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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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DNA情報による「ルーツさがし」の動機

■先日の記事「鎌倉時代の列島住民≒現代日本人って情報がそんなに重要か?」に、中世史家「Wallerstein」氏がトラックバック用記事をかいてくださったので転載。


2008-03-09
■[史論]鎌倉時代人と現代日本人 00:39
タカマサ氏のブログ(「タカマサのきまぐれ時評2 鎌倉時代の列島住民≒現代日本人って情報がそんなに重要か?」)経由。

元記事はこちら(「asahi.com:鎌倉時代人と現代日本人、ミトコンドリアDNA同じ特徴 - 文化一般 - 文化・芸能」)。

元記事を要約すると次のようになるだろう。

今日の日本人は、古くから列島に暮らしていた縄文人に、大陸から渡ってきた弥生人が合わさり誕生したと考えられており、両者の融合はいつごろから進んだのか、という日本人の形成をめぐるなぞに、遺伝子の面から一つの回答が示された。鎌倉時代に関東地方に住んでいた人々のミトコンドリアDNAの特徴は現代人とほぼ同じだというのだ。これまで「顔立ちが独特で不可解な存在」とされてきた中世人。その成り立ちが最新の科学技術によって見えてきた。鎌倉時代の鎌倉に日本人が住んでいた――一見当たり前とも思える結論だが、人類学において中世人は顔立ちの違いから不可解な存在だとされてきた。その違いをめぐり議論が続き、縄文人に似ているとして、縄文人の子孫ではと主張する研究者もいたが、古い時代から現代まで列島の人間は遺伝的に連続している可能性が高いことが今回の研究から裏付けられた。DNAは、私たち日本人とは何なのかということを考える切り口になるはずである。

コメント欄では「科学や実験を否定してもしょうがないですよ。分かりきった事や常識的な事を丁寧に調べるのには意味があると思うんですが。」とネットウヨク氏から意見があり、それに対してタカマサ氏は「このDNAうんぬんの研究は、日本人の連続性というイデオロギーを証明したいという欲望ぬきには、説明がつきません。かりに、この研究が後世やくだつことが立証されたにしても、そういった学術的価値と、現在研究を推進させている、あるいはそれを支持する欲望とは、別個の問題です。」と返している。


結論から言えば、この研究そのものの学術的価値は、鎌倉時代の鎌倉在住の人のDNA構成が縄文人でも弥生人でもなく、現代日本人に類似していることを示したことにある。しかしこの結論からだけでは「私たち日本人とは何なのかということを考える切り口」にはならないし、「日本人の成立がもう少し具体的に語れるようになる」ようにもならない。東北と北陸のDNA構成が分かってもそれは同じである。鎌倉時代の人々のDNAをいくら集めても「私たち日本人とは何なのか」ということは考えられないし、「日本人の成立」も語れない。「日本人とは何なのか」という問題は鎌倉時代の人々のDNAをいくら詳細に集め、分析し、1000年間「科学的な実験」を積み重ね、丁寧に調べても結論は出ない。なぜか、といえばそもそも「日本人」というのは一つの定義であって、実体ではないからだ。

分かりやすい比喩を挙げれば、鎌倉幕府の成立はいつか、という問題がある。史料をいくら詳細に収集し、それを検討しても鎌倉幕府の成立は何年なのか、という問題には結論が出ない。なぜなら論者によって「鎌倉幕府と何か」という定義が異なるからだ。「鎌倉幕府」と言う実体があったわけではない。後世の人々が源頼朝の樹立した支配機構を「鎌倉幕府」と定義しているに過ぎない。従って何を以て「鎌倉幕府」と定義するかによって「鎌倉幕府の成立が何年なのか」という問いに対する答えは変わってくるのだ。詳しくは「2005-04-22 - [重]塾講師のつぶやき」を参照。

「日本人」というのもある意味「定義」である。従って「日本人」について調べる前に「日本人とは何なのか」を定義しなければだめなのだ。従って「DNAは、私たち日本人とは何なのかということを考える切り口になるはずだ」」という篠田謙一氏の議論は逆立ちしているのである。「日本人とは何なのか」を定義してからDNAを分析しなければならない。

中世史研究の立場から見た「日本人」についてもう少し考えてみたい。

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■一応、もと記事のキャッシュもリンクしておく。
■ところで、「Wallerstein」氏の指摘にある
鎌倉時代の鎌倉在住の人のDNA構成が縄文人でも弥生人でもなく、現代日本人に類似していることを示した……だけでは「私たち日本人とは何なのかということを考える切り口」にはならないし、「日本人の成立がもう少し具体的に語れるようになる」ようにもならない

「日本人」というのもある意味「定義」である。従って「日本人」について調べる前に「日本人とは何なのか」を定義しなければだめなのだ。従って「DNAは、私たち日本人とは何なのかということを考える切り口になるはずだ」」という篠田謙一氏の議論は逆立ちしているのである。「日本人とは何なのか」を定義してからDNAを分析しなければならない

という論点は、非常に重要だとおもう。■およそ分子生物学的な知見から形質人類学的に「ルーツ」さがしをしているひとびと全員に、よませてやりたい(笑)。血統上の「ルーツ」さがしは、それこそ科学技術の進展によって、どんどん精密な復元が可能になるだろう。しかし、肝心の「血統上のルーツさがしをする意義はどこにあるのか?」という、決定的な問題意識が整理されていない。■「Wallerstein」氏も指摘するとおり、肝心の「日本人とは何なのか」をとうことのない(定義しないで自明のように議論を出発させているのは、とう必要をみとめていないことを意味する)研究者には、「日本人の成立」をうんぬんする資格がないのではないか?
■DNAの数量的遠近(近似性の数値化)は、たしかに客観的なデータだ。しかし、その含意を決定するのは、研究者であり社会の承認である。「日本人」の時空的定義・社会的定義もしない研究には、数量化以前に、方法論的基盤が欠如しているとおもわれる。範囲の限定もしない対象の連続性だの、距離だのを検討しようがないからだ。

■もちろん、かの科学者氏は、DNAの近似性という数量的データから帰納的に「日本人」なる実体がうきぼりになるのですよ。「日本人」を操作的に定義したうえで、演繹的に議論をすすめるのは、思弁的・イデオロギー的です。…などと抗弁するにちがいない。
■では、とおう。前回転載したグラフには、「本土日本」という分類がある。「現代日本人(ただし、北海道・琉球列島などをのぞく)」といった範囲で収集された、人体のミトコンドリアDNAの平均値なのかもしれない。■しかし、「青森から九州までは、地域差も、個人差も大したことなく、ちいさな標準偏差をもつ正規分布的なデータが確認できた」といえるのか?「(現代)本土日本」なんて、バラつきがちいさい集団として特定できたのかね? まず、それをはっきり提示してほしい。

■いや、ミトコンドリアDNAの変動が、たとえば関東地方において、いわゆる「鎌倉期」と「現代」とで非常にちかい(≒当時から、遺伝子情報が激変するような はげしい人的移動がない)と証明できたして、そういった婚姻ネットワークの変動の不活発さと、集団の連続性とは、イコールなのか? ■前回ものべたが、鎌倉期の人骨が、前後の人骨とおおきな差異がみとめられるということ自体、食生活や身体文化が おおきくことなっていた証左ではないか? 「食生活や身体文化が おおきくことなって」いる2集団があったとして、そこに遺伝子上のちかさがあれば、 「食生活や身体文化が おおきくことなって」いる事実を無視して、両者は当然連続性をうんぬんすべきものなのか?
■たとえば、モンゴル人(とりわけ、バイカル湖ちかくの集団)と日本人は、その容貌をみるかぎり、かなりの程度、DNA情報がちかそうだ。■しかし、両者がくらしてきた、千年以上にもおよぶ生活文化の隔絶性を無視して、両者はちかい、と断言していいのか? たとえば、草原で動物性たんぱく質を主に消費する生活と、広葉樹林を基本にした森林のしまじまで、植物および海産物を主に消費する生活とをである。■はっきりいって、そういった生活文化の基礎部分の長期的伝統の差異がおおきれば、双方の言語が語順でにているとか、かきことばが漢字の影響をうけ、たてがきだとか、そういった文化的類似性など、たかがしれている気さえする。
■しかし、このモンゴル/ヤマトの比較は、「鎌倉」期・「平成」期の比較にだって、充分応用できるはずだ。食生活も日常の生活リズムも、エネルギー消費も、おそらく骨格も全然ちがうのだから。


■それはともかく、「Wallerstein」氏は「中世史研究の立場から見た「日本人」についてもう少し考えてみたい」としめくくられている。たぶん、続編を期待してよいのだろう。うれしいかぎりである。■ねがわくば、「日本列島関連中世史」を研究する現代的意義を、しろうとにもよくわかるように、ご教示いただきたいものだ。
■そりゃまあ、「Wallerstein」氏も話題にされているとおり、元寇ショックというトラウマは、「むくりこくり」はもちろん、「元寇」という歴史用語自体のイデオロギー性もふくめて無視できないとはおもう。■「倭寇」の実体とかも、ね。
■しかし、「中世期」の「日本列島」と「現代日本列島」とでは、その連続性をかぞえあげる方がむずかしいはずだ。たとえば、当時の文書のコピーが入手できたとして、それを解読できるのは、人口の1%もいないはず。すみがきされた肉筆のもちいるモジ体系と、印字されたモジ体系は、事実上異質なのだから。文法・語彙以前にね。当時のことをときあかさないと、理解できない現代のカラクリ。解明することによって、びっくりするような関連性がうきぼりになる、中世・現代の連続性…などなど、「Wallerstein」氏が大学で展開しているだろう、魅力あふれる素材を提供ねがいたいものだ。
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コメント

『戦前の少年犯罪』(築地書館)を推薦します。

『サンデー毎日』(2008年1月27日号)の102ページで紹介されていた『戦前の少年犯罪』(築地書館)という本を読みました。
上記の『サンデー毎日』102ページによれば「そもそも少年犯罪は戦後民主主義の副産物だという俗説は正しいのか。否である。誰も知らないか忘れているだけで、当時も現代と同じか、もっと凄まじい事件が、嫌というほど繰り広げられていたのだ」とのことです。
『イデオロギーとしての「日本」』(三元社)のような「日本」という定義自体に揺さぶりをかける労作もありますが、仮にいわゆる「日本」に一定程度の文化的共通項があったとしても、近代以降の同化政策後でさえ戦前と戦後でこれほどの犯罪の質及び量の違いがあるのなら、そうした安全性(犯罪の質的量的減少)をきりすてた文化的連続性を論じること自体が、犯罪の被害にあわないでいられる(と思っている)人間の趣味の粋を出ないといえましょう。もちろん、治安の悪いと思われる国や地域にわざわざ出かけて治安を改善するために献身しなければならない義務など誰にもないのですが、「仮に文化的均質性が証明されたとしても、命にかかわる犯罪をあつかった『戦前の少年犯罪』にくらべて、本質的に瑣末な主張にとどまることはおそらく確実であろう」という推論をここに述べておきます。

■管賀 江留郎『戦前の少年犯罪』(築地書館)http://www.google.co.jp/search?num=20&hl=ja&rls=GGLJ%2CGGLJ%3A2006-29%2CGGLJ%3Aja&q=%E7%AE%A1%E8%B3%80%E6%B1%9F%E7%95%99%E9%83%8E%E3%80%8E%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E3%80%8F%EF%BC%88%E7%AF%89%E5%9C%B0%E6%9B%B8%E9%A4%A8%EF%BC%89&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
は、ツン読になっている本です(笑)。■本ブログでリンク集におさめてある「少年犯罪データベース」(http://kangaeru.s59.xrea.com/)の主宰者氏がおかきなったとのこと。とうとうでたか、との感が。
■一部感情的な反感をかっているようですが(http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4%E7%8A%AF%E7%BD%AA-%E7%AE%A1%E8%B3%80-%E6%B1%9F%E7%95%99%E9%83%8E/dp/customer-reviews/4806713554/ref=cm_cr_dp_all_helpful?ie=UTF8&customer-reviews.sort%5Fby=-SubmissionDate&coliid=&showViewpoints=1&customer-reviews.start=1&colid=#customerReviews)、データが事実をものがたっているとおもいます。
■いずれ、紹介文をかくつもりです。「宿題」ばかりたまっていますが、別の日記でかいたとおり、能力・状況のゆるす範囲で(笑)。

動機は気にしなくても

前回はお返事をいただき有難うございました。

自分としては調査そのものに意味があると思っています。「では、とおう。」以下の疑問に対してもこれから調べましょうでいいのではないかというふうに。一回の調査で全てわかったとは言えないでしょうし。

誤字脱字報告です。

■いや、ミトコンドリアDNA~のくだり
下から5行目「たかがしている」

■それはともかく、~のくだり
上から13行目「むずかしいとはずだ」

小説サイトに普段報告しているのですが、
こちらには不必要であったならすみません。

ご指摘ありがとうございます。

ネットウヨクさま

■固定ハンドルによって 同一性は保証されるのですが、どうも「ウヨク」には分類困難なかたのようにおもえてなりません(笑)。

■それはともかく、「小説サイトに普段報告している」とは、どういったことでしょう? ここでのやりとりの概要とか、転載ですか?■まあ、それでしたたら、どういった文脈の議論なのか、ご一報くださるとさいわいです。

■ちなみに、「動機」はどうでもいいとは、当方かんがえないんですね。国税による研究助成の正当性といった問題ももちろんありますが(いや、むしろ国家官僚なら、国民の連続性を証明しようという研究に助成して当然でしょうが)、科学のなをかたった客観性という、権威主義が問題なのです。■「鎌倉時代以降日本列島の人的出入りはおさまって安定した」といったイメージで安心する層、そういった物語が定着することによって得する層など、かならず利害が推定できます。である以上、そこに「証明作業にかける動機(利害・欲望)」と、それをかくすことによって構築される権威主義というのが、無視できるはずがないと。

■「研究なんて、自由なんだから」とか「研究は、実利をもとめないあそびの精神が必要」といった、よくある議論について、当方は警戒的です。

「小説サイトに普段報告している」とは

すみません、言葉足らずでした。

私が普段小説サイト様へお邪魔しているとき、
ここ間違ってますよーと指摘したりするのですが、
作品としての質を上げるために聞き入れてもらえるのです。しかし、こちらのように頻繁に更新されるブログ形式のサイト様に必要かどうか判断できなかったのです。

こちらでのことについて他所で議論をしていたりするわけではありません。
はっきりしない文章で申し訳ありません。

ネットウヨクという名前は、外では投票に行ったりするぐらいでインターネット上でしか政治等について話題にしないということで僕にぴったりだと思ったのです。

僕は自由でいいと思っていますが、よく考えてみます。

ありがとうございました。

■まあ、政治的左右は、主観の問題とか、相対的な問題でもありますけど、既存の政治経済的利害を維持しようとするか、不公平を是正しようとするかは、かなり客観的に指標になるとおもいます。■「日本版ポリティカルコンパス」などは、そのいい例かと。


■旧ブログなんかでも、数年まえにかいた記事について、どなたかがキャシュ情報からたぐった形跡をしって、ものすごい誤記にきづかされることがあります。■すぐに、こっそり訂正しますけど(笑)。

絶望先生1巻の「前巻までのあらすじ」風味の新刊紹介

「父親」と書いて「チショ――――――――――――――――ヤ」とよむのはネタとしてみとめられるが「すてきらしい」などという造語を認知するわけにはいかない、という批判を国立●語研究所からうけた、自称サブカル評論家の五郎。ある日、入信してもいない宗教法人「『美しい国』語教化書をつくる会」から背信者として追われる羽目に。
同教団からの迷惑メール攻撃にはフィン・ファンネル・フィールドで対応しつつ、「『離婚後300日問題無戸籍児を救え!』(明石書店)という本が疋田桂一郎賞をとったんだから、オレの造語も認知しろ」と反撃するも、ついたあだ名が身におぼえありまくりの「左翼ゲリラ」。言いえて妙なあだ名に納得し、引きこもりを決意するも、どうせ引きこもるならと、聞いたこともないような●●●の●●●に●●●を迫られる。

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