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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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県名の漢字表記

■旧ブログで、日本列島上の固有名詞と漢字表記については、何度もとりあげてきたが、つぎにとりあげる『読売新聞』の記事も、その系列。


「埼」「茨」「栃」など常用漢字に
         …文化審検討案

 常用漢字の見直し作業を進めている文化審議会は1日、「岡」「奈」など都道府県名に使われている計11字を新たに常用漢字に盛り込むべきだとする検討案をまとめた。

 今後さらに審議を進め、新常用漢字は、早ければ2010年にも決定する。

 検討案に盛り込まれたのは、都道府県名に使われている「岡」「奈」「阪」「鹿」「熊」「梨」「阜」「埼」「茨」「栃」「媛」の11字。日常生活でよく使用されている「誰」「藤」「虎」「俺」「斬」「鶴」「眉」など65字も、新常用漢字に加えるよう求めた。

 1981年にできた現行の常用漢字は1945字。「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送などで漢字を使用する際の目安」とされており、固有名詞は対象とされていなかった。見直し作業は、パソコンやワープロの普及で、常用漢字以外でも日常で使われる漢字が増えていることを背景に05年から始まった。

(2008年2月2日 読売新聞)

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■もととも、「常用漢字」ってのは「目安」でしかないし、おまけに「固有名詞は対象とされていなかった」以上、「パソコンやワープロの普及で、常用漢字以外でも日常で使われる漢字が増えていること」を理由に、「固有名詞」用漢字の「目安」をみなおすなんてのは、ナンセンスだろう。■「目安」という性格を全面的にかえてしまうということか? ■県名など、公的かつ非常に使用頻度がたかいものは、「基準」として公認するってのは、わからなくはない。しかし、それは「目安」なんかではない。■だって、パソコンにくみこまれた日本語ソフトのなかに、当然のように登録された漢字表のなかに、これら県名用の漢字ははいっているし、公式の「目安」なんぞにはいるはいらないと無関係に、ひとびとは毎日つかっているわけだ。人名をしるす漢字とくらべれば、地名用の漢字のバラつきぐあいは大したことないし、自治体のなまえなど公的性格はあきらかだということは、たしかだろう。■しかし、県名とか都市名としてしか登場しない漢字を、単に伝統だといった論理で放置しておく合理的根拠があるだろうか?
■たとえば「岐阜」とか「埼玉」の「埼」とか、地名以外につかわないのに、なんで温存しなければならないのだろう? ■ほかには 力士の「しこ名」としてしかでてきそうにない「栃」、「茨大」「茨高」などといった略記のばあい、「イバラ」とは絶対によまれずに、「イバ」と通用しているケースとか、「●●丼」の「ドン(ブリ)」なみだし…。たとえば「茨姫」なんてかかれて「イバラひめ」と、ちゃんとよめる層は、そんなにおおくないんじゃないか?

■いや、大分みたいに、「おーいた」って、よめないのも しかたがないものだって大問題だろう。漢字の字種だけでなく、よみかただって、「地名は公的性格をもつから、たとえ百数十年程度でさえ、伝統をまもって当然」なんて、いえるだろうか?■「埼玉」なんてのは、「さき」が「さい」に転化したなんて おちまでついていて、漢字表記だけじゃなくて、よみかたも充分問題。だから「埼玉大学」の略称の「埼大」は、「サイダイ」とかよまれるわけだ(笑)。■こういったものをかかえて当然って感覚が、電子情報の運用に負荷をかけることはもちろん、外国人や視覚障碍者などに無用な負担をあたえることはいうまでもなかろう。
■「新常用漢字表」におさめるかどうか、なんて 実にくだらない議論に時間とカネを浪費するぐらいなら、地名をかながき・ローマ字がきにしたばあいに 節約されるコストとか、外国人などへの情報保障の効用の試算とかした方がずっと節税になるとおもうんだが、ちがうだろうか?
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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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コメント

なかば想定内でしょうが、早速登場です。「かながき」はともかく「ローマ字」は…。揺れますよ。読みも綴りも。まずはドイツのミュンヘンの綴り。ずっと下にスクロールしてみましょう。ずいぶん綴りがいろいろあるものです。http://www.websters-online-dictionary.org/definition/Munich

ありがとうございます。

2ch kara kita Otokoさま

■毎度どうも(笑)。
■ご指摘の件なのですが、もしかして“Modern Translation: Munich”ってところの多様性ではありませんよね?■他言語による転写=流用という次元では、そのオトの解釈が多様になるというか、誤解もふくめて、その受容は多様になるほかないでしょう。■なにしろ、おなじ民族の他地域でさえも、地名の呼称がくいちがうばあいがありますからね。「漢民族」同士とかいう、EUレベルのわくぐみじゃなくて、日本列島内部でのくいちがいみたいに。■いや、漢民族・ヤマト民族みたいに、漢字表記を共有していても、発音がちがったりする以上、表音モジで地名を表記したときに、民族差・地域差がでるのは当然です。

■というか、いわゆる表意モジ・表語モジでしるしているといいつつ、ユレ・多様性をとめられなかったのが漢字圏では? 地域差・時代差両方向で。■例にあげた「埼玉」なんてのは、
奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(さきたま)という記述がある。また、平安時代の『和名類聚抄』には「埼玉」「佐伊太末」(さいたま)という郡名があり、当時、既にさいたまと呼ばれている事が分かる
といったぐあいで、地名オタク・漢字オタクしかよろこばないような、経緯・変動ぶりです。■過去の呼称「さきたま」ないし「さいたま」を 表音モジないし音節モジでかいていれば、これほどの変動・多様性はおきなかったはず。■モジ・システム全体の交代(たとえば、キリル式にかわる…)とか原理の変化、音節モジのなかの複数表記(たとえば、変体がな…)は、ありえたでしょうし、「方言差」はあったでしょうけど。

■でもって、おわかりとはおもいますが、表題の件は、あくまで、現代日本での日常使用の次元に話題を限定しています。

イタリア語では「ミュンヘン」のことを「モナコ」というのか…コレは面白いな、と何となくおぼえていたために“Modern Translation: Munich”なんぞという英語のサイトを載せてしまいましたが…。イタリア語ではMonaco(モナコ公国)との区別のために、「バイエルンの」という意味の語をつけてMonaco di Baviera、モナコ・ディ・バヴィエラ)と呼ばれる。ってのがなかなか萌えで(2ちゃん語)。

>でもって、おわかりとはおもいますが、表題の件は、あくまで、現代日本での日常使用の次元に話題を限定しています。

理解はしております。申し訳ありません。
ただ、アメリカ人は「チューリッヒ」を「ズーリック」なとど読むらしい(綴りをそのままに英語風読み)のですが…。ラテン文字圏内での地名変換は「音は似たもの、綴りを変える」「綴りはそのまま、音を変える」「綴りも音も微妙に変わる」「綴りも音も、理解不能なほど変わる」などなどほじくりだすとパターンも多様なようです。イタリア語でミュンヘンのことをモナコと呼ぶようになった経緯は知りません。

あ、ごめんなさい。「メタ言語論」はきちんと読んでおります。あとだしごめんなさい。またローマ字ネタでも出てきたらお邪魔させていただきます。

ウィキペディア「モナコ」

関連項目(http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%82%B3&oldid=17790576#.E9.96.A2.E9.80.A3.E9.A0.85.E7.9B.AE
……
ミュンヘン:ドイツ・バイエルン自由州の都市。イタリア語で「モナコ・ディ・バヴィエラ(Monaco di Baviera;バイエルン地方のモナコ)」と言い、イタリアで「モナコ」と言えばこちらを指す。一方、モナコ公国は「モンテカルロ」と呼ぶのが一般的。「モナコ」も「ミュンヘン」も「修道士」を意味する両国語に由来する。


ということで、語源を共有しているから、イタリア語内部で衝突するのは、しかたがないでしょう。
■「ラテン文字圏内での地名変換は「音は似たもの、綴りを変える」「綴りはそのまま、音を変える」「綴りも音も微妙に変わる」「綴りも音も、理解不能なほど変わる」などなどほじくりだすとパターンも多様 」というのは、ご指摘のとおりでしょう。■にたことは、漢字文化圏でもやらかしています。でもって、「表意モジですから、オトはちがっても」なんていいつつ、「中国地域」とか「朝日関係の議論」など、文脈が特定されないと、さっぱりわからん固有名詞もありますね(笑)。■たしかめたことはありませんが、愛媛県の愛媛大学と、愛知県の愛知大学は、それぞれ「愛大」と略称されているんじゃないかとおもいます。全国的には「メーダイ」といった明治大学であることなんざ、全然無視の「メーダイ=名古屋大学の地域的略称」よりは、ローカル文化で、つみがないかもしれませんが(笑)。

■もちろん、表音モジってのが、あだになって、おもいこみを増長させるって問題はあるでしょう。■しかし、ジャパン・ヤパン・ジャポン・ジャポネ・ハポン…といったバリエーションは、「方言」の延長線上でしょう。こういった 地域なまりを、たとえば「ニッポン」に統一化しようというのは ムリがあるので、対応表と翻訳プログラムをくめばいいとおもいます。


■メタ言語論は、できがわるいという自覚があります。ありますが、試行錯誤過程をかきしるすのは読者に失礼って断言なさる内田樹御大の見解とはことなり、多少ぶざまな右往左往ぶりをさらしておくことは、もっとかしこいかたに、すっきり整理していただく余地を課題としてのこしているという意味だけでなく、小生同様、頭脳明晰とはいいがたい読者にとって、一緒に迷走しながら思考錯誤によって、なにかつかむ学習過程になるだろうと(笑)。■ま、このヘンのことは、試行錯誤過程と整理http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1876)とか、「賢者の表現」と「相対的愚者の理解力」問題http://tactac.blog.drecom.jp/archive/2116)とかで、かきましたが。
■ちなみに、内田御大の議論が致命的に矛盾しているとおもわれるのは、武道論については、要領がわるく身体能力もおとる自分が指導者としてむいているとほこりつつ、学問論においては、要領がわるく知的能力もおとる自分が指導者としてむいているとほこることはない点です(笑)。■〈わたしの師匠の そのまた師匠がみすえた地平を、自分はやってみせられないけど、絶対に実在するから、わたしのマネをせよ〉とか、おっしゃるんですが、そんな世界的哲学者のマネごとするなんて、おそろしげなエリート主義の次元ではなく、市民的哲学を実践するうえで、「われ無能ゆえに、よき指導者なり」って、ひらきなおっていいはずなんです。が、内田先生、そんなことは おかんがえでないんじゃないか?(作品の一部しかよんでいないんで、まちがっているかもしれませんが)■ま、師匠は うしろすがただけで、しびれさせればいいみたいなんで、試行錯誤0≒指導力0(通常人の不器用さへの致命的無理解)の天才でも、充分「先生」たりえるんでしょう。

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