プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新刊『幻想としての人種/民族/国民』(ましこ・ひでのり,三元社)

■『hituziのブログ 無料体験コース』の先日の記事「新刊紹介 ましこ・ひでのり『幻想としての人種/民族/国民』」に刺激をうけた記事。■版元 三元社の紹介ページの目次を転載。


幻想としての人種/民族/国民 「日本人という自画像」の知的水脈

ましこ・ひでのり/著
●本体1600円+税
2008年5月25日/四六判並製/160頁/ISBN978-4-88303-224-2
幻想としての人種/民族/国民

【内容】

「ヒトは血統・文化・国籍等で区分可能」という感覚は、ねづよい。しかし、それは近代以降に発明された虚構であり、いまのところ支配的な幻想にすぎない。本書は、「黄色人種でヤマト民族で日本人」であると信ずるあなたの、「自画像」修正のためのカガミである。

【目次】
   はじめに  7


1章 生物的な意味での「人種」  9
   1.「生物的な人種」のアベコベ  9
   2.「混血」ってなに?  17

2章 「純粋なニホンジン」って、なにもの?  43
   1.文化的な意味での「民族」  43
   2.「日本文化」ってなに?  50

3章 「外国人」って、だれのこと?   97
   1.政治的な意味での「国民」  98
   2.法的な意味での「国民」  104

4章 宗教・神話・幻想としての、血統/文化/国籍  121

5章 おわりに  133

   あとがき  140
   参考文献  146
   索引  155

----------------------------------------------
■副題が「「日本人という自画像」の知的水脈」と、めいうたれている以上、同名の『日本人という自画像』(三元社 2002)*の続編ということだろう。

* ちなみに、『日本人という自画像』自体が、「イデオロギーとしての「日本」再考」という副題をもっており、『イデオロギーとしての「日本」』の続編という形式をとっている。


■「本書は、「黄色人種でヤマト民族で日本人」であると信ずるあなたの、「自画像」修正のためのカガミである」と挑発的にかいているところをみると、ことによると、大半の日本人が想定読者ってことになるが、そんなはずないよね?(笑)
■その直前の「「ヒトは血統・文化・国籍等で区分可能」という感覚は、ねづよい。しかし、それは近代以降に発明された虚構であり、いまのところ支配的な幻想にすぎない」ってくだりは、エラく こいコピーだね。■「ヒトは血統・文化・国籍等で区分可能」という感覚が前近代まで一般的でなかった、「いまのところ支配的な幻想にすぎない」だけで、今後、こういった共同幻想は解体するはず、って挑発的にいっているようだ。

■ちなみに、「4章 宗教・神話・幻想としての、血統/文化/国籍」って三題バナシにしているのと、表題の「幻想としての人種/民族/国民」のは対応していそうだ。

血統/文化/国籍
人種/民族/国民


■血統-人種,文化-民族,国籍-国民、って対応関係は、「人種」概念ってのが「血統」という生物的・性的基盤をもっていること、「民族」概念っていうのが、血統などではなくて、文化的区分であること、「国民」概念というのが、結局は「国籍」という法的身分によって規定される政治的区分なんだということだ。

■ま、目次とかじゃなくて、ちゃんと刊行されてから コメントしよう。

スポンサーサイト

テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

<< 生活保護費から賠償金差し引く セクハラ敗訴の羽曳野市(朝日) | ホーム | 社会人入学3割切る=法科大学院の08年度入試-文科省(時事) >>


コメント

複数の差別であっても負担のかかりかたは均質でないかも

すみません、少数民族女性(という定義もイデオロギー的だが)と無理解な保護者に育てられた障がい者(という定義もイデオロギー的であることは織り込み済みである)について思ったんですが、仮にその状況により複数の差別があるとしても負担のかかり方は均質ではないかもしれないと感じるのです。どういうことかというと、前者はエキゾチシズムを二重に期待されるという負担で、後者は二種類の別個の(社会的要因と生物的要因の)負担がかかっているイメージだと思うんですけど、おおざっぱな理解としてまちがっていないですかね?
あえて比ゆ的に、個々の属性(という定義もイデオロギー(以下略))がもたらす負担を1キログラムの負担とすると、少数民族女性はその1キログラムの負担が2つとも同じ方の肩(つまり右肩だけか左肩だけ)にのっているのに対して、無理解な保護者に育てられた障がい者は左右両肩に1キログラムずつ負担がのっているイメージかと思うんですが、どうですかね?
いや、もちろん「そんなおおまかなイメージを論じることに何の意味があるのか?」という反論はありうると思うんですが、負担の総量のほかに、その負担のかかり方が重心をはずれたかかり方だと、総量の単純な合計以外の負担がかかるのではないかと思うからです。
おおざっぱな話ですみません。

比較できないとおもいますけど…

「二重のオリエンタリズム(無自覚な差別をともなった美化)」と、「複合差別」(http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLJ,GGLJ:2006-29,GGLJ:ja&q=%e2%80%9c%e8%a4%87%e5%90%88%e5%b7%ae%e5%88%a5%e2%80%9d)とが、質的にちがっているがゆえに、異質な問題だというのは、いえそうです。■ちなみに、どっちがよりつらいとか、深刻だとかいった比較は、有意義じゃないような直感があります。

確信はないですが

■ちなみに、どっちがよりつらいとか、深刻だとかいった比較は、有意義じゃないような直感があります。

私も、「どっちがよりつらいとか、深刻だとかいった比較」が有意義であるという確信はないですが、支援の際に社会的合意を得るための強者からの発言あるいは弱者自身へ向けた声かけ、および弱者から近しい人々との連帯など、具体的な対策を立てる際には両者の微妙な違いを考慮することで効率が上がるかもしれないと思います。で、その意味では「少数民族女性はその1キログラムの負担が2つとも同じ方の肩(つまり右肩だけか左肩だけ)にのっているのに対して、無理解な保護者に育てられた障がい者は左右両肩に1キログラムずつ負担がのっているイメージ」という、決して学術的とはいえない、おおまかな比喩も無意味ではないんではないかと思うんですが、そうでもないですかね?

そうですね。差別対策とか自己批判のための覚醒とか、そういった意味での整理は有意義かも

■無理解な保護者のもとにそだつ障碍児というのは、いってみれば、障害学な意味(いわゆる「社会モデル」)でいう、社会的障壁という障害をこうむるわけですね。■だから、心身の機能障碍だけでなく、それへの周囲の無理解・無策が包囲するという苦痛にたえなければならないと。

■それに対して、少数民族の女性というのは、二重のオリエンタリズム(女性性と異民族性)ゆえに、多数派集団の男性たちから、性的好奇心の視線にさらされると。

■ただですね。障害学の周縁部分に位置する「ユニークフェイス」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B9)が提起する、視線の政治性(暴力性)って次元でみるなら、保護者の無理解ぶりとかよりも、周囲が好奇の視線で暴力的にせまってくるという意味で、かなり通底する問題ではないかとおもうんですね。

■それと、弱者の属性のなかに、「女性」という条件がふくまれるかどうかは、かなり決定的な気がします。もちろん、酒井順子さんが自己批判的にふりかえっている「ブス男」(女性にモテない男性一般)ってのも、性的弱者でしょうが、外見上とりたてて特徴がなくても性的視線にさらされる危険性をせおっている点で、女性は大半が性的弱者だとおもうので。■性暴力の被害者となる確率が、それこそ死傷事件の被害者となる確率同様、まったく非対称である現実と並行して、女性はすくなくとも潜在的に視線の暴力の被害者になりやすいと。■男性たちが、じろじろ、性的にみつめられるなんて経験は、例外的なはずだし。

『三国志』風に

『三国志』の諸葛亮が実際にどのような人であったかは知らないし、興味もないのだが、彼がとなえたとされる「天下三分の計」(すぐには天下をとれないので、当面は政治勢力を3つの勢力にわけることで均衡させる)になぞらえて、日本共産党と国民新党が統一候補を立て、社会民主党がアイヌ協会(現時点ではまだウタリ協会だが)に所属している人を候補者にする、という戦略は現実的ではないですかね?いや、私は夢を見すぎているのかもしれませんが、『私たち、日本共産党の味方です。』(情報センター出版局)に「共産党は前衛政党としてスタートしたでしょう」(220ページ)と書かれている日本共産党の出自をかんがえると、国民新党と重なる面が大きそうな気もするんですよ。名前もそれぞれ「日本」と「国民」という語をつかっていますし。で、それに対して社会民主党は、かつては日本社会党だったものの「日本」の名を冠さなくなったわけで、「日本」とか「国」という語を冠しないで日本社会と結びつきがつよい団体に所属する人を候補者として推薦するという戦略が相互補完的に効果をあげる可能性もあるような気がするのです。もちろん、「アイヌ協会」の人々と連帯するという戦略は東日本であって、西日本では部落開放同盟と共闘するとか別途考えるべきでしょうけれど。
すみません、何だか夢を見すぎか、あるいは差別的な考えさえも言っているかもしれませんが、タカマサさんの忌たんのないご意見を教えてくだされば幸いです。

自民党周辺の動向には あまり関心がもてないので

よくわかりませんが、国民新党http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%96%B0%E5%85%9A)などは、自民党ハト派が一時的にとびだしているだけで、むかしの新自由クラブ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96)をおもいださせます。■与党になること、それができないなら、キャスティング・ボートをにぎること、という議会制民主主義のばあい、当然ねらうべき姿勢とはいえ、それだけで離合集散をくりかえす、自民党周辺の諸勢力の動向は、はっきりいってどうでもいい感じです。■世襲議員をたくさんかかえこんでいる点も、構成メンバーの体質が同次元なんだろうとおもいます。地方の特権階級を先祖にもち、東京でうまれそだったパワーエリートたちですね。
■その点でいけば、社会民主主義勢力の結集は、理念的には容易なはずなのですが、政権与党とちがって、自分たちの独自性幻想という、自己満足的・独善的体質が、これまた にたりよったりで(笑)、うちゲバやっていた新左翼の対立とにたような既視感をもってしまいます。■ただ、貝枝さんがご指摘のとおり、北海道限定とか、地域での連携は可能性がありそうです。沖縄などの例をみると、社会大衆党(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%A4%A7%E8%A1%86%E5%85%9A)が接着剤として機能するばあいと、失敗するばあいとがあって、簡単ではなさそうですけど。

こうなったらもう天下三分の計でいこう!

題名からしてかなり投げやりな今回の書き込みですが、思いつきで書いた前回の『三国志』ネタに丁寧なお返事ありがとうございます。
たしかにおっしゃるとおり国民新党はそれほど期待できそうにないですね。ですが、「日本」の名を冠しない社会民主党が地域属性のつよいアイヌ協会や部落解放同盟などとむすびつき、「日本」の名を冠する日本共産党が地域属性のよわい障がい者や女性などの団体とむすびつくことですみわけができ、各々の支持基盤を獲得することで左派が完全な一枚岩にはならないでも結果的に右派を牽制できるほどの左派2大勢力が形成されるという天下三分の計はできそうな気がしてきました。
…いや、これもまた私のオタクな心性が出てしまったせいで生じた幻想ですかね。

社会学者野村浩也氏のとく「マイノリティころがし」論の射程

貝枝さま
■沖縄コザ出身の社会学者野村浩也氏が、ヤマトの研究者や活動家の本質を「マイノリティころがし」と痛烈に皮肉っていますよね。■もちろん、これはヤクザな「地上げ」に、都市銀行などエリートもふくめたむらがった狂奔ぶりを「土地ころがし」と表現した時代があって、それをふまえての皮肉ですが、実に本質をついている。
■新左翼が「沖縄奪還」などと、さけんだのが典型例でしょうが、実は日本共産党が第二次世界大戦直後に「沖縄民族の独立を祝うメッセージ」(日本共産党第5回党大会より沖縄人連盟全国大会あて 1946.2.24)なんてのをだして、その後方針を大転換してしまった経緯なんぞも、「当時の状況判断ミス」とかでは、すまされません。■つまり、左派政党とか帝国主義にかぎらず、少数派はその独立指向自体を、強者に搾取されがちな宿命をおっている。というか、つかえる資源の質・量の貧弱さが、強者につけこまれる弱点をたくさんかかえてしまう体質を、「弱者」とか「少数派」(マイノリティ」とよぶべきなのかもしれません。女性やコドモは、人数的に少数派じゃないけど、弱者だとかですね。
■実際、「女性学」「障害学」などはともかくとして、「こども学」なんてのは、オトナのエリートたちが未成年者、とりわけ学童期を対象化して、「真剣にかんがえてあげよう」といった姿勢がモロみえの名称ですよね。そこには、当事者主体なんてのは、ハナからふくまれていない。学問名自体に、「みおろす視線」がさらけだされている。

■このようにかんがえてくると、『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』(双風舎)で有名な赤木智弘さんが批判する、良心的左派の偽善性問題も、同様にかんがえることができます。■「若者に仕事を」とか、いいことをいっているようにみえる日本共産党だって、支持者の大半は常勤ポストにありついている、オジサマがたであって、やむなくフリーターでしのいでいるワーキングプア層なんかじゃない。本気で半失業層の生活を死守しようなんて姿勢がないことが、そこここからバレているから、赤木さんたち、フリーターは日本共産党や社民党を信用しないし、当然投票もしない。実は、無党派層が社会民主主義勢力に投票しないというのは、単なる右傾化ではなくて、失望の産物なんですよね。■既成左翼のダメダメぶりというより、独善的、しかも常勤労働者の既得権維持を「労働条件の死守・改善」というお題目にそって、「わかものイジメ」の次元で右派と「連携」している自覚のない体質が、みすかされてしまっていると。
■右系でいうと、以前も指摘したことですけど、かつては日本は単一民族国家などと先住民族の存在を否定していたはずの鈴木宗男氏が、アイヌ民族系の人物と意識的に連携するようになったなんてのも、対ロ交渉での北方四島返還論とかで、独自のスタンスをとるとか、北海道ブランドを最大限に利用しようとか、「マイノリティころがし」臭がプンプンただよってきます(http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%97%E9%96%D8%8F@%92j%81@%83A%83C%83k+site%3Ahttp%3A%2F%2Ftactac.blog.drecom.jp%2Farchive%2F&btnG=%8C%9F%8D%F5&lr=)。■だから、共産党や社民党がマイノリティ問題に積極的に発言するようになったら、かなりヤバいとおもいます。■実際、被爆者問題や被差別部落問題は、「マイノリティころがし」利権の主導権あらそいの「闘技場」だったわけですよね。「同和利権」を徹底攻撃するのが、ネット右翼と共産党系であるとか、「同和利権」の矮小化にはしって既得権維持にきゅうきゅうとするのが、旧社会党系と自民党であるというのは、グロテスクな構図以外のなにものでもない。■沖縄などでもなかなか連携ができないのは、現地の人脈が、左派政党の中央の利害対立から自由になれないからでしょう。その様子は、こころあるひとびと、わかものたちが失望するのは当然ではないでしょうか? ■要するに「うちゲバ」同様、そこには、当事者・弱者の主体性がないがしろにされている。左派的なエリート主義、温情主義(パターナリズム)が、偽善性・搾取性として露呈しているわけです。

貝枝さんの前便コメント

まちがって、けしてしまいましたかね?

それっぽいので書き直します。

まちがって消されたっぽいので書き直します。
要するに、「ポルノ」などという曖昧な用語をつかって子どもの人権を守ると称する日本ユニセフ協会はうさんくさい、ということです。しらべてみたら2006年の段階で以下のような指摘があったのですね。

http://d.hatena.ne.jp/pr3/20061026/1161863018

あと、ジェネリック医薬品については、まだ十分には調べていませんが、これも何かうさんくさいと感じます。

ところで、いわゆる「児童ポルノ」とされるものに問題があるとすれば(1)児童労働・(2)性的自己決定権・(3)肖像権の3点で解決できると思うんですが、解決のためにほかに何か書き足す必要がある論点はありますかね?

ポルノ規制以前に、あやしげな日本ユニセフ協会

貝枝さま

■記憶にないのですが、スパムが大量にきていたので、そのおありで消去してしまったかもしれません。すみません。
■ところで、日本ユニセフ協会(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95%E5%8D%94%E4%BC%9A)というのは、実にあやしげな組織ですね。名称をかたることで集金業務にいそしんでいるきらいさえある。支出うちわけ(http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_exp.html)とか、「2006年度収支計算書 」(http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_keisan01-2006.html)などが公開されていますけど、「ユニセフ本部支出」って部分以外は、どう具体的に予算が執行されているか、しらべる必要があるかもしれません。「理事、評議員の中に官庁出身者がおりますが、民間出身で常勤の専務理事を除き、会長以下すべて無給のボランティアとして協力しています。」(http://www.unicef.or.jp/qa/qa_un_and_jcu.html#e5)といわれても、人件費が公開されない以上は、信用ならないでしょう。■大体、純粋な民間団体にしては、役員が異様に著名人だらけで、しかも活動があやしいときたら、これは、週刊誌などが特集記事をくんでしかるべき組織ですね。

■「児童ポルノ」問題は、まずは「性的奴隷」であるという本質を指摘すべきでしょう。■それが労働であるとか、当人に判断能力があるとか、そういった次元にないわけです。「幼児にしいる性的奴隷」という現実がないと成立しない実写画像という犯罪性ですね。


■ちなみに、後発医薬品(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BA%E5%8C%BB%E8%96%AC%E5%93%81)については、「承認申請時に必要な書類は、規格および試験方法、加速試験、生物学的同等性試験のみであり(医薬品により長期保存試験も必要となる)、7つの毒性試験が全て免除されていることは問題」とか、「供給面での不安定さ」ぐらいしか、めだった欠陥をみいだせなかったのですが、時間をみて、しらべてみたいテーマですね。

ずいぶんまえの記事だが…

『朝日新聞』2008年9月13日掲載 朝刊 東京本社版
(大阪、名古屋、西部本社版 09月17日掲載)
http://book.asahi.com/sanyatsu/TOP/intro/ADT200809120032.html

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


新刊『幻想としての人種/民族/国民』(ましこ・ひでのり,三元社) 2

■前回(目次+おびコピーの分析だけした)のつづき。 ■本書の特徴的な点は3つ。■?最近のテキスト類には、すくなくないものの、よこがき...


 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。