プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

反体制作家の劉暁波氏を起訴=「08憲章」で国家転覆扇動罪に-中国(時事)

反体制作家の劉暁波氏を起訴=「08憲章」で国家転覆扇動罪に-中国
12月12日18時53分配信 時事通信
 【北京時事】中国人学者らが共産党独裁体制の廃止などを求めた声明「08憲章」の呼び掛け人の一人で、反体制作家の劉暁波氏(53)が国家政権転覆扇動の罪で起訴されたことが12日、分かった。早ければ年内にも北京市第1中級人民法院(地裁)で初公判が開かれる見通し。
 劉氏の弁護士によると、起訴状では同憲章のほか、劉氏が海外で発表した六つの論文が取り上げられ、一党独裁への批判や多党制導入などの主張が罪に問われた。同罪の最高刑は懲役15年。

-----------------------------------------
■無記名自由投票(実際には、実質そうでない投票所もあるそうだが)による民主制がもたらす多党制でも、実質「一党独裁」的な数十年がつづいた「自由主義」体制もある。まあ、それは「民度」の産物である。
■しかし、「一党独裁への批判や多党制導入などの主張が罪に問われた」のだとすれば、中国大陸は、それ以前の段階にあるようだ。
■もっとも、ラチ監禁され、ころされれそうになったり、死刑判決をうけた金大中(キム・デジュン)さんが後年大統領にのぼりつめ、ノーベル平和賞を受賞するまでになったケースもある。「希望」が、「希少な展望」にせよ、のぞみをすててはなるまい。■わかい世代にいっておきたい、50年いきていなくても、そこそこ世界史は展開するって実感がもてる。金大中さんも、そのたった1例。ソ連など巨大な社会主義体制はくずれさったし、北米に「黒人大統領」が誕生したり、「実質一党独裁」の某政党も完全に下野した。これらは、たった四半世紀間におきたことだ。もちろん、おびただしい惨事・非道もくりかえされたが…。
「……運送業を経て、1954年の総選挙で国会議員に初挑戦するも落選。張勉に引き立てられ、民主党スポークスマンを務める。以降も、当時の李承晩大統領の政策に反対する姿勢で活動したが、1959年、1960年と立て続けに落選を経験した。1961年に補欠選挙で国会議員へ初当選しているが朴正煕による軍事クーデターにより無効となっている。その後は野党政治家として活躍し、1963年と1967年の第6代、第7代、国会議員選挙で連続当選し、とうとう1970年9月に新民党の大統領候補に指名される。翌1971年の大統領選では現職の朴正煕に97万票差にまで迫った。この大統領選の直後、交通事故を装った暗殺工作に遭い、股関節の障害を負うことになる。

民主化運動家として
 朴正煕による十月維新の後は日米両国に滞在しながら民主化運動に取り組んだ。1973年(昭和48年)8月8日、東京に滞在中、ホテルグランドパレスで何者か(複数)によって拉致され、行方不明となった。この犯人たちは、謀殺を意図した韓国中央情報部 (KCIA) であった事が、後に判明するが、拉致後、日本から出港した船の上で、殺害直前の状況になった際、軍用機が船の上を旋回し、殺害を中止させている。その後、ソウルの自宅に現れ、ソウルで軟禁状態に置かれた(金大中事件)。1976年3月には尹潽善らと共に「民主救国宣言」を発表、逮捕され懲役判決を受けるも、1978年3月に釈放される。1980年2月19日には公民権を回復・政治活動を再開するが、5月18日に再び逮捕。これが原因となって光州で起きた民主化要求のデモを軍部が鎮圧し、流血の惨事となる(光州事件)。このため軍法会議で首謀者として死刑判決を受ける。このことに対して、当時の鈴木善幸首相は、11月21日に崔慶禄駐日大使と会談し「日韓親善からみて、金大中の身柄に重大な関心と憂慮の意を抱かざるを得ない」と発言し、その旨を全斗煥大統領に伝達するよう要請した。この事を受け、朝鮮日報は11月25日付の紙面で、鈴木発言を「内政干渉である」と批判した。しかし、次第に死刑判決に対する国際的な批判が強まり、1982年1月23日に閣議決定により無期懲役に減刑される事が決定し、12月23日に米国への出国を条件に刑の執行を停止される。
 1985年2月8日に亡命先の米国からの帰国を強行し軟禁状態に置かれた…」
〔ウィキペディア「金大中」〕
-------------------------------------------
■25年間ではなく、50年みとおせれば(それが、文献データによる歴史的な遡及にせよ)、これだけの激動が体験できるということ。この一政治家の激動の一生は、朝鮮半島南部の激動の歴史の象徴であるだけでなく、冷戦体制とその崩壊のうねりに翻弄された西太平洋地域の半世紀を代表している。
■中国大陸の激動は、どのようにすすむだろう。あと四半世紀ぐらいは、いきのびたいものだ。


●「政府のチベット政策は誤り 中国知識人が声明(産経)
●「中国・新疆ウイグル自治区で騒乱(朝日ほか)
スポンサーサイト

テーマ : 中国問題 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 真理省 1984年 ナショナリズム

<< <沖縄密約>文書現存せず 外務省廃棄か 元局長証言と矛盾(毎日) | ホーム | 半島有事文書、核黙認の討論記録…密約調査で発見(読売) >>


コメント

反体制作家に懲役11年=「08憲章」で国家転覆扇動罪-中国


12月25日11時15分配信 時事通信

 【北京時事】中国共産党独裁を批判し民主化を求めた声明「08憲章」を起草したなどとして、国家政権転覆扇動罪(最高刑は懲役15年)に問われた反体制作家の劉暁波氏(53)に対し、北京市第一中級人民法院(地裁)は25日、懲役11年、政治権利剥奪(はくだつ)2年の判決を言い渡した。
 中国当局は今年、建国60周年のほか、民族暴動もあって、治安維持と社会安定を優先し、人権活動への締め付けを強化してきたが、それを反映して、党批判に厳しい判決となった。欧米諸国の大使館員が傍聴を求めたが認められず、米大使館員は法院前で「平和的に政見を発表する人を迫害するのは人権の国際的な基準に反する」と判決を批判し即時釈放を求める声明を発表した。
 判決は劉氏が同憲章のほか、海外で発表した六つの論文で、一党独裁を批判し、多党制導入を主張したことなどが、デマや誹謗(ひぼう)などを通じて政権転覆を扇動した罪に当たると認定した。
 被告側は憲法で保障された言論の自由を根拠に無罪を主張していた。弁護人は「予想以上に重い判決」とし、劉氏は控訴する意向を明らかにした。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。