プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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挑発に怨念噴出 チベットの哀しみ ペマ・ギャルポ氏(産経)

■毎度かいているとおり、「産経新聞」の論調に賛同することは、ほとんどない(笑)。しかし、この記事は転載しておく意味があるだろう。■産経のMSN検索は、おりこめなさそうなので、ウィキペディアにかえてリンク。

挑発に怨念噴出 チベットの哀しみ ペマ・ギャルポ氏」(2008.3.21 22:26)

 中国のチベット族居住地域で騒乱が続発している。チベット自治区の区都ラサだけでなく、四川省など近隣の各省に住むチベット族も中国当局とぶつかっている。チベット族は今、なぜ、このような行動に出ているのか。チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世のアジア・太平洋地区担当初代代表を務めたペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授は21日、産経新聞に対し、中国共産党の支配下に入ったあとのチベット族の悲惨な境遇を振り返りながら、今回の騒乱に至る経緯などを、説明した。

 ▼チベット族釈放要求

 今回の騒乱は3月10日から始まった。1959年、ダライ・ラマがインドに亡命することになったチベット決起(動乱)からちょうど49年にあたるこの日、ラサでは、僧侶たちが平和的にデモを行った。それが、死者99人(チベット亡命政府発表)を生む騒乱に拡大した。

 中国の温家宝首相は、ダライ集団が背後で糸を引いた「計画的」な騒乱と主張している。だが、報道された映像をみると、僧侶は素手で店を壊したり、石を投げたりしていた。計画的であれば何らかの武器を持っているはずだ。むしろ当局側の挑発行為があり、民衆が興奮したのが事実だろう。

 3月10日のデモは毎年、中国国内のチベット族、海外のチベット人亡命者で行われている。だが、今年はこれまでのデモと違う点が3つあった。


 昨年10月、ダライ・ラマは米議会から「議会名誉黄金章」を受章した。チベットでは祝賀会が全土で行われたが、この際、多くのチベット族が当局に逮捕された。今回のデモは拘束されているチベット族の釈放を求めることが目的のひとつだった。
 ≪五輪を政治利用≫

 今年開催される北京五輪のため、中国政府がチベットを「政治利用」していることに対する抗議の意味も強い。聖火リレーがチョモランマ(英語名エベレスト)を通過するのはチベットが中国の一部であることを誇示するためだ。チベット人にとっては、それぞれの山に神がいる。山に登られること自体、抵抗がある。五輪のマスコットに使われているのはチベットの動物であるパンダとチベット・カモシカだ。チベットにおける植民地支配を正当化するために、オリンピックを政治の道具にしている。

 ラサまでのびる青蔵鉄道の開通により、チベットへの「経済的侵略」が明確になってきたことに対する反発もある。鉄道開通によりコレクターらが文化財である寺院の骨董(こっとう)品や床の石などを買いあさっていく。だから、中国人の店が抗議対象になった。

 また、チベットは希少金属などの鉱物資源も豊富だ。鉱物資源は青蔵鉄道で運ばれているともいわれている。鉄道は軍事的な目的も大きい。中国はソ連解体時、ミサイルを列車に乗せる技術を入手したといわれている。

 中国政府は五輪開催が近づいてから問題が起きるより、3月10日のタイミングを使って、捕まえるべき人を捕まえようとしたのではないか。そのために、平和的なデモに対して挑発的な行為に出て、騒乱を引き起こしたと考える。

 中国政府は暴動のシーンを発信することで、「仕方なく騒乱に対処するのだ」との印象を世界に与えようとしたのだろう。だが、チベットには観光客がいた。IT(情報技術)も発達していた。中国が伝えようとしたことと異なる事実が世界に流れた。


 ≪雰囲気一転≫

 私は53年6月、現在の四川省の甘孜(ガンズ)チベット自治州で生まれた。父はもともとは藩主ということもあって、51年に北京政府と結んだ条約に基づいて、県長にもなった。中国側は、私のことを「藩主の子」と呼んでかわいがってくれた。家に毛沢東、劉少奇、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマの4人の写真が掲げられていたのを覚えている。人民解放軍の兵士たちも一生懸命、人を助けたり、私にもあめ玉をくれたりしたことがある。

 ところが、それがある日、雰囲気ががらりと変わる。子供でも、毛沢東の写真に、傷を付けたりして喜ぶようになった。

 私の村では水道がないので、水を川からくんでくるのが、女の子の日課になっていたが、中国軍に届け、乱暴されたことが何回かあって、それがきっかけで、摩擦が起きた。そこで村民が立ち上がった。

 ■中国指導部 決断の時

 ■交渉相手 ダライ・ラマだけ

 それは1958年ごろだったと思う。逃げながらラサまで行った。何度か、追っ手の中国軍と戦い、村を出た当初は200人の大きな集団だったが、インドにたどりついたときは20人ぐらいになっていた。後から聞いたら、残ったおばあさん2人と兄2人は、餓死したり、射殺されたりしたらしい。

 人々の話では、一番つらかったのは、人民裁判で、奥さんがだんなさんを、子供が親を告発したりしたことだという。人民裁判では、殴ったりしなければならなかった。

 私の父には、妻が2人いた。つまり私には母が2人いた。年下の母は共産党に非協力的で、騒乱を起こしたうちの一人だ。

 その下の母にはそっくりのいとこがいて、(中国軍は)その人を殺し、見せしめにした。下の母を捕まえ、処刑したように見せかけたらしい。

 80年5月、パンチェン・ラマと北京で会ったとき、一番つらかったのは刑務所で人としゃべれなかったことだと言った。彼は19年間、独房に入っていたので、私たちと会ったときも言葉がたどたどしかった。

 チベット全土では、家族が全員そろっている人はいないと思う。必ず、誰かが犠牲になっている。

 ≪住職・檀家の関係≫

 中国はあれだけ広いのに、北京の時間で国を統一している。チベットと中国は、2時間半から3時間の時差がある。しかし、北京の時間がチベットに適用されているので、チベットではまだ明るいのに、夕食を食べなくてはいけない。これが現実で、いかに北京中心の価値観が押しつけられているかということだ。

 チベットの面積は中国全体の960万平方キロメートルのうち、250万平方キロメートル。チベット人居住地域にはチベット自治区とかチベット自治州とか、「自治」という言葉がついている。

 チベットは2100年以上の歴史を持つが、チベット人が一番誇りに思っているのは吐蕃(とばん)王朝(7世紀ごろから9世紀中ごろ)の時代だ。チベットが中国にかいらい政権をつくっていたこともあった。

 中国とチベットはお互いに、仲良く過ごした時代もある。最も仲が良かったのは、元の時代である。それから、明、清の時代と続くが、この時代はたとえば、ナポレオンが皇帝になっても、ローマ法王の認知と後押しがなければ、国民に対して正統性をもてないように、中国の歴代皇帝とダライ・ラマもそんな関係に似ていた。檀家(だんか)(中国)とお寺の住職(チベット)の関係だった。

 檀家が偉いか、住職が偉いかは時代によって違うが、チベット側からすれば、自分たちの方が聖職で偉いと思っていた。こうした関係は1900年代まで続いた。

 30年代、チベットには中国の支配が及んでいなかった。その証拠に、日本と中国が戦争したときに、チベット人は中国からかり出されなかった。49年に中華人民共和国が成立すると、朝鮮戦争のどさくさにまぎれ、人民解放軍がチベットに入ってきた。

 ≪権威、いまだ健在≫

 中国政府は、今回のチベット騒乱を押さえ込んで正常に戻ったと言っているが、実際にしているのは、戦車を町に巡回させ、公安当局が疑わしい人物を捕まえることだ。これが世界中に知られれば、波紋を呼び、問題となるだろう。チベット族の運動の火山帯は活発であり、今後、どういうきっかけで何が起こるかは予想がつかない。そうならないためにも、中国政府は一日も早くダライ・ラマと真剣に対話すべきだ。

 チベット側に、ダライ・ラマが重視する対話などの穏健路線に不満を持っている人がいるのは事実だ。しかし、最終的にはダライ・ラマに逆らうわけにはいかない。ダライ・ラマの権威は、いまだに健在といえる。

 中国政府はダライ・ラマの悪口を言っているが、もしダライ・ラマに何かがあれば、中国政府は交渉相手がいなくなるということを真剣に考えるべきだ。ダライ・ラマの下で問題を解決できれば、後遺症を残さない軟着陸が可能だ。

 ただ、中国側との話し合いがうまくいっていないのは、中国指導部のなかに完全に強い人がいないためだ。これまでの話し合いのなかで、かなり具体的な話はできているが、それを実行するには決断が必要だ。その決断ができないから、話し合いを引き延ばしたりするのではないか。

 もしかすると、中国指導部は現場の状況を把握していないのかもしれない。胡錦濤総書記(国家主席)は昨年秋の中国共産党大会で2期目を迎えたが、彼が力を持てば、チベット情勢は変わるかもしれない。

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ダライ・ラマ14世自身が、単なる宗教指導者であるにとどまらず、実に政治的なうごきをくりかえしてきた。たとえば、ウィキペディア「CIAとの関係」という記述で、

1998年10月2日には、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てがわれた。長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった[30]
としるされている。
■心理学者レオン・フェスティンガーが提唱した「認知的不協和」理論を政治的心理に応用するなら「敵の敵は味方」。中国共産党政権を敵視するCIAは、チベット仏教界にとって、味方にうつっただろう。それをせめるのはヤボというものだ。■イランをふくめた「イスラム共和制」のような神権政治(宗教指導者たちによる集団指導体制)をみればわかるとおり、欧米や日本などのような近代的な世俗的共和制は、別に自明ではないのであって、宗教的権威と統治が未分離な空間はたくさんある*

* 共産党政権のイデオロギーにとっては、宗教者たちによる不当な支配にみえるだろうが、すくなくとも既存のコミュニズム政権は神権政治といわれてもしかたがない本質をかかえている。

■それはともかく、ペマ・ギャルポ氏も、国際政治学の学究というよりは、国会議員選挙にかつがれるなどもふくめて、政治の実践者の色彩がこそうだ。

慰安婦問題に対しては日本の責任を完全否定する立場であり、2007年7月13日に米大使館に手渡された日本文化チャンネル桜主導の慰安婦問題に関する米下院決議案の全面撤回を求める要望書にも賛同者として名を連ねた[1]

なんて言動は、あきらかに日本の右派と連動するかたちであり、チベット擁護派の主力が反中国派であることと、ぴったりかさなっているだろう。■『産経新聞』に、これほど本格的な論評をかく機会を提供されること自体、亡命者をかくまって援助しつづけてくれたのが、日本の右派だったという、戦前の国士系右翼のうごきと、そっくりかぶさる(決して単純な再演ではないが)。

■しかし、これらの政治的背景をわりびいても、氏の観測は、かなり妥当なのではないか? ■北京オリンピックが政治化するのがさけられないなら、チベット民族主義を刺激し挑発することで、有力な政治指導者や民間の活動家たちを、ねこそぎ拘束して運動をひねりつぶす好機だとふんで、ハイリスク・ハイリターン戦術にうってでたと。■つまり、今回のチベット暴動の当初は、共産党政権のシナリオどおりなのかもしれない。しかし、氏のいうとおり、旅行者とインターネットの世界へに影響力を過小評価していたと。
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