プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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イラク戦争開戦5年

■イラク戦争が開始されてから5年たつ(地下鉄サリン事件から13年にもあたるが)。■ウィキペディアの「イラク戦争」の最新版を一部転載【リンクは取捨選択】。


開戦理由
……国際法的には開戦の理由はイラクが無条件査察を認めないことであって、大量破壊兵器が存在することではない。 なお米英側が勝利宣言を行った後の2004年10月、アメリカが派遣した調査団が「イラクに大量破壊兵器は存在しない」との最終報告を提出。大量破壊兵器の情報の信憑性も薄いものであったことが明らかになった。

また、後に元財務長官のポール・オニールが「政権開始当初からイラク戦争の計画はあった」と「暴露」[11] したほか、開戦時のCIA長官だったジョージ・J・テネットも「ブッシュ政権内でイラク開戦前に同国の差し迫った脅威について真剣な協議は行われなかった」と自著で証言している。さらに、ジョセフ・ウィルソン元駐ガボン大使が2003年7月6日付けのニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した記事に端を発したプレイム事件によって、ブッシュ政権がイラクの脅威に関して意図的な情報操作(フレームアップ)をしていた疑惑が濃くなっている。

ブッシュ政権は、「イラクの無条件査察の拒否に対して開戦したのであって大量破壊兵器が存在するために開戦したわけではない」と主張しているが、この戦争の正当性が根底から大きく揺らいでいると一般には思われている。

2008年3月、国防総省は正式に「フセインとアルカーイダの関係を示す決定的証拠はない、認められるのはパレスチナ武装勢力との関係のみ」とする報告書をまとめた。なお、報告全文は当初インターネットでの公開が予定されていたが、直前になって突如文書頒布のみに切り替えられた。

戦争の経過はイラク戦争の年表も参照。
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■まったく、異様な経緯ではじめられたことが、よくわかる。■つづきも引用。


戦争の名称
戦争の名称は、戦争の場となった地名を付けるのが一般的だが(朝鮮戦争、ベトナム戦争など)、イラク戦争という名称はアメリカ合衆国の立場からイラクを敵対視する一方的な態度であるという意見もあれば、慣例であるとして否定する考え方もある。また、戦争に至った経緯を考えて第2次湾岸戦争と称する場合もある。

また、大規模戦闘終結宣言はアメリカ側が一方的に行っているが、終戦宣言は現在まで行われた事は無く、イラク戦争自体の定義に混乱が生じている。この問題を背景にしてかウィキペディア英語版では、2003年の戦争を 2003 invasion of Iraq=2003イラク進攻としており、現在の戦闘状況は Post-invasion Iraq, 2003–present=ポスト・イラク進攻 2003-現在と称し、合わせて Iraq war=イラク戦争としている。

……

開戦までの経緯
……
(詳細はイラク武装解除問題を参照)。

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件は世界に衝撃を与えたが、この攻撃によってアメリカの世論は一気に保守化し、この年に大統領に就任したジョージ・ウォーカー・ブッシュは世論を後押しに、報復としてアフガニスタンを攻撃した。ブッシュ政権はこの戦争を「対テロ戦争」と名づけて、アメリカの対外政策の柱とした。

アフガニスタンでの軍事行動は非常に順調に行き、ブッシュ大統領は2002年初頭の一般教書演説において悪の枢軸発言を行い、イラク、イラン、朝鮮民主主義人民共和国は大量破壊兵器を保有するテロ国家であると名指しで非難した。特にイラクに対しては、長年要求し続けた軍縮の進展の遅さと、大量破壊兵器の拡散の危険を重視し、02年に入ってから政府関連施設などの査察を繰り返し要求した。イラクはこれに応じ、4年ぶりに全面査察に応じたものの、アメリカは納得のいく結果ではなかったと非難。イラク側は2003年2月14日から2月16日にかけてカトリック教徒のターリク・ミハイル・アズィーズ副首相がバチカン、イタリアに渡りローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と会談するなどして必死に戦争回避を国際社会に訴えたが最終的に2003年3月17日、ブッシュ大統領はテレビ演説を行い、48時間以内にサッダーム・フセイン大統領とその家族がイラク国外に退去するよう命じ、攻撃予告の最後通牒を行った。しかし、フセイン大統領は徹底抗戦を主張して応えなかったため、2日後の3月19日(アメリカ東部標準時)に予告どおり、イギリスなどと共に『イラクの自由作戦』と命名した作戦に則って、空爆を開始した。


ブッシュ大統領とウォルフォウィッツ国防副長官イラク攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中華人民共和国などが強硬に反対を表明し、国連の武器査察団による査察を継続すべきとする声もあったが、それを押し切った形での開戦となった。これら国々の反対の裏には真に人道的な反対というより、イラクでの自国の石油利権に絡んでいるとする意見もある。アメリカ国内の世論は武力介入に一般的に高い支持率を得ているものの、国連の支持なしの攻撃に必ずしも国論は一致していないとされる。

また、アメリカに合わせて武力行使を積極支持したイギリス・ブレア政権の閣僚が相次いで辞任を表明し、政府の方針に反対した。3月17日クック枢密院議長兼下院院内総務、3月18日ハント保健担当・デナム内務担当両政務次官が辞任。結果としてブレア首相は議会の承認を早急に採りつける必要に迫られた(BBCニュースの記事に更に詳細なリストがある)。


ブッシュ大統領の開戦前後の演説
ブッシュ大統領は開戦前後の演説における戦争理由として以下を挙げた。

 ・生物・化学兵器等、大量破壊兵器を保有し続け、その事実を否定し、国連の武器査察団に全面的な協力を行わない(部分的な協力に止まっている)ことに対する武力制裁のため。(但し、これについてはブッシュ大統領自身が後に撤回した。イラク武装解除問題参照)
 ・イラクの一般市民をサッダーム・フセイン大統領の圧政から解放するため。
 ・テロリストに対する支援国であるイラクを「民主的な国」に変えるため(対テロ戦争の一環)。

それ以外で語られるアメリカの開戦理由
【略】

イスラーム原理主義者の世界観における開戦理由
【略】

開戦反対国のイラクでの利害
【略】

各国での反応

ペンタゴンに集まるイラク戦争に関するデモ参加者 (2007年3月)開戦直後の各国の反応は以下の通りであった。

イギリスのブレア首相は政府声明として、アメリカの武力行使を支持し、共に参戦すると表明。参戦の際の声明では、かつてウィンストン・チャーチル元首相が発した「陸海空から」という文言が用いられた。
日本の小泉純一郎首相(当時)は記者会見で、「アメリカの武力行使を理解し、支持する」と表明した。後に明らかになったことだが、小泉の同声明は外務省の事務方が用意した文書よりも踏み込んだ内容になっている。文書では「理解する」との表現が盛り込まれていたが、開戦の際の記者会見では小泉は「支持」という踏み込んだ文言を用いた。
オーストラリアは空軍の戦闘攻撃機、海軍のフリゲート、特殊部隊を派遣。
フィリピンは支持。中国、ロシア、欧州連合、アラブ連盟は非難。
イスラエルはイラクからのミサイル攻撃に対して即時報復の構え。国内では非常事態体制に入り、ガスマスクの携帯を勧めた(生物・化学兵器への備え)。
イラク政府はこの戦いを聖戦(ジハード)であるとした。
国際連合のコフィー・アナン事務総長は強い遺憾の意を表明。
韓国は3月21日の臨時閣議で、600人以内の建設工兵支援団と100人以内の医療支援団を派遣することを決定。だがその後、議会で反対に遭い、与党の分裂などもあって派遣が実現するかどうかは不透明化した。4月2日の国会での演説で、盧武鉉大統領は再び派兵の承認を議会に要請。
アメリカ国内では非常用品、更に拳銃・ライフル・散弾銃の売り上げがなぜか増加した。
戦争開始後、世界各地での反戦デモが繰り広げられ、一部の国では規制しようとする警察と小競り合いが起き、負傷者や逮捕者が出るほど激化した。著名アーティスト達は揃って攻撃を非難。これと同時にワシントンにおいては開戦を支持するデモも大規模に行われた。

3月27日の国連安全保障理事会の席上において、英米側が戦争の正当性を主張。ロシア、中華人民共和国、イラクなどがこれに批判的な発言を行った。

4月1日、フランスのド=ビルパン外相は、テレビのインタビューで英米への支持を表明、良好な関係を保つことの重要性を強調した。また、フランスは開戦前にフランス領空のアメリカ空軍機の自由通過を承認。開戦後にフランス海軍、ドイツ海軍はサウジアラビア近海に展開。ロシア海軍も開戦から1ヶ月以上経ってからサウジアラビア近海及びインド洋に展開した。

4月14日、アメリカ政府はシリアを非難。イラクの政府要人などを匿い、化学兵器を所持していることなどを理由としたものだが、これは当のシリアは元よりフランス外相、国連事務総長などの反発を招いた。


報道への対応
日本ではNHKは発生した時間から68時間報道を行った。また民放各局はお昼のニュース枠より通常放送を中止し、深夜まで全国放送を行った。3月21日より通常の編成に戻ったが『JNNニュース』(TBS)、『産経テレニュースFNN』(フジテレビ(日曜))などはパーティシペーションで放送された。


戦術
迅速な攻略
【略】

小規模兵力とハイテク兵器の投入
……
事前の大方の予想を裏切り、アメリカの陸上部隊も迅速にバグダッドまで進軍することに成功した。このことはアメリカの圧倒的軍事力を一時的なイメージだけであれ世界中に見せつける結果となった。軍事大国アメリカの存在感をいっそう高め、中東を始め世界各国に改めて示すことができた訳である。開戦前から戦争が泥沼化すると予想していた研究者もいたが、この初期の圧勝によって彼らの主張は全く受け入れられなかった。この軍事的成功はC4ISR化(指揮・統制・監視・偵察のIT化とコンピュータ化)をいっそう促し、RMA(軍事革命)という考え方が台頭する。中国人民解放軍もこうした新しい戦争には着目し、ハイテク環境下における局地戦や、三打三防戦略といったドクトリンを生み出している。

この戦争では無人偵察機がアフガニスタンに引き続いて使用され、続く占領下の武装勢力との抗争では、遠隔操作の無人自走機関銃がアフガニスタンと共に初めて実戦投入。戦場のロボット化が進んだ。


占領政策

対イラク戦争「勝利宣言」を行うため空母エイブラハム・リンカーンに降り立ったアメリカのブッシュ大統領イラク戦争は5月1日の『戦闘終結宣言』によって、連合軍は圧倒的勝利という姿で、形式的にはイラクへの攻撃を終了した。イラクはアメリカ軍のバグダッド進攻によるフセイン政権崩壊以降、安保理決議1483に基づいてアメリカ国防総省人道復興支援室および連合国暫定当局(CPA)の統治下に入って復興業務が行われることとなった。

アメリカ軍がバグダッドに進攻すれば市民は諸手を挙げて歓迎し、米軍と共にフセイン体制打倒に決起してくれるだろうと考えていたブッシュ政権であったが、その観測は後に裏切られる事になる。


占領政策のつまずき
少数の兵力しか用いないという米英軍の戦術は進攻作戦においては大いに役に立ったが、占領政策にはひどく不向きであったと現在では考えられている。敵の軍隊のみを排除すればいい軍事行動とは違って、占領時にはインフラの復旧、治安の確保、食糧の配給など様々な活動が求められるが、兵士の数が足りないためどれも完全には行なえず、結果イラク国民の反発を招き、更に治安の悪化が進み、より多くの兵士が必要となるという悪循環を招いている。

進攻当時、抵抗らしい抵抗をしなかった旧イラク軍だが、大規模兵器を早々と放棄し、小型の武器弾薬をこっそり隠して米軍に対してレジスタンス攻撃をしきりに行い、現在も継続していると考えられている。これはフセイン自身も証言し、大統領宮殿などからも証拠を確保したが、湾岸戦争終結時より計画していたもので、経済制裁を受ける中で、最低限の材料で爆弾を製造する方法なども情報機関や軍によって研究されており、攻勢を受ける間は抵抗せずに地下にもぐり、攻勢をやめた占領軍に対して爆弾で攻撃をかけていると考えられた。米英軍の占領政策はこのような事態を全く予測しておらず(ないしは非常に軽視したものと考えられ)、これは明らかに情報分析の初歩的敗北であり、「戦闘終結宣言」後に大量の死者を出す結果を招いた
。現代において戦場で最も重要視される情報入手・統制、リスク分析において欠陥があったことは米英占領軍にとってはかなりの痛手であった。現状ではさらに旧軍人だけでなく、武装集団や過激派も活動を活発化させており、アメリカ軍や軍属、イラクで活動する民間人やマスコミ関係者への襲撃も増加している。

また、バグダッドなど大都市を占領すると、圧政から解放されたと感じた市民が略奪に走り、博物館の展示物や商店の品物が略奪の対象となった。これはこのような無政府状態に対する準備が行われていなかったことの表れでもある(略奪防止の措置は後手に回り、フォトジャーナリスト・森住卓の現地報告によれば、米英軍は他省庁を放置して石油省のみを厳重に警備していた。また、略奪物の8割ほどはイスラム聖職者などの教えによって返却された)。また市民の略奪の対象には市役所や警察署などが含まれており、米英軍はこれも防ぐこともできなかった。後に占領政策に移ると、市民の登録情報や個人情報、自動車の登録番号などが根こそぎ持ち去られるか、破壊されていることがわかった。このため、車爆弾や自爆テロで用いられた自動車のナンバーが判明しても、持ち主がわからないためレジスタンス組織の検挙に繋がらなくなっている

このような治安の悪化から、「フセイン時代の方が益しだった」との声さえ出た。


占領政策の民営化
復興業務には「ハリバートン」社、「ベクテル・インターナショナル」社らアメリカの民間企業がいくつも参加していた。戦闘終結直後に民間企業が続々と参加してくることは初めてであったが、これら実験的な政策はチェイニーらブッシュ政権閣僚の肝いりであったと言われている(参入した多くの企業が、ブッシュ政権の閣僚を取締役に頂いている)。

本来は軍が行ってきた輸送業務などを、安全が確保された地帯に限って民営化し、民間企業がトレーラーなどを使って食糧や物品、軍事物資を輸送する、民間企業は同時に石油開発事業も行って利益を得る、と言うものであった。アメリカ国防総省から見れば、戦争で大きな比重を占める輸送業務を民営化することで、その分の兵力と予算を作戦に回す事ができ、効率的だと考えられた。

しかし、実際にはイラクは戦闘状態であり、輸送任務についた民間のトレーラーは、アメリカ軍の護衛がついているとはいえ、すぐに武装勢力の標的となり、銃撃、爆弾攻撃、ロケット砲攻撃、殺人、誘拐が相次いだ。運転手にはアメリカ人の他、現地のイラク人やネパール人、フィリピン人ら賃金の安い外国人を雇用したが、彼らも数多く戦闘の犠牲となり、また度重なる攻撃によって幹線道路周辺は治安が悪化し、民間企業では手に余る状態となった。また、治安悪化によってアメリカ軍の兵力が不足し始めると、企業には警備員を雇用させ、護衛兵力を民営化させた。民間軍事会社とよばれる企業に委託することでおこなわれた。高収入であるため、かなりの数がイラクに入ったが、彼らも数多く殺害されている。武装勢力と戦闘して死亡した者も多い。ただし、警備員は飽くまで民間人であるため、死亡しても“戦死者”には計上されない。民間軍事会社の社員は多くは警察、軍の出身者であり、国籍も多様である。

このように、輸送業務は麻痺状態に陥っているため、前線の兵士まで物資が十分に届いていないことが、兵士が家族に当てた電子メールなどでわかっている。特に水不足が深刻で、摂氏50度の砂漠の中で水分補給をぎりぎりまで制限されていると言う。また、現在のアメリカ軍はベトナム戦争の時代とは違って徴兵を行っていないため、イラクの状況から入隊希望者が集まらず、兵士の絶対数の確保が困難となっている。このため前線の兵士は数ヶ月で帰還できるところを、1年以上待たされていることも普通である。この人員不足をアメリカ軍は州兵(国家防衛隊)で補っているが、彼らも同様に扱われる上、同じ州兵を繰り返しイラクに派遣するなど、待遇は悪化している(2006年には戦傷を受けて休養中の予備役や、果ては物故者にまで現役復帰を呼びかける文書が送付されていた事が発覚した 軍当局は“古い名簿に基づく誤った処理”と弁解している)。さらに州兵の不在が、結果としてアメリカ国内での災害の発生・拡大に深く影響を与えることも、2005年のハリケーン・カトリーナによって明らかとなった。
【以下略】


反米武装勢力の攻撃
ところで、連合軍はイラクと講和したわけでも、停戦協定を結んだわけでもなく、アメリカが旧体制を転覆して(一種のクーデターである)一方的に終結を宣言したに過ぎない。前述したように、イラク軍やイラク政府が地下に潜ってしまった為である。また、戦闘が終結したことにすると、復興事業に乗り出すことができ、戦闘には参加できない国も兵力を差し向け易くできると言った政治的な意味合いが強かった。

イラク軍は開戦前の投降呼びかけに2000名が応じる(米軍は当初8000名と発表)など戦意が低く、進攻中もほとんど反撃できず、極めて脆弱に見えた。アメリカ兵の死者は136名と湾岸戦争をさらに下回り、「イラク戦争は大成功であった」と世界に見せ付けることとなった。しかし、サッダーム一族や政府関係者は逃亡、また実際には戦闘終結宣言以降も散発的な戦闘が続き、アメリカ軍や有志連合を標的とした攻撃も頻発するようになった。8月には国連事務所を爆破してセルジオ・デメロ国連事務総長特別代表らを殺害(爆発の瞬間が、たまたま取材に入っていたNHKのクルーに撮影された)、国連チームの撤収に至った。

この当時の攻撃は主にイラク軍や秘密警察の残党によるものだと考えられ、元大統領サッダーム・フセインや、彼の2人の息子に指示されていると思われた。しかし、アメリカ軍による残党狩りによって2人の息子(ウダイ、クサイ)は共に戦死、この年12月にようやくサッダームが逮捕されるに至ると、一時的に攻撃が増加したものの、事態は収束に向かうかに見えた。 ただし、この残党による攻撃によって5月までの戦闘によるアメリカ兵の死者数を上回る犠牲者が発生した。


拘束直後のサッダームだが2004年に入ると攻撃の対象が拡大し、連合国暫定当局が設置した新しい警察や新しいイラク軍を標的とする事件が増えた。これらで犠牲になる者はほとんどがイラク人で、残党たちはアメリカ軍への攻撃に加えて、新体制の象徴たるものの破壊を狙ったと考えられる。また、民間外国人を狙った誘拐事件も頻繁に発生し、日本人民間人も被害に遭った。これらはイラク国内の武装勢力によるものと思われ、誘拐した人質と引き換えに軍を撤退させるよう要求するのが手口であった。ただ、彼らは宗教指導者の呼びかけに応じることも多かった。


大規模戦闘の勃発
2004年4月にはファルージャで反米武装勢力とアメリカ軍の間で、占領後初めての大規模な戦闘が起こった(ファルージャの戦闘)。また、この頃から南部でもシーア派イスラム教徒が反米抗議を行うことが増え、一部の過激派が攻撃を加えた。更に、5月に米兵によるイラク人捕虜虐待が明るみに出ると、この反米運動は全国的な広がりを見せるに至る。6月に暫定政権が発足し、体制の構築が進むと、それに対応して攻撃も行われた。この頃から攻撃は無差別性が際立ち、大都市中枢などで一般市民を狙ったと思われるテロが相次ぐようになる。無防備ないわゆる「ソフトターゲット」と呼ばれる標的を狙うことについては、残党による手口だとは考えにくいと当時から囁かれた。また、この頃から、アルカーイダ系の武装集団がシリアやイランを通じて大量にイラク入りしていると報道された。

さらに、南部に多いシーア派の過激派民兵が8月に武装蜂起し、南部最大の都市バスラを中心に米英軍と戦闘となった。シーア派民兵はムクタダー・サドルに率いられ、組織的な戦闘を行ったが、民兵側の犠牲が相当数に上り、イラク・シーア派の指導者アリー・シースターニーの停戦呼びかけに応じ、1ヶ月ほどで沈静化へ向かった。

続く11月にはアルカーイダ系の武装勢力(アメリカ軍は当時そう考えていた)の活動がファルージャで活発になり、アメリカ軍は「夜明け」と命名した作戦によって攻撃した(ファルージャの戦闘に詳細)。しかし事前に大々的報道がなされたため、目的であるザルカーウィーらアルカーイダ系テロリストは既に逃亡、武装勢力も散った後であった。米軍が直接制圧に当たっているが、12月後半には7割の地域で武装勢力が回復したと言われている。また、ザルカーウィーにしても、彼が真に武装勢力の指導者であったことに疑いの声が上がる。アルカーイダの犯行と思われた事件のほとんどはフセイン政権の残党によるものと言う見方が、現在では強まっている。アメリカはこの作戦「夜明け」を実行するに当たり、バグダッドの治安要員が足りなくなるため、イギリス政府に対して、バスラを中心としたイラク南東部を活動範囲としていたイギリス軍の一部をバグダッドに転戦させた。


ファルージャの戦闘の一方は米軍だったが、他の一方は「反米武装勢力」とは断定できない。


政権発足と兵力縮小
この執拗な攻撃やテロに対し、有志連合を結成していた各国が次々に離脱を宣言した。とくに開戦当初から支持を表明していたスペイン国内で2004年3月11日に列車爆破テロが発生したことは、派兵国に少なからず動揺を与えた。ブッシュ政権はイラクの治安悪化を理由として、派兵要員を13万人から15万に増強する旨を発表した。さらに2004年11月のアメリカ大統領選挙終了後は20万人に増強する動きもあったが、実際は14万5千人までの増強で抑えられた。2005年4月には憲法製作を行う移行政府が発足し、アメリカのイラク復興業務は次の段階に入った。

ところが、2005年の夏に起こったハリケーン「カトリーナ」の襲来時、肝心の被災地で活動すべき多くの州兵がイラクに派遣されていた事が大問題にされ、救難活動が遅れたために2千人近くが死亡したとする批判が国内から相次いだ。このためブッシュ政権は一部の兵力を本土に帰還させたため、イラク兵力は13万8千人となった。12月の議会選挙の際にはさらに多い15万5千人に増員したが、翌2006年2月には早々と13万6千人に削減し、3月には13万3千人となった。また、2月には正式な民主政権が発足する予定であった事から、ポーランド、韓国、イタリアに引き続き、イギリス、オーストラリア、日本が相次いで兵力削減・離脱を発表した。しかし、シーア派とスンニ派(あるいは石油資源を巡るクルド人)の対立から政権建設は難航し、22日のアスカリ廟爆破事件によって宗派対立に発展した。このため、日英豪3カ国の撤退計画は不透明なものとなった。


武装勢力抗争の激化

イラク警察を狙った車両の爆破
AH-64 アパッチのガンカメラから撮影されるイラク人の賊徒と疑われる人物。この直後アメリカ軍によって攻撃される。 (2004年頃)アスカリ廟爆破以来、報復合戦となったシーア派とスンニ派の衝突は、3月に入ってからは沈静化したものの、一部で内戦の危機と報じられたが、多国籍軍はこれを否定した。しかし、一方で米メディアなどはイランの武装勢力が侵入してテロ工作をしていると報道し、アメリカ政府高官や軍もイランを(核開発問題を絡めて)非難している。しかし、イラク戦争自体が情報操作の産物だった過去の例を考えれば、またしてもアメリカの責任転嫁を目的とした情報操作である可能性もある(2007年9月現在、イラン関与の確たる証拠は公表されていない)。武装勢力にはイラク人がシーア派、スンニ派、クルド人のグループがそれぞれいくつもあり、シーア派にはイランからの支援が、スンニ派はシリアが援助しているとも言われる。ただし、シリアは少数派のシーア派系アラウィ派がスンニ派を支配する国家形態であり、イラクのスンニ派政権とは長年対立を続けてきたため、これに積極的な支援を与えているわけではないとの見方も存在する。また、フランスに海外拠点を置く旧バース党残党も他のスンニ派勢力と連携して活動を続けていると見られ(バグダッド市ドーラ地区、アザミヤ地区を実質的に支配)、国外からもイスラム原理主義勢力などが侵入していると「戦闘終結宣言」直後からささやかれていた。アメリカは内戦ではないと主張しているものの、実際のところ、これらの武装勢力が群雄割拠して、それぞれがテロ攻撃を繰り返しており、民間人の死者が増加し続けている。

一方、アメリカ兵の死者は2005年10月から減少に転じていたが、これは危険地域の警備をイラク警察や国家警備隊、親米武装勢力に移譲しているからだと指摘されている。この間、テロ発生件数は横ばいであるが、多国籍軍への攻撃は減少しており、その分イラク人を標的にしたものが増加した。 また、2006年10月からは宗派抗争を通じて影響力を更に強めた武装勢力各派が対米攻撃を再度激化させ、米軍死者数は再び増加の傾向を見せている。

また、2006年に入って、武装勢力がイラク人の技術者や知識人を巧妙に殺害していることがわかってきた。フセイン政権は国力となる知識階級を積極的に育成してきたが、武装勢力はこれらの人々を直接殺害、あるいは拉致してから殺害して死体を遺棄するなどの方法で、すでに医師が約300名、科学者が約100名、大学教授は80名以上が殺害された。知識階級はバース党員や旧政府の官僚が多かった為、抑圧されてきた勢力の犯行だと考えられるが、身代金目的の誘拐も数多い。このような治安悪化を理由として、40万人のイラク人が危険を感じて国外へ逃亡しており、国家の基礎体力低下は避けられない。2006年にイラクにいる医師は全土で2000名程度と見られている。

このため、イラク国内において、故意にイラクを弱体化させようと動く勢力の存在が浮かび上がっている。また、フセインは初等教育にも力を入れており、湾岸戦争前に9割あった(とされた)識字率も、戦後の経済制裁とこの戦争、続く統治の失策によって5割を下回っている。


正式政府の発足
【略】

サダム・フセインの死刑執行
【略】

スンニ派イラク住民とアルカーイダの対立
【略】

増派による治安回復
【略】

戦闘終結宣言後の犠牲者
開戦からブッシュ大統領による戦闘終結宣言が出されるまでの期間は非常に短かったが、現在(2007年2月)もイラク人兵士・警察官・民間人、そしてアメリカ軍をはじめとする多国籍軍兵士も、ともに犠牲者が増え続けている。イラク治安部隊(新イラク軍・新イラク警察)は、イラク警察だけで少なくとも8,000人から10,000人が戦死している。

アメリカ兵の犠牲者は3,800人を突破し、これに加えて、軍に従事する民間軍事会社の契約要員(米軍から民間委託分野として警備や輸送業務に従事し、治安作戦への参加も指摘されている。実態として傭兵に近い)が、これまでに少なくとも1,000人以上が死亡していると報じられている(そのなかには、軍事経験のある日本人の契約要員が1名いる)。

 2007年10月現在、イラクでは各種民間警備会社は、米正規軍を上回る計18万人が活動中。その活動内容は事実上野放しで、誰を殺しても誰に殺されてもさしたる問題にはされていない。民間警備会社の警備員による虐殺・暴行も報道されており、2007年9月16日にはブラックウォーターUSA社の警備員が乱射で民間人17名を射殺、持参の銃を現場に置いて「武装勢力に対し正当防衛を行った」と悪質な偽証をした事件が表面化[13]、イラク・アメリカで問題となった(ブラックウォーターUSAの経営者エリック・プリンスは、共和党の大口献金者)。

  また、英軍の死者170人、その他諸国軍の死者132人と合わせて、連合軍全体の死者数では4,000人以上(民間軍事会社の契約要員を除く)となる。ちなみに日本の自衛隊は戦死者が一人も出ていないと公式に発表されている(武装勢力側は、複数名の自衛官殺害戦果を主張している)

またアメリカ軍は戦闘で殺害した武装勢力や、アメリカ兵の過誤(誤爆・誤射)で死亡したイラク民間人の数を公表していない(「数えていない」という発言がアメリカ軍上層部から出ている)。なお、報道を基にこれらを集計しているサイト"Iraq Body Count"の2007年11月30日付のデータによると、死亡者は約80,000-87,000人と集計されている。これはあくまでも報道された数に基づいた数値であり、正確な数値は判明していない。一刻も早い治安の回復が望まれているが、宗教的対立によるテロリズムは(暫定政府時点から)激化の一途を辿り、特に2006年7-8月には二ヶ月で6,500人の死者を出したと言われる。

【中略】Lancetによれば死亡率増加の調査を基にした研究では、2006年6月時点でイラク戦争の死者は約655,000人になると推計されたが、2008年1月に世界保健機関が推計で151,000人だとする調査結果を発表した。


クルド人自治区の問題
【略】


トルコとの緊張状態
【略】

その他
開戦前の1月初旬、ナイト・リダー社の発表した世論調査結果によると、調査に応じたアメリカ人の内44%が、2001年9月11日の同時多発テロのハイジャック犯の一部または大半がイラク人だと考えていた。実際には、報道によれば大半がサウジアラビア人でイラク人は一人もいなかった。

ベトナム戦争同様、アメリカ軍の帰還兵やイラクに駐留するアメリカ兵の中には戦場での生々しい体験からPTSDに苦しむ者がいる。アメリカ軍はカウンセラーを従軍させるなどしているが、対策は難しいようである。

あるイラク紙の主張によれば、米軍によるイラク占領以来、全土に点在する監獄や強制収容所には大勢のイラク人女性が拘留されているとされる。その大半が傀儡政府の要員や占領軍兵士によって性的暴行を受けており、結果としてエイズなどがまん延しているとする。また、強姦の被害を受けた女性が、一家の恥として家族の者の手によって殺されてしまうケースがあり、(大半が被害を受けているという主張にも拘らず)正確な被害者の数は把握されていないとする[10]。また、あるイスラム機関誌の主張によればイラクの民間組織である「イラク政治捕虜・受刑者連合」は、占領米軍はイラク抵抗勢力の士気を砕くための圧力カードとして、無実のイラク人女性捕虜に対して意図的、組織的な性的暴行、拷問、恥辱を加えている、と告発している[11]

また、この戦争中、並びに、ブッシュ政権による大規模戦闘の終結宣言後の一連の戦闘においても、米軍は、湾岸戦争やボスニア紛争、コソボ紛争時など以上に、大量の劣化ウラン弾を使用したと言われている。陸上自衛隊が人道支援・戦後復興支援のために派遣され駐留したイラク南部のサマーワ近郊周辺からも、実際に、この戦争で米軍が使用したものと見られる劣化ウラン弾(複数)が発見されている。

リビアは、2003年12月に元首カッザフィー大佐が大量破壊兵器の放棄を宣言した。この行動はイラク戦争後に自国が標的にされる可能性があったためであると解釈する論説と、カッザーフィーがアフリカ連合へと活動の主軸を移した事による大量破壊兵器の必要性低下と偶然に時期が合致しただけだとの論説がある。

リビアについて、アメリカは放棄の見返りにリビアをテロ支援国家リストから外し、経済制裁も解除した。アメリカは、結果として大量破壊兵器を持たず反米テロにも関与していなかったフセインは処刑したのに(但し裁判を行い刑を執行したのは現イラク政府)、実際に大量破壊兵器を所有し反米テロを支援していた、そしてかつてはフセイン以上に声高に糾弾し、空爆による暗殺まで企てたカッザーフィーは無罪放免にしたことになる。

北朝鮮の金正日総書記は、開戦直前から約60日間テレビなどの前から一切姿を消した。これはアメリカの精密誘導兵器がどのようなものかをテレビを通じて分析をしていたものと見られる。精密攻撃に最も敏感に反応していたのはほかならぬこの人物だったのかもしれない。

日本では、イラク戦争開戦から防衛庁の灯りが消えることは無かった。当然イラク戦争の分析かと思われていたが、分析の中心は朝鮮半島情勢、つまり北朝鮮であった。


イラクと周辺国への部隊派遣国・参戦国

派遣・参戦国人員は時期によって変動があるため、最大時期のおよその数を示す。イラクのほかクウェート、サウジアラビア、バーレーンにも駐留している。東欧・旧ソ連諸国からの派遣がある一方、湾岸戦争に参戦したアラブ連盟諸国は派遣しなかった。

2007年12月、国連安保理は駐留にイラク政府の同意を要すると定めた04年決議第1546号に基づき、多国籍軍の駐留を08年一杯とする決議を採択した。

アメリカ:168,000人(パラオなど自由連合からの参加者を含む 2007年9月現在)
イギリス:9,000人(2007年中に半減)
韓国:3,600人(戦闘終結宣言後に増派)→参照:ザイトゥーン部隊(2007年末撤収)
イタリア:3,000人(2006年12月撤収)
ポーランド:2,400人
ウクライナ:1,600人(2005年12月撤収)
スペイン:1,400人(2004年5月撤収)
オランダ:1,350人(2005年3月撤収)
オーストラリア:920人(2006年夏撤収)
日本:800人(戦闘終結宣言後に派遣、陸上自衛隊600人は2006年7月末撤収)→参照:自衛隊イラク派遣
ルーマニア:850人(2006年末撤収)
デンマーク:540人(2007年8月撤収)
ブルガリア:462人
タイ:450人(2004年9月撤収)
エルサルバドル:380人(2008年撤収予定)
ホンジュラス:370人(2004年5月撤収)
ドミニカ共和国:300人(2004年4月撤収)
ハンガリー:300人(2004年12月撤収)
シンガポール:180人(2005年撤収)
グルジア:160人
アゼルバイジャン:150人
フィジー:134人
モンゴル:130人
ポルトガル:127人(2005年2月撤収)
ラトビア:120人(2007年に9割が撤収)
リトアニア:120人(2007年撤収)
ニカラグア:120人(2004年2月撤収)
スロバキア:102人(2007年1月撤収)
フィリピン:100人(2004年7月撤収)
チェコ:98人
アルバニア:71人
ニュージーランド:60人(2004年9月撤収)
トンガ:44人(2004年撤収)
エストニア:34人
マケドニア:33人
カザフスタン:27人
モルドバ:24人
ノルウェー:10人(司令部要員 2006年撤収)
北大西洋条約機構(NATO)からもイラク軍訓練要員が派遣された。

脚注
1.^ ブッシュ米大統領による一方的な「大規模戦闘作戦」"Major Combat Operations"の終結宣言(President Bush Announces Major Combat Operations in Iraq Have Ended)。各国が復興支援に入ったが、これ以降も「イラクの自由作戦」は継続中で、アメリカ軍・多国籍軍が戦闘活動を続けている。
2.^ CIA長官のシンクタンクは、アフガニスタンに代わってイラクが、訓練の場と人員補充の場、そして技術向上の機会をテロリストに与えていると報告した。[1]
3.^ 「イラクの避難民が420万人を超える:貧民街が続々と形成」 UNHCR Japan 2007年6月7日
4.^ イラク情報当局の長官によると、レジスタンス勢力は20万人でイラクに駐留するアメリカ軍よりも多く、そのうち核となる戦闘員は4万人で、残りはボランティアやパートタイマーで構成されているという。[2]
5.^ 平成18年12月13日衆議院特別委員会
http://www.defenselink.mil/transcripts/transcript.aspx?transcriptid=4008
2006年3月、10個大隊が独自に活動、88個大隊が先頭で活動。
2007年7月、6個大隊が独自に活動、約100個大隊が先頭で活動。
6.^ "Private contractors outnumber U.S. troops in Iraq" latimes.com 2007-07-04
7.^ 開戦した2003年のフセイン政権下での人数。[3]
8.^ 「武装勢力」にはレジスタンス勢力の他、アルカーイダのような外国からの勢力も含まれる。 「en:List of insurgent fatality reports in Iraq」
http://www.usatoday.com/news/world/iraq/2007-09-26-insurgents_N.htm
9.^ http://abcnews.go.com/International/wireStory?id=3561502 http://icasualties.org/oif/Contractors.aspx
"In outsourced U.S. wars, contractor deaths top 1,000", Reuters 2007-07-03
アフガニスタン戦争でも75人が死亡しているという。
10.^ 新イラク警察のみの人数。"US Officer: Iraqi Police Disappearing", 2007-06-13
イラク警察として開戦以来では12,000人以上が死亡している。[4]
11.^ [5], ISBN-10: 4532164729
12.^ "Al-Qaida linked to Baghdad hotel bombing", Guardian Unlimited 2007-06-26
13.^ “ブラックウォーター問題、「正当な理由なく発砲」との調査結果” フランス通信. 2007年10月8日閲覧
14.^ Turkish soldiers killed by rebels, BBC 2007-10-07
U.S. urges restraint after Turkish soldiers killed in clashes with PKK, CNN 2007-10-21

関連項目
・アメリカ同時多発テロ事件 - 2001年9月11日にアメリカで起きた事件。オサマ・ビンラディンが中心になって実行された。これがきっかけとなって、ビンラディンの滞在を保護するアフガニスタンに対して攻撃を行った。
・悪の枢軸発言 - 同時多発テロ後に、ブッシュ大統領がイラン、イラク、北朝鮮を指して行った発言。この発言以降、アメリカのイラクへの大規模攻撃の可能性が現実味を帯びてくる。
・対テロ戦争 - 国際的なテロリズムの危険を未然に防ぐと言うアメリカ政府の提案。同時多発テロをきっかけとして発表された。
ニジェール疑惑 - プレイム事件(ニジェール疑惑はイラクがニジェールからウランを買い求めようとした疑惑。なお、結果的に偽情報であった事が確認された。プレイム事件はこの疑惑絡みで、イラク戦争において大量破壊兵器プロパガンダを指導するブッシュ政権を批判した外交官の妻がCIAエージェントであると暴露した事件。2007年3月6日有罪評決)。
・アメリカのアフガニスタン進攻
・イラン・イラク戦争
・湾岸戦争
・湾岸戦争症候群
・イラク武装解除問題
・イラク航空
・国連決議1441
・自衛隊イラク派遣
・劣化ウラン弾
・バグダッドの少年
・ブッシュ・ドクトリン
・民間軍事会社 - 所謂、『傭兵会社』であり、殊に、イラク戦争に於いては、その存在が普く注目されるに至った。
・ブラックウォーターUSA
・イラク -狼の谷-(2006年のトルコの映画)
WikiScanner - アメリカ合衆国の共和党から接続のIPユーザーがイラクの「占領軍」との記述を「解放軍」に書き換えた
・越前谷儀仁 - この戦争にアメリカ海兵隊の軍人として参加した日本人。

外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、イラク戦争に関連するマルチメディアおよびカテゴリがあります。ニュースサイトの特集ページ……

Yahoo!ニュース 特集:イラク戦争
共同通信 特集:イラク情勢 http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/iraq4/
朝日新聞 特集:イラク情勢 http://www2.asahi.com/special/iraq/
毎日新聞 特集:中近東・ロシア http://mainichi.jp/select/world/mideast/
読売新聞 特集:イラク情勢 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080115-899570/
産経新聞 特集:イラク情勢 http://sankei.jp.msn.com/topics/world/1921/wld1921-t.htm
Cost of War開戦から今日までのイラク戦費
Iraq Body Count :イラク戦争の犠牲者数を、報道を基に集計
Iraq Coalition Casualties:イラク戦争の多国籍軍側被害を、報道を基に集計
バグダッド炎上―リバーベンドの日記バグダッド在住のイラク人女性リバーベンドによる現状リポートのボランティア日本語訳ブログ(本人が2007年10月末にシリアへ脱出し更新終了?)
2003.03.19~20 イラク戦争 開戦の報道まとめ


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■巨大な国際戦略のうずが、現地市民のうえにまきおこり、依然としてさきがみえないことは事実。この巨大な破壊工作にかかわった国家、傍観した国家の国民は、みなすくなからず責任をおうことになる。


■①アメリカの現政権が開戦を判断した根拠にまともなものは、ほとんどない。■サッダーム・フセインの方がまだマシだったという評価がある以上、アメリカ政府は徹底的に破壊した国家体制やインフラを前政権倒壊以前に復旧する義務がある。■しかし、次項でみるとおり、駐留軍の機能不全はみるも無残だし、悪化させているという批判にこたえきれていない。

■②アメリカなどが一方的な「大規模戦闘作戦」の終結宣言をしつつも、武装勢力による大小の強力な抵抗がつづき、その証拠に「終戦宣言」が一度もおこなわれていないという、異様な事態が進行中。■実体は、アメリカ軍・多国籍軍が治安活動ではなく戦闘活動を続行中である実態と、それをカムフラージュするための「イラクの自由作戦」継続中というアメリカ政府のたちばが、端的にしめしている。■要するに、現政政権安定のための治安維持・破壊されたインフラの整備という「根拠」をもって、5年間戦争状態がつづき、住民への約束履行がどんどんさきのばしになっている。

■③兄弟国イギリス以外の、フランス・ロシア・中国という安全保障委員会常任理事国=軍事大国は、すべて開戦に反対したし、多国籍駐留軍を派兵していない。せいぜいフランスが「領空のアメリカ空軍機の自由通過を承認」した程度で、アメリカの軍事作戦を積極的にジャマしないというだけ。

■④イギリス・ポーランドという例外をのぞけば、大量の派兵を維持している同盟国はない。韓国軍・イタリア軍も大量の派兵をおこなっていたが、撤退した。■その結果、イギリス・ポーランドという例外をのぞけば、3ケタ台の派兵を維持している同盟国は、ブルガリア・日本など少数の国家だけになった。日本以外は、アメリカの経済援助などを期待した派兵とおもわれる。

■⑤沖縄駐留の海兵隊員の「綱紀粛正」の無意味さを論じた文章で紹介したとおり、イラク戦争はアメリカ国民自体が任務をいやがっており、貧困層・移民層など経済的・法的不安定層のわかもの以外は応募したがらない戦地となっている。■「それ以外で語られるアメリカの開戦理由」には、「冷戦以後、目立った戦争を経験していなかった軍需産業が衰退していたため戦争を誘発するようホワイトハウスに圧力をかけたという説。これはイラク戦争に反対する反戦団体や市民団体が主張する一種の陰謀論であり、圧力の存在は証明されていない。」と、わざわざかかれている。しかし、具体的な圧力がなかろうが、この「戦争」でもうけているのは、軍需産業にほかなるまい。



●旧ブログ「イラク戦争」関連記事
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コメント

イラクに行った某日本人の報告

イラクに行った某日本人の報告によれば、殺されたイラク人の中に、死体なのに腐敗しなかったし、なぜか青くなっていた死体があった、とのことです。
アメリカ帝国は化学兵器もつかったのかもしれません。
私自身はその動画を短時間しか見れなかったので確約はできませんし、腐敗しなかったことが即座に化学兵器をつかったことを意味するわけではないでしょうけど、強い疑惑を感じます。
ともあれ、武器の種類と量に関してはブッシュ自身も「こんなにたくさんの武器を持っていたなんて知らなかったよ。…で、何に使うの?」(原文:I had no idea we had so many weapons...what do we need them for?)と言っていたほどなので(『ブッシュ妄言録』(二見書房)111ページ)、実際におおすぎてこまっているのでしょうね。ホワイトハウスの中で使えばいいのに。

腐敗しないということは、やっぱり…

細菌が分解できないということですから、やっぱり、物理化学的に相当ヤバい作用がおきているといえるんでは?

「9・11テロ」のときもそうでしたが、ブッシュ君は、いつも、カヤのソトですね。まあ、理解する能力はないし、ハンパにわかったつもりになられたんでは、危険すぎるので、極秘なんでしょう(笑)。そういったリーダーをかついでしまう国民は、危険すぎる。

『ビッグイシュー』(100号)は「戦争は克服できる」

という特集です。ちなみに、『ビッグイシュー』とはホームレスのひとだけがうれる雑誌のことです。

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