プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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優先順位/存在証明/自己実現/自己満足5

■非営利をよそおった詐欺行為には、20代なかばの青年たちの人生をおおきくくるわせる法科大学院みたいな、国家的な悪質詐欺もあるが、これらは、「法律家というエリートへのパスポートですよ」みたいに、受験者・入学者の経済的利害につけこんでいるから、「欲に目がくらんだ」系の要素が0ではないので、ここではおく。■やはり、非営利的組織をつらぬく「魅力」としては、立身出世みたいな欲得とは別個の次元の社会貢献とか、自分自身の変革とかいった動機がおおきいとおもう。
■その意味で着目したいのは、やはり「自己実現」というマジック・ワード(笑)。■実は、この「自己実現」イメージについては、20年以上もまえに心理学者が「くたばれ「自己実現」!」という痛烈な批判をかいている〔岸田秀『不惑の雑考』所収〕。■初出は1985年の新聞記事らしいが、四半世紀たっても ふるびそうにないので、主要部分(ほとんど大半)を うちこんでおく。岸田先生ごめんなさい。【リンクは、ハラナがかってに追加】

 わたしがかねがねうさんくさいと思っているものの一つに「真の自己」というのがある。この言葉はカウンセリングなどで、誘惑的なコマーシャルのように乱用されている。拙著『幻想の未来』のなかでも述べたことだが、この「真の自己」の思想というのは、要するに、患者が神経症の症状や葛藤に悩んでいるのは「真の自己」を見失い、「偽りの自己」のなかに逃げ込んでいるからであって、「真の自己」を見出し、「自己実現」を達成すれば、すべてはうまくいくという思想である。  しかし、わたしに言わせれば、この思想こそが逃避であり、自己欺瞞である。この思想がコマーシャルとして誘惑的なのは、患者(別に患者ばかりでなく、普通の正常人も場合も同じだが)が現在もっているいろいろな劣等な面、醜い面などを「偽りの自己」の表われだと言ってくれるからである。そういう表層の部分を突き破ったどこか心の奥底のほうに「真の自己」が隠されており、それは、自由で自発的で自然な声明エネルギーの流れであったり、心やさしく美しい人間性であったり、優れた独創的才能であったり、妨げられることのない豊かな性的能力であったりする。
 ありふれたただの人(わたしをはじめとして、ほとんどの人はそうだが)に、「君のなかには天才的才能が埋もれている」と言えば、誰だって喜ぶ。その上、この思想は、これまで「真の自己」が埋もれたままになっているのは、親の育て方が間違っていたからだとか、社会が不当な抑圧を強いているからだとか、すべて他人のせいにしてくれる。この思想を信じた人は、実に気楽で希望に満ちた状況におかれる。
 しかし、「真の自己」を見出し、実現しさえすればすべてはうまくゆくという希望は、先祖がどこかに金銀財宝を隠してくれており、それを堀さえ出しさえすれば、今の貧乏生活から解放され、すべてはうまくゆくという希望と同じようなものである。この人がどこかに埋蔵されているはずの金銀財宝を見つけようとして多大の費用を使い、しかも、他の仕事はいっさいしないので収入がなく、貧乏生活から解放されるどころか、ますます貧乏になってゆくように、この思想を信じた人は、劣等な面、醜い面をも含めたところの現実の自分を引き受けず、症状や葛藤を対決せず、どこにもありはしない「真の自己」を求めることだけでむなしく一生を過ごしてしまうということになる。
 実際、現実の自分の現在の姿が「偽り」で、どこか深層とやらに埋もれているはずの自分が「真」であるというのはおかしな思想である。しかし、おかしいとは言っても、この思想もそれなりの歴史的背景をもっている。ここでそれをくわしく述べるうゆとりはないが、ごく簡単に言えば、西欧近代において神が死んだことと関係がある。神が存在していれば、宇宙の秩序ひいては社会の秩序も、個人の自我の秩序も絶対普遍の神が支配しており、そのあいだに原理的対立はないが、神が死んだとなれば、社会を支え、かつ個人を支える共通の原理がなくなり、社会と個人、そして個人と個人は解決不可能な対立にさらされることになった。それでは困るので西欧人はそのあと理性とか国家とか神の代替物を次から次へと求めてゆくことになったのだが、「真の自己」も神の代替物の一つであり、神のように個人の外側に存在し、個人を超越しているのではなく、個人に内在しているとされるという点において、ますます個人の内面に価値をおき、ますますナルシスティックになってゆく近代人、現代人の願望とピッタリ一致している。【中略】
 「真の自己」を実現した個人は、自己を失ってただひたすら社会的規範に盲従する個人でもなく、おのれのエゴイズムの満足だけを求めて社会と対立し、孤立する個人でもなく、自己を生かすと同時に普遍的価値をも実現する個人である。つまり、この思想は、近代個人主義がもたらした個人と個人、個人と社会の不可避な対立と矛盾を一挙に解決する大変便利な思想なのである。
 この思想は19世紀の西欧においてローマン主義として現われ、たとえばドイツの教養小説などを生み出したが、今世紀になって、フロイドにはじまる精神分析、心理療法がさかんになるにつれ、精神分析理論などの形を取って現われるようになった。
 フロイドはこの思想になじまなかったが、彼の弟子のユングライヒ、フロイド左派と称されるフロムホルナイ、さらにはアメリカのクライアント中心療法交流分析エンカウンター・グループなどを貫いているのはこの思想であり、現在のわが国の心理療法カウンセリングなどにおいてもこの思想が支配的である。
 もちろんわたしも、外に表われている個人の現実の姿以外にその個人の可能性がないと言っているのではない。しかし、そういう可能性が個人の「深層」に抑圧されているとすれば、それは彼が認めれば不安に襲われるような可能性だからであり、「真の自己」のような都合のいいものではない。
「真の自己」の思想にもとづく心理療法カウンセリングは、患者に甘い夢を与えてそこへ逃避させ、現実には患者をますますみじめにすることにしかならないのである。「自己実現」を説くカウンセラーなどには用心したほうがよい。
                 (朝日新聞60・5・7)

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■おそらく新聞の夕刊あたりに寄稿した文章だとおもうが、おそべき密度をもった論考だとおもう。注記をちゃんとつけたら、一本の思想史の論文になるとおもう。■唯一「タマにキズ」があるとしたら、ニーチェがみぬいた「神の死去」という基本的にキリスト教社会独自の思想史的課題が、なにゆえ、一神教の伝統とは無縁な(現在も、住民の1%程度しか一神教に帰依していない)列島にまで、この動揺が感染したかが、全然あきらかになっていない点だ。
■ともあれ、個人主義的価値観が近代合理主義という理念とともに輸入され、その深刻な影響のもと、戦後日本の住民がいきていることに まちがいないし、神が死んでいないイスラム圏などの住民と全然異質な思想的混乱が生じていることを直視すべきだろう。その意味では、20数年前のこの指摘は、いまなおひかりかがやいている。かずかずの 心理療法の関係者は、不満があるなら、「患者を自己欺瞞へと逃避させていない」といえる合理的論拠を、データとともに提出する責務がある。できないのなら、その療法の非科学性を謙虚にみとめて、方針転換するほかあるまい。
■もちろん、「いささか詐欺的であろうと、患者の心理的苦痛をへらすためには、欺瞞があろうと、自我体制の再編成のための『物語』が不可欠なのであって、すくなくとも『別の自己』が実在するとさとすのは、臨床実践上有意義なのだ」という、ひらきなおり=合理化も可能だろう。■しかし、そういった時点で、それが科学ではない 疑似科学的な対症療法にすぎず、まったく別種の立論の方向性もありえるということを、みとめたも同然ではないか?■すくなくとも、抑圧された記憶・イメージが、当人が意識したくない本質をかかえており、それを「真の自己」などとしてあらわにすることで、自我体制の矛盾やら、個人間の衝突・対立、個人と社会の摩擦などが一挙に解消されるかのような「物語」は、完全な詐欺だろう。仏教がとく、解脱のような、有害無益なこだわりの放棄=解放とは、全然別種なのだから。■そして、これら広義の心理療法にくわえて、自己啓発セミナーのたぐいが、基本的に詐欺的な洗脳系ないしマインドコントロール系のトリックをかかえこんでいる悪質なものであることも、わすれてはなるまい。■もちろん、基本的に善意でおこなわれる広義の心理療法のグループと、隠ぺいされた支配・収奪装置としての「セミナー」のたぐい(明確に悪意がみてとれる)とは、マイルドな教団とカルト教団程度の質的差異はあるだろう。■しかし、当人にとって有益とはいえない、いつわりの物語の提供によって 逃避を助長する、ないしは はどめのきなかい暴走へといざなうという意味では、「被害者」のゆくすえに大差ないようにもおもえる。両者とも、広義の「催眠業界」とでも分類すべきではないか?【つづく】
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