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Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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【新刊】『知の政治経済学 あたらしい知識社会学のための序説』(三元社)

知の政治経済学
:あたらしい知識社会学のための序説

ましこ・ひでのり/
●本体3600円+税

2010年4月25日/A5判並製/408ページ/ISBN978-4-88303-266-2

知の政治経済学
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疑似科学を動員した知的支配の政治経済学的構造を、社会言語学・障害学等をもとに論じる「あたらしい知識社会学」のための序説。知の威信秩序とその格差構造、社会科学の射程および境界、「日本語特殊論」をはじめとする「言語論」、沖縄島への米軍基地集中を合理化する地政学的議論など、既存の体制への挑戦。


【目次】

はじめに 11
序章 問題の日常的忘却としての「NIMBY(Not In My Back Yard)」を中心に 29




第1部 人文・社会科学の政治経済学序説

第1章 知の序列──学術の政治経済学序説 53

1.「職業の貴賎」と「学術の序列」 53
  1.1.「職業の貴賎」と社会学の階級階層論 53
  1.2.自己省察の対象としての「学術の序列」 55
2.「学術の序列」の基本構造 57
  2.1.学術の諸領域の格差 57
  2.2.スポーツとの比較 61
3.「学術の序列」の社会的基盤 62
  3.1.テクノクラシーにとっての学術知 63
  3.2.大衆的権威主義 67
  3.3.「みせびらかしの消費」としての学術 74
4.世俗的価値の反転としてのアカデミズム 77
  4.1.非実学=精神的貴族の証明としての「哲学」 78
  4.2.身体蔑視の価値観 81
5.おわりに 84

第2章 社会科学の射程=境界線・再考──狭義の社会科学と広義の社会科学 85

1.はじめに 85
2.人文・社会・自然という領域の実態 86
3.言語科学のばあいを参考に 90
4.狭義の社会科学と広義の社会科学をかんがえる 97
5.予算獲得競争といった次元での政治労働をこえて 100
6.おわりに 102

第3章 科学の対象としての文化・再考──文化の社会学序説 105

1.研究対象としての「文化」 105
2.「下位文化」「大衆文化」の再検討 109
3.「生活文化」がてらしだす「文化」概念 114
4.科学的対象たりえる「文化」の諸相 118
5.おわりに 122




第2部 ことばの政治経済学 疑似科学=イデオロギー装置としての言語論

第4章 言語研究者の本質主義──近年の俗流言語論点描 1 131

1.はじめに:俗流言語論の存在基盤 131
2.日本語特殊論1:「漢字不可欠論」の新傾向について 133
3.日本語特殊論2:「カタカナ」語論をめぐって 136
4.専門家支配の追認=無自覚な偽善としての「いいかえ」 141
5.おわりに 144

第5章 漢字依存と英語依存の病理──近年の俗流言語論点描 2 147
1.はじめに 147
2.近年の漢字表記論点描:いわゆる「人名用漢字」をめぐる騒動を中心に 149
  2.1.「人名用漢字拡大案」騒動 149
  2.2.対「中国」の文脈での漢字表記 154
  2.3.「日本事情」系(?)の漢字論 155
  2.4.脳科学系の言語教育論 159
3.近年の英語教育論の動向点描:早期教育の是非/いわゆる国際化/表記論など 162
4.そのほか 164
5.おわりに 165

第6章 日本語特殊論をつらぬく論理構造──近年の俗流言語論点描 3 167

1.はじめに 167
2.表記体系の「特異性」論:3種類のまぜがき表記体系を中心に 170
  2.1.「社会的事実」としての「3種類のまぜがき」の自明性 170
  2.2.知的反動としての日本語表記特異論 171
  2.3.漢字表記混入による、はなしことば体系への影響の検討 173
  2.4.盲人など、非識字層の言語意識 177
3.「日本の美の象徴」としての「敬語」 178
  3.1.あらたな本質主義=知的反動としての1990年代 178
  3.2.特殊性/美化/有用性 181
  3.3.権力/親疎関係と敬語 184
  3.4.「フェミニズム言語理論」批判という知的反動 186
4.おわりに 192

第7章 辞書の政治社会学序説──近年の俗流言語論点描 4 195

1.はじめに 195
2.安田敏朗『辞書の政治学』をもとに 196
  2.1.理念としての記述主義と現実としての規範主義 196
  2.2.『問題な日本語』の提起する問題群と提起自体の問題性 205
     2.2.1.表記法および「よみ」の並存状況 206
     2.2.2.転化問題についての説明原理 210
3.教養主義と権威主義のたそがれ 215

第8章 日本語ナショナリズムの典型としての漢字論──近年の俗流言語論点描 5 221

1.はじめに 221
2.固有名詞表記および同音対立をめぐる漢字不可欠論 223
  2.1.「苗字」など固有名詞表記の合理化論 223
  2.2.「オトよりも表記が本質」とする議論1:伝統主義にたつ書家のモジ論 229
  2.3.「オトよりも表記が本質」とする議論2:地名の漢字表記擁護 237
3.現状/前史の合理化イデオロギーの政治的意義 241
4.おわりに:疑似科学としての日本語論をこえて 245

第9章 公教育における第二言語学習の選択権──言語権とエスペラント履修 249

1.はじめに 249
2.第一言語以外をまなばせる公教育空間の社会的機能 250
3.「言語権」からみた、公教育における第一言語/第二言語 254
4.生徒/教員の言語権覚醒の媒介項としてのエスペラント:あらたな言語権の確立 258
5.おわりに 266




第3部 配慮と分離の政治経済学

第10章 新憲法=安保体制における受苦圏/「受益」圏の分離・固定化としての琉日戦後史
──「復帰」をはさむ、2つの4半世紀に貫徹する「1国2制度」 273

1.はじめに 273
2.「施政権返還」(1972年)=《ふしめ》によってわけられる2つの4半世紀 274
3.?4半世紀「新憲法」のソトにあった琉球列島への「本土」のまなざし 280
4.「新憲法」のもとにはいった琉球列島の4半世紀と「本土」のまなざし 287
5.駐留軍用地特別措置法「改正」の意味再考 294

第10章 補論 日本国憲法下における沖縄人の地位
── 代理署名拒否訴訟「沖縄県第三準備書面」を素材にした日本国憲法再読 303

1.はじめに 303
2.背理法により、「沖縄人を日本人にふくめない」現状を論証する 305
3.「違憲状態」をのりこえるために 313

第11章 イデオロギー装置としての戸籍──戦後沖縄にみる戸籍制度周辺の諸矛盾を中心に 317

1.はじめに:日本の戸籍制度の特異性 317
2.施政権返還後の、いわゆる無国籍児の事例をめぐって 322
  2.1.「集団無責任」体制としての実務家集団 322
  2.2.戸籍簿と住民登録の癒着 326
3.沖縄戦による「滅失戸籍」再製がうきぼりにするもの 333
  3.1.「臨時戸籍」の位置づけ:照射する官僚主義=一元性至上主義 333
  3.2.通称ほか個人名の共存状態 337
4.おわりに 344

第12章 障がい者文化の社会学的意味 347

1.マイナーな知識としての障がい者文化 347
2.障がいゆえの文化と社会的文脈ゆえの文化 350
  2.1.障がいと技術革新 350
  2.2.多数派社会による規定 351
  2.3.多数派にとっての「常識」への妥協 352
  2.4.障がい者文化の自立性と差別意識 355
3.障がい者の多様性とネットワーク 356
  3.1.聴覚障がい者のなかの異質性 356
  3.2.視覚障がい者のなかの多様性 357
  3.3.身体障がいの実態のバラつき 358
  3.4.障がいごとのグループ/ネットワークの差異 359
4.文化の維持と多数派社会 361
  4.1.家族ほか地域社会の障がい者文化への影響 361
  4.2.盲人/聾者にとっての近代公教育の意義 362
  4.3.全身性障がいにとっての収容施設の意義 365
  4.4.障がい者文化の再生産と多数派の視線 365
5.文化的アイデンティティと、ほかの障がいへの差別意識 367
  5.1.病理学的「障がい」概念の二重の基準 367
  5.2.被差別存在としての共通性と連帯意識 368
6.障がい者文化に社会学がとりくむ意義 369
  6.1.すぐとなりに共存する異文化としての「障がい者文化」の発見 369
  6.2.当事者による理論化をうながす意義 371

おわりに 373

参照文献 377
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タグ : 1984年 ハイパー独裁 真理省 ナショナリズム 日本語

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コメント

本書と関連しそうな図書として

『新日本人の起源 神話からDNA科学へ』(勉誠出版)という本を紹介します。といいつつ、まだ読んでいないのですが、言語の多様性という面と血統の多様性という面を分析していますが、言語についてはおそらく、ましこ氏が編著者である新刊ほどには解像度が高くないとおもいます。ただ、血統の多様性については最近の流行ではないかとおぼしきミトコンドリアDNAに関する議論もあり、読んで損はないとおもいます。

いくつか

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%8B%E3%82%89DNA%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%B8-%E5%B4%8E%E8%B0%B7%E6%BA%80/dp/4585054219
 ↑ おもしろそうですね。●崎谷先生渾身の力作。この鬼気せまる気迫は、どこからくるのか…。


●ところで、記事の本文は、三元社のページから 複写してきたのですが、この新刊は、単著であって、編著ではありませんね。編集部だか営業部の誤記と。

興味深い二冊

ハラナさん、貝枝さん、情報提供ありがとうございます。
ともに興味深い本です。
しかしうつと貧困により言語能力の低まったわたしには読めないものかもしれません。
そのことは非常に残念です。

つけたし

●以前かいたこと(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-304.html#comment1266)は、だいぶ まとはずれのようです。「なにか論集として刊行する計画の一環として、シリーズもの(「近年の俗流言語論点描」)かいているかもしれない」は、あたりました(笑)。●でも単著の研究書は8年ぶりなので、これでシメの可能性はあります(あとがきでは、「10年後」もまた同様の謝辞をかきたい、等のコメントがありますが)。

●いずれにせよ、今回の著作は、一般読者むけの啓発書という意図(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-304.html#comment1273)はなく、これまで雑誌等にしか発表されていなかった マッチョな論考を時事的に修正・加工して つめこんだ感じです。

本書98ページより

ハラナさん、ワタリさん、お返事ありがとうございます。

『新日本人~』の98ページには以下の様な記述があります。

従来ともすれば「大和民族」とい用語が「日本民族単一神話」の温床になっていた。厳密な思考を行うと、大和の国の言葉、つまり大和言葉(=奈良言葉、関西語奈良方言)を習得していない者が大和民族と自称することはできないはずである。関東語東京方言しか習得していない者は、せいぜい武蔵の国の言葉、つまり武蔵言葉(=東京方言とその周辺の方言)によって定義される「武蔵民族」として理解されるべきであろう。武蔵言葉しか知らない武蔵民族でしかない者が、大和言葉も知らないで大和民族を自称することは、民族の経歴査証問題ということにもつながりかねない。
むしろ武蔵民族の複雑な歴史を知ることが大切であり、そこに東日本における新たな歴史理解の鍵が隠されているように思われる。関東民族・武蔵民族が、いつまでも関西民族・大和民族の支配下、つまり「畿内絶対主義」という神話によるマインドコントロール下に置かれるのではなく、自らの足でもって自らの歴史を知る時期に来ているものと思われる。関東における健全な地域ナショナリズムを育てること、東京方言・武蔵民族の適切なローカライゼーションを進めることは、日本列島の多様な構成員の一員となる上で、今後必要なステップである。そしてそれは、東日本という被支配者としての歴史が長かった地域に、その歴史的トラウマから自らを解き放つため、改めて科学のメスを入れることにもつながる。今後の展開が多いに期待される地域である。

「全国で唯一の『コンドーム販売規制』」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-1164.html)におけるハラナさんのコメント(2010/04/10 02:27)にある、「東男のひがみ」は、上記引用部によって払拭されましたでしょうか?

梅棹忠夫の第二標準語論のうらがえしみたい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E7%95%BF%E6%96%B9%E8%A8%80#cite_ref-10

■あるいは、なくなって、ますますヨイショ合戦がはげしくなった 井上ひさしの『吉里吉里人』とか(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8C%E5%90%89%E9%87%8C%E4%BA%BA


■あんまり、趣味じゃありません。地域語復権といった運動を否定しませんけど、劣等感をバネにしようとしたルサンチマンのみえる運動は、ちょっと。■小生は、京都人に、バカにされたままで 結構(と、ヤセがまんをする)。

>貝枝さん

現代は何でも首都・東京中心です。たとえば大阪本社の会社も、かなりの部分が東京に移っていきました。
そんな中、一部の関東人の中にある近畿への劣等感をぶつけられてもあまり意味はないと思います。
方言や地方文化の見直しも、それがすでに絶滅したあと(または絶滅寸前)だからこそ懐かしがられているのではないでしょうか。若い世代には温故知新ながら、日常使わないのでは風化していくでしょう。
それに東北は関東に支配された地でもあります。陸奥の方に江戸や武蔵の方言をすすめるのもいかがなものかとも思います。
ちなみに東文研(東北文化研究センター)のサイトは個人的にはまぁまぁおもしろそうに見えます。

>ハラナさん

京都人の視点は気になさらないでいいと思います。
日文研は京都の西山にあります。まわりにはコンビニひとつみあたりません。かろうじてバスは通っていますが、郊外のへんぴなところなんです。ちょっとした"サティアン"の風情ですよ(笑)。
京大の先生の中でも、このあいだまで滋賀の琵琶湖博物館の館長だった京大名誉教授の川那部浩哉さんは、
僧職にもあり、着物で仕事をして、しかも東北学の赤坂憲雄を琵琶湖博物館の講演に呼ぶという不思議な方です。
彼の師匠は茶道の心得もありフィールドで野点もしていたとか。
しかし京都系の国粋主義・近畿中心主義の方々がみんなそうなのではありません。
京大内のフランス料理店のサイトを見たら、一番やすいランチが1500円~。これはおおかたの京大関係者も日常的に使う店じゃないはず。
「ルネ」は社員食堂をほんのすこしリッチにした程度で、雑穀米、キムチ、中華デザート等ネットウヨなら怒りそう(?)なメニューも置いてあります。留学生も利用するため国粋メニューにはできない模様。
こちらは値段から考えてもより日常的に使われているようです。
京都かいわいの畿内主義や国粋主義といってもあんまり大したことないから、気にしないほうがいいかと。
梅原猛など、縄文人の精神世界という実証しようもないことを宣伝したり、
偽書とされている文書をさして「これは本物だと思う」と対談で言ってのけるなど、かくれ超古代史信者みたいな論者ですしね。

あまりにもルサンチマンに流されると、偽書「東日流外三群誌」をファンタジーではなく真書だと思いこんでしまっても困ります。
ですので、やせ我慢はけっこういい選択かもしれません。

ルサンチマンはともかく

ワタリさん

■移動中なので、こちらも みじかく(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-1164.html#comment12691)。

■いや、京都大出身の先生、京都大在籍中の先生方の、すぐれものは、かたてで あまるぐらい おもいうかびます。劣等感ウンヌンぬきに、尊敬できるひとびとですね。■滋賀県知事の嘉田由紀子さん(http://harana.blog21.fc2.com/?q=%B2%C5%C5%C4%CD%B3%B5%AA%BB%D2)も、そのおひとり。自民党あたりの議員さんたちには、当然不評でしょうけど。



いろいろ勉強になりました。ただ、わたしの最近のこころみを書かせてください。

ワタリさん

いろいろ勉強になりました。大変たすかります。
ただ、わたしの最近のこころみを書かせてください。
それは、食事および食文化を機軸とした共同体の再構築です。別の記事(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-873.html)のコメント欄(2009/07/24 08:53)にも書きましたが、むかしから継承されてきた食文化や養生訓といった伝統は、それなりに道理があり継承する意義があるとおもうからです。もちろん、すべてをむかしのとおりにしなければならないとはおもいませんし、その伝統を国粋主義の方便に悪用されない様に注意する必要はありますが[注1]。
ですので、言語はともかく食文化や養生訓は、単に「それがすでに絶滅したあと(または絶滅寸前)だからこそ懐かしがられている」だけではないという気もします。いや、最初に例に出したのが言語の事例だけだったので、いまになって急に、実はわたしが気にしているのは言語ではなく食文化だ、といいだすのは、あとだしじゃんけんみたいですが。ただ、わたしとしてはやはり食文化は継承したいです[注2]。

[注]
わたしがいま非常に関心をいだいている伝統は漢方であるが、漢方の起源は『図解雑学よくわかる東洋医学のしくみ』(ナツメ社)によれば414年に朝鮮半島の新羅からきた医者・金武によって「日本」(たぶん畿内周辺限定)に伝達されたものであるという(196~7ページ参照)。それゆえ、ある意味では漢方は(1500年くらいは「日本」列島で独自に発達したから)「日本」の伝統ともいえるが、1500年以上さかのぼれば起源が中国にあるという意味では北東アジア全体の伝統ともいえるでしょう。

[注2]
食文化や漢方に関しては、以前もかきましたので、転載しておきます。

http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-909.html

漢方ネタ

「水あめも重要な漢方」(http://www.wellba.com/wellness/oriental/contents/kowai.html)という記事を先日みつけてよみました。
やはり、言語はともかく食文化に関しては、保守的であろうとこころがけることに意義はありそうです。

漢方はともかく、文化的保守主義の健全な機能は、存外むずかしい

●ポークチャンプルーや、ソーキソバが、100年もさかのぼると 「伝統」からきえてしまうとおり、数百年ぐらいの歴史的継続性(改変は当然ありとして)をもつ料理というのは、全国各地で消滅するでしょう。北海道のチャンチャンやきなども、アイヌ民族の食文化と連続性がある方がへんです。■アメリカのファストフード文化が ネイティヴ・アメリカンと無縁なことはいうまでもないけど、いわゆる「ソウル・フード」だって、200年はさかのぼれないでしょう。■歴史性が地域語の継承ではっきりみてとれる、日本各地やヨーロッパ各地でさえも、言語文化・食文化・民間療法等の歴史的伝統は、さかのぼればさかのぼるほど、「伝統の創造」のかなたに、きえてしまう宿命をもつと(南北アメリカやシベリア・オセアニア等、植民地の食文化・言語文化には、伝統など、ないといっても過言でないでしょう)。
■ですから、漢方医学・薬学・中医等の復権・再発見には期待がもたれますが、食文化の保守的回帰には、慎重にならないと。■そうでもないと、「鎌倉時代なみに、かんでくえ」だの、「縄文式自然食へ回帰すべし」といった、暴論にまで、たどりつきかねません。生態系をくみかえてしまった人類ゆえ、そして地産地消を困難にしてしまった市場経済を一挙にぬぐいされない以上、食文化の保守回帰は、「食文化の斉藤孝」を大量にうみだしそうで、こわいというのが、ハラナの私見です。

『エコノミスト』(2010.8.9)の特集

『エコノミスト』(2010.8.9)の特集は「情報大爆発!巨大データ経済」です。本書の題材である知識社会学とどれだけ関係があるか不明ですが、よかったら参考までにどうぞ。

臨時増刊なのですね…

http://books.mainichi.co.jp/2010/07/post-aa92.html
グーグル、アマゾン、アップルの戦い

◇part1 データ争奪戦 ◇part2 データ活用最前線 ◇part3 世界の頭脳がつながる ◇part4 データ上手な企業  ◇part5 Q&Aいまさら聞けない グーグル、アップル ◇part6 クラウド データを保存する  ◇part7 データが消える、監視される ◇便利な、おもしろい iPhone、iPod touchのおすすめアプリ紹介 
<A4変型判/132頁>

------------------------------------------
■最新のツールに、つねに おくれまくっている当方としては、???という感じです。■資本主義市場にあっては、先行第一位が圧倒的優位、という普遍的経験則があるんでしょうが、数十年たつうちに、大衆レベルで定着するものはするし、すたれるものはすたれる、という感じしかしません。

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