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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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初等教育でもマスプロ授業を自明視してきた近代日本

<文科省>小中学校の40人学級見直しへ 30年ぶり
1月14日20時11分配信 毎日新聞
 文部科学省は14日、1学級40人としている公立小中学校の学級編成基準の見直しに向けた準備作業に着手したことを明らかにした。早ければ11年の通常国会に関連法案を提出し、数年かけて新基準に基づく少人数学級の実現を目指す。見直しは80年以来約30年ぶり。

 適正な学級規模などについて、全国の教育団体や有識者らから意見聴取する場を来月以降設け、インターネットなどで国民からも意見を募集する。少人数化には教員増に伴う予算措置も必要になるため、11年度予算の概算要求時期となる8月末までに一定の結論を出すことにしている。

 1958年制定の「義務教育標準法」で1学級当たり50人が「標準」とされた後、64年に45人、80年には40人と段階的に引き下げられた。01年度からは都道府県教育委員会の裁量で弾力的な学級編成が可能になり、東京都以外の道府県は何らかの形で40人以下学級を編成しているが、大半は小学校低学年など一部にとどまっている。

 民主党は政権交代前から「少人数学級の実現」を掲げており、鈴木寛副文科相は同日の会見で「教育現場は複雑な問題を抱えており、きめ細かな少人数指導の必要性を再三強調してきた。概算要求までに一定の結論を得たい」と述べた。【井上俊樹】

【関連ニュース】
<写真と図表で詳しく解説>超少子化を乗り切る 70年以内に日本の人口半減か
<勝間和代のクロストーク>小中学校、25人学級に
<教育転換:政権交代の波>少人数学級 教員増、人件費ネック
<ニュースなことば>少人数学級
<習熟度別授業>小中学校で急増 「学力低下」背景に…反対意見も根強く
最終更新:1月14日22時9分

Yahoo!ニュース関連記事
「40人学級」見直し 少人数教育へ上限下げ 30年ぶり(産経新聞) 1月15日 7時56分
<文科省>小中学校の40人学級見直しへ 30年ぶり(毎日新聞) 1月14日20時11分
「40人学級」見直しへ=小中の標準引き下げ議論-文科省(時事通信) 1月14日19時25分
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テーマ : 小学校 - ジャンル : 学校・教育

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コメント

わたしの場合

小学校3年生の時は1クラス27人。6年生になったときにようやじゅ41人でした。(越境入学して電車通学の子が増えたから)
教師は国語教育に熱心な人で、毎週作文を書かせそれをプリントして配った。自分や友だちの作文が教材だった。少人数学級だからこそできると、その教師は、見学に来るよその学校の教師に向けた資料で書いていました。(それも子どもたちにも配った)
以上は、「あたしの受けた教育はいい。今の教育はなってない」型のオヤジ言説にも通じるのですが、ともかく少人数のほうが行き届いた教育ができる可能性は高まると思う。
こどもVS教師、という力関係でいって、大人数だと子どものほうが強くなってしめしがつかなくなる、って言うと保守派も納得したりして。

直感ですが

> こどもVS教師、という力関係でいって、大人数だと子どものほうが強くなってしめしがつかなくなる、って言うと保守派も納得したりして。

それは非常にありそうな気がします。単なる直感ですが。
児童や生徒および学生には越権行為をおこない、真にたたかうべき敵(独占資本や米帝国およびテンスケ(天皇))にはオベンチャラをつかう。でもって、市役所の職員などの視察の場合は敵視し、さらに組合も軽蔑する。
よわいひとたちは唾棄し、つよいひとたちには妥協するのが保守派(正確には保身派)の唯一の一貫性ですから、教育労働者も例外ではないでしょう。

なぜ大人数教育志向なのか分かりません。
中流以上だと少人数または個別指導の塾または家庭教師も使えますが、貧乏ならそうもいかず密室につめこまれて受験技術も理解できず、ストレスや不安・不満から暴れないように軍隊式の管理をやられる。近年では「問題児」をカウンセリングのまたは検査・薬づけにする傾向もあります。
なぜ少人数やマンツーマン指導の塾や習い事が人気があるし、経験的に言っても学習面でも人間関係面でも良好なのか文科省は理解できないわけもないでしょう。
そのように予算が足らないというのなら、一斉収容管理方式をあらためてはどうかとも思いますね。

究極的には社会全体の民度の問題

> なぜ大人数教育志向なのか分かりません。

究極的には社会全体の民度の問題にいきつくのでしょう。事業しわけだのいっても、軍事費や皇室関連の費用にはきりこんでいないでしょう?そうした現象と弱者(子どもであれ女性であれ末端の労働者であれ)をかえりみない態度とは不可分のはずです。「一斉収容管理方式をあらためてはどうかとも思いますね。」という点はわたしも同感ですし、一部のフリースクールとか革新的なこころみもあるとおもいます。ただ、そうしたうごきが一部のひとの善意によっていて社会の過半数までが同調しているわけではなく、ウヨクはいつもありもしない「外敵」や問題とは無関係な組合などの批判ばかりしているわけで、そうした有害無益な「犯人さがし」が一向に減ったという実感がわかないのはわたし貝枝が情報弱者だからしらないわけではなく、実際に減っていないからなのではないでしょうか?そうした民度のひくさ全般の影響の一例として、人権の観点からみて必要なところ(教育や福祉や環境など)には税金をあてず、人権の観点からみて不要あるいは有害な軍事費や皇室には税金をあてる、という状況が生じているのでしょう。

みなさま

■リンクと彩色のみの、貧相な記事にようこそ。

kuronekoさま
■Wallerstein氏は、生業たる現場での経験則を、つぎのように、整理されています。
http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20080214/1202951938
塾での習熟度別クラスを組む場合の理想的な形態は、上のクラスは人数多めで、下のクラスは少なめだ。つまり上のクラスほど予算的には冷遇されることとなる。実際には成績により割り振られるので、必ずしもその通りになるわけではないが。

上位クラスが少ないと活気がない。何となく落ち着いてしまい、のんびりした雰囲気になる。だから大人数、それこそ「40人、50人でも授業は可能」であるどころか、その方が望ましいのだ。そこで臆するような生徒は下位クラスに行くことになる。逆に下位クラスでは多人数では目が行き届かない。黒板であっさり解説されてもわからない。下位クラスこそ「少人数で手取り足取り教えることも必要」なのだ。


■大衆社会における「だしぬき」行為を正当化していいとはおもいませんが、「できる子」ほど 多数のなかで切磋琢磨させるのが得策だし、学習障害もふくめて、「できない子」ほど、てまひまかけるのがオトナの責務というものだとおもいます。


ワタリさま
■一方、パターナリスティックな方向で暴走すれば、「「問題児」をカウンセリングのまたは検査・薬づけにする傾向」といった、おぞましい事態も、たくさんうもれているのでしょう。「カッコーの巣の上で」の世界ですね(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%B7%A3%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%A7)。■一方、「一斉収容管理方式をあらためてはどうか」という正論ですが、集団無責任体制になりそうな危惧もでますね。やはり、公文などがやっている、寺子屋方式が、現実的なんじゃないでしょうか? 公文式のドリルが いいかどうかは、ともかくとして。


貝枝さま
■数百人の「聴衆」をどうにか「制圧」する大学のセンセたちはともかく、数十人の児童・生徒をコントロールするというのは、ことの是非はともかく、かなりの技量が必要なはず。ふざけるのが、行動原理であって、「いい子」は、周囲との比較という「空気解読」時間限定なんですからね。■したがって、サディズムもふくめて、大教室化にちかづくほど「授業崩壊」リスクは確実にたかまるとおもいます。■武道とか球技による「指導」「教育」を得意とする右派・保守派(橋本龍太郎・森田健作…)などは、人数によって幾何級数的にリスクが急増することを経験的にしっているのではないかとおもいます。■こうかんがえると、たしかに保守派・右派が、権威主義をよしとするのに、少人数教育に消極的なのはフシギですね。まあ、単に財政当局にクビねっこつかまれた文教官僚に「財政基盤」をいいふくめられているだけでしょうが。

■ちなみに、ハラナは10年ほどまえぐらいまで、家庭教師稼業でくいつないでおり、富裕層の階級的再生産に加担していたという罪業をそそぐべく、がんばろうとおもっています。■まあ、富裕層は、Wallerstein氏ののべる、切磋琢磨空間としての進学塾と、マンツーマン教育たる家庭教師をくみあわせるという、万全の態勢をとるのですね。つまり、現実問題として、おなじゲーム解析能力があったばあい、貧富の差は歴然とでてしまいます。■もう、ウン十年まえですが、「教育大附属駒場」だの「灘」だのといった過去問がちりばめられた受験問題集を、いなかであたがわれたハラナは、仰天したものです。「こんな難問を時間中にといてしまう受験生が同年代にいるんだ…」と。
■いまからふりかえると、そういったゲーム解析能力は「天分」と「トレーニング」の積算だとわかりますし、「天分」としてあてがわれた知性も、オトナになるにつれて、ドンドンにぶって、ロクなはたらきをしないことは、鳩山総理の弟君など、もと超秀才の末路でよくわかりますんで、劣等感などはおぼえないぐらい、ずうずうしくなれましたが(笑)。
■松岡子規は、出世主義のもと帝国大学に進学したものの、エリートたちの俗物性にあてられて、すっかり幻滅。解答がさだまっていパズルときには有能でも、世間の解答が不明な難題にとりくむには、試験秀才は所詮、シミュレーション内部の住民だと、みぬいたようです。まあ、必死になれば試験で1番になるのは、簡単だ…等々の放言は、子規の挫折感のカムフラージュでしょうが。■学校文化は、所詮「教習所」の内部という「想定内」課題だけの世界です。「想定外」のことだらけの現実に即応するちからは、お受験等では、みにつきません。そして、そんなことは、選抜試験では、くみこめないのです。
■しかし、受験競争とは、「イスとりゲーム」であり、そこからこぼれた層に、「あすがない」ことも また冷厳な現実です。■なので、義務教育段階での、教室規模は、存外重大です。理解されていませんけど。

ご指摘の点(の一部)について

> しかし、受験競争とは、「イスとりゲーム」であり、そこからこぼれた層に、「あすがない」ことも また冷厳な現実です。

でしたらら、やはり学歴に応じて金利に変化をつける「学歴金融」を公共政策として導入すべきではありますまいか?

語気もとい誤記を定性もとい訂正します。

× でしたらら、
○ でしたら、

競争振興もとい信仰

乱暴な言い方ですけど、学校の勉強に向いてて好きな生徒は、ほっといても勉強するのだから、あんまり手をかけず、苦手な生徒に対して、教え方のうまいプロフェッショナルが時間をかけて教えるほうが、社会の資源配分からいって合理的だと思うんだけど、「少数精鋭のエリート教育」って言葉が好きなんですよね。一般の人も保守派も。
また、「エリート」と「学力底位」の差が広がっても、それは自由競争として当然だ、みたいに思う人が多い。だって受験の競争と企業のコストダウンなどの競争と、全然違うじゃないねえ。自由経済社会のコンペティションが最適資源配分をもたらしたり、その競争者の活力を高めたとしても、受験競争が全ての生徒の意欲を高めたり、社会全体を効率化、最適化なんかしない。

パレート最適化という概念によれば

> 社会全体を効率化、最適化なんかしない。

「だれかの利益を減少させることなく他のひとの利益を増加させることはできない」状態をパレート最適とよぶそうで、その意味での「最適な」状態は複数あるとのことです、某経済学者いわく。それゆえ、複数あるそれらパレート最適な状態のうち、もっともよわい立場のひとを最重視した意味でのパレート最適な状態しか断固みとめない、さらにいうなら、社会をパレート最適な状態よりも非効率にしてでも、もっともよわい立場のひとを支援しなければならない、という価値観にどれだけ固執できるか、そうした人権意識こそがとわれているのだとおもいます。

もし受験に勝っても労働市場が変わらなければ、学歴はあってもブラック企業づとめとか、
新卒採用を逃せば後はかなり長い間職なしとかいう状態になるでしょう。
しかも奨学金という負債をかかえて。

教育コストをだれがせおい、教育投資をどう分配するか

■当方は、教育経済学や財政学の専門家ではないので、印象論しか展開できませんが、旧ブログ「財源の配分原理からかんがえる教育政策」(http://tactac.dreamlog.jp/archives/51655969.html)でもかいたとおり、「①「ひろく、うすく」原則を貫徹する、②エリートに重点配分する、③障碍者など広義の弱者に重点配分する、という3類型」のどれによるのか、どれとどれを、どの程度でくみあわせるかにつきるのだとおもいます。奨学金を貸与にするのか、利子をつけるのか、「出世ばらい」をみとめるのか、課税とからめるのか…。

■以前のコメント(http://harana.blog21.fc2.com/?no=77)への おこたえ(http://harana.blog21.fc2.com/?no=77 http://harana.blog21.fc2.com/?mode=edit&rno=1957)で のべたとおり、「「専門学校卒業以上」というグラデーションのバラつき加減が尋常じゃないでしょ…。バブリーな資産家・外資系層を除外するにしても、年収200~2000万ぐらいのバラつきが ロコツにでそうで、とても「一枚いわ」には、みえません。■「高等学校以下」のバラつきも、高卒以上(専門学校中退など)と、中卒・高校中退除籍系とで、かなりありそうですが、年収0~300万ぐらいとみると、もともとの所得水準がひくいだろうから、内部格差がケタちがいには でないでしょう。
■特にですね、4年制大学以上の学歴を「一枚いわ」にみなせない、って点が、ものすごいとおもいます。たとえば、「氷河期世代」などは、それが劇的に人生をわけているんじゃないかと、推測していますが。■ムリして、首都圏の大学に仕送りつきで進学したのに、派遣社員でムリして、カラダこわした、系の層が、たくさんいそうで、とても課税にふさわしいとはおもえません
」。

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