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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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JR西:新型車両を公開 尼崎脱線教訓に安全性高め(毎日)

「JR福知山線脱線事故」関連記事の続報。

JR西:新型車両を公開 尼崎脱線教訓に安全性高め

 JR福知山線脱線事故(05年4月)を受け、事故時の衝撃を減らすなど安全性を高めた新型車両「225系」が完成し、JR西日本が17日、東大阪市内で報道陣に公開した。試験運転などを経て、今年度中に京阪神エリアの在来線で運行を始める。JR西日本の新型車両「225系」
報道陣に公開されたJR西日本の新型車両「225系」
=東大阪市で2010年5月17日、大西岳彦撮影


 JR西によると、225系は先頭車両の前面と床部分を強化。踏切で車と衝突するなどした場合、衝撃を上部に逃がす構造で、乗客にかかる負担を従来の半分にできるという。側面の接合部なども強化した。また、つり手の数をこれまでの車両の約1.5倍に増やし、目立つオレンジ色で形状も大きくした。東海道線や山陽線の新快速電車などに導入される予定で、計226両、製造される。車両を企画したJR西の牧原弘・車両部担当部長は「事故を起こした企業の社員として、安全性向上を第一に考え、現在の技術でできる限りの対策を取った。これで終わりではなく、技術の進歩に合わせてより安全性を追求していきたい」と話した。【牧野宏美】
……
毎日新聞 2010年5月17日 11時20分(最終更新 5月17日 11時50分)

-----------------------------------------------
■万一のばあいに そなえて、磐石の 強度を追求するというのは、基本的にまちがっていないとおもう。人為的ミスを壊滅させることは不可能だから。■しかし、こういった方向に人知・予算・時間をさくことよりも、加速化による輸送量増大という方向でのサービスしかありえない、とかんがえてきた発想の転換・修正こそ、優先順位がたかかったはず。■遺族・関係者が、徹底究明とか改善をもとめた目標・結果は、車両の強度なんかではなかったはず。



●旧ブログ「JR福知山線脱線事故 を含む記事
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タグ : 安全

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コメント

運転士も被害者

■数日まえの記事だが、けっして わすれないように。


死亡運転士の労災認める 尼崎JR脱線事故

 2005年4月の尼崎JR脱線事故で、脱線した電車を運転していて死亡したJR西日本の高見隆二郎運転士=当時(23)=の遺族が、天満労働基準監督署(大阪市)に申請していた労災が7月下旬までに認められたことが9日、関係者への取材で分かった。労基署は業務上の理由で死亡した労災と判断したもようだ。

 労災の請求時効(5年)を前にした今年2月、遺族がJR西から勤務中の事故と認める証明書を取得し申請していた。

 会社に法令違反などの重大な過失があると判断した場合、労基署は遺族への給付額の最大3割を会社側からペナルティーとして徴収できるが、今回はJR西が組織としての法的責任を否定しており、事故の背景に指摘されている懲罰的な日勤教育や過密なダイヤを重大な過失と判断するのは困難とみられる。

 高見運転士は08年9月、業務上過失致死傷容疑で書類送検され、09年7月、死亡により不起訴となった。

2010/08/09 19:01 【共同通信】



JR福知山線脱線 犠牲106人から6年…電車ようやく乗れた
産経新聞 4月25日(月)9時18分配信

 乗客106人が死亡、500人以上が重軽傷を負った兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故は25日、発生から丸6年。事故で負傷し、精神的なショックから電車に乗れなくなった兵庫県西宮市の主婦(38)は事故から6年になる今年、ようやく福知山線に乗って事故現場を通ることができるようになった。電車に乗る練習を少しずつ続け、恐怖を受け入れながら前進した6年間。現在も練習は続けながら、「あきらめなくてよかった」と実感している。

 女性は約6年前、大阪市内に通勤するため、事故車両の1両目に乗車していた。衝撃でマンションの地下に投げ出されたが、自力で脱出。病院で治療を受けたが打撲などの軽傷で、その日のうちに帰宅できた。

 しかし、事故のショックは心に大きな傷を残した。翌日以降、自宅を出ることが怖くなり、外出もほぼ不可能に。阪急電車に乗車したが、強い恐怖で足が動かなくなり、1駅で降りた。約1カ月後、なんとか職場に復帰したが、タクシーで通勤するしかなかった。

 焦りもあったが、「乗ろうと思えるまで待とう」と思い直し、電車に乗る練習を始めたのは事故の約5カ月後。仕事帰りに地下鉄に乗ることから始めたものの、当初は事故の記憶がよみがえり、1駅が精いっぱいだった。翌年には出産のため退職し、一時中断。長女が1歳になってからゆっくりと練習を再開した。

 徐々に地下鉄や阪急電車には乗れるようになったが、JRへの抵抗はなかなか消えない。そんな時、救いとなったのが家族の存在だった。長女を連れて電車に乗り、泣かないよう車内でおもちゃを出したり、絵本を見せたり、気を使ったことで、「大変だったけれど、ずいぶん気が紛れた」と振り返る。

 今年2月、初めて事故現場を通るJR福知山線塚口-尼崎間の上り電車に乗ったときは、夫(41)が付き添ってくれた。電車が塚口駅を出る瞬間「もう逃げられない」と恐怖がよぎったが、夫が話し続ける別の話題に集中し、周囲を見ないでいると、いつの間にか尼崎駅を過ぎていた。「乗れた」-。降車後、自然と喜びがわき上がってきたという。

 4歳になった長女は電車好きになり、今では「乗りに行かないの?」と誘われることも。長女が今年4月に幼稚園に入園し、次は1人で福知山線に乗る練習を始める。「これが私のペースだったと思う」。目指してきたゴールが、すぐそこに迫っている。

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