プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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有名人による失言=メタ言語論(素描力・批評力・反撃力7)

■掲示板やブログのコメント欄の実態は、最初の話題が現実にメタ言語の連鎖になっているわけではないし、「あらし」があったりすることで、議論があらぬ方向にそれていくことが すくなくない。■いや、むしろ その方が一般的かもしれない。それは、通常の会話がどんどんそれていくのはもちろん、もともと話題が設定されていたはずの対談やらシンポジウム自体が、おもったような方向に議論が進展しないのだから、そういった規制がない領域では、当然の展開だろう。■しかし、いわゆる「あとだし」の絶対的優位は支配的である。
■もちろん、最初の発信者が、「土俵」づくりをしてしまい、そのあとの発言者の「批評」「反撃」をほとんど封殺してしまうばあいも、ないではない。しかし、それは実に困難である。すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこんだ立論は不可能にちかいからだ。■たとえば、すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこむかのような学術論文の周到な構成も、その大半は、予想外の「批評」「反撃」をひきだすことになる。というか、予想外の「批評」「反撃」をひきだすことに成功しない学術論文は、無視・黙殺された存在ともいえる。■つまり、支配的な「土俵」をつくる運営者はありえるが、こと、特定の話題について、すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこむ「土俵」を設定して、封じてしまうことは、まずできない相談だ。■ひとは、絶対神のように全知全能ではないから。

■そして、なんといっても、いわゆる「あとだし」の絶対的優位が典型的に確認できるのが、「有名人による失言」へのツッコミである。■最近の話題でいえば、歌手の倖田來未氏のラジオ番組での「35歳以上のお母さんの羊水は腐ってくるんですよね」発言問題だろう。

●「「35歳でお母さんの羊水が腐る」 倖田トンデモ発言に批判」←コメント集
●「倖田來未の「羊水発言」 下品?無知?」←コメント集
●「「キレイな体」という「ピュア信仰」 倖田「羊水腐る」発言の背景?」←コメント集
●「「羊水発言」倖田を勝谷弁護 「悪意ない。謝ればいい」」←コメント集

■うえにリンクした情報は、①ひとりの女性歌手のラジオ番組での発言←②それへのリスナーほかの「批評」「反撃」←③一群の「批評」「反撃」についての報道(「素描」)←④「報道」をうけての関係者・識者の反応(「批評」「反撃」)←⑤関係者・識者の反応についての報道(「素描」)←⑥「報道」をうけての一般読者の反応(「批評」「反撃」)…といった、一連のメタ言語の連鎖をしめしている。
■コメント欄を詳細に検討してはいないが、コメント欄にかきこまれた一般読者に対する、同列の「批評」「反撃」はみあたらない。あっても例外的だろう。■コメント欄への一般読者のかきこみは、最初の発言(①)に対してか、⑤関係者・識者の反応についての報道(「素描」)をうけての一般読者の反応(⑥)が、共存的ないし対立的に並存しているといえそうだ。
■ただし、かなり重要なのは、②発言へのリスナーほかの「批評」「反撃」←③一群の「批評」「反撃」についての報道(「素描」)←④「報道」をうけての関係者・識者の反応(「批評」「反撃」)の一連のうごき全体を否定的にとらえるかきこみが、少数だがあることだ。■いわく「イジメだ」「やりすぎだ」論である。おそらく、歌手のファンか、これらのスキャンダルに対して総じて芸能人よりの人物か、報道および騒動全般に拒否反応を維持する層かである。
■もっとも、これら一部の「イジメだ」「やりすぎだ」論は、完全に劣勢である。それは、発言の水準が低劣すぎて擁護のしようがないこと、なま放送ではなく、収録番組だったために、スタッフほか関係者が編集することで、失言を表面化させない(全国放送などさせない)ことが可能だったのに、「チェック」をすどおりしたことなどだろう。■「イジメだ」「やりすぎだ」論が一部妥当な点をふくんでいるにしても、「発言水準の低劣さ」と「収録後のみのがしの不用意さ」とが、あいまって、それで擁護することは、えこひいきにしか きこえないのである。擁護論者は、その自覚がかけている。
■「なま放送なら、不用意な失言も、ありそうだ」は、いささかなさけない同情論だが、収録後に時間がありながら、放送されてしまった点は、発言した当人の無知・不見識・鈍感さもさることながら、周囲のスタッフたちの無知・不見識・鈍感さこそ問題だろう。■つまりは、有名人であれば、老若男女にかかわらず、あまい芸能界という体質がもたらした暴言ではあるが、むしろ露呈したのは、そうした暴言を放送してしまう芸能界・放送界の知性・品性・感性のひくさといえそうだ。

■ともあれ、芸能人や政治家などテレビ・ラジオやコンサート・講演会などで、おおくの聴衆のまえで発言する機会のおおい有名人は、ひとことの失言・暴言によって、致命的な打撃をうけるという、ある意味自業自得の宿命をせおっているが、その本質は、「批評・反撃=あとだし」の圧倒的優位に基盤をおいている。■有名人は、その意味で、つねに致命傷(その地位・名誉のみならず、ときには みずからの心身までも)をおいかねないハイリスク人生をおくっているといえる。
■そして、芸能人や政治家の一部は、おおくのスキャンダルをみききしているだろうに、みずからが致命的失敗をおかすことはないと、たかをくくっているようだ。もちろん、そういった「実感」は、意外に「ただしい」。■というのも、うえの歌手の暴言と同列の発言を再三連発しながら失速せず、その地位にとどまりつづける「見本」のような人物が、日本列島の主要都市には複数実在するからだ。かれらに「魅力」を感じ、「期待」をかける おそるべき民度の選挙民と、みずからの発言の低劣さを一向に自覚できない天才的厚顔無恥とがそろえば、そういった奇跡もおきるわけで、それで、「自分たちだって、おなじようにやれそうだ」と誤解するやからは、これからもでそうだ。■「あとだし」絶対有利の原則は、ときにやぶられる。「あとだし」絶対有利の原則をときにうわまわるのは、「無敵の厚顔無恥」かもしれない(笑)。【つづく】
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コメント

あれは本音ですから

さっきテレビで見たら、例の会見は88%の視聴者が反省していないと受け止めたというアンケート記事を紹介していました。
羊水の科学的な知識が問題ではないのに、それについて知識不足と傷ついた人がいたという弁解しかしていなかったからです。
問題は彼女が無意識にああいう発言をしたことです。
無意識発言は本音ですし、それが本音と分かる内容だった事、それ以上に一部の人間しか許されないラジオの電波で全国にああいう話を緊張感も無くしてしまった事こそが問題であって、謝罪するなら自分が心の中でこんな蔑視している事に気付かなかったという以外はないと思うのです。
彼女にとって35歳はそういう存在なんだってことも分かりましたし・・・・。

彼女を擁護したのが勝谷誠彦というのも何だかなって感じですし・・・・。
この人も放送でしゃべってはいけない人です。
事実と異なる話をして差別、中傷発言しまくっても、吉本興業というバックがあるせいかでまくってますから・・・。

自分のかかえる蔑視は直視が困難

Mさま

■テレビの件、ありがとうございました。■ちかくに受像機のない生活を10年以上おくっていますので、わかてタレントの動向に無知な「オヤジ化」が進行してひさしいのですが、ときどき、「歌手の倖田來未氏とは、どの程度の位置にあるのか?」なんてことにも、うとくなってこまります(笑)。■どこかで「ポスト浜崎」とかよばれていたような記憶があるので、かなりの「歌姫」なのでしょう。
■しかし、どれほどの芸人であれ、公共の電波や紙面などをかなり占領するかたちで芸能活動がなされているし、だからこそ影響力もバカにならないわけで、その自覚のないタレントはこまりますね。■ただ、このての自覚というのは、往々にして実に困難なので、周囲がカバーしないと、事実上ムリな面があるわけです。彼女の発言が実感にねざしたものであり、以前「ホンネ」でありつづけ、かたちばかりの謝罪をくりかえしたのだとすれば、一層不可能にちかいとおもいます。■そんなことも、ふまえて、周囲のスタッフうんぬんとかきました。
■なにしろ、民度が極度にひくい住民が集住するらしい、某大都市部では、暴言につぐ暴言をくりかえしながら、全然政治生命をうしなわない つわものがいるぐらいですから(笑)。

■ホンネといえば、現在の20代中盤以下の世代の女性たちは、おいることへの強烈な嫌悪感・不安感を共有しているよういおもいます。■すくなくとも かのじょたちの一部は、芸能人やモデルさんのような業界人以外の30代女性を、「おわったひとたち」と、みているんじゃないでしょうか? 自分たちが、あっというまに、そのなかにふくまれるんだという、明確な自覚はなく。いや、あるからこそ、それを直視したくないと。■それと、いまはやりの、「姉妹のようなオヤコ」イメージからすれば、特権的な層以外の30代出産は、オシャレじゃないんだとおもいます。■はたらく女性をはじめとして、高学歴層は、むしろ30代前半に集中して出産を経験するよう、急速にシフトしているんですが、わかい女性たちには、そういった動向はつたわっていないか、すくなくとも実感としてうけとめられないんじゃないかとおもいます。■別に、今回の件を擁護しようというんじゃなくて、おこるべくしておこった暴言なのかもしれないと。

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