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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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ルドヴィコ・ザメンホフ生誕150周年

ルドヴィーコ・ラザーロ・ザメンホフ(エスペラント:Ludviko Lazaro Zamenhof 、イディッシュ語:ルードヴィク・レイゼル・ザメンホフ לודוויג לײזער זאַמענהאָף 、ロシア語:リュードヴィク・ラーザリ・ザミンゴーフ Людвик Лазарь Заменгоф 、ポーランド語:ルードヴィク・ワーザシュ・ザメンホフLudwik Łazarz Zamenhof 、ドイツ語:ルートヴィヒ・ラーツァールス・ザーメンホーフ Ludwig Lazarus Samenhof, 1859年12月15日 - 1917年4月14日)はユダヤ系ポーランド人の眼科医・言語学者で、現在のところ最も広く使われている人工言語エスペラントの創案者。…

 母語はロシア語だったが、ポーランド語、ドイツ語も流暢に話し、後にはフランス語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、英語も学んだ。さらに彼はイディッシュ語、イタリア語、スペイン語、リトアニア語にも興味を持っていた。
 ザメンホフは1859年にポーランド北東部のビャウィストクで生まれた。当時、ポーランドは帝政ロシア領で、町の人々は4つの主な民族(ロシア人、ポーランド人、ドイツ人、イディッシュ語を話す大勢のユダヤ人)のグループに分断されていた。ザメンホフはグループの間に起こる不和に悲嘆し、また憤りを覚えていた。彼は憎しみや偏見の主な原因が、民族的・言語的な基盤の異なる人々の間で中立的なコミュニケーションの道具として働くべき共通の言語がないことから起こる相互の不理解にあると考えた。
 ワルシャワの中等学校に通いながら、ザメンホフはある種の国際語を作ろうと試みた。それは文法が非常に豊富な一方で、大変複雑なものでもあった。ザメンホフは(ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語と共に)英語を学んだ際に、国際補助語には動詞の人称変化は必要ではなく、比較的簡単な文法を持ちながら、語の新しい形を作るのに接頭辞・接尾辞を幅広く用いるようなものでなくてはならない、という構想を固める。
 1878年までにザメンホフの「リングヴェ・ウニヴェルサーラ」(普遍語)はほとんど完成しかけていたが、若すぎたために著書を出版することができなかった。卒業後すぐにザメンホフは医学を、最初はモスクワで、次にワルシャワで学び始める。1885年には大学を卒業し、眼科医として開業する。患者を治療する傍ら、ザメンホフは国際語の計画を進める。
 ザメンホフは国際語を述べた著書を出版すべく、2年にわたって基金を設立しようと試みるが、後に妻となる女性クララ・ジルベルニクの父親から経済的な援助を受けることで、その必要はなくなった。1887年には "Doktoro Esperanto. Lingvo internacia. Antaŭparolo kaj plena lernolibro"(「エスペラント(希望する人)博士、国際語、序文と完全なテキスト」)と題された著書が出版されることになる。ザメンホフにとってこの言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、異なる人々や文化の平和的な共存という自らの理念を広げる手段でもあった。
 ザメンホフは1917年にワルシャワで心臓病のために亡くなった。
 ザメンホフは一男二女に恵まれたが、いずれもホロコーストのために命を落としている。特に二女のリディアはバハイ教徒として布教活動をする傍らエスペラントの翻訳活動を行った。ザメンホフの家族のその後については、家族の中でただ一人ホロコーストから生き延びた孫のルイ・クリストフ・ザレスキ=ザメンホフの著書『ザメンホフ通り―エスペラントとホロコースト』(原書房、2005年、ISBN 4-562-03861-6)に詳しい。…

(ウィキペディア「ルドヴィコ・ザメンホフ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%95
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■人類が希望をもちえた第一次世界大戦以前の住人と、最大の殺りくの世紀20世紀をふりかえることができる21世紀の住人とでは、「希望」の意味がちがうだろう。■しかし、「希望するひと(Esperanto)」が たえないような方策をうみださないと、タイヘンなことになることは事実。わかい層の希望をうしなわせるようなことばかりつづく現状は、40代以上の年齢層の責任だ。おおきな希望をいだくのは、困難な現実があるけれど、ちいさな希望をたやさず、絶望しないですむ世界、自殺者・他殺者双方が漸減していく社会をくみたてないと。
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タグ : ナショナリズム

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