■きのうかいた記事「
公教育のメタファー」のなかで、公文(くもん=
日本公文教育研究会)が、
障害児教育にかかわっている点にふれておいたが、その補足。■ウィキペディアも指摘しているとおり、公文は、公式サイトで「
障害児の教育」という公式見解を発表している。
障害児の教育「ことば」と「数」の力を伸ばす教材でわずかな一歩が、かけがえのない前進に知能の源である「ことば」と「数」。公文式の教材は、これらの力を個人別に段階を追って伸ばしていきます。このステップは、障害を持つ子どもにとっても変わりはありません。
一人ひとりの子どもが持つ能力を尊重することにより、誰でもできる喜びを持って学習できます。
今できること、ちょうどのこと
それを積み重ねていくことで着実に伸びていきます
言葉がでない、目が合わない、周囲への興味がほとんどない、多動、…。一口に障害のある子といっても、そのタイプも症状のレベルもさまざまです。「そんな子たちも学習ができるのかしら?」。よくお寄せいただくご質問のひとつです。
けれども、どの子にも「今できること」「ちょうどのこと」が必ずあります。それを大切にしながら、子どもたちが秘めた能力を見つけ育んでいくのが公文式です。公文式教材は、0歳の乳幼児レベルから大学の教養課程レベルまで、スモールステップできめ細かくラインナップされているため、障害のあるなしにかかわらず、どの子にも「今できる」「ちょうど」の教材があります。その「ちょうど」を積み重ねていけば、障害のある子も着実に伸びていけると考えています。
公文式では、障害のある子も健常な子も
同じ教材と同じ指導法で学んでいます
公文式には障害児専用の教材や指導法はありません。
子どもたちそれぞれの障害や症状により、対応上で注意する点はあるものの、学習する教材も基本的な指導法も、障害のある子と健常な子に変わりはありません。これは、「障害のあるなしにかかわらず、子どもたちの発達のプロセスは同じ」「違うのは、学びとる速さの違いだけ」と考えているからです。
「学びとる速さの違い」を具体的に説明しましょう。たとえば、健常な子が数回の学習でマスターできるたし算を、知的な障害のある子は何十回というくり返しが必要なケースも少なくありません。しかし、そのくり返しがあってこそ、障害のある子たちが伸びていくというのも事実なのです。
伸びてゆくカギは、家庭学習にあります
障害のある子、特に知的な障害のある子は、健常な子よりもたくさんのくり返し学習が必要なケースがほとんどですが、その数多くの教材のくり返しは教室での学習だけでは達成できません。教室は多くても週2回ですから、むしろ、ご家庭が学習の中心といってよいでしょう。
また、教材の学習に入る前段階、あるいは教材の学習をより順調に進めるために、絵本の読み聞かせや数唱、教具などを使っての言葉遊びや数遊びなどの働きかけも大切ですが、これも"家庭が中心"となります。
どの子にも"学ぶ喜び""できる嬉しさ"を
障害のある子たちの教材の進み方は、健常な子たちと違ってゆっくりとしていますが、言葉をおぼえる、たし算ができるといった喜びや嬉しさは、健常な子以上のものがあることも確かです。"学ぶ喜び"や"できる嬉しさ"は、障害のあるなしにかかわりなく、子どもたちに自信を育て、「もっとできるようになりたい」「もっと伸びたい」という意欲につながっていくはずです。
また、最新の脳科学研究からは、公文式のような読み・書き・計算という基礎学習が脳を活性化させ、多動が治まる・周りの人とコミュニケーションできる・情緒が安定するなどの効果(障害の症状の軽減)をもたらすことも、少しずつですが解明されはじめています。
学習できる教室は、最寄の事務局でご紹介します
残念ながら、障害のあるお子さんすべてが公文式教室で学習できるというわけではありません。手足の重いまひ、全盲、多動が非常に激しくほとんど座れない…などのお子さんは、教室に来ていただいても、学習が成り立たないケースがほとんどというのも実情です。また、ひとつの教室にあまり大勢の障害のあるお子さんが集中しますと、行き届いた指導ができない可能性もあります。お子さんが学習できる教室についてのご相談とご紹介は、お住まいの地域を管轄する最寄の事務局にて承っております。下記フリーコールへどうぞ。
フリーコール 0120−372−100 (ミンナニ ヒャクテン) ---------------------------------------
■政治家やタレント、そして作家たちが、あれほど「思想信条の自由」を謳歌しているのだから、自由に私見を発表するのはわるくなかろう。それを信じるも、有権者・消費者の自由…。といった見解を否定するものではない。■たしかに、「思想信条」の真偽問題に直接に責任をおうのは、大学や研究所などの研究者・教育者であって、民間の私塾が、そんなおもたい責務をかかえるはずがないともね。
■たとえば、高齢の認知症患者での実験から計算練習の有効性を発見したところまでは科学的でも、そこから「脳を鍛える」のゲームソフトとかをゲーム・メーカーと一緒に開発して、研究資金をかせいでしまう
川島隆太先生とかは、非常に問題をもっているとおもうが、公文式関係者が、「公文の計算練習・漢字練習は、障害児にもきく」という信念をもつこと自体は、「思想信条の自由」というほかない。利用者については、「ご利用はご自身の良識と責任で」というべきだし。
■ただ、「
「障害のあるなしにかかわらず、子どもたちの発達のプロセスは同じ」「違うのは、学びとる速さの違いだけ」と考えているから」「
子どもたちそれぞれの障害や症状により、対応上で注意する点はあるものの、学習する教材も基本的な指導法も、障害のある子と健常な子に変わりはありません」と、いいきるのだが、教材・指導法の質がまったく同一で全然問題がないというのは、おそらく科学的に立証されていない、関係者の信念だけだろう。■現場の指導者のみなさんで、その科学的根拠・臨床的データをマニュアルや研修会でみききし、指導の実践のささえになっているというのであれば、うかがいたい。
■いじわるかもしれないが、「
学習できる教室は、最寄の事務局でご紹介します」という箇所は、予防線にしか きこえない。■現実問題として、重度の障碍をかかえる児童がはいったばあい、あるいは障碍児が集中したばあい、教室がまわらないというのは、そのとおりだろう。しかし、「
残念ながら、障害のあるお子さんすべてが公文式教室で学習できるというわけではありません」とは、「ミンナニ ヒャクテン」という、理念が事実上破綻していることを意味している。■しかも、「
学習できる教室は、最寄の事務局でご紹介します」といいつつ、「
残念ながら、障害のあるお子さんすべてが公文式教室で学習できるというわけではありません」とは、どこまで すくえるかは、事務局の判断次第だし、現実に対応できる指導者はかぎられているので、かりに人材がいても、現実問題普通は かよえない距離、といった問題がたくさんあることをうかがわせる。
■もちろん、これらシビアな問題は、国公立の障碍児教育が直面している問題であり、一民間私塾にすぎない「公文式」がせおうべき問題の次元ではない。■しかし、だからといって、本部がこういった矛盾をかくしたまま(おそらく充分な指導を現場にほどこさないまま)、公式サイトにうたっているなら、大問題だろう。国公立の障碍児教育機関が対応しきれずにいる矛盾が、民間私塾に転嫁され、そのシワよせは、現場の教室の運営者に直撃となって発生しているだろうと。■障碍の質・量という、量的問題におさまらない課題(つまりは、質的分類の問題)を、量的な調整で克服しうるというのは、障碍児をかかえる保護者にとって希望の星ではあるが、過剰な期待をあたえるようなアピールをつづけるかぎり、それは誇大広告のそしりをうけるのではないか?*
* もちろん、公文国際学園中等部・高等部など、公教育部門をのぞけば、文部科学省の管轄にないわけで、私塾である本体は、経済産業省の管轄下にあるだろう。そこでは、いわゆる詐欺商法・悪徳商法などが暗躍する、想像を絶する世界がひろがっているだろうから、公文式教室は、実に理想主義的な組織にしかみえず、「誇大広告」といった批判をあびせるには、ふさわしくないというのが、ごく当然のふんいきなのだろう。「公文を問題視したら、私塾の大半が問題であり、民間企業の相当数が誇大広告の常習者」ということになりかねないので。英会話学校や受験塾、ダイエット業界や健康食品業界、エステや美容整形等の「誇大広告」は、節度をたもった広告の方が少数派かもしれないし。いや、文部科学省・法務省がらみの法科大学院(ロースクール)みたいに、官民あげての詐欺商法さえあるぐらいだし。■「
最新の脳科学研究」って、まさか、川島先生たちのグループじゃないだろうね?(笑) ■栄養食品とかダイエット法などとおなじく、科学的に研究者集団の大半が合意しているような知見はかぎられている。権威主義的にぼかすんじゃなくて「
公文式のような読み・書き・計算という基礎学習が脳を活性化させ、多動が治まる・周りの人とコミュニケーションできる・情緒が安定するなどの効果(障害の症状の軽減)をもたらすことも、少しずつですが解明されはじめています」という研究データをしめそうよ。
●旧ブログ
「川島隆太」関連記事
タグ : 公文式 障碍 川島隆太 教育 児童
川島先生でした
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自閉症、知的発達遅滞、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥/多動性障害)、ダウン症など、KUMONでは障害のある生徒も学習しているケースがある。学習を続けるうちに「机に向かって座れるようになった」、「単語でしか話せなかったが、文脈の通じる会話になってきた」など社会性をともなう変化が見られている。
言葉が出ない、目が合わない・・・
3歳のときに発語の遅れがあると診断されたHさん。小学校入学を前に公文式教室に入会した。当時、会話が成立しない、目が合わない、自分の世界に入り、突然大声をあげるなどの特徴があった。しかしHさんが通う教室の指導者は「どのような障害であろうと、この子は何ができて何に興味があるのか、“いまの状態や能力”をよく観察し把握することで、この子に合った学習を積み重ねていくことが大事」と考えた。
障害のある子も同じ教材・指導法で学習
KUMONには、障害児専用の教材や指導法があるわけではない。障害のあるなしに関わらず、子どもたちは同じ教室で机を並べ、それぞれの学力に合った教材で学習をする。主な教科は算数・数学、英語、国語。0歳の乳幼児レベルから大学の教養課程レベルまでスモールステップで構成された教材があり、学年や年齢に関係なく、楽しくできるところから学んでいく。Hさんの場合は、歌や絵本の読み聞かせ、漢字カード、数かぞえなどからスタート。家庭でも読み聞かせを続けるうちに数ヶ月後には絵本をじっと見るようになり、座って聞いていられる時間も5分、6分と少しずつ長くなっていった。 「うた二百 よみきかせ一万 かしこい子」
KUMON が掲げる標語。歌を200曲覚えるくらい、読み聞かせは1万回読んであげるくらい、親子で言葉を使った豊かな時間をたくさん過ごすこと、物語の世界をたっぷり聞いて味わっておくことが大切、という意味。障害児の指導でも同様と考えている。
ゆっくり、でも着実に伸びていく子どもたち
言葉を話さないからといって、感じていない、考えていないわけではない。伝える力がまだ育っていなくても、周囲をよく見てしっかりと感じ、考えている。
子どもと信頼関係を築くことは、学習を順調に進めるのに大切なことの一つである。Hさんに対して教室の指導者は「こんなにスラスラできるようになったんだね」「この教材は1枚が1分ぐらいでできるようになったら、たし算の力がついたということだよ」「だいじょうぶ、きっとできるようになるよ」とHさんの意欲と自信につながる言葉かけを続けた。
どの子にも「今できること」「ちょうどのこと」は必ずある。その「ちょうど」を積み重ねながら、子どもたちが持っている力を見つけ育んでいけば、障害のある子も着実に伸びていけるのである。
学力面の自信が好影響を
Hさんはたくさんの読み聞かせを受け、本好きな子に育った。また教科学習では、学年にとらわれず自分ができるまでくり返し学習することによって、着実に学習面での自信をつけていった。公文式学習を始めて4年が経ち、小学校4年生になると、クラスに友だちができたり、鉄棒ができるようになったりと学力面以外にも成長が見られた。その後も学習を続けているHさんは、現在、県立高校で学級委員を任されるまでになっている。将来の夢は「図書館司書」。
知的学習「読み書き・計算」がもたらすもの
近年、東北大学・川島隆太教授とKUMONが行った共同研究で、「読み書き・計算」により脳の中の“前頭前野”が活性化されることが科学的に実証されている。この “前頭前野”は思考、意思決定、コミュニケーション、行動・感情をコントロールする「脳の司令塔」。KUMONは、障害児における「読み書き・計算」の知的学習が、“前頭前野”を発達させ、人とのコミュニケーションなどの働きを正常に導き、身辺自立にも効果が出ているのではないかと考えている。
KUMONの障害児教育に対する願いは「地域の人たちみんながどの子にも伸びる可能性があることを知り、障害児の成長を地域全体で温かく応援している」こと。将来の自立のために、知的学習が重要であることを多くの子どもたちが教えてくれている。
http://search-asp.fresheye.com/cgi-bin/SEARCH-ASP/dougigo/go.cgi?ord=s&id=12211&kw=%C0%EE%C5%E7%CE%B4%C2%C0
http://search-asp.fresheye.com/cgi-bin/SEARCH-ASP/dougigo/go.cgi?cs=sjis&ord=s&id=12211&kw=%8F%E1%8AQ&util_c.x=14&util_c.y=13
『知的障害者の自己決定権』
まだ、てにしていないのですが…
一部を引用します。
本書では、知的障害をもつ人に対して、自己決定権の行使を認めてこなかたというパターナリズムを問題にしているのであるから、判断能力を有しない人に対する「弱いパターナリズム」が問題となり、また、干渉される者と保護される者も一致しているため「直接的パターナリズム」が問題となる。そして、知的障害をもつ人に対するパターナリズムが、判断能力を有する人に対する「強いパターナリズム」に比較して、厳密に検討されることもなく、非常に緩やかに認められてきたのではないかということを問題にしているのである。
(92ページ)
あと、以下の本もえるところはありそうです。
『障害児教育の歴史』(明石書店)
『精神薄弱児の教材・教具』(フレーベル館)
ソボクな疑問
■立岩さんなどは、「たりなければ、かりればいい」ということで、自己決定の過程に、周囲のてだすけを動員して当然という論理をくみたてる。■でも、ご紹介の本だと、「判断能力を有しない人」というふうに、「かりる」こと自体が困難って、たちばなんでしょうか?
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