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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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ごつごう主義で、人権を重視したり、厳罰主義をとなえたりする御仁たち

櫻井よしこ 鳩山首相に申す】中国死刑執行に物申せ
「産経」2010.4.8 03:27

 鳩山由紀夫首相がうわずった声で「いのちを、守りたい」と演説したのは、わずか2カ月ちょっと前だった。二十数回繰り返した「いのちを守る」という言葉は、首相が国民に最大限、アピールした価値観だったはずだ。
 それほどのいのち重視の首相にしては、4月6日に中国遼寧省大連市で死刑執行された日本人についてのコメントのそっけなさはどういうことだろう。
 首相は記者団に、日中間では司法制度が異なる、刑罰が厳しすぎるという思いはある、一般国民が中国はこわい国だと思うかもしれない、しかし、それが日中関係に亀裂を生じさせないよう、政府として努力していくと述べた。
 中国の死刑執行に抗議するのでなく、逆に、そのことで日本国民の対中感情が悪化しないよう配慮するというのであるから、本末転倒ではないかと、首相の真意を疑うのも当然である。
 大阪府出身の赤野光信死刑囚が麻薬犯罪にかかわっていたことは憎むべきことである。その罪を軽く見る気は毛頭ない。だが、日本国民のいのちを守る立場にある首相の日本人のいのちへの無関心は、氏の首相としての資格に疑問を抱かせるものだ。
 中国には中国の司法があると首相は言うが、国際社会の良識は、その中国の司法の在り方に疑問を突きつけているのである。中国の司法がまともではないことは公知の事実だ。中国の司法によって幾多の言論人が拘束され、情報が遮断され、チベット人やウイグル人が弾圧され、殺害されてきた。各種裁判は政治的要因で大きく左右され、裁判で適切な審理が行われるケースは稀(まれ)だというのが、中国の司法に対する世界の常識的見方である。



 今回の事例を見てみる。赤野死刑囚は1審の大連市中級人民法院で死刑判決を言い渡された後、控訴した。控訴理由のひとつに、取り調べ通訳が正式な通訳資格を保有していない点が挙げられている。
 中学時代の同級生らが、赤野死刑囚が公正な裁判を受けられるようカンパを募り、側面援助に動いたが、その一人が、赤野死刑囚が「取り調べや裁判で、中国人通訳が自分の意思を正確に伝えてくれていない」と話していたと語っている(『朝日新聞』4月6日夕刊)。
 同級生らは、また、集めた資金で2審の弁護を中国人弁護士に依頼した。この弁護士との接見が許されたのはたった1度だったとも報じられている。
 薬物犯罪が重大な犯罪であることは十分に承知しているが、そもそも、現代社会では薬物犯罪者への死刑適用の是非が問われている。人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の土井香苗代表は、中国は65種の犯罪に死刑を適用しており、汚職など、人命を奪ったわけでもない犯罪を含めて、このように多種多様の罪に死刑で対処する国は、「世界で例外的存在」だと非難する。
                   ◇
 中国政府が情報を開示しないために詳細の把握は困難を伴うのだが、「アムネスティ・インターナショナル」などの報告によると、中国は紛れもない死刑大国、それも超大国である。2009年の全世界の死刑は714人、内訳はイランが少なくとも388人、イラクが少なくとも120人などである一方、中国は3千人から1万人の処刑を行ったとみられる。全世界の死刑執行数の14倍規模の処刑を、一国で行っているのである。
 鳩山首相は、声を嗄(か)らして「いのち」を連発した。その言葉に一片の真実が含まれているのであるならば、中国のこのすさまじい人権侵害、いのち軽視の無残さに、なぜ、真剣な抗議の言葉のひとつも口にしないのだろうか。
 答えは明らかだ。首相のいのちへの誓約が、政治家としていまだ一度たりとも責任を全うしたことのない病的な未熟さから生まれた情緒的言明以上のものではないからである。
 首相は中国には中国の法律がある、それを尊重すべきだと語っている。たしかにひとつの理屈である。だが、法律だからといって、中国政府の定めた法律に日本国政府が無条件に従ってよいものか。
 たとえば1992年2月25日に、中国が突然作った法律が「領海法」である。同法で、中国は尖閣諸島も南沙諸島も西沙諸島もすべて中国領だと宣言した。東シナ海について、領海法施行の3年前に明らかにされた「公民国防義務ハンドブック」には、「東シナ海の大陸棚は(他国と)共有するものではない。われわれの大陸棚は沖縄海溝(沖縄トラフ)の中心線まで伸びている」とも書かれている(平松茂雄『中国の海洋戦略』勁草書房)。
 この法律が明らかにされたとき、マレーシア政府は直ちに領海法から南沙諸島を削除するよう要求し、「たとえ敗北しても国益を守るためには戦わなければならない」という軍参謀長談話も合わせて発表した。
 中国は、しかし、マレーシアの抗議を無視して我関せずを通した。ベトナム、フィリピンの抗議も歯牙にもかけなかった。周辺諸国が領有していた島々を軍事力で奪い、辻褄(つじつま)合わせに国内法を作った。他国に所属していた島々を中国領とする根拠に、その法律を使っているのである。中国の法律におとなしく従うということは、こういうことを許し、受け入れるということだ。
 法律といえばもうひとつ、2005年3月に発表された反国家分裂法を見よ。台湾独立へのいかなる動きも、国家分裂の動きとみなして、これを「絶対に許さない」「いかなる外国勢力の干渉も受けない」、必要なら「非平和的な方式」つまり、軍事的手段を「実施に移す」とする内容だった。
 中国の法律だから受け入れるというのでは、中国の台湾併合も受け入れるということか。
 覇権主義と独善性を絵に描いたような中国の国内法を尊重するなどという愚かなことは、日本国首相であれば口にするものではない。中国の国内法を尊重するというのであれば、すべての法の根拠となるはずの、中国の憲法は、「人権の尊重」も「言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由」も保証している。その「立派な憲法」をこそ、守ってほしいと言うべきであろう。
 罪を犯したとはいえ、十分な審理を受けたとも、十分な陳述の機会を与えられたとも思えない日本国民のために、日本国の首相として、とりわけいのち大事の首相として、中国に物を言わずにどうするのだ。

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■こういった「正論」が成立するためには、日本の司法において、つねに「取り調べ通訳が正式な通訳資格を保有」いるとか、日本の とりしらべ過程が全面可視化されるなど、アムネスティとか、国連などふくめた人権団体から、問題を指摘されないような水準にあるときだけなのではないか? ■この日記でも、「「五輪の囚人」 中国活動家、人権訴え「国家転覆扇動罪」(朝日)」で紹介したとおり、かの地の人権意識がひくいことは周知の事実。しかし、そういった地域にのりこんで、ハイリスク稼業にいそしむというのは、二重に危険な行動といえるだろう。イスラム圏などで、らち被害者になった人物を「自己責任」だのと、なじった層と度同類だとおもわれる櫻井氏である以上、このばあいに「自己責任論」がひとこともでず、「アムネスティ」だの、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」といった団体名がでてくるとは、びっくりした。いつから、「自己責任」論をすてて、人権擁護派に転向されたんだろうね。


“厳罰化を求める世論>反中感情”(『非国民通信』2010-04-08)
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コメント

やはり反人権派よりも保身派の方が適切かな?

先日のコメント(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-1164.html#comment12322)で指摘したコメント(http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/074bcb12d2762e5d51fd8c3f66bdc80b)にある様に、右派とは保守派ではなく保身派あるいは反人権派とよぶべきなのですが、人権という概念も自分の立場の強化につかえるならつかうという無節操ぶりを考慮するに、やはり保身派という用語の方が適切ですかね。いずれにせよ、保身のための道具たる米国や天皇と同列にあつかわれてしまった人権がかわいそうです。人権自体の人権保障(補償?)のために、保身派が人権を正当化の根拠にすることを禁止すべきです。

『非国民通信』から

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/074bcb12d2762e5d51fd8c3f66bdc80b
コメント欄から、貝枝さん以外の秀逸なコメント

こんにちは (カナエ)
2010-04-09 23:45:17

2ch(その他もろもろ)の人達にとって大事なのは、集団に対する帰属ではなく、“われわれ”と“彼ら”の棲み分けの境界線なのだと思います。彼らが非常に日本人であることに固執するのは、「日本人」というものが、日本人でない人との境界線を明白にしてくれる都合のいい概念で、日本人であるところのわれわれは優れ、その境界線の外にいるものは劣っているという優越感に浸りやすいものです。(日本人は単一民族であるという幻想もそれを強化するものでしょう)

しかしその彼らが線引きした“日本人”の中から逸脱するものが現れます。彼らのいうサヨクであり、犯罪者であり、イラクで拉致された日本人であるわけです。まさに認知的不協和が生まれるわけですね。そこで彼らは、はみ出たひとを『非国民』とみなすことで線引き(線の再定義)をし不協和を解消します。

だから彼らにとっての“日本人”というのは、単なる枠組みであり、アイデンティティというレベルのものですらなく、もちろん中身はありません。それゆえに彼らは日本の伝統が何かもしらないですし、勉強しようとすらしない。彼らの思う日本人の枠組みが脅かされた(という妄想)ときだけ着目するだけです。近ごろの捕鯨賛成の声があがる前に、どれだけ彼らがそれに注目していたか、なんて考えるまでもありません。そしておそらく、今後1年間、捕鯨が国際的な話題にならなければ、きれいさっぱり忘れていることでしょうよ。

今回の中国政府の死刑にしたところで、死刑囚はまさに犯罪を犯した非国民というスキーマがすでに成立しており、逆に死刑したことに内心感謝しているのではないでしょうか。そこにあった不協和の生じる要因が消えましたからね。その意味で櫻井よしこは少なくとも2chなどの住民よりは、足元がしっかりしていると捉えられなくもないですが…(どちらかというと、“日本人”と“反民主”という線引きを使い分けているだけかもしれません)

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■櫻井某がブレていないかどうかは、おいておきます。■しかし、「厳罰派」は、ブレていないんでしょうか?

■「「防衛機制としてのナショナリズム」おぼえがき」(http://tactac.dreamlog.jp/archives/51658368.html)って文章をずいぶんまえにかいたきり、その後、整理がすすんでいません。

●「政治経済学的な意味での保守主義」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-154.html
●旧ブログ「防衛機制 を含む記事」(http://tactac.dreamlog.jp/search?q=%E9%98%B2%E8%A1%9B%E6%A9%9F%E5%88%B6

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