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プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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建国神話と植民地状況の否認

■いろいろあって、長文をかける状態にない。リハビリ途上なので、みじかく。

●「岩国市民の声「国に逆らって、なにかいいことありますか?」」『低気温のエクスタシーbyはなゆー』
●「米兵が中学生暴行」『なごなぐ雑記』
●「沖縄の少女レイプ事件、もう岩国の「勝利」を石破防衛相始めとする方々は喜んでいないでしょうね?」『Like a rolling bean (new) 出来事録』


■自主憲法制定をわめきたてる政治勢力が、「おしつけ憲法」の主体であるはずの米国と同盟関係を維持したがっていることの矛盾、駐留外国軍による非道に対して「よわごし」以外のなにものでもない植民地状況については、旧ブログから再三かいてきた。■「建国記念の日」とやらの集会で気勢をあげるひとびとにとって、米軍駐留は、いかなる意味をもっているのか?
■日本列島の「オキナワ化」がすすんでいく。1960年代には、「本土」の反基地闘争をかわすために、米軍基地が沖縄島を中心におしつけられていった。しかし、沖縄島周辺での飽和状態と米軍再編によって基地機能は漏出し、岩国などに「オキナワ」的な構図がおおいかぶさっていく。■「反対したところで、どうせ基地はおしつけられる。だったら、補償金をどれだけひきだすかしかのこらない」といった、無力感・虚無感がじもとを包囲する。「住民意識のオキナワ化」だ。■「オキナワ」からはなれた地域住民は、巨大迷惑施設が生活空間からはなれているために、「ひとごと」に終始する。事故・暴行など事件がおきようと、報道がとぎれれば、そのうちわすれ、「日常」に回帰する。「基地が関係ない毎日」「植民地状況を意識しない日常」へと。

■ふりかえれば、保守層がありがたがる、日本民族の栄光やら伝統やら、そういったものの ありがたみは、ほとんど感じとれない。■かれらは、戦後日本が腐敗し解体の危機にあるとあおり、復古的にその美学をかたるのだが、かれらの政治支配が、朝鮮戦争・ベトナム戦争という「東亜」の不幸を踏み台にした、「高度経済成長」「生活保守主義」「核の傘のもとの憲法9条」によるものだという現実は、巧妙に直視されない。
■散発的にではあれ、国民が暴行をうけつづける国土に「栄光」やら「伝統」をみてとるひとびとの、すくいがたい「おめでたさ」が露呈されるのは、無残な感じだ。■かれらは「同胞」の不幸を、どのようにうけとめて、その「愛国心」とやらを維持しえているのか、実に不可解。すくなくとも、ハラナ個人は、かれらに全然「同胞意識」などもてないし、かれらにも もってもらいたくない。かれらと 大気・水系を共有しているという想像力自体が、いきぐるしくさせる。

■まずい。これ以上分析的にかきつらねると、ねこむことになりそうなので、おえる。



●「祝日の意味再考
●「祝日の意味再考2:文化の日
●「建国神話の政治的意味=祝日の意味再考3
●「祝日の意味再考4:みどりの日
●「増補版Wikipedia 「海の日」=祝日の意味再考5
●「祝日の意味再考6:勤労感謝の日
●「祝日の意味再考7:天皇誕生日
●「祝日の意味再考8:元日=取捨選択版Wikipedia
●「元始祭(増補版Wikipedia)
●「祝日の意味再考9:成人の日=取捨選択版Wikipedia
●「雛祭り(取捨選択版Wikipedia)
●「祝日の意味再考10:昭和の日
●「祝日の意味再考11:昭和の日2 (西村真悟の時事通信)
●「祝日の意味再考12=憲法記念日1
●「祝日の意味再考13=憲法記念日2
●「祝日の意味再考14=みどりの日2
●「祝日の意味再考15=こどもの日

●「ナショナリズム/キャピタリズム、双方とも病理である
【以上、旧ブログ関連記事】


●「祝日の意味再考16:成人の日2=取捨選択版Wikipedia」 
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テーマ : つぶやき - ジャンル : ブログ

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コメント

「美しい国へ」

■「想定内」ではあったが、やっぱりでた うすぎたない植民地主義者たち。

●【沖縄少女暴行】米兵の金づる日本人腐女子が事件を「自己責任」「大げさにしすぎ」と騒いでいる
http://anarchist.seesaa.net/article/83907216.html
●「沖縄レイプ事件は被害者少女の自己責任。騒ぎすぎ」との声が高まる
http://alcyone.seesaa.net/article/83934663.html


■しかし、こういった連中の「思想信条の自由」をゆるしている われわれは、結局12年まえの状況から、ほとんどなにもまなんでいない 「うすぎたない存在」というほかない。
■「美しい国へ」…。いいことばじゃないか? この国情のどこを ほめればいいのか? ■とりあえずの治安・とりあえずの安全以外に、はかばかしい状況がみあたらない、そして、うすよごれた連中が こんなふうにウヨウヨしているこの列島にとって、かっこうのコピーだ。

転載します。

以下の文は、1945年に石橋湛山氏(1956年に総理大臣・自由民主党)が書いた「靖国神社の廃止」の提言記事です。一般にはあまり知られていませんが貴重な文です。今年も又、8月15日の「靖国」の季節を迎えている折りですので、参考になればと思います。

■■引用開始■■

 石橋湛山「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す」

 甚だ申し難い事である。時勢に対しあまりに神経過敏なりとも、或は忘恩とも不義とも受取られるかもしれぬ。併し記者は深く諸般の事情を考え敢て此の提議を行うことを決意した。謹んで靖国神社を廃止し奉れと云うそれである。
 靖国神社は,言うまでもなく明治維新以来軍国の事に従い戦没せる英霊を主なる祭神とし、その祭典には従来陛下親しく参拝の例を尽させ賜う程、我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り、靖国神社の祭典も、果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や、疑わざるを得ざるに至った。殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、その武功を讃える事は我が国の国際的立場に於いて許されるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には,未だ靖国神社に祭られざる者が多数にある。之れを今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには、二年或は三年は日子を要し、年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが、果してそれは可能であろうか。啻に有形的のみでなく、亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何と之れを見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け、祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら,都て戦没者に屈辱を与え,国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。
 又右の如き国際的考慮は別にしても、靖国神社は存続すべきものなりや否や、前述の如く靖国神社の主なる祭神は明治維新以降の戦没者にて、殊に其の大多数は日清、日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭う能はざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之を祭って早速「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代のわが国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうだとすれば、之れはわが国家の将来の為に計りて、断じて歓迎すべき事でない。
 言うまでもなく我が国民は、今回の戦争が何して欺かる悲惨な野結果をもたらせるかを飽くまで深く掘り下げて検討し、其の経験を生かさなければならない。併しそれには何時までも怨みを此の戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ。そんな狭い考えでは、恐らく此の戦争に負けた真因をも明らかにするを得ず、更正日本を建設することはむずかしい。我々は茲で全く心を新たにし、真に無武装の平和日本を実現すると共に、引いては其の功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それにはこの際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令如何に大切なものと誰も、之れを一掃し去ることが必要であろう。記者は戦没者の遺族の心情を察し、或は戦没者自身の立場に於て考えても、斯かる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所ではないと判断する。以上に関連して、茲に一言付加して置きたいのは、既に国家が戦没者をさえも之れを祭らず、或は祭り得ない場合に於いて、生者が勿論安閑として過し得るわけはないと云うことである。首相宮殿下の説かれた如く、此の戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に論議の存する如く、国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくとも満州事変以来軍官民の指導的責任の住地に居った物は、其の内心は何うあったとしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の住地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許しがたい。
靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終わるべきことではない。
                 (東洋経済新報一九四五年十月十三日号)

■■引用終了■■

『毎日新聞』9月10日号5ページより

毎日新聞の5~7日の世論調査(面接)は首相に必要な資質、望ましい政権の形なども質問した。自民党総裁選が10日告示され、衆院選までの「政治決戦」がスタートする中、直面する課題を片づける首相を求める傾向の強まりがうかがえたほか、自民、民主、両党の「大連立」志向が根強いことを示した。【中田卓二】
(中略)
「誰が首相にふさわしいと思うか」との質問は、自由に名前を挙げる方法にしたため、国会議員以外も多数にのぼった。
トップは東京都の石原慎太郎知事で、23人が名前を挙げた。続いて宮崎県の東国原英夫知事の8人、タレントで映画監督の北野武(ビートたけし)さんの5人が続いた。
大阪府の橋本徹知事が3人から支持を受けたほか、フジテレビ系で今年5~7月に放映された政治ドラマ「CHANGE」で首相を演じたタレントの木村拓哉さんに2票、木村さんの役名の「朝倉啓太」に1票が集まった。【田中成之】

『経済セミナー』(12月号)の

45~52ページには「地球時代の社会経済思想」という論文があり、以下の様な記述がある。

以上をまとめると、地球時代の社会経済思想を構成するには、第2節で議論した規範理論に加えて、多くの概念的・哲学的・実証的研究を遂行・総合せねばならない。また、これらは社会科学だけでなく、哲学・政治学・社会学・人類学・文学などの人文科学、そして、自然科学やシミュレーションなどのための計算機科学などの他分野との学際的研究も必要になる。現地球の抱える問題群は、このような総合的研究を送球に行うことを要請している。(51~52ページ)

なんか、すごい「社会科学」イメージですね

■「哲学・政治学・社会学・人類学・文学などの人文科学」って、くくりかたがすごい(笑)。■社会学を人文科学と分類するのは、ありとして、政治学・人類学まで、ふくめてしまうということは、古典的なマルクス系政治経済学以外、社会科学じゃない、ってことなんでしょうね。
■個人的には、こういった科学観のオジサマには、正直「地球時代の社会経済思想」の構築なんぞにかかわってほしくありません(笑)。

侵略国家「日本」黎明編

と題して、今回は『大陸侵略は避け難い道だったのか』(岩井忠熊・かもがわ出版)を紹介いたします。いや、近代「日本」の侵略性全般については、以前紹介した『侵略戦争』(纐纈厚・ちくま新書)ほど包括的でよみやすい良書は存在しないとおもいますが、その黎明期について、すなわち何故軍拡路線の第一歩をふみだしたのかという理由についての論考は、今後の「日本」および世界のあるべきすがたをかんがえるうえで非常に参考になるとおもいます。

『大陸侵略は避け難い道だったのか』を推す理由

歴史は、はじめの一歩をふみあやまると、大変みじめな結果をきたすことがあります。日本の大陸侵略は、歴史の節目ごとにあやまった選択をかさねた結果として生じたのでした。歴史学は教訓を目的とする学問ではありません。しかし歴史学の成果から何の教訓もえなかったならば、国民も人類も滅亡への道をあゆむことになるでしょう。
(同書143ページより)

『大陸侵略は避け難い道だったのか』ざっと、めをとおしました。

■(1) 表題の「大陸侵略」というキイワードは、読者に誤解をあたえますね。満州国をでっちあげるという暴走の前史として、日進戦役・日露戦役が巨大な転換点だというのは ただしいとして、それと満州事変以降とを つなぐ記述が実にうすい。■ご本人は、<付>歴史の偽造「自由主義史観」という補論部分で、その つなぎを はたしていると主張されるのかもしれませんが、「軍国主義の後退」期が「ロシア革命と中国の民族主義の高揚」で国論が一転してしまうといった論理ですましてしまう(P.142)、「おわりに」は、説得力不足です。■陸軍の暴走の基盤が「統帥権」問題が本質だというのなら、日清・日露の両戦役の詳細な経緯の分析など不要です。■「内憂」を「外患」をでっちあげることによって のりきろうとするのは政治のつね。「過剰労働力」の「棄民」問題なら、南洋群島や北米・中南米への「移民」政策として、政治史・軍事史以外の視座をもちこむ必要がありますが、岩井先生には、そういった視点はよわいようです。■そして、南洋群島方面への日本人社会の展開は、海軍が太平洋戦争という、日中戦争と同等に愚劣な展開と並行しているわけで、戦前日本の「大変みじめな結果」(P.143)から教訓をえるためには、「大陸侵略」だけでは たりません。「海洋国 日本」イデオロギー(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/866)へのめくばりも不可欠と。。

■(2) 台湾出兵と日清戦争の意義を、琉球列島の帰属とからめて充分解説している部分は よくかけていますが、一方、北海道近辺となると、単純な日ロ関係史になってしまいます。■いずれにせよ、琉球国の士族たちの動向もかけていませんし、アイヌ民族などの あたまごしにくりかえされた「外交交渉」なるものの問題性にも言及しないのは、岩井先生自体が「想像/創造の共同体」イデオロギーにまどろんでいて、タルド/アンダーソン以前の史観にとどまっている証拠でしょう。■まあ、部落問題研究所、新日本出版社の両方から本をおだしということで、党派性はバレバレですが(笑)。

■(3) とはいえ、<付>歴史の偽造「自由主義史観」という補論部分は、党派性はともかく、よくできた啓発的文章だとおもいます。■まあ、藤岡氏ら実証史学のしろうとを論破するのは簡単なはずですが、問題は、この水準の素養を、現場の中学高校の歴史担当教員がもてているかです。■岩井先生が、こういった文章をかかざるえなくなったという事態そのものが、大学での史学教員養成課程の空洞化の産物であり、それは歴史学界全体の責任ではないでしょうか?■自然科学の研究者が、大槻先生をはじめとして、疑似科学バスターとして活躍しなければいけないのと同形なので、歴史学者だけ せめても、バランスをかくでしょうが。

侵略つながりで

『サンデー毎日』(5.31号)36ページには「なぜ農民は侵略の手先となり また見捨てられていったのか」という記事(「嗚呼 満蒙開拓団」という映画の紹介)がのっています。

桜の花出版

という出版社をしりました。

http://www.sakuranohana.jp/

で、このウヨク出版社が興味ぶかいのは、『国家主義を超える』(講談社)の18~25ページでとりあげられている、さくらを「日本」の象徴とかんがえているとおぼしき雰囲気ですな。あと、「日本」を礼賛する一方で『なぜ私達ユダヤ人は優秀なのか』(http://sakuranohana.jp/book_yudaya.html)という本もだしている点において、出版社自体がイザヤ=山本七平=ベンダサン氏の『日本人とユダヤ人』みたいな感じですが、天皇・皇族・天皇制(以下、天皇等と略)についてはあまりとりあげていない様におもわれます。(サイトをざっと概観した範囲での印象ですが)
もちろん、天皇等を「日本」国家主義の元凶であるかの様にとらえることはまちがっているでしょう。そもそもその様な認識にたってしまうと、王制を克服した国家は国家主義も克服していることになるわけですから、その様な認識では国家主義が「日本」や英国などの一部の国家にのみ顕現しているわけではない現状を説明できません。ただ、日本のウヨクのなかで、天皇等を正当化の根拠としない勢力が出版社まで経営するにいたっているとしたら、それはそれで興味ぶかい現象だとわたしはおもいますが……どーですか?お客さーん!

ま、一方で破壊的カルトである天皇教に対する批判もそれはそれで大事なんですが。
http://www.geocities.jp/abe_netsuzo21/tennoh/index.html

血統カリスマ依存症

■アウンサン・スーチーさんを わるくいうのはなんなのですが、カリスマ性が遺伝するって信仰を「卒業」できていない空間の住民は、ムラびとだとおもうわけです。■その意味では、千年以上つづいた王族…といった信仰をもちださないと「想像の共同体」が構築できず、60数年まえの国家存亡の危機=「卒業」の絶好機をも みすみすのがすような ムラびとなので、そもそも「国際標準」に なじめないのでしょう。少数の例外的天才はいますが…。■自分たちの王族よりも継続性の点で、ものすごくみじかい(血統ネットワークの広範さでは、全然比較にならないけど)英国王室に範をもとめ、建国神話上も比較にならない米国に植民地あつかいされて はじない(自民党や右翼の大半は、そうとしかおもえない)など、その矛盾ぶりは、すごいものがあります。■まあ、厚顔無恥でないと、右派ナショナリストはできないでしょうけど(屈辱をものともしないわけだから)。

■それにしても、このサイトは痛快ですね。これに右翼が反論できるか、みてみたい。

このお方こそ真のカリスマだ!


ますますわからん。

原爆慰霊碑の花まき散らす、礼拝所不敬容疑で逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091019-00000505-yom-soci

とのことなんですが、右翼の中にはヒロシマ・ナガサキの原爆被害者に対してもつめたくあしらって当然という主張の人間がいる(しかも、すくなくない?)んですかね。たしか『はだしのゲン』の中にも、「日本は原爆で戦争に負けたのではなく、日本人のなかに根性なしどもがいたせいだ」といきまいていた中年男性(映画監督?)がいたと記憶していますが、その男性でも被曝者自身にはそんな暴言をはいてはいなかった様な気がするんですが…
もちろん、その『はだしのゲン』にもある様に、地理的にヒロシマ・ナガサキにいたひとは国籍がどうであれ被爆したのであって、朝鮮人(朴さんだったっけ?)も、捕虜になった米国人も、みな被爆したわけですが、仮に「日本人さえたすかればよい」という偏狭な国粋主義にたてばそれら外国人はどうでもいいと思うようになるとしても、ヒロシマの献花をぶちまける心情にいたっては、さっぱりわからん。左翼の貝枝にとっては国籍が同じであることなど別段大事な共通点だとは思わないけれど、国籍にこだわっているであろう右翼が、同胞の苦痛を侮辱する心理や如何に?
おしえてください、タカマサさん。

ウヨク/サヨク考

■サヨクの大半が「諸資源の収集・分配には、もっとずっとマシな解があるはずだ」とかんがえる夢想家たちだとすれば、ウヨクの大半とは「もうすこし うまくたちまわっておけば、もっとおおく領土・領海・資源・資産が あったはずなのに」と妄想する、あるいは、将来的に「皮算用」する野心家たちなのだと、おもわれます。■前者は国家官僚などになると、単なる寄生虫になりはてますが、反体制的であるかぎり(通常は「反体制」派のはずであり、スターリニストやらマオイスト、クメール・ルージュらは、サヨクではなく、偽装左翼国家主義者です)、テロリスト以外は実害がありません。後者のばあいは、大半が はた迷惑な膨張主義につながります。「臥薪嘗胆」「大東亜共栄圏」「北方領土返還」等々、歴史的愚行を象徴するコピーにことかかないのは、ある意味当然といえそうです。
■その意味で、ウヨクにとっては、被爆という歴史的事実は、反核平和運動への原体験ではなくて、単なる「屈辱」体験なのです。ウヨクのうち、失敗学的な学習能力のかけた連中は、すぐに責任転嫁します。「連中が卑怯な手段にうったえた」「非国民がまぎれこんでいた」…等々です。そんなに万邦無比の卓越性があったなら、卑怯な敵勢力を粉砕するのはもちろん、卑劣な非国民による妨害活動などおこりようがありません。かりに謀略が現実にあったにせよ(あるのが普通です)、それにあしをすくわれるような国家は、単によわいのであり、不運にもまけたのではないのです。■でもって、ウヨクの連中も、それをうすうす自覚している。だからこそ、防衛機制の一環として、絶対に「屈辱」体験にまなばないのです。かれらは、国内でさえも多数派工作ができない連中で、皇道派のクーデタが統制派に利用されたとおり、保守勢力の走狗として利用されるだけなのですが、みずからは、吉田松陰のように愚直に愛国を実践していると信じたがる。国益をかんがえれば、国民統合をかんがえれば、過去にまなぶ必要があるのに、それは構造上できない。■つまりは、ビョーキ(愛国幻想症候群)なのです。
■かれらは、被爆者がなんのための犠牲だったのか、おそらく一生理解できない。いや、理解したくない部分が、ああいった愚劣なウヨクに結集したというべきでしょう。
■一方、サヨクは、これらの愚行を「他山のイシ」にできない。防衛機制の方向性・基盤がちがうからです。かれらは、「諸資源の収集・分配には、もっとずっとマシな解があるはずだ」という、主観的良心を正当化してもらえる左派イデオロギーに殉じようとする。その際に、被爆体験等を、党派拡張のための素材に悪用しているという現実を直視できない思考停止におちいる。「愛国」とはちがうけど、「社会正義」という理念によって、党派イデオロギーへのフェティシズムにハマってしまう(反核運動とか部落解放運動とか…)。■ま、よっぱらっているという精神構造では、同質かもしれません。

ヒダリがミギでミギがヒダリ?

『ピープルズ・プラン』(47号142ページ)で言及されている『皇太子さまへの御忠言』(西尾幹二・ワック出版)は、ミギ(右翼)がすでにして、ヒダリ(左翼)的な発想に立脚していることをしめしている好例だろう。戦前や戦時中ならば、たかが平民ごときが、おそれおおくもかしこくも皇太子殿下に対して発言するなど、不敬罪ものだろう。つまり、天皇や皇族をもちあげて戦前に回帰させようとしている連中が、すでにして戦前ではかんがえられないほどに天皇や皇族をかるくあつかってしまっているという判断以外に、こうした珍妙な現象をミギが演じていることに対する説明は出来まい。回帰といえば『現代思想』(10月号119~123ページ)には、せき=ひろの氏による「我々はどこに回帰するのか」という論考があり「戦前の亡霊の復活などはありえないが、不安と混迷の中から偏狭で夜郎自大な民族主義が生まれることはありうる」(122~3ページ)とのべており、戦前や戦時中の社会を一定程度実感しているのではないかとおもわれる発言だとおもう。

つまり、

>■ま、よっぱらっているという精神構造では、同質かもしれません。

というタカマサさんの指摘はある程度は妥当だとしても、ミギはろくすっぽ事実に立脚した立論自体が出来ない連中であり、ヒダリは自らが唾棄する戦前の閉鎖的な社会についても実感をともなうほどに把握してからでないと発言しない自制心があるのだとおもう。みずからの発言に対する誠意がミギとヒダリでは根本的にちがうというべきだろう(もちろん不誠実なのはミギで誠実なのはヒダリ)。そうであればこそ上記のように、戦前ならばかんがえられないほど不敬な言説を、本人が戦前回帰をねらっているつもりで垂れ流す、という現象が生じるのだ。でもって、ヒダリはなまじ誠実なだけに、戦前の社会の閉鎖性を実感できるほど詳細にまなんでしまったりして、ともすると現在の天皇や皇族も戦前のありようにちかい存在感をもって把握してしまい、その結果、天皇制に反対しているヒダリの方が天皇や皇族を権威づけてしまっている(つい、おおげさにあつかってしまうから)のではなかろうか。
つまり、みずからの言動に不誠実なミギはろくすっぽ物事をしらべないので戦前回帰のつもりでありながら天皇を軽んじる言動をしてしまい、みずからの言動に誠実なヒダリは物事をよくしらべて戦前の天皇のようなイメージを実感するほどに勉強してしまった結果、いつの間にか戦前なみに存在感のあるものとして天皇をあつかってしまうという、さながらヒダリがミギでミギがヒダリになってしまっているような逆説的な現象が生じているのではなかろうか。
と、おもうんですが、どうですかね?タカマサさん。

ちなみに今回の拙稿の題名の元ネタは以下のMAD参照
「お前がオレでオレがお前?」
http://www.youtube.com/watch?v=OtE3Kd_MC3U

徹夜あけなので、みじかく

> 『皇太子さまへの御忠言』(西尾幹二・ワック出版)は、ミギ(右翼)がすでにして、ヒダリ(左翼)的な発想に立脚していることをしめしている好例だろう。戦前や戦時中ならば、たかが平民ごときが、おそれおおくもかしこくも皇太子殿下に対して発言するなど、不敬罪ものだろう

■どうでしょうね。「君側の奸」とかいうし、筆頭家老だの じいやなどが、わかぎみを しかるといったケースも ときどきあったでしょう。■それに、久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想』岩波新書(1956)が指摘した、天皇機関説=「密教」論でいえば、皇室は国体の「道具」「あやつり人形」なわけですよ。戦前だって。


> 戦前の亡霊の復活などはありえないが、不安と混迷の中から偏狭で夜郎自大な民族主義が生まれることはありうる

■せき先生の議論は、ごく平凡ですが、日本版ネオナチとかを結集するカリスマが、ネオリベ系(非王党派)で出現すると、やばいかも。血統主義よりも、競争原理で補充されるカリスマが連続したら、かなり あぶないでしょう。フランスやアメリカでも、そう うまくは いっていないけど。


お返事ありがとうございます。ただ、やはり右派は矛盾している様におもいます。

>筆頭家老だの じいやなどが、わかぎみを しかるといったケースも ときどきあったでしょう。

そのようなケースはあったでしょうが、侍従の様な側近でもない立場の人間が、内密にではなく公の場で皇族に意見するというのは、なかったんではないでしょうか?そうでなければ田中正造さんのような天皇に直訴した人間が大問題になったりはしなかったはず(まさか田中さんの手紙の文章が問題、たとえば敬語をきちんとつかっていなかったなど、というわけではなく、天皇に直訴したこと自体が問題だったわけでしょう、ちがいますかな?)。

>皇室は国体の「道具」「あやつり人形」なわけですよ。戦前だって。

この点も、事実関係としてはそうであったとしても、右派がそれを明言していたわけではなく、あくまで表面上は皇族をうやうやしくあつかっていたのではないんですか?わたしが西尾氏らの言動に違和感を感じるのは、右派が天皇機関説をおもてだってうけいれてしまっているとしか思えない言動だからなんです、水面下での確執ではなく。

主権者天皇をけん制できる層と、戦後の天皇批判

■もちろん、東京帝国大学の憲法学の教授が天皇機関説を論じ、消費者は旧制高校以上の学歴エリート層というのが、「密教」たるゆえんです。それと、戦後の主権者ではなくなった、「菊のタブー」以外に防波堤がなくなった、象徴天皇への「不敬」問題等々とは、全然別個の問題です。■また、天皇個人をけん制しえたのは、元老たちと、軍中枢部だけだったでしょう。すくなくとも、近衛文麿は、戦争続行が可能かどうかたずねられ、むずかしいと返答。一度局地戦で勝利をあげて、無条件降伏だけはさけられないか、などと、みぐるしく活路をみいだそうとするヒロヒトに、近衛は、それができるでしょうか? みたいな疑念をはさんでいる。■ま、もちろん、ふたりだけの密議だとおもいますが。
■あと、近衛は、和平工作がらみで(退位をもって戦争責任を回避、天皇制も護持=アキヒトに譲位する構想)、ヒロヒトを仁和寺に幽閉する計画もねっていたときいたことがあります。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mansukejii/diary/d216
http://www.geocities.jp/otsubo_takashi/ronkou/syouwatennnou.htm
http://dmituko.cocolog-nifty.com/syouwatennnounotannka7.pdf
http://d.hatena.ne.jp/pyonpyon21/20090208/1234031015

■一方、三島由紀夫などは、イデオロギー的な理想化した天皇像=現人神神話をほうりだしてしまったヒロヒトを、軍人の霊魂にかたらせるかたちで、非難するような論調も公表しました。■あるブログから転載。
http://30465.diarynote.jp/200306160000000000/
などて皇(すめろき)は人となりたまひし
2003年6月16日

『英霊の聲』
「日本の敗れたるはよし
農地の改革せられたるはよし
社会主義的改革も行わるるがよし
わが祖国は敗れたれば
敗れたる負い目を悉く肩に荷うはよし
わが国民はよく負荷に耐え
試練をくぐりてなお力あり
屈辱を嘗めしはよし
抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし
されど,ただ一つ,ただ一つ
いかなる強制,いかなる弾圧
いかなる死の脅迫ありとも
陛下は人間なりと仰せらるべからざりし
世のそしり,人の侮りを受けつつ
ただ陛下御一人,神として御身を保たせ玉い
そを架空,そをいつわりとはゆめ宣わず
(たといみ心の裡深く,さなりと思すとも)
祭服に玉体を包み,夜昼おぼろげに
宮中賢所のなお奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかづき
神のおんために死したる者らの霊を祭りてただ斎き,ただ祈りてましまさば
何ほどか尊かりしならん
などてすめろぎは人となりたまいし。
などてすめろぎは人となりたまいし。
などてすめろぎは人となりたまいし」

おお、けふは右翼チックなコピペがイントロダクションになってしまったな。上記は三島由紀夫先生が残した小説「英霊の聲」の最終部分である。小説のあらましを述べると、盲目の青年の口を借りて戦死した英霊が人間宣言をしてしまった天皇陛下に対して恨みを申し上げる、という筋である。
タイトルを現代語に訳すると「なんで天皇陛下は人間になっちゃったの?」ぐらいの意味である。
まあ、本音は別としても、天皇制に信仰を抱いたつもりになって従軍し、悲惨な人生を受け入れるには天皇を現人神と認識して行動しなきゃやっていられないであろうな。「陛下の命令である」との一言でとんでもない事をさせられたわけだからな。それが「はい、僕ほんとは人間ですよ~ん」と言われたら英霊になった奴は「やってられないよ。うわーん」だろうな。……




消されちゃったっぽいので書き直します。

けされたっぽいので書き直します。(若干ちがうかもしれないですが)

アイヌ問題と皇族についての言及をしたページ(http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090706/1246842711)に、以下のような記述があります。

(以下、引用)

ウタリ協会は、何度、取材や対談の申し込みをしても、すべて断ってきた! これでわしが描いたことに抗議でもしてこようものなら、わしは本当に怒る! もっと描いて『アイヌ論 スペシャル』を出してやる!」(『わしズム』2008/11/29)と息巻いていたはずだが、多原氏らが内容証明つきで抗議したからか、あるいは佐藤優氏や鈴木宗男氏等が批判したからか知らないが、あっさりと『アイヌ論』からは引き下がり、誰も反対しないような、通俗的、大衆的な『天皇論』へ急に路線変更し、逃げたように見えるが、これは僕の錯覚だろうか。小林よしのりとしては、『天皇論』でお茶を濁し、『アイヌ論』からは、うまく逃げたつもりだったろうが、残念ながら、小林よしのりのアイヌ論の粗探しをしている「男」がいたために、そうはうまく行かなくなったようである。

(引用おわり)

ここにある様に、日本によって差別されてきたアイヌ民族のようなひとびとを取り上げることの方が、右派にとっても危険であるという状態、逆に皇族を取り上げる方が「誰も反対しないような、通俗的、大衆的な」題材になりうる、という事実。これなど戦前とは正反対ではないですか?アイヌ民族をふくむ「まつろわぬひとびと」を批判しても、階級を当然とする社会であった当時の日本においてはおそらく問題なかったとおもわれます。たとえば最近の著作物としては『差別と日本人』(角川oneテーマ21)の52~4ページにある、「関東大震災における虐殺」に明確にしめされているように、弱者を差別しても「加害者は村のヒーローのように扱われたのである」(53ページ)そうですから。
逆に戦前は、天皇や皇族については、批判的な内容や敬語のつかいまちがいをした場合にのみ問題(これなら現在でも、残念ながら!右翼のせいで問題にされることはあります)というわけではなく、言及すること自体が異常に危険な行為であったわけでしょうし。(内容や文体がどうのこうのではなく、天皇に直訴したこと自体が大問題になった田中正造さんの事例にもあるように)
つまり、右派が天皇や皇族をほめるほど、戦前にもどそうとするほど、むしろ天皇や皇族をかるくあつかっていることがバレてしまい、戦前にもどそうとしているつもりの人間が、ほかならぬ戦後的な発想を無意識の前提としていることを露呈している、というわたし貝枝の見解はまちがっていないとおもうのです。

古典などの「伝統」を根拠に天皇を権威づける行為は右派にとっての自殺行為としかおもえない件について

『日本書紀』によれば、天上の神、アマテラスオオミカミは、アシハラナカツクニ(日本)の支配のためにその孫、アマツヒコヒコホノニニギノミコトを降ろすにあたって、つぎのようにいう。「葦原の千五百秋の瑞穂の国(日本)は、我が子孫が王となるべき国である。汝ニニギノミコトよ、行って治めよ。さあ行け。天皇の位が栄えること、天地とともに永久に窮まりないであろう」(「神代下」一書第一)。日本国を支配する正統は、天上の神、アマテラスの子孫のみ、と神話はいう。ちなみに、『古事記』もほぼ同じことをのべている。この神話上のエピソードが、天皇支配を正当とする根拠として採用されたのである。
(中略)
さきの神話の一節は、のちに「神勅」とよばれるようになる。それは、『日本書紀』にみられる類似の表現のなかでも、もっとも荘重なものだが、天皇の位が天地とともに永久に窮まりない、という部分は、後代の潤色とされる(日本古典文学大系六七の注)。また、『日本書紀』全体からこの一節をとりだして強調することは、中世の伊勢神道からはじまった。このように、書誌学的にも歴史的にも、けっして古代にさかのぼるとはいえない一節であるにもかかわらず、江戸時代の後半ごろから、神代以来の言葉としてなんら疑われることなく、天皇支配の根拠としてひろく用いられるようになってくる。(『国家主義を超える』(阿満利麿・講談社)57~8ページ)

古典などの「伝統」を根拠に天皇を権威づける行為は右派にとっての自殺行為としかおもえない件について・2

ほかにも思いつくままにあげると、伊勢神宮に天皇が参拝に出かけるようになったのも、明治天皇からである。伊勢神宮と天皇家との関係は、七世紀後半から緊密となるが、歴代天皇が直接神宮に出かけることはなかった。伊勢神宮自体も、幕末の「おかげまいり」の流行が示すように、天皇家の先祖神を祭るというよりも、霊験あらたかな農業神を祭る神社と考えられていたのであり、内宮と外宮の関係も外宮の方が大きな力をもっていた。農業に従事する人々にとっては、伊勢参りは、各地からやってくる同業者とのさまざまな稲の品種を交換できる貴重な機会でもあった。
こうした庶民信仰の対象となっていた神宮を、明治政府は一変させ、全国の神社を統べる頂点として、またなによりも近代天皇制国家のもっとも神聖な祭場として再編することになった。今日でも、小学校の卒業旅行などで伊勢神宮参拝をコースに選ぶところがあるようだが、その背景には、明治政府によって強制された神宮崇拝と江戸時代以来の庶民信仰が無意識にないまぜになっているといえる。(『国家主義を超える』(阿満利麿・講談社)49ページ)

ハンパにやめる。つまり、歴史的検証を「すんどめ」でやめることこそ、保守系歴史主義の本質

■「創られた伝統」論などがあばいてしまったとおり、近代以前からの「伝統」なんてものの大半が、マヤカシです。無教養な大衆と、不勉強な優等生だけ、だませる。それで人口の3分の1もカバーすれば、保守主義は存続すると。■中世以前にさかのぼるなんて作業は、ご指摘のとおり、自滅行為なんですが、うえの「B層」むけには、充分すぎるほどのプロパガンダになるようです。

■この際、歴史教員には、通史=物語を生徒にインストールするってことの原罪を自覚してもらい、実証主義のツメのアカでも煎じてのんでもらうと。■ま、そのまえに、実証史学の実践者であらせられるはずの、大学の入試担当者に、犯罪的行為をやめてもらうのが、先決ですね(笑)。

美学の有無

が、ひとつのおおきな基準になる気がします。
伝統が大事というなら『Camp Mission』(しのざき嶺)で「古風」(57ページ)と評された神楽アヤカタンなみに、古風さで徹底しろよウヨクども。いや、神楽タンの下着の趣味も「つくられた伝統」っぽいが、すくなくとも「イタさ」(かわりものあつかいされる危険性)をみずからひきうける美学は感じられる。それに対して右派どもは「イタさ」をみずからひきうける覚悟など一切なく、他人に「痛み」をおしつけるおぞましい心性しかない。だから「つくられた伝統」のなかでも、よりによってまったく無価値であることがバレバレな皇族[注]をもちあげるんだよ。みずからのおぞましい心性を認識できていない点までふくめてマクロ的にみれば、たしかに右派も「イタ」いので、そこまでふくめてメタ次元でみれば「イタ」さを体現しているオタクと似ているかもしれないが、他人に痛みをおしつけず、みずからのイタさだけを芸にするオタクとは、やはり根本的にことなる心性としかいえねーよ。要するに、美学の有無を基準にして、右翼とオタクは異質といえるだろうっていう貝枝の命題はただしいのである。

[注]上述の例であげた古典文芸や伊勢神宮くらいをよりどころにしていれば、まだしも右派の伝統擁護を擁護してやれなくもないんだがな。貝枝とは別の価値観だが、それ自体としては矛盾していない価値観だ、ということで。

以下、余談。
ちなみに、タカマサさんの今回の題名を読んでまっさきにいだいた感想は、「おなじ『すんどめ』なら、以下の様な『すんドめ』にしてくれ」でした。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%99%E3%82%93%E3%83%89%E3%82%81-1-%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%B2%A1%E7%94%B0-%E5%92%8C%E4%BA%BA/dp/4253150012/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1257654261&sr=1-2

右派にも若干かしこいヤツがいる模様

『芸術新潮』11月号は「京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」という特集を組み、『美術手帖』11月号は茶の湯の特集を組んでいる。『歴史読本』12月号は「天皇家を支えた女性たち」などという特集を組んで、一部皇后の和装があるとはいえほとんど洋装だらけの皇族の写真を前面にうちだしているが、よりおおくの人が日本的と感じるであろう和装にみをつつんだ冷泉家のひとたちや茶の湯の体現者たちを『芸術新潮』や『美術手帖』が取り上げたということは、右派のなかにも伝統を根拠に皇族をもちあげることが本質的に矛盾していることにようやく気づいて戦略・戦術をかえてきているひとがいることを意味するのではなかろうか?たしかに阿満利麿さんの『国家主義を超える』は伝統とは無関係である皇族の様に底のあさい集団だけではなく、もうすこし歴史的にながい伝統も解体しているが、右派が「歴女」や「戦国武女子」の批判にたえうる程度の伝統までは根拠としつつ国家主義をたてなおそうとしているのなら、国家主義の解体作業はますます手間のかかる作業になりそうだ。
それはそうと、「歴女」や「戦国武女子」のみなさんは、下着も神楽アヤカタン@『Camp Mission』なみに古風なんですか?……え?あれは「つくられた伝統」だからダメ、ですって?失礼しました。

やつらだ@反米嫌日戦線「狼」(反共有理)氏の名言(迷言)

…皇室は、米の神様の末裔であり(コメ開放のときに右翼はなぜ決起しなかったのか?)、朝鮮民族と日本人との混血(だから右翼団体に朝鮮人が多いのだ)であり、朝鮮の文化である『穢れ』を伝えた日朝友好の生き証人であるからだ。ただし、国民の血税で生活するのは、ただちに辞めてもらいたい。本来の住処である京都御所に住み、神道宗教法人として民営化されることを望む。…〔皇室典範と女帝問題 2005/10/07〕
http://anarchist.seesaa.net/article/10730232.html

■当方は、死刑廃止論者であるなど、基本的に非暴力主義者でありつつ、野蛮な「あだうち」肯定論者でもあるという、矛盾した存在ですが、王族に対しても、革命してクビちょんぎれなどと、過去の罪業などをのべたてる気はなく、京都に隠遁されて、NPOなんぞで生計をたてる(ホントはおかしいけど)のは、ありとおもうような、ハンパな人物です。■したがって、右派が排外主義・暴力主義ではなく、文化的保守主義のもと、かれらの親衛隊をボランティアでやったりすることは、非難するつもりがありません。

■でまあ、京都のかたがたの、プライドには、正直へきえきさせられはするんですが、タワーだのビルだのツブして、観光資源の保全におつとめになったほうが、よろしおすぇ、などと、皮肉をいいたい気分とともに(JRグループの、「そうだ、京都いこう」とか、カンベン)、東京に伝統主義をうたう王族がいつづけるのは、民族主義者にも、つごうわるそうだから、京都に遷都して、まるくおさめるのがいいよなぁと、正直おもうわけです。
■京都ブランドをちゃんとまもりたいなら、もうすこし、ボンさまたちの自浄作用とか、舞妓さんたちのリクルートをどうするかとか、ぼったくりの、トーフ屋などの観光客あいての詐欺商法をなんとかせぇとか、しろうとながら、プロデュースしてあげたいぐらいに、周囲を不安にさせているとおもいますな。■てな、不毛なことを、つらつらかきつらねていると、「冷泉家」ブランドとか、かってにやっておくんなさい、と、どうでもいい気分になります。

■ちなみに、女性(にょしょう)たちの、はだぎなどの、微妙な領域は、ヨーロッパの偽装古都ブランドと同様、「外見だけ古風」で、よろしいんじゃないでしょうか? ■いや、「近世プレイ」だの「中世プレイ」だのといった、マニアックなご趣味をおもちの殿方はともかくとして、伝統回帰の気分をあじわうときに、外貌としての、おめしものを 更衣室以外で ひもといてしまうといったシチュエーションは、一応抑圧されているとおもうんで、そこまで 歴史考証にこだわった一貫性は、おいもとめないでいいだろうと(笑)。■だって、一貫性つきつめたら、かみがたどころか、まゆげもふくめたヘア処理だの、おはぐろだの、御香だの、それはそれは、有職故実もふくめて、やっかいなはなしになるはずです。■結局のところ、伝統回帰できるのは、お茶の先生、お花の先生あたりの、おめしものだの、ヘアスタイル・メイクだの水準までであって、150年忠実にさかのぼることだって、実際問題キツそうです。


※ やつらだ さんの、おもしろすぎ記事。

●【文化勲章】50歳年下の舞子と男根騒動を起こした河原乞食も叙勲w(http://anarchist.seesaa.net/article/131952067.html
●【在特会】日本最大の差別団体が朝鮮大学校を急襲!!(http://anarchist.seesaa.net/article/131834641.html
●【米軍基地乱射事件】 なんだか矛盾しているんじゃないの?(http://anarchist.seesaa.net/article/132192336.html
●【西部邁】 田母神を奉るバカを大いに嗤う(http://anarchist.seesaa.net/article/131082567.html

 ↑ ■コメントをふくめて、おもしろすぎ。■クサレウヨどもは、知的レベルがちがいすぎることぐらいは自覚できるようで、一匹もよりつかない(笑)。

へーせーよおわれ・へーせーよおわれ・へーせーよおわれ

自然・人文・社会の側面で構成されるこの世界には、有益で有意義な物事があふれているが、天皇だけは害しかない。皇族だけは意義がない。天皇制だけは長所がない。
へーせーよおわれ・へーせーよおわれ・へーせーよおわれ。

『国家主義を超える』(講談社)85ページより。

「今の天子の先祖は九州のスミから出て、人殺しや、ごう盗をして、同じ泥坊なかまのナガスネヒコなどを亡ぼした、いはば熊ざか長範や大江山の酒呑童子の成功したものである。神様でもないことは、スコシ考へて見ればスグしれる」(「内山愚童と高木顕明の著述」)

平成流と韓流は

あさい歴史にもとづく点で、おなじ構造の命名だ。共和国と分断させられたせいで朝鮮流とはいいにくい状況がながくつづき韓流という以外に的確な表現がない現象が生じた。平成流もそれと同様の権力者の都合でつかわれてきた名称に由来する。こんなことはあきらかだが、「平成流」などという表現に意味があるかのようにおもいこんでいる愚者がいるかもしれないので、一応かいておく。

要するに

ヒロヒトが死んでアキヒトが皇太子から天皇の地位についてからが「平成」なんだから「今上天皇の公務の様式は平成流」といったたぐいの表現は、さながら「日本国は日本一」といっているのとおなじくらいに同語反復なのである。「平成」という名称を冠する根拠である人物(アキヒト)のやりかたなのだから、その具体的な内容がなにであれ、それが「平成流」でないはずがない(ヒロヒト独自の行為をまねた場合は、そのまねた部分にかぎっては「昭和流」とよばれるだろうが)。要するに、そんな同語反復に何らかの生産的な意義があるとおもいこんでいるとしかおもえない記事が、小部数の雑誌とはいえ自費出版ではない商業出版において掲載されている、という「日本」(というものは実在しないが)の民度が根本的に大問題なのである。

「平成流」を批判しているんだかなんだかわからない文章として

かつての敵国語(いや、いまは宗主国語か)で題名をつけていやがる『WiLL』(2009年[ママ]12月号)49ページ以降の「お二人の公務は『平成流』」という箇所がありますな。その箇所の著者である小林よしのり氏は、一体全体伝統を重視しているのかいなかサッパリわからない。
現在の天皇について「両陛下が揃って公務をこなされるというのは、必ずしも伝統ではなく、全くの『平成流』です。(中略)長い皇室の伝統を学ぶこともせずに、『平成流』が伝統であるかのように勘違いしているのです」(49ページ)と主張するが、「皇太子殿下が即位されたあとの皇室は、また今上天皇とは違ったものになるでしょう。全く新しい天皇像が生まれるかもしれません。(中略)皇太子殿下の御世がどのようなものになるかは分からない。それでいいんです」(50ページ)などともかいている。それでは、「平成流」に対して「長い伝統」をもちだした理由がわからない。たしかに、小林氏はそれにさきだつ箇所で「『徳』は初めから皇位継承に関係ありません。(中略)天皇は血統によって受け継がれるもの」(44~5ページ)とのべているので血統を重視している(≒だから伝統は関係ない)といえるのかもしれないが、だったら(くりかえしになるが)「長い伝統」(というものは実は存在しませんが)をもちだした理由がやっぱりわからない。ついでにいうと、徳ではなく血統を重視しているのなら、なにゆえ「我々が天皇、皇室について考えている以上に、天皇陛下、皇太子殿下は国民のことを祈りながら祭祀を行ってくださいます」(53ページ)などという、皇族の徳を確信する様なものいいをするのか?血統が大事なら、アキヒトやナルヒトが「国民?そんなの関係ねえ」などといいだしても、かつがなければならないのが国民の義務なのではないのか?いや、血統を重視しないうえに伝統も重視しない貝枝自身はアキヒトやナルヒトをかつぐ気になれないが、血統を重視する立場ならそうせざるをえないでしょ?
ついでだが「『そこら中の女、犯して妊娠させて……逃げたいわ』(『新ゴー宣』第29章、欄外)などと書いている」(『脱ゴーマニズム宣言』東方出版・50ページ)小林よしのり氏は、血統を重視するたちばから、そうした妊娠させた結果出産にまでいたった場合、その子どもたちに対してどんな風に責任をとるつもりなんだ?もちろん、血統を重視しない貝枝であっても他人を妊娠させたら一定程度の責任を外部の社会からとわれるとはおもうが、血統を重視するなら、さぞかしみずからの価値観にふさわしい責任のとりかたをなさるんでしょうなぁ。

ついでにいうと

拙稿(2009/11/08 09:35)で引用した様に「伊勢神宮自体も、幕末の「おかげまいり」の流行が示すように、天皇家の先祖神を祭るというよりも、霊験あらたかな農業神を祭る神社と考えられていたのであ」るのだから、小林よしのり氏のいう「お伊勢参りには年間五十万人が出かけていた。当時の日本人の六十人に一人、それが毎年です」(『WiLL』同号48ページ)という主張に対して、貝枝としては「当時の『日本』(というものは想像の共同体だが)においては農業に従事するひとがおおかったからではないのか?」という感想しかいだけない。「歴代天皇が直接神宮に出かけることはなかった」のだから、お伊勢参りという伝統を重視するなら、はやいところその元来の伝統である「農業に従事する人々にとっては、伊勢参りは、各地からやってくる同業者とのさまざまな稲の品種を交換できる貴重な機会でもあった」という元来のお伊勢参りにもどすべく、国策の大転換をさせるべく渾身の大奮闘を、小林よしのり氏はせねばなるまいな。いや、小林氏が伝統をおもんじる愛国者ならば、であるが。(もちろんそのまえに小林氏には、皇位継承には血統を重視して徳を軽視するのに、そして「皇太子殿下の御世がどのようなものになるかは分からない。それでいいんです」という伝統を軽視する発言をしているのに、そもそも「歴代天皇が直接神宮に出かけることはなかった」様な、お伊勢参りという伝統を根拠に天皇制を正当化できるとおもえる理由に対する説明責任があるが)

ウィキペディア「日本の歴史」

 日本の歴史における時代区分には様々なものがあり、定説と呼べるものはない。しかしながら、一応のところ、(原始・)古代・中世・近世・近代(・現代)とする時代区分法が歴史研究では広く受け入れられている。この場合でも、各時代の画期をいつに置くかは論者によって大きく異なる。
 古代の始期については古代国家の形成時期をめぐって見解が分かれており、3世紀説、5世紀説、7世紀説があり、研究者の間で七五三論争と呼ばれている。中世については、中世通じての社会経済体制であった荘園公領制が時代の指標とされ、始期は11世紀後半~12世紀の荘園公領制形成期に、終期は荘園公領制が消滅した16世紀後半の太閤検地にそれぞれ求められる。近世は、太閤検地前後に始まり、明治維新前後に終わるとされる。近代の始期は一般に幕末期~明治維新期とされるが、18世紀前半の家内制手工業の勃興を近代の始まりとする考えもある。さらに、第二次世界大戦での敗戦をもって近代と現代を区分することもあるが、最近は日本史においても、近代と現代の境目は冷戦構造が崩壊し、バブル崩壊で右肩上がりの経済成長が終わった1991年頃に変更すべきという意見もある。(以上の詳細→古代、中世、近世、近代、現代)
 上記のような時代区分論は、発展段階史観の影響を少なからず受けており、歴史の重層性・連続性にあまり目を向けていないという限界が指摘されている。そのため、時代を区分する対象ではなく移行するものとして捉える「時代移行論」を提唱する研究者も現れ始めている。
 一般によく知られている時代区分は、主として政治センターの所在地に着目した時代区分である。この時代区分は明確な区分基準を持っている訳ではなく、歴史研究上の時代区分としては適当でない。単に便宜的に用いられているに過ぎない時代区分である。文献史料がなく考古史料が残る時代は、考古学上の時代区分に従い、旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代と区分する。文献史料がある程度残る時代以降は政治センターの所在地に従って、飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代・江戸時代と区分するが、これだけでは必ずしも十分でないため南北朝時代・戦国時代という区分を設けており、これらは中国史の時代区分からの借用である。江戸時代の次は本来なら「東京時代」と呼称すべきであろうが、天皇の在位に従って明治時代・大正時代・昭和時代・平成時代と呼ばれている。これらのうち、明治維新から第二次世界大戦までの時代(明治時代・大正時代・戦前昭和時代)は、政体(憲法)に因んで「大日本帝国時代」と呼ぶ例もある[1]。また、北海道・北東北、南西諸島などの周縁部については、これらとは異なる時代区分が用いられている(詳細→日本史時代区分表)。
また、文化面に着目して、縄文文化・弥生文化・古墳文化・飛鳥文化・白鳳文化・天平文化・弘仁貞観文化・国風文化・院政期文化・鎌倉文化・北山文化・東山文化・桃山文化・元禄文化・化政文化・明治文化・大衆文化~などとする区分もある…

[1]由井正臣著、岩波ジュニア新書『大日本帝国の時代―日本の歴史〈8〉』


 ↑ ■①「上記のような時代区分論は、発展段階史観の影響を少なからず受けており、歴史の重層性・連続性にあまり目を向けていないという限界が指摘されている」といいながら、日本列島上に「通史」が成立するという神話を卒業できていない。■②「主として政治センターの所在地に着目した時代区分である。この時代区分は明確な区分基準を持っている訳ではなく、歴史研究上の時代区分としては適当でない」といった、もっともな議論がありながら、別ページの「日本史時代区分表」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8C%BA%E5%88%86%E8%A1%A8)では、無批判に「政治センターの所在地に着目した時代区分」が踏襲されている。■しかし、③「江戸時代の次は本来なら「東京時代」と呼称すべきであろうが、天皇の在位に従って明治時代・大正時代・昭和時代・平成時代と呼ばれている」という、日本史教育は、ほとんどふれられないタブーがちゃんとかきこまれている点で、普通の高校教育をうけるよりは有益なページといえる。

■「御在位20年」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-993.html)とか、政治性バリバリのキャンペーンを「消毒」するためにも、「日本通史解体」教育が、大学教養教育や予備校の受験指導で展開されないと、展望はなさそうである。■Wallerstein氏らの奮闘(http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/searchdiary?word=%2a%5b%bb%cb%cf%c0%5d)に期待したい。

「日本」に関する論考

『民主主義が一度もなかった国・日本』(978-4344981522)
『日本辺境論』(978-4106103360)

『朝日新聞』(8月2日号10ページ)より

歴博と民博、初めて連携展示
古代と近現代の「境界と移動」紹介
関東と関西にある二つの国立博物館が、「アジアの境界を越えて」という共通テーマで連携する初の展示を企画した。古代に軸足を置く千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)と、近現代が主な大阪吹田市の国立民族学博物館(民博)。研究する時代も手法も違う両館の研究者らが、同じ土俵で議論した成果の発信という。歴博で展示中で、10月から民博へ移る。
(中略)
歴博の上野祥史准教授(考古学)は「古今東西さまざまな時空で生じた、境界を巡る人の動きに注目することは、人類を理解する有効な視点。時代も手法も異なる研究者らが、そうした異なる視点で重ねた議論の成果を、展示という形で情報発信したのが今回の連携展示だ」と話す。
(後略)

いずれにせよ、実際にその「境界」とやらをいきた先住諸民族に対する利潤の配当、あるいはそれら先住諸民族を研究材料にしてきたことに対してどの様に総括するのかについて、両館の関係者でだれか確約してくれる人はいませんか?

たとえば「第2考古学 2010」的空間


今年2010年に出版された、日本の軍事侵略や天皇に関する本

を、参考までにあげておきます。

『戦争と植民地支配を記憶する』(三浦永光・明石書店)
『天皇と日本の近代』(大濱徹也・同成社)
『子どもたちと話す 天皇ってなに?』(池田浩士・現代企画室)

いや、力説するほどの分量ではないし、どれもまだ読みかけなのですが、それでも言及にあたいする資料だとはおもいますので、紹介しておきます。

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