プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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大学やカルチャーセンター以外で教養教育は成立するか?

■以前、木村先生たちのように、外部の予備校あたりと 対抗可能なぐらい、「授業がいのち」の、きあいのはいった教員層は、はたして 公教育でもとめられているのか? むしろ、小中高校にもとめられている機能とは、「託児機能」「ケア機能」なんじゃないかと、のべておいたが、いまもそういった現状認識には、かわりがない。■残念ながら、受験体制のなかで、倫理や政治経済などが、大学入試センター試験で現代社会や地歴科なみに受験者をあつめることはみこめそうにないし、政治経済を、日本史・世界史なみに入試科目として重視する私学が激増するともおもえない(「慶応・上智大学に質問します――なぜ『政治経済』が受験科目でないのか?」)。
■木村先生は、学習塾や予備校でおしえたいとおもっても、二の足をふむだろう。教員採用試験の合格率をかんがえたら、社会科系の教員免許は、とってもあまり意味がないとは、以前からいわれたこと。しかし、予備校や受験塾で定番の科目があるのと対照的に、コマ数ががくっとへる領域があるように、科目ごとに市場の大小は むごいぐらいある。■ちょうと、ツブしがきくはずの法学の大学院にすすんだはいいが、憲法周辺ではない専攻だと、大学の常勤ポストがごくかぎられている。優秀でないかぎり(あるいは、優秀だとされている、「植民地」をかかえる「研究大学」の大学院生にもぐりこまなきいかぎり)、高学歴ワーキングプアのリスクが急上昇するのとおなじだ。

■全国の法科大学院のように、大半が詐欺商法をくりかえしている悲惨な業界があるように、実務的な資格試験の「予備校」的存在だって、惨状をかかえている。ましてや、市民的素養という正当化はできても、それが選抜試験でとわれないような領域は、まさに、生徒が、ガツガツ進学・就職がらみで選択しない、究極の教養科目としてだけ、いきのびられる。そんな空間で人気を維持できる先生は、まさにカリスマだ。
■全国の大学で、「教養教育」という領域が徹底的に軽視され、「般教は非常勤で充分」といった判断がはびこるようになった。つまり、学部の必修科目とかでない、周縁にある「究極の教養科目」は選択してもらえるかどうかが、科目存続に直結している。そんな科目維持のために、常勤教員なんてやとうはずがない。つまり、そんな領域で論文をシコシコかいてしまった博士課程のひとたちは、非常勤講師として、さんざん重宝がられるが、学部改編とかがおきたら、「すまないんですが、更新なしです」という、冷酷な通告がいいわたされるわけだ。■高学歴ワーキングプアは、このようにして、構造的に再生産される。いや、非常勤講師をたくさんかかめれば、めぐまれた方とさえいえる。健康であれば、くいつなげるんだから。論文かいたりするのは、きついけど。一応、研究教育職をいきているという自負ももてるし。

■要するに、①上級学校への進学(高校や大学受験予備校・大学院予備校など)、②国家資格のための受験準備(医歯薬科系や法科大学院など)、といったエサがないかぎり、③あとは「卒業要件としての必修科目」といった、ムチをあたえたばあいだけ、学生は本気でまなぶ。■それ以外では、④大学卒業資格をふくめて、進学できなかった欠落感をうめたい(放送大学や各種通信教育)とか、⑤ともかく、教養・実用ふくめて いろいろ お勉強したい(これまた放送大学・通信教育・カルチャーセンター等)といった、主婦や高齢者を軸とした教養教育志願者だけが、エサ・ムチ以外の動機で、純粋にまなびたがるといった構図だろう。
■ひるがえって、中高生に、受験ぬきで、つまりは知的・趣味的動機だけで選択履修させるだけの授業をくめる教員が、どれくらいいるだろう。「受験業界関係者おごるなかれ」や「高校教諭の専門性=理念型としての「プロ」 10」でのべたとおり、教科教育のプロを任ずる(「高校の先生より、おしえるのがうまい…」)塾講師のみなさんだって、上級学校への入試科目というエサと無縁のはずがない。

■こういった シビアな分解作業をしてみたとき、「コドモには、しりたい、まなびたい、向上したい、という本能的欲求があるのです」といった、性善説系の教育論をぶつ関係者がいると、ずっこけてしまう。■現在の学習指導要領のしばりのもと、受験という制度と無縁でいられない構造のなかで、知的興奮をよびおこす授業、退屈とか無縁な授業を1年間、ないし半年維持できる先生が、どのぐらいいるかの? って。■それは、くりかえしになるけど、受験のエキスパートを任ずる受験塾の講師だって、有名私立の教員だって、おなじこと。
■一部、私立校・国立校には、趣味的な授業を展開する名物先生がいるそうだが、そういったひとびとは、生徒がかってに受験準備するんだよね(笑)。ま、そういった特権的空間ではあっても、「受験競争のなかの一服の清涼剤」とか、「一生記憶にのこる名物先生」とかになれれば、それはすごいけど、とても、それが公立校で成立するとはおもえない。
■もちろん、高校の倫理あたりで、ガツガツ受験対策的なすすめかたは、いっさいせず、ゆうゆうと、たのしげな哲学史・思想史あたりを講じて、生徒は目がキラキラ。目からウロコの分析に、本質的な把握力がみについて、あきぐちに、ひょいと受験問題集を各自がやると、あれよあれよと、得点力がついていく。なんて、魔法のような空間もあるかもしれないが、それは、天才による名人芸であって、とても、大量養成+リクルートなんて、できっこない。■大学の哲学担当の先生ひとりを育成するために、どれだけの時間と労力・資源が投入されるか、すこしかんがえてみればよい。そんなぜいたくな人材を全国にバラまくんなら、フランスのリセの哲学教師みたいな養成システムをくむほかない。実にぜいたくな教育体制をね。


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タグ : 教養教育 大学 入試科目 教員

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『公益学を学ぶ人のために』っていう本はそれなりによさげ

『公益学を学ぶ人のために』(世界思想社)っていう本はそれなりによさげです。ましこ氏の『幻想としての~』にくらべると本質主義ではありますが。これ1冊でもけっこう教養教育になりそうです。

『学問の暴力』

『学問の暴力』(春風社)という本も出ました。

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