プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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政治経済学的な意味での保守主義

■極度の睡眠不足だし、本務を中断してなので、みじかめに。■「Wallerstein」氏の『[重]塾講師のつぶやき』の最新記事「いわゆる「保守言論の劣化」について」をよんだ雑感。

■「Wallerstein」氏らの整理によれば、①冷戦構造をひきずったままの 「賞味期限切れ」に無自覚な「媚権派」「自動政府擁護システム系」と蔑視される層と、冷戦構造にとらわれず、ときに左派との連携もためらわない あたらしい保守層が対立をはじめた(「在沖縄米軍兵士の少女「暴行事件」での沖縄バッシングとそれへの保守派の反発」)。■②後者による前者への批判は、「劣化していた左派論壇が衰退した結末を受けて対抗すべき敵を失った保守論壇内部の差異が「保守論壇の劣化」という保守論壇内部からの危機意識となって現れているのではないだろうか」と。■③「今の右派には教科書がない。反面教科書として特定アジアや、左翼が存在しているだけである。左翼は政府を批判することが自己目的化しているから、それをアンチテーゼとすれば自動的に親政府的になる。そのような環境の下、右派としてのアイデンティティが確立しないまま政府や与党を支持することが自己目的化した人間が増殖する」のだとか。■④しかも「彼らは別に誰に強制されるでもなく、特定の誰かを支持するわけでもなく、一生懸命自分の意見を発信しているつもりだけれど、結果としてそれがいつも政府にとって有利な意見になってる」「…『自動擁護システム』系の人って自分たちのことを『多数者』だとは考えてないんだよな。『多数者』は皆んなマスコミに踊らされてて、自分たちはそのインチキを見抜ける『賢者』だと思ってる(笑)昔のサヨクみたいに(嘲)」「…自分たちが『特別』なのは、マスコミやなんやに踊らされる『愚かな大衆』と違って『冷静なものの見方』が出来るからだ、と思い込んでるんでしょ?(笑)オウムみたいに(嘲)
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■現象的には、かなり いいところをついているようにみえるが、どうも違和感がのこる。

■たとえば、③を改変すると、つぎのようなパロディができあがる。「今の左派には教科書がない。反面教科書として反中派や、反韓派などが存在しているだけである。右翼は政府を擁護することが自己目的化しているから、それをアンチテーゼとすれば自動的に反政府的になる。そのような環境の下、左派としてのアイデンティティが確立しないまま政府や与党に反対することが自己目的化した人間が増殖する
■同様に、④を改変すると「彼らは別に誰に強制されるでもなく、特定の誰かを支持するわけでもなく、一生懸命自分の意見を発信しているつもりだけれど、結果としてそれがいつも政府にとって不利な意見になってる」「…『自動批判システム』系の人って自分たちのことを『連帯できないでいる意外な多数者の一部』だとは考えてないんだよな。『多数者』は皆んなマスコミに踊らされてて、自分たちはそのインチキを見抜ける『賢者』だと思ってる(笑)陰謀論系ウヨクみたいに(嘲)」「…自分たちが『特別』なのは、マスコミやなんやに踊らされる『愚かな大衆』と違って『冷静なものの見方』が出来るからだ、と思い込んでるんでしょ?(笑)オウムみたいに(嘲)
■もちろん、あわせカガミのように対称形にはなっていない。しかし、たがいに敵対者を必要としていて、敵対関係自体がついには自己目的化し、ほとんど自動機械のように反射的言動に終始して自己批判ができない体質は、左右両翼共通の致命的欠陥ではないか? 巨視的な政治経済的な布置関係を冷徹に観察できず、多数派形成には有害無益な主観的情勢分析をつづけ、ただ自己満足的に自慰的言動をくりかえす。…■アンナ・フロイトが指摘した「攻撃者との同一視」という防衛機制の典型例といえるだろう。

■ライバルがいないと元気がなくなる連中など、はっきりいって、どうでもよい。■むしろ、仮想敵をつくりつづける、各国政府のいきのこり戦術を分析するときに最大限に知見を利用すればよかろう。オーウェルの『1984年』の3つの超大国とそっくりなことを、実際の国家群はくりかえしてきたし、今後もしばらくはつづけるだろう。「内憂」をごまかすためには「外患」がないとこまるわけで、国家エリートたちにとって、「外患」をせっせと育成することは、古今東西普遍的な「エリートの存在理由」なんじゃないか?

■しかし、よりふかくかんがえねばならないのは、「保守派」というのが、既存の政治経済的利害関係を保守維持することをよしとする層をさすのであって、ナショナリストとは、本質的にズレをかかえる概念ではないか? という点だ。「沖縄はかけがえのない同胞だ」といったナショナリズムが共有されていれば、「住民被害 << 国益≒安保体制擁護」といった図式にのれるはずがない。■たとえば、基地周辺の保守政治家やその支持層の図式は「住民被害(≒交通事故的リスク) << 現金収入≒安保体制容認」といったものだろう。日米両政府が、沖縄など米軍基地集中地域に対して「アメとムチ」を縦横に駆使できるのは、こういった図式が「充分現実的」であり(なぜなら、駐留米軍は、国際戦略大改編などがないかぎり、不動だから)、いままでどおりの政治経済的特権をむさぼりつづける(依存し続ける)ためには、「ムチをくらわないように、アメをなるべくおおくしゃぶる」という、既存のシステムの存続にたどりつくからだ。■これは、「かなりヤバいな」とおもいつつも、やめられないという意味で、まさに依存症的状況だ。
■このようのかんがえたとき、沖縄での事件や、沖縄バッシングにいかりをおぼえるヤマトゥンチュたちを、安保体制にしばられない あたらしい保守といった規定をするのは、少々まずいのではないか? ■もし、自民党や民主党あたりの既存の政治経済学的利害の保守指向のわくをはずれないのなら、反米的な姿勢はとりようがないのだ。アメリカにいうことはいう、などと、いさましいことをくちばしりながら、結局、沖縄問題などにまともに呼応しない石原都知事とか、その典型的なケースだろう。内心「嫌米」であろうと、政治経済的には友好・同盟関係を維持するほかないのだ。だって、それに根本的なメスをいれれば、既存の政治経済的利害の構造を破壊してしまうから。
■もちろん、王党派にして沖縄をふくめた愛国心のかたまり、といった層は充分ありえるだろう。対米追従を必要悪とみなしているだろう(あるいは、本気で「用心棒」あつかいしているかもしれない)現天皇アキヒト氏に、駐留米軍集中を打開させるような姿勢・発想がでてくるはずがないのだから、こういった反米右翼は自己矛盾をきたすだろうが。いずれにせよ、「保守派」と分類するのは、問題がのこる。
■そして、もし自己矛盾をきたさない反米右翼がありえるとしたら、フランス/アメリカ/ロシア/中国のように、王族が存在しなくとも成立する、「透明な帝国」への愛着だろう。「透明な帝国」は、すくなくとも タテマエでは、非合理な世襲・特権の護持なんてのは否定するはずだ。「帝国の理想」に心酔し、自己犠牲的に「帝国の栄光」をささえるものに 充分なむくいをかえす(それが、経済的なものか、名誉のようなかたちか、わからないが)ことになっているから、民間企業の業績原理みたいなもので、国家がなりたつという理念。これだったら、「沖縄バッシングは売国奴」みたいな論理が当然でてくるだろう。■しかし、「新保守主義」とはちがう「新自由主義」の時代だといいながら、既存の政治経済的特権をチョロまかすのではない方向性をむいている層がいるようにはみえない。天皇制をはじめとした、「日本文化」や「日本民族」なる本質化をかかえこまないでいれば、それだけで「新保守主義」とはちがう「新自由主義」に転身できるわけではなかろう。以前から何度かのべきたとおり、ハラナ自身は、「新自由主義」とは「偽装新保守主義」の一種だとにらんでいる。「新自由主義」を標榜する連中が、アメリカの「ネオコン(新保守主義)」となかがよさそうだというのは、単なる皮肉以上の意味があるはずだし。■ちなみに、もとトロツキー主義者で、亡命アシュケナージを基盤とするネオコンが、田中宇氏のいうとおり、ユダヤ系の多国籍資本の利潤最大化をはかっていて、アメリカの国益なんて二の次だとすれば、かれらを「新保守主義」ってよぶのも、なにか すわりがわるいよね(笑)。

■こうやってかきだしているハラナは、「Wallerstein」氏の「劣悪な「媚権派」「自動政府擁護システム系」を排除した保守論壇は、左派論壇にとってはむしろ強敵となるように思われる」という見解には、賛同しない。■主観的に「「媚権派」「自動政府擁護システム系」を排除した保守」は、これまでの歴史では、マイナー化して、過激分子としてツブされる宿命をおってきた。せいぜい「2・26」や「5・15」のように、粛清されたあとで、体よくもちあげられるという素材として利用されるだけでね。■それと、そういった、マイナー化をまぬがれないだろう あたらしい保守層が「強敵となるよう」な「左派論壇」なんぞ、もはや無用の長物だとおもう。それこそ、 「賞味期限切れ」そのものではないか?
■もちろん、「Wallerstein」氏が、うえのいずれにもあてはまらない右派の動向を具体的にとらえており、しかも左派との連携は困難であるといった理由を分析ずみであるなら、うかがいたい。

■結局ながくなった(笑)。睡眠不足なので、論理が飛躍・破綻しているかもしれない。
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コメント

本項目に関係するか否か微妙ですが

『精神保健・医療・福祉の根本問題』(批評社)という本を紹介します。まあ、あえていうなら、安全な生活の根本を規定しているという点において関係なくはないということは出来るでしょう。

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