プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

沖縄米兵暴行事件で日本を問う(野村浩也氏インタビュー:朝日)

■もう、だいぶたってしまったが、『朝日』の広島版のインタビュー記事。■「野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』」シリーズの関連記事。

沖縄米兵暴行事件で日本を問う2008年02月27日


野村浩也
「日米安保条約を維持するなら、沖縄の米軍基地の
本土移設を」と話す野村浩也広島修道大教授
=広島市中区で

 沖縄で米兵による犯罪が相次いでいる。日本政府と米軍は「再発防止策」を発表したが、そもそも生活圏内に在日米軍基地が集中し、兵士と隣り合わせで暮らす沖縄の人々の現実がある。「ことの本質は、沖縄に基地を押しつけてきた日本人の無意識にある」。13年前の少女暴行事件を通して本土の加害性を鋭く指摘してきた野村浩也・広島修道大教授に、事件の受け止め方などを聞いた。(武田肇


――今月中旬、米兵が女子中学生の強姦容疑事件で逮捕されました。


 「沖縄に『ちるだい』という言葉があります。虚脱、疲れたといった意味が交ざっています。絶望感と言い換えてもいいかもしれません。犠牲になった少女は14歳、つまり小学生の女児が沖縄で米兵に暴行された事件が起きた95年ごろに生を受けました。結局この13年間、何も変わらぬまま、また沖縄の新しい世代が犠牲になったということです。根っこにあるのは日本人と日本政府が国土の0・6%、人口1%の沖縄に在日米軍基地の75%を押しつけて基本的人権を奪いながら、無自覚でいる構造です。私はそれを『無意識の植民地主義』と呼んでいます」


――無意識の植民地主義とは。


 「太平洋戦争中、沖縄は国体護持の『捨て石』として多くの住民の命が奪われ、いま沖縄島の約2割を米軍基地が占めています。私自身、基地の金網を見て育ち、日常的に人殺しの訓練をしている米兵から逃げ場所のない状況に沖縄人が置かれていると肌で感じてきました。そうした植民地状態を沖縄に強いているのは米国の都合もありますが、それ以上に、その政策を推し進め維持し続けている政権を日本人が民主主義で選び取ってきた結果です」
 「にもかかわらず日本人には沖縄に圧倒的な不平等を押しつけているという意識が希薄です。沖縄人を同じ人間として対等に見るならば、基地を置く根拠となっている日米安全保障条約を廃棄するか、基地の移設を真剣に考えるはずなのに、どちらも実行の気配さえない。日本人の無意識の中で沖縄を収奪し、差別する構造が固定化されていると言えます」


――地政学上の観点から、沖縄に在日米軍基地を置くのはやむを得ないという議論もあります。


 「米国の高官は沖縄の米軍基地の本土移設が可能なことを表明しており、地政学上、戦略上の理由だけで沖縄への基地集中を正当化することはできないと考えます。そもそも沖縄への基地集中は日本政府の承認によってなされたことです。やろうとしていないだけで、日本人の政治的意思によって拒否することは可能なはずです」


――国は米軍岩国基地(山口県)に空母艦載機を厚木基地(神奈川県)から移転する再編計画を進めています。


 「日本人が日米安保条約の維持を選択するならば、基地負担は各都道府県が人口比か面積比に応じて均等に背負うべきだと考えます。当然、沖縄の基地の多くを本土に移設すべきだという主張になりますが、岩国市やその周辺の住民はすでに基地負担を背負っており、これ以上の犠牲を強いるのは間違っています。まだ基地負担がない地域に移転すべきです」
 「日本政府が露骨な『アメとムチ』の政策で岩国に新たな基地負担を押しつける構図は、米軍基地を置くことで地域経済を破壊しながら、あたかも救世主のように補助金や交付金を差し出し、さらなる基地負担を押しつける、沖縄で何度も繰り返された手法と重なり憤りを覚えます。ただ、本土は基地が圧倒的に少ないためか、報道を含めた世論の注目度が沖縄の基地問題に比べて高いようにも感じます」


――米軍基地の本土移設は摩擦を招きませんか。


 「沖縄にも『自分たちの痛みを本土に押しつけるわけにはいかない』と主張する人が少なくありません。それは人間的なやさしさである半面、今のままでは沖縄の子や孫の世代に痛みを押しつけ続けることになるという重要な視点が欠落しています。その結果こそ、今回女子中学生が犠牲になった事件にほかなりません」
 「基地を本土に移設することで起きる摩擦は大問題になるのに、沖縄に基地を押しつけ続けることで起きる摩擦があまり本土で問題にならないのはどういうことでしょうか。巨大な軍事的暴力と同居させられているいまの沖縄は事実上、平和憲法とされる日本国憲法の恩恵もない状態です」


――どうすべきでしょうか。


 「本土で在日米軍基地反対、安保反対闘争が激化した50~60年代、本土にあった米軍基地が次々と沖縄へ移設され、その後、
闘争は沈静化しました。基地の負担がよそに移れば解決だという意識が本土の運動側にもなかったかどうか。同じことは程度の違いはあれ、厚木基地と岩国基地周辺の住民の関係でも起こりうることだと思います」
 「米軍基地を背負うことはベトナムやイラク、アフガニスタンなど他国で人を殺す加害性をもいや応なしに背負わされることです。少女暴行事件は直接手を汚したのは米兵ですが、沖縄に基地を集中させてきた日本人も共犯者です。反発を覚悟のうえでそう言い切るのは、今度こそ日本人に、いまこの瞬間も沖縄を傷つけ犠牲を強いていると自覚してほしいからです。米軍基地の本土移設が現実味を帯びたとき初めて、日本人は日米安保の是非を真剣に考えるのではないでしょうか」



 《ひと言》 今月初め、04年夏に米軍の大型ヘリコプターが墜落した沖縄国際大学宜野湾市)を訪れた。ヘリは校舎脇の芝生で爆発・炎上し、周辺の住宅地にも無数の破片が飛び散ったという。のどかなキャンパスがいつ地獄絵図に変わるかもしれないと想像すると、在日米軍基地は命の問題だと改めて感じた。日米安保条約は日本国民全体の意思決定でなされたのに、基地は沖縄に集中させられ、本土側はそうした加害責任さえ認識していない――。野村教授の「劇薬」とも言える分析の背景にはこの国に対するいらだちがある。沖縄以外の日本国民の意思=政府の政策という論の立て方や、安全保障を中心に日本が米国に主導権を握られているように見える力関係などを考えると、野村教授の主張に違和感を覚える部分もあるが、沖縄でどんなひどい事件や事故が起きても「ひとごと」で済ませてきた(済ませられる環境にいる)自分自身について深く考えさせられた。

-------------------------------------------
■「沖縄以外の日本国民の意思=政府の政策という論の立て方や、安全保障を中心に日本が米国に主導権を握られているように見える力関係などを考えると、野村教授の主張に違和感を覚える部分もある」て、具体的にはどう感じているわけ? ■それが整理してかたれないんなら、このインタビュー記事は反面教師という機能しかはたさない。つまり、所詮「ひとごと」でしかない朝日のエリート記者って意識は、全然ゆさぶられていない。「沖縄でどんなひどい事件や事故が起きても「ひとごと」で済ませてきた(済ませられる環境にいる)自分自身について深く考えさせられた」なんて抽象的ないいかたしないで、どうかんがえたのか、具体的に整理してみなよ。それが、記者さんらしく明快にかけないんだったら、この取材は、ほんとに「反面教師」。「深く考えさせられた」なんて、偽善的なセリフをはいて、どうせわすれてしまうような人物(優等生的ヤマトゥンチュの典型例)だってことの露呈だ。


●日記内「植民地主義」関連記事
●日記内「安保体制」関連記事
●日記内「米軍基地」関連記事
●旧ブログ「植民地主義」関連記事
●旧ブログ「安保体制」関連記事
●旧ブログ「米軍基地」関連記事
スポンサーサイト

テーマ : みんなに紹介したいこと - ジャンル : ブログ

タグ : 植民地主義 安保体制 沖縄 米軍基地 ナショナリズム ハイパー独裁

<< 桐山襲(きりやま・かさね)17回忌 | ホーム | 中国 記者排除後に鎮圧作戦か(共同) >>


コメント

排他主義がらみの偽善的セリフといえば…

帝国に関する著書のあるアントン=ハイセル…もといアントニオ=ネグリ氏の訪日が中止になった旨を『毎日新聞』(2008年3月22日朝刊8ページ)が「法務省から『政治犯だったと証明する資料を出してほしい』と要求され」、その行為の意図について「同省は『個別案件には答えられない。ビザ申請を取り下げたと聞いている』と語るが」、「もっと柔軟であるべきだと私は思う」とのべる、上記記事の編集委員にわたしも同感である。…という偽善的なセリフをはいて、この書き込みをした数分後に上記記事をねこそぎわすれてしまうのはダメダメですか?

追伸

追伸。そもそも帝国を論じている論客を排除しようとしている点が注意にあたいするでしょうね。

紙面をよんでいないので、なんとも…

■ネグリさん釈放されていて、政治犯ではないはずですね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AA ■法務省の姿勢が不可解。
■紙面をよんでいないので、毎日の編集委員氏の意図もよくわかりません。
■なので、貝枝さんのご質問にも回答不能と。

■安保体制のことを直視できないヤマトゥンチュというか、そのことを自覚できていない新聞記者ってのは、こういったインタビューをしていること自体、偽善的なわけですが(自覚がないから、読者水準にぴったりあった、しょーもない質問がくりだせる)、貝枝さんが、どういった感覚で共感したかにかかわらず、ちょっと文脈がズレるとおもいます。■安保体制は、ひごろの投票行動や言動で、当事者そのものですから。

いや、そもそも上記記者氏のような態度は偽善的であるということはみとめているわけです。なので私もわざと「ダメダメ」な態度をとって道化を演じたつもりなんですが…
ネグリさんの件については、排外主義全般の問題にとどまらず帝国を論じた人間をことさら危険視しているかのような態度が(確約はないですが、そうした政治的判断があるかもしれないという疑念を払拭しきれないので)ますます問題なわけで、そのうえでなお「柔軟であるべき」などという一般論しかかけないのなら、それは非常に偽善的であろう、という事例としてあげたつもりなのです。
ただ、おっしゃるとおり、安保体制とは政治的な意味あいがちがうんでしょうか?私は、日本国内の帝国主義(しかもアメリカの属国であることでかろうじてたもたれているショボイ三流帝国主義)を論じられることを恐れての政治的な判断であれば、質的に近いようにも感じるんですが、それは私の感覚がまちがってるんでしょうかね?

2つの次元で異質かと

■ダメ男キャラを演じたのは了解できていたのですが、「三歩あゆんで、食事わすれる」式の「オフライン=忘却」って問題と、朝日新聞の武田肇記者が「広島修道大教授に、事件の受け止め方などを聞いた」という政治的行為が、広島県版として記録化され、ウェブ上にキャッシュとして半永久的にのこるという意味の問題とは、異質だとおもうんです。■媒体の政治性・意義の大小ですね。

■それと、話題の次元として、安保の問題と、思想家の入国問題の双方に、アメリカ帝国のカゲをみてとることは可能だし、ひょっとすると図星かもしれません。しかし、後者はウラとりがいまできていない。ネグリさんが入国できなかったからといって、難民のうけいれみたいな人権問題とはいえないし、ネグリ氏入国断念によって、日本の思想界・社会運動が停滞するといったものでもない(笑)。

ご指導ありがとうございます。

ご指導ありがとうございます。大変勉強になりました。

「指導」なんて、おこがましいことは、なしですが

論点整理は、徹底する必要があるとおもいます。
■きくみみもたないネットウヨとか、日中のかぎらず、こまったさんナショナリストの実例には、ことかきませんが、ほとんどの論拠は、事実誤認と先入観に起因しておりますから、まずは事実確認によって冷静になることかと。
■もっとも、日本政府が沖縄の米軍基地問題に「冷静になる」とか、中国政府が、チベット問題ほかに「冷静になる」ことはほとんどありないので、「事実確認」自体が回避されつづけるでしょうが…。

旧日本軍の戦隊長の悪あがき

ノーベル賞作家・大江健三郎さん(73)の著作「沖縄ノート」などで、第二次世界大戦の沖縄戦で集団自決を命令したとの虚偽の記述をされ名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の戦隊長らが大江さんと出版元の岩波書店に対し、出版差し止めと慰謝料2000万円の支払いを求めた訴訟の判決で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は28日、請求を棄却した。深見裁判長は「隊長の関与は十分に推認される」とし、名誉毀損にはあたらないろ判断した。また、当時の状況などから「集団自決には旧日本軍が深くかかわった」と認定した。(『毎日新聞』2008年3月28日夕刊1ページ)

そもそも、戦後においてさえ「東京大空襲の総指揮官であるカーチス・ルメイ将軍に、日本政府は昭和三十九年、航空自衛隊の強化・育成に功績があったとして勲一等旭日大綬章を授与した」(『サンデー毎日』2007年7月15日52ページ)のであるから、戦時中の住民虐殺に旧日本軍がかかわっていなかったかのような訴訟をおこすこと自体が世界中への恥さらしである。もちろん、日本などという「創造の共同体」(アンダーソン)の恥など本質的にはどうでもよいが、日本に関連のある社会的・生物的弱者(女性・子ども・障がい者)にしわよせがくるので、放っておくわけにもいくまい。

ネタとしてどうぞ

ネタとしてどうぞ。

「愛国戦隊大日本」

http://www.youtube.com/watch?v=Ky5Bszw7L5s

新規記事更新と、いれちがいになりましたが

■右派の相当部分は、「はじしらず」の「責任転嫁」野郎たちだとおもいます。■新規記事でもかきましたが、この訴訟をナショナリストたちが、とめようとしなかったらしいというのが、おどろきです。
■しかし、小生も旧ブログでふれたルメイ少々叙勲ばなし(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1509)にもあるとおり、「真珠湾空襲に大きくかかわった源田実は当時この勲章授与を賞賛した」というですから、ナショナリストたちの守備範囲は、明確に「国体」であって、「国民」ではなかったということでしょう。■こんな連中に期待をかけた国民たちは、時代の限界とはいえ(共産圏の人民同様)、アホというべきでしょう。■新生日本軍は、今度こそ自分たちの生命・財産のために、決死の覚悟でがんばるだろうと、かんがえているらしい国民も、知性をうたがいますが。
■旧ブログでも「国体」問題は、だいぶかきました。(http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%8D%91%91%CC%81@site%3Ahttp%3A%2F%2Ftactac.blog.drecom.jp%2Farchive%2F&btnG=%8C%9F%8D%F5&lr=)■なかでも「潮匡人,常識としての軍事学」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/251)で紹介したとおり、「本書は軍事官僚が軍隊組織を合理化するイデオロギー装置の典型だが、あっけにとられるぐらい バカ正直に ホンネがむきだしの箇所が、いくつもみつかる。■その典型は、「守るべき國體とは何か」(pp.187-9)。そこには、軍隊の本務は国民の生命・財産をまもることではないと断言されている。それは警察・消防の任務だと。■では、自衛隊=日本軍のまもるものはなにかといえば、「掛け替えがない」存在としての、「皇室伝統」をはじめとした「日本の國體」なんだとさ。おいおい。いきなり「かみがかり」するなよ。具体的にこたえることをさけるのも、よせよ。■自衛官がいのちがけでまもるものを、かんがえるのは日本人の責任であり、それなにしには戦略的思考とはよべないと? ふざけるのも、たいがいにしてほしい。■「掛け替えがない」存在としての 国民国家の永続理念に殉ずる兵士=臣民の存在は、ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』などで、といたとおり、近代の国民国家に普遍的な存在だろう。■また、資本主義の実態は、個々人を、つぎつぎ補充可能な「流体としての労働力」として、むさぼりつづけてきた。■しかし、20世紀後半の先進地域で、国王一族や政府要人など、ごく一部の例外=「掛け替えがない」存在をのぞけば、生命も財産も、国軍の保護対象としては二の次だ、などといった放言は、ゆるされまい。…」などと、軍官僚のホンネはロコツです。■安保条約が、日本列島の住民・財産をまもることが趣旨ではないこととならんで、このヘンを「現実主義」を自任する保守派のひとびとは、直視してほしい。

多文化・多民族・多国籍社会で「人として」

「植民者」として「ポストコロニアリズムという挑発」に吹っ飛ばされる

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/178126/61333/50379543/list_comments
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/178126/61333/50379543

現実原理主義を超えて

(コメントは)ご無沙汰しています。見にはきているのですが。
トラックバックの確認かたがたご挨拶。

安保廃棄が無理でも 沖縄の基地は県外移転。たとえば冷戦時代に北海道に基地を移すというのは、ソ連を刺激するから別の問題を巻き起こすでしょうが、今はそういうファクターはない。

「中国の脅威」にしても、いろいろな関係性の中で「脅威」なのだから、「アメリカ軍基地の現在の能力」という一部分を、全体の上に所与条件としておくこと、そのものが思考の転倒ではないのかなあ。

これまでの議論は現実的な対応といいながら、安保至上主義という原理主義的思考に思えます。

優等生で 自分の加害者性が、全然自覚できていない記者

kuronekoさま

■タイムリーなコメントありがとうございます。

■「現実的な対応」=「安保至上主義という原理主義的思考」というのは、おっしゃるとおりですね。自民はもちろん、民主の大半の議員も、この次元の思考で停止しているはずです。松下政経塾出身者あたりは、大体こうだとふんで、まちがいないでしょう。■かれらは、アメリカの ズルがしこい連中に、直球勝負は無意味、という点だけ「現実主義」なのですが、計算は、そこまでで、とても「友愛」を実現できるような計算までは、たちいたりません。おなじ偽善をやらかすにしても、オバマたちとは、格がちがうでしょう。

■「米軍基地の本土移設は摩擦を招きませんか」「どうすべきでしょうか」といった、質問を、野村さんのような人物にぶつけてしまえる、おどろくべきナイーブさ、というか鈍感さ。これこそ、自民・民主あたりを取材によっておいつめることができない朝日あたりの体質を象徴しているとおもいます。■おそらく、被爆・反核問題あたりなら、もうすこし、お勉強できるんでしょうけどね。広島で修行するうちに。

『第2考古学 2009』から

http://2nd-archaeology.blog.so-net.ne.jp/2009-10-22

野村2008「文化的暴力としての政治的誤読と精神の植民地化」 [論文時評]
野村 浩也2008「文化的暴力としての政治的誤読と精神の植民地化」『「文化」と「権力」の社会学』河口和也編、広島修道大学研究叢書第140号:49-89.

本ブログでも取り上げた野村2005『無意識の植民地主義』【2006-4-11】に対する論評(野村氏は「書評」に値しないために「エッセイ」としている)に関する分析である。

「いずれにせよ、精確な読書もできない者に関しては、こちらも手のほどこしようがないので、通常は放っておくしかない。それにもかかわらず、攻撃の言説として安里の「エッセイ」を分析することに意義があるとすれば、拙著『無意識の植民地主義』で提起した理論的命題や仮説を支持するデータとしての重要性につきる。安里は、意図せざる結果として、拙著を精読した者からはけっして得られないような貴重なデータを提供しているのである。
つまり、「精神の植民地化」「アンクル・トム」「共犯化の政治」「加害者の被害妄想」「加害者の被害者化と被害者の加害者化」「文化の爆弾」「劣等コンプレックス」「愚鈍への逃避」等の概念によって拙著で展開した分析の妥当性を、安里は、頼みもしないのにみずから証明してくれているといっても過言ではないのだ。いいかえれば、安里の無意識の植民地主義が、まったく無防備な形で露呈しているのである。それは、拙著を精読した者にはとうてい不可能な無防備さともいえるだろう。」(51.)

なぜ攻撃的な言説がなされるのか?

「このように、安里が拙著を呪詛するのは、拙著が「ホントのコト」を記述しているからである。日本人が沖縄人に米軍基地を押しつけていることが「ホントのコト」だからである。さらには、安里と親しい日本人が沖縄人に基地を押しつけていることもまた「ホントのコト」だからである。しかも、その「ホントのコト」を、安里が直視できないからである。そして、「ホントのコト」を否定したいという欲望が強烈だからこそ、安里は、拙著を呪詛するほかないのだ。」(61.)

「ホントのコト」に対して論理的に反論できなくても、心情的には反発する。
こうした感情的な反発に関する分析としては、秀逸である。

「そもそも「ホントのコト」を述べる者さえいなければ、このような窮地に追いこまれることもなかったのだ、と。「あいつさえいなければ、うまくいっていたのに」、と。こうして拙著に対する呪詛の感情が発生するのである。これは、要するに、「逆ギレ」である。」(61.)

私も、「逆ギレ」された経験がなくはない(滅多に二重否定といったレトリックは使わないのだが、この場合はこれが相応しいような気がする)。しかし野村氏とは、立場も深刻さもレベルが違うだろう。「逆ギレ」された当時は何が何やら判らずに面食らうばかりだったが、しばらく時を経るにつれ「逆ギレ」した人が何故「逆ギレ」したのか、何を守りたかったのか、おぼろげながら窺い知ることができるようになってきた。普通は、「お互い大人なのだから」とか「中庸の和」とか言って、こうしたことは深く追求されることもなく殆ど表沙汰にはならない。だからこそ、「逆ギレ」を受けた時の心構えというか対処法として大変貴重な分析事例である。

「逆ギレとは、「ホントのコト」を否定するための攻撃にほかならないのである。」(63.)

反論はできないが、反撃はしたい、というのが相手の心情なのである。
こうした場合に、建設的な議論は殆ど不可能である。相手の心情と共に自らの心情をも冷静に分析する精神が必要である。その為には、場数を踏むといった経験や修練の場も必要であろう。
まずは逆ギレと真っ当な批判とを見極めることが大前提である。そして、誰が誰に対して、どのような点において「逆ギレ」しているのか、それはどのようなことが原因なのかを、見極めることが求められている。

「拙著で日本人に提起した「基地を日本に持って帰れ」という平等要求は、この現実の認識を拡大する契機を含んでいるがゆえに、逆ギレ攻撃を招きやすいといえよう。
なぜなら、この平等要求は、沖縄人に75%もの在日米軍基地を押しつけているところの日本人の不当性についての認識を前提としているからである。在日米軍基地は、本来、日本国民全体で平等に負担しなければならないものであり、沖縄人に対する一方的な押しつけは不当な差別にほかならない。そして、「良心的な日本人」を含むすべての日本人が、沖縄人に基地を押しつける差別を実践し、沖縄人を植民地主義的に搾取することによって、不当にも、在日米軍基地の平等な負担から逃れているのだ。したがって、日本人に対して基地の平等な負担を要求することは、沖縄人の当然の権利にほかならない。沖縄から日本への米軍基地移転は、日本人が沖縄人への基地の押しつけという差別をやめて、沖縄人との平等を実現するための、まったくもって正当な方法なのである。」(65.)

普天間移設問題は、八ツ場ダムや高速道路無料化やJAL支援や消えた年金や25%削減とは比べようもない、「日本」という国家にとって最重要の懸案事項である。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


差別と「県外移転」の強化週間にしよう

 どうも、タイトルに「差別」と入れるとアクセス数がアップするような。それとも久しぶりにコメント欄でごんさんとやり取りしたので、「あれはどうなった?」って見物に来る人が多かったのかな。  「差別」については、話を関連させてもう少し考えていきたい。また、...


 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。