「日本国民に誇り」93%で過去最高
…読売調査 日本国民であることを誇りに思う人は93%に達し、「国の役に立ちたい」と考える人も73%に上ることが、読売新聞社の年間連続調査「日本人」で明らかになった。
いずれも過去の本社調査と比べて最も高い数値となり、戦後60年余りを経た今の日本人の「国家意識」の高まりがうかがえた。連続調査は、本社の毎月の世論調査が1978年3月の開始から今年で30年を迎えるのを機に、過去の調査結果とも比較し、変化を探るものだ。その1回目となる今回の調査は、「国家観」をテーマに12~13日に面接方式で実施した。
今回、日本国民であることを「非常に誇りに思う」と答えた人は55%で、「少しは誇りに思う」は38%だった。「誇りには思わない」は6%に過ぎなかった。本社調査では同じ質問を1980年、86年、95年にも行っており、「非常に」「少しは」の合計は91%(86年)、「非常に」は54%(80年)が最高値だったが、今回はいずれもこれを上回った。
「日本の国や国民について、誇りに思うこと」の具体的内容を複数回答で選んでもらったところ、「歴史、伝統、文化」を挙げた人が72%で最も多く、「国土や自然」43%、「社会の安定・治安」「国民性」(各28%)などがこれに続いた。86年の同様調査と比べると、「歴史、伝統、文化」が19ポイント増えた一方、「教育・科学技術水準」が22ポイント減の19%、「経済的繁栄」が17ポイント減の19%に落ち込んだのが目立った。
「国民の一人として、ぜひとも国の役に立ちたい」との考え方については、「そう思う」が73%だったのに対し、「そうは思わない」は20%だった。2005年の同様調査ではそれぞれ68%、28%で、国への貢献を前向きにとらえる意識が強まったことがわかる。
政府のあり方について、「小さな政府」と「大きな政府」のどちらを望むかを尋ねたところ、「小さな政府」を選んだのは38%で、「大きな政府」の33%を上回った。
(2008年1月24日22時59分 読売新聞)----------------------------------------
■調査対象とその抽出方法(母集団とサンプルのぬきだしかた)が全然あきらかになっていない。すくなくとも、ウェブ上の記事内からはね。だから、数値上はナンセンス。数値上の大小や増減など、その全部がね。
■ということで、「
いずれも過去の本社調査と比べて最も高い数値となり、戦後60年余りを経た今の日本人の「国家意識」の高まりがうかがえた」といった結論は、意味不明だね。■「
当社比」ということ以上にナンセンスなんじゃないか? だって、「当社比」ってのは、自社製品旧モデルよりは改善されたって「実験結果」が一応あったわけだよね。「密室」内部の、みうちだけによる「実験」にせよ。■しかし、「
読売新聞社の年間連続調査「日本人」」なる「調査」の実態が全然記事にあかされない以上、「記者周辺のコネで100人にききました」と大差ない「信頼性」しか感じとれない。
■これは、保守的な読者層に安心感をあたえるためだけの、プロパガンダなのか? だとしたら、その政治的意図は? 自国というか生活空間に全然「誇り」をもてないような住民が大量発生している様子を直視できない、精神的によわい層に対するモルヒネか?■ずいぶんと、こころやさしいことだ。
■「戦後最長の好景気」といった、大半の住民が信じていない神話、格差拡大は幻想といった御用学者の「研究結果」とかをソボクに信じられる層が「意外におおい」らしいということは、うかがわれる。だが、それが実態として、どのぐらいの量・分布をしめしているのか、もうすこし客観的なてつづきをへて公表してほしいぞ。■第三世界の貧困層などのように、精神的なモルヒネを必要とする層は実在するだろう。しかし、そういった 「めくらまし」を政治経済的な紙面でやるのは、政官財のまわしもの的プロパガンダにしかみえない。「(自分たちに利益をもたらす)この体制よ、千代に八千代に」ってね。■いやしは、文化欄や社会面だけで充分だ。政治経済的な記事は、たちばのちがいによらず利用可能な冷静で信頼のおけるデータだけでいい。
■マルクスたちが労働者の解放をたからかにうたったのを、一時おびえ、そのうちあざわらったひとびとが、ありもしない夢想をうたうのは、自己矛盾といえるだろう。かれらは、マルクスらの「労働者の王国」をえそらごとだと嘲笑し、ソ連・東欧の倒壊によって「実感」して、むねをなでおろした「現実主義者」のはずだったよね。■「現実主義者」なら、「現実」を直視しないと。■「現実」を大衆からかくし、「変造」して提示し、それをもってモルヒネにするなら、前近代・近代の宗教関係者みたいなものじゃないか?「(自分たちに利益をもたらす)この体制よ、千代に八千代に」ってねがうあまり、「みなさんの受苦は、かみさまがちゃんとみてくださっている(すくってくださる)」みたいな、ごまかしは、よくないだろう。
■
大正天皇の皇太子時代の婚儀のときに成立した「神前結婚式」みたいな、『
創られた伝統』をふくめて、「
日本国民であることを誇りに」おもえることが、いくつあげられるか?…■現代日本の女性たちのかなりの部分をとりこにしただろう「
ウェディングドレス」の「伝統」化とはまた別種の、かずかずの異様な経緯を直視しない(あるいは無知なまま放置された)精神にしか、こういった「調査結果」はうけいれられないはず。
■「ひとの趣味に くちだしするな」という自由主義が徹底すれば、こういった経緯にふれずに、ごまかすのも公教育やマスメディアか? ■しかし、「ひとの趣味に くちだしするな」という自由主義者たちと連動しているのが、「
被害者のシェルターへの保護は家族を破壊する」などとDV防止法を批判している」「
市民団体」であるといった現実は面妖だ。■
ドメスティックバイオレンスという
社会学的密室での構造的暴力にたちむかう運動が「家族を破壊する」、といった不可解な「論理」。■かれらの「論理」によれば、家族という私的空間に他人がくちばしをいれるのは不当な介入だとか? 「ドメ夫にも私的暴力の自由を」か? 「家族愛」といった幻想的伝統イメージと、サディスティックな個人の私的自由は共存可能だそうだ
共依存的でマゾヒスティックな関係性にあわない女性やコドモが「社会学的密室」から脱出する自由はみとめられないらしい。実に不可解。
■安保体制の矛盾を地域におしつけて、危険な巨大迷惑施設を大量におしつけつづけてはじない政府がある。人権はすくなくとも時空を限定すれば普遍的原理のはずなのに、二重の基準にもとづいた特殊な人権イメージをふりまわしながら、売名行為に奔走する弁護士と称する人物が人気をあつめて知事になるかもしれない。〔「
気になること三題(岩国・大阪・沖縄)について」〕■こういった国柄をうれえたのではなく、むしろ擬似懐古趣味的に改編しようとした擬似新自由主義者(新保守主義の一種)が、「
美しい国へ」などととなえた この列島。■これら もろもろが「誇り」となるひとびととは、いかなる精神のもちぬしか?
■みずからがめでる山河や動植物、あるいはおきにいりの建造物、はたまた気のおけない知友の人情さえうるわしければ、「右であれ左であれ、わが祖国」(ジョージ・オーウェル)か?
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「たまにちょっとぐらい女をブン殴ったっていいじゃないか」が中立(笑)なら、「偏向したイデオロギー」でいいです」
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暴力による暴力のための暴力を許してはいけない」
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つくばみらい市事件で考える、「威嚇」と行政」
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つくばみらい市の一件から」
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ちなみに、「安倍元首相:『戦う政治家として再び全力を尽くす』」(毎日新聞より)という記事がYAHOOニュースに載っていました。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080127-00000253-mailo-l35)
岩国市を米軍の侵略から救うために、今すぐ戦ってくださいよ、安倍元首相!(もちろん皮肉)
そもそも「ふたたび全力を尽くす」といっても、安倍のいう「戦う」は弱いものいじめのことだから未来永劫金輪際、鐘(金?)や太鼓で呼ばれても、全力どころか針の先ほどの微力であっても尽くされては困るんですがね。
情報提供ありがとうございました
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLJ,GGLJ:2006-29,GGLJ:ja&q=%e2%80%9d%e6%b6%88%e3%81%88%e3%81%9f%e9%8e%ae%e5%ae%88%e3%81%ae%e6%a3%ae%e2%80%9d
■安倍前首相とか、石原都知事とか、「たたかう」を標榜する政治家の大半は、「よわきをくじき、つよきをたすける」系ですね。安倍氏にしても、ラチ被害者だけしか弱者のみかたになったことがないみたいだし、あれだって、政治資源として利用できるからつかっただけってことがバレバレでしたね。韓国にきえた統一協会の被害者数千人については言及さえしないという二重の基準もみごと(もちろん皮肉)。
■おっと、石原氏、教育特区で、ろう児童のフリースクールを助成するって決断をひとつわすれてました。■というか、そういった例外をさがさないと、「たたかう政治家」から「正義の味方」像は片鱗もないといういい例でしょう。■でもって、不思議なことに、こういった弱者の敵が、弱者層の支持をあつめるんですよね。大阪はどうなることやら。…
大阪府知事選
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=2008%E5%B9%B4%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E9%81%B8%E6%8C%99&oldid=17632352
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9&oldid=17628833#.E5.A4.A7.E9.98.AA.E5.BA.9C.E7.9F.A5.E4.BA.8B.E9.81.B8
■かずかずの暴言にとどまらず、でないと断言していた前言をあっさりくつがえすというより、でないとわざわざいって、選挙民やメディアをあざむくような挙動をしてはじない人物をえらんだ府民の一部。■いくら閉塞感をうちやぶる選択っていっても、横山ノック(http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AF&oldid=17529536#.E5.8F.82.E8.AD.B0.E9.99.A2.E8.AD.B0.E5.93.A1.E8.BE.9E.E8.81.B7.E3.80.81.E5.A4.A7.E9.98.AA.E5.BA.9C.E7.9F.A5.E4.BA.8B.E3.81.B8)もと府知事をえらんだときとかぶるんだが、ちがうだろうか?■「エロダコは、しょーもなかったなぁ」などと、みずからの選択を全然反省しない意識が かなりぶあつ実在するとしたら、「大阪はオモロイことがすきなんや」などと地域文化論で合理化しても不毛だろう。
■東京都民の民度と同様、大阪の今回の選択は、けっしてわすれることなく、後日検証すべきだろう。
『非国民通信』の最新記事から
(http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/8c7438219ad9cb68f30058dce4933cbf)
『塾講師のつぶやき』の記事から
■実にわかりやすい分析。
「年間連続調査・日本人」(2008年1月調査)
http://209.85.175.104/search?q=cache:EoPWT4bRNcgJ:www.yomiuri.co.jp/feature/fe6100/koumoku/20080125.htm+%E2%80%9D%E3%80%8C%E5%B9%B4%E9%96%93%E9%80%A3%E7%B6%9A%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA+%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E8%A6%B3%E3%80%8D+2008%E5%B9%B41%E6%9C%88%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E2%80%9D&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp
■その情報によれば
調査日:2008年1月12-13日
対象者:全国有権者3,000人(250地点、層化二段無作為抽出法)
方法:個別訪問面接聴取法、回収:1,780人(59.3%)*
……
(2008.01.25)*
■ということで、一応科学的な調査の形式はととのえているらしいから、本文の一部は撤回。■しかし、回収率は最低60%こえないと、母集団を代表しきれていないとされてきた。4わりの回答拒否があることは、かなり重要。
■ただ、6わりの回答とはいえ、
Q15(30)あなたは、日本国民であることを誇りに思いますか、そうは思いませんか。
答え 1.非常に誇りに思う 54.8 3.誇りには思わない 5.6
2.少しは誇りに思う 37.9 4.DK.NA 1.7
このうち「3.誇りには思わない 5.6」という回答の意味はおおきい。■こういった回答結果になるってのは、ホントに心配になるね。大丈夫なんだろうか? ■「ダメなところがあるけど、すきなのはしかたがない」ってのは、自分や友人・恋人などには、あてはまって当然。故国にもね。■しかし、「あなたは、自分を誇りに思いますか、そうは思いませんか。」という質問に、9わり以上が、「誇りに思う」とこたえたら不気味だろう。誇大妄想・うぬぼれ・自己愛…。自尊心とか自信とか、そういったことで、よしと解釈していいとはおもえない。■現代日本人のナショナリズムは病理といっていい水準かもしれない。中国や韓国の対日ナショナリズムを「成熟していない国家愛」みたいな蔑視をくちにする人士がいるけれど、この調査結果は、日本人の自己満足ぶりをよくしめしているとおもう。
■こういった回答をかえす住民が、日本列島がかかえる大問題を本気でとりくむ意志も能力もあるとはおもえない。もはや、回答を拒絶した4わりのひとびとが代表するだろう層に期待をかけるほかなさそうだ。
アイヌ民族をふくむ先住民族に対する謝罪と補償について
また、所得の再分配は上手にやらないとニセ弱者がよこどりすること、およびそれ以上に問題な、「ニセ弱者がよこどりする」という可能性をダシにして所得の再分配自体を阻害しようとするという、もしかしたら無意識かもしれない反動化が生じる危険性がある、という指摘もしたとおもいます。
で、貝枝的には、前者の名称問題の方が、ヤバイ問題である様に感じます。というのは、後者の、反動をもたらさない様な再分配をいかに実現するかという問題は、再分配のための基本的な方向がきまってうごきはじめれば、細部を軌道修正しつづけることで問題を一定程度まで縮小できるとおもわれるが、前者の名称問題は、個々の場面において、たとえ差別を撤廃しようという意図で活動していても、よりよわい立場のひとびとをくるしめうるのですから(しかも、「アイヌ」という名称によって、イヤな記憶をおもいだす度あいがたかいひとは、おそらくおなじアイヌのなかにおいても相対的弱者であろう、という点もかんがえれば、弱者のなかのさらなる弱者をおいつめうる危険性をはらんでいる、といえましょう)。それゆえ、「アイヌ」をふくむ、政治的にむずかしい名称をつかった方がこのましい場面(その様なわかりやすい名称をつかうことで生じる差別撤廃の加速する度あいが、イヤな記憶を他人にもたらす危険性を考慮すれば万人に対して正当化できるとおもえるほどに十分おおきい場面)であるかを、おのおのの場面において器用にいいあてることまでは、ほとんどのひとに期待するべくもないとしても、政治的的権力がつよいひとほど、上記の様な名称問題をこころのどこかにとどめておくという注意はしておいてほしい、とおもう次第である。
1箇所訂正します
たいした知的・精神的検討は、介在していないのでは?
http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2000_04_19/
http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2000_04_19/p_001.html
障害者に対する発言
1999年9月に東京都知事として府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)を視察した後、記者会見で「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」と発言した。次いで「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする」と発言意図を説明した。
上記の発言が一部のメディアで問題発言として報道され、知的障害者団体からも抗議された。石原は「文学者としての表現」と弁明している[52]。
東京新聞はさらに詳しく発言を取材しており、視察の帰りがけに「入所者は自分がだれだか分からない。(彼らに)人生がない、というくくり方をする人もいるが、それなりの人生があるんだという一つの確信を持って仕事をしているのは、素晴らしいことだ」と発言していることを報じた。
石原は自身の発言を差別発言として報道した朝日新聞社に対して、産経新聞紙上で「卑劣なセンセーショナリズムであり、アジテーションであり、社会的には非常に危険なこと」として批判している。
[52]『朝日新聞』1999年9月18日
(ウィキペディア「石原慎太郎」)
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