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Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
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【位置 リベラル左派】

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元首相宅に密約文書 不信呼ぶあいまいさ(毎日)ほか

「密約」関連記事の続報。■「毎日」の解説記事など、全国紙記事3本を転載。


解説:元首相宅に密約文書 不信呼ぶあいまいさ

 沖縄返還交渉時の核持ち込みをめぐる密約文書を、佐藤栄作元首相が個人的に保管していたことは、国の安全保障の根幹にかかわる核問題を日本政府が極めてあいまいな形で扱ってきたことを示している。私的に保管され、外交上の位置づけが全く不明のまま、署名から40年が経過していた。

 今回明らかになった密約にはフルネームでの署名があった。返還交渉で佐藤元首相の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(故人)は著書で、事前の打ち合わせではイニシャル署名の予定だったのに、実際にはフルネーム署名になったことを佐藤元首相から聞かされ「強い疑念が鋭角によぎった」としている。

 外交上、フルネームとイニシャルでは文書の重要性が異なる。若泉氏がイニシャルにとどめようとしたのは合意の拘束力を弱める狙いがあった。一方、米側はフルネームで署名して「正式文書」の性格を強めようとした。当時、米軍は沖縄返還後も核持ち込みの担保を強く求めていたためだ。

 ところが、日本側は文書を元首相が死去するまで個人的に保管していた。文書を発見した佐藤信二元通産相が扱いを相談した下田武三元駐米大使(故人)らは「私文書」と位置づけたという。しかし、日米両首脳が肩書付きのフルネームで署名したこの文書を米側が有効ととらえていたことは間違いない。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡っては、鳩山由紀夫首相のあいまいさ、わかりにくさが米国の不信を買っている。重要な安全保障上の問題を首脳間で署名しながら、その後は知らぬふりを決め込んだ日本外交は、米国から見ればこの40年間、似たような姿に見えているだろう。【須藤孝】

【関連記事】
核密約文書:佐藤元首相の遺族が保管 日米首脳署名
沖縄密約:文書現存せず 外務省廃棄か 元局長証言と矛盾
米駐日大使:再生可能エネルギーで日米協力を 都内で講演
社説:元外務省局長証言 外交の「信」回復に生かせ
日米密約:米銀へ預金認め「密約関係ない」国が書面提出
毎日新聞 2009年12月23日 東京朝刊

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■以前もかいたのだが、沖縄返還がらみの密約は、毎日新聞記者が、きわどい手法でスッパぬいたのに、その手法だけが卑劣だと非難されるキャンペーン(検察・『週刊新潮』ほか)に、まんまと大衆がのっかって、セックススキャンダルたたき→不買運動→毎日新聞社の一時倒産といった、痛打になった(“西山事件”)。■その経緯を充分しりながら、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡っては、鳩山由紀夫首相のあいまいさ、わかりにくさが米国の不信を買っている。重要な安全保障上の問題を首脳間で署名しながら、その後は知らぬふりを決め込んだ日本外交は、米国から見ればこの40年間、似たような姿に見えているだろう」などと、ひとごとめいた論調で首相批判・政府自民党批判に援用するとは、おかしくないか? 「米国の不信」とかいうが、アメリカ政府は、政府(外務省)・自民党連合による、徹底的な「しらばっくれ」戦術を歓迎していたはずだ。それとも、共産党政権が成立していたら絶対に暴露しただろう密約の存在が、政治問題化して、安保廃棄にとどまらない亀裂がはしるといった事態を、アメリカ政府は、合理的と容認しただろうか? 日本共産党のばあい、中国共産党のように「清濁泡をのむ」式の柔軟路線をとったはずがないが、それでも、よしとしただろうか?■40年間、しらばっくれることで、メディアがいきぎれし、徹底追求することを放棄し、政治問題としては消滅してしまうという、茶番劇は、アメリカの積極的な黙認のもとにあったとみた方がいいのではないか?


核密約文書現存、佐藤元首相宅に保管 日米首脳の署名
asahi.com 2009年12月23日3時2分

核再持ち込みの「合意議事録」
佐藤氏邸に保管されていた核再持ち込みの
「合意議事録」。佐藤、ニクソン両氏の署名が
ある。佐藤氏の字と見られる「保留」などと
書かれた封筒に入っていた=中田徹撮影


 日米の両首脳が1969年に沖縄返還を合意した際、有事における沖縄への核兵器の再持ち込みについて取り決めたとされる秘密の合意文書が、当時の首相、故・佐藤栄作氏の遺品の中に残されていたことが分かった。佐藤氏の次男で元通産相の信二氏(77)が明らかにした。この密約については、佐藤氏の「密使」として水面下で米側と接触した故・若泉敬氏=元京都産業大教授=が著作で存在を明らかにしているが、文書の現物は見つかっていなかった。外務省が進める「密約」調査の有識者委員会も強い関心を示している。






 信二氏が保管していた文書は「1969年11月21日発表のニクソン米大統領と日本の佐藤首相による共同声明に関する合意議事録」と表題があり、69年11月19日付。「重大な緊急事態」に際し、米政府は「日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと沖縄を通過させる権利を必要とするであろう」とあり、日本政府は「米国政府としての諸要件を理解し、そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たすであろう」と記されている。文書の取り扱いについては「最高級の機密のうちに取り扱うべきであるということで合意した」と記し、当時のニクソン大統領と佐藤氏の署名がある。

 沖縄への「核再持ち込み」を米側に保証する秘密合意は、69年11月にホワイトハウスで日米両首脳が交わしたとされる。94年刊行の若泉氏の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」によると、若泉氏は佐藤首相の密使として、沖縄返還に際して米軍の核兵器を撤去することなどを求め、キッシンジャー大統領補佐官と秘密裏に交渉に当たった。

 日本側は「核抜き本土並み」返還を求めたが、米側は緊急事態の際の再持ち込みを要請し、文書による合意を求めた。そこで若泉氏はキッシンジャー氏と「合意議事録」を作成。首脳会談の際に、両首脳がホワイトハウスの執務室に隣接する「小部屋」で署名を交わしたという。

 当時、佐藤氏は若泉氏の申し入れに難色を示したものの、最終的には秘密合意に同意。文書について佐藤氏は若泉氏に「破ったっていいんだ」と語っていたと同書に記されている。また、予定では頭文字での署名のはずだったが、佐藤氏は大統領がフルネームで署名したため自分もそうしたと若泉氏に語ったという。

 信二氏によると、「議事録」は佐藤氏が75年に死去したあと、机の中から見つかった。首相退任後に自宅に持ち帰った執務机という。

 外務省の密約調査では、この合意議事録が同省保管ファイルにはなかったことが関係者の話で判明している。この文書は米側でも公開されておらず、調査の検証を進める有識者委員会の委員らは強い関心を寄せている。今後、必要と判断すれば、佐藤氏の遺族と連絡をとる方針だ。

 委員の一人は「若泉氏の著書の記述から、署名文書は破られたものと思っていた。外務省も関知していないとの態度だった。この目で現物を見て委員会で議論したい」と話している。(川端俊一、倉重奈苗)

    ◇

 〈日米間の「密約」〉 (1)核持ち込み時の事前協議の対象から艦船の寄港などを外す核密約(2)朝鮮半島有事の際に米軍が在日米軍基地を出撃拠点として使うことを認めたもの(3)有事の際の沖縄への核の再持ち込みに関するもの(4)米側が負担すべき原状回復費400万ドルを日本側が肩代わりするなどの財政取り決め、の4密約の存在がこれまでに指摘されている。





核密約公表「真実残すことが大事」…佐藤元通産相
12月23日3時0分配信 読売新聞
 沖縄返還交渉をめぐる有事の際の核持ち込みに関する日米間の「密約」文書は、佐藤栄作首相(当時)の次男で元通産相の佐藤信二氏(77)が30年来悩んで保管してきたものだった。

 公表に踏み切った背景には、政権交代によって、民主党が密約の存在の検証に本格的に動き始めたことがあった。

 信二氏によると、1975年に佐藤元首相が死去して、親しかった新聞記者の一人に「形見分け」として元首相が生前、愛用していた机を譲ることになり、中身を整理するため引き出しを開けたところ出てきた。机は私邸(東京・代沢)の書斎にあった。発見時、信二氏は参院議員になったばかり。元首相は密約の存在を明かしていなかったが、引き出しから出てきた文書の持つ意味は政治家として十分理解した。

 その後、80年代に入り、佐藤家に一人の学者が訪ねてきた。返還交渉で元首相の密使を務めたとされる若泉敬・京都産業大教授だった。若泉氏は「奥様(元首相の寛子夫人)に会いに来た。元首相の日記を見せてほしい。公開されると大変なことになる」と切り出したため、佐藤家は日記を見せることにしたという。

 日記には、若泉氏の名前が所々出てくるものの、密約を巡る若泉氏との具体的なやりとりの記述はなかった。若泉氏はその後、94年になって返還交渉の舞台裏を描いた「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋)を著し、密約の存在を明らかにした。

 密約をめぐる政治的な重みを認識していた信二氏は、本来、その時に文書の存在を明らかにすべきだと思ったはずだ。しかし、公表は思いとどまった。外務省が密約の存在を一貫して否定していたからだ。元首相が「非核三原則」でノーベル平和賞(74年)を受賞したという事実も信二氏をためらわせたようだ。

 佐藤氏が今回、文書をあえて公表したのは、ここ数年、外務省の元局長らが相次いで日米間の核密約の存在を明らかにしたことが大きい。民主党政権の発足も決断を後押しした。

 文書の公表を決断したことについて、佐藤氏はこう語った。

 「文書にはすでに政治的な意味はなく、公表によって現在の日米安保体制が大きな影響を受けることはないと思う。おやじがどう考えたかわからないが、歴史に真実を残すことが大事だと思う」

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■民主党政権へと、政権交代がおころうが、第二自民党的な体質ゆえに、「公表によって現在の日米安保体制が大きな影響を受けることはない」だろうといった、みきりをされたからこそ、もと自民党幹部や外務省に、どんどん「密約」の封印解除がなされているというのは、全然健全じゃない。■「米国から見ればこの40年間、似たような姿に見えている」とは、そういった準植民地としてのニッポンという、卑屈な政治小国を直視したばあいに、あてはまるが、そういった政治体制と大衆を放置してきたのは、毎日新聞をはじめとした大メディアだとおもうが、ちがうだろうか?

■ところで、「いわずもがな」ではあるが、署名いりの合意文書が「私文書」あつかいなんてことが、世界標準でとおるはずがない。絶対に。■しかも、そういった重要文書が、私邸にもちかえられて ふれられなかったというのは、外務省をはじめとする日本の中央官庁の構成員たちが「公文書」という存在の本質を完全に誤解したままいたことの証明である。
■実は、「密約」の封印解除という問題は、こういった官僚制としての致命的欠陥が露呈したという点で重大なのだ。そのことが、霞ヶ関永田町の住民に理解されているだろうか? ■あばくことで、対自民党という観点から「得点」をかせげていると カンちがいしているらしい民主党首脳部とか、「もうとめられないから、公開してしまえ」とばかりに、白状しはじめた外務省は、およそ、「公文書」の本質・あつかいを、いまだ理解できていないとおもわれる。■ひょっとすると、こうやって報じているメディア関係者も、わかったいなさそうだ。「日本側は文書を元首相が死去するまで個人的に保管していた。文書を発見した佐藤信二元通産相が扱いを相談した下田武三元駐米大使(故人)らは「私文書」と位置づけたという。しかし、日米両首脳が肩書付きのフルネームで署名したこの文書を米側が有効ととらえていたことは間違いない」なんて、政府・自民党べったりの ひとごとめいた論調なんてのをよむかぎりでは。■フルネームであろうがなかろうが、メモがきだろうが、こういった文書は、全部「公文書」なんだって。


■ところで、Yahoo!ニュースで「日米核密約問題」には、なぜか「朝日」の記事があがっていない。“犠牲の証拠 白日の下/核密約文書発見/沖縄返還の功績 無に”沖縄タイムス)や“核密約文書県内反応 「沖縄蔑視」に怒り”琉球新報)とかもね。■Googleニュースも、ときどき モレがあるが、Yahoo!は、ダメかも。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091223-00000006-ryu-okiとか、ちゃんと記事は、あがっているんだけどね。



●旧ブログ「密約」関連記事
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