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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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オキナワ7・30(なな・さん・まる)30年

■ウィキペディア「730 (交通)」を転載。

730 (交通)

730(ナナ・サン・マル)とは、沖縄県の用語で、沖縄の日本への返還後6年目に自動車の対面交通 が右側通行から左側通行に変更されたことを指す。

1978年7月30日に県内全域で一斉に実施されたためにこの名がある。

復帰前のコザ十字路
復帰前のコザ十字路(右側通行になっている)


復帰前の国際通り
復帰前の国際通り(右側通行になっている)

概要
戦前の沖縄は日本国内の他地域と同じく自動車は左側通行であったが、沖縄戦終了直後の1945年6月24日にアメリカにより右側通行に変更されていた。

日本本土とは逆の右側通行であるという状況は、1972年の日本への復帰後も6年間続いたが、ジュネーブ交通条約(または1949年交通条約、1949年制定)の「一国一交通制度」による条約遵守の立場から、1978年7月30日をもって県内全域で左側通行に変更されることになった。沖縄の日本本土復帰を象徴的に示す一大プロジェクトであった


実際の変更作業

1978年7月29日22時より沖縄県全域で自動車の通行が禁止され、8時間後の翌日午前6時をもって自動車は左側通行となった。

・道路標識・道路標示等の変更は、この8時間の自動車通行禁止時間に行われた。わずか8時間の自動車通行禁止の間に一斉に切り替えが行われている。
・幹線道路ではあらかじめ左側通行用の標識・信号を設置した上で、「車は左」などと書かれた覆いをしておき、自動車の通行を止めた8時間の間に覆いを外して右側通行用の物と置き換えた。なお、交通整理など沖縄県警だけでは対処しきれないことから警視庁をはじめ全国各県の警察官が応援に駆けつけた。
・沖縄県から県民に対し「730キャンペーン」を行い、各メディアで周知させた。この時のCMには具志堅用高が出演していた。
・1970年代後半から1980年代にかけ、右ハンドル車のことを730車両(730カー)と呼び、同様に左ハンドル車のことを729車両(729カー)と呼んだが、いずれも現代では死語になっている。現在でもごくわずかだか復帰前の左ハンドル仕様車が走っている。

バス
・路線バスは乗降口を車両の右側から左側に変更しなければならないため、当時の乗合バス事業者であった琉球バス(現、琉球バス交通)、沖縄バス、那覇交通(現、那覇バス)、東陽バスは国や沖縄県からの補助金を受け、右ハンドル・左側出入口のバスを1000台以上新車にて導入した。これらの車両を特に730車(両)(730バス)と呼ぶことがある。
・1975年に行われた沖縄国際海洋博覧会の際には、多くの観光バスが新車で導入された(当時は左ハンドル)が、これらの車両は経年も少なかった為、一部は右ハンドル・左側出入口へと改造して使用された。現在は全て廃車となっている。また、改造されずに中国など右側通行の国に売却された車両もある。
・2000年以降も多くの車両が現役で運用されていたが、2004年以降に各社とも急速に廃車が進み、現在では沖縄バスと東陽バスの車両がそれぞれ1台のみ残っているだけである。沖縄バスは2004年に730車の置き換えを完了したが、1台のみ動態保存として残されている(購入時とは塗装が変更されている)。東陽バスは前述の4社中、最も代替が遅れたが、2008年6月に1台を残して全車が廃車となっている。なお、1台は沖縄バスと同様動態保存とされている(更新はされていない)。那覇交通から引き継がれた那覇バスでは2005年1月頃までに全廃、琉球バスの車両は、琉球バス交通に引き継がれた後、2007年5月頃までに全廃された。
・変更実施後は各地で事故が発生した。一般の乗用車による事故のほとんどが他車との接触事故であったことに比べ、バスによる事故ではバス同士の正面衝突などという大事故も多数起こった。これは、ほぼ毎日運転を行うバス運転手が右側通行(左ハンドル)に完全に慣れてしまっていたことや、新しい交通方式での練習を行う期間が短かったことなどが挙げられる。なお、同様にタクシーでの事故も多発した。

【各社730車両バスの画像は、割愛=ハラナ注】


エピソード
・人口の少ない離島では、なおしばらく他の車の見えないときには右を走るものがあり、対向車が来るとあわてて左に寄るのが見かけられたという。
・一部では「沖縄の車右側が世界標準に近い、変更するなら本土側だろう」との議論が見かけられた。[1]

記念碑
・石垣市には、これにちなんで命名された「730交差点」があり、当地に記念碑もある。石垣市にある記念碑
石垣市にある記念碑。1mほどの高さの石に、
沖縄の交通が右側通行から左側通行に変更
されたことを記念するデザインが描かれている。

・宮古島市平良には「730記念塔」がある。

脚注
1.『事典版 おきなわキーワードコラムブック』 - まぶい組編、沖縄出版(1989)

関連項目
対面交通
ダゲン・H

外部リンク
やんばる国道物語 - 復帰後の道(1972年~2000年) - やんばるロードネット(内閣府 沖縄総合事務局 北部国道事務所)

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■30年まえに すでに運転免許をもち、しかも 沖縄でしごとをする必要があって、当時出張ないし駐在するような体験をしたヤマトゥンチュ以外は、この30年まえの騒動を、まずしらない。■ウチナーンチュだって、いまごろ、この話題をむしかえすのは、非日常的なきっかけがあって、おもいだすにすぎないわけだし。

■当時の運輸省あたりの政府当局は、「ジュネーブ交通条約…の「一国一交通制度」による条約遵守の立場」から 実施された、当然の変更措置と位置づけているだろうが、すくなくとも、当時運転するような世代(現在の50代以上)にとっては、そう そっちょくには、うけとれなかったはず。「沖縄県内の一部では「沖縄の右側通行が世界標準に近い、変更するなら本土側だろう」との議論が見かけられた」というのは、一見冗談にきこえるかもしれないし、「右側通行が世界標準に近い」というのは、アメリカ標準≒世界標準みたいな反発もよびそうだ。■しかし、車両の左側通行は、旧英連邦以外は例外的少数であることも事実。「ダゲン・H」のケースがある以上、人口比で99%の日本列島のほとんど方が むしろ きりかえるというのが、ホントに非現実的だったかどうかは、議論の余地がある。
■また、日本人がアメリカなどの滞在先で、現地の右側通行にあわせるのを当然とながしているように、「沖縄県で運転するなら右側通行」という、二重システムが温存されても、全然問題なかったはずだ。だって、日本列島上に、ひだりハンドルのヨーロッパ車たくさんはしっているが、それが問題化したことが、あっただろうか?

対面交通
【ウィキペディア「対面交通」から。アオが左側、アカが右側通行】

■「沖縄の日本本土復帰を象徴的に示す一大プロジェクトであった」とあるとおり、「なんでも ヤマトの システムに あわせさせられる」という、権力関係の再確認が、象徴的にしめされていたことを、わすれてはならない。それは、標準語励行運動などと ならんで、ながねん なじんていたものであろうと、「ヤマトと くいちがっているものは、ツブされる」という関係性を、痛感させられた事件だった。■日本への復帰をのぞんだ ウチナーンチュでも、左側通行やクルマの かいかえなどを 当然視した層は、そんなにおおきくなかったんじゃないか?
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