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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「学力低下」批判をかわそうとするひとびと(OECD生徒の学習到達度調査)

■「学力低下妄想?(OECD生徒の学習到達度調査)」とは、一見正反対のたちばにみえるかもしれない視座からの続報。

■ウィキペディア「OECD生徒の学習到達度調査」が、先日の調査結果発表をうけて、かきかえられた。■それはいいとして、「学力低下」問題が、「少子化による売り上げ減少に悩む教育産業がマスコミなどを使い、学力低下論争を利用した側面があることも否定できない」反面、文部科学官僚や教育関係者などにおいて、「学力低下」の責任をとわれそうな層が、責任回避のために、ムリな反論を展開している面もあるとおもわれる。

■たとえば、ウィキペディア「OECD生徒の学習到達度調査」の「調査結果の影響」には、

2003年のPISAで日本の順位が下がったことが、学力低下の証拠として日本国内で大きく報道され学力低下論争にもつながった。しかし、2003年調査は前回と対象国が異なる上、日本の成績自体は、前回調査と比べ統計的に差はない。OECDや教育学者による分析結果では、日本は依然として1位グループに入るとされており、日本の順位が下がったことを「学力低下」とする議論は、統計的に正確とはいえない。順位低下に見えるのは調査参加国が増えたためであり、日本が得点を上げた項目も多く、その他の得点低下は、ごくわずかな統計的な誤差範囲であり低下とはいえないのである。しかし、この順位低下は、学力低下の証明として批判に用いられることになった。この背景に、日本の教育学者は、教室内の観察や学校制度の記述のみを行う者が多く、大規模な統計分析を得意とする人材が少ないという事実があることも否定できない。日本の教育学者は、国際的調査の結果を的確に評価できず、結果が恣意的に利用をされることを防ぐことができなかった。
……


という記述がみられるが、これは一部ウソがある。

■「順位低下に見えるのは調査参加国が増えたため」と断定されているが、「読解力>読解力(15歳) - 世界ランキング」というデータをみるかぎり、2000年と2003年では、参加国は40か国とかわりがない。■2000年で日本より下位にあり、2003年で上位にあがった国が、リヒテンシュタイン(23位→4位)、スウェーデン(10位→8位)、ベルギー(11位→11位)、ノルウェー(14位→12位)、スイス(18位→13位)などと、あきらかに相対的地位はおちて、「逆転」されたのだ。■それは、参加国が55にふえた2003年→2006年での経年変化でも、かわりがない。日本は14位→15位と大差ないことは事実だが、上位10か国も順位変動が少々あるだけで、ポーランド(16位→9位)がはいりこんだ以外ほとんど不動だ。■要は、2000年→2003年の順位変動は、単なる日本の相対的順位低下、2003年→2006年での参加国15の増加でも、上位の変動は大したことがなかった。「数学的教養(15歳)」におけるブラジル(2000年:334点=39位/40位→2003年:350点=40位/40位→2006年:370点=53位/56位)のようなケースでないかぎり、「順位低下に見えるのは調査参加国が増えたため」といった論理で現象の推移は説明できない。
■では、どうしてこういったウソの断定がなされたか? ■これは「もともとの「日本の生徒の学力は世界で一位、二位を争う」という認識は少数の国との比較による誤解から生まれた神話であった」という、一見もっとらしげなコメントとあわせて、再検討する必要がありそうだ。

■参加国数が40とおなじ2000年→2003年でかんがえるかぎり、日本の「読解力(15歳)」の平均点は522点(9位)→498点(14位)であり、それは誤差とはいいがたい低落傾向が感じとれる。上位5位の平均得点が520点台~540点台と大差なく、20位前後の平均点も490点強と同水準だからである。■前回のべたとおり、経済上の大国と小国を平均点で比較するのは、あまり意味がない。人口上の大小、国土の大小も同様だろう。「読解力(15歳)」の上位10国がみな人口5千万をわりこんでいることは重要だし、ホンコンリヒテンシュタインのような、市街地というべき行政区画を一国とかぞえる方がおかしい。■サッカーのワールドカップじゃないんだから(笑)。

■前回ものべたとおり、国家比較でナショナリズムをあおるようなデータの処理がまちがっているのだ。第一、日本のように精密な無作為抽出を他国がちゃんと実践しているかどうかだって、一応うたがう必要があるだろう。OECDが、自力で現地調査するはずなんかないんだし(笑)。

■このようにかんがえてくると、とりあえずデータがゆがんでいないと想定するなら、2000年→2003年は読解力などで低下がみとめられる。■しかし、それを、「ゆとり教育」のせいにして、それまでの公教育行政を全否定するような論理は暴言でしかないし、「学力低下」が存在しないように、反論を展開する勢力も別の意味であやしい。双方の利害をうたがったうえで、なにをいおうとしているのか、なにをたくらんでいると推定できるか、慎重になる必要がありそうだ。


●Googleニュース検索結果「OECD
●「国語教科書の思想
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