プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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桐山襲(きりやま・かさね)17回忌

■ウィキペディア「桐山襲」を転載。いつもどおり、リンクは取捨選択。一部、Google等で補足してある。


桐山 襲(きりやま かさね、1949年7月 - 1992年3月22日)は、東京都杉並区出身の小説家である。本名は、古屋 和男(ふるや かずお)。1983年に『パルチザン伝説』でデビューする。死去するまでの8年半の短い活動期間の中で様々な問題作を発表した。

新左翼の学生運動、連合赤軍、全学共闘会議等を主題にした純文学で大学紛争に参加した若者達の青春や無残な敗北を描き、幻想に終わった革命の意義を一貫して問い続けた。竹田青嗣川村湊から高く評価された。

来歴
日大付属第二中、同第二高(日本大学第二中学・高等学校)を経て1968年に早稲田大学第一文学部哲学科に入学する。在学中は新左翼の学生運動に参加。1972年に早大を卒業して東京都教育庁に就職する。三里塚紛争に参加した。

1982年に左翼による昭和天皇へのテロ計画を描いた『パルチザン伝説』が第19回文藝賞の候補になる。1983年に同作が『文藝』10月号に掲載されてデビューした。直後、『週刊新潮』が強く批判する記事を載せ、『文藝』を発行する河出書房新社に右翼団体の車が大挙して来襲し激しく抗議された(菊タブー)。桐山の身の安全を守るため沖縄県で逃亡中と虚偽の情報が流された。1984年3月には第三書館が、桐山の許可を取らずに勝手に同作を収録した『天皇アンソロジー1』を出版してしまった。後に桐山は、『「パルチザン伝説」事件』で「日本で一、二を争う文芸出版社」である新潮社が、「文芸作品を圧殺するような煽動」や「検閲」を行ったのだと述べている。

1984年6月に『スターバト・マーテル』を発表。連合赤軍のテロ事件やリンチ事件を複数の語り部を通して複数の視点から描いた。第91回芥川龍之介賞の候補になる。

1984年11月に『風のクロニクル』を発表。書簡体小説の中に戯曲を混入させる凝った手法で早大の全学共闘会議を描いた。1985年に第92回芥川賞、第7回野間文芸新人賞の候補になる。

1990年に、日本文芸家協会への入会を拒否された永山則夫を強く支持する批評を発表する。同年12月に悪性リンパ腫を発病し日本医科大学付属第一病院に入院する。抗癌剤の副作用で頭髪と眉毛が抜ける。

1991年8月に退院し、癌の闘病の果てに若くして病死した人の葬儀を描いた『未葬の時』の執筆を開始する。同年10月に再び入院し病床で執筆を続け、1992年2月に同作を完成させた。同年3月22日に肺炎を併発して入院先の日医大第一病院で42歳で死去する。


著書

単著
『パルチザン伝説』1984年。
『風のクロニクル』1985年。
『戯曲風のクロニクル』1985年。
『スターバト・マーテル』1986年。
『聖なる夜聖なる穴』1987年。
『「パルチザン伝説」事件』1987年。
『亜熱帯の涙』1988年。
『都市叙景断章』1989年。
『神殿レプリカ』1991年。
『未葬の時』1994年。

編著
『国鉄を殺すな 国鉄労働者は発言する』1986年。

参考文献
富岡幸一郎『作家との一時間』1990年。1989年6月の富岡のインタビュー『桐山襲と「都市叙景断章」』を収録。
文学時標社編纂『異議あり!現代文学』1991年。インタビュー『文学のテーマとしての政治』を収録。

外部リンク
全単著の解説
桐山襲論(PDFファイル)
←よくわからん【ハラナ注】:「同志社国文学(論文検索)というページにとぶ。「桐山襲」を記入して検索される論文は、槙山朋子「桐山襲と道浦母都子」(PDFでよめる)


■1980年代なかばは、ハラナが学生生活をつづけるかどうか、まよっていたキツい時期にあたるので、年譜をみていると、感慨ぶかい。■それにしても、デビュー作がかかれて賞の候補作になったのが1982年なのに、翌年あきに騒動となり、店頭にちゃんとならんだのは1984年だ(作品社1983年とはなっているが)というのだから、最初からすごすぎる。
■時間ができたら、80年代の作品群だけでもよんでみたいが、キツいかな。■ポレポレ東中野の★「フレームの向こうにあるもの、見えるもの 小栗康平 全映画」と「いのちの食べかた」みにいくのも、難儀なぐらいだから。


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コメント

おなじ命日の作家


『実録・連合赤軍』

若松孝二監督・製作『実録・連合赤軍』
http://wakamatsukoji.org/

桐山襲はなんと見るか。

ご教示ありがとうございます

ゴンベイ@オルタナティブ道具箱さま

■連合赤軍(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D)問題は体系的に勉強したことがありませんので、粗雑な私見ですが、「社民主義議会左翼に、極左冒険主義と冷笑された(と同時に戦慄させた)暴走」であり、体制がわにとっては「かっこうの敵失」だったとおもっております。
■動機がいかに、きまじめであろうと、新撰組や赤報隊などと同様、世界史のうねりを全然察知できないまま疾走してしまった。世界革命主義という教条によっぱらってしまったうえで、「内ゲバ」をはじめ、その延長線上で、なかまうちで「粛清」という「内ゲバ」にいたってしまった点で、オウム真理教の「誠実な幹部」のバカバカしさをわらえない。■しかも凄惨なテロという意味で、本来の敵をみうしなった暴走であり、犠牲者は犬死でしたし、中ソ両大国の組織犯罪のかずかずと同様、左派失墜の決定的失態を印象づけたとおもいます。■釈迦に説法でしょうが、関係者のみなさんは、犠牲者の冥福をいのるだけではすまず、のちの新自由主義の暴走の助走路を提供したという、致命的汚点をかみしてめてほしいとおもいます。いまさら、反省されても、おそいといえばおそいのですが。■三里塚闘争などとはちがって、連合赤軍にはほとんど共感をもてません。

■桐山さん小説をよむと、当事者をめぐる複雑な事態・心理のヒダなどがよくわかって、うえにかいたような私見に修正がくわわるのかもしれませんが、「なんのためにたたかっているのか?」「だれを敵として想定し、適切な戦略・戦術をとろうとしたのか?」という根本的な次元で、決定的に軸を欠落させた運動体だったという印象は、かわらないとおもいます。■いわれのない暴力によって多数のまきぞえ死者をもたらした「9・11テロ」でさえも、アメリカ帝国の巨悪への強烈な敵意という示威行為にはなりました。しかし、連合赤軍に、そういったものがあったでしょうか? ■体制がわのキャンペーンのせいだけでははないとおもいます。「やりきれなさ」「グロテスクさ」、そういった、あとあじのわるさしか 感じさせない、あの事件は。平井玄『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』〔太田出版〕だったかが、体制+メディアによる演出を強調していたとおもいますが、そういった かっこうのエサを提供してしまったのは、当時の左翼運動のネジレだとおもいます。
http://www.google.com/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%81h%83%7E%83b%83L%81%5B%83%7D%83E%83X%82%CC%83v%83%8D%83%8C%83%5E%83%8A%83A%90%E9%8C%BE%81h+site%3Ahttp%3A%2F%2Ftactac.blog.drecom.jp%2Farchive%2F&btnG=%8C%9F%8D%F5&lr=

>>■三里塚闘争などとはちがって(革マルは敵権力のスパイによる自作自演『1950年のパラノイア』といい、日共=民青は敵権力の泳がせによる反共妄動と言ったけどね)、連合赤軍にはほとんど共感(学内BUND4派は塩見獄中論文を批判的に扱いつつも『言ってることは判らん訳じゃないが同志殺しはまずいじゃん』みたいな事を言っていた)をもてません。→タカマサ君は僕の妹とほぼ同学年と思われるが、妹も三里塚に行ったことがある。が、問題意識やオルグによってではない。農学部内の園芸研究会へ自治会のアオが動員をかけた為だ。代わりに部費は保証するよ、って事だね。つまり、そうでもしないと運動を維持できない段階まで80年代中期には追詰められていたんだよ。
桐山はパルチと事件が本棚にある。まあ、良くも悪くも思い出運動文学。それより前の大西巨人や高橋和己を乗り越えることができない、深みのない表徴的な作風が時代と言えば時代だね。

ご趣旨がどうも…

はかりかねます。
■桐山文学が「良くも悪くも思い出運動文学。それより前の大西巨人や高橋和己を乗り越えることができない、深みのない表徴的な作風」であるといった文芸批評が妥当かどうかは、当方データをもちあわせていないので、論評できません。■しかし、①基本的に1970年前後までの新左翼の動向をあつかった作品のモチーフと、それがかかれた1980年代の党派の動態とは、別個の問題であり、②1970年前後までの新左翼の動向の総括および1980年代の党派の動態と、文学作品の質とは、またまた別次元にあるとおもいます。
■1980年代の新左翼諸派が「敗走」期にあろうと、1980年代の左派系文学が「回顧趣味」にみえようと、党派のなかでもがく個人の心理等をえがきだそうとする文学的営為が無意味だとはおもえません。■もちろん、大西巨人や高橋和己の作品が、過去の事態と無関係の読者にもうったえかける作品の質をそなえているだろうといった位置づけに異議をとなえるものではありませんし、それらと桐山文学を比較しようとかいう意図ももちろんもちあわせていませんが…。

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