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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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【主張】慰安婦番組訴訟 NHKと朝日は再検証を(産経)

【主張】慰安婦番組訴訟
  NHKと朝日は再検証を

2008.6.13 03:26

このニュースのトピックス:慰安婦問題
 慰安婦問題を扱ったNHK番組の取材に協力した女性団体が「政治的圧力で番組が改変された」として、NHKなどに損害賠償を求めた訴訟で、最高裁はNHKなどに賠償を命じた2審東京高裁の判決を破棄し、女性団体の請求を全面的に退けた。

 この訴訟では、取材を受けた側の番組内容への期待権が法的に保護されるべきか否かが争われた。最高裁は、取材対象者に格段の負担を生ずる場合などを除き、「原則として法的保護の対象とはならない」との初判断を示した。番組編集の自律性と表現の自由を尊重した妥当な判断である。

 もし、2審判決のように、期待権が広範囲に認められれば、報道機関が取材対象者のいいなりになり、編集・表現の自由が大幅に制約されかねないからだ。

 2審判決は、NHKが番組内容変更を女性団体に説明する義務を怠ったとしたが、最高裁は、事前の約束などがない限り、「内容が変更されたことを原告に説明すべき法的義務はない」とした。これも、当然の判断である。

 2審判決は「国会議員らの発言を(NHKが)忖度(そんたく)し、当たり障りのないように番組を改変した」と認定したが、最高裁はこの問題に言及しなかった。争点の判断に必要なかったためとみられる。

 この問題では、訴訟とは別に、朝日新聞とNHKの報道のあり方が問われた。

 問題の番組は平成13年1月30日にNHK教育テレビで放送され、昭和天皇を「強姦(ごうかん)と性奴隷制」の責任で弁護人なしに裁いた民間法廷を取り上げた内容だった。

 朝日は4年後の平成17年1月12日付朝刊で、放送前に自民党の中川昭一氏(当時、経済産業相)と安倍晋三氏(同、幹事長代理)がNHK幹部を呼び、「偏った内容だ」と指摘し、番組内容が変更された、と報じた。

 これに対し、中川、安倍両氏は「呼び出したのではなく、NHK幹部の方から会いにきた」「(中川氏が)会ったのは放送後」と記事の核心部分を否定した。

 朝日は記事の真実性を立証できず、「取材不足」を認めたが、訂正・謝罪をしていない。

 NHKも、番組の内容が公共放送の教育番組として適切だったか否かの検証を行っていない。

 朝日とNHKは最高裁判決を機に、もう一度、自らの記事・番組を謙虚に振り返るべきだ。

----------------------------------------------
■法律論は、どうでもいい。■それと、『産経』の事実認識が全部ただしいと、一応しておこう。
■それにしても、こういった結論のみちびきかたは、やはり自民ポチ新聞としかいえないとおもう。

■有力政治家がよんだかどうかなんてのは、盗聴とか内部告発でもなければ、発覚しない。つまりは、こういった論理を正当化するかぎり、放送局に影響力を行使可能な有力政治家はやりたい放題、番組に介入できることになる(証拠なんて、のこるはずないもん)。■そして、「編集・表現の自由」をもちだすことで、取材をうけた人物が不本意な編集もバンバンできると。

■自覚があるのかどうかわからないが、『産経』の「主張」の「期待権が広範囲に認められれば、報道機関が取材対象者のいいなりになり、編集・表現の自由が大幅に制約されかねない」という論理は、そのままそっくり、「介入が黙認されれば、報道機関が有力者のいいなりになり、編集・表現の自由が大幅に制約されかねない」ってことにもなるんだ。■で、実際、メタボリック症候群の番組でも、NHKは、不可解な編集をしたことが、週刊誌にあばかれていたよね。


●「あやしいメタボリック症候群騒動
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コメント

いわゆる日本軍「慰安婦」とよばれるひとたちについて

いわゆる日本軍「慰安婦」とよばれるひとたち(実際は皇軍性奴隷)について、以下の様なページがあります。

「日本軍『慰安婦』問題の立法解決を求める緊急120万署名」
http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/120.html

ところで、『DAYS JAPAN』(12月号25ページ)では過去の日本国首相が最近なにをしているかについて分析していますが、いわゆる「慰安婦」の方々をあつめた際に、広義の強制はあったかもしれないが狭義の強制があったとまではいえないだろうとの御高説で有名な安倍晋三もと首相については、「民主党政権の本質は社会主義的政権だ」とか「戦後レジームからの脱却が必要だ」などの持論をのべ、「真・保守政策研究会」の会長にも内定したとのことです。
同記事によれば安倍氏以外のもと首相および現総裁である谷垣・麻生・福田・小泉・森もおのおの国政からややはずれたところで迷惑をかけている様子でありますが、それらはあくまで広義の迷惑なのでありまして、国政を正面から悪化させている安倍氏のみが唯一、狭義の迷惑をかけている様にみうけられるのであります。

「広義」だの「狭義」だのって単語は、こういう風につかいわけるべきだろう。

南京大虐殺その他の近現代史について

南京大虐殺その他の近現代史について、日中政府の妥協案がでた模様。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091222-00000026-yom-pol

この程度でも、とりあえずは進歩とみるべきですか?
天安門事件にふれたくないのは中国政府として無理もない気もするのですが、南京大虐殺について30万人という人数にこだわるのはいかがなものかと…笠原十九司さんの10数万から20万人(http://blog.goo.ne.jp/zen-en/e/357cbb73341961d91593e08e1a5a240f)というのが日本側の研究者の最大限の数字で、それをこえる数字をいうと、「そんなにおおくがころされたはずはない。だから南京大虐殺自体が存在しなかったのだ」という歴史修正主義者の無茶な立論につけいられるスキをつくる危険性がある様な気がするんですが。
どうおもいますか?タカマサさん。

あと別件ですが、『近代政治の脱構築』(講談社)は今日明日中に2度目を読み終える予定です。

おなじアナのムジナ

日中歴史共同研究、「南京事件」は両論併記へ
12月22日3時5分配信 読売新聞

 日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)が24日にも最終報告をまとめ、このうち「総論」を発表することが明らかになった。

 時代ごとに担当委員が執筆した論文を盛り込んだ「各論」も近く公表される見通しだ。

 ただ、南京事件の犠牲者数など両国の争点となっている論点を巡っては溝が埋まらず、両論併記になる見通しだ。

 1945年以降の現代史については公表を見送る方向となった。中国側が現在の中国政府への批判につながることを懸念したためとみられる。

 日本軍が37年に中国・南京を占領した際に起きた南京事件に関しては、中国側は政府の公式見解「犠牲者30万人」を譲らず、日本側も「数万人から20万人まで」など様々な説があると主張したため、両論併記とすることとした。日中戦争についても、日本側は「軍部の一部勢力に引きずられて戦線が拡大した」との見解を示したが、中国側は「計画的な中国への侵略」と結論づけ、かみ合わなかった。

 現代史に関する公表が見送られるのは、米英など連合国がいわゆる「A級戦犯」を裁いた東京裁判(46~48年)や、天皇陛下の中国訪問(92年)などの評価で意見が対立したためだ。89年の天安門事件なども、「中国側には触れられたくないテーマ」(関係者)だという事情があった。
最終更新:12月22日3時5分

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■日本がわは、戦前の蛮行を「清算」したことにしたいという、うしろぐらさが「清算」できず、中国共産党がわは、建国以来の蛮行のかずかずを詮索されてはこまるという「うしろぐらさ」をかかえると。■そういった問題と、反中系右翼の知的野蛮は、一応別個の問題でしょう。両国政府のかかえる、ナショナリズムおよび「正史」イデオロギーという組織病理と、「敵国政府」に攻撃をくりかえす民間右翼ほかの野蛮とは、かりに、「連携」があるにせよ、別個に論じるべきと。

■それにしても、「犠牲者30万人」にしがみつくのは、解せませんね。となえた研究者とか支持した要人のメンツとかが からんでいるのかな? ■かりに近代考古学の精鋭部隊が徹底的に発掘作業をして、推計の域はこえられないとおもうんですね。文献学者との協同で、市街・近郊の人口などを推計するかたちでも、概数しかでないはず。30万人に到達する可能性は否定しませんが、徹底的な検証ができていないのは、当の中国政府なのでは? ■再三のべてきたとおり、かりに数千人であれ、大虐殺なのですから、十万人単位といった、おおざっぱな議論は、結局、非専門家(政府関係者や民間ナショナリスト)同士のデータにもとづかない不毛なみずかけ論に終始するだけだとおもいます。
■これは、両国の研究者が共同プロジェクトで実態調査を徹底的にやるしかないでしょう。



■ところで、エスポジト『近代政治の脱構築』(講談社選書メチエ)ですが、

第2部
 第4章 免疫型民主主義
 第5章 自由と免疫
 第6章 免疫化と暴力


という目次の一部だけみても、実に重要そうなことをといている印象があります。■しかし、ゼミでもひらいて読書会形式にしないかぎり、とても細部まで論点をおうきになれない展開であることも事実。■それと、「免疫(イムニタス)/共同体(コムニタス)」という問題設定が、ラテン語の語源解釈という語義の遡及作業によっているのは、ちょっとギモンです。語源をさぐると、意外な源流がみあたることもありますが、大半は失敗するので。■もうちょっとよんで、全体像がみえたら、またかきます。

丁寧なお返事ありがとうございます。

> ■もうちょっとよんで、全体像がみえたら、またかきます。

丁寧なお返事ありがとうございます。
わたしもつい先日2度目の読了をしたのですが、やはり「なんとなく革新的なことがかいてある」という程度の印象しかいだけず、具体的に何がどう革新的なのかを説明できません。できれば、みじかい文章でもなんらかの評論でも本ブログにアゲる予定ですが、アゲられる自信がないむねを事前に告白しておきます。

『近代政治~』について少々

かいてみます。
タカマサさんが
>実に重要そうなことをといている印象があります。

と評した後半部は、わたしが3回目を読みつつある現時点においては、以下の様に解釈しています。すなわち、ナチズムなどにみられる人種イデオロギーは生物学の延長線上にあるだろうから、ナチズムは共同体を構築しようとした共産主義とは異質であり、そのナチズムこそいまだに現代社会は克服しきれていない大問題なのではないか、という懸念がある。というのも現代社会は政治において生物学的要素ゆえの差別(障がい者差別)を克服できておらず、差別が表面的に洗練されてごまかされているだけであるからだ、という問題提起である様におもえます。
この部分が結構おおきめの問題提起として本書はあつかっている様に感じます。
どうですかね?

『近代政治~』について少々

かいてみます。
タカマサさんが
>実に重要そうなことをといている印象があります。

と評した後半部は、わたしが3回目を読みつつある現時点においては、以下の様に解釈しています。すなわち、ナチズムなどにみられる人種イデオロギーは生物学の延長線上にあるだろうから、ナチズムは共同体を構築しようとした共産主義とは異質であり、そのナチズムこそいまだに現代社会は克服しきれていない大問題なのではないか、という懸念がある。
この部分が結構おおきめの問題提起として本書はあつかっている様に感じます。
どうですかね?

すみません。

重複してしまいました。すみません。
あと、「不正な投稿だと判断されました」という記述をみたのですが、どうにかならないもんですかね?

生物学主義と科学技術主義

■「不正な投稿だと判断されました」という「反応」は不明です。drecomブログにかぎらず、fcブログも livedoorブログも不明な反応が かずしれずあります。■無料だから、しかたがないかも。

■『近代政治の脱構築』のテキストには 具体的にそわずに、私見をのびます。

■ここでいう、「●●主義」は、“-ism”、しかも基本的には、「症状」とか「病理」とかいった方向での「反復現象」をさしていますが、社会ダーウィニズムのグロテスクな帰結がナチズムであるなら、ナチズムは生物学の二重の悪用です。■一方、マルクスらは、ほかの社会主義者やアナーキストたちを、空想社会主義者と罵倒しているわりには、コミュニスト・マニフェスト(俗にいう「共産党宣言」)などでも、具体的なコミューンの成立要件を明示できていません。要は、資本主義という巨大なリバイアサンが中世的な社会関係・生産関係を創造的に破壊する一方、非中世的な共同体(新生コミューン)が自生的に成立するという、科学技術への空想的楽観主義しかみとめられないのです。■してみると、コミュニズムも、マルクスらの次元でかんがえるかぎり、空想的社会主義のたぐいであり、「その前段階=過渡期」とかいった いいわけによって官僚制的国家主義を正当化するイデオロギーの つけいるスキをもったものでした。テクノクラシー(技術官僚支配)をモジっていうなら、「テクノクラティズム」(技術支配信仰)の一種が、マルクスらのコミュニズムの本性ではないかとおもいます。ウィキペディアの「科学主義」も参考になるかと(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E4%B8%BB%E7%BE%A9)。■「社会工学」なんて、カンちがいした発想も関係ありそうです(はてなキーワード > 社会工学 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%D2%B2%F1%B9%A9%B3%D8)。

■問題は、コミューン(共同体)の規模をどの程度に設定するか、コミューンの構成員を一時滞在者や逸脱者・秩序破壊者などからめて、どう規定するかでしょう。■「想像の共同体」のように、一生のあいだ 一度もかおをあわせない程度の関係性への想像力を肯定するか? たとえば、自己決定能力をうしなった病者等の人権や、ペットなどコンパニオンアニマルの「権利」をどうみるか? 一時滞在者の市民権をどの程度までみとめるか?… ■コミューンの構成員と信ずる集団が、免疫機構になぞらえて、抗体反応や自浄作用を主張するとき、その妥当性は、どこにあるかですね。そうかんがえると、ナチズムの再検討は現代的課題で、『現代思想』誌上や障害学周辺での議論は、その線での当然の帰結だとおもいますが、政治思想史上のコミュニズムとの関連性となると、存外面倒なのではと…。

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