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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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新型インフルエンザ騒動の怪44=豚インフルエンザ報道を検証する(第36回)乱診乱療

シリーズ「新型インフルエンザ騒動の怪」の続報。

新型インフルの輸入ワクチン  99%超に上る大量在庫の教訓
(週刊ダイヤモンド編集部  inside【第471回】 2010年03月29日)
 “衝撃的”な事実が白日の下にさらされたのは、3月12日に開催された厚生労働省薬事・食品審議会のある会議でのことだった。
 今回の新型インフルエンザの流行に際して、輸入されたワクチンは計4950万人分(2回接種換算)。グラクソ・スミスクライン(GSK)製3700万人分と、ノバルティス ファーマ製1250万人分で、合計1126億円だった。このうち、2月8日~3月9日の輸入ワクチンの推定接種者数(出荷ベース)は、GSK製550人、ノバルティス製1938人で、合わせてわずか2500人に満たなかったというのだ。輸入分のじつに99%以上が余った計算になる。
 現在、政府と両社とのあいだで契約の一部解約に関する協議が行われており、製品引き渡し期限の3月末までには結論が出る模様である。他国の実績から、3割程度は解約が可能になると見られる。
 この解約騒動に乗じて、「輸入ワクチンに頼らずにすむよう国産体制を強化すべきだ」という論調が勢力を増している。
 しかし、問題を履き違えてはいけない。必要なワクチン量を政府が輸入も含めて確保したことには合理性がある。ただ、事前準備もなくあわてて確保に走ったため、入荷が2月にずれ込み、大量在庫につながった。主要国の多くが、一定量を輸入できるよう事前購入契約を結び、新型インフルの流行に間に合わせたにもかかわらず、日本はその準備を怠ったのだ。
 背景には、一部の厚労官僚や国立感染症研究所などにはびこる“国産至上主義”がある。
 仮に新型インフルワクチンをすべて国産で賄うため、国産メーカーに補助金を投入して製造設備を増強しても、設備をほかのワクチン製造へ転用することは難しく、メーカーの投資回収はきわめて難しいとされる。その累積コストを国が丸抱えもできまい。
 危機管理上、どのような新型インフルワクチンの確保体制を築くか──。この点の再考こそが大量在庫の教訓とすべきものである。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 柴田むつみ)

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■残念ながら、なにも本質をつかむことなく、ハズした「対策」強化だけが かたられているようだ。「集団ヒステリー」としての、パンデミック・パニックという、社会現象と、それを助長しただけの国内外のエリートたち、メディアの体質改善こそ、急務なのに。




■今回も、“世界の環境ホットニュース[GEN]”の最近のシリーズ “豚インフルエンザ報道を検証する”過去記事を転載。


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世界の環境ホットニュース[GEN] 748号 10年03月27日
……
        豚インフルエンザ報道を検証する(第36回)

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第36回 乱診乱療                     原田 和明

 ジョン・バリー「グレートインフルエンザ」に、「スペインかぜ」に対する当時の標準的治療法が掲載されていますが、その内容はおどろくばかりです。
(以下引用)

 「アスピリンを飲ませ、ベッドで休ませ、うがいをさせ、嘔吐を起こさせる吐根(南米原産のアカネ科の植物トコンの根)を混ぜた「ドーバー・パウダー」と、アヘン(痛みと咳をやわらげる)を投与する。肺炎を合併している場合には、いつも通りの食事療法、新鮮な空気、休息、穏やかな下剤で排泄を勧め、すべての患者にジギタリスを投与する。ジギタリスは心臓に刺激を与えるため、なるべく大量に投与する。即座に刺激する場合は水溶性のカフェイン塩がよい。大量のストリキニーネを皮下注射すると、衰弱している場合に著しい効果がある。」(引用終わり)

 こんな治療を受けていたら、どうにかならないのが不思議です。「ジギタリス」とはゴマノハグサ科ジギタリス属の多年草で、和名は「きつねのてぶくろ」、鬱血性心不全の治療薬だそうです。ジギタリスの葉の抽出液が、心臓病のために顔色が青く、むくみが激しく、息切れする患者の症状を著しく軽減したり、水腫の治療に有効であることが 1785年に、イギリスの医師 W.Withering によって示されたことが踏襲されているものと思われます。

 ところが、ジギタリス葉の抽出液は毒性も強く、過剰の投与は激しいむかつき、下痢、嘔吐を伴う中毒症状を引き起こします。これでウイルスを追い出そうということでしょうか? 急性中毒では、視覚異常、錯乱、不整脈、中枢神経麻痺、不整脈による心停止なども報告されているような毒草を大量に投与されたらたまったものではありません。

 ストリキニーネも非常に毒性の強い薬です。ウィキペディア「ストリキニーネ」によると、「脊髄に対する強力な中枢興奮作用を持つ。摂取から30分ほどで激しい強直性痙攣、後弓反張(体が弓形に反る)、痙笑(顔筋の痙攣により笑ったような顔になる)が起こるが、これは破傷風の症状に類似している。また、刺激により痙攣が誘発されるのが特徴。最悪の場合、呼吸麻痺で死に至る」とあります。

 当時は致死量という概念はなく、とにかく効果が出るまで飲ませるというのが常識だったそうですから、文中に頻繁に「大量」という文字が登場するのも仕方ないのかもしれません。それにしても、アスピリンの過剰投与でチアノーゼ肺水腫の症状が出たら、ジギタリスを投与し、さらに、衰弱したらストリキニーネを注射というわけですから、インフルエンザに罹患してなくても、命を落とす危険がありそうです。

 こういう治療法が横行していたとなると、アスピリンの過剰投与も世界的な乱診乱療の一部といえそうです。すると、もうひとつ気になるのがワクチンの存在です。ジーナ・コラータ「インフルエンザウイルスを追う」ニュートンプレス2000)にはアメリカで流通していたワクチンの成分の一例が紹介されています。(以下引用)

 「インフルエンザの正体も突きとめずに作ったワクチンというのは、実は何だったのだろうか? クロスビー(注:「史上最悪のインフルエンザ」(みすず書房)の著者)は1918年にワクチン製造に参加したある医師を取材した。クロスビーによれば、この医師は「実はこのワクチンはインフルエンザ患者の血液と鼻水から大きな細胞やゴミを取り除いたものを加熱処理したものに過ぎなかった」と語ったという。これを腕に注射すると、腕がひどく腫れた。「だから効き目があると考えられていた。」(引用終わり)

 イリノイ州だけでも18種類ものワクチンが供給されていたので、全米では無数のワクチンが流通したことでしょう。そのすべてがいい加減な内容だったというわけではないと思いますが、アメリカ医師会は、雑誌の論説に毎号、次のような警告文を掲載しています。(ジョン・バリー「グレートインフルエンザ」より以下引用)

 「インフルエンザを治療する特別な血清や治療法はまだない。予防用のワクチンもない。新聞に出ているもの、また宣伝屋の言うことはみな事実に反している。従って、医師は冷静さを保ち、事実の裏付けがない約束をしてはならない。」「一般人にいい加減な希望を持たせて医学及び医療専門家に対し不信感を抱かせるような行為を行なってはならない。」(引用終わり)

 わざわざ、「不信感を抱かせるような行為を行なってはならない」というからには、医療専門家に対する不信感が広がっていたことを示しているのでしょう。ワシントンの軍医学校は10月末に 200万人分のワクチンを兵士のために配布しましたが、こちらも効果はなかったとのことです。チフスのワクチンを注射して効果があったと報告した医師もいたし、既存のワクチンを片っ端から注射してみた医師も いたとの ことです。(ジョン・バリー「グレートインフルエンザ」)これらのワクチン接種も重症化の一因になっていたということはないのでしょうか?

 興味深いのは、アメリカでワクチンが次々に登場したのが1918年の10月だったということです。1918年10月17日に、ニューヨーク衛生局が「インフルエンザワクチンを開発」と発表していますが、その後次々に新しいワクチンが発表されています。スペインかぜには 3つの流行のピークがあったといわれますが、ワクチン接種の時期は欧米の第二波とタイミングが重なります。

 ワクチンを接種したことで、多数の死者が出たことをうかがわせる記録が日本にあります。北海道・上の国町史には 次のエピソードが 掲載されています。
(以下引用)

 大正9年(1920年)2月、字上ノ国では部落会議を開き、各地に大流行の悪性感冒に対処するため、予防注射を施行することをきめた。衛生費を含み1戸平均50銭を集め、北里研究所へ注射液を発注したが、早速応じ得ない旨の返信があった。おくれると、鰊場へ出稼ぎに行く人々の出発後になるというので、一時中止することにしたが、3月に入ると各戸に患者が続発した。再び村役場を経て北里研究所に発注して薬品を取りよせ、衛生組合役員協力のもとに予防注射を実施したが、時すでに遅く、3月中旬から4月上旬にかけて、上ノ国、北村、中須田苫符湯ノ岳にかけて感冒が猛威を振い、死者116名の多きに達した。一家 枕を並べて床につく状態であったので看病する者もなく、それがまた家ごとであったから、見舞をすることもできない。雪はまだ残り、自転車とてないのに、1人の村医のおよぶところでなく、死者があっても会葬する者もなく、3、5人の人でようやく埋葬をすませる惨状を呈した。親を失ない、妻を失ない、多くの悲劇のもととなった。9年5月5日上ノ国(支村を含む)大留北村の有志は大供養を行ない、9月12日上国寺境内に大正9年春不慮病死者追悼碑を建立した。(引用終わり)

 「町史」では、ワクチンの効果が出る前に死者が多数出たとの受け止め方になっていますが、タイミング的には、ワクチンを接種した直後に多数の死者が出ていますので、アスピリン同様、ワクチンが重症化の要因になった可能性も否定できません。

 そもそも、このときのワクチンは北里研究所製だったのような印象を受けますが、2月に申し込んだときは即座に供給を断られたのに、3月に再度注文するとすぐに送られてきていますので、村人に接種されたワクチンはどうも余っていた他社製のものだったのではないか
と思われます。

 しかし、北里研究所製だったら安全だったかというと、実はそうとも言えない事情がありました。北里研究所北里柴三郎が設立した、日本における細菌研究のメッカだと思っていましたが、設立の経緯はなかなか複雑です。

 北里柴三郎がドイツ滞在中の1887年に、日本での師である東大教授・緒方正規が唱えていた脚気の原因を細菌とする説を批判したことから、帰国後の彼は、いわゆる「干された」状態になっていました。脚気細菌説批判は、ドイツの留学先の師が命じたものでしたから、柴三郎の行動は板ばさみの状態で苦しんだ末のことでした。しかし、留学の際にも便宜をはかってくれた緒方を裏切る形となった柴三郎は母校東大医学部から恩知らずとして敵視されるようになったのです。

 このとき陸軍軍医副総監森鴎外も同調して柴三郎を批判しています。ところが、海軍軍医副総監・高木兼寛が食物原因説を主張していたこともあってか、脚気細菌説に固執した鴎外は、その後、日露戦争(1894年=1904のまちがい=ハラナ注)で白米食にこだわったため日本兵の死者の半数以上が脚気死だった責めを受けることになりました。

 この事態を聞き及んだ福澤諭吉は、1892年(明治25)『大日本私立衛生会付属伝染病研究所』を設立して柴三郎を援助しました。(ウィキペディア「北里柴三郎」)しかし、東大医学部からの嫌がらせはこれで終わったわけではありません。

 福澤諭吉が脳出血で倒れて第一線を退く(1898年)と、私立伝染病研究所は早くも1899年に内務省管轄の国立伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)とされ、さらには1914年(大正3年)、大隈重信の指示により、伝染病研究所は文部省に移管、東大の下部組織となったのです。この措置には長年にわたる柴三郎と東大との対立が背景にあるのは明らかで、柴三郎は所長を辞職、職員一同も追随しています。

 このような執拗な嫌がらせの背景について、福田眞人は「その後の柴三郎の国際的栄達、数々の医学的発見による名誉などが、東京大学の連中に不愉快な思いをさせたことは想像に難くない」と語っています。(「北里柴三郎:熱と誠があれば」ミネルヴァ書房、日本評伝選、2008)東大閥からの嫌がらせにより事実上追放された柴三郎は、私費を投じて新たに私立北里研究所(現・社団法人北里研究所。北里大学の母体)を設立しました。この新研究所で狂犬病、インフルエンザ、赤痢発疹チフスなどの血清開発に取り組んています。(ウィキペディア「北里柴三郎」)

 その一方で、彼は諭吉による長年の多大なる恩義に報いるために、諭吉の没後の1917年(大正6年)、諭吉の遺志を継ぎ慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長となっています。そして、それだけではなく、「新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一 (第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力した」(ウィキペディア「北里柴三郎」)とのことですから、1919~20年の「スペインかぜ」は、私立北里研究所が設備、スタッフともかなり手薄な陣容だったところに襲来したということになります。

 このような当時の医療行為の実態が紹介されることがないままに、すべての原因が悪性ウイルスだと決め付けているのが、「スペインかぜ」を利用したインフルエンザ怖いキャンペーンの実態です。

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■引用文中にも注記しておいたが、日露戦争は20世紀の事件である。

■旧安田財閥が寄贈した安田講堂が長年封鎖されることになった東大闘争は、医学部の助手を無実の罪で処罰しようとしたことに端を発していた。すくなくとも、東大医学部のわかて研究者たちは、東大医学部の「象牙の塔」を問題視する、自己批判的な運動をになおうという判断をしめしていた(まっとうできたかは別として)。■だから、東大医学部だから 体質的にどうしようもない、といった非難は、本質主義的な先入観である。だが、すくなくとも学閥による病理をかかえこんでいたことは否定できないだろう。
■こういった体質がすこしでものこっているかぎり、どんなに情報処理能力にたけた秀才たちを全土から吸収しようとも、ノーベル医学・生理学賞をはじめとした世界的業績には むすびつかないだろうし、生産的なはげしい競争というより、単に消耗するような せりあい、あしの ひっぱりあいしか、でてきそうにない。■もちろん、これらの病理は、慶応医学部だってあるようだし、普遍的な現象かもしれないが、全国の医学部や拠点病院が、こういった「ミニ東大」ばかりだとしたら、研究はもちろん、臨床の成果だって、不毛な空転・浪費がたくさんありそうだ。


【かきかけ】
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タグ : 1984年 真理省 ハイパー独裁 安全

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いわんこっちゃない

<新型インフル>期限切れワクチン 234万回分廃棄へ
3月30日15時1分配信 毎日新聞
 新型インフルエンザ対策で政府が用意したワクチンのうち、234万回分が今月末で使用期限を迎え、廃棄処分される。流行の沈静化などで思ったほど接種希望者がいなかったためだ。ワクチンは現在、国産と輸入を合わせ約1億回分が余っており、多くは順次、使用期限切れで廃棄される見通し。厚生労働省は31日、有識者らによる新型インフルエンザ対策総括会議の初会合を開き、対策が適切だったか、検証に入る。【佐々木洋】

 厚労省によると、新型のワクチンは国内4メーカーで約5400万回分を用意。不足の懸念から昨年10月、スイスのノバルティスと英国のグラクソ・スミスクラインから計9900万回分を輸入する契約も結んだ。輸入費用は1126億円に上る。

 だが、1人2回接種の予定が原則1回に変更され、流行も昨年11月をピークに沈静化したため、ワクチンの推定接種者数は2282万人にとどまった。国産ワクチンすら余り、実際に出荷された輸入ワクチンは3995回分にすぎなかった。

 このため、厚労省はグラクソ・スミスクラインとの間で、購入予定の7400万回分のうち2368万回分(257億円)を解約することで合意した。一方、ノバルティスとの交渉は難航しているという。

 ワクチンの使用期限は製品ごとに異なる。ノバルティス製は製造から半年間で、今夏までに2500万回分すべてが期限切れとなる。国産は半年と1年間の2種類で、来月~来年3月にかけて順次、期限切れとなる。

 解約分を除いたグラクソ・スミスクライン製の5032万回分は1年半と比較的長く、備蓄して再流行や来季に備えるという。

 ただし、来季用のワクチンは、新型と季節性を混合した1種類に統一する方針で、保存分が使われる可能性は低い。

 厚労省は「インフルエンザの動向は予測が難しく、ドイツやベルギーなどでもワクチンの余剰が生じている。総括会議の指摘を今後の施策に生かしたい」としている。

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■パンデミック・ヒステリーをあおっておいて、結局は、薬剤会社などに不当な利益をえさせただけなんじゃないだろうか?

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