プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「量的蓄積の質的転化」考1

■「量から質への転化」問題については、旧ブログで何回かふれた。■異論をとなえるむきもあるようだが、物理化学的、あるいは、人文・社会的にも、ごくごく普遍的な構造だといえるだろう。
エンゲルス自身は、摂氏100度をこえることで、1気圧下のばあい「水」は沸騰する。つまり、分子運動の増大が一定水準をこえたとき、分子の結合形態が質的に変化してしまうとか、そのヘンに着目して、『自然弁証法』の重要なはしらにすえたようだ。■たしかに、このヘンのカラクリは、有害物質というのが、量的な大小(ヒトけたちがっていくといった次元でだが)で、きまってしまうとか(たとえば、ごく微量なダイオキシンは健康被害をもたらさないが、高濃度の食塩は「劇薬」としてはたらくとか)、およそあらゆる局面で応用できそうだ。
■もちろん、この『自然弁証法』での論法が、機械的に革命理論にあてはめられたなんてのが、悪評たかいところだろうが、たとえば、個人の趣味の段階だったものが大流行につながって、社会全体をおおきく規定してしまうなんてのことは、いくらでもあげられそうだ。■実際、ベストセラーとか、世論とか選挙なんてのは、そういった面がちいさくないはず。勝者が「ゆきだるま式」に、常勝組に転化していくといった「マタイ効果」(ロバート・K.マートン)などもそのひとつだろう。
■そして、かくいう、このハラナ自身も、旧ブログから3年強、ほぼ毎日記事をかきつづけてきた蓄積は、「量的変化の質的転化」とみなしてよいと確信している〔「アリバイ的更新」「旧ブログから通算3周年」〕。記事をかく速度。その素材をあつめ処理する てぎわ。話題・論点をさがす視座など、さまざまな面で、3年前とは全然別の自分がいる。単に、コンピューターの技術とか、作文能力とか、そういった次元ではない質的な変化があらわれた。■「継続はちからなり」という格言は、まさに「量的変化の質的転化」を芸道についてのべたものだろう。 ■で、こういった議論は、当然読書にも応用される。たとえば、経済評論家の勝間和代氏などは、「情報は、一定量集めると質に転換」するが、読書はその情報の質が突出してたかい反面、転換率がよくないがゆえに「大量の情報を頭に入れることで、質への転換を加速させる」*。そのためにも、「本は乱読でいい。量が勝負と、ひたすらインプットする」「インプットを繰り返していくと、それが一定量を超えた瞬間、ある日突然わかるように」なる**と主張している。

* 『効率が10倍アップする新・知的生産術』ダイヤモンド社,pp.164-5
** 『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』ディスカヴァー・トゥエンティワン,pp.89-90

■「この格差社会を子孫も含めて生き延びるために勉強しよう」***などと、臆面もなく格差社会を自明視した、利己的生活戦略を展開されると、「ちょっとまった」****といいたくなるが、ここではツッコミをやめておく。また、乱読をささえるための、方法論的にも整備された体系的速読法があってのことらしいので、そういった技術的な面もここではたちいらない。■重要なのは、質のたかい情報をあつめる もっとも効率のよい手法が、ハードカバーの2000円以上の本を、情報のめきききの意見を参考に多読することだと、主張している点だ。精読しようとすると、全体のながれをつかみそこねるし、時間ばかりかかって量をこなせない。つまり、質をたかめようと読書速度をおとしても、アタマにのこって血肉化した 活用可能な知識の総量はへってしまい、要するに効率がわるいと。■これは、研究者や文芸評論家系の、熟読・精読派とは方向性がちがうといえばちがうが、「少数の良質な古典をくりかえし精読していれば、聖人君子になれます」式の読書論を破砕するだけの破壊力をもっているとおもう。
■ビジネスの効率「10倍アップ」を追求する人生が、いきかたの質をマシにするか保証などないが、古典精読主義が、市場原理で成功することはまずないし*****、市場にのらないうえに 俗物ぞろいの知識人となれば、古典への権威主義がすたれたときに、存在意義をうしなうだろう。

*** 『無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法』p.20
**** 格差社会を是正していく方向性は眼中にないらしいし、親族・友人・懇意の知人以外が、格差社会のなかでズブズブしずみこんでいくことは、努力不足・情報不足ということなのだろう。
***** ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の新訳がベストセラーとかいうのは、「くるいざき」というべき現象だろう(笑)。

■一方、基本的にバクチうちだから、ふざけた享楽的な日常をおくっているけど、ときどきマジなんだよ、といわんばかりの 森巣博氏は、つぎのように『無境界家族』(集英社文庫版,pp.233-4)でかいた。

 サヨクの人たちには申し訳ないが、レーニンは大嘘つきである。
 他の主張はどうあれ、わたしは永い間、
――量(クオンティティ)は質(クオリティ)を含む、
とするレーニンの言葉を信じていた。
 前作『無境界の人』と本書を書くにあたって、わたしは厖大な量の「日本人論」「日本文化論」「日本文明論」を読んだ。もうこの時だけは、寝る間も惜しんで、朝から晩まで読んだ。
 しかし、その厖大な量(クオンティティ)の中に、質(クオリティ)は一滴も含まれていなかった。……


■森巣さん。メタ言語という方法論的視座をもちあわせていない、「日本人」「日本文化」「日本文明」という幻影の正当化作業を、いくら大量によんだって、それ自体で、あらたな「質」に達するはずがないじゃありませんか(笑)? それら膨大なデータに対する、メタ言語をかく方向でないかぎり。■森巣さんご愛読のベネディクト・アンダーソンの議論をふまえた「日本人論」論、「日本文化論」論、等々は、たくさんあるはずですよ。わざと、はなしのオチをつくろうと、はしょっているのは、よく わかりますが(笑)。【つづく】
スポンサーサイト

タグ : 日本人論 日本文化論 日本文明論 多読 乱読 精読

<< 「量的蓄積の質的転化」考2【追記あり】 | ホーム | メタ言語論(素描力・批評力・反撃力8) >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。