■「国際的に学力水準が地盤沈下しているじゃないか?」*とか、「公教育が競争原理の機能しない『聖域』のまま放置されておくなんて、おかしい(=「市場原理によって徹底的に合理化すべきだ」論)」**とか、学区の廃止やら受験塾との提携などを当然視する論調がたかまっているようだ。■学歴と職務との関係性がはたして徹底的に整合化できるか(たとえば、学校の機能の相当部分を職業訓練校=就職予備校化してよいのか?/学歴とポストの対応は透明化できるか?/……)など、さまざまな問題をかかえているのに、学歴がたかいことは、モンクなしに(ひくいより)よいことという前提が当然視されているのは、奇妙である。■たとえば、以前問題にしたような、人文・社会系大学院博士課程とか、法科大学院のような、「高学歴ワーキングプア予備校(すくなくとも、「ハイリスク・グループ」を大量にかかえこむことを前提に組織が成立・運営されている)」はもちろんのこと、おおくの4年制大学の「専門教育」とか、専門学校の実戦教育とやらが、はたして対費用効果として、合理的かどうかさえも、ちゃんと試算されたうえで、生徒・保護者に提示されていないような日本列島にあって、うえのような自明視は、それ自体非常に非合理的な発想・姿勢というほかない。
* 実は、こういった断定は基本的にデマ
** 実は、企業だって、徹底した市場原理にさらされている領域はかぎられている。■しかし、まあ、うえにあげられるような「学歴依存症候群」「学歴インフレ構造」「学歴詐欺商法」等々の問題は、とりあえずおいておこう。■ともかく、過熱化しているとしかおもえない、6年制一貫教育指向とか、学区廃止や公立小中学校の自由選択制等々への加速化の動向をみるにつけ、富裕層以外が、富裕層に準ずるような「勝ち組」ポスト獲得ができるのか? その可能性を冷静に試算しておく必要があるだろう。■もし、富裕層以外が、富裕層に準ずるような「勝ち組」ポストを獲得できる可能性が非常にひくく、学歴獲得競争に狂奔するのが、いわゆる「ハイリスク・ハイリターン」戦術なのだとすれば、それは、プロ・スポーツ選手になるとか、芸能人になるといった生活戦略とにたものだという、さめた感覚で冷静に動向をみつめられるはずだから。 ■総務省が発表している、調査結果としての、「
年間収入十分位階級別1世帯当たり1か月間の収入と支出」によれば、2007年7月時点での「全国・全世帯(農林漁家世帯を除く)」の平均年収は、646万円である。■これだけみると、首都圏や京阪神圏などで、6年間一貫の私立高校にかよわせることが、そんなに困難ではなさそうにみえる。実際には、首都圏や京阪神圏などで、6年間一貫の私立高校にかよわせることが困難でない居住地に、受験期といわれる小学4~6年生と10年弱すみつづけるというのは(浪人のリスクをぬきにして)、住宅費や交通費をかんがえると、かなりの出費になるはずなので、祖父母世代からの援助であるとか、先代からの継承、ないし臨時に資産がてにいれらるなど、特殊事情がないかぎり、自宅からかえよえる国立大学以外はダメといった事態になりかねなとはおもうが。■すくなくとも、コドモ3人に同様の学歴をあゆませることは困難だろう。
■しかし、そういった、たちいった状況を具体的に想定しないでも、平均年収646万円という数値自体がクセものなのだ。■実は、このての統計につきものの、平均値のマジックが、この統計結果にもちゃんときいている。「年間収入十分位階級」というのは、この統計のばあい887008世帯を年収ごとにならべて10等分したものだから、88701世帯ごとに平均年収がだされている。そうすると、「十分位階級」の、ほぼ中央値にあたるのは、V層の平均年収とVI層の平均年収の平均値ちかくだときづく。そうすると、(509万円+586万円)÷2≒548万円という数値におちつく。
■器械体操や新体操、フィギュアスケートなど演技の正確さや美的印象を数値化するコンクールのときに、最高点と最低点をすてて、それ以外の審査点を合計したり平均したりするのは、最高点・最低点が、平均値をいちじるしくゆさぶってしまい、中央値とかけはなれた数値をたたきだすからだ。■年収なども、これとおなじことが機能する。■I層の平均年収は227万円、X層のそれは1562万円と、おそろしく中央部分と異質な2集団(社会学的な集団ではなく、経済学的なふたつの成層にすぎないが)が、たがいに効果をうちけしあいながら、平均値を上下にひっぱりあう。そして、その結果は、X層が平均値を100万円ほどひきあげたことを意味する。
■このようにみてくると、日本列島上の「中の中」とは おおむね年収500万円台、「中の下」は400万円台といってよいのではないか? すくなくとも、第一次産業に従事する過程が学歴競争に奔走することはかんがえづらいのだから、学歴競争と経済階層の関係をかんがえるうえでは(ホントは、中学高校にコドモをかよわせる保護者が40代中心だろうということで、そこでの年収の分布をしらべねばいけないのだが)。
■それはともかく、東大・京大・医学部など難関大学と称される一群に大量に合格者をおくりこみつづける学校の中軸は、あきらかに6年間一貫校になり、その中核は、首都圏・京阪神の有名私立校である。有名人を輩出してきた
ラサール中学校・高等学校とか、
久留米大学附設中学校・高等学校のような学校は例外的であり、有名私立のほとんどは東京23区か政令指定都市に所在地をもち、そのほとんどは首都圏・京阪神圏の「まちなか」にある。大学や一部の全寮制の私学とはちがって、6年間一貫校のほとんどは、地方都市や大都市郊外には立地されない。
■さきに、中学受験期から大学入学まで10年ちかく、6年間一貫の私立高校にかよわせることが困難でない居住地にすみつづける経済的負担を指摘しておいたが、大都市部にくらす住民の中層は、地方都市よりもかならずしもゆたかではない。■たとえば、「
都市階級・地方・都道府県庁所在市別世帯分布(抽出率調整済実数)」によれば、東京都区部の世帯年収の中央値は600万円台前半、大阪市・神戸市はともに500万円台前半である。■このデータをからめるなら、街中に わりだかな物件を確保してくらしつづける中層には学費負担がきつく、6年間一貫の私立高校にかよわせる中核が市街地居住者の上層と、大都市近郊の「中の上」以上の階層があることがうかがわれる。
■では、こういった教育経済学的な素描のうえに、大都市部の「中の中」ないし「中の下」にあたる世帯が、6年間一貫の私立高校に準ずる学歴競争への参入がどの程度可能なのだろうか? ■データがないので、あくまで想像にすぎないが、一人っ子に借金も辞さずで教育費用を集中して有名校の高等部にいれる。なるべく国立の附属にすすませ、大学は「しおくり」無用の自宅生として東大・京大、ないしそれに準ずる国立大学に進学させるといったところか?■あるいは、政令都市の住民が、じもとの旧帝国大学に自宅生として通学させるべく、やはり教育資源を投下するといった感じか?
■しかも、こういった学歴競争への参入は、あくまで希望の大学・学部に入学でき、専攻分野のカンちがいなどにでくわさずに無事卒業できること。しかも、不本意な職種につくことなく、希望の、ないし妥当な職業生活にはいれるという結果がでたばあいだけ、「成功」といえる。■その意味では、中高一貫校はもとより、それに準ずるルートで、学資の対費用効果がマイナスにならない保証など、どこにもないわけで、「次世代の教育は、未来への目減りしない投資」といったコピーは、ある意味詐欺的な商法とせなあかわせといえそうだ。
■こういった巨視的構造のなかで、公立の中高に進学することを前提に受験競争に参入する層が、ハイリスク・グループとはいわない。しかし、そこに、受験塾等への依存をつよめたばあいは、ローリスクとはいえないし、まして6年間一貫校の高等部への参入によって大学受験を優位にすすめようといった戦術にうってでるかぎり、かぎりなくハイリスクにちかいミドルリスクといえるだろう。
●「
学力上位者に補習が差別的でないという論理2」
●「
学力上位者に補習が差別的でないという論理1」
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