プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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優先順位/存在証明/自己実現/自己満足3

■本すじからは はずれるが、売買を禁ずるなど非営利的な善意による交換というタテマエ(「臓器移植法」)にもとづいている「臓器移植」問題について補足しておく。■池田清彦氏らが指摘するとおり、臓器移植の現実は、実態として経済行為にほかならず、しかも市場原理が健全にははたらきようがないという意味で、実にネジれた領域になるほかない。そういった経済学的なゆがみが、「受給者(レシピエント、recipient)」の心理にも確実にカゲをおとす〔池田清彦『臓器移植 我、せずされず』小学館文庫,2000年→角川ソフィア文庫,2006年〕。■経済学的な整理のまえに、池田氏周辺の見解とかさなる心理学者 渡辺恵子氏の指摘をひいておく。

レシピエントの心理
 レシピエント候補として登録された人は、どこかに脳死の人がでて、その人の臓器が自分にまわってくるのを待つことになる。脳死による臓器移植は、一人の人の死の上に自分の生が成り立つという、レシピエントにとっては大変精神的に負担を感じる構図にならざるを得ない。また、レシピエント候補者に対してドナーの数は圧倒的に少ない情況下では、レシピエントに選ばれることは、幸運と云わざるを得ない。したがって、レシピエントはその贈り物をただ受けることになる。ドナーに対しても、移植医にたいしても感謝あるのみで、たとえあったとしても、あからさまに不満を言うことはできない情況であろう。

複雑な思い
 移植を受けるべく待つ間、早くドナーが現れないかと願っていることに気づき、人の死を待つようで自己嫌悪に陥ったという報告もある。また、臓器を提供されて元気になった後にも、複雑な思いがある。多くのレシピエントは、ドナーは生きていなくて、自分が生きていることに罪悪感をいだいていると云われる。ドナーの自由意志からの臓器提供であっても、レシピエントは常に申し訳ない気持ちが心の深層に存在している。移植を受けて元気になり、感謝の気持ちでいっぱいであると同時に、一人の人が亡くなっているという感情が錯綜し、複雑な心情で毎日を送るレシピエントも多い。レシピエントが死亡したり、拒絶反応のため移植した臓器を失ったということを耳にすれば、ドナーは喪失感を味わうであろうという思いももっている。


感謝の気持ちの表明
移植はドナーとその家族の善意と愛情の上に成り立っている。自分が今元気でいられるのは、そのお陰であるという思いがレシピエントには強くあり、その感謝の気持ちをドナー家族に伝えたいという願望をもつ者が多い。そして、レシピエントはドナー家族にお礼をいうことにより、自分だけ生きているという罪悪感を和らげられるという。もちろん、すべてのレシピエントが罪悪感をもつとは限らない。移植臓器を通して、ドナーのいのちは死することなく、今まさに自分に受け継がれていると実感し、臓器移植をごく普通の気持ちで納得したという報告もある。

移植後の問題
移植により臨床症状が著しく改善される例がある一方で、移植後極めて惨めな状況のもとで辛うじて毎日を送っている者も少なくない。拒絶反応、合併症など移植者としての不安はつきないものがある。また、免疫抑制剤は生きている限り使用しなければならず、その副作用による鬱状態など乗り越えなければならない問題もたくさんある。
 子供では、移植後の拒絶反応や感染症予防のために、数カ月から一年間、大人に囲まれた生活が強いられ、それによるストレスが生じたりすることもある。また、後に移植を受けたことを知らされ、学童期における心ないいじめや、多感でまた反抗期でもある思春期には、さまざまな精神的にショックをうけることもあるということを、周囲の大人は知っている必要があろう。

移植後のケアー
移植医にとっては、患者の気持もさることながら、移植した臓器が正常であるかどうかが重大問題であろう。したがって、移植後のカウンセリング体制を整備し、移植後の心理的諸問題は、体の拒絶反応と同様に心の拒絶反応としてケアされることが望まれる。また、移植患者がドナーに対して精神的負い目を感じることのない医療が望まれる。

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■要するに、周囲の善意によって、かなりムリをしてすくってもらったという心理的負担から、のがれることが困難なたちばにあるのが、「受給者(レシピエント、recipient)」。普通の感覚をもっているなら、宗教者的な後半生(幼児なら一生)をおくるとみてよかろう。「きみは、なにも おいめに感じる必要なんかないんだ」と、いくら周囲がさとしても、ムリというものだろう。制度的には、カウンセラーなど心理的サポートが用意されて当然だが、そういった議論が真剣になされたのであろうか?
■しかし、池田氏が指摘するのは、そういった次元にとどまらない。「ドナーに対しても、移植医にたいしても感謝あるのみで、たとえあったとしても、あからさまに不満を言うことはできない情況であろう」といった、一般論ではなく、つぎのような、痛烈な批判を池田氏はくりだす。

 「レシピアント候補として登録された人々は極めて弱い立場にある。レシピアントになりたいという自己決定はあっても、それ以外の自己決定はほとんどできないからだ。医療は医者のパターナリズムが強く、たいていは医者の言いなりにならざるを得ないことが多いが、普通の患者ならば、情報と知識さえあれば、治療方法を選択できる。場合によっては医者を変えたり、病院を変えたりすることもできる。しかし、レシピアント候補にはそういった選択権はない。
 レシピアント候補として登録された人は、どこかに脳死の人がでて、その人の臓器が自分に回ってくるのを、ひたすら祈るように待つことになる。他人の死を当てにして少しでも生き延びようというのは、あまり楽しい生き方ではないだろう。臓器が提供されることになり、一応のインフォームド・コンセントを受けた時も、オレにもっと適応した臓器はないのかなんてわがままはとても言えるような雰囲気ではないだろう。移植医がヘタクソで移植手術がうまくいかなくても移植医を訴えるわけにもいかないだろう」
(小学館文庫版pp.99-100)
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■どうして こんな心理的圧迫を感じるほかないかといえば、「受給者(レシピエント、recipient)」 >> 「提供者(ドナー、donor)」 という、需給の極端な非対称があるからだ。身分社会でない、理念上平等な市民の自由な選択の集積・応酬で成立することになっている現代社会は、モノやサービスの相当部分が市場原理で交換される。しかし、池田氏が指定するとおり、臓器だけは「大量生産が不可能で、供給が需要を常に下回り、しかも市場原理にさらすことができない」(pp.103)。■市場原理がはたらけば、需給関係から セリにかけるような状況がうまれるはずだが、それらが徹底的に回避されてきたのは、単なる人体の部品視という即物的な発想がタブーとして、さけられてきただけではないだろう。ひとの生死にかかわるせとぎわを、えげつないやりとりをするハメになるし、弱者が搾取されるとか殺人事件がおきるとか、さまざま殺伐とした空間があらわれそうなことを うすうす大衆が察知しているのだと、かんがえられる。■だから、 「提供者(ドナー、donor)」ないしその遺族が臓器の「代金」をうけとることは、ヤミ社会が横行する地域でしか一般化しない。先進地域で、臓器がタダなのは、市場原理になじまない希少な公共財であるというタテマエをかなぐりすてることができないからだ。■市場原理原則にのっとるなら、セリにかかりかねない高価な希少財なのに、それが回避されてタダになるという、ネジレこそ、実は「受給者(レシピエント、recipient)」を完全にとりかこむ包囲網なのである。
■しかも、池田氏らがいうとおり、臓器自体はタダであろうと、それにをとりまく医療行為とコーディネイトや免疫抑制剤などアフターケアのかずかずは、完全に経済行為となっている。たとえば、医薬品メーカーがボランティアで超低価格ないし無料の新薬の提供をもうしでるなんてことはありえないから、免疫抑制剤などはちゃんと業界の市場予測にくみこまれているわけだ。■臓器の提供はタダでも、それ以外は、巨額のカネがうごめく。そこには、演出された善意はあっても、臓器移植マーケットが解放される(15才未満でも可能になるなど)ことを、こころまちにする業界がみえかくれする。
■アメリカにいって移植手術に1億数千万といった事態が発生することひとつとっても、臓器=タダというのが、単なるボランティアだけで成立するやりとりでないことが、はっきりしている。アメリカへの渡航費用とそこで順番待ちをする滞在費用だけで、そんな額になるはずがない。■要は、「外国で治療する人物に公費負担制度を適用するわけにはいかない」という日本政府のたちばと、「外国人にアメリカの医療保険にくわわっていないのだから、当然実費負担」というアメリカ政府のたちばの、すきまにおちることで、市場原理がむきだしになるわけだ。■そして、「外国であろうと、税金ですくってあげて当然だろう」という論理がとおりづらいことは、いうまでもない。患者ひとり1億前後の資金を海外に送金する制度を一般化させれば、「なんで、そういった特別あつかいを、ごく一部の患者にするのか?」という当然の批判があがるだろうし。
■では、15歳未満の児童についても脳死による臓器摘出など、民法の遺言規定をはずせばいいじゃないかという議論が当然のように正当化できるかである。■すくなくとも、何歳から、オトナに準じて自分の死後の臓器摘出というか、死亡段階の判定をまかせるといった高度な判断をみとめるかが、浮上する。■エホバの証人夫妻が、交通事故で瀕死の重傷をおったむすこに輸血を拒否して問題がとりざたされたが、幼児はもちろん小学生の生前の意志だの、いまわのきわの判断だのといったことが、家族に規定されないはずがなかろう。要するに、本人の確固たる判断・信条などはたなあげで、両親の判断で脳死等が是認されてしまうということになるのあって、全然本人の意志を尊重なんてしていない。

■このようにみてくると、池田氏がつぎのようにのべるのは、かなりおもたい。

……ドナーはタダで臓器を提供しているのだ。ドナーが一番の金持ちから順番に臓器をあげるとでも言っていない限り、金持ちしかレシピアントになれないのは著しく公正に欠ける。
 従って、普通の国では、レシピアントは金持ちであるかどうかにかかわらず、何らかの別の基準で公正に選ばれるということになる。くじ引きで選ぶのでない限り、公正とえいども何らかの価値基準に従わざるを得ず、価値基準を共有しない人々にとっては、公正とは言えないことになる。そして、この選ばれたレシピアントには税金がつぎ込まれる。臓器移植以外で助からない人は不幸だとはいえ、その中で選ばれた一部の人にのみ税金を使う根拠はどこにあるのか。臓器移植をしない限り助からない人以外でも不幸な人はいっぱいいる。たとえばスラムに住んでいる人、両親を失った子供、世界的に見れば、アフリカの難民、貧困のために餓死寸前の人、簡単な治療を受ければ助かるのにむざむさと死んでいく人、等々。
 このような矛盾を解消するためには、脳死・臓器移植といった欠陥医療から、希望者全員にサービス可能な医療に、技術体制を組み替える必要がある、それはすでに絵空事ではなく、目前のこととしてある。たとえば人工臓器、自家移植、あるいはもっと一般的に言えばさまざまな再生医療。このような未来展望が見える医療技術の研究に税金を使うことの方が、臓器移植などといった未来のない技術に金を出すおろもあるかに賢いと私は思う。……
〔pp104-5〕
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■池田氏の議論は、こういった緻密なものであり、こういった論理への反発や批判も想定して、また付随する議論があるのだが、ここでは割愛する。■いずれにせよ、「○○ちゃんを救う会」といった運動が、かりに善意であれ、それが巨視的に問題があることはもちろんのこと、微視的にもはたして「善意の募金」といった論理で当然のように正当化できるか微妙なことは、あきらかだろう。■当事者にとっては、いきるかしぬか、最後ののぞみをかけるという状況にあって、このような悠長な議論は、「みごろし」にする「あしをひっぱる」悪意にしかうつらないだろうが。【つづく】

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コメント

臓器提供の意思44%…過去最高


『毎日新聞』(2月27日号1ページ)より

「脳死移植10年で81件」「命のリレー 広がらぬもどかしさ」という見出しの記事があります。
で、同紙3ページには「脆弱な救急医療背景に」「15歳未満禁止 法改正動き鈍く」という見出しで、より詳細な記事があります。ただ、その結論部は「04年以降、脳死臓器移植は増加傾向にある。
あるコーディネーターは『今後増えると想定すれば、体制を強化する必要があるのではないか』と指摘した。」という風に、今後は臓器移植が広がることが示唆されています。おそろしいことです。

『毎日新聞』(4月10日号5ページ)より

臓器移植法改正案

臓器移植法改正案を今国会で採決する機運がにわかに盛り上がってきた。
(中略)
しかし、子供の臓器提供には抵抗感を持つ議員も少なくなく、いずれの法案も過半数を得られない可能性もある。

『毎日新聞』(4月16日号5ページ)より

「臓器提供15歳未満」で勉強会
自民党は臓器移植法改正案の今国会採決に向け、21日に党所属全議員を対象とした勉強会を開催する。
(中略)
国内では認められていない15歳未満の臓器提供を可能にする法改正の必要性では党派を超えた共通認識ができつつある。大島氏は「判断材料が生まれてくれば本会議にかけてもいい」と語っており、4月下旬からの大型連休前に衆院で採決したい考えだ。

yahoo!ニュースより


『サンデー毎日』(5.10-17号)の36ページに

「脳死=人の死」でいいのか?臓器移植法「改正」が持つ意味

という記事があります。その結論部は以下のとおり。

脳死にはまだ分からないことが多すぎる。国会でまともな審議は行なわれていないのに降ってわいたような改正の動きに「子どもを助けるのを口実に(終末期医療をやめて)医療費を削減する狙いでは」(医療関係者)という声もある。
脳死児も移植を待つ子どもも、命の瀬戸際にあるのは同じだ。相対峙させるようなことがあれば誰にとっても本位ではないだろう。

臓器ネタ

臓器移植規制を先送り=新型インフルで日程短縮-WHO総会

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090507-00000226-jij-int

臓器ネタというと『逝け!…もとい『行け!稲中卓球部』をおもいだします。なお、「稲中卓球部の女版?」とアマゾンで評価された(2009/4/4)『ゴクジョッ。~極楽院女子高寮物語~』にも臓器ネタが存在するかいなかについては未確認でつ。

臓器ネタ…つーか状況は進展しているんですね、もちろん悪い方に……


新潮社は右派の巣窟であって、

創価学会および池田大作批判をしている点のみが『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)に匹敵する政治への貢献だとおもっていたのですが、新潮社の月刊誌『新潮45』6月号には金子勝氏や水野和夫氏の経済学的な論考ものっているし、「臓器移植は本当に必要か」(那須優子・116ページ~)という論考ものっていますので、それなりにオススメです。あと、『毎日新聞』(5月20日号5ページ)の「つむじ風」という欄も臓器移植を批判しています。

臓器法改正案について

『毎日新聞』(6月10日号)5ページには「臓器法改正案衆院採決ずれ込みも 共社反対 民主内にも慎重論」という記事があります。微妙な状態の様です。以下に引用します。

臓器移植法改正4法案を審議していた衆院厚生労働委員会は9日、衆院本会議で中間報告を行い、同委での審議は打ち切られることになった。
(中略)
4法案すべてが否決される可能性もあり、9日の議運委の理事会で小坂憲次委員長は、どの案も成立しなかった場合でも廃案とせずに済む手続きを紹介した。
本会議で「廃棄しないもの」と議決すれば委員会に付託できるとした衆院規則147条にもとづくが、「過去に使われたことがない」(衆院議事課)ため定まった解釈もないのが実情だ。

『毎日新聞』(6月13日号)9ページには

「小児の移植どうするか」と題して臓器移植法の改定について「来週でも衆院で可決される」という前提のもとでの討論がなされています。いや、もちろん臓器移植法なんて問題ありまくりなんですが、あえて推進派の中沢啓一郎氏という人物の結論部を引用します。

脳死とは脳の機能が失われ、回復不可能になった状態。たとえ、すべての国民が理解していなくても、米国のように医師が家族に脳死判定を詳細に説明して医療不信を払しょくできるはずだ。

議論はつきているとおもいますが…

■こういった論者たちには、「脳の機能が失われ、回復不可能になった状態」でも、まだ あたたかい身体に こだわりをすてられない家族の心理への想像力とか、「ともかく、いきのこれる可能性の のこっているレシピアントの生存権の方があきらかに上位なんだから、ひとだすけだと わりきって…」といった論理の もっともらしいけど、あまりに わりきった計算が、たとえば救急救命現場での「トリアージ」なんぞとは全然ちがう…といった思慮とか、全然ないんでしょうかね? ■移植に成功しなかった子の遺族としては、死をムダにしたくないという一心かもしれませんが、「移植ありき」「生存権ありき」の論理にみえてしまいます。
■それにしても、移植手術の渡航に募金したひとは、自分の家族がドナーとして、自己の決断をせまられたばあい、どう感じるか、といった想像力をはたらかせたうえで、おこなったのでしょうか?■すくなくとも、ドナー/レシピアントの双方の家族の心理を冷静に想像するだけの作業は不可欠だったとおもいます。
■おなじように、国会議員の先生方も、なにをかんがえて 賛成派なのか、そのヘンの説明をききたいものですね。「家族」となったばあいの ふたつの両極端な状況への想像力をはたらかし、専門家によるシミュレーションとか、体験者の手記とか大量に検討したんですか? とか…。

とおってしまいましたね、臓器移植法案。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/organ_transplant/

ところで、貝枝さんというひとが言及なさっていた『ゴクジョッ。』にも、『稲中~』なみの臓器ネタがのっていたことを確認したむねおつたえ申しあげます(「ミ●ズ千匹」の回で)。

臓器移植に関するニュース

とりあえずホッと安心できるニュース。

「脳死臓器移植、空白期間が過去最長に…279日」
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091115-OYT1T00676.htm?from=top

ねがわくば、この空白が一日でもながくつづきますことを。

免許証の裏に臓器移植欄

免許証の裏に臓器移植欄

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100603-00000479-yom-soci

いやもう、くるところまできてしまった感がありますな。

『毎日新聞』(7月26日号)3ページより

虐待見極め 病院に重荷
子の臓器提供 疑いあれば対象外
脳死になった子どもからの臓器提供が改正臓器移植法施行で可能になった。親の承諾で提供できるが、虐待を受けた疑いがある子は対象外だ。その見極めは病院に求められる。難しいケースが多く、虐待でないケースで提供を断ってしまうことも起こり得る。ジレンマをかかえたまま新制度が動き出し、対策を求める声が改めて強まっている。(大岩ゆり、野瀬輝彦)

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