量が、国際的連帯と、孤立した点在する同盟国という点で、ハナからわかりきっており、特にアメリカにとっては、自分たちの覇権を確立するうえでも、軍事技術と軍政を誇示するいい機会として、実験と実演をかねたかたちで、データ収集とパフォーマンスをくりかえしていたと、おもわれます。■硫黄島や沖縄島での激闘とかは、ちょっとした想定外の事態にすぎなかったし、原爆投下が完全な実験だったことは、当事者があっけらかんとみとめているのですから、そのなかに人体実験がふくまれたいたことは、まぎれもない事実です。■ヨーロッパ大陸のなかで核兵器を実戦使用したばあいに、「人体実験」的な要素を当然視するのには、タブーがあったでしょうね。ナチズムが、ホロコーストで冷酷な人体実験をくりかえせたのは、ユダヤ系市民などを、非キリスト者=非ヨーロッパ人=二級の人類という、明確な差別意識があったからでしょう。優生思想からすれば、二級の人類は積極的に死滅させるべきなのですから、全然ためらいがなかったと。■もちろん、同様の、おそるべき発想は、極東の野蛮国にも伝染していて、大東亜共栄圏などといったスローガンのもとに、人体実験がひそかにくりかえされたことは、いうまでもない事実です。■人体実験をくりかえしたアメリカという国家体制を、エラそうに批判できないことは、あきらかです。その意味で、野蛮さを自覚するための、とうとい犠牲が、広島・長崎の市民たちだったということを、このなつも、かみしめねばなりません。


■それと、瑣末な問題にみえるかもしれませんが、「左翼教」というのは、そちらの侮蔑意識にもとづいた攻撃ととっていいですね。いや、これに感情的に反応する気は毛頭ないんです。ただ、どこであろうが、こういった表現をかいた以上は、ケンカをうっていると、うけとられること覚悟で、かきこんでいるのですよね? という確認です。
■小生は、自分を左派だと自覚していますが、非マルクス派だと位置づけていますし(小生は、社会主義革命を信じていませんから、マルクス派には絶対にいれてもらえません)、既存の左翼勢力とくらべれば、虚無主義ととられるような冷淡な記述をつらねてきているので、おそらく、左右両翼のみなさんは、双方別個に困惑しているはずなんですね(たとえば、日本共産党の良心的な党員さんなどは、特に)。■まさか、全然左派的とはおもえないと判断したうえで、「左翼教」などと、ちゃかすような論法をあえてとったともおもえませんし。■ほかの記事をどの程度ごらんになって、こういった表現をえらんだのか、その動機や語感が、よめませんけどね。
■すくなくとも、具体的データをあげて冷徹な議論をかわすといった文脈にはふにあいな「用語」なので、注意されることをおすすめします。


【以下、ひとりごと】
■それにしても、小生の現状分析や歴史認識が、「信仰」だの「信念」のように、うけとめられる要素がありますかねぇ?
■まあ、『産経』や『読売』の愛読者層などには、「自分は中道である」って信じてうたがわない層が実在し、そういったひとたちからすれば、小生はマルクス教徒みたいにうつるかもしれませんけど(笑)。■かれらは、既存の政治経済体制を平等論的な視座から批判するものを、一括して「アカ」よばわりする知的野蛮がすきで、「生産的批判」というのは、既得権の根本をゆるがさない、という「限定」つきらしいので(石原某氏のように、皇室に全然敬意のそぶりもみせない新自由主義の闘士なども、既得権の根本をゆるがさない、という「限定」つきはアピールしているので、右派的人気は維持されるんでしょうけど)。

Re:左翼教

>それと、瑣末な問題にみえるかもしれませんが、「左翼教」というのは、そちらの侮蔑意識にもとづいた攻撃ととっていいですね。

 そう受け取ってもらってもかまいませんがただニュアンス的には微妙に違います。
 確かにそれぞれのお題目は分からなくはないですが、そこでとどまってそれ以上色々調べて思考しないのは宗教的だなと感じただけです。
 例えば2次大戦のドイツ・日本への原爆の対応で言えばヨーロッパでの戦いでのアメリカの立場はあくまで助っ人、日本との戦いではメインと言う点は客観的な事実と感じていて「日本人は黄色人種で2級人類」みたいな意識よりもよっぽど重要な要因だと言うのは少し調べればわかることです。
 同じことが横浜ー大阪論にも言えます。
 個人的には自分を「左翼」とも「右翼」とも「中道」とも考えていないと言うか多分ケースバイケースでどこにも行きかねないと考えているのですが、重要なのはどこの翼にいるかよりもいかにそれぞれのケースの前提条件をより客観的に把握して判断していくかだと考えています。それが出来るのにしない人間はやはり「左翼教」「右翼教」「中道教」と言わざるを得ないかなと感じます。

ひとりごと

>それと、瑣末な問題にみえるかもしれませんが、「左翼教」というのは、そちらの侮蔑意識にもとづいた攻撃ととっていいですね。

 そう受け取ってもらってもかまいませんがただニュアンス的には微妙に違います。
 確かにそれぞれのお題目は分からなくはないですが、そこでとどまってそれ以上色々調べて思考しないのは宗教的だなと感じただけです



■うーん。あらての「アラシ」なんだろうか(笑)。■「侮蔑意識にもとづいた攻撃ととっていいですね」って、たずねられて、「そう受け取ってもらってもかまいませんとは、すごい。■これって、異文化間接触とか、「コミュニケーションのユニバーサルデザイン」といった次元に属しているかも…。

転載します。

(以下、転載)

【転送・転載歓迎です】
弓山正路です。11月29日から放送予定のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送を前に、NHKは大キャンペーンを行っています。しかし、原作には史実に反する記述など重大な問題があり「えひめ教科書裁判を支える会」と「『坂の上の雲記念館』の問題を考える会」の2市民団体が10月14日、ドラマ化にあたっての対応を問う福地茂雄NHK会長あての「公開質問状」を松山市堀之内の松山放送
局に提出しました。

 長文ですが、「公開質問状」ですので、インターネットを通じて、問題点を広く知っていただくために、みなさんに公開します。

 なお、「えひめ教科書裁判を支える会」では、『坂の上の雲』批判の詳しいブックレットを現在、製作中です。放送開始に合わせて、販売する計画です。その際には再度お知らせしますので、ぜひお買い求
めいただき、『坂の上の雲』を反面教材にして真実の「歴史認識」を共有していただきたいと願っています。

********************************
日本放送協会 会長 福地茂雄 様

             公 開 質 問 状

 貴局は、司馬遼太郎の作品『坂の上の雲』をドラマ化して、この11月末より放映する予定としていますが、この作品は、歴史的事実に全く反する記述や朝鮮・中国への蔑視的記述をはじめ、非常に重大な問題点が数多くあります。

 この作品での、日清・日露戦争を含む「明治期日本」への認識・評価は、右翼・国家主義者らの「新しい歴史教科書をつくる会」等のそれと、ほとんど似通っています。また「つくる会教科書」には『坂の上の雲』の中の記述をベースにしたものと見てほぼ間違いのないような記述もあります。

 もし、貴局が、これら<歴史的事実>に反すること等の検証をすることなく、原作に忠実にこのドラマをつくっているとしたら、公共放送によって、多くの事実に反することや差別的見方が流されることとなり、多くの視聴者への影響を考えると、看過できるものではありません。

 これは歴史小説だからと言って逃れられることではありません。日清・日露戦争の定義・性格はじめ、司馬自身が、ときに歴史学の学説を批判しながら、到るところで自らの歴史認識を示している、そのようなところでの、歴史的事実に反する記述の問題なのです。登場人物の会話等、想像力を働かせたであろう細部の描写のことを、私たちは問題にしているのではありません。また、司馬自身、以下のように述べています。

 「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい。ひとつは事実に拘束されることが百パーセントにちかいからであり、いまひとつは、この作品の書き手――私の事だ――はどうにも小説にならない主題をえらんでしまっている。」(文春文庫新装版、第8巻、330頁)

 「『坂の上の雲』と言う作品は、ぼう大な事実関係の累積のなかで書かねばならないため、ずいぶん疲れた。本来からいえば、事実というのは、作家にとってその真実に到着するための刺戟剤であるにすぎないのだが、しかし『坂の上の雲』にかぎってはそうではなく、事実関係に誤りがあってはどうにもならず、それだけに、ときに泥沼に足をとられてしまったような苦しみを覚えた。」(同第8巻、369頁)

 つまりこの小説は、書き手にとっても、読み手にとっても、そこに書かれていることを、日清戦争や日露戦争に関する歴史的事実と見なす構造になっているのです。

 ですから、貴局は、この作品をドラマ化して放映するにあたっては、そこに書かれていることがほんとうに事実なのかどうか、司馬の、日清戦争や日露戦争に対する認識は間違っていないのかどうか、それらを検証する義務があります。

 つきましては、以下に列挙する『坂の上の雲』の重大な問題点について、貴局はどのような認識をし、また、ドラマの制作上において、どのような対応をされて来ているのかお答えください。


一、 『坂の上の雲』において語られている、以下に列挙したことについての司馬の歴史認識が<事実>と全く違うことについて検証しましたか?
 また、このことに、「ドラマ」では、どのように対応していますか?

① 日清戦争は、司馬のいうように、「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」戦争であったか?

 司馬は、日清戦争は、「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」としている。
 しかし、日清戦争は、朝鮮から清の勢力を逐い出し、日本が朝鮮を単独支配するとともに、清国領の一部を領有することをも目的として、日本から主体的・積極的に起こしたというのが、<歴史的事実>である。
 そして、実際に、日本は、朝鮮から清の勢力を逐い出すとともに、その後も、清国領に去った清国軍を追って清国領内で戦争を続行し、講和条約において、清国領の一部を領有したのである。
 つまり、司馬が日清戦争について述べていることは、全く<事実>に反しているのである。(『資料』一の(1)の ① を参照ください)

② 日露戦争は、司馬の言うように、「祖国防衛戦争」であったか?

 司馬は、日露戦争における「日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない。」(第3巻、182頁)

とし、また

「後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、ロシアの態度には、弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう。」(第3巻、178頁)

と述べている。
 しかし、『資料』で明らかにしたように、日本は、ロシアによって「死へ追いつめ」られていたり、「窮鼠」にされていたりしたという事実はなく、また当時、日本をロシアから「防衛」しなければならないような客観的状況も全くなかった。

 日露戦争は、朝鮮からロシアの勢力を逐いだし、日本が朝鮮を単独支配するために、日本の方から主体的、積極的にロシアに戦争を仕掛けて始まったというのが<歴史的事実>である。そして日露戦争を行いながら同時に、朝鮮の保護国化・植民地化を進める措置をとり、戦後には、この戦争の当初の
目的どおり、ポーツマス講和条約において、ロシアに日本の朝鮮単独支配を認めさせたのである。

 つまり、日露戦争は「防衛戦」などでは全くなく、朝鮮を保護国・植民地化するための戦争であった、というのが<歴史的事実>である。

 また、司馬は、

「ロシアが、フランスの利益に関係のない極東での侵略道楽をはじめたがために日露戦争がおこった。」(第5巻、308頁)

「極東を征服するための戦争をおこした以上は、ロシア帝国は勝つための態勢をとるべきであった。」(第8巻、234頁)

と書いて、まるでロシアの方から戦争を起こしたように書いているが、これも『資料』で明らかにしたように、明白に、日本の方から仕掛け、起こした戦争であったというのが<歴史的事実>である。(『資料』一の(1)の ②を参照ください)

③「北清事変」(義和団鎮圧戦争)で「日本軍は掠奪しなかった」というのはほんとうか?

 司馬は、日本と欧米列強が義和団の蜂起を鎮圧した、いわゆる「北清事変」において、欧米列強はすさまじい掠奪を行ったが、日本は一切しなかった、と以下のように言っている。

「キリスト教国の側からいえば、いわば正義の軍隊である。しかし入城後にかれらがやった無差別殺戮と掠奪のすさまじさは、近代史上、類を絶している。
 かれらは民家という民家に押し込んで掠奪のかぎりをつくしたばかりでなく、大挙して宮殿にふみこみ、金目のものはことごとく奪った。
(略)
  ただし、日本軍のみは一兵といえども掠奪をしなかった。」(第2巻、385頁)

 しかし、『資料』で明らかにしたように、日本軍は、他の列強諸国の軍隊にさきがけて掠奪を行ったというのが<事実>である。
 日本軍の掠奪行為については、当時の議会でも問題になり、多くの新聞も、その、いくつもの証言を載せて報じたものである。(『資料』一の(1)の ③を参照ください)


④ 日本は、司馬の言うように、「戦時国際法の忠実な遵奉者」であったか?

司馬は次のように言う。

「日本はこの戦争を通じ、前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始し、戦場として借りている中国側への配慮を十分にし、中国人の土地財産をおかすことなく、さらにはロシアの捕虜に対しては国家をあげて優遇した。」
(第7巻、218頁)

 しかし<事実>は、『資料』で明らかにしているように、日本軍は、戦場とした中国で、種々の軍需品を徴発し、強制労働を課し、多くの人びとを殺害さえしたのである。
 また、ロシア兵捕虜に関しても、欧米列強諸国との条約改正をしたいという自らの利害から優遇した側面も確かにあったが、一方、『資料』でそのいくつかを例示したように、多くの捕虜虐殺事件を起こしているのである。
 「戦時国際法の遵守」に関しても、同じく条約改正等の自らの利害から欧米各国に対しては守ろうと努めたが、欧米列強の視線がないところでは守らないことが多かった。また朝鮮等のアジアの国に対しては、国際法などまるで存在しないかのごとく、それを全く無視し、さまざまな違法・残虐行為を行ったと
いうのが<歴史的事実>である。(『資料』一の(1)の ④ を参照ください)


二、 日清・日露戦争を描きながら、その戦争における侵略によって被害を受けた朝鮮人・中国人のことは全く触れられてもいません。これほどまでの自国・自民族中心主義でいいのでしょうか?

 朝鮮・中国においては、この二つの戦争における日本軍の行為によって、実に多くの人びとが殺されます。(『資料』一の(1)の ⑤ を参照ください)
 そして、この二つの戦争をとおして、朝鮮は日本の保護国・植民地にされ、中国は、その一部を日本によって奪われ、支配されます。(『資料』一の(1)の①・② を参照ください)
 しかし、これらの非常に重要な<歴史的事実>については、触れられていません。あまりもの自国・自民族中心主義、他者・他国への想像力の欠如ではないでしょうか? その具体的な一例を以下に紹介します。

◆ 司馬は以下のように言います。

「旅順というのは、戦いというものの思想的善悪はともかく、二度にわたって日本人の血を大量に吸った。」(第二巻、107頁)
 
 しかし、「旅順というのは」「日本人の血」のみを「大量に吸った」のだろうか?

 旅順は、日清戦争時、日本軍による、中国人大虐殺が行われたところである。これは当時、諸外国のメディアでも報道され、日本政府もその対応に苦慮した、国際的には当時からの公然の事実である。また日露戦争時にも、日本はここで多くの中国人を殺害した。
 私たちはここで、この日本軍の虐殺行為を、司馬が書いていないこと自体を問題にしようとしているのではない。
 ここでとても問題だと思うのは、「旅順は日本人の血を大量に吸った」と書きながら、そこでその日本人によって虐殺され、流された中国人の「血」のことについては全く触れてもいないことである。しかも、それは、司馬の作品執筆当時はわかっていなかったというようなことではない。
 あまりにも他者・他国への想像力が欠如しているのではないだろうか。
(『資料』一の(1)の ⑤ を参照ください)


三、 この作品には、日露戦争を遂行した日本軍・日本国家に対する、根拠のない、誇大妄想的な域にまで達している、あられもない日本賛美の記述が多くあります。
 仮に、これらの文章をそのままナレーション等の形で放送するとしたら、それは、過剰な自己賛美の偏狭なナショナリズムを、日本社会に生じさせる契機ともなりかねません。
 貴局は、このような危惧・問題について検討しましたか?
 また以下のような記述を、どう扱う予定ですか?

「世界史のうえで、ときに民族というものが後世の想像を絶する奇蹟のようなものを演ずることがあるが、日清戦争から日露戦争にかけての十年間の日本ほどの奇蹟を演じた民族は、まず類がない。」(第3巻、45頁)

「癸丑はペリーがきた嘉永六年のことであり、甲寅とはその翌年の安政元年のことである。この時期以来、日本は国際環境の苛烈ななかに入り、存亡の危機をさけんで志士たちがむらがって輩出し、一方、幕府も諸藩も江戸期科学の伝統に西洋科学を熔接し、ついに明治維新の成立とともにその急速な転換という点で世界史上の奇蹟といわれる近代国家を成立させた。」(第8巻、94頁)

「古今東西の将帥で東郷ほどこの修羅場のなかでくそ落ちつきに落ちついていた男もなかったであろう。」(第8巻、131~132頁)

「なにしろ人類が戦争というものを体験して以来、この闘いほど完璧な勝利を完璧なかたちで生みあげたものはなく、その後にもなかった。」(第8巻、191頁)

「日本海海戦が、人類がなしえたともおもえないほどの記録的勝利を日本があげたとき、ロシア側ははじめて戦争を継続する意志をうしなった。というより、戦うべき手段をうしなった。」(第8巻、282頁)

「世界史のうえで(略)日本ほどの奇蹟を演じた民族は、まず類がない。」とか「人類が~以来、これほどの~は後にも先にもない」とか、これらはまず調べようもないことであり、司馬自身、その根拠を何ら示していないし、また示しようもないものである。そのような形で、このように、過剰なまでの自己・自国賛美を行っているのである。しかも、そのほとんどは、日本の戦争面での「すばらしさ」を讃えているのである。(最初にあげた引用文の中の「奇蹟」も、日本の「驚嘆すべき」軍備拡張を指している。)


四、 司馬は、日本の行った朝鮮への侵略・植民地化を「時代」や「地理的位置」のせいにして正当化しています。
 「ドラマ」でも、このような司馬の捉え方を、そのまま取り入れているのでしょうか?

 たとえば司馬は次のように言います。

「十九世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、それがいやならば産業を興して軍事力をもち、帝国主義国の仲間入りするか、その二通りの道しかなかった。(略)日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。
 日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。」(第3巻、173頁)

「そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。
 原因は、朝鮮にある。
 といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、朝鮮半島という地理的存在にある。」(第2巻、48頁)

 しかし、いかにも客観性・普遍性があるような断定的な書き方をしている、これらの司馬の「時代認識」や「地理的位置」の問題の捉え方は、『資料』で明らかにしたように、事実とは異なります。そして、これらの司馬の論法は、当時の日本の行った行為――帝国主義国の一つとなって、朝鮮を侵略・植民地化する――を正当化するためのものに他なりません。

 放映によって、このような司馬の巧妙な論法までが市民・国民の中に流布・浸透するのではないかと、私たちは強い危惧を抱いています。


五、 司馬は、この作品において、日本を、西欧的価値や制度のいち早い達成者・体現者と見なして優等視し、それと比較する形で、朝鮮・中国・ロシアを、その遅れた国として劣等視する記述を多くしています。
 貴局は、このようなアジア及びロシア蔑視の文章に、ドラマの中で、どのように対応していますか?
 また、以下の ※ のところの質問にもお答えください。

 以下に、その一部を例示します。

「韓国自身、どうにもならない。
 李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった。」(第2巻、50頁)

「もともと清国は近代的な国軍を持つような体質ではなかったと言えるであろう。」(第2巻、152頁)

「日本の平安期のころ、日本人はすでにそれなりの統一社会と文化をもっていたが、スラヴ人はなお未開にちかかった。」(第2巻、331頁)

「考えてみれば、ロシア帝国は負けるべくして負けようとしている。
 その最大の理由――原理というべきか――が、制度上の健康な批判機関をもたない独裁皇帝とその側近で構成されたおそるべき帝政にあるといっていい。
(略)
 日本の準備がロシアとかけはなれて計画的であったからである。立憲国家である日本は、練度は不十分ながら国会をもち、責任内閣をもつという点で、その国家運営の原理は当然理性が主要素になっている。ならざるをえない体制をもっていた。
 陸海軍も、その後のいわゆる軍閥のように「統帥権」をてこにした立憲性の空洞化をくわだてるような気配はすこしもなく、統帥上は天皇の軍隊ということでありながら、これはあくまでも形而上的精神の世界とし、その運営はあくまでも国会から付託されているという道理がすこしもくずれていなかった。この点、ロシアと比較してみごとに対蹠的であるといっていい。」(第6巻、121頁)


※ここでは略しますが、司馬がここでロシアと比較して「みごとに対蹠的」なほど優れているとしている、当時の日本の国家制度についての説明には、基礎的なことがらも含めて多くの間違い――<事実>に反することがあります。「立憲国家」や「責任内閣」、その国家運営のこと等、それらの間違いについて、『資料』一の(4)の ④ において指摘していますので、この明白な「間違い」に対して、ドラマの中ではどのように対応される予定かについてもお聞かせください。


 ごく一部をあげただけだが、このような、日本を西欧的価値・制度の先進国、文明国とし、他のアジア諸国をその後進国と見なすような思考方法・認識の枠組みは、日本型オリエンタリズムとでも呼ぶべきものであって、近代日本による他のアジア諸国への侵略・植民地化を支えた「思想」と同
じものである。

 また、司馬の、こうした比較は、あくまでも国家・統治者の立場・視点からの比較であって、市民・民衆の立場からのものではない。『資料』一の(4)の ⑤ に書いているように、市民・民衆の権利・視点・立場から比較すれば、その頃、日本は、<民権>の獲得と確立をめざした自由民権運動がすでに明治国家によって圧殺され、潰滅させられて、民衆は、天皇制国家のもとに組織されていっていたのに比べて、朝鮮・中国・ロシアでは、国家や皇帝・国王の支配に対し、農民・労働者・民衆が起ち上がり、自ら
の権利・生活を獲得する闘い――それらを尊重する社会・国づくりへ向けた大きな社会変革のうねりが湧き起こっていたのである。(『資料』一の(4)を参照ください)


六、 この作品の中には、以下のような女性蔑視の表現があります。
 貴局は、ドラマ化において、このような表現に、どのような対応をするつもりですか?

 以下に例示するのは、作品中の会話部分ではなく、司馬自身の語りの部分である。会話の中ならば、女性蔑視の表現も、当時の実相を描いたということで、もちろん問題はないが、以下の表現は書き手――司馬自身の問題である。

「児玉は自分のほうの砲弾不足に悲鳴をあげながらも、
 ――旅順を優先的に。
 と、その点、戦局全般を見わたして判断していた。乃木軍の伊地知はそのような客観性のある視野や視点を持っていない性格であるようであった。さらにはつねに、自分の失敗を他のせいにするような、一種女性的な性格の持ちぬしであるようだった。」(第3巻、315頁)

「が、ロジェストウェンスキーは、その点にあまりやかましいために孤独であった。しかも孤独をおそれぬ強さがあった。ロジェストウェンスキーは幕僚のたれをも愛さなかった。側近を愛さずとも平気でいられる神経を持っていた。
 それにくらべてステッセルは、より女性的であったといっていい。戦前から旅順の社交界の中心人物であったかれは、社交の友を欲し、幕僚のうちでも自分におべっかする者を偏愛し、その献言をつねに採用した。このためステッセルのまわりはそういうふんいきが充満し、愚者のサロンというほどでないにしても、智者や勇者の意見が率直に通るような空気ではなかった。」(第5巻、253~254頁)

 「自分の失敗を他のせいにするような」性格や、「幕僚のうちでも自分におべっかする者を偏愛」するような人物は、それぞれ男性であり、その男性の性格であるにもかかわらず、司馬はそれを「女性的」としているのである。
 これは、プラス価値的なものは男性の属性で、マイナス価値的なものは女性の属性であるとする、いわゆる<ジェンダー>の構図――からくり、そのままの表現である。そして、この「からくり」こそは、近代の男性優位社会や女性差別・蔑視を支え、維持してきたものなのである。(『資料』一の(5)を参照ください。)


 以上のことに、ひと月後の11月14日までに文書にてお答えいただければと思います。
 同時に、回答当日、担当の方に、その「回答文書」の意味・内容を、私たちの前で、口頭にて説明していただければと思います。

 なお、この<公開質問状>と貴局の「回答」は、マスメディアを含むさまざまなメディア及びインターネット上に発表、公開する予定です。

 それではよろしくお願い致します。

2009年10月14日

えひめ教科書裁判を支える会
『坂の上の雲記念館』の問題を考える会

********************************

弓山正路
myumi@icknet.ne.jp

(転載おわり)

おなじネタについて追伸

あと、関連して『前衛』11月号177ページにも、『司馬遼太郎の歴史観』(高文研)という著作について以下のような書評があります。

(以下転載)

「朝鮮は放っておけばロシアの植民地になる。だから日本が先手を打って朝鮮を封建制から解放してあげた方がいい…」という議論が、かつて日本の朝鮮支配を合理化してきました。それは、戦後も脈々と引き継がれ、作家・司馬遼太郎氏の朝鮮観も、その延長線上にあります。
本書では、その誤りを、日清戦争期の王宮占領事件、東学農民革命への弾圧、王妃殺害事件などで、日本がおこなったこと、それが日本でどのように伝えられたかを最近の歴史研究の成果を紹介しながら克明に明らかにしています。朝鮮での日本の行為が、朝鮮の人々の抵抗をつくりだし、また国際社会から日本が孤立する出発になったとの指摘は、日本の近代史を考えるうえで重要な点でもあります。

(転載おわり)

やはり問題ありまくりですな、司馬史観。どうりで「こんな司馬史観は嫌だ」などとネット上で糾弾されるわけだ。
http://www.domo2.net/ri/r.cgi/sm/1248883539/1-
あ、まちがえた。これはシバシカンではなくシマシコーだった。まあ、これも先日の「道義」と「義道」同様、単に名前が似ているからまちがえた、ということですかね。(←いや、この場合はちがうんじゃねぇか?)

「坂の上の雲」が

いよいよ明日29日から放送ですな。
「歴女」あるいは「戦国武女子」のみなさんの様に、正座して鑑賞せねばなりますまい(『戦国武女子』(メディアファクトリー)背表紙参照)。
ところで「歴女」にふくまれるかいなかは微妙ですが、神楽アヤカタンが下着も古風である点は『Camp Heaven』(三和出版)の78ページですでにあかされていたのですな。いや、どーでもいー内容ですが。

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