プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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講師の「細切れ雇用」で、大学は教育できるのか?(日経BP)

講師の「細切れ雇用」で、大学は教育できるのか?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100520/214539/

非常勤講師の40代男性のケース
小林 美希 【プロフィール】
弱者 講師 高学歴 ワーキングプア 大学 文部科学省 ポストドクター 社会
ブックマーク Twitter
 1コマいくらで、いくつ取れるか。大学の講師は究極の細切れ雇用にさらされている。

 「もう専任講師の道は諦めた」

 そう話すのは、第二外国語の非常勤講師、立石誠司さん(仮名、44歳)だ。誠司さんは早稲田大学を卒業後、大学院に進み外国文学を学んだ。修士課程で2年、博士課程は6年在籍して、所定の単位を取り学位(博士号)を取得せずに博士課程を修了する「満期退学」した時は31歳だった。

コスト削減で授業がなくなっていく・・・

 博士課程に在籍していた頃、教育学部での助手の仕事が回ってきた。図書研究費を含め月20万~30万円の収入となった。大学院生が大学に就職する時、通常は指導教官が独自の人脈などを使って就職先を世話する慣例があるのだが、誠司さんの担当官は全く就職の斡旋をするタイプではなかった。自力で就職しようにも、第二外国語はもともと受講生の人数が限られるためポストが少なく、専任講師として正職員採用されにくい。誠司さんは、人づてに1コマ90分の授業を複数の大学から拾うようにして、食いつなぐことにした。

 「4~5年前が一番、コマ数が多く、週に14コマの授業を受け持つことができた。1コマ平均2万5000円で、年収は最高で400万円。今年は週11コマに減っているが、それでも周囲の非常勤講師と比べたら恵まれていて、申し訳ない気分になる」(誠司さん)

 大学の職場環境は、年を追うごとに悪くなる。誠司さんは、週に3コマも授業のあった理系の大学での授業は3年前に打ち切られた。そこで6年教えていた間、入学生が年々減少していたため、大学間の競争と少子化の影響を肌で感じた。

 ある大学では、数年前に突然、報酬が時給計算に変更され、1コマ90分だった授業が70分に短縮され、その分の収入が減った。補修授業がなくなった大学もあった。全てコスト削減によるものだった。誠司さんの収入は年100万円減った。学会に納める数千円の会費さえも負担を感じる。

 実家で一緒に住む両親は70代後半になる。今はまだ健康だが、もし病気になったり介護が必要になったりしたらと思うと、大きな不安が過ぎる。このまま自分も50代、60代と年を重ねていくのだろうか。収入が安定する専任講師の道を探りたくても、コストカットで第二外国語の授業数が減らされる傾向は強く、論文を書く意欲も減退してしまった。

 ただ、研究者と教員という両面を持つ仕事の中で、教員として授業の工夫次第で学生のやる気を引き起こし、社会問題を考える動機にもなることには、社会的意義を感じている。社会問題のドキュメンタリー映画などを外国語で見て、討論する。

 誠司さんは「若い世代は、きっかけさえあれば、視野がどんどん広がっていく。それを提供できるという、これ以上、楽しい仕事はない。この年になって楽しいと思える仕事に就けることは幸せだ」と話す一方で、そう遠くない将来、非常勤の仕事すらなくなるのではないかと覚悟しているという。

 1991年4月に中央教育審議会から「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」(答申)が出され、2000年度まで大学院生を2倍にすると目標が掲げられた。

増加する高学歴ワーキングプア

 国策として大学院生倍増計画が図られた結果、1991年度の博士課程修了者数は6201人だったものが2000年度は同1万2192人と倍増。2009年度は1万6000人となった一方で、大学講師になれる数が限られ、高学歴ワーキングプアが増加している。


 文部科学省「学校基本調査」(2009年度確定値)によると、博士課程修了者のうち、大学など教育機関や企業などへ就職した割合は64.3%。約4割の「博士」が就職できずにいる。就職者を職種別に見ると「教員」は25.0%、「科学研究者」は24.7%と、教員採用の門戸は狭い。

 そのような状況下、博士課程を修了したとしても、専任講師として就職するチャンスが少なく、非常勤講師として働かざるを得なくなる。関西圏・首都圏大学非常勤講師組合などが2005年度に実施した、第3回「大学非常勤講師の実態調査」(回答数1011人)によると、主に大学の非常勤講師を職業とする「専業非常勤講師」の平均値を見ると、年齢は45.3歳で3.1校で勤務。年収は306万円の一方、44%の人が年収250万円未満だ。半数の非常勤講師が「雇い止め」の経験があるという。

 博士課程への進学を断念し、修士課程の2年で大学院生活を終えた大竹武史さん(仮名、42歳)は、1993年から専門学校の非常勤講師として働き出した。心理学を専攻していたため、福祉系の専門学校でカウンセリングの授業を受け持った。

 毎月2コマの授業で5万円。それでは生活できないため、書店でもアルバイトをした。月収10万円でやりくりした。働きながら研究を重ね、論文を書き学会に提出するなど、研究を独自に進めていた。

 大学院に進む時、武史さんは「これから大学は倒産時代に入る。周囲から猛反対を受けても進んだ道だから、研究は続けていこうと思った」と話す。修士課程を修了した5年後には研究内容を書籍にまとめた。

 専門学校で働き始めて4年目、正月休み明けに武史さんは突然、解雇通告を受けた。既に来年度からの授業のシラバスを提出していた武史さんにとって、寝耳に水。口頭で「来年度は授業がなくなった」と告げられた。大学などの非常勤講師の仕事は契約書をきちんと取り交わさず、契約の中身が曖昧なことが少なくない。わずかな細切れ雇用でも、職を求める側にとっては、労働条件の明示を要求しにくい心理が働き、泣き寝入りすることが多いという実態がある。

 「好きな大学に就職しようにも、自分より年上の院卒生がたくさん控えていてポストは空かない。もう、研究や教えるということから離れ、民間企業で働くしかない」と、研究職の道を諦めた。

 30歳になってからの就職活動は厳しかった。派遣会社に登録して、クレジットカード会社の料金センターに派遣された時は、時給1400円で週5日、1年更新という条件だったが、それまでの不安定さを考えると「収入が上がったという実感があった」という。

 しかし、その派遣先は1年半で契約が打ち切られ、次に転職したコールセンターも1年契約の業務請負契約だったが、7カ月程度で仕事を打ち切られてしまった。派遣や請負ではいつ仕事が打ち切られるか分からず、インターネット通販のベンチャー企業に正社員として入社した。月給27万円にボーナスが年に月給の2カ月分ついたが、5年後、会社は経営難に陥り退職を余儀なくされた。

 ハローワークで仕事を探すと、飲料メーカーのマーケティングという仕事が見つかった。月給は21万7000円。正社員なので、給与の安さは我慢した。研究職に近いマーケティングの仕事に胸が躍った。インターネット上の消費者アンケートや路上での試飲評価などのデータを解析した。

 ところが、ほぼ毎日が終電帰り。電車もなくなってネットカフェに泊まり、土日も出勤するような日々が続いた。残業代は月10時間分しか支払われなかった。社長はワンマン経営者で、気に入らないことがあると暴力を振るう。「これでは身が持たない」と、わずか半年余りで逃げるように退職した。

人件費に手をつけるしかない

 その後は、派遣社員として食いつないでいる。大学の専任講師の公募を見つけたとしても、「よほどのコネがなければ通らないだろう。大学も生き残りに必死で、学者でなくてもテレビに出ているような有名人を引っ張るから、自分たちには入る余地がない」と諦め顔だ。

 武史さんは何より「大学が格を上げるために大学院を作り、そこに集まった学生のその先のことなんて考えていない」と悟った。ある大学の理事は「徒弟制度が強いこの世界では、採用には学閥もあれば、学内からの選抜のみということもある。公募はあくまで形だけなことがあるのは否定できない。大学全入時代に入り、大学院があること自体に意味がある」と明かし、大学での就職出来レースに勝つことは容易でない。

 さらに、国立大学の元理事は、こう話す。

 「大規模大学以外の大学の経営は厳しい。特に、国立大学は毎年1%の運営費交付金を削られ、人件費に手をつけるしかなくなった。定年退職した教員の後任は補充せず、専任講師の講座は徐々に非常勤に置き換えた。非常勤の単価も3割カットした。事務職は派遣社員で賄っている状態で、正職員採用にしないよう3年経ったら入れ替える」

 まさに、独立行政法人化の失政とも言えないか。

 そもそも、文科省が前述した答申を出した1991年頃、企業からの大学院生の需要が増えると見込んでいたが、それは希望的観測だった。需給見通しが甘かったため、何のキャリアパスも用意されぬまま、大学院生が増え続けた結果が、高学歴ワーキングプアの増加となった。

 こうした問題は文系、理系を問わない。ポストドクターと言われる、博士課程修了者で助手や講師などの職についていない博士課程修了者は現在、約1万8000人(2008年度)。これまでの主な対策として、文科省の「ポストドクター等1万人支援計画」(1996~2000年度)によって、理系を中心とした博士課程修了者は、おおむね3年の任期付で大学や研究機関で雇用された。

 2008年度からは、産業界のニーズを活かした研究を実施するため、「イノベーション創出若手研究人材養成」事業を展開。博士課程(後期)の学生やポスドクを対象に、大学や独立行政法人などで3カ月以上、企業と協働でプログラムを実践。企業への博士課程修了者の吸い上げを図っている。だが、企業での採用は35歳までという年齢の壁がある、文科系にとって門戸が狭いなどの課題が残り、焼け石に水という状況だ。

企業は「新卒を一から育てたい」

 文科省の「民間企業の研究活動に関する調査報告」(2009年度)によれば、ポスドク経験者の研究開発者としての採用実績は、「毎年必ず採用している」はわずか0.7%。「ほぼ毎年採用している」(1.7%)、「採用する年もある」(10.9%)を合わせても13.3%に留まる。「全く採用していない」は67.8%に上った。博士課程修了者の過去5年の採用実績は、資本金500億円以上の大企業が積極的だが、その雇用の受け皿も限界がある。ある大手製造業の人事部は「不況でも理系の研究者なら採用するが、新卒で一から育てたい」と話す。文系では、より状況が困難になる。

 また、文科省では、2009年度の補正予算で「高度研究人材活用促進事業」を行い、ポスドクを採用した企業に対し1人500万円を支給する施策を行ったが、同省によれば「補正予算が組まれた当初は100人規模だったが補正予算の見直しで40人規模となり、現時点で30人程度の雇用が予定されている」としている。政権交代後、今年度からの新規でのポスドク対策は予定されていない。

 研究者の卵たちにとっても不遇であるが、教える立場の人間が細切れ雇用であれば、そうした非常勤講師に教えられる学生は細切れ教育を受けることにもなる。資源に乏しい日本が世界で生き残るには、優れた頭脳を結集して知的な勝負をかけてリードしていくしかないはずなのに、その土台が崩れようとしている。コスト削減という意味ではなく、真の国際競争で勝つには、他の国から模倣されても追随を許さないよう、技術やアイデアがナンバーワンであり続けなければならない。だからこそ、質の高い教育が大事であり、教員が大事であるのに、まるで逆行している。
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<< 【転載】 高江座り込み住民弾圧裁判5/26(水) (辺野古浜通信) | ホーム | 在特会なる集団(チャンネルナックルズ) >>


コメント

いやぁ、私の置かれている状況そのままです(笑)まあ私の場合いざとなれば「塾講師」と言って逃げる道が用意されていて、というか、塾講師の方が圧倒的に収入がいいのですが。あと大学教師もさることながら、職員も細切れ雇用で、事務が滞って困っています。大学側はコストを削減して喜んでいるでしょうが、現場はかなり混乱しています。

ありがとうございました

■過去記事「『高学歴ワーキングプア』(水月昭道)続報」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-24.html)の続報…、などと ことわりがきをし、そのうえで、コメントをくわえていくつもりで、数日後に記事を完成・公開するつもりでしたが、あやまって公開し、しかも Wallersteinさんから、コメントをいただいて、ひっこめるわけにもいかず・・・と、あいなりました(笑)。

■それはともかく、理事会など大学経営陣当局が「コストを削減して喜んでいる」かどうかは微妙です。■かれらが、教育NPOなのだという自覚はなく、宗教法人のおおくと同様、「免税ビジネス」だとわりきっていることは事実ですが、募集定員をわりこんで、文部科学省からの私学助成などをうちきられるとか、経営危機をともかくのがれようと、あがいた対症療法が、人件費圧縮なので。■別に、大学経営陣のカタをもつつもりなどありませんが、資格試験予備校などとちがって、大学卒という「おまもり」のご利益がえられない、と、信者が一斉撤退してしまえば、あっというまに「閉鎖」においこまれる業界でもあり(なにせ、ご利益が「現世」的ともいえないので)、資金ぐりにくるしむ経営体としては、まずは、人件費カットということで、年配層の早期退職にてをつけて ひとりあたりの給料をへらすとか、いろいろ てをうつしかないんでしょう。
■10年ぐらいまえにきいたはなしですが、地方の零細短大では、人件費カットのために非常勤講師をきって、わかての常勤教員の担当コマ数を激増させる(もちろん、増コマてあてなどは、ほとんどない)…という、究極の搾取構造に転じたようです。■その後、その短大がどうなったのかはしりませんが、募集停止というはなしはきかないので、なんとか存続しているのでしょう。

■いずれにせよ、「非常勤講師に教えられる学生は細切れ教育を受けることに」などと、表面的な正論に終始している点で、日経のエリート記者さんたちが、ことの本質をつかみそこなっていることはたしかですよね。■演習などで少人数教育がなされている領域はともかく、大学生のうけている教育サービスの主軸は、大規模授業であって、そこの巨大なうけざらは、無数の非常勤講師の先生方だという実態をわからずに、巨視的矛盾だけ たたいて、正義の味方のつもりですから。

■ただ、以前からかいてきたとおり、文部科学省がうちだした大学院拡大政策が、法科大学院にかぎらず、詐欺商法だったこと、それによって、以前殿様商売だった大学業界が「残酷物語」へと変貌しつつあることは事実のようです。■いずれ、「それでも、民間企業とくらべれば、保護された殿様商売」というツッコミが不要になるような惨状がやってくるのではないでしょうか? いや、地方の零細大学では、すでにはじまっているようです。「株式会社」の実態が千差万別であるように、「大学教授」という職位の実態も、およそ一緒クタにかたることは無意味なのではないでしょうか?

非国民通信でも

おなじネタをとりあげていますな。
(2010-05-25 22:56:58の「大学院は修羅の道」)

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006

みぎ、おしらせまで。

エセ学歴主義

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/b26f02683cf48bf737e107414b31d65d

…TVアナウンサーやコメンテーター、元高級官僚、元知事・市長といった人たちに客員ではない「教授」職があてがわれます(客員のときもありますが)。現場を知っている人の体験や指導は確かに学生に役立つこともあるでしょうが、こういう人たちにこそ「非常勤」でお願いするべきです。彼らはTVには出ても、学生指導は基本的にしませんし。学術研究を継続して日本の研究教育過程を進展させ、学生の教育カリキュラムや高等教育・人材育成を担うための専門教育を受けた博士課程修了者たちにこそ、講師で良いからまずは専任職を与えるべきです。コスト計算すりゃ、TVタレント・元高級官僚の教授一人分で、福利厚生含めて専任講師3人ぐらい雇えるはずです。
 大学院はカルチャースクール、学部は就職予備校。全面的にそれを否定はしませんが、では専門家がついにいなくなったら、大学は今度は何として残るのでしょうか。それとも、日本は高等教育すらもコスト至上主義によって「コストに合わず、不要・廃止」と事業仕分けされてしまうのかも知れません。…

--------------------------------------------
■以前もかきましたが、日本ほど高等教育機関の機能をみくびった企業社会・官僚社会はありません。だったら、人文・社会系の大学院博士課程など ほとんど廃止するような政策に転じれば、スジはとおるんですが、それは しない。■官僚予備軍が さきぼそりで、「人材難」になったあとは、研究者、もとい大学教員が「人材難」となって、いま以上に大学は惨状をしめすでしょう。■近年、業績主義で、せっかく ゆたかな人材があつまりはじめたというのに…。

日本の大学は選抜のためだけにある

ゼネラルユニオンやユニオン・エクスタシーの行動からも、大学側はなるだけ講師や職員を安く使い捨てたい意向はうかがえます。

わたしが気になるのは、大学の経営者はどれくらい儲けているのかということです。
もちろん、研究・教育のためという口実で手にした補助金や運営交付金やその他の予算で、半公半私的にリッチな生活・行動ができるという面も含めて。

あと、人の学びとはおもしろいもので、先生がふらふらになったら、資産豊かな家の学生が自由にいろんなことができて、かえってよい成果が出るかもしれません。
貧乏な家の学生は借金がかさみ、バイトで疲れているでしょうが。
それをどうみなし、どうするかが課題でしょう。

企業や役所が大学と院をよくわからないまま選抜代行者として使うのがいいのか悪いのか、よく分かりません。
知的・文化的に大したことのない求職者を企業が欲しがっているのは明らかだと思います。

まあ支配層側としては、東大と旧七帝大+αさえ守れたら、あとはどうなってもよいという感覚なのでしょう。
特に私大や女性大・短大などは消えてもいいと、軽蔑しまくっているのでしょう。




大学院と労働市場

●研究者というか、常勤ポストにありつける層が、実力+コネという現実をかんがえたばあい、旧七帝大+α あたりにおちついてしまうという現実は否定できないとおもいます。いわゆる「研究大学」というヤツです。●しかし、市民育成の高等教育という意味では、ワタリさんのような、イリイチ的、アンプラギング学習層は少数なので、私学および公立大学を確保する必要があります。高校までが、自衛能力をつちかう普通教育として機能しないことをかんがえれば、一層、高等教育の責任がおもたいと(大学の先生方には、その危機感がうすいようですが)。

●とはいえ、水口さんもふくめて、博士課程修了者が常勤ポストをえられて当然といった、およそ市場原理を無視した議論がまかりとおるのは、ヘンだとおもいます(水口さんは、もうすこし慎重ですが)。ものごとの真理を探究するという哲学的指向は、もともとハイリスク行動なのですから。●ですが、だからといって、政官財の大学軽視は、やはりヘンで、もしその自覚がないなら、「学位等ほとんど無視する学歴軽視社会」というそしりを甘受すべきですね。大企業も中央官庁も、世界標準の人材とはせりあいようのない、学識不足の集団が、エラそうにふるまえる野蛮な空間ということです。いいかえれば、個人商店とか農家とおなじく、実地体験による知識以外を全否定するという、非科学的、非理論的な、いきあたりばったり前提の、前近代組織にとどまっていると。●なにも、ブラジルやフィリピンの学位をありがたがるわけではありませんが、日本の学位がそんなに無意味なら、「しわけ」作業の一環で、大学院をばっさりきればいいんです。しかし、それはしないでしょう。●たかだか「東京大学法学部卒」といった「学歴」をもちあげてくれるハンパな準学歴社会がつづくかぎり、それをタテに、国会議員になれる人物がでてしまうと。●東大入試突破がタイヘンなのは、みとめますけど、数十年まえに合格・卒業したといった「学歴」は、「学識」を保証しないことも事実です。

一貫性の無さが問題というべきかも

たびたび失礼。
「非国民通信」でも再度おなじネタをとりあげていましたが(http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/c9afda93b1e8f2148fac33a2ba8a5c55)、「日本」(というものが実態としては存在しないのは『国家主義を超える』(講談社)の指摘どおりだが、あえて存在すると仮定する)の為政者・権力者・右派諸勢力の根本的な問題は、知性を軽視する価値観をもち、国際標準の人権意識など普遍性を軽視する価値観も持っているくせに、「日本」の企業が世界基準でかちのこることを期待しているという一貫性の無さである。国家主義者みずからが愚民化政策を国是としている以上、世界標準の知識や価値観をもった人材を「日本」が輩出できなくなるのは当然である。「日本」がかつての侵略責任をとらず、/ten'no:se:/も廃止せず、国政はもとより自治体においても石原や橋下といった差別主義者が政治を牛耳っている。
それでいながらGDPなど世界標準での経済指標には尋常ではなく過敏であって、中国においぬかれることを異常におそれる。いざ自分が病気になったら医師免許を持った医者のいる病院に入院する。要するに「おれさまだけは自分の基準で勝手に生きる。学生や大学教員や新入社員といった他人に対する評価もおれさま独自の基準でおこなう。だがしかし、おれさまに与えるサービスは世界基準で評価して高水準のものでなければならない。世界基準でみて高度な医療、世界基準でみて美味な飲食物でなければおれさまに提供してはいけない。だがそれら世界基準にかなう貴重品を提供する人間に、おれさまの為政者としての資質を世界基準で判断することは絶対絶対みとめない」という、一切の一貫性が無い究極の御都合主義である。そしてそうした御都合主義者を多数もちあげている状況が延々とつづいているのである。(そのなかでも突出した存在が『天皇条項の削除を!』(JCA出版・179~185ページ)における、昭和天皇ヒロヒトを平和主義者にしたてる記念館であろう)
その様な、根本的に矛盾する価値観を両立させることなど理論的に出来るはずがない。それが出来るとおもいこんでいる人間ばかりの自民・公明を中心とした「日本」の保身派(保守派にあらず!)を全員刑務所にぶち込み、さらに一切の人権を剥奪し、先住民族に屈辱をあじわわせた「人類館事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6)の様に、その刑務所を見世物小屋として世界の労働者人民の侮蔑の視線にさらしつづける永続的なシステムを構築しないかぎり、世界のほかの部分をどれだけいじっても、人類社会は針の先ほどの進歩もしないのである。

> 日経のエリート記者さんたちが

引用記事に筆者のプロフィール欄があるんだから、確認してから書いたらいかがか。
小林さんはフリーライターだよ。

具体的に、補足説明おねがいします。

かくたさま

> 小林さんはフリーライター

■それじゃ、こういった記事をかかせた記者さんたちの認識、責任をおって採用・掲載したはずのデスクとかの認識とかは、「フリーライター」さんと、実際問題、全然ことなるんでしょうか? ■フリーライターさんの おとうさまが たとえば社内外の有力者とかで、自分たちが なっとくできないような記事でも、ケチつけられない、フリーパスで掲載…とか、なにか よわみなど、特段の事情でもあるんでしょうか?
■いずれにせよ、これは、「日経」という権威すじの新聞の編集部の責任のもと、公開された記事ですよね? ちがいますか?

■大学や学習塾の授業担当者が「非常勤講師ですから…」といった、いいのがれができず、学生・生徒にとっては、「おなじ講師」であること、「非常勤講師を常勤講師や教授と同質のサービス商品として受講生に提供している」実態に対して、教授会メンバーとか塾の管理職たちは責任をおっていること、学生・生徒・保護者からクレームがついたりしたばあいは、そういった責任のもと対応するしかないこと。…■こういった構造と、うえの記事の問題性、それへの編集部等の責任、どこがどうちがうのか、具体的に、補足説明おねがいします。

Wallersteinさんのブログ記事

http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20100525

●せっかく とりあげてくださっているのに、ふれずにここまできてしまったので、少々。

> 14コマも受け持つ同業者なぞ見たこともない。どこにそんなポストが余っているのか、と言いたくなる。私は最大の時で二つの大学で合計7コマ。これでも一番多かったらしい。昨年度は3~4コマ。大学からの年収は100万ほど。
 ↑ ■これって 地域差が でかいみたいです。■東海地域なんぞは、大学院生があまり養成されていないのに、大学はまだツブれずに大量にのこっているので、えらばなければ、有能なわかい先生は、ひっぱりだことか。■首都圏・関西圏は、イスとりゲームでしょうね。非常勤講師の公募がでているのをみて、びっくりしたことがあります。

> 本郷和人氏は『武士から王へ』(ちくま新書、2007年)のあとがきで「日本の前近代史がうまくない」という。若い人に人気がない理由について本郷氏は「暗記させられる量が多すぎる」こと、さらには研究者=大学教員が「暗記の先にある豊かな稔りをを明示し得なかった」ことに求めている。「歴史研究者は研究者とは名ばかりの、創造性と優葵とを失った何者かに成り果て、子どもたちの歴史嫌いは加速する一方である。日本史という学問の収縮は止まらない」と危機感を表明する。
 ↑ ■うーん。いまごろ ようやく反省しはじめたんですか?… ってのが、正直なところ。


> ちょっと史料や先行研究を分析しようと思えば、図書館や資料館などに入り浸るか、金をかけて購入するしかない。それが将来につながるのであればとにかく、将来が全く見通せない現状ではそんな金と時間をかける訳にはいかない。ちなみに原稿料というものは期待できない。私が今まで稼ぎ出した原稿料は5500円(!)である。発生したのは二本。一本は論文で5000円。入ってくるとは思わなかった。大学の研究所の紀要なので資金があったのかもしれない。もう一つは辞典の項目。500字なので500円。小さな項目だったので、大した金にはなっていない。あとは持ち出し。場合によっては抜き刷りも自分で購入しなければならないケースすらある。そもそも学会誌は会員費を払っていないと執筆できないわけで、書くことにすら金がかかる。
 ↑ ■そうですよね。どんなことでも、ウラとりが しっかりした文章を完成させるためには、カネ・ヒマ・能力が そろわないとできません。■一方、小谷野敦『評論家入門』(平凡社新書)では、かくことが「名誉」になるような媒体は、うれないので、原稿料はやすいか無料だとのべていますね(2004:16-7)。■ある意味、アカデミズムはボランティアによってなりたっていると。学会誌の査読は当然、無料奉仕だし(笑)。学術出版の印税は全部「現物」支給のかたちだし、資金も、もちだし(自費出版ないし助成金)か、大学生協で教科書として量をさばくかが、基本ですよね。

>いまごろ ようやく反省しはじめたんですか?
少し解説を加えますと、かかる「反省」や「反省」は山路愛山や久米邦武の昔から存在はしていました。
本郷氏が言っているのは、網野善彦亡き後の歴史学のあり方にかかわってです。八十年代にも歴史学の危機が叫ばれ、そのころに網野善彦が出てきて社会史ブームを作り出しましたが、2004年に亡くなってからの話をしているんだと思います。研究者によりけりで、危機感が共有されていない、という危機感を本郷氏は指摘していらっしゃいますけど。

ことばたらずでしたが…

Wallersteinさま

■ツッコミをいれただけで、もっと真意をはっきりのべるべきでした。
■いいたかったことは、たとえば大学入試(たとえば大学入試センター試験の「日本史」)とかをみただけでも、反省しているとはおもえない、という点ですね。「危機感が共有されていない、という危機感」のムラ(分布格差)は、当方ら しろうとでも なんとなく わかりますが、一部のかたが「危機感」をおもちでも、「危機感が共有されていない」が大半だからこそ、前近代史をああいった出題傾向でやれてしまう体質がのこっているんじゃないでしょうか? ■はっきりいって、あの程度の「反省」が現状だとすれば、「危機感が共有されていない、という危機感」が一部にあっても、焼け石に水状態では?… 日本通史≒「日本民族」なる共同幻想の時空的連続性イデオロギー=民族物語がアカデミズムから入試制度をとおしてタレながされる害悪を、過小評価しつづけている。あるいは、実証史学という「正義」の追究のためには、余業であって、しもじものことは、どうでもいい、というのが、先生方のホンネではないでしょうか?■以前も問題にした、Wallersteinさんの講義など、正論がメジャーでないらしい、大学の歴史教育の現状もふくめてです。

■もちろん、日韓・日中の研究者同士の歴史認識のスリあわせ、だの、歴史修正主義=右派の政治的暗躍をどうやって実証的に反証していくか、とか、いろいろ、重要課題がおありなんでしょうが、ハラナのような人物からすれば、それが最重要課題にみえる先生方の発想が理解不能です。

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