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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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山口彊さん死去:二重被爆者93歳 非核・平和訴え(毎日)ほか

■旧ブログ「長崎 原爆」関連記事などの続報。

山口彊さん死去:二重被爆者93歳 非核・平和訴え

山口彊さん
山口彊さん=長崎市内で2009年4月30日、
山下恭二撮影


 広島、長崎それぞれで直接被爆し、「二重被爆者」として初の公式認定を受けた山口彊(やまぐち・つとむ)さん(長崎市在住)が4日午前5時38分、胃がんのため長崎市の病院で死去した。93歳だった。密葬は近親者で済ませた。

 三菱重工業長崎造船所の設計技師だった山口さんは1945年8月6日、出張先の広島市(爆心地から3キロ地点)で被爆。列車で8日に長崎へ戻り、9日には再び爆心地から3キロ地点で被爆した。2回の被爆で左耳の聴力を失い、急性白血病白内障などの原爆後遺症にも苦しめられた。

 非核や平和の思いを伝えようと、02年には短歌集「人間筏(にんげんいかだ)」を自費出版。05年、生後6カ月で被爆した次男をがんのため59歳で亡くしたことをきっかけに、それまで以上に積極的に被爆体験を語り始めた。06年8月には、米ニューヨークの国連本部を訪れ、自身が出演した記録映画「二重被爆」を上映し、核兵器廃絶をアピール。09年3月、長崎市から広島での被爆事実の認定を受けた。

 二重被爆者については、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が05年、被爆者の体験記約10万点と死没者約1万7000人を調べ、広島、長崎の両方で直接被爆した記録が9件見つかったが、確定はしていない。【阿部弘賢】

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毎日新聞 2010年1月6日 2時30分(最終更新 1月6日 2時30分)

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■きっかけが なんであろうと、被爆者自身による反原発運動=平和運動は、とおとい。
■しかし、二度の被爆という偶然ともいえる不運をもって、象徴化するのは、ちょっとまずかろう。
■山口さんが二度被爆した理由は、米国政府がウラン原爆プルトニウム原爆という二種類の新型爆弾の威力を人体実験をもっておこないたがっていたという、国際戦略の産物だけではない。■山口さんが、軍需関連の技術者として、戦争末期の日本軍のわるあがきに動員され、軍都長崎に家族とすみ、また軍都広島に出張したという理由なしには、おきえなかった「偶然」なのだ(ほかの二重被爆者についても、なんらかの「偶然」があるはずだ)。

なぜ原爆は2度落とされたのか 「二重被爆」国連で上映
asahi.com 2006年08月04日

 広島、長崎の双方で被爆した人たちに焦点を当て、なぜ2度も原爆は投下されたのかと問いかける日本のドキュメンタリー映画「二重被爆」が3日、ニューヨークの国連本部で上映された。二重被爆者の山口彊(つとむ)さん(90)が長崎市から駆けつけ、「日本では二度あることは三度あるというが、三度目はあってはならない。核兵器廃絶のため、みなさんの力が必要です。私も命の限り訴え続ける」と、会場の国連職員らに訴えた。

 今年完成した約1時間の映画は、山口さんへの聞き取りを中心に進む。造船技師だった山口さんは61年前の8月6日、出張中の広島で被爆して大けがをし、生まれて間もない長男と妻の元にという一心で長崎に戻った翌日の9日、再度被爆した。短歌をたしなむ山口さんが、広島の太田川を埋めて流れる遺体を「人間筏(いかだ)」と表現した同名の短歌集の作品などが、英語の字幕で紹介された。

 映画の中で、二重被爆を知ったフランスの学生が「ヒロシマ、ナガサキは一つの出来事ととらえてきたが、二重被爆はなぜ2度目の原爆が必要だったかを考えさせる」と話す。 山口さんは今回、初めて旅券を手にして訪米したという。「ここで死んでもいいと決意して来た」と話した。

    ◇

 「二重被爆」は6日午後1時と3時の2回、東京都中央区築地5丁目の浜離宮朝日ホール小ホールで上映され、映画制作に協力した星野仙一さんと主題歌も歌う歌手の加藤登紀子さんのトークセッションもある。



山口 彊さん(89)=長崎市布巻町= 二重被爆


 ◆ 「それでも生きている」

 顔と両腕を包帯でぐるぐる巻きにして出張先の広島から戻った姿に、造船所の同僚たちは目を丸くした。

 「ものすごい熱と爆風で、建物は残らず倒れて焼けた」「人がそこら中で死んでいる」「窓は開けておいた方がいい、ガラスが割れて飛んでくるんだ」―。三日前の惨状を懸命に説明した。

 だが、上司の一人は「広島のような大きな街がたった一発で壊滅するはずがない」と、信じない。

 反論しようとした瞬間、閃光(せんこう)が事務所を包んだ。あの爆弾だ―。反射的に机の下に飛び込んだ。爆発音に続いて爆風が室内を駆け抜けた。

 散乱した机やいすをかき分けて飛び出した。事務所裏の岩山をよじ登ると、監視塔の若い監視員が真っ赤に焼けて倒れている。浦上の空にきのこ雲がわき上がり、市街地が炎と煙を上げていた。


被爆体験を語る山口彊さん。平和への思いなどを読んだ歌集「人間筏」を3年前に自費出版した=長崎市布巻町
 広島と同じだった。

     ◇

 三菱長崎造船所の艤装(ぎそう)設計課に勤務。設計の応援のため、広島の造船所に五月、後輩二人と八月七日まで三カ月の予定で赴任した。六日の朝は早く目が覚めた。あすは妻と赤ん坊の待つ長崎に帰れる。

 市電を終点で降り、職場への道を歩いていてB29の爆音を聞いた。見上げると、白い落下傘が二つ落ちてくる。と、真っ白な火球がさく裂した。

 あ、と思うと爆風に吹き飛ばされ、気が遠くなった。爆心地から約三キロ。じりじりした痛みで意識が戻った。髪に火がつき、体の左半分はベロリと大やけどをしていた。足は何とか動く。造船所を目指して歩きだした。

 道路脇には遺体の山ができた。川に流れる遺体は、人間で作った筏(いかだ)のように見えた。放心状態で歩く負傷者の群れと何度も擦れ違う。翌日、救援列車に飛び乗ると、すぐに意識を失った。長崎には八日の昼近くに帰り着いた。

     ◇

 二回の原爆を二回とも体験した「二重被爆者」だ。広島で死んでも、長崎で死んでもおかしくなかった。それでも今、生きている。運が悪いのか、強運なのか―。答えは出ない。

 生後八カ月で被爆した長男が今年二月、還暦を目の前にがんで逝(い)った。若年被爆者ほどがんのリスクが大きい―という研究結果を数カ月後、新聞で目にした。ああ、これか。「親より早く死んだらいかん」―それから口癖になった。

 六日。八時十五分。サイレンが鳴った。広島の惨状が浮かぶ。自宅で目を閉じ、静かに手を合わせた。 (この連載は報道部・田崎智博、高比良由紀が担当しました)

2005年8月7日長崎新聞掲載
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