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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「北京と東京 自転車で走り比べると…」(加藤徹)=自転車の「とおりみち」9

■旧ブログからつづく、自転車の「とおりみち」シリーズ。「しのびよる疾走者の恐怖=自転車の「とおりみち」8」のつづき。

■中国文学専攻の研究者、加藤徹氏のエッセイ。『朝日新聞』の特集「Road to 北京」の最新号(05/10)。画像は割愛。

北京と東京 自転車で走り比べると…
2008年05月10日

 都市にはさまざまな顔がある。徒歩、電車、自動車と、利用する足が違えば、旅行者に見えてくる町の横顔も変わってくる。筆者は北京に行くと、なるべく自転車に乗ることにしている。
 

 とにかく快適なのだ。北京は自転車にやさしい町である。どこまで走っても坂がない。都心の幹線道路にも、車道と歩道のあいだに、ちゃんと自転車専用レーンが用意されている。天安門前広場の周囲も、西単のような盛り場も、前門の東西に広がる昔ながらの狭い横丁も、自転車で風を切りながら、スイスイと気持ちよく走れる。

 北京の大気汚染は深刻だ、というイメージがあるが、自転車で走ると、不思議に空気の悪さも感じない


 築百年くらいの民家の古びた屋根瓦をつきぬけて、雑草が青空にむかって生えている(北京では雑草までもがたくましい!)。その雑草のむこうに、巨大な銀色のUFOが着陸している。よく見ると、人民大会堂の近くにできあがった国家大劇院だった──自転車で北京の路地をめぐると、そんなシュールな「借景」も、どんどん発見できる。

 なぜ北京がこんなに自転車にやさしい町かというと、貧しい時代が長く続いたからだ。

 筆者は、十八年前、北京大学に留学していた。当時、自家用車をもつ中国人は、ほとんどいなかった。庶民の通勤の足は、バスか自転車だった。雨の日もカッパを着て、片道十キロ以上を自転車通勤する人も、珍しくなかった。

 いまでは北京も豊かになり、道路には自動車があふれている。しかし自転車も健在だ。駐輪場や自転車専用レーンなどのインフラも整っている。

 これと対照的に、東京は自転車にやさしくない。 筆者は都内の移動も、なるべく自転車を使うようにしている。しかし皇居の周囲を例外として、東京は自転車では走りにくい。駐車場はどこにでもあるが、駐輪場はあまりない。道路には、自転車専用レーンもない。車道を自転車で走ると、わざと幅寄せして意地悪するドライバーもいる。仕方なく、自転車で歩道を走ることになる。来日した外国人は、それを見てびっくりする。自転車の歩道走行という危険行為を法律で認める国は、世界でも珍しいからだ。

 こうした異常事態の発端は、1964年の東京オリンピックだった。この年、日本では初めて「軽快車」というタイプの自転車(いわゆる「ママチャリ」)の生産台数が、旧来の実用自転車を上まわった。軽快車は、日本独自のタイプの自転車である。中国や欧米には存在しない。軽快車は、実は「軽快」ではない。子供を乗せて買い物に行くには便利だが、スピードが遅く、車道を走ると危ない。

 そこで日本の道路交通法では、1970年から自転車の歩道通行を条件付きで認めるようになった。もともとは道路を整備するまでの変則的措置だったはずなのに、今も続いている。日本の道路関係では、よくある話だ。

 日本も中国も、第二次大戦の直後は、同じように貧しかった。しかし東京は早く復興し、20年もたたぬうちにオリンピックが開催された。東京は早く復興しすぎたのかもしれない。

 北京は、貧しい時代が長く続いた。市民が長らく質素な生活を続けてきたおかげで、庶民に暮らしやすい町になった。表通りにこそデパートが建ち並んでいるが、ちょっと裏手に入れば、どの横丁にも雑貨屋や八百屋が健在である。足腰が弱くなった老人にも、暮らしやすい。自転車も走りやすい。
平成の東京と、「三丁目の夕日」の東京が混在している町。それが北京である。

 外国人は、北京の表通りのきらびやかさと、裏通りの質朴さのギャップを「格差」だと捉えがちだ。しかし北京の都心は、高級自動車でも、自転車でも走れる。住民の目線で見れば、「格差」は中国社会の弱みではなく、強みであるのかもしれない。

 自転車で北京を走ると、そんなことも考えさせられる。

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■「平成の東京と、「三丁目の夕日」の東京が混在している町。それが北京である」と筆者が表現している以上、このうえもない絶妙のバランスなのだろう。いっそのこと、永住してはどうか?(1950年代後半から60年代後半にかけて、妙に美化しようとする人物を、ハラナは信用しないがね。安倍前首相らだけで、象徴するのは過度の一般化であることは、わきまえているが)

■それはさておき、「軽快車は、日本独自のタイプの自転車である。中国や欧米には存在しない。軽快車は、実は「軽快」ではない。子供を乗せて買い物に行くには便利だが、スピードが遅く、車道を走ると危ない」という断定はどうだろう? ■現在は、変速機つきの軽快車が大半であり、のぼりざかでないかぎり、時速30キロぐらいをだすのは全然苦にならないはず。逆にいえば、「原動機付自転車」にきりかえられる以前の新聞販売所の実用車は、頑丈であるがゆえに、車体がおもたくて、とても「軽快」にはしれたもんじゃないだろう。■むしろ、変速機を駆使して「軽快」にこぐような感覚で歩道をはしられては危険きわまりない。しかし、30キロ程度のスピードで左側をはしられては、スピードがだせないでこまるから、当然イヤがらせ…というのが道路事情だ。■それは、この 《自転車の「とおりみち」》シリーズで再三強調した。

■自転車専用道はもちろん、歩道さえも確保しようとせず、まず確保するのが、車道空間、というのが、戦後の道路行政の基本であり、自転車の通行空間が最後の「余地」として、消去法的に ひねりだされるというのは、たしかに、このくにの貧困ぶりを象徴する。■そして、「自転車の歩道走行という危険行為を法律で認める国は、世界でも珍しい……日本の道路交通法では、1970年から自転車の歩道通行を条件付きで認めるようになった。もともとは道路を整備するまでの変則的措置だったはずなのに、今も続いている。日本の道路関係では、よくある話だ」という、筆者の指摘はもっともだ。この、運用の ごつごう主義的な特別「措置」など「柔軟性」で ゴマ化そうとする当局の体質と、それに迎合する市民という悪循環。
■しかし、そういった 日本の道路事情の貧困ぶりだけをとりあげて、北京をもちあげるのは、ちょっとフェアでない気がする(笑)。ひょっとして、これしか北京が東京よりマシなんてことはないよね?■すくなくとも、「東京は早く復興しすぎたのかもしれない。 ……北京は、貧しい時代が長く続いた」といった、近代化の速度・加速度の総括は、大胆すぎる。韓国ソウルの急成長が東京以上だったように、北京が今後東京よりもゆっくり変容しつづける保証が、どこにある? ■ウラどおりの再開発が 今後10年でどうなるのか、そういった予想をたてるためのデータがないとね。

■しかし、問題なのは、都市計画を機能させることができた北京とはちがって、「自転車専用レーン」を主要道に整備することが困難な東京など日本の大都市だ。■市街地の表裏と対応した 北京の経済格差の是非なんてのは、「外野」にとってはどうでもいい。しかし、一度つくられた「自転車専用レーン」を、自動車の「交通量」をさばくために ツブすなんて蛮行は、さすがに共産党政権もやらかすまい。■それに対して、一度都市計画なしに主要道を、自動車仕様で完成させてしまえば、自営業者の営業権など、巨大な利害が集積してしまって、たちのきをもとめるのが困難になる。地下にほるとか、高架にするとかしないかぎり、一度無視された「自転車専用レーン」を追加するのは至難のワザだとおもう。■その点だけは、北京をうらやましいとおもう。そして、それをうらやんでも、時間を逆行させることができない以上、妙案もうかばないという なやましい事態だ。
■制御不能なペースで網状に発達してしまった、というか、そういった展開を放置した道路行政は、自転車と歩行者の共存を困難に決定的にした。あとは、少子化とクルマばなれによって、道路へと自転車がおりていっても安全な交通量へと沈静化していくことだけか? ■北京が、深刻な大気汚染を制御することが可能なら、おなじように 東京の道路事情もクレージーな状況が緩和されるか? 気のながい はなしだけど(笑)。



●「世界記録保持者ゲブレシラシエが北京五輪マラソン欠場の意向(時事)
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