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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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常野雄次郎氏の「君が代」不起立問題への反応は、ふかい

■常野雄次郎氏(『(元)登校拒否系』)の「君が代」不起立問題への反応(「みんなが職務違反できる明るい社会をーー「君が代」不起立問題に寄せて」)は、実にふかい(「不快」じゃないよ。w)。■冒頭部を少々転載(少々ではない分量かもしれないし、常野氏は、本題にはいらないところで、ブツっとキレるのが、不快かもしれないが)。

 人民のみなさん。社会問題に対する正しい左翼的リアクションを指導して30年、反自由党です。


「君が代で起立せず」不採用の元教諭勝訴 「裁量逸脱」

 都立高校の卒業式などで職務命令に反して「君が代」の斉唱時に起立しなかったことを理由に、都が退職後に嘱託職員として採用しなかったのは違憲だとして、元教諭ら13人が都に慰謝料などを求めた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。中西茂裁判長は、都による不採用の判断は「職務命令違反をあまりに過大視しており、裁量を逸脱している」として、13人に計2700万円を支払うよう命じた。

 一方で中西裁判長は、君が代斉唱時に起立を命じた職務命令は、憲法が保障する「思想及び良心の自由」に反せず合憲だと指摘。起立しなかった教師の処分を含め、都教委が国歌・国旗の取り扱いを定めた03年の通達についても、「教育は不当な支配に服しない」とした旧教育基本法に違反しないとの判断を示した。

 その上で判決は、職務命令違反を理由に不採用とした都教委の判断について「元教諭らは積極的に式典の進行を妨害したのではなく、起立しなかったこと自体がただちに採用を否定するほどの行為というのは疑問だ」と述べた。

http://www.asahi.com/national/update/0207/TKY200802070355.html



 たぶん、職務命令に違反したらクビになるのは当たり前じゃろが! っていうような反応が多くなりそうですね。

 けれども、ここで問題になってるのは命令違反ではありません。

 そもそも、教師は命令違反が仕事です。憲法や教育基本法をまともに守ろうとしたら、学校は明日から崩壊します。校長や教育委員会は決して体罰を命じたりはしません。むしろ、体罰を禁止しています。教師の役割は、そういう建前とセットになっている「空気」を呼んで、ちょうどいい湯加減の無法者になることです。

 思えば、十数年前。「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)が批准されそうになっていたころ、我々はヒヤヒヤしていたものです。生徒に「権利」なんか認めたら、学校は成り立たなくなるだろうと思えたからです(ちなみに、教育基本法が改正されることで大騒ぎしておったサヨクのみんなに今回だけのサービスでアドバイスするけど、この条約を読んどきな)。

 しかし、何も起こりませんでした。

 「権利」とか「自由」とかいう言葉に付された「(笑)」という注釈を、優秀な教師たちがしっかりと読み取っていたからです。

 というわけで、法律や命令に違反することを一々取り締まっていたのでは、学校を存続させることができません。というかその大半は暗黙に要求されているものでさえあるのです。

 従って、問題は命令違反一般ではなくて、「なぜ他ではなくこの特定の命令違反を処分理由とするのか」ということでなければなりません。


 そうやって考えると明らかなことですが、これはズバリ思想弾圧です。無数にある職務命令違反の中で、あえて「日の丸」「君が代」の件を選んだ恣意の中に、東京都の悪意を見なければなりません。したがってこれは「ルールは守りましょう」という中立的な一般論ではなく、極めて具体的な対象に対する攻撃なのです。誰もがあらかじめ違反者であるために、いつでも恣意的な弾圧が可能になるというカラクリについては、「反自由党は「ビラ配布→逮捕→有罪」を歓迎する——はてなとmixiと秋葉原グアンタナモ天国の比較自由論」でも書きました。

 でもそんなことはどうでもいいと思います。

 郵便局員が仕事をさぼっている。民営化して民間並みの勤労精神を身につけさせよう。社会保険庁のオペレーターが1時間ごとに休憩していた。民間だったらありえないよ。民営化しよう。

 最近はそういう話ばっかりです。

 とにかく労働者を休みなく命令に忠実に働かせる改革が進行しています。

 しかし僕が問いたいのは、「あなたは命令する側ですか、される側ですか」ということです。後者ですよね? ところがこういう社会問題を論じる時に、ついつい「資本家モード」「命令者モード」で思考していないでしょうか?

 逆でなければなりません。命令なんてクソ食らえです。命令なんか守らなくたっていいリラックスした社会を目指そうではないですか。
……
 教育レジスタンス闘士のみなさん。「君が代」を歌うかどうかなんて、ほんの数分のことでガタガタ騒いでいる場合ではありません。テストの採点業務、めんどくさいでしょ? 生徒にパワハラする業務、やってる方の気分もよくないでしょ? 授業は疲れますよね? 職員会議なんかやる時間があったら仮眠を取りたいですよね? そういう業務全体を拒否する闘争をやるべきです。

 生徒にしたって、学校でやらされることは嫌です。卒業式なんてむしろ気楽なものです。問題は、たとえば二次方程式の押しつけをどうするかということでなくてはなりません。
……

-----------------------------------------------
■『朝日』の記事は、どうせ早晩よめなくなること確実なので、キャッシュでリンクしておく。

■それはともかく、常野氏は、「資本家モード」「命令者モード」でない「労働者モード」で発想・行動しようというアジをなさりたいのだとおもうが、それに異存はないので、わるいんだが焦点をあえて、ズラさせていただく。

■この文章の指摘で重要なのは、「教育基本法」やら「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)が、もともと まともにまもられることはない空文であること、第一線官僚である教員たちの「柔軟な運用≒命令違犯」が前提で現場がまわっているという事実だ。■そして、左派系の先生方の主観がどうであろうと、それら柔軟な運用ではたされている現実とは、生徒の身体管理≒支配だということ。

■いつもながら、常野氏の論法は名人芸といえる。この、無数にチリばめられた皮肉に、ちゃんと呼応できる柔軟さが左派系の先生方にあるかな?■柔軟さがない先生方の闘争方針に未来などないとおもう。だって、管理がわの「土俵」にあがらされている以上、やれることは、公式のルールの実質的な運用規則(メタ・ルール)の次元で不服従をやらかし、管理がわの支配を脱臼させ、しかも「処分」の アミのめから ちゃんとコボれるような たちまわりすることしかないんだから。

■闘争系の先生方には、つぎのことばをおくろう。

「儀式の場での不服従とか、処分への法廷闘争によって、市民や生徒が先生方にみかたすることは、ありえない。そんな示威行為にこだわっている硬直ぶりに、市民や生徒はあきれている。生徒・保護者をみかたにつけるために、現在の闘争形態は、おそろしく方向ちがいにある。その自覚のなさ、「空気よめない」体質こそ、敗北傾向の本質だ。」
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コメント

労働者/管理者

腐海に沈み込んでいたところでしたが、「深い」という評価をいただだいて吹っ切れました。「闘争系の先生方」は、あのままでいいと思います。マリー・アントワネットの発言はひどいものでしたが、何をどう言っていたとしても彼女の階級は裁かれなければならなかったのです。教師についても時間の問題です。

ただそのこととは別に労働問題として、日教組や「特権的」公務員が上司の言うことを聞かなかったりサボってたりすることを「民間ではありえない」と告発するんじゃなくて、民間の厳しい労働条件に「公務員だったらありえない」と驚いて修正するべきだと思うのです。

ただおっしゃるように教員の場合、労働者なのか管理者なのか曖昧なところがあって微妙ですがね。

たしかに、労働者間でのヤッカミは、おもうツボ

常野さま

■たしかに、公務員や教員に対する民間企業等のヤッカミは、全然生産的でありませんね。投資家・経営者・管理者たちの おもうツボ。ロス暴動や、ネオナチによるテロみたいに、大差ない弱者への やつあたりなんですけど、当事者にはそういった自覚はない。■経営者・管理者たちが、「同士うち」をやらかしている被支配層の あしもとのみだれを、ほくそえんでいる。

■ただですね。こういった やっかみ心理は、バカになりません。東京・大阪の投票行動をみれば 明白です。■ですので、常野さんの提起は、まさに正論なんですけど、「特権むさぼる連中はゆるせん」という思考の動脈硬化から快方にむかうのは期待できないし、かりに真意がつかめても「そんなことできるわけなかろう」とか、なにもしないことを合理化=正当化するのが、大半だとおもいます。■でもって、実際のところ、命令違犯やらかせる層は、めぐまれた職場空間にいる証拠だともいえます。ワーキングプア層とか、失業の不安におののき、チクられないかと同僚にも疑心暗鬼になり…といった状況ではないでしょうか?■これもまた、管理者にとって、おもうツボなんですけど、管理職自体が「クモの糸症候群」にハマっているので、状況を客観視・改善するユトリなんぞありませんよね。■その意味では、展望がひらけない。

ごく当然

お久しぶりです。
常野君の認識は、自分にとってはごく当然のことに思えます。

ちょっと情報提供を。
京都市では、小学校で「心の教育」として素手で便器を磨かせる教育が行われています。
これに対して、「公教育上、適当でない」として反対する市民グループもありますが、彼ら彼女らの「子ども=純真」「教育はまったくの平等」とする観念のウソっぽさゆえか、街宣などしても一般市民からほとんど相手にされていないようです。
法律的にシロクロはっきりさせられる裁判では勝利したようですが。

おかしいのは、それが労働問題という視点が完璧にないことです。
ユニオンやっている自分からすれば、それは将来労働安全衛生の悪い職場であっても投げ出さない積極性をつちかうハイパー・メリトクラシー教育なのです。
そのことをあの人達とはとても話し合える雰囲気じゃありません。
わたしは、子どもも入れる労働組合を作る必要があると感じています。
それもまた常野くんが暴露したように、世間の常識によって(笑)扱いされるでしょう。
しかしわたしは(怒)という註をどうすればつけることができるか、考え中です。

すみません、追加です。

先程あげた市民グループのHPを貼っておきます。
http://sugakita.hp.infoseek.co.jp/newpage26.htm

広告みたいになってすみません。
それでも、大事な問題を扱っているグループではあります。

ありがとうございます

ワタリさん、おひさしぶりです。体調いかがですか?
当方は、プチ・ウツにムチうって出勤です(笑)。

■『寝る前3分のトイレ掃除を続けなさい。9割の人がお金持に変わる』(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4871772810/ref=pe_2102_7150212_pe_snp_810)という本があるようです(笑)。■わたしは、かいませんし、せいぜい、この文章のかきての、アタマのよさだけ、パクろうとしかおもいませんが(どのくらいで「お金持に変わる」と断言しているのか、よまないとわかりませんが、ダイエット同様、つづけるひとはごくわずかでしょうし、なれなくても「残念な のこり1割だ」といわれれば、反証不能なので…)。

■それはともかく、「将来労働安全衛生の悪い職場であっても投げ出さない積極性をつちかうハイパー・メリトクラシー教育」って総括はスゴイ(笑)。労働市場が過酷になれば、労働現場はドンドン過酷な条件を課してくるでしょうから。■しかし、この「教育」とやらが、「すで」で便器みがきをさせている点で、単なる精神主義をよそおったサディズムなんだとおもいます。精神をみがくと称する修行僧たちの、毎日の そうじだって、ぞうきんなしで、便器みがきはないはず。■それと、教員がおなじく実践しているかどうかですね。おそらくやっていない。■つまりは、おそうじおばさんをやとわないという経費削減を「教育」というマジックワードでごまかしている。生徒を支配できているという、無自覚なサディズムもみたせて、その洗脳のありがたさに、なみだがでそうでしょう。

■大学や予備校で、「修業」と称してトイレそうじさせているところなんて、きいたことがありません。■やはり「児童労働禁止(限度のある家事てつだけだけあり)」の原則を、公的機関・企業などに徹底しないと(笑)。そのうち、「勤労奉仕」「自衛隊体験入隊」なんてのが、やってくること必定です。

「便が代」


寝る前の3分はおかしいです。朝の3分です。誰もが気持ちよく、トイレを使ってもらえるように、早く掃除をするのです。

現場では、道具や薬剤がないときがあります。すると、素手やペーパーで、ごしごしこすって水に流します。

すこし、余裕のある時?に、高校生に「便所」掃除をさせてもいいと思います。素手でなく、手袋でもいいから。また、いままでの用務員さんの話を聞きながらがいいと思います。

そうしないと、便所掃除を一度もしないで一生を終わる男も生まれるのでではないでしょうか。

そうした階層に入らないのがわが子らであるという、「期待」が大きい。

便器みがきの哲学

bananaさま

■ふかいウンチク、ありがとうございました。
■「公的な空間だと、よこならびで できる」という心理を利用した実体験というのは、なかなか有意義だとおもうんですね。自分のいえのトイレそうじはしない坊主が、学校のはキチンとやりおおせるとか(笑)。■でもって、現在の家庭の状況をみれば、トイレそうじをコドモにやらせるオヤは、超レアものでしょうから、学校という空間がはたすやくわりは無視できない。
■ではあるんですが、やっぱり、これを「教育」のなのもとにやらせるってのは、グロテスクだとおもいます。教師たちが実体験しているにしても、サディズムの連鎖って感じがぬぐえませんし、実体験していないなら、単なるイジメでしょう。■いや、校長先生やら社長さんらが、そっせんして、トイレみがきをやられるのなら、さぞや精神修養のばにふさわしいとはおもうんで、とめませんがね……。

■ちなみに、本をよまずにいうのはなんですが、「寝る前3分」ってのは、あさ 自分たちが きもちいい状態を確保するために、就寝時に トイレみがきできるユトリ確保しようね」って提言なんだとはおもいます。■ちなみに、ハラナには、そんなユトリありません。あったら、このブログをはじめとして、やりたいこと いろいろあるので(笑)。

学習指導要領に愛国心を盛り込もうとする文部科学省

文部科学省は28日、2月に公表した小中学校の新学習指導要領改定案の総則に「国と郷土を愛する日本人を育成する」という文言を新たに盛り込み告示する。改定案公表後に総則という基本的な考え方を修正するのは極めて異例。文科省は「パブリックコメント(公募意見)などを踏まえ修正した。改正教育基本法の主旨をより明確にする意見を取り入れた」と説明している。
(『毎日新聞』2008年3月28日号2ページ)

君が代の強制に象徴される画一的な教育政策は、日本の破滅政策なのです。政府と文部省[原文ママ]は実は早く日本を亡ぼしたいと思っているに違いありません。
(『構造主義科学論の冒険』池田清彦・毎日新聞社・1990年・234ページ)

新規記事と、いきちがいになりましたが

そこでもかきましたとおり、右派ナショナリストたちのいう「愛国」の内実は、「国体護持」なんだとおもいます。■「国体」問題については、旧ブログでだいぶかいてきました(国民体育大会も、じゃっかんまぎれこんでいますが。笑 http://www.google.com/search?hl=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&as_sitesearch=http%3A%2F%2Ftactac.blog.drecom.jp%2Farchive%2F&q=%8D%91%91%CC&btnG=%8C%9F%8D%F5)。■そのなかでもかきましたとおり、①国体護持や王族死守、②国土保全、③要人…といった「優先順位」を自明としているらしく、「国民」の安全は、軍隊を出動させる口実だったりしますhttp://tactac.blog.drecom.jp/archive/1653#comments)。■それは、「潮匡人,常識としての軍事学」という旧ブログ記事でも紹介したとおり、つぎのように、推理をうらづけてくれます(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/251

■ところで、本書は軍事官僚が軍隊組織を合理化するイデオロギー装置の典型だが、あっけにとられるぐらい バカ正直に ホンネがむきだしの箇所が、いくつもみつかる。■その典型は、「守るべき國體とは何か」(pp.187-9)。そこには、軍隊の本務は国民の生命・財産をまもることではないと断言されている。それは警察・消防の任務だと。■では、自衛隊=日本軍のまもるものはなにかといえば、「掛け替えがない」存在としての、「皇室伝統」をはじめとした「日本の國體」なんだとさ。おいおい。いきなり「かみがかり」するなよ。具体的にこたえることをさけるのも、よせよ。■自衛官がいのちがけでまもるものを、かんがえるのは日本人の責任であり、それなにしには戦略的思考とはよべないと? ふざけるのも、たいがいにしてほしい。■「掛け替えがない」存在としての 国民国家の永続理念に殉ずる兵士=臣民の存在は、ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』などで、といたとおり、近代の国民国家に普遍的な存在だろう。■また、資本主義の実態は、個々人を、つぎつぎ補充可能な「流体としての労働力」として、むさぼりつづけてきた。■しかし、20世紀後半の先進地域で、国王一族や政府要人など、ごく一部の例外=「掛け替えがない」存在をのぞけば、生命も財産も、国軍の保護対象としては二の次だ、などといった放言は、ゆるされまい。政府首脳は退陣においこまれるし、軍首脳も更迭ないし退役だろう。タテマエではあれ、20世紀後半の世界のかちえた個人の尊厳の理念であり、「平時」の「非軍事化」という、あたりまえに追求されるべき理念の実体化が、地球上に定着しだしたのだ。せまい面積での、せいぜい10数億人ぐらいしか享受できていない、タテマエではあっても。■ともかく、沖縄戦で演じられた「本土決戦の時間かせぎ=琉球列島の捨石化」とか、沖縄の非戦闘員=一般住民を平気で犠牲にした日本軍の態度は、天皇制がかかえる身分序列がもたらしたロコツな民族差別の必然的結果だったが、右派的な軍官僚は、いまだに同質の発想・体質をかくそうとしないのである。

■安保条約が日本国民の生命や財産の保護を趣旨としてものではないことを直視しない「現実主義」とやらもこまりますが(現実逃避で)、国民をまもらない国軍という本質を直視しようとしない議論は詐欺だとおもいます。■沖縄戦での日本軍の戦争責任について、右派のおおくがこだわるのは、この国軍の本質に直結する事件であふれかえっていること、それに国民がきづいたら、自衛隊の存立基盤自体が崩壊することにきづいているからでしょう。


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