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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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水俣病:犠牲者の鎮魂祈る 首相「謝罪」に思い複雑--慰霊式 /熊本(毎日)ほか

■日記内「水俣病」関連記事および、旧ブログ「水俣病 を含む記事」の続報。■ひとつの、おおきな区切りというべき記事群。

水俣病:犠牲者の鎮魂祈る 首相「謝罪」に思い複雑--慰霊式 /熊本

 公式確認から54年、初めて現職首相が参列した1日の水俣病犠牲者慰霊式。水俣市のエコパーク水俣親水緑地に立つ「慰霊の碑」前で、患者や遺族ら約1100人が花をささげて犠牲者の鎮魂を祈った。被害拡大を防止できなかった責任を謝罪し、式後に患者と握手して回る鳩山由紀夫首相に対し、患者らはさまざまな思いを抱いた。【澤本麻里子、阿部周一】

 慰霊式に先立ち、小沢鋭仁環境相と田島一成副環境相が、近くの水俣病情報センターで10の患者団体と面談した。面会時間は1団体当たり1~2分と短く、患者団体側は水俣病被害者救済特別措置法制定(昨年7月)などへの謝辞を述べるのが精いっぱいだった。この中で「水俣病平和会」の井島政治会長(85)は「声を上げていない被害者も多く、特措法ができても全面解決ではない」と強調。小沢環境相は「今日が始まりだと思っている」と繰り返した。

 続いて慰霊式が始まり、鳩山首相は黒のスーツ、ネクタイ姿で会場に入った。これまでに亡くなった認定患者27人の犠牲者名簿が新たに奉納され、鐘に合わせて全員で黙とうをささげた。

 患者・遺族を代表して水俣病資料館の語り部、前田恵美子さん(56)と吉永理巳子さん(58)が「安心して眠ってください」と御霊に語りかけた。この後、首相が慰霊碑に向かって立ち「祈りの言葉」を読み上げ、手を合わせた。

 原因企業チッソの後藤舜吉会長もあいさつに立ち「衷心よりおわびする」と謝罪。患者から批判が相次ぐ分社化について「特措法に従って事業再編が行われるが、患者補償は何ら変わらず責任は果たす。患者との窓口となってきた患者センターは何らかの形で存続させる」と述べた。



 ◇「必ず全被害者救済を」
 式後、首相は約10分間、患者の元を回った。水俣病不知火患者会の大石利生会長(69)は首相に「ありがとうございました」と声を掛けた。ただ大石会長は「現場に来て謝罪したことは評価できる」としつつ「事前に自分の目で被害の実態を見ていれば、もっと被害者の立場に立った言葉が出たのでは」と物足りない様子も見せた。首相が掲げる「いのちを守る政治」について「命を守ると言うなら、全被害者の救済をやり遂げてもらわないと。必ず実行に移して」と訴えた。

 水俣病資料館の語り部、永本賢二さん(50)も首相や後藤チッソ会長と言葉を交わした。「後藤会長の言葉は気持ちが入っていない感じがした。握手にも温もりを感じられなかった。今まで苦しみや差別を受けてきた患者の気持ちを本当に分かってくれているのかどうか分からない」と複雑な表情を浮かべた。

 同じく語り部の緒方正実さん(52)は帰路の車に乗り込む鳩山首相に、「祈」と焼き印された高さ約20センチの手彫りこけしを手渡した。「これからも祈り続けてください」と訴えると、首相はうなずいたという。しかし患者と首相とがじっくり話し合う場が実現しなかったことについて「時間を取って患者の声に耳を傾け、実態を少しでも味わってほしかった」と残念がった。

 ◇チッソ分社化批判 元衆院議員の馬場さんら講演
 一方、水俣病を巡る状況や特措法の問題点などを考える「国家の病、水俣病の今」と題した講演会が1日、熊本市のくまもと県民交流館パレアであった。

 約270人が集まり、元衆院議員の馬場昇さんが「水俣病にみる国家の犯罪」をテーマに講演した。水俣病の歴史を振り返りながら「『世界の公害の原点』というが、公害でなく明らかな傷害殺人事件だ」と述べ、積極的に被害を防ごうとせず、原因の究明も遅れた国などの責任を指摘した。チッソの分社化も「患者はどこに訴えていいか分からなくなる」と批判した。

 原田正純・熊本学園大水俣学研究センター顧問は「半世紀の水俣病の歴史に立って」をテーマに講演。裁判を続ける意向の水俣病被害者互助会の佐藤英樹会長らも発言した。

 講演会実行委員長の花田昌宣・熊本学園大教授は「いま進んでいる救済策とチッソの分社化では水俣病は解決しない。まだ問題が多いことを講演を通じて知ってほしかった」と話していた。【勝野俊一郎】

水俣病:「納得できぬ」「感謝したい」…54年の思い複雑
水俣病:首相、国の責任認め謝罪…慰霊式に初の参列
水俣病:慰霊式…首相、初の参列
水俣病:救済対象2500人 最終提訴
水俣病:犠牲者慰霊式、鳩山首相が出席へ
毎日新聞 2010年5月2日 地方版




首相の言葉に期待・不安/水俣病慰霊式

「朝日新聞 マイタウン鹿児島」2010年05月02日


 熊本県水俣市などの水俣病被害者と変わりなく、汚染された不知火海の魚を食べてきた鹿児島県内の被害者はひとごとのように振る舞う県行政の姿勢にも苦しんできた。1日、水俣市であった水俣病犠牲者慰霊式には、首長が招待されながら代理さえ出さない自治体もあった。今回の「政治決着」が、どれだけ潜在被害者の救済につながるのか――。そんな不安を抱えながらも、歴代首相として初の現地入りに「国の誠意に期待したい」と、苦難の半生を歩んだ未認定の女性2人は祈るような口調で語った。(原口晋也)

 出水市平和町の川上トシエさん(75)は、鳩山首相の15メートルほど後ろに座り、背筋を伸ばして首相の言葉に聴き入った。「あたう限りすべて救済します」「水俣病問題がこれで終わるなどとは思っておりません」というくだりに胸を打たれた。「でも実のある施策になるかはこれから」と笑顔は見せなかった。
 不知火海の獅子島(長島町)で生まれ、20歳で出水に家族で移り住んだ。島には田がほとんどなく、魚とサツマイモ以外、口にしなかったという。
 28歳で熊本市の男性と結婚し、同市に転居してから異変が始まった。頭の中で四六時中セミが泣いている感覚がある。あたりが静かになる夜は大音量になる。紛らそうとラジオをつけたまま寝るが、寝返りを打つと足がつる。
 それでも、自分が水俣病とは思わなかった。水俣病は全身をばたつかせ、よだれを流す病気と思い込んでいた。自分がそうだと知ったのは水俣市に出向き、診察してもらった5年前。体調不良を自覚して40年近くたっていた。それから、意識が変わった。
 県庁に出向き「水俣病と自覚しない人は多いはず。(出水、阿久根、長島など)沿岸の健康調査を」と要望するまでになった。だが、担当者と議論がかみ合わない。思わず歯がみした。
 一昨年来、臭覚と味覚も失われ、好物のコーヒーの香りも、みそ汁の味も分からなくなった。「健康な体を返してもらいたい。それが無理なら『有害な工場排水が止まった1968~69年まで』が救済対象と区切らず実際に症状がある30、40代にも賠償してほしい。私よりひどい、若い世代がいるの」
   ■   ■   
 「あの人が生きているうちに、国の最高責任者からこんな言葉を聞きたかった」。出水市で夫と鮮魚店を営んでいたAさん(79)はテレビで首相の言葉を聞いた。涙で画面がかすんで見えなかった。
 1960年ごろ、隣の水俣市の「奇病騒動」が報道され始め、「うちは阿久根で仕入れて来るから大丈夫」と、客に必死に訴えたのは心底大丈夫と思ったからだ。
 だが、そのうち夫が足腰に力が入らず立てなくなった。ろれつも回らなくなった。寝込んで医師にみせると「水俣病だ。申請しなさい」。夫はすごい形相で「来んで、よかー」と怒鳴った。
 夫はやせ細り、76年末に50歳の若さで死んだ。夫のあの剣幕が呪縛にもなった。「息子の嫁取り、娘の嫁入りを心配したんだろうし、『水俣病の魚屋』となれば魚が売れなくなると心配したんだろう」。今はそう想像できる。
 夫の死後、Aさんにもこむら返りの症状が現れ、握力も失われた。87年に店をたたんだ。だが、劇症に近い夫の症状と、自分の体調不良の根がともにメチル水銀だとは思いもしなかった。
 2006年、出水市内の薬局で、水俣病の妊婦の症状が記された本を手にとった。死産、流産、ブドウ児(ご)(泡状奇胎)……。子ども3人を出産後、すべて自分が経験した異常妊娠だった。「自分のことが書かれていた」。水俣で診断を受け、国や熊本県などを相手に訴訟に加わった。
 「国が排水規制をしさえすれば、こんなことにならなかったという思いは、どうあっても消えません。あの人を返して。それだけです」。夫との思い出を便せんにつづっては気を紛らす毎日だ。
 Aさんらと裁判を闘ってきた水俣病不知火患者会の中嶋武光副会長(出水市)は、言う。「これだけ慰霊式を重ねても真の救済につながらずにきたのは、県行政や自治体が先頭に立たないからだ。国と一緒に掘り起こし検診をしないと実態がつかめず、解決につながらない」と、新救済策の運用にくぎを刺した。
■「天国のお父さんに、ラブレター」
 私はこのごろ毎日夢を見ます。初めて会って父さんと話した頃の姿、にっこり笑って私を見つめている姿。結婚して父さんの11人家族の一員にしてもらってうれしかった。(中略)私も79歳になりました。どうして病気から父さんを守ってあげられなかったんだろう。世の中にこんなひどい病気があるのかとショックを受けました。(中略)3人の子供らの結婚式を、父さんとふたり並んで楽しみたかった。いま一人細々と暮らしています。私もだんだん体調が悪くなり人生は一変したけど、命ある限り父さんとの楽しかった日々を胸にがんばり抜きます。安心して下さい。ありがとう。
 ●●さんへ





水俣病54年「全被害者救済したい」環境相語る
受け付け手続き開始

 公式確認から54年を経て、熊本県水俣市で1日開かれた水俣病の犠牲者慰霊式。

 被害者救済法に基づく救済申請の受け付けも始まり、会場近くの臨時窓口で早速手続きをした被害者らは安堵
あんど
の表情を見せた。

 臨時に設けられたのは熊本、鹿児島県の申請窓口。開設式で小沢環境相は「水俣病にとって重要な日に申請受け付けを開始できた。すべての被害者を救済できるよう全力を尽くす」とあいさつした。救済策は一時金210万円を支払うなどの内容で、対象の未認定患者は3万人超とも言われる。

 この日申請があったのは69人分で、水俣市内の男性(58)は母親(87)の分も申請した。母親は先週から入院中といい、「『何とか救済を』という母の思いを込めて申し込んだ。ようやくこの日が来てうれしい」と話した。

 慰霊式で「被害者の方々への償いを全うしなければならない」などと述べた鳩山首相は式後、被害者団体代表や胎児性患者に歩み寄り握手した。

 水俣病出水の会(鹿児島県出水市)の尾上利夫会長(72)は「心に残る一日になった」。訴訟で国との和解に合意した水俣病不知火患者会(水俣市)の大石利生会長(69)は「事前に被害者と会い、苦しみや痛みに耳を傾けるべきだった」と話した。

(2010年5月2日 読売新聞)




【杉浦美香の環境白書】第2の政治決着果たした水俣病 首相謝罪も「命守る政治」の真価は
2010.5.2 18:00

 公害の原点といわれる水俣病。公式確認から54年目の5月1日、鳩山由紀夫首相が熊本県水俣市で営まれた水俣病犠牲者慰霊式に出席し、首相として初めて謝罪した。「命を守る政治」を旗印に掲げている首相。普天間飛行場移設問題ではみそをつけっぱなしだが、つぎはぎだらけの国の水俣病対策の最終解決までの道のりは険しい。
半世紀余りかかった謝罪
 「政府を代表して、かつて公害防止の責任を十分に果たすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかった責任を認め、改めて衷心よりおわび申し上げます」
 水俣病の原因物質であるメチル水銀に汚染され魚、カラス、人の生命までも奪った水俣湾の埋め立て地に建てられた慰霊碑に、鳩山首相は深々と頭を下げた。
 「一つの区切りになった」「長かった。水俣病は終わらない…」
 昨年7月に成立した水俣病被害者救済特別措置法は未認定患者救済に大きく道を開いた。“第2の政治決着”。加害企業の「チッソ分社化」問題などで批判も多いが、患者は感無量の様子だった。
 検察審査会が「起訴相当」と議決した民主党の小沢一郎幹事長の問題や普天間基地問題など、課題山積でけっぷちに立たされている鳩山首相。中国から上海国際博覧会(上海万博)の開幕式への出席を求められていたというが、慰霊式出席を優先した。
 ただ、公式謝罪する首相は鳩山氏が初めてではない。平成7年の“第1の政治決着”の際、ときの村山富市首相が「遺憾の意」を表している。
 村山談話の一部を紹介しよう。
 「解決に当たり、私は、苦しみと無念の思いの中で亡くなられた方々に深い哀悼の念をささげますとともに、多年にわたり筆舌に尽くしがたい苦悩を強いられてこられた多くの方々の癒(いや)しがたい心情を思うとき、誠に申し訳ないという気持ちで一杯であります」
 確かに謝罪はしているが明確に国の加害責任を認めているわけではない。
 「政府としてはその時々においてできる限りの努力をしてきたと考えますが、新潟で第二の水俣病の発生を含め、水俣病の原因の確定や企業に対する的確な対応をするまでに、結果として長時間を要したことについて率直に反省しなければならないと思います」
 反省はしているが、極めてあいまいな言い回しに終始していた。
 鳩山首相の「祈りの言葉」は明確に加害責任を認め、これよりも大きく踏み込んだ形になった。
「政治解決」では終わらず
 昭和31年5月1日、チッソ水俣工業付属病院の院長が「原因不明の中枢神経疾患が多発している」と水俣保健所に届けたのが「公式発見」だ。
 34年、400号と名付けられた猫を使った実験で、水俣病とチッソ水俣工場からの排水との関係を示唆する結果が出ていたが、熊本県も国も水俣湾の漁獲を禁止せず、水俣工場からの排水も止めなかった。
 40年6月、新潟・阿賀野川下流に「原因不明の水銀中毒患者がいる」という報告がなされた。「第2の水俣病」の発生だ。公式発見から9年がたっていた。
 「国策である高度経済成長を支えるため、チッソの排水を止めず、多くの水俣の患者が犠牲になったばかりではなく、国は企業の非人間的行為を援助した」
 元水俣市長の吉井正澄氏は国の不作為による被害の拡大を糾弾する。
 自民、社会、さきがけの連立政権時の第一の政治決着の閣議了解(平成7年12月15日)に書かれているのは「水俣病問題の最終的かつ全面的な解決を図るため」という文字だ。
 国の示した公害健康被害補償法(公健法)の厳格な基準を不服として増え続けた訴訟。和解勧告が出されていたが、国は「行政の根幹にかかわる問題」として和解に応じようとしなかった。この硬直状態を解決するためにとったのが「政治決着」だった。
 この時の各紙の報道を繰ってみた。そこには「政治決着」ではなく「政治解決」という言葉が使われている。
 水俣市で取材した何人もの患者らが「これでもう終わりだと思った」と語った。長引く裁判を終わらせるための「苦渋の選択」で“政治解決”の受け入れだった。原告らは関西訴訟をのぞき、裁判を取り下げる。
 しかし、これで終わったわけではなかった。
変わっていく環境省の役割
 「苦しかった」
 こう吐露したのは、抗議のために東京・霞が関の環境庁(現環境省)に座り込みに来た患者らの強制退去に加わったある環境省官僚だ。
 温暖化問題がクローズアップされる環境省だが、その原点は公害問題だ。
 環境省では現在、厚生労働省や農林水産省など他省庁からの出向組も多いが、当時、環境庁を目指した多くの官僚の志望動機は、自然を守ることだったり、経済成長至上主義の反省にたち汚染物質による健康被害を防止・規制したりすることだった。
 昭和45年のいわゆる「公害国会」で公害対策関連法案14法案が成立、その翌年に誕生したという経緯がある。
 しかし、水俣病訴訟で和解勧告が相次ぐ中、国は企業が犯したことは「汚染者負担の原則(PPP)」として拒否し続ける。平成2年11月、裁判でこのことを表明した後、当時の環境庁企画調整局長は自宅で自分の命を絶った。
 「公害被害者の立場に立つはずの環境省が逆になった。おかしいでしょう」と別の官僚は自嘲(じちょう)気味みに話した。
 患者と対峙(たいじ)した後に、今度は患者の立場として当時の通産省(現経済産業省)の官僚に詰め寄る。
 排水規制の「水質保全法」と「工場排水規制法」(いわゆる水質二法、現水質汚濁防止法)を経済企画庁から環境省が引き継いでいることから、裁判では国の代表者として「加害責任はない」と答弁、患者に立ちはだかった。
 「いつのまにか当事者の経産省が傍観者になっていた」。
最高裁判決が与えたショック
 胎児性水俣病患者のための作業所「ほっとはうす」を運営する加藤タケ子さん(59)は「最高裁の判決を新聞記者から聞かされ、うそでしょう、ありえないと思った」と語る。
 信じられずに、何度も聞き返したという。
 政治決着で訴訟が取り下げられる中、関西訴訟だけが残った。未認定患者認定の救済を求めた裁判だったが最高裁は、被害を拡大させた国の加害責任を明確に認めた。それだけではない。公健法に基づく患者認定基準より広く患者救済を認めた。
 水俣病の重症例だけが患者だと思っていた患者らが「感覚障害」を訴え、救済を新たに求め、裁判が起こっていた。
 平成21年7月15日に施行された被害者救済特別措置法の前文に、こう書かれてある。
 「水俣病被害の拡大を防止できなかったことについて責任を認められたことであり、政府としてその責任を認め、おわびをしなければならない」。
 「水俣病問題の最終解決を図り、環境を守り、安心して暮らしていける社会を実現すべく、この法律を制定する」
 法律だけではなく、最大の原告団体である「水俣病不知火患者会」も和解のテーブルについた。
「ミナマタ」世界に発信へ
 全国区とはいえないが、実際に水俣を訪ねれば、分かる。ワタリガニ、太刀魚、アジ、穴子、アワビ…。豊富な海の幸に恵まれ、山々に囲まれた水俣は「九州の地中海」とも呼ばれるという。
 良質の温泉地もある。昭和の初めは芸者もいるにぎやかな地として栄えたが、水俣病問題で一変した。
 「地元の魚は使っていません」
 ある温泉旅館は当時、こうした宣伝で客を呼んだ。
 「悔しかったですね。汽車が水俣を通るときに、窓にカーテンをかけて、客は息を止めていたんですよ」と元女将は語る。
 水俣湾の安全宣言が行われた。客も戻っている。しかし、公式確認から50年の節目だった平成18年、かつての汚染された水俣の光景が何度も報じられ、キャンセルが相次いだ。
 「もう終わりにしてほしいというのが本音。でも、それは表だっていえない」
 そんな鬱屈(うっくつ)した不満がある。
 水俣市が今、目指しているのは環境と福祉の先進地への脱却だ。
 偏見を恐れ「水俣病」という名前を変えてほしいという声は今も根強い。
 しかし、世界的にも汚染物質が食物連鎖を通して発生した公害病として「ミナマタ」の知名度はピカ一だ。この知名度を逆手にとろうとしている。
 分裂した地域のきずなを結ぶことに市職員時代から務めてきた地元学ネットワーク主宰、吉本哲郎氏は「どう地域再生していったのか、これを世界に発信していく。他の地域がうらやむ強みになる」と話す。
 政府は、国連環境計画(UNEP)で交渉中の水銀を地球規模で規制する水銀規制条約に「水俣」という名前をつけるよう提案する方針だ。
 新生「ミナマタ」の誕生が模索されている。
(杉浦美香・社会部環境省担当)

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■産経新聞が、こういった総括記事をかく時代をむかえたことは、非常に印象ぶかい。
■基本的に親米保守かつ大企業よりの政治経済記事に終始してきた紙面なのだから。



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コメント

これまで現役首相がなぜひとりも水俣病犠牲者慰霊式に参加しなかったのか、驚きを隠せません。
この「棄民」ぶりはわたしたちワーキングプアやノーワーキングプアへの「棄民」ぶりとも通底する問題です。
国が国民の命を守らないなら、「じゃあ軍事費ゼロにしろ」としか言いようがありません。

「経世済民」という「経済」の語源

…經世濟民(経世済民 / けいせいさいみん)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意。
略して「經濟」(経済)ともいうが、主として英語の「economy」の訳語として使われている今日の用法とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指示する語であった。…
(ウィキペディア「経世済民」)

●儒教思想という、エラそうなエリート主義の一項目ではありますが、「人気投票」でえらばれただけの代議士たちよりは、責任感があることも事実です。支配イデオロギーによる正当化だとはおもいますが、公害をだしても経済成長で人気とりができると信じこんでいた、当時の日本政府とかソ連政府、現在の中国政府だのよりは、正統性の体裁をととのえようという、美学が感じとれると。■現役首相が、ひとりも列席しなかったことは、それら無責任体質の象徴といえそうです。くだらん会見とか、表敬訪問とやらは、やたらにくみこんで、いそがしくしている日程調整からして、実に不自然なバランス喪失です。

■被爆者や薬害被害者などとも通底しますが、こういった権力犯罪の被害者のなかに、崇高な聖なる市民がうまれるというのは、ある意味必然なのかもしれませんね。

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