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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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女子中高生に増えるスラックス派(毎日)

制服女子中高生に増えるスラックス派


スラックスを「選択制」で採用した昭和女子大付属昭和高

スラックスを「選択制」で採用した昭和女子大付属
昭和高。校内ではまだ少数派だ=東京都世田谷
区の同高で、清水優子撮影


 今春、札幌市の中学校が女子全員の制服をスラックスに統一した。スカートとの選択制を採用する学校が少しずつ増える中、夏の一時期を除いた、ほぼ「完全義務化」に踏み切ったのは全国でも初めてと見られる。女子のスラックス制服は広がるのか。【清水優子】

 札幌市立南が丘中は、今春入学の女子からスラックス制服の着用を義務づけた。スカートは夏季の約3カ月半のみ認めた。

 最大の目的は「健康管理」。冬の女子の登下校スタイルは素足にソックスか、短めのスカートの下にジャージーをはく「はにわルック」が定番。佐々木穣(みのる)教頭は「本当は寒いのに我慢する姿は悲惨。はにわルックはみっともなかった。体に影響する恐れもあり義務化した」と説明する。アンケートでは「足が冷えずいい」「動きやすい」「暑い」など賛否両論が寄せられたが、おおむね好意的だった。

 冬季(11~3月)限定で義務化したのは新潟県立久比岐高(上越市)。06年4月の開校当初からだ。小林勝也教頭は「海風が強い地域性のうえ、選択制では定着しないと判断したようだ」と説明
する。当初、一部生徒が「ダサい(格好悪い)」などと反発。駅でスカートにはき替える女子も現れたが、今は受け入れられているという。

 昭和女子大付属昭和高(東京都世田谷区)は7年前、制服を一新したのを機に、正装のブレザーとスカートに加え、スラックスも選べるようにした。英国メーカーの特注品だが、全生徒630人のうち、スラックス派は1割にも満たない。

 時々、スラックスをはく谷口裕香さん(3年)は「私生活もズボンが多いし、動きやすく違和感はないが、校外で行き交う人に『男女どちら?』と注目されることが多い」。スカート派の高見知可さん(2年)は「スラックスは動きやすい」と利点を認めながらも「女子制服スカートのイメージは強い。この格好ができるのは今しかない」と力説。会川恵志(けいし)教諭は「選べることが一番大事。機能性の高いスラックスも選択肢の一つ」と話す。

 イラストレーターで制服研究家の森伸之さん(47)は「防寒や防犯対策のほか、ジェンダー(性差)をなくす目的で採用する学校も多い」と分析する。「着る人が増えるかは疑問。スラックスは着る人の体形を選び、スカート派大勢の中で抵抗もある」と定着に悲観的だ。

 スラックス制服はどのぐらい広まっているのか。制服生産量日本一の尾崎商事(岡山市)の平尾周二・開発本部マーケティング部長は「納入先約1万校のうち、導入は数十校程度」と話す。採用が増え始めたのはここ5、6年で、雪国を中心に大阪など関西でも多いという。「やめる学校はなく、徐々に広がるのでは」と見ている。

毎日新聞 2008年5月23日 13時00分(最終更新 5月23日 14時20分)

--------------------------------------------------
■現役女子高生は「女子制服スカートのイメージは強い。この格好ができるのは今しかない」と力説」したというのだが、これは「ミニスカート」を自明視している発想だとおもう。■でもって、これは制服ウォッチャーたちも同様。「スラックスは着る人の体形を選び、スカート派大勢の中で抵抗もある」っていうけど、これは逆説的に下半身のラインが強調されてしまうスラックスを正確にいいあてているようにみえて、女子用スラックスの定番以外のいろんなありよう、ミニスカートが残酷に女子の脚線を強調している現実を直視していない議論だろう。■所詮は、女子生徒たちの流行に妥協してミニスカートを採用してしまっている中等教育現場(中学・高校)が、ミニスカートが実はにあわないとか、はきたくない層がいることを無視している現実をとらえかえすきっかけなのに、おおくの当事者や批評家ははずしてしまっている。
■それと、男子がズボンって定番も実は問題だよね。■女性の制服はわあわあ議論されるんだが、男子の方は、「つめえりブレザーか」程度の、およそ、女子とくらべれば「どうでもいい水準」にとどまっている。ま、男子は「制服がかわいい」で、中学高校をえらばないだろうし、「制服がかっこいい」もなさそうだ。「女子の制服がかわいい」という志望動機はありか?(笑) それはともかく、女性生徒の制服が「かわいい」ということで、偏差値のあがったところもあったそうだから、一流デザイナーにまかされるとかも、めずらしくないのだろう。■こういった、制服に対する男女差も、一応念頭におく必要があるね。

■ともあれ、軍隊などの制服制度を導入してしまった(欧米のばあいなら、私立のエリート校か士官学校しか制服は定番じゃない)近代日本の出発点を、戦後の民主体制確立期にも全然みなおさなかったツケが、ここにきている。■「制服は、中長期的にやすくすんで経済的」「制服は、毎日の私服の選択にやなむ時間がはぶけてよい」といった実用的な問題を無視はできないけど、それなら、以前の人民中国みたいに、人民服みたいな標準服を大量に作成して、体形にあわせてえらぶだけ、って国家体制とか企業体制みたいな風潮をよしとするかだね。■制服批判を展開すると、「制服があるからこそ、経済資本・文化資本の格差が強調されないですむ」といった、もっともらしい反論を展開するひとがいるけど、だったら、「経済資本・文化資本の格差」をおおいかくす、人民服とかイスラム圏の女子用ベールみたいな文化が市民社会にふさわしい、っていいはれるのか、まじめにかんがえてほしい。■「制服がコンプレックスを刺激する」(石井政之)などという指摘があるとおり、高度の規制のなかにはらまれる微細な差異の政治性は、かなり重要な問題だしね。
■それと、日本だって、小学校や大学に制服があるところは、ごく少数の例外的な空間だって事実にも、かみつくのか、って問題もあわせてね。
■「接客がある以上、消去法で無難な平服の最低基準はスーツ」といった、サラリーマンの「準制服」文化もあわせて、なんと軍隊的な空間であることか?

■それはともかく、女子高生たちの、あの「なまあし信仰」は、なんなのだろうね。■「いまだけセール」という気分は、わからんでもないんだが、体感温度の限度ってもんだあるだろうに…。■おきなわでの、「かりゆしウェア」は、観光立県って特殊性がともなっているがゆえの定着かもしれないけど、気候風土を無視した制服着用ってのは、やっぱりヘンだろう。


●ウィキペディア「軍服
●Google検索「村上信彦 服装の歴史 ズボンとスカート」(ウィキペディア「村上信彦」)
●旧ブログ「ミニスカート」関連記事
村瀬ひろみ「性的身体」の現象学 「ミニスカ」からみる消費社会のセクシュアリティ構造」『現代文明学研究』第5号(2002):348-359
●旧ブログ「かりゆしウェア」関連記事
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タグ : 制服 女子 スカート

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コメント

わたしが女子高生なら

ブルセラショップ通いのおじさんのためにも女子の制服はミニがいいと思いまーす。と受け狙いのコメントをするのですが。
採用されないか。

オジサンたちの活力源は、かなりものがなしい(笑)

■リンクはっておいた、村瀬ひろみ論文と、そこに引用されている、「ミニスカ」論、あるいは、ときどきひく 『たたかいの社会学』(三元社 http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/212.htm ましこ・ひでのり)とかには、それこそ みもふたもない「視線の政治力学」が暴露されています。■それと、「老若男●」むけにくりかえし発行されつづけた、おびただしい「環境セクハラ」媒体のかずかずを、ほんのわずか すくっただけでも、浮上してくるのは、男性性の ものがなしさですね。

■女性たちが、同一労働同一賃金原則をふみにじられた存在であるとか、セクハラ弱者であるとか、ケア労働をおしつけられた存在であるとか、フェミニズムがあきらかにしてきた政治力学は事実です。■と同時に、そういった加害者性=男性性が根拠としている、あまりにも貧相で あわれな基盤=「妄想」は、気のとおくなるような革命のあかつきにしか、なくならないような絶望的な「さが」という気もしてきます。
■1980年代以降の日本のわかものが、古今東西突出して殺人率がひくい「平和的な男子」という統計データは、皮肉にも研究者自身にブーメランのようにおそいかかり、その動物行動学的宿命論を破砕しました。■だから絶望する必要は全然ないし、そこににげこむのは知的怠慢だけど、「オヤジはミニスカでイチコロ」式の生活戦略を女性たちが「便利」と感じ、あるいは、政治経済学的な不利をかんがみたときに、「このくらい たかってやるのは、当然の権利」式の人生哲学をかえずに、育児をくりかえしていくかぎりは、社会は何十年もかわらない気がしてきます。

小林多喜二の小説にいわく

「だが、君、どの本にだって、淫売がギリシャの昔から今迄何千年も続き、又これからもなくならないだろう、と書いてあるよ。」
「が、そこだよ。それはそれらの社会の、そういうのを生まなければならなかった根拠を見ないからさ。――今までの搾取と貧窮を土台として立っているこの社会制度が撤廃されたら、その時こそ、歴史の所謂全前史はその幕を閉じることになるんだ。そして本当の自然な、自由な社会がくる。あらゆる旧来のものはでんぐり返しをやる。今の世の中で、Necessary Evilでも、そうではなくなる。だから俺達はこの惨めな存在にだけ眼を奪われて、涙をポロポロ出したって、ドン・キホーテの後を追うばかりだ。土台だ。土台をかえなかったら、糞にもならないんだ。」
(『老いた体操教師 瀧子其他』(小林多喜二・講談社文芸文庫)244ページ)
この本自体は2007年10月10日ですが、初出は1928年4月の『創作月刊』という雑誌だそうです。
なんと先見の明のあることよ。

ついでに、

http://wwwsoc.nii.ac.jp/gendershi/

小林多喜二ネタ

■小林多喜二ネタは、旧ブログで2件(http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%8F%AC%97%D1%91%BD%8A%EC%93%F1+site%3Ahttp%3A%2F%2Ftactac.blog.drecom.jp%2Farchive%2F&btnG=%8C%9F%8D%F5&lr=)。うち一件は、ヘタな川柳のペンネームを「二喜多一」にいたしました経緯がしれる、お粗末なもの。

■それはさておき、鶴彬(つる・あきら 本名:喜多一二 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%BB%E3%81%8F%E5%B8%82#.E5.87.BA.E8.BA.AB.E6.9C.89.E5.90.8D.E4.BA.BA)も小林多喜二(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%A4%9A%E5%96%9C%E4%BA%8C)も、30までいきられませんでした。70年ほどまえの時代は、そういった政治空間だったわけで、そのころより 社会がマシになっていることは確実で、その意味では、絶望する必要はないとおもいます。
■ま、多喜二の思想の射程をまだこえていないのが、現代日本ではありますが。

■それにしても、「蟹工船」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9F%B9%E5%B7%A5%E8%88%B9)が ちいさなベストセラーってのは、複雑なきもちにさせられますね。■日本のワーキングプアの政治性は、ゆたかさのなかの相対的貧困という意味でも、アメリカのアフリカ系住民などより複雑な位置にありますし、すくなくとも「蟹工船」がかかれ、多喜二がころされていった時代とは、貧困・抑圧が全然異質です。■女子生徒の制服のミニスカートをどうするかといった、はたからみたらどうでもいい問題が紙面におどっているとか、比較的政治性がたかいだろう、本ブログの記事群のなかに、並置されているといった事態自体に、多喜二は当惑・苦笑するんでは?

類似のテーマ

『一騎当千オフィシャルアンソロジー』(コミックガム編集部編・ワニブックス)の111ページ「女子高生というもの」という4コママンガが、この項目と類似のテーマ(要約すると「肌をさらしたいのかさらしたくないのかよくわからん。矛盾しているとしかおもえん」というテーマ)をあつかっています。というか、上記のアンソロジー全体が『一騎当千』におけるアクロバティック(曲芸的)なジェンダーをえがいていますので興味ぶかいです。ジェンダーに関するかぎり『一騎当千』は、さながら『少女セクト』のように、要約すると「女性の地位が決してひくくはなさそうな社会においてなぜか男性中心社会のようなジェンダーを追求している、そしてそうした追求が物語の展開と齟齬をきたしているように感じられない」という不思議な物語世界をえがいています。くわしくは、『一騎当千』14巻を入手・読了次第もうすこしくわしく書く予定ですが、そのアクロバティックぶりを要約しているようにおもえるアンソロジーを、参考までにどうぞ。

ゲーム理論的異性愛市場と、労働経済学的異性愛市場

■数理社会学(統計学駆使した実証研究の計量社会学じゃなくて)専攻の、数土直紀(すど・なおき)さんというひとの『自由という服従』(光文社新書)には、同世代の男女が、どうして、オトコ=積極派、オンナ=消極派というカップルにおちつきがちなのか、ゲーム理論でモデル化=分析しています。■異性愛者による自由恋愛市場(ほぼ同年齢で、権力関係などはなし、という仮定)では、積極戦略(ハイリスク・ハイリターン)と消極戦略(ローリスク・ローリターン)とが、たがいを誘発するかたちで、性別ごとの積極派/消極派の分布比をどんどんかたよらせていくと。
■たとえば、最初オトコの積極派:消極派=6:4、オンナの積極派:消極派4:6程度の分布だったのが、8:2と2:8ぐらいへと、男女の戦略分布が好対照なかたよりへと、ドンドン圧力がかるというのです。■かりに、「おしがつよいオンナは にがてだな」と、おもうオトコたちが過半数いると、「おしがつよいオンナは きらわれそうだから、ひかえよう」と、消極戦略をとるオンナたちが過半数をしめる。消極戦略をとる女性が多数派のばあい、消極戦略をとる男性は積極戦略系の男性との競争にまけがちになる。積極戦略をとる男性は、少数の積極戦略系の女性をえらぶ確率がひくくなるだけでなく、わざわざ「ハイリスク・ハイリターン」同士というカップルをつくりたがない。…■このように、自由恋愛市場は、異性愛者たちが、異性の積極/消極のタイプ比率を予測ないし経験則で判断することによって、その比率をより対照的にひらくように圧力をかけあってしまう。その際、「積極的でないオトコはダメだ」とか「オンナはひかえめでないと」といった規範意識が、ほんのすこしでも初期状態にふくまれていると、オトコに積極派、オンナに消極派が支配的という、「いかにも」な均衡状態で「安定」してしまうと。■江原由美子さんなど、社会学者や社会言語学者が何度か確認した、「カップルのうち、かならずしも おしゃべりずきとはおもえないオトコの方が、会話の主導権をにぎりがち」という統計データは、このような消極戦略/積極戦略の対峙によるゲーム理論的均衡を当然の結果だというのです。
■女性は、王女たちが積極戦略などを決してとらないことで、高貴さを演出できるように、消極的であることをもって、周囲に「アッシー/メッシー/ミツグくん/配線くん」をはべらしているようにみえます。■では、それらの現象が女性上位を意味するのかといえば、男女の平均所得や、貧困層の中核が母子家庭である現実をみれば、ちがうことはあきらかですよね。「女性上位」を満喫しているのは、お嬢さんそだちの一部の女性とか、モデルさんのように、あきらかに「普通じゃない存在」の女性たちで、かのじょたちは、もくもくはたらく大多数のオトコどもより優位ですけど、そういった「特権階級」にうまれなかった女性たちは、「積極的なオンナだとおもわれたら、きらわれる」「しかし、消極的にまってばかりいたら、だれもこえをかけてくれないかも」という、ジレンマにおちいっているはずなのです。酒井順子さんたち、都会の勝ち組の女性たちでさえも、そういったジレンマのなかをいきているうちに、「負け犬になってしまった」と、自虐的に人生をふりかえっているのだとおもいます。■『負け犬の遠吠え』などの分析の背後には、あきらかに「男性性=積極性」を期待している女性像がひかえており、「最近のオトコたちは、らしさがなくなってこまる」という失望感が、そこここに散見されます。こういった「消極戦略」は、数土さんのゲーム理論によれば、オトコたちの「積極戦略」を誘発するはずですが、これは、モデルどおりに推移しないようですね。■むしろ、山田昌弘さんの「パラサイトシングル」論が指摘するように、「パパとおなじような経済力がたしかな男性がいい」という女性たちと、「ママのような家庭的な女性がいい」という男性たちの合力が、経済格差のなかで悪循環をきたし、結婚にふみきれない「ワーキングプア・カップル」が大量にうみだされたようです。

詳細な分析ありがとうございます。あんど『一騎当千』について補足。

詳細な分析ありがとうございます。全面的に賛成いたします。
で、『一騎当千』について補足します。
『一騎当千』におけるジェンダーが、決して女性の地位がひくくない作品世界なのに男性中心社会のようなジェンダーである点でアクロバティック(曲芸的)であることは上記の拙文のとおりですが、拙文内で紹介したオフィシャルアンソロジーのなかでは「関羽タンに一票」(51~54ページ)のなかの「だって恋する乙女だし」(53ページ)という4コママンガが特に要点をまとめています(おとこはちから仕事、おんなは料理、という性役割分業を登場人物が自主的におこなっています)。で、くりかえしになりますが、それでいて『一騎当千』は、作品世界としては決して男性中心ではないんですよ。『三国志』と同様に三大勢力にわかれていくのですが、そのうちの二大勢力(呉と蜀)のリーダーは女性ですし、のこる一大勢力(魏)もリーダーこそ男性ですが、部下は男女ほぼ半数ですし、武力ではなく知力で貢献する参謀に関しては2人とも(賈詡文和(かく=ぶんわ)および司馬懿仲達(しばい=ちゅうたつ)の2人)女性なのです。で、そんな作品世界をつくり、そのなかで上記のようなジェンダー規範にしたがうキャラクターという入れ子構造をえがくのですから、なんともアクロバティックではないですか。いや、「だからどーした?」といわれると、かえすことばはないのですが、よくそんな芸当ができるものだと素朴に感心しているわけです。

そうですね。たしかに、自己矛盾に自覚なさすぎ

■軍隊や相撲部屋など男性社会は、炊事・洗濯・そーじ、などの日常的な労働の再生産過程は、わかてがさせられるわけですね。■あるいは、軍のばあいは、そういったサービス部門を組織化して分業体制としている。
■前出の『たたかいの社会学』では、衣食住のサービス部門も、プロの中核は男性労働力であり、女性にむいているしごとなんかではないこと、要は、不特定多数への上質なサービス提供という点では、「オトコ一生のしごと」みたいな世界がひろがっていることを指摘しています。主婦の代行なら家政婦ですけど、料理人とかシェフといった、ほとんど男性、みたいな対比ですね。■いや、日常だって、軍艦のうえの食事担当組織は全部男性なんですから、女性独自の領域とか、男性独自の領域なんてのは、ごくごくわずかしかないんですよね。
■女子大・女子高の部活や文化祭で、どんどん 力仕事しているのに対して、共学校だと、女子は「ブリっ子」になるといったうわさをきくにつけ、「おとこはちから仕事、おんなは料理、という性役割分業」が自明視される制作陣たちの、アタマは、どういう構造をしているんでしょうね? ホント、なぞだわ(笑)。

ジェンダーネタ

「非国民通信」に『一騎当千』論をかきました(http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/d7daedb47ec36a40e826106bf336ffd3)。2008年12月19日のかきこみです。ジェンダーつながりということで、よかったらどうぞ。
あと、『社会学評論』(59(2))の431~434ページには『「少女」の社会史』と『農村女性の社会学』という本に関する書評がのっています。これもジェンダーつながりということで、よかったらどうぞ。

体調がもどったらチェックします

■いつも情報提供ありがとうございます。『社会学評論』の書評は、評者の緊張感がつたわってきて、あまりおもしろくないばあいがすくなくないのですが、まあ、よんでおくべき文献がならぶことは事実ですよね。
■学会誌とか、いまはちょっとつらいので、体調がもどってからに。

お返事ありがとうございます。あとジェンダーネタ追加。

お返事ありがとうございます。

>学会誌とか、いまはちょっとつらいので、体調がもどってからに。

どうぞ無理はなさらずお大事に。わたしの『一騎当千』論なら、「評者の緊張感がつたわ」らない(というか、そもそも存在しない?)とおもわれるので、よかったらおよみください。

あと、ジェンダーネタの追加情報として「女性と貧困ネットワーク」(http://d.hatena.ne.jp/binbowwomen/)について『DAYS JAPAN』(2009年1月号・24ページ)に記事があります。

再度『法律時報』(2月号)ネタ

同誌76~9ページに「女性と『公と私』」という、かみなが=ゆりこ専修大学教授による記事があります。
その結論部は以下のとおり。

カナダの例の示すように、最近における公/私区分の揺らぎという名の下での「公」の福祉からの撤退の結果、個人・家庭責任論が主流化し、家庭は「福祉機能家族」として再定位されるのである。今日進行しつつあるものは、社会保障の責任に関しての国家、家族、市場間の新たな分割であるとともに、新たなジェンダー秩序の構築であるといえるであろう。

『非国民通信』ではありませんが

保守派とネオリベ層が結託して、保守的な男女やくわり分業復活のイデオロギー装置として、エロゲー(わかい男性の自己中心的欲望のもとに、つごうのよい少女キャラクターが展開していく…、って理解でいいんですよね?)が活用される。→結婚願望が強化されて出生率がたかまるとともに、福祉政策にたよらず家族で3世代のケア労働をやりくりする、自己責任論が支配的になる。→福祉予算が激減する。…なんて展開になったりして(笑)。■これらの戦略が「ジャパニメーション」「ジャパエロゲー」の輸出=外貨(ドルじゃなくて、「元」かもしれないけど)獲得戦略になったり…。

エロゲー理解のための参考までに

>…、って理解でいいんですよね?

どのような現象であっても、その現象が高密度に生じると、その現象に対するメタ次元に依拠する評論・創作がうまれまるのは道理でしょうが、エロゲーについては『月刊コミックガム』に連載中で単行本1巻も出版された『こえでおしごと』(紺野あずれ・ワニブックス)という事例が存在します。エロゲー理解のための参考までに、よかったらどうぞ。

ジェンダーネタ

『社会学評論』(235号)には「農村女性の家事労働における共同化の意味」という論文があります。その結論部は以下のとおり。

冒頭で紹介した天野の言葉を借りるならば、この断片的な「ネットワーク」によって形作られる「小さい共同体」こそ、家庭によって彼女らが分断され囲い込まれる状況を相対化する回路を供給し続けたといえるだろう。(58~9ページ)

ジェンダーネタ

『サンデー毎日』(3.22号)の34ページには「経済危機が再びあぶり出した『女性差別』という古臭い本音」という記事があります。以下引用。

(前略)
が、経済危機でレイオフが進む中、女性差別的慣行で悪名高いウォール街(米金融界)を中心に、女性の失業者が”不当に”高い割合を占めている、という訴えが急増中だ。
(中略)
ダボス会議で知られる世界経済フォーラムが毎年発表する「世界男女格差報告書」で米国は昨年、130ヵ国中27位にランクされた。女性の権利に関しては「中進国」といえるが、役員レベルの男女格差が解消されるのは「72年後」だと専門家は指摘する。ちなみに、日本は07年の91位から昨年には98位に転落している。
3月8日の「国際女性デー」を知る人が、一体どれくらいいただろう。

ところで、ジェンダーに関しては以前『多様なセクシュアリティとジェンダーの公正』(明石書店)という本を推薦したと記憶していますが、『媒介する性』(藤原書店)という本もそれにおとらず興味ぶかい本であることをおつたえいたします。

あと、参考までに以下の団体もどうぞ。
「女性と貧困ネットワーク」
http://d.hatena.ne.jp/binbowwomen/

社会的な性と生物的な性につづき

性的指向(セクシュアリティ)を題名にもつ季刊誌の発行元を紹介します。

人間と性研究所
http://seikyokyo.org/

自分はとてもかかわれませんが…

http://www.kokokara.org/
 ↑ さぞや不毛で野蛮なツッコミを右派からうけて、やむをえずおこした裁判なのでしょう。
 ちなみに、ゲイの解放運動のひとびとが合宿するといったら、宿泊を拒否した経緯を東京都はもっていて、これも訴訟になっていましたね。石原都政がはじまるまえから、この自治体は民度がしれる水準です。

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