■数日まえの記事だが、一応記録しておこう。
■「
ビーガン(徹底的ベジタリアン)でない層が 無自覚に差別する異文化(イルカ漁)」の続報。
映画:「ザ・コーヴ」上映予定の映画館周辺、街宣禁止 横浜地裁が仮処分決定 和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描いた米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」を上映予定の映画館「横浜ニューテアトル」(横浜市)に抗議活動をした民間団体に対し、横浜地裁は同館周辺での街宣活動を禁じる仮処分決定を出した。同館が申し立てていた。
決定は24日付。半径100メートル以内で大声で演説することや、無許可で館内に立ち入ることを禁じている。
配給会社「アンプラグド」(東京都目黒区)によると、コーヴの上映をめぐっては、東京地裁が4月、同社事務所周辺などで街宣を禁じる仮処分決定を出したが、映画館を対象にした決定は初めて。
同館は来月3日からの上映を予定しているが、団体側は映画を「反日的」と批判し、今月12日には数十人が映画館前で上映中止を訴える街宣活動をした。
同社は「映画館と協議のうえ、このような対応に至った」と話している。
ザ・コーヴ:映画館周辺での街宣禁止…横浜地裁が仮処分
ザ・コーヴ:全国22の映画館での上映決まる
ザ・コーヴ:ネットの動画サイトで無料放映へ
映画:「ザ・コーヴ」上映中止に懸念…日弁連会長が談話
毎日新聞 2010年6月26日 東京朝刊--------------------------------------------
■イルカ漁にこだわる関係者も、非難する関係者も、よくわかっていなくても、どちらかに加勢しようとするギャラリーにしろ、ことの一面しかみていないようにおもえる。■異文化の食生活をとやかくいう層も、自文化の食生活を全面的に正当化しようとする層も、どちらもまちがっている。それを世界中の住民がなっとくすることが必要だ。まあ 何十年後になるか わからないが。おなじナショナリズムでも、ローカルスポーツの自己満足とか、ワールドカップで一時的熱狂によっぱらう方がずっとずっと たちがいい。
■みんなでドキュメンタリー映画
“いのちの食べかた”でも鑑賞すればいい。
●
ザ・コーヴ - Wikipedia●
The Cove (film)- Wikipedia 【スパムコメントあつかいをうけたための付記 2010/07/29 23:51】
伝統の捏造(ネツゾー)貝枝さま
●右派の妄想的伝統論を全文引用します。
【警鐘】既に成功しつつある年号の排除
青山 登
外国人参政権・夫婦別姓について警戒する声が強く自由民主党も
今回の参議院議員選挙では正式に反対することを表明した。
油断ならない状況ではあるが反対の声もそれなりに力強いので、
阻止の力を結集・持続していくことが大切だと思う。
一方、日本解体でもっとも成功しつつあるのが平成の年号の排除
ではないか。いままで年号を使ってきた企業などが急速に西暦を用い
始めている。
日本人は「グローバル」とか「地球市民」をなにかありがたいと思う
性癖があり、ことの是非を論じないで「時の流れ」といえばそれで
聞き手を黙らせられると思っている。年号などは古いのだといわれる
と年号を使い続けたい人も怯んでしまう。
テレビの番組を見ているとメディアでは年号で覚えているはずの
生年月日さえも西暦に直しているが、出演者への強制が働いている
ような気がする。
保守の論壇となっているメディアでも年号を主として用いているのは
「産経新聞」と「正論」だけになっているようだ。「諸君」もあるときから
そうなっていた。「諸君」は保守を装っただけの雑誌だったと識者から
喝破されているが、私も「紳士と淑女」というコラムの不敬さに不快感を
覚え廃刊の数年前から諸君の購読は止めていた。
いまも、左翼でないだけの地球市民的雑誌が保守を装って結構
活躍しているように思う。
今回の参議院宣で驚いたのは自由民主党の参議院選挙の
パンフレットである。年号は括弧書きさえもされていなかった。
中国の李鵬前首相は、首相だった李鵬氏は平成7年、豪州を訪問
したおり、ハワード豪首相に、「日本など20年も経ったら、この地球上
から消えてなくなる」との発言をしたといわれているが、事実とすれば
その予言は実現しつつあるような気がしてならない。20年後とは
平成27年、あと5年である。
『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html
『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)------------------------------------
■精進料理だと、懐石料理とか、京都などを中心に継承されてきた食文化は、さすがに100年程度の蓄積ではすまない「伝統」があるんだとおもいます。■まあ、「京料理」という名称自体は、「
京都で培われた伝統の料理を「京料理」という名称で包括して表現するようになるのは明治時代以降であると考えられており…、京都の特性が培った伝統と技術に対して、後付で付けられたものである。戦前までは大阪の料理とまとめて関西料理(あるいは上方料理)とするのが一般的で、ことさら京料理と強調することは少なかった……京料理という名称の使用として確認できるものの一例としては、1917年(大正6年)に京都の料理人らによって発足した調理研究好友会が発行する機関誌の名称として残る『京料理の栞』や、1886年(明治19年)から開催され、2005年(平成17年)に100回を迎えた京料理展示大会などがある。」(ウィキペディア「京料理」)ということなので、それも 慎重に吟味する必要がありますが。
■それはともかく、ましこ・ひでのり『日本人という自画像』の最終章に、「「のろい」としての大和魂」(
http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/100.htm)という文章があり、尾藤正英『日本文化の歴史』(岩波新書)をはげしく批判していますが、変動・変質ではなく連続性を強調しようとすると、途端に通史はイデオロギーに堕するようです。■リベラル左派とみなされただろう家永三郎氏ですが、「日本文化」という連続性=実体に対する信仰はあったはずで、尾藤氏同様、ねいものねだりなのではないでしょうか?
■ちなみに、「
一部の文化をのぞけば、やはり伝統とされる食文化も江戸時代後半に創造されたもの」というご指摘は、ただしい事実認識だろうとおもう反面、伝統論者してみれば、「150年つづけば充分伝統」といいはる素材になりそうです。■いや、古式とは全然ことなり、まさしく伝統の創造ではあっても、テレビ中継を前提にした大相撲という興行は、半世紀以上のちいさな「伝統」であり、おしまれるかどうかはともかく、「大したもの」ではあるわけです。2世代にわたる継続性というのは、維持されるだけの求心力があったわけで、さまざまな障害をのりこえたという証拠ですから。■それはともかく、やはり、「伝統の創造」というときには、前近代以前に起源がさかのぼれるかどうかに、かかっているような気がします。■たとえば、剣道は、あきらかな「伝統の創造」ですが、しない(竹刀)は、前近代に確立した稽古具だろうとか…。
■まあ、それからすれば、うえに引用した右派の論理は、「一世一元の詔」(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E8%A9%94)がだされるまで、歴代天皇個人と元号は対応していなかった「伝統」を意識的にか無視したものであり、「一世一元の制」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E5%88%B6)は、まさに、「伝統の創造」の典型例であること、「元号法」(1979年)が成立するまで、「
第二次世界大戦後に制定された日本国憲法、1947年施行の皇室典範では元号の規定が明記されず、1947年5月3日を以って元号の法的根拠は消失した」(ウィキペディア「一世一元の制」)といった空白期間があったことさえも、意識的に無視するといった、はじしらずな姿勢を露呈しているわけです。■このあたりは、夫婦別姓問題とおなじですね。ウィキペディア「夫婦別姓」(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%88%A5%E5%A7%93#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E8.BF.91.E4.BB.A3.E4.BB.A5.E9.99.8D.E3.81.AE.E6.B0.8F.E5.90.8D.E5.88.B6.E5.BA.A6)などでも、なぜか、
「
1876年(明治9年)3月17日 太政官指令:夫婦別氏の制定
苗字・氏が義務化されると婚姻後の氏をどうするかが問題となったが、婚姻後の妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)とされた。しかし一般には妻が夫の屋号や苗字を私的に称することもあった。
1898年(明治31年) (旧)民法成立:夫婦同氏の制定
明治民法では夫婦同姓案が示され、我が国古来の家父長制度に反するとして反対が強かったが、家制度(または戸主制度または家父長制など)を導入し、戸籍は家を示すものとした上で「妻は婚姻によりて夫の家に入る」とされた(明治民法788条)。これによって、夫婦が家を同じくすれば氏を同じくすることとされた…
…日本で夫婦同氏が強制されるようになったのは、1898年(明治31年)に施行された明治民法によってであり、古くは姓はもちろん名字も夫婦別であり(例えば足利義政の妻(正室)は日野富子である)、夫婦別氏の方が本来の日本の伝統であるという反論がある。…」
あたりは、主要な論点とみなされていないようです。
■同姓が伝統などとすごむ連中(たとえば稲田朋美
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%94%B0%E6%9C%8B%E7%BE%8E#.E9.81.B8.E6.8A.9E.E7.9A.84.E5.A4.AB.E5.A9.A6.E5.88.A5.E6.B0.8F.E5.88.B6.E5.BA.A6.E3.81.AE.E6.B3.95.E5.88.B6.E5.8C.96.E5.95.8F.E9.A1.8C)は、ともかく「歴史にまなばない」反知性的部分です。■弁護士っていうのは、玉石混交ですねぇ。稲田・橋下・西村…。判事・検察官もそうか…(笑)。
スポンサーサイト
テーマ : 環境・資源・エネルギー - ジャンル : 政治・経済
タグ : ナショナリズム食品ハイパー独裁
この掲示板には食文化についても保守的な人はいないのかもしれませんが…
本稿の議題になっているイルカをふくむ動物性食品の様に、その飼育(肥育?)にかかるカロリーを必須の穀物に転用して途上国等の貧者に無償配布すべきという論理には正当性があるでしょう。ですから、小生は動物を食べることは社会的公正の観点から妥当ではないことはみとめます。
ただ、野菜や果物(植物起源の油・調味料・香辛料、さらには調理法)の様に、社会的公正の許容範囲のものであれば、
>おなじナショナリズムでも、ローカルスポーツの自己満足とか、ワールドカップで一時的熱狂によっぱらう方がずっとずっと たちがいい。
などという、『たたかいの社会学』(三元社)で論破されつくした様な、スポーツなどという愚昧な現象とは根本的に別次元の、文化的意義があるとおもいます。
一例ですが、小生の親族からの情報によれば、むかし我が一族は「アカザ(藜)」という植物を食べていたそうですので、小生も真似して食べました。そして、そのアカザには「茎葉を乾燥して其の煎じた汁を口の中に含めば虫歯の痛みを治し、また生葉の搾り汁は毒虫などに刺された時塗ると良し」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B6
との薬効もあり、やはり先人の知恵にはまなぶべきところがまだまだ多い様におもわれるのです。
それゆえ問題は、やはり食文化の保守主義が肝心なのとではなく、動物性食品の様に環境負荷がある場合と、そして薬効がある植物だろうがなんだろうが「食べたくない」という人に無理には食べさせない、という人権に配慮した姿勢をつらぬけるか否かが肝心であるとおもいます。(ついでにいうと、環境負荷も問題の根本は人権侵害につながるからであって、究極的にはやはり人権侵害の有無を基準とすれば、それだけで基準は十分なのでしょう)
ここにいるぞ!
……いや、単にネタをかましたかっただけです。
(ネタ元は以下のページ参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%B2%B1
あと、気がむいたら以下のもどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/nexusseed/e/0859e4b5b3ab91f90332f7387f569b8f
いよいよ民度がとわれる
7月3日11時32分配信 毎日新聞
和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描いた米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」(ルイ・シホヨス監督)の上映が3日始まった。この映画については、「反日的だ」として上映中止を求める民間団体の抗議活動による観客や近隣への迷惑を理由に、三つの映画館が上映を取りやめ、言論・表現の自由を巡って論議が起きている。
当初は6月26日公開予定だった。3日は、青森県八戸市▽仙台市▽東京都渋谷区▽横浜市▽大阪市▽京都市の全国6映画館で上映予定。
6館で最も上映開始が早い横浜市中区の「横浜ニューテアトル」では午前10時の上映開始前から警察官十数人が待機し、ものものしい雰囲気の中での封切りとなった。
配給会社「アンプラグド」などによると、午前9時20分の開場時には観客十数人の列ができ、約50人が入場した。
同館については、横浜地裁が6月24日付で民間団体に対し、同館から100メートル以内で拡声機などを使った抗議活動を禁じる仮処分決定を出しており、上映開始時点では、周辺で抗議活動を行う団体はなかった。
一方、上映を支持する市民団体が「表現弾圧を許さない」「『ザ・コーヴ』上映を支持します」と書かれたプラカードを掲げて支援した。事務局の木村静さんは「このまま上映妨害がなければいい」と話した。
アンプラグドの加藤武史社長は「映画の内容については、公開前から賛否両論あったが、上映自体については、さまざまな方に支援をいただいた。日本での公開が実現できたこと、上映を支えていただいた皆様に感謝しております」とのコメントを出した。
横浜ニューテアトルの長谷川喜行支配人も「度重なる抗議の街宣活動があったが、お客様の安全を第一に考え、準備をした結果、本日、初日を迎えることができた」とのコメントを発表した。
ザ・コーヴは3日上映開始の6館ほか、順次、全国18映画館での上映が決まっている。
◇視点や撮影手法 国内では賛否
「ザ・コーヴ」は、和歌山県太地町で行われている漁船と網を使って入り江に追い込むイルカ漁の実態を描いており、反イルカ漁の視点に貫かれている。米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞、海外では高い評価も受けている。しかし、日本国内では一方的な描き方だとする意見や撮影手法を問題視する声もあり、上映前から映画関係者や識者らによるシンポジウムなども開かれ、賛否が割れている。
授業でこの問題を取り上げた大学もある。6月22日に早稲田大学(東京都新宿区)で開かれた授業には、出演している米国人保護活動家、リック・オバリーさん(70)も飛び入り参加した。学生からは「イルカ漁に反対するのはなぜか」「エスキモーは捕鯨をしているではないか」--などの質問が相次いだ。
オバリーさんは「イルカには生死の認識があるほど知能が高い。今の太地町でのやり方は残酷だ。エスキモーはたんぱく源の一部として考えている。太地町のイルカ漁とは違う。一考の余地はある」などと答えた。
撮影手法を巡る論議も盛んだ。大勢の同町漁協関係者が登場するが本人の承諾はなく、漁協側は、肖像権侵害を主張。日本での配給会社「アンプラグド」に上映中止を求めた結果、日本版はモザイク処理された。
早稲田大の授業を担当したアジアプレス・インターナショナルの野中章弘代表は「ドキュメンタリーは物事の本質を伝えるためにはいかなる手段・方法でも用いる」と撮影手法などを擁護する。
また、東京・霞が関で6月21日に開かれたシンポでも製作手法が取り上げられた。映画監督の崔洋一さんは「プロパガンダ(宣伝)映画なので、事実検証の下で作られたとは言い難い」と指摘。また、ジャーナリストの田原総一朗さんは「面白い映画だ。よくできている」と評価した。
【関連ニュース】
<ザ・コーヴ>上映中止が大学にも波及、続く萎縮の連鎖(http://rd.yahoo.co.jp/media/news/rd_tool/maip/articles/soci/SIG=12dvrtlsl/*http%3A//mainichi.jp/select/wadai/news/20100621ddm012040048000c.html?inb=yt)
<ザ・コーヴ>全国22の映画館での上映決まる(http://rd.yahoo.co.jp/media/news/rd_tool/maip/articles/soci/SIG=12d7cr0g9/*http%3A//mainichi.jp/select/jiken/news/20100622k0000m040071000c.html?inb=yt)
<ザ・コーヴ>渋谷の映画館への抗議禁止 東京地裁仮処分 (http://rd.yahoo.co.jp/media/news/rd_tool/maip/articles/soci/SIG=12dcgcrks/*http%3A//mainichi.jp/select/wadai/news/20100702k0000m040104000c.html?inb=yt)
<ザ・コーヴ>ネットの動画サイトで無料放映へ (http://rd.yahoo.co.jp/media/news/rd_tool/maip/articles/soci/SIG=12du5r7fa/*http%3A//mainichi.jp/select/wadai/news/20100618k0000m040022000c.html?inb=yt)
<ザ・コーヴ>上映中止に懸念…日弁連会長が談話(http://rd.yahoo.co.jp/media/news/rd_tool/maip/articles/soci/SIG=12dt9v0e7/*http%3A//mainichi.jp/select/wadai/news/20100617k0000m040137000c.html?inb=yt)
最終更新:7月3日12時9分
映画「ザ・コーヴ」の上映始まる=横浜、青森県など、混乱は無し
7月3日11時23分配信 時事通信
和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描き、アカデミー賞を受賞した米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の上映が3日、横浜など全国の劇場で始まった。同作の上映をめぐっては、市民団体を名乗るグループが「内容が反日的」として、抗議運動を展開。一部の劇場で上映が中止された。
午前10時から初回の上映が開始された横浜市の横浜ニューテアトルの周辺には報道関係者らが詰めかけたが、抗議活動などはなかった。
上映支持のプラカードを掲げて劇場を訪れた横浜市の公務員の男性(49)は「映画を見た上で評価してほしい。表現に圧力を加えるのはおかしい」と話した。
---------------------------------------------
■ちなみに、誤解のないように再確認しておきますが、本ブログのコメント欄は、しばしば「掲示板」的な利用がなされ、運営者もそれを放置しておりますが、ブログは、「開放された私有地」のような空間であり、「匿名掲示板」ではありません。
『コラム日記』(柳原滋雄)から
2010/06/21(Mon)
表現の自由を≪弾圧≫する“ゴロツキ集団”「主権回復を目指す会」 バックに自民都議
偶然か、今日付の「毎日」「東京」がいずれも社説で「イルカ漁映画」(東京)、「映画『ザ・コーヴ』」(毎日)について扱っている。毎日新聞は、「食文化への違いへの目配りのない視点の映画であることは間違いない」としながらも、「言論・表現の自由が揺らぐ問題として受け止めるべきだと改めて指摘したい」と記述。一方の東京新聞は「自分と違う意見を無理やり葬り、脅された側もあっさり屈してしまう」「民主主義の基盤とされる表現の自由が大きく揺らいでいる」と指摘し、「自分と違う意見や気に入らない情報を発信させず、逆に脅迫などに屈することを繰り返していると暗い時代に逆戻りしかねない」と書いている。まさにその通りと小生も感じる。
いずれの記事も団体名を出していないのは、必要以上にこの種の団体の宣伝をする必要はないとの意図があると思われるが、動いているのは「主権回復を目指す会」と称する、在特会と類似の右派系団体で、代表は西村某。会の顧問には、現職の東京都議会議員(古賀俊昭・自民党)がついている。要するに、自民党の都議会議員が、全国の映画館に圧力をかけているのと等しい構図だ。
問題は、こうした“ゴロツキ集団”の域を出ない団体の抗議活動に対し、映画館が横並びで上映中止を決めてしまう“ひ弱な姿勢”であろう。相手を必要以上に過大視しているとしか思えない。映画館は「見てくれた人が自分で判断してくれればよい」ときちんと突っぱねるべきであって、“ゴロツキ”に屈する必要などさらさらない。
どの時代にも、この種の“ゴロツキ”は存在する。要は、そうした“勘違い集団”がはびこらないための社会風土づくりの問題であり、結局はひとりひとりの心にかかっている問題といえよう。
【主権回復を目指す会】 http://www.shukenkaifuku.com/Shusiaisatsubun.htm
【都議会議員・古賀俊昭】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E4%BF%8A%E6%98%AD
http://www.yanagiharashigeo.com/kd_diary/index.htm
2010/07/29(Thr)
“ゴロツキ右翼”の西村某がまた敗訴 東京高裁で20万円
ジャーナリストのU氏が肖像権侵害などを訴えて一審のさいたま地裁川越支部で一部勝訴していた裁判で、28日、東京高裁(民事11部)で2審判決が言い渡された。岡久幸治裁判長は「控訴棄却」の判決を言い渡し、控訴人・西村某(=主権回復を目指す会・代表)の訴えは退けられた。地裁判決では一審原告の西村某に、損害賠償20万円と問題写真の削除を命じていたが、2審の東京高裁も同じ判断を下した。
なおこの日の判決に先立ち、控え室では大声でひとりの傍聴者を取り囲み、ネット右翼らが大騒ぎする場面が見られた。中心になって怒鳴っていたのは、当事者の西村某で、必死に相手を威嚇していた。同人が『ゴロツキ』と評される所以であろう。さらに判決が言い渡された直後には、傍聴席いっぱいに陣取ったネット右翼および関係者らが「不当判決!」「税金返せ!」「まじめに仕事しろ!」などと裁判官に罵詈雑言を浴びせかける“いつもながらの光景”が展開された。法廷を著しく侮辱する行為ながら、係官はなんら制止しようとすることもなく、やりたい放題だった。
敗訴した西村某は、東村山市議「矢野穂積」の主張を熱心に≪代弁≫してきた右翼グループの一人。
【第3次「御用ライター」裁判】 http://www2.atwiki.jp/kusanonemaze/pages/67.html
追加情報
ウィキペディア「矢野穂積」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E7%A9%82%E7%A9%8D)
ウィキペディア「主権回復を目指す会」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E6%A8%A9%E5%9B%9E%E5%BE%A9%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%99%E4%BC%9A)
ウィキペディア「行動する保守」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BF%9D%E5%AE%88)
『日本文化史 第二版』(家永三郎・岩波新書)より
というわけで、そこそこ古い(500年くらい前から「日本」の一部の階級に定着した)食文化というのはあるようですが、そうした一部の文化をのぞけば、やはり伝統とされる食文化も江戸時代後半に創造されたものだとおもわれます。
伝統の捏造(ネツゾー)
ふるければふるいほどよい、と貝枝自身はおもわない。しかし、
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/shurui/1raireki.htm
いや、厳密にいうと全部を食べたわけではないし、ハマボウフウは最近はじめて食べただけだし、ラッキョウとワサビは好きになれないのでイヤイヤ食べているだけだが、それでもふるい文化を継承しているとは言えましょう……え?なんですって?「尊重してもらいたければ単にふるいだけじゃなく、それが皇紀何年であるかを自分で特定せよ」ですって?
古典芸能なんて落語しか知らないので、落語で言及されていたとおぼしき「ナス・ミョウガ」くらいしか年代を特定できないです……って、どっちみち落語じゃ江戸時代どまりですか。
コメントの投稿