プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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外国人参政権全否定派には、知性・知識が不在なのか?

■「外国人参政権 付与許容説の学者が誤り認める 反対集会で日大教授が明かす」という「産経」の記事は、右派を おおよろこびさせているようだ。


外国人参政権 付与許容説の学者が誤り認める 反対集会で日大教授が明かす 
1月26日11時9分配信 産経新聞

 千代田区永田町の憲政記念館で25日に開かれた「永住外国人地方参政権付与に反対する国民集会」。国会議員、地方議員や識者らがげきを飛ばす中、日大の百地章教授(憲法学)が、国内で最初に付与許容説を唱えた学者が自説の誤りを認めたことを明らかにした。

 百地氏によると、外国人の参政権について「国政は無理でも地方レベルなら認めていこう」とする部分的許容説は昭和63年に中央大学の教授が初めて提唱。追随論が噴出し、平成7年の最高裁判決の傍論もこの説に影響を受けたとされている。

 昨年、百地氏が著書をこの教授に送ったところ、年賀状に「外国人参政権は、地方選でも違憲と考えます」と書かれた年賀状が送付されてきた。本人に電話で確認したところ、「修正する論文を発表する」と明言したという。

 百地氏は「外国人参政権が憲法違反であることが、とうとうわが国最初の提唱者にさえ否定されたことは極めて注目すべきこと」と強調。

 さらに「わざわざ憲法を持ち出すまでもなく、わが国の運命に責任を持たない外国人を政治に参加させることは危険すぎてできない」と述べた。

【関連記事】
外国人参政権「断固反対」 石破氏が表明 自民党大会
外国人参政権 赤松氏「『公約だ』は個人の約束」
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国民新党が総務省に通告「参政権法案は厳しい」
外国人参政権反対集会 地方議員1万人の署名目指す
最終更新:1月26日11時9分

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百地章教授(憲法学)とやらが、どういった御仁かはしらないが、“外国人参政権問題―外国人参政権反対派に答える―”といったページをふくめて、「外国人参政権」関連の議論で、地方選挙における投票権を完全に否定しきる論拠をあげた人物がいるとは、到底おもえない。
■また 百地章教授(憲法学)とやらが どんなに いいはろうが、特別永住者など(平和条約国籍離脱者または平和条約国籍離脱者の子孫)は もと日本国籍者の子孫だとおもわれ、日本国籍をあてがった政府が、自分たちのつごうだけで、同意もとらずに国籍をとりあげた経緯がある以上、「外国人」だからだの、「非国民」だからだといった論理は、歴史的に根拠がよわい。「かってに国籍をとりあげたのだから、選挙権だけかえせ」と、訴訟をおこされたときに、論理的・道義的にどう反論するつもりなのか?

■「伝統」だの「歴史」だのと、いいつのる連中にかぎって、「近代日本史」の否定できない事実さえもしらない。■それと、「憲法違反」だなどといっている連中にかぎって、「憲法」を大学院等で専攻していないのが普通だし、「おしつけ憲法を改正する」などと、憲法をないがしろにする姿勢をロコツにだす。■要するに、無知なくせに、おどしだけは、ヤクザばりに得意であり(実は、それしか得意分野をもたない)、「違憲」だなどいうくせに、「護憲」の意識なんぞないわけだ。つまり、無知と厚顔無恥にもとづいた、ごつごう主義こそ、かれらの唯一の「得意技」なのだ。
■公法関連の学位をもたない(せいぜい学士号ぐらい)連中が、集会で さわぐのは、おさむいかぎりだし、そういった連中しかいないところにでかけていく憲法学の先生ってのは、どういった御仁なのかねぇ("永住外国人の参政権問題"という著作が、自費出版というのは、これいかに?)



●旧ブログ「なに、自民党のお歴々は憲法学の専門家だったのか?
●「石原知事、外国人参政権「危ない試み。発想おかしい」」(産経、2010/01/15 23:32)
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テーマ : 外国人参政権問題 - ジャンル : 政治・経済

タグ : ナショナリズム 1984年 ハイパー独裁

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コメント

最近知り合った保守よりミニ政党関係者とネットで政策論争したり自主出版の本を見せてもらったら、
憲法が個人の権利を守るために政府をしばるものだという点を基本的に分かっていないし、
日本の移民・難民受け入れが他の先進諸国よりもけた違いに小さいことも無視して外国人地方参政権反対の議論をしていました。

在特会のほか主権回復会、日護会、そよ風等の画像をyoutubeで見たら、
「日本」がその国境も書き言葉もとりわけ近世・近代以降「作られた伝統」であることや、
そこにオリエンタリズム的な美化による劣位の固定化もあること等も度外視して、
安易な日本礼賛と外国人ぎらいのスピーチばかりです。

しかし在特会らの露骨な暴行や「○○をたたき出せ~」「○○を死刑にしろ~」といったシュピレヒコールは嫌われても、
ここまでリストラも当たり前の意識にもなると排除や差別に対する抵抗感は一般にはないようで、
それが在特会の保守への過剰適応的な行動につながっているのでしょう。
学校での日の丸君が代等のおしつけ教育も、在特会らの街頭行動があまり奇異に映らない、
むしろアノミー状態からの救世主とも映る原因となっています。
「日本人」の自殺者3万人や年金のとぼしさや階級脱落・地位低下をなげくなら、
本来、外国人を追い出すのではなく、国籍を問わない福祉政策を求めるべきなのですが…。

トホホな ニホンの 民度

ワタリさん

■コメント欄が、スパムで あふれる日々がつづいており、おみぐるしい かぎりです。

■さて、「憲法が個人の権利を守るために政府をしばるものだという点を基本的に分かっていない…」右系のみなさんは、異色の保守派、宮台真司御大(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%8F%B0%E7%9C%9F%E5%8F%B8)の「憲法とは国民から国家に対する命令」(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=119)とか、左派系在米アメリカ人、ダグラス・ラミス御大による『憲法は、政府に対する命令である。』(平凡社 2006)とかを、わきまえたうえで、憲法を論じろと、左派系・リベラル系は、せまるべきですね。■要するに、政府による「統治」論が、形式的にしろ、論理的には人民からの権力付託であり、だからこそ暴走をくいとめる制御装置であるという憲法の「本義」が、右派には わかっていない。というか、人民をおどし支配する道具だと カンちがいしているか、したフリをしている。■およそ法学部の学生さん未満の知的レベルなわけです。
■というか、「憲法とは国民から国家に対する命令」という、偽善的擬制ではあれ、近代国家を規制してきたタテマエぐらいは、義務教育で周知する責務が、文部科学省および現場教員にはあるとおもいます。かりに、趣旨が現場で不徹底で、既存の同和教育だのジェンダー論などに対する不毛な反発がうずまいてきた現状をふりかえっても、憲法については、「顕教」(タテマエ)をとくべきだと。■まあ、そういった「偽善的擬制」だから、支配者の悪意ないし無自覚な支配に警戒すべく監視しろ、となると、左派的政治学の世界になるので、義務教育で「必修」にするというのは、いささか問題ありかもしれませんが(笑)。いい子ちゃんたちには、毒性がつよすぎるし。

■でもって、憲法で(学部生はおろか、「一般教養科目」の憲法でも)ならう「人権」という、「骨格」部分について規定されている「国民」概念を、どこまで拡張可能なのか、「市民権」とはなんなのか、とかいった、「高級」な議論は、うえのような「基本のキ」をふまえたあとの 「上級編」ですよね。残念ながら、現状の民度からすると。

■以前からかいてきましたが、たかだか公務員試験対策で、憲法をかじったぐらいの法学士さまたちが、エラそうにはびこるのが、この列島の民度です。■博士がナンボのモンじゃい、といった問題については以前かきましたが(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-632.html)、国会議員の学歴に象徴される現状は、おそらく民主党政権時代の現在でも本質的には、かわっていないのではないかとおもいます。学位偏重はまちがっていますが、「博士号=専門家のタマゴ」という世界標準からかけはなれた「学歴のガラパゴス ニホン」のトホホぶりは、自虐ネタとしてではなく、問題視すべきだとおもいます。

■ちゃんとしらべねばらないのだが、ハラナが推測するに、理工系・医学系で博士号をもっている議員は、そこそこいるとおもうが、文科系で博士号をもっている現役国会議員はごく例外的なんじゃないか? 諸外国の議会や国際機関では、博士号は ごくあたりまえだ。開発経済学でPh.D(哲学博士)をOO大学博士課程で取得し、……とかいった、経歴形成が普通なんだよね。■間接的データにしかならないが「若手国会議員メールマガジン 未来総理」という、1955年以降にうまれた、中堅以下の国会議員の集団がある。■現在28名のメンバーのうち、博士号取得者は、2名。うち1名は医学博士だ(医師免許取得のコースなら、大したハードルではない)。ほか、博士課程進学経験者が2名。■未来の首相をねらおうという野心あふれる中堅以下の世代で、この程度というのは、サンプルのかたよりを わりびいても、ほかに 突出した高学歴・学位取得グループがかくれていて、平均値をグッとあげるなんてことは、なさそうだ(笑)。
  (「素養のたりない政治家」2005/06/09,http://tactac.dreamlog.jp/archives/51656078.html

■憲法論議や参政権問題に学歴は不要だとおもいますが(市民による、市民のための、市民の憲法であるという、タテマエがある以上)、すくなくとも 権威主義的にふるまう御仁たちは、自分たちが発表してきた「論文」が、学術誌にのるような専門家の査読にのる水準に達しているのかぐらいは、情報開示しないとまずいとおもいます(『中央公論』とか『正論』とかの商業誌ではなく、ましてや、政党系の媒体では論外で)。


●旧ブログ「学位 を含む記事」(http://tactac.dreamlog.jp/search?q=%E5%AD%A6%E4%BD%8D

レスありがとうございます。

博士号はなにも絶対じゃありません。
ただ博士のないものは、気が向けば、博士をとったものともいざとなれば対等に議論できるように、大学院とは別のスタイルで学習したほうがいいです。
そのための労働環境を整備するために、学習用有給休暇やパソコン手当、
書物手当、調査・旅行手当等も給与と福祉の体系に組み込むことが必要かと存じます。
みなが高専にいけるわけじゃないですから。
ワーカホリック民族?にバカンスはなじまないなら、勤勉をたてまえに休暇をとるようにしてしまえばいい。
またそうしないと休めない職場で心身がこわれて薬づけにされている人を助ける意味も含めて。

たまたまわたしは宮台さんのお師匠さんの小室直樹の本など何冊か読んでいるため、憲法の初歩をおさえました。
また、ジャズ評論家として有名なナット・ヘントフのアメリカ憲法を論拠にしたテロ対策批判の書「消えいく自由」も手にしていたため、国際的にも憲法を守らねばとの思いを強くしました。
ですので、件のミニ政党の派遣村の都市失業者を田舎に移動させる政策に反対できました。
彼らはそれを政府がやれば、職業選択や移動の自由の観点から憲法違反になるおそれがあることを理解していません。
農業なら食えると彼らは言います。が、時給300円、休憩時間なし、トイレに行くだけで罰金等の違法職場があれば、
憲法的に見て行政(ハロー・ワーク)が奨めるわけにはいかないことも無視しています。

そのほか合コンの席に東大・早慶等をでた女性はいらないと誰かが言いだしたら女性まで賛同していました。
イリイチのシャドウ・ワークとジェンダーの話をしたら、
すべてを市場化・貨幣化しようとする金取り利権集団のご用学者扱いしたり、もうめちゃくちゃです。
一時は次期法皇とも言われたカソリックのエリートに向けて、すごい言いようです。
しかもそれらの議論をリードしているのは、司法書士とか薬剤師の資格持ちや、法律事務所の事務員や塾講師らです。日本の文化資本てこの程度とは思いたくないけれど。。。

最近、わたしも語学やって海外の論文博士取ろうかと思ったりして・・・。
学校も大学も嫌いなくせに博士だけは大事だとなぜか思っています。

低学歴の女性が高学歴(とはいえだいたいは博士ではないw)の特に男性の歪んだ認知と屈折したプライドのおもりをやりそこねるとストーカー化する輩もいますので。博士くらいあればすこしは違うかなと。
ただ大学院出て派遣をしている女性が「院卒のくせに」といじめられることもあるので難しい。

つい最近もミクスィの反在特会コミュでちょっと違う意見を言っただけで
「品位のかけらもない」「ギャーギャー女」「在日朝鮮人を差別してやまない日本民族優位主義者」等と、
学習院を出た旧華族家の男性とそのとりまきにたたかれたばかりです。。。
話がそれましたが、在特会はどうだろう、
国際的に見ても同じ拝外主義のデモでもあそこまでひどいやり口があるのでしょうか。

保守的な地域は憲法をが政府をしばることをまるで伝えないです。少なくとも学校ではそんなものです。
あの(わたしの田舎もふくむ)愚民政策・教育には耐えられません。

ワタリさまへ

> 「日本」がその国境も書き言葉もとりわけ近世・近代以降「作られた伝統」であることや、そこにオリエンタリズム的な美化による劣位の固定化もあること等も度外視して、安易な日本礼賛と外国人ぎらいのスピーチばかりです。

てまえみそですが、本当は拙稿における指摘の様に(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-125.html#comment3069)「京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」と礼賛される様な、一貫性のある保守派団体との対決になるべきなはずです、左派のたたかいは。ただ、右派が保守派ならぬ保身派にすぎず、みずからの正当化の根拠を、一貫性もなく節操もなくご都合主義的でブレまくりのテンスケや、冷泉家よりもあきらかに歴史のあさい「つくられた伝統」(ボブズボウム)にもとめているので、「日本」よりは民度のたかい国家(世界192ヵ国の多分半分くらい)では成り立たない右派との不毛なたたかいを、「日本」の左派は今後もせねばならないのでありましょう。

たかが博士、されど博士(笑)

ワタリさん

■以前かいたとおり、博士号取得論文の水準や意義は、ピンキリです(笑)。ニホンでも、工学系とかを中心に、「アシのウラのメシつぶ(とらないと 気分がすぐれない)」といったインフレ業界もありますが、すくなくとも、人文・社会系では、「博士が常識(最低ライン)」といったアカデミズムの制度化はなされておらず、政官財の「エリート」たちにとっては、「学士号よりうえをもっていない方がエリート」といった、過去の大英帝国みたいな美学さえあるようです(笑)。■したがって、博士号とは、法学士さまたちが、博士さまたちを審議会にならべて、「箔つけ」のためのダシに援用するためだけに活用される、あるいは、あやしげな健康食品の「効用」とやらに「プラシーボ効果」をあたえるための権威づけのようです。
■イバン・イリイチが、専門家支配を批判したとおり、博士号依存症は、アカデミズムの病根のひとつだとおもいますが、日本列島は、専門家支配の病理という近代の一段階にさえ達していないのです。近代初期の帝国大学の次元を、単にインフレさせただけなのが、政官財の人材輩出(「排出」?)なのですから、権威主義もなにもないのです。■その意味では、問題児をかかえているとはいえ、司法試験や医師国家試験は、かなりの専門性を証明するもので、かりにそこに予備校がからんでいても、大したものです(あくまで相対的な次元ですが)。橋下府知事ら、あやしい弁護士出身者がめだつにしてもです(笑)。

■一方、市民のがわは、毎年確実に蓄積されていく博士号取得者を、うまくつかいまわすすべを開発・蓄積すべきでしょうね。専門家は、弁護士・医師だけではなく、ほかの諸分野に膨大に人材としてプールされています。■市民が専門家と議論でかとうとしても、ケムにまかれたり、なかなかうまくいきません。独学には限界があります。立花隆らが、専門家をなめてはいけないと、クギをさすのは、一般論としては妥当であり、市民は、自分たちにみかたしてくれる専門家を、どうみつくろうか?たよりになる専門家をどのように みつけるか? ジョーン・ロビンソンがのべた警句のように、専門家にだまされないためには、どういった自衛策が可能かを、真剣にかんがえないといけません(「経済学を学ぶ目的は、経済学者にだまされないようにするためである」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3)。

■学位をとって自衛するのは、いいとおもいますが(ウェブ上でもとれる学位があるようです)、ディプロマミル周辺の詐欺商法にひっかからないよう、自衛する必要はありますね(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%9F%E3%83%AB)。



貝枝さん

>> 「日本」がその国境も書き言葉もとりわけ近世・近代以降「作られた伝統」であることや、そこにオリエンタリズム的な美化による劣位の固定化もあること等も度外視して、安易な日本礼賛と外国人ぎらいのスピーチばかりです。

> ただ、右派が保守派ならぬ保身派にすぎず、みずからの正当化の根拠を、一貫性もなく節操もなくご都合主義的でブレまくりのテンスケや、冷泉家よりもあきらかに歴史のあさい「つくられた伝統」(ボブズボウム)にもとめているので、「日本」よりは民度のたかい国家(世界192ヵ国の多分半分くらい)では成り立たない右派との不毛なたたかいを、「日本」の左派は今後もせねばならないのでありましょう。


■基本的に 同意します。この列島で、「伝統の創造」のタネあかしをくりかえせば、天皇制ばかりか、神前結婚式だの、夫婦別姓問題だの、ありとあらゆる「伝統」の根拠が崩壊するんで、中学高校段階では、完全な「密教」あつかいにしないとこまるわけです。
■ただ、残念ながら、中学高校の先生方の「学識」自体が 問題だらけで(大学のセンセも、大問題なのですが、相対的には、少々マシと)、「密教」の存在自体、ごぞんじないことが すくなくない(つまり、タテマエとして 生徒にあてがう「顕教」と、ふせるべき「密教」という、区別自体が不要なぐらい、後者について無知、というか、大学時代はもちろん、就職後も、しらずにすごす)。
■このまえなどは、ある集会にいた10名程度の小中高校の先生方全員が、「社会言語学」という学問分野を、領域はもちろん、呼称さえしらなかったことに、仰天させられました。その先生方はみな勉強家で、きまじめなかたがたばかりだったはずなのですが。■教頭・校長になって、退職金をたくさんほしいなどとねがっている「ヒラメ教員」などの素養は、おしてしるべしでしょう。

■なお、ギャラリーむけに ひとこと補足しておくなら、前川啓治・梶原景昭訳『創られた伝統』(紀伊國屋書店, 1992年)は、「ホブズボウム」とカタカナがきされていますが、“Eric John Ernest Hobsbawm”は、どうよんでも、日本語カタカナ転写は、「ホブズボーム」です(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%96%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0)。■検索エンジンが かしこくなれば、こういった過去の表記問題も解消するのかもしれませんが。

大事な問題をとりあげそこねているので、追記

●「差別に気づかないのは差別者本人だけ。 (平沼赳夫氏が蓮舫氏に向けたトリプル差別発言を例に)」(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1610.html


●「それはどう解釈しても差別です」(非国民通信)
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/c3590ef439982a5da5bf010d65fb2e8a

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E8%88%AB#.E3.82.A8.E3.83.94.E3.82.BD.E3.83.BC.E3.83.89


行政刷新会議が実施した事業仕分けを批判し、仕分け人の1人であった民主党の蓮舫議員が次世代スーパーコンピューター開発費について「世界一になる理由があるのか。2位では駄目なのか」と発言したことについては、「言った本人は元々日本人じゃない」「キャンペーンガールだった女性が帰化して日本の国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている。そんな政治でいいのか」と批判した[13]。平沼は発言の意図について、「テレビ受けするセンセーショナルな政治は駄目だということ。彼女は日本国籍を取っており人種差別ではない」と説明している[13]。ただ、蓮舫の父は台湾人(中華民国籍)だが、蓮舫の母は日本人である。日本の国籍法は「父母両統主義」を採用しているため、蓮舫は1985年以降日本国籍と中華民国籍との二重国籍者であった。国籍法上、満22歳までに多重国籍状態を解消しなければならないと定められており、蓮舫は18歳時に日本国籍だけを選択し中華民国籍を放棄している。したがって、蓮舫は「国籍選択」はしているが「帰化」は一度もしていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B2%BC%E8%B5%B3%E5%A4%AB#.E6.94.BF.E6.B2.BB.E7.9A.84.E4.B8.BB.E5.BC.B5

[13] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B2%BC%E8%B5%B3%E5%A4%AB#cite_note-mainichi20100117-12




基本的に合意したうえで捕捉します。

> ありとあらゆる「伝統」の根拠が崩壊するんで、中学高校段階では、完全な「密教」あつかいにしないとこまるわけです。

同意いただけてさいわいです。そのうえでつけくわえるなら、くりかえしになりますが、右派が「みずからの正当化の根拠を、一貫性もなく節操もなくご都合主義的でブレまくりのテンスケや、冷泉家よりもあきらかに歴史のあさい『つくられた伝統』(ボブズボウム)にもとめている」点も、単なる一般的な国家主義とは異質な「日本」国家主義であるという理由で再度強調にあたいするでしょう。テンノーという呼称自体が「大王(おおきみ)と呼ばれていた存在が天皇(すめらみこと)と称されるようになったのは、七世紀末、天武朝のときからだとされる」うえに、その呼称の成立過程たるや「中国の皇帝に対抗しようとする権威的呼称で、新羅などの王号よりは格が上だという意味が込められていた」(『現代日本氏総論』岩波書店・99ページ)のであり、天皇制支持者は自身のイデオロギーのあまりの無根拠ぶりゆえにヒミコ(卑弥呼)に関する記述さえも真摯に認知できない[注]往生際のわるさを露呈しているのですから(この点については『Q&A 知っておきたい天皇のいま・むかし』(学習の友社・147~8ページ参照))。
なお、ついでにいうなら、「日本」語とテンノーの両立は無理であろうむねのべておきます。「日本」語という実態がないのはもとより、それでもまだしも「日本」的と感じる音があるとすれば、それらはまず例外なく本質的に和語であるからです。ぶっちゃけ、漢語に由来する音である「テンノー」はオーキミという音とはちがい、本質的に「日本」語の音素配列と齟齬をきたすのです。

> 10名程度の小中高校の先生方全員が、「社会言語学」という学問分野を、領域はもちろん、呼称さえしらなかったことに、仰天させられました。

いや、この点は無理もないんじゃないかとおもいます。つーか、その水準に仰天するなら、漢字かなまじり表記がよめさえすれば『「野蛮」の発見』(講談社現代新書)を理解できるはず、とした貝枝の期待の方がまだしも妥当な気がします。というのも、「人種」概念は日本国憲法14条1項(http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/kenpo14-1.htm)という「顕教」にでも言及されているのですから。それに対して、そもそも「社会言語学」という概念は、「密教」のなかのどのくらいの発行部数の文献において言及されているのか、と不安におもいます。要するに「人種」概念にくらべてはるかに認知がひくいのは、現状を前提とするかぎりは無理もないことだとおもうのです、残念ではありますが。

[注]認知するとヒミコよりも天皇制の方が歴史があさいことをも認知するはめになるから。
なお、ヒミコについては以下のページ参照。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%89%E3%82%B0%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93

あ、まちがえた。ただしくは以下のページです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC

さらに捕捉

> もっとも、「優美な華道や茶道ではなく和服のきこなしもみごとな京都の冷泉家」の方がテンスケ(天皇)よりは手ごわい権威であるという側面もあるとはおもいます。なにしろそれらの権威は無節操な言動だらけのテンスケよりは一貫性はあるでしょうから。

という書き込みも本ブログにあるように(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-640.htmlの2010/01/15 10:07)、ブレない保守派はテンスケよりも中長期的には求心力をもちそうな懸念が貝枝にはあります。
たしかに、先日参加した先住民族のひとをふくむ権利回復のための集会では、人権の回復をうったえていて、先住民族の文化がふるいかどうかを論じるという本質主義的な心性を批判していましたが、そしてそれ自体はただしい批判ですが、被抑圧者の人権回復も運動である以上は一定程度の長期にわたるエネルギー源を必要とする面もあるとおもわれます、戦略・戦術上。だとすると、理論的にはもちろん人権侵害の一点で共闘はできるはずですが、動機をつよくたもちつづける必要があるとしたら、たとえば「アイヌ民族の文化が13世紀のサツモン文化に起源をもつとしても冷泉家の文化の方がそれより約200年くらいふるい」という主張によってアイヌ民族をふくむ被抑圧者の運動が支配者階級の文化のふるさに気おされる危険性もある様な気がするのです。ですので、原理的にただしい主張すなわち「ふるいかどうかではなく人権上の問題」という主張と、戦略・戦術上は必要度がたかそうな「われわれの文化はふるい」というキャッチコピーとの適宜のつかいわけにより闘争を継続していく柔軟性が必要とされるものとおもわれる。

>貝枝さん

わたしは右でも左でもありません。
ただ脱学校者として関心に応じて読書するうちに、たとえば「伝統の創出」「想像の共同体」
「ライティング・カルチャー」「オリエンタリズム」といった概念になじむようになっただけです。
で、件のミニ政党の人たちが四大卒だったりホワイトカラー仕事についているのになぜそうした話が通じないのか、
そのため日本を守るために外国人参政権絶対反対!になるのか、分からないです。
本を読む行為じたいが不思議なものだと彼らは(なぜか男性ばっかり)感じたことがないのでしょうか?
まぁ、学歴や資格のイメージと実体は別なのでしょう。

>ハラナさん

いろいろとていねいなレスありがとうございます。
博士ほか資格も絶対じゃないですよね。

ディプロマミルには気をつけます。学歴資格も安い買いものじゃないので。

話題に出したミニ政党は保守からの農本主義ファシズムを唱えています。しかし、日雇い派遣については一定の理解があるため接触をもちました。そこは外国人参政権に反対していますが、在特会には戸惑っているようですね。
わたしなど保守や右翼の本性を丸出しにしたら在特会になるとしか思えないのですが。
また日本の移民難民受け入れ数の極端な少なさ、かつて日本も移民を送り出した国だということも忘れてただ感情的に反対していますね。
こうした人たちの大半が四大卒だということを見るに、お師匠さんの出来も疑ってしまいます。
「不登校」についても大学教員はうそばかり言っていますし。

あと「伝統の創出」とか「ライティング・カルチャー」とか中高生くらいの段階でも教えてもいい、
ただし学校教育の外で、それが選抜に使われない範囲でならと思います。

ワタリさん

お返事ありがとうございます。
おっしゃる内容に大変共感いたします。

> 四大卒だったりホワイトカラー仕事についているのになぜそうした話が通じないのか、そのため日本を守るために外国人参政権絶対反対!になるのか、分からないです。

とのことで、この点はわたしもよくわかりません。学問に真摯にむかいあえば、必然的にすなわち不可避に普遍的な価値観すなわち人権にむかわざるをえないはずです。本ブログで何度も礼賛している『国家主義を超える』(講談社)の分析の様に、「日本」とよばれるものの一貫性をみすえていけば、中身のないうつろな幻想だったという結論以外にありえないのです。もし幻想以上のものがあるのなら、国家主義者の言論のなかに『国家主義を超える』での立論に対する反駁になっているものが何か一つはあるはずですが、文字通り一つもない。貝枝が情報弱者だから知らないだけ、などということはありますまい。保守論壇におけるやりとり(議論などとよべるほどの次元じゃありません)をも読んでいるのですから(http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090706/1246842711)。
その様な現実があり、右派はなにも内容のない空疎な駄文をタレながす。ありもしない「日本」なる幻影のうえにつぎつぎと論をかさねても、そもそも土台となるべき「日本」という実態が存在しないのですから、意味のある発言などひとつもでてくるわけがないのです。問題は、「日本」がどれだけうつろな存在であるかとくりかえし言っても絶対に聞き入れるわけでも、ましてや説得力のある反論をできるわけでもない人間つまり根本的に論理性もなくて「知性・知識が不在」である人間が権力を握り続けていられる現実だけが延々とつづいている。そんな事実を相手に、暴力をつかうことをよしとせず理性や知識や言論でしか対抗しないことをむねとする人間であるのなら、絶望感しかいだけない、と。
なんだかとりとめのない文章ですみません。

おふたり あわせて

ワタリさん

> そこは外国人参政権に反対していますが、在特会には戸惑っているようですね。
> わたしなど保守や右翼の本性を丸出しにしたら在特会になるとしか思えないのですが。
> また日本の移民難民受け入れ数の極端な少なさ、かつて日本も移民を送り出した国だということも忘れてただ感情的に反対していますね。
> こうした人たちの大半が四大卒だということを見るに、お師匠さんの出来も疑ってしまいます。


■4年制大学卒だとか、政党関係者だといった層も、大半は、素養不足でその自覚もないゴーマンな存在です。たくさんの日系ブラジル人や日系アメリカ人の存在自体が、過去の移民政策の産物だといった認識につながらない。歴史を勉強せずに、「伝統」を平気でかたる。夫婦別姓問題への感情的反発も同様。■かたるにおちるで、感情的非難をくりかえすほど、無教養・不勉強が露呈する。しかし自覚はなく、リベラルや左派をなじるばかり。厚顔無恥ほど無敵はありません。


> 「伝統の創出」とか「ライティング・カルチャー」とか中高生くらいの段階でも教えてもいい、
> ただし学校教育の外で、それが選抜に使われない範囲でなら


■近代国民国家の「秘部」をかくす「密教」ですんで、やれるでしょうか? ■選抜につかわれると、たとえば、大学入試→予備校や高校の授業展開…といったかたちで、いい方にむかうかもしれません。「副作用」はでそうですが、それも無知よりは、格段にマシになりそうです。


貝枝さん
>> 四大卒だったりホワイトカラー仕事についているのになぜそうした話が通じないのか、そのため日本を守るために外国人参政権絶対反対!になるのか、分からないです。

> とのことで、この点はわたしもよくわかりません。学問に真摯にむかいあえば、必然的にすなわち不可避に普遍的な価値観すなわち人権にむかわざるをえないはずです。


■いや、大学は小中高校と同様、科学的認識・感覚を育成する組織のようなフリをしてきましたが(すくなくとも、専門学校的な「実学」指向の学部以外は)、実際には、「影の学問」(ダグラス・ラミス)をすりこんで、専門家支配にくみふせられる権威主義者を大量生産する装置でしかなかったことは、あきらかでしょう。■そうでなかったら、経済学は公務員試験対策としてしか勉強したことがない法学士、という学歴どまりの連中が、財政をしきるテクノクラートとして、のさばり、エリートであるはずの技官たちを支配してきた、近代日本の政治体質が説明つきません。■この日本列島というのは、病理としての専門家支配以前の水準にとどまる、呪術空間にとどまっているのです。そうかんがえれば、安全神話をうたがうことのない、原発行政だって充分理解できます。法務官僚 >> 技官 >> 政治家 >> 一般市民 という権威主義序列の帝国なのですから。
■世界の条約の水準はもちろん、歴史(かれらのいう「自国史」さえ)をしらないままでの、移民観だとか、かれらに、知性とデータにもとづいた議論を期待する方がまちがっているのであって、無知+無恥のハレンチ集団をどう覚醒・反省させるかの具体的戦略・戦術がもとめられているといえそうです。

●日記内「知性 民度」関連記事
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