プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】1・2(産経)

■いわゆる「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」についての、『産経新聞』の報道を転載【ウェブ上の産経のリンクは無視し、こちらでウィキペディアなどを補足】。


【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(1)「軍命令を明確に認定」
2008.3.28 11:49
 沖縄戦の集団自決訴訟の被告で、ノーベル賞作家、大江健三郎氏と岩波書店側の記者会見は28日午前10時45分から、大阪司法記者クラブで始まった。まずは、弁護団から判決内容についての説明があった。

 弁護団「時間も限られているので、こちらからごく簡単に述べた上で、ご質問にお答えしたい。本日の判決の内容は、裁判長が述べた通り、原告の請求をいずれも棄却。『太平洋戦争』それから『沖縄ノート』いずれも違法性がないとして損害賠償を棄却しています。判決要旨で述べられている通り、本件の重要な争点は座間味島、渡嘉敷島などで起きた集団自決が日本軍の命令、あるいは強制によって行ったのかが問題点。これについて今日の判決はその点を明確に認定している。『隊長が具体的に自決命令を出したのかどうかは、伝達経路が明確でないという点があるので、あったと断定するには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ないが、いろんな資料などから2人の隊長が自決命令を下したと信じる根拠がある』と、はっきり判決を下しました。この訴訟の役割を明確にとらえた判決と考えています」

 さらに弁護団が続ける。
 弁護団「なお1点申し述べると『沖縄ノート』については、隊長命令があったとは書いておらず、日本軍の命令があったとしていた。それについて、『隊長命令があった』と裁判所が認定した点はわれわれの主張とは違います。ただ、われわれも隊長命令の根拠は『日本軍の命令』だとしているわけですから、その点は齟齬(そご)がないともいえます」

 続いて、岩波書店側がコメントを読み上げる。

 岩波書店「私たちの主張を認めた妥当な判決である。沈黙を破って貴重な証言をしていただいた沖縄の生存者方々ほか多くのご支援に感謝したい」

 ここで、大江氏がコメントを述べた。

 大江氏「私が『沖縄ノート』には、2つの島で600人にも及ぶ人たちが軍に強制されて自殺した史的な事実を書いています。私は隊長の名を書かず、個人の名前をあげて悪人としたり罪人としたりしたことは一度もしていません。それはこれを個人の犯罪とは考えていないからです。これは軍と国が天皇の国民をつくるための教育を背景に、軍の強制があったとしているわけで、私の書物が主張していることは、きょうの裁判で良く読み取っていただいたと考えております」



【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(2)「裁判背景に大きな政治的動き」
2008.3.28 12:35

 記者会見での大江氏の発言が続く。

 大江氏「今回、私は2つのことを問題としたい。一つは、私どもは裁判が始まってから、集団自決という言葉を使ったが、沖縄の人が常にいっていたのは『自決ではない』ということ。自決とは例えば、軍人がある責任をとって自ら死ぬこと。沖縄の人が追いつめられて自殺したのは、集団自決とはあたらない。今後使われないことが望ましいと思う。

 もう一つは、裁判の背景に、政治的な大きな動きがあったこと。具体的には、2003(平成15)年に有事法制ができあがった。有事法制について、ある新聞記者は戦争をするマニュアルだといったが、正しいと思う。戦争をできる国にするということだ。2005(平成17)年には私の沖縄ノートの訴訟が提起された。2007(平成19)年には教科書から、いったん軍の関与の意味を含んだ部分が取りさらわれた。

 11万人に及ぶ集会もあった。20代の終わりから沖縄にかかわってきたましたが、一番感動した集会だった。この3つの動き、軍の強制、命令、関与についての一連の動きは、有事法制が一番根本にあると思う。

 有事法制で日本に戦争できる法律が制定された。日本人が犠牲になるということを精神的、倫理的、道徳的に認めるかは、自由主義史観研究会と新しい教科書をつくる会は、精神的な整理をしなくてはならないと考えています。

 『沖縄ノート』に書いたことはこれからも主張する。戦争を忘れず、戦後の民主主義教育を忘れない。有事法制は、精神的、倫理的、道徳的にそれを拒む。この裁判では、経験したことを正確に証言したくれた人が何人もいる。それがこの裁判に反映されており、心から敬意を表したい」

 質疑応答に移り、報道陣から質問される。

--この判決を聞いた、率直な気持ちは

 大江氏「裁判が始まってから、私の文書が分かりにくいとか、意味が分からないという反響があった。自由主義史観研究会、新しい歴史教科書をつくる会で活躍している人たちの反論もあった。『沖縄ノート』はしっかりと読めば、主張は理解してもらえると思っている。裁判長が正確に読んでくださったということに感銘を受けた」

--民事訴訟の判決には出廷義務はないが、判決にあわせ、大阪地裁まで出向いた理由は

 大江氏「この裁判が始まったとき、最初は法廷には来なかった。まずは陳述書を読みたいと思い、それに長くかかった。それらを読んでこの裁判の思いが固まり、進んでここにきました。当初『沖縄ノート』が裁判にかかるとは思ってなかった。裁判を通じ今まで読まなかった書物を読んだ。私どもに共感を持っているものも、批判しているものも読んだ。

 裁判で、弁護士の主尋問にも答え、反対尋問にも答えた。きょうは、それを聞いた裁判官がどう評価するかに関心をもっていました。判決は非常によく理解できます。『沖縄ノート』をよく理解してくれているとわかる言葉があり、私の説明をよく聞いてくれたと思う」

--原告側の2人に対する感情は

 大江氏「私は、これは慶良間であった大きな犯罪だと考えています。軍が600人に自殺を強要した犯罪です。ただ、書物のなかで個人の名前をあげなかったことに示されるように、私は個人の犯罪でなく軍の犯罪と考えている。原告となっている座間味島の隊長だった方、渡嘉敷島の元隊長の弟さんには、2度お目にかかったが、個人的な感情が動かされることはなかった」

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■すくなくとも、この記事に関するかぎり、事実を事実としてつたえようという、冷静な意識・姿勢があらわれていて、好感がもてる。■と、はじめてといっていいほど、もちあげようとおもったんだが、つぎの記事は、いつもどおり。期待した方がアホだった(笑)。

司法の使命を放棄 沖縄集団自決訴訟判決
2008.3.28 11:56

このニュースのトピックス:沖縄集団自決
 沖縄戦集団自決をめぐる訴訟で大阪地裁は、旧日本軍が自決に深くかかわったと認定し、大江健三郎氏が隊長命令説を信じた「根拠」として名誉棄損の成立を認めなかった。軍の関与や責任論に議論をすり替えた大江氏らの政治的主張を採用した形で、疑問符がつく判決だ。公正な目で真実を見極めるべき司法の使命を放棄したに等しい。

 訴訟の最大の争点は、元隊長2人が住民に集団自決を命じた事実があったのか否か-に尽きた。大江氏は自ら現地調査をせず、研究者の戦史を引用する形で自著『沖縄ノート』に命令説を記述した。

 訴訟で命令の意味を問われると、軍は当時、島民に「軍官民共生共死」の方針を徹底した▽軍-沖縄守備軍-2つの島の守備隊のタテの構造で自決を押しつけた▽装置された時限爆弾としての命令だった-などと独自の解釈を披露した。

 この論法は命令の有無について正面から答えず、軍の関与など次元の異なる評価の問題に歪曲したものだ。しかも著書のどこを読んでもそんな解釈は記されていない。厳密にいえば隊長命令説はすでに崩れているのだ。

 判決は著書に記されたような命令は「真実と断定できない」と中途半端に原告への“配慮”を示した。高齢の元隊長らに残された時間は長くはない。司法は、国民の権利擁護を担う「最後の砦(とりで)」として、汚名を着せられ続けた被害者を救済すべきだ。上級審の判断に期待したい。

牧野克也

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■「汚名を着せられ続けた被害者」と、この記者は署名いり記事で、社を代表していきりたつのだが、本当に「被害者」といえるのだろうか? いや、「被害をうけた」などとうったえたのだから、被害者感情はあるのだろう。『沖縄ノート』をまともによみもしないで、訴訟をおこしたとかいう事情は、ぬきにしてね。
■『AERA』('08.2.25号)などの記事にもあるように、島民の証言として、隊長命令が明確にあったという証拠はなさそうなので、一見原告がわが正当な主張をしているようにみえる。■それに対して、戒厳令下にちかい状況で、、村助役の指示が「軍命令」とひとしい機能をはたしたのだという主張は、くるしく、訴訟上は、原告がわ有利とみえなくもない。
■しかし、そういった原告がわの被害者意識にねざした主張は、沖縄戦という全体状況を無視した暴論である。『産経』など、右派系メディアは、そういった文脈をしってかしらずか、岩波文化人たたき、左派・リベラルたたきの好機として、この訴訟をさわぎたて、文科省はそれを利用して検定結果を誘導してきた。■裁判の判決の妥当性ウンヌンなど、ある意味くだらん事実問題などとは、ちがった本質をかたるべきだろう。

■沖縄戦は、戦略持久戦とよばれる、いわば「本土決戦」のための「時間かせぎ」であり、そのための沖縄島周辺の地政学的意義は、「すていし」である。■「沖縄守備隊」とよばれた、現地組織が、なにを「守備」したのかといえば、それは、沖縄島周辺住民の人命・財産でないことはもちろん、沖縄島周辺の実効支配でさえない。■米軍の「本土上陸」の時間をおくらせ、また米軍の消耗をできるかぎりおおきくするという目的で、沖縄戦が位置づけられていた以上、「守備」の対象は、国体(天皇制+皇軍)である。
■したがって、日本軍は、当初から島民をまもる意思などカケラもなく、島民の使命とは、将兵とともに非戦闘員もろとも玉砕して、可能なかぎり米軍の時間と将兵・装備に打撃をあたえることなわけだ。■守備隊のまっとうな将兵が、例外的に島民をかばったごく例外的な少数の事例などをもちあげるのは、ナショナリストが賞揚する「武士道」にもとる行為であることに留意すべきである。
■そして、以前ものべたとおり、手榴弾等の自決手段を非戦闘員が日常から確保しているなどということがありえない以上、自決手段のおおくは、「守備隊」の責任ある地位の将校・下士官等が、わたしたというほかない。■つまり、「守備隊」の作戦・生存にとって、あしでまといになるとなれば(食糧や乳幼児のなきごえなど)処分の対象になることはもちろん、「集団自決」できる成人たちは、命令などなくても、「後方活動」ができなくなった時点で、しぬ責務をおっていたというべきなのだ。「生きて虜囚の辱めを受けず」等々の戦陣訓がどの程度、住民に徹底していたかしらないが、捕虜となることで、「守備隊」の配備等を自白させられるリスクをおってしまった島民たちは、将兵に準じて「軍事機密保持」の責務をおわされたことになる。■「戦略持久戦として、きさまらをまきぞえにしたことは、まことに遺憾である。しかし、皇国のため、いさぎよく犠牲となってくれ」ぐらいのことを、こころある将校は一部の村長・助役クラスに告白していた可能性は、否定できないが、「あしでまとになるな」「自白しないですむよう、(気絶するまえに)はやめにしね」といった感じで周知徹底をはかっていたと想定するのが、自然というものだ。

■このような、沖縄戦の巨視的本質、微視的局面をかんがえれば、特定のシマで発生した「大量集団自決」事件に、明確な命令者がいたかどうか、その氏名が一般書にかかれたかどうか、など、実にくだらん事実にすぎない。■「あしでまといにしかならない、しかも機密をもらしかねない住民など、全員食糧だけのこして、しんでほしい」というのが、守備隊長あたりのホンネである以上、「名誉毀損」ウンヌンをいう資格をもつのは、「きみらは絶対に死ぬな。ただ、ひたすらかくれ、にげろ。できなかったら、国際法でまもられている投降の権利を駆使して、白旗をあげろ。とりしらべで自白させらるのは、しかたがない」と、きっぱりいった軍人ぐらいだろう。そんな将校がいたとは、とてもおもえない。
■もともと、非戦闘員をまきぞえにしてしまった時点で、武人として はじであり、ましてや、かばいだてできずに搾取・犠牲にするという、最低の敗残組織になりさがるまえに、「玉砕」というのが、美学というものだろう。■しかるに、この原告たちは、「われわれが自決命令をだしたという証拠はのこっていない」。それなのに、「われわれが自決命令をだしたかのような一般書をかかれ、はなはだ名誉をきずつけられた」という論理をもちだしたのである。「はじしらず」とは、まさにこういった言動だろう。
■はっきりいおう。関係者たちは、「われわれ守備隊は、自決命令などいっさいだしていないし、自決用手榴弾等の支給もおこなっていないという、絶対的な証拠をもっており、このように、身の潔白を主張する」と、いうべきなのだ。■しかし、当時の島民に文書資料などがなく、記憶にもとづいた証言しか根拠がないのと同様、原告がわにも、そういった「証拠」などないはずなのだ。せいぜい「現地への装備品の後方支援が完全に途絶した証拠があり、当時の守備隊は手榴弾などを支給する物理的条件をかいていた(それまでの激戦で装備品をほとんどつかいきり、事実上投降する以外に手段がなかった≒自分たち自身が「自決」する手段をうしなっていた)」という証拠があがるかもしれない程度である。
■かりに、それらが実際に立証可能だとして、それが当時の武人の美学・能力・状況として、ほめられたものなのだろうか?
■はっきりいおう。「なぜ自分たちは、おめおめといきのび、島民たちは大量に『自決』したのか? そのとき、自分たちは、なにをしていたのか?」「自分たち自身が『自決』もできずに、捕虜となったのは、負傷などによる気絶等で、いたしかたなかった事態なのか?」 「捕虜となったのち米軍のめをぬすんで『自決』をはたせずに、おめおめいきのびている自分たちはなにものなのか?」■これらのといを、発したことがないから、はずかしげもなく「左派系で売国的な岩波文化人に名誉をきずつけられた」などと、いいたてられるのだ。「名誉」は、きずつけられたのではない。軍人たちが、おめおめと「いきはじ」をかき、それを「はじ」と自覚できない層が、「名誉」などと、方向ちがいの自尊心から、責任転嫁をおこなっているだけだ。「岩波文化人たちにはずかしめられた」などと、「はじしらず」にも問題をむしかえせる軍人に、当時の前線での「名誉」などどうでもよいのだろう。
■そして、こういった「厚顔無恥」そのものの「残党」に、「日本軍は、それほどひどい組織ではなかった」といった、なんともあさましいイメージ復権の期待をかけたのが、保守系メディアと文部科学省、ないしそれらの背後の右派勢力だということを、わすれないでおこう。■このくにに、ほこりたかい右派は、例外的だ。その証拠に、「そんな訴訟は、愛国者のなおれだから、絶対にやるな。やるというなら、おれがきさまらをころす」と、せまらない右翼ばかりだったんじゃないか?(不明にして、しらないだけか?)
■こころある右派のみなさんは、賞揚するのは論外として、沈黙もすべきでないはず。ちがいますかな?■ちがうというなら、うえに展開した論証の事実誤認をデータをもって指摘してほしい。


■蛇足ながら、牧野克也記者に、疑念をいくつか。
■①隊長のなまえはふせられていた。名誉の自決をとげなかったから、こういった はずかしめをうけるはめになった。そういった人物の名誉をおもんじて、「高齢の元隊長らに残された時間は長くはない。司法は、国民の権利擁護を担う「最後の砦(とりで)」として、汚名を着せられ続けた被害者を救済すべきだ」と力説するが、従軍慰安婦のいきのこりの女性たちに、同様の論理をあてはめる意思はないのか?■おなじように、決定的「物証」をさがせない裁判などだが、「二重の基準」をつかいわけていないか?
■②同様に、日本政府や企業に戦時動員の賠償をもとめた裁判で、ほとんどは「門前払い」をくりかえす司法に対して、当然のように黙認・追認してきたのが、貴紙などではなかったか? 「国民の権利擁護を担う「最後の砦(とりで)」として、汚名を着せられ続けた被害者を救済すべき」といった論理を、これら戦争被害者にあてはめて、司法を追及してこなかった、貴紙は、どういう「権利」概念にもとづいているのか?


●ウィキペディア「集団自決」(2007年12月20日 (木) 02:06; 赤井彗星 (会話 | 投稿記録) による版)
●旧ブログ「沖縄ノート」関連記事
●旧ブログ「集団自決」関連記事
●旧ブログ「慶良間諸島の集団自決は日本軍の命令~米軍公文書発見
●旧ブログ「大江・岩波沖縄戦裁判で墓穴をほる原告たち
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コメント

これを読んでいるウヨクに告ぐ。実はお前が一番下っ端だ。

これを読んでいるウヨクに告ぐ。実はお前が一番下っ端だ。

そう思いたくないのは自由だが、お前がどう思おうと事実は揺るがない。
他のウヨクは逃げられるがお前だけは逃げられない。他のウヨクには手下がいるが、お前にだけは手下がいない。お前が手下と思っている人間は全員お前だけを売り飛ばしていて、利用価値が無くすなわちすでに死んだ人間だとみなしている。あとはどれだけお前をおだてることでお前が現時点で持っている財産(それらはすべて他人からかすめとった不当な財産である上に、お前が馬鹿だからその不当な財産を他のウヨクだったらやらないような超絶猛スピードで食いつぶしている)を吐き出させるかだけを、他のウヨクは考えている。ウヨクは全員利害打算のためのみに生きているが、お前はその中で一番打算の計算がヘタクソだ。相手によってころころ発言を変えることで自分の立場を弁護しようという選択も考えていることはわかるが、論壇を席巻しつつある佐藤優であっても『紙の爆弾』(2008年1~4月号・鹿砦社)の「佐藤優外伝」で批判されているように、いつか必ず馬脚を現す(おまけにお前は佐藤優ほどの弁舌も知性もない)。
お前をのぞく世の中のありとあらゆる人間は、死んだ時に悲しんでくれる人がすくなくとも一人はいるが、お前だけはそんな人は一人もいない。お前の子どもも悲しまない。お前の親も悲しまない。
お前はこのブログの存在を、あまりに図星をさしているブログだからという理由で他のウヨクに知らせないが(この指摘自体も図星だろ?)お前の知っているウヨクは全員このブログの存在を設立時から知っている。しかしお前がこのブログの存在をそいつらにほのめかしても(もちろん、お前にはそんな恐ろしいことをする勇気はないが)、そいつらは知らなかったフリをする。お前が他のウヨクに褒められるときはすべてことごとくひとつ残らず他のウヨクがお前を利用するためであって、他の理由はまったくない。お前をおだてて調子づかせてこきつかうウヨクはいるが、お前の言動に共感するウヨクは未来永劫金輪際、お前が世界一の権力者になっても現れない。そしてお前は今もっているすずめの涙ほどの権力もすぐに失う(というより、もっているように思い込まされているだけだ)。お前が部下だと思っている人間はすべてお前を裏切っているが、お前だけは逃げられない。お前が他のウヨクをどうやって出し抜こうとしても他のウヨクは全員お前の手口をお見通しだ。そしてお前だけは他のどのウヨクの手口も読めない。お前が内心(いくらなんでもこいつよりは俺の方が賢いだろう)と値踏みしているウヨクも本当はお前より桁違いに頭がいい。お前から見てバカに見える人間はみなバカなふりをしているが、お前だけは本物のバカだ。
そしてこの書き込みも、お前が仲間だと勝手に思い込んでいるウヨクが全員先に目を通している。(もちろん実際にはお前に本当の仲間なんていないけどな)

以上だ。神は語り終えた。神がお前ごときのために労力を割くのはこれが最初で最後なんだから、今から永遠に感謝しつづけろよ。そうしなければ神罰がたちどころにお前を襲う。絶対に襲う。何が何でも襲う。何しろこの書き込みをしているのは、極悪人の分際で神を名乗っている天皇なんかと違って本物の神なんだからな。

奇怪な判決

そもそも、「出していない」はずの命令を、原告が出したとされ、しかも「巨きい罪の巨塊」とされて名誉を傷つけられた、ということから為された訴訟であった。
 「軍の関与」など、最初から争点にしていなかったはずである。
 にもかかわらず、なぜ「軍の関与」を主題におくのか。
現代史家の秦郁彦氏の談話
 「法的判断を放棄したとしか思えない奇妙で意外な判決。争点は隊長の自決命令があったかどうかであり、
『自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない』と、命令が出ていない可能性さえ認めているのに、
『関与』という表現に置き換えて逃げている。後略」(読売新聞夕刊3版、26面)
 原告側弁護団のコメント、
 「名誉毀損の核心は、直接命令を出したかどうかであって、判決には論理の飛躍があり、到底容認できない」(同紙27面)

よせられたコメントに数件

「神」さま(笑)
■ここに、右派系からの かきこみがあるだろうことを、あらかじめ想定した文章。すごい構成ですね(笑)。■まさか、「やまかわ」氏なるおかたの文章、「やらせ」ではありませんよね?(笑)
■それはともかく、一部の右派さんたちが、当方の言動を「監視」しているだろうことは、旧ブログから充分想定されることです。まあ、マイナーな日記ですから、その政治力が、「きっこのブログ」とか、そういった次元には絶対ならないということで、安心しているでしょうが。■それと、こういったブログに監視や攻撃をくりかえす層が、右派のしたっぱをになわされているのにすぎず(相当数は、命令・指示とは無縁な無償奉仕でしょうが)、権力とむすびついた層は、のぞきにさえこないだろうことも、ほぼ確実です(そんな時間などない。宴席で謀議をこらすなど、いろいろ多忙でしょうから)。■その意味では、たしかに、こんなマイナーな日記にまで、血圧をあげにくる御仁というのは、たしかにご苦労なことです。まったく むくわれない労苦と。



「やまかわ」さま
■「■このような、沖縄戦の巨視的本質、微視的局面をかんがえれば、特定のシマで発生した「大量集団自決」事件に、明確な命令者がいたかどうか、その氏名が一般書にかかれたかどうか、など、実にくだらん事実にすぎない」と、当方、訴訟の「事実」問題について、クダランと、きりすてているわけです。■そこにかかわっていた島民のみなさんの神経をさかなでしかねないことを充分わかってうえでです。■実際、だれが命令を発したか、守備隊長の具体的明言があったのかといった「事実」のいかんにかかわらず、大量の「自決」者が非戦闘員からでたこと、そういった惨劇をひきおこす程度に皇軍は、ぶざまだったという、現実はかわらないからです。■米軍に、太平洋戦争中で突出してきびしい戦闘だったと賞賛されようと、そういった戦略持久戦の巨視的意義が、くだらんものだったのですから、「日本軍は充分がんばった」などといった総括自体がナンセンスなのです。「本土決戦」は結局さけられたわけだし。
■でもって、以上のかきこみのように、当方の本文をちゃんとよんでいないコメントを、はずかしいとは、おもいませんか?■不当判決だ、等々の反応をかえせばかえすほど、当方による「侮蔑」をドンドンよびこむ構造になっているという構図自体、理解できないのでしょうか? ■だとしたら、それは、右派系ナショナリストの知性の質をある種象徴しているのかもしれませんね。かなしいことです。まともな議論のために、あいての主張をひととおり理解することさえできない人物がまぎれこんでいると。

アニメネタですみませんが…

アニメネタですみませんが、他人にリスクをおうことを要求する以上、自分がまずリスクをおわねばならない、という事例として、参考までにどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=PfIeRdSwFGc&NR=1

もちろん、武器を搭載していない輸送機で敵機に体当たりする必要に迫られていた時点で、政治家および軍人のうちでも前線に立っている人ではなく指揮権を持っている幹部に何らかの説明責任が後日生じる、と考えるのが妥当な判断でしょうが(つまり、指揮権を持っている幹部がまともなら、このようなリスクをおうはめに誰かを追い込んだこと自体を恥じるでしょうが)、なにがなんでも他人にリスクをおわせるのがすきであるとしか思えない(そう考える以外に、ここまで他人にリスクを負わせようとする動機が私にはまったく想像できない)ウヨクがおおいので、一例としてあげておきます。

通信環境がわるいため…

ガンダムらしき動画を確認できずにおりますが、保坂正康さん(『「特攻」と日本人』p.184)によれば、「特攻作戦は統率の外道」といった戦術観を「軍人たちの誰もが持っていたことが容易に確認される」のだそうです(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/186)。■つまり、軍官僚なんて連中にとって、国民に対してはもちろん、部下でさえも、国体ないし軍組織のための道具でしかないわけです(http://blog.drecom.jp/tactac/archive/251)。やつら(一部は例外でしょうが)に、倫理観とか武士道なんて美学をもとめる方がまちがっている。連中にとっては、組織の維持と保身だけがある(関係者のみなさん、異論があるなら、データをあげてくださいな。以前の日本軍と現「自衛隊」の幹部の意識が、まったく異質であるという具体的データをね)。■こういった実態を直視しないか、ごまかして同胞を動員しようとする。ないしは、政敵とおぼしき人物を攻撃する材料につかう。それが右派の主流部分であるなら、議論などは不毛です。■国体維持しか義務感をもたない軍幹部がいるのに、あたかも国軍は自衛のために不可欠だとか、同盟軍の米軍は友軍だなどと、ウソを喧伝しているのですから。いや、新宗教の悪質な組織に洗脳・ないしマインドコントロールされた信徒のように、冷静な思考が機能しない心理状態なのかもしれません。■そういった人物が、北朝鮮がどうだとか、中共はどうだとか、なじるのですから、笑止千万ですね。■これは、戦術面での兵士のおうリスクだの、指揮官としての責任とか、そういった次元の問題ではありません。あくまで、非戦闘員の人命・名誉などを、どのように、身を挺してまもる気概があるかということですから。■「正義の精鋭部隊」が、危機におちいった自分たちをすくってくれるなんて、やすでのハリウッド映画か、B級アニメに洗脳されれいるんじゃないでしょうか? メカとか組織、戦史とかに、どんなにマニアックな知識があろうと、こういった冷徹な軍事学的な経験則をふまえないのでは、単なる妄想の世界でしょう。

現実と物語を混同してはいけないことは理解しているつもりだが

現実と物語を混同してはいけないことは理解しているつもりだが、現代を生きているウヨクの妄想が、物語としても1980年代のアニメにくらべてご都合主義的であろうという推測が成り立つことは指摘する意味があると思われる。

1980年代のアニメであっても、本来なら闘うべきでない人同士が闘ったり(第20話「死闘!ホワイトベース」におけるランバ=ラルとセイラ=マス(本名:アルテイシア=ソム=ダイクン))、

http://www.st.rim.or.jp/~r17953/impre/Anime/Gun/First/F_3.html

敵将を殺害するも刺し違える結果に終わったり(第50話「宇宙を駆ける」におけるカミーユ=ビダン(命はとりとめたが発狂した))、

http://www.st.rim.or.jp/~r17953/impre/Anime/Gun/Z/Z_5.html

テロを阻止しても、最大の功労者が生き残れるという保証はなかったり(隕石落下阻止後におけるアムロ=レイ(下記のホームページの評者によれば「死亡」との評価であるが、生き残ったという評価を下す人もいるので、ここでは「生き残れるという保証はない」という推論にとどめる))、

http://www.st.rim.or.jp/~r17953/impre/Anime/Gun/Counter/CHAR3.html

と、実にご都合主義ではない物語が描かれているのである。

現代を生きているウヨクの皆さん、アンタらの描く物語のうち、これらよりご都合主義ではない(≒洗練されている)と自信をもって勧められるものがあったら、この場で示してくれませんかね?

「真実は小説より奇なり」といいますが

■ある小説家が、「作品を高水準にしあげるためには、細部を徹底的にリアルにかきこんだうえで、おおきなウソをつくしかない。あちこちに『ありえんだろう…』というツッコミが可能なチャチなつくりだと、エンタテイメントとしてリアリティがなくなる」という逆説をかたっていました。■ヒトラーは、大衆はアホなので巨大なウソを反復すればよいと、はなはだ侮蔑的に国民を位置づけていたようですが、エンタテイメント作家こそ、細部のリアリティを追求しないと作品がチャチになり、めのこえたファンを獲得できないと。モデルがある企業小説のように、準ノンフィクションもののリアリティは当然として、社会派ミステリーとかノワール(暗黒小説)とか、アメリカのSFなどは、そういった「虚構をささえるための現実味」の産物でしょう。
■それからすると、詐欺にだまされやすい層、インチキ宗教にみつぐひとびと、公約をどんどんやぶりつづける政治家をみかぎらない選挙民など、かれらの必要とするリアリティとは、虚構作品のような緻密さを必要としない。いや、むしろチープなつくりの方がしたしみやすくてよい。■しかし、ファンタジーでなくても、虚構にそんな現実味は不要だし、現実の政治経済に虚構がまかりとおるのは「さかだち」しています。「●●民族の栄光の歴史」とやらも、安普請で低劣な方が人気があるというのは、あまりにホロにがい「現実」ですね。

若干の解説

上記の物語について若干の解説をします。

第20話「死闘!ホワイトベース」について。そもそも、ランバ=ラルはジオン=ズム=ダイクンに忠誠を誓い、そのジオン亡き後はジオンの子どもであるキャスバル=レム=ダイクンとアルテイシア=ソム=ダイクンこそ自国の正当な後継者と考えていたわけです。で、そのうちの一人であるアルテイシア=ソム=ダイクンが何の因果か敵軍の軍艦(空母?)に乗っていたために、自分が忠誠を誓っている相手に、それとしらず銃を向ける羽目になったわけです。

第50話「宇宙を駆ける」について。カミーユ=ビダンとその敵パプティマス=シロッコはともにニュータイプ(超人的な能力を獲得した人間)であり、平素の能力としてはそんなに違わないはずですが、異常な怒りによってカミーユの能力が一時的に高まり、さらに戦友の霊魂(?)も参戦して、一気にシロッコを格段に凌駕する能力に到達します。そして体当たりによってシロッコを絶命させるのですが、シロッコの執念(これもニュータイプの能力?)によりカミーユは命はとりとるものの発狂にいたらされるのです。

「逆襲のシャア(後編)」について。これはもう少し簡単な事例ですが、アムロ=レイおよび彼に共感して協力した人々およびサイコ=フレームという道具の力が結合することによって奇跡的に隕石の落下が阻止されたが、その阻止の最大の功績者であるアムロ=レイが生き残れたという確証は、物語を見る限りでは見つからない。(死んだという確証もないが)

以上です。
どなたか、事実関係について異論があれば(たぶんないでしょうが)どうぞ。

いずれにせよ、

「●●民族の栄光の歴史」とやらも、安普請で低劣な方が人気があるというのは、あまりにホロにがい「現実」ですね。

という、タカマサさんによる評価には私も同感です(苦笑)。

物語に関するコメントがなされたので、物語を書いた(といっても余裕があったのではなく、寛大な協力者達のおかげでかかろうじて商業出版に到達できた)者として意見を述べたく存じます。

タカマサさんが引用なさった、「作品を高水準にしあげるためには、細部を徹底的にリアルにかきこんだうえで、おおきなウソをつくしかない。あちこちに『ありえんだろう…』というツッコミが可能なチャチなつくりだと、エンタテイメントとしてリアリティがなくなる」という指摘は至言だと思います。執筆当時および自著を振り返っての評価(下記ホームページの02/08/11参照)でも、とにかく必死になっているときには気づきませんでしたが、後になって振り返ってみると「まったくもってそのとおりだ。そこを気にしながら執筆していたな」と。(もちろん、注意した点が実際に克服できていたか否かは断言できませんが)

http://www.ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/hondat/news/fight014.htm

それにしても、ウヨクの描く物語は本当につまらないですね(いや、私が書いた物語がそれに比べて面白いと断言できる自負があるわけでもないんですが)。

誤解をうんだようなので、ちょっとだけ補足

■おふたりに、ご賛同いただき、うれしいかぎりです。
■小説家の発言というのは、引用ではありません。不正確な表現で誤解をまねいたとおもいます。あくまで、主旨ですので。■記憶ちがいでなければ、大沢在昌氏が、雑誌インタビューかなにかで、こたえたセリフでした。

■いずれにせよ、大衆のみならず、エリート層までも、マンネリズムがすきです。古典音楽やオペラ・バレエなど、微細な解釈しかゆるされない窮屈な定番がすきなのです。■この件は、高橋源一郎氏が、ベストセラーの本質として指摘ずみだったと記憶していますが、要は、ヒトが新規情報を、ミステリーやホラーのようなもの以外、不安としかうけとめないこと、最後は予定調和的におちつき、既存の世界観をゆるがさないながれを、もとめているという人間心理の本質的部分にたどりつくのだとおもいます。■なだいなだ氏は、民族意識を宗教だと指摘いたしましたが、宗教の主流部分が非合理への献身・忘我を不可欠の心理・姿勢としているとすれば、「国民という物語」が、自己批判精神にとんだ苦味ばしった知性の産物におちつく方が例外でしょう。ごつごう主義的に荒唐無稽な構成を平然ととりこまないと、スカッとしたストーリーになど、しあがりっこない。■まして、平時の総力戦体制維持のために、大衆動員を実現するためには、統合にふつごうな真実は、はぶかれ、あるいは ねじまげられると。
■それにしてもです。「わかりやすい」「もりあがる」といった理由だけで、くみたてられた物語が、エンタテイメントとして機能するためには、その水準によえるだけの知性の限界が不可欠です。■元気がでて、ほこりがもてる国史とかいって作成されたテキストが、「あちこちに『ありえんだろう…』というツッコミが可能なチャチなつくり」であるばあい、ゲンナリしかしないわけですから。『水戸黄門』あたりの時代考証完全無視のつくりは、「あれは、お約束だから」で、わらってすませられますが、国民史・民族史となれば、はなしは別です。■北朝鮮や中国などが展開している国定史観を荒唐無稽だとなじる人物の信ずるヤマト史・日本近代史の破綻ぶりは、中学高校から再三確認すべきだとおもいます。その意味では、以前扶桑社からでた歴史教科書にかぎらず、あらゆる教科書が、反面教師としてツッコミをいれるべきしろものです(再三のべてきましたが)。■しかし、残念ながら、そういった授業実践を展開できる教員は例外的少数ですし、必修と受験以外にほとんど履修動機をもたない生徒たちに、これら授業実践を知的エンタテイメントとして展開できるとなると、名人芸にあたるという、現実もあります。
■これら、すべてが、ゲンナリする「現実」だということ。なんとも、ユーウツな状況です。

『ジョージィのおとなりさんたち』の記事から

http://blog.goo.ne.jp/legacy_memo/e/0a2b9e8af5b97c21e1d1bdd283240874

……
<訴訟相手変更の勧め>
たった一つの「『命令なかった』の証言」さえも 日本の軍国化に利用しようと 教科書から 軍の関与 を削除した日本の 政府・与党(自民党・公明党)政権。

二人の守備隊長が 軍に逆らって 「自決するな!」 と云いながら 手榴弾 を渡したのなら、 国に証明して貰うのが良い。

<正偽の『旧日本軍』体質?>
旧日本軍は 自由な風潮で 個人の意志が尊重されており、 決して命を粗末にさせなかった。

軍幹部は 「生きろ!」 と命じていたが、 兵隊らがかってに 玉砕を繰り返し、 大本営は必死に止めたが 熱血溢れる若い兵士たちが 勝手に 特攻機で飛び立ち、 人間魚雷「回天」が海を進んで行った。 仮にもし本土決戦にでもなったときには 軍の命令を聞かない兵卒たちが 別名:湯たんぽ爆弾 を腹に巻いて、 敵戦車にぶつかっていくはずだった 等々..。

<戦争責任>
兵隊でもない 沖縄の民間人が多数犠牲になった 沖縄戦。 そして集団自決の地獄図 を見てきたはずだ。
二人の守備隊長が それでも 軍の関与はなく、 自分は無関係 だと言い張るのなら 戦後60数年経っても いまだ 日本(政府)の戦争責任は終結していない。 魂は休まる事が無い。


■こういったツッコミに対して、原告たちは、どうきりかえすつもりだろう。

ぜんぶ、ウヨクのせい

「ぜんぶ、フィデルのせい」(http://www.fidel.jp/)という映画をみたので、それにちなんでsubjectを名づけました。戦前においても見識が高く立派な主張をした人はいた、という事例と指定化に引用する。問題は、誰が(あるいは、どのような思想や言動パターンを身に着けた集団が)そのような人を迫害していったのか、ということである。

のちにまたふれるが、「幸徳(大逆)事件」で逮捕、死刑となった内山愚童も、「今の天子の先祖は九州のスミから出て、人殺しや、ごう盗をして、同じ泥坊なかまのナガスネヒコなどを亡ぼした、いはば熊ざか長範や大江山の酒呑童子の成功したものである。神様でもないことは、少し考へて見ればスグしれる」(「内山愚童と高木顕明の著述」)と書いている。
このように、天皇絶対神聖化の<教化>に真っ向から反対する勢力もそれなりにあったのだが、「大日本帝国憲法」発布後、「教育勅語」や国家神道体制が整えられるにしたがい、<教化>の実があがってくることになったのは、歴史が示すとおりである。
(『国家主義を超える』(阿満利麿・講談社)85ページ)

訂正

上記の「事例と指定化に」は「事例として以下に」の間違いです。

「無神論者なんだから祈る対象自体存在しないので抵抗せねばなりますまい!」と辞世もとい自省したばかりですが、この「タカマサのきまぐれ時評2」には神さま(笑)が降臨したことを思い出しました。上記(2008/03/28 21:05)に書き込みをした神様なら信じてみたい気がします。右派が書き込みすることも予知していたようですし。それにしても神さま、ウヨクのために労力を使うのは「労力を割くのはこれが最初で最後」であるのは良いとして、オイラのためにはもっと労力さいてくださいませんかね?オイラがヒヨ(日和)ってるからダメでつか?

「神」さまは、たぶん きまぐれ

博愛主義者ってのは、たぶん、聖職者のプロパガンダ、っていうか、かれらの利害のためにも、篤信の信仰者は平等に愛さないとまずいわけです(笑)。■でも、現実は、「なんで、こんなヤツがのうのうと、のさばるんだ?」「なんで、この おかたが、さきに いかれてしまうんだ?」って、理不尽ばっかりじゃないですか?
■ウヨク氏たちは、親鸞聖人の「悪人正機」みたいに、まよえるがゆえに、ヒツジとして、愛のほどこしがあるかもしれませんけど、自助努力できそうな御仁には、博愛ではなく、「薄愛」かも(笑)。■たぶんですね。信仰者むけに合理化するなら、信仰のたしかさを確認するために、理不尽だらけにして、ゆさぶりをかけているんですよ。愛情を確認するために、いろいろ知恵をこらす女性たちや幼児のように。だから、「神」さまは、あのように きまぐれと。

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