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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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新型インフルエンザ騒動の怪41=豚インフルエンザ報道を検証する(第33回) インフルエンザ怖いキャンペーン(3)永久凍土の墓地発掘

シリーズ「新型インフルエンザ騒動の怪」の続報。■今回も、“世界の環境ホットニュース[GEN]”の最近のシリーズ “豚インフルエンザ報道を検証する”の最新版を転載。


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世界の環境ホットニュース[GEN] 744号 10年01月30日
……

      豚インフルエンザ報道を検証する(第33回)

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第33回 インフルエンザ怖いキャンペーン(3)永久凍土の墓地発掘

原田和明

 香港で1997年春から暮れにかけての鳥インフルエンザ騒動が起きていた頃、スペインかぜウイルスの正体を突きとめようというプロジェクトが進行していました。永久凍土層にある墓地を発掘して、スペインかぜで亡くなった人の遺体からスペインかぜウイルスを取り出そうという計画です。その後、スペインかぜウイルスの遺伝子の塩基配列が、このときの発掘サンプルから解析されたことになっていますが、発掘された遺体は腐敗が進み、ほとんど骸骨ばかりでした。しかも、採用されたサンプルは本来のプロジェクトで採取されたものではなく、ひとりの老人が掘り出したものだったのです。

 ウィキペディア「スペインかぜ」によると、「1997年 8月にアラスカ州の凍土より発掘された4遺体から肺組織 検体が採取され、ウイルスゲノムが分離されたことによって漸くスペインかぜの病原体の正体が明らかとなった。これにより、H1N1亜型であったことと、鳥インフルエンザウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明された」とあります。

 しかしながら、これまで報道された記事を遡及していくと、当初は「アラスカ州の凍土より発掘された 4遺体」のサンプルでは遺伝子の塩基配列解明には不十分だったことがわかります。


「(スペインかぜの)強い病原性の理由は不明だったが、99年以降、当時の患者の保存組織などから、8個の遺伝子のうち、4個の配列が判明した」(読売新聞 2002/10/21)と 遺伝子解析が不十分であることを伝えています。判明した配列情報からは、今回の豚インフルエンザ騒動と同じく、A/H1N1亜型であることが判明したというのが次の記事です。(以下引用)

 オーストラリアのキャンベラにある豪国立大学の科学者たちは、スペインかぜの原因となったウイルスに強力な毒性を与えたのは、ブタと人間のインフルエンザ・ウイルスの合体によってつくられたハイブリッド遺伝子だったと発表した。
 
 スペインかぜの原因となったウイルスは、発生時には保存されなかったが、このかぜで死亡した女性の遺体が、アラスカの永久凍土に埋められていていることがわかり、これを97年に米国の科学者が発掘して、そこから遺伝物質を採取した。また、このかぜで死亡した 2人の米兵の遺体の一部が標本として残されていた。

 これらを材料として、ギブス博士らは、スペインかぜのウイルスの遺伝子の1 つが、大流行の直前に人間と豚に流行していた 2種類のインフルエンザ・ウイルスの遺伝子が組み替えられて、できたものだと突き止めた。(日経ヘルス 2001/09/18)
(引用終わり)

 ここでは、「アラスカ州の凍土より発掘された 4遺体」のサンプルだけではなく、「標本として残されていた」サンプルを加えて、解析されていることがわかります。この記事からは遺伝子の塩基配列解明が完了したかどうかはわかりません。さて、2004年になると、スペインかぜは豚インフルエンザから突然、鳥インフルエンザに由来すると変化します。(以下引用)

 2000万人が死んだ1918年の風邪は鳥のウイルスから=米科学誌
 【ワシントン5日】世界で 約2000万人の死者を出した1918年のインフルエンザは鳥のウイルスが若干変化して人間の細胞に極めて容易に結び付くようになったために起きた可能性が大きいとの論文が 5日、米国の科学誌サイエンスのウェブサイトに掲載された。この研究は現在起きている鳥インフルエンザには直接当てはまらないが、研究者たちはインフルエンザ・ウイルスの伝染力が少し変わっただけで大規模な疫病が発生する可能性を浮き彫りにするデータだと言っている。
 
 論文はハーバード大学の故ドン・ワイリー氏、英国立医学研究所のジョン・スケヘル氏らの長期にわたる国際的な研究を詳細に紹介したもの(時事通信 2004/02/06)
(引用終わり)

 同じニュースを伝えた共同通信は、「スペイン風邪のウイルスは、アラスカの永久凍土に埋葬された当時の犠牲者の遺体などから分離され、既に遺伝子配列も分かっている」(共同通信 2004/02/06)と、全部の 配列が解明されたかのような表記に変わっています。ここでは、サンプルが「アラスカの永久凍土に埋葬された当時の犠牲者の遺体など」となって、「標本として残されていた」サンプルの存在が薄れています。

 さて、すべての遺伝子配列が解明されたと伝えたのはそれから 1年半後の次の記事です。(以下引用)

 「スペイン風邪は流行当時の完全なウイルスが保存されておらず、アラスカの永久凍土に埋葬された犠牲者の肺からウイルスの遺伝子を回収、解読を進めてきた。8 種類ある遺伝子のうち、米軍病理学研究所のチームが残っていた3種類の解読を終了。CDC(米国疾病予防センター)はこれらの遺伝子配列を基に、遺伝子からウイルスを丸ごと合成する手法で再現した。

 強い毒性に関与していたのは、ウイルス表面にある糖タンパク質の遺伝子 1種と、ウイルスの増殖に不可欠な「ポリメラーゼ」と呼ばれる酵素の遺伝子3種」(共同通信 2005/10/06)

 研究グループは、アラスカの永久凍土に埋葬された犠牲者の遺体から遺伝子を回収。塩基配列を解読し、ウイルスを再現した。その結果、鳥インフルエンザウイルスに似ており、大流行直前に変異してできたものと考えられるという。変異の一部は現在、アジアで大流行している強毒性の鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)とも共通している。(朝日新聞 2005/10/06
、引用終)

 この記事から、「標本として残されていた」サンプルの存在が完全に消えてしまい、ウィキペディアのような「アラスカ州の凍土より発掘された 4遺体から、ウイルスゲノムが分離された」との記述になっていったと推測されます。そして、オーストラリア国立大学の「豚とヒトのハイブリッド」説も消え、鳥インフルエンザ=スペインかぜ=強毒性というイメージが作り出されたと考えられます。

 そこで、この「アラスカ州の凍土より発掘された 4遺体」の出自を探索してみましたが、実に怪しい経緯がありました。ピート・デイヴィス「四千万人を殺したインフルエンザ」(文藝春秋1999)とジーナ・コラータ「インフルエンザウイルスを追う」(ニュートンプレス2000)に発掘の経緯が描写されています。
 
 アラスカ州の共同墓地を発掘したのは、ハルティン(またはフルティン)という72歳の老ウイルス学者でした。彼は学生時代の1951年に、教授たちの会話から「スペインかぜウイルスの解明」を博士論文にしようと決心し、アラスカ州の共同墓地をこのとき一度発掘した経験がありました。このときは遺伝子解析に失敗しています。

 彼は1997年3月に、サイエンス誌に掲載された トーベンバーガー米陸軍病理学研究所)のスペインかぜウイルスの遺伝子の塩基配列解析に関する論文を見て、再びアラスカ州の共同墓地を発掘すればサンプルを提供できるとトーベンバーガーに手紙を出したのです。(1997年7月)

 ハルティンはトーバンバーガーから返事をもらった翌週には発掘に着手するという早業で、8月には4つの遺体から採取したサンプルをトーベンバーガーに郵送したとされています。それが、ウィキペディアのいう「1997年 8月にアラスカ州の凍土より発掘された 4遺体から肺組織検体が採取され」に当たるわけですが、4遺体は永久凍土層で氷漬けになっていたわけではありませんでした。

 ハルティンの発掘作業を描写した部分をピート・デイヴィス「四千万人を殺したインフルエンザ」P298から引用します。『』は筆者による(以下引用)

 「フルティンは許可がおりたその日に発掘を開始した。地元の青年 4人が手伝った。3日目の午後、1.8m掘り下げたところで、彼らは最初の遺体を発見した。『遺体は腐乱していた。』1951年の発掘で一度露出したせいではないかと、フルティンは考えた。
 
 4日目、さらに1フィート深く掘ったところで、さらに多くの遺体が発見された。3体は 柔らかい組織がわずかに残るだけで『ほとんど骨ばかりになっていた』ところが、その間に挟まれていた女性の遺体は保存状態が極めて良好だった。おそらく30歳くらいで、太っている。皮下脂肪のおかげで腐敗しなかったのだ。フルティンはバケツの上に腰を下ろし、その女性を観察した。(中略)肋骨切断機とメスを使用して彼女から両肺を採取した。彼はさらに別の3体から組織検体を採取した。
(引用終わり)

 両サイドが骸骨というのに、真ん中の女性の遺体だけが保存状態がよいというのは不思議です。次に、ジーナ・コラータ「インフルエンザウイルスを追う」での描写です。(以下引用)

 「3日目の午後、最初の 遺体を見つけた。それは 骸骨になって いた。彼ら(※発掘作業に雇われた地元青年)は生きたウイルスが見つかった場合の予防措置を何もとらずに働いていたが、ハルティンは心配していなかった。無頓着な彼と助手たちは砂利と泥を掘り進め、墓の中の腐敗した死体のものすごい異臭は無視した。翌日、彼らの運気が変わった。7フィート(210cm)の深さの穴の中にそれを見たのは日暮れも近くなった頃だった。30歳くらいの女性の死体(ルーシーと命名)だった。骸骨とひどく腐敗した死体の間に挟まれていたが、『その女性の死体は腐りかけていた』が、おおかたはそのままで肺は保存状態がよく凍ったままだった。(中略)彼は慎重に彼女の両肺を切り取り、カッティングボードの上に置いて、凍ったまま解剖用メスでスライスした。そして、タウベンバーガーがくれた保存液に漬けた。また、ほとんど期待できなかったが、彼女の死体の近くにあった、ひどく腐敗していた他の3つの死体の肺からも組織を採った。」(引用終わり)

 こちらも女性の遺体は「おおかたはそのまま」と保存状態がよかったと理解されます。ところが、以上の描写から、ハルティンが発見した遺体の数は、「四千万人・・」では、1+3+1+3=8体(保存状態のよい遺体は 4体)。「・・を追
う」では、1+3=4体(保存状態のよい遺体は 1体のみ)と推定されます。ところが、ハルティンは「7体の骸骨と、保存状態のよくない3体の死体を見つけた。たまたま、ひとつが、脂肪が 防腐剤として 働いていた太った女性の死体だった」(「・・を追う」P220)と語っています。

 まったく何体の遺体を発見したのかさえはっきりしませんが、保存状態のよい遺体はなかったことをハルティンは認めています。それでは、30歳の女性の遺体(ルーシー)は『保存状態が極めて良好』だったのか、それとも『保存状態のよくない』状態だったのでしょうか? ハルティンは「私には、よい標本、保存状態のよい肺であった」と言っており、『保存状態のよい』とは一般的な意味ではないことを白状しています。

 そもそも、毎日多数の死者が出て、墓掘りが間に合わず、しばらく外に放置されていた遺体も少なくなかったという1918年当時の状況を考えると、掘削が困難な永久凍土層に深い穴を掘って埋葬したのだろうかという疑問が湧いてきます。トーバンバーガーはワシントンにいて、ハルティンからの知らせを待っていたのですから、現場にいた証人はハルティン以外誰もいません。

 ところが、現場を見ていないトーベンバーガーは、遺体が氷漬けになっていたと誤解しています。

 トーベンバーガーはこう言った。「ハルティンはツルハシを手にその地に立った。三日間で固い氷を掘って穴をあけた。信じられないような男だ。すごいの一言に尽きる」(ジーナ・コラータ「インフルエンザウイルスを追う」P221)

 さらに、ハルティンは採取したサンプルの扱いもいい加減です。(ジーナ・コラータ「インフルエンザウイルスを追う」P221より以下引用)

 「組織は低温のままにしておかなければならないと知っていたが、寝泊りしている学校の冷蔵庫に標本を入れるのは許されないだろうと思った。それで、彼は墓の中に永久凍土まで続く穴(深さ30cm)を掘り、板でフタをして、そこを冷蔵庫にした。」

 「ハルティンはサンプルをサンフランシスコに持ち帰り、断熱性の冷蔵パックに保管しておいた。サンプルをトーベンバーガーに送ることを彼は心配していた。もし輸送中に紛失したら取り返しがつかない。唯一の解決法はサンプルを分け、4 つの別々のパッケージとして送ることだった。サンフランシスコから、ひとつをフェデラルエクスプレスで、翌日、別のパッケージをユナイテッド・パーセル・サービスで送った。3日目は郵便の速達で送った。
 4日目は最後のパッケージを トレーシーという町からフェデラルエクスプレスで送った。たまたまその町を車で通りかかったのだ。結局、全部無事にトーベンバーガーのラボに着いた。」
(引用終わり)

 ハルティンは「組織は低温のままにしておかなければならないと知っていた」(同書P220)のですから、普通郵便(常温)で送ったということはなかったことでしょうが、保管・輸送手段も非常にぞんざいな感じがします。

 ハルティンから送られてきたサンプルのうち、トーバンバーガーがインフルエンザウイルスの『断片』を発見できたのはルーシーの肺組織からだけでした。他の3遺体は骸骨なのですから役にたたなかったのも当然でしょう。しかも、「その大半は、標本収蔵庫で発見されてトーベンバーガーの手元にあった 2組の組織検体に含まれている断片より小さかった。標本収蔵庫の 2体では、塩基対が150あったが、ルーシーの場合の塩基対は100ぐらいだ。」(ピート・デイヴィス「四千万人を殺したインフルエンザ」P299)

 このように、スペインかぜウイルスの遺伝子解析には、ルーシーもあまり役に立っていないように見えます。米軍病理学研究所に郵便で送られたサンプルはすべて、この程度のものだったのです。ウィキペディアの表現は、この10年間の新聞報道の影響を受けたものと考えられますが、かなり違う実態が浮かび上がってきました。次回は本来の凍土発掘プロジェクトの迷走ぶりを紹介します。

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■いつもながら、こういった自然科学がらみの研究者の動向は、あやしいものばかり。そして、そこへのソボクな疑念をといていく作業は、ミステリー小説、いやサスペンス小説のようだ。
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