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Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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新型インフルエンザ騒動の怪31=豚インフルエンザ報道を検証する(第24回) スペインかぜの正体(3)

インフル関連記事
■「新型インフルエンザ騒動の怪30=豚インフルエンザ報道を検証する(第23回) スペインかぜの正体(2)」の続報。
■世界の環境ホットニュース[GEN] 735号(09年11月13日)「豚インフルエンザ報道を検証する(第24回)」を掲載するが、リンク等は、こちらがかってにおぎなっている。




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世界の環境ホットニュース[GEN] 735号 09年11月13日
・・・・・・

      豚インフルエンザ報道を検証する(第24回)

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第24回 スペインかぜの正体(3) 原田 和明


 今年10月12日付ニューヨークタイムス紙に、「1918年のパンデミック もう一人の容疑者はアスピリン」という記事(http://s03.megalodon.jp/2009-1113-1755-44/www.nytimes.com/2009/10/13/health/13aspirin.html)が掲載されました。カリフォルニア州バーリンゲムの内科医・Karen M Starko博士は、アメリカ小児科学会誌に、ライ症候群アスピリンの使用を関連付けた研究結果をこれまで何度も投稿していますが、今度は11月1日に スペインかぜの大流行ではアスピリンの過剰投与が大勢の死につながったという可能性に言及した論文を発表するとのことです。スペインかぜの原因に解熱剤アスピリンを疑っていたのは浜医師一人ではありませんでした。

 1976年の豚インフルエンザ騒動が 死者わずか1名で、1918年のスペインかぜでは、アスピリンの過剰投与が大量死の原因だったかもしれないとなると、それらの末裔であると考えられている今年の豚インフルエンザウイルスも当初から言われていたように弱毒性で、何も大騒ぎすることはなかったということにもなりかねません。「特効薬で重症化」のオリジナルはスペインかぜにあったとなれば、今年の新型インフルエンザ騒動では、タミフルの投与が重症化の原因かもしれないとの疑念にとどまらず、スペインかぜを教科書として、最初からタミフルの副作用を利用してパンデミックを演出するとのシナリオがあったのではないかとの疑いがでてきます。

 ニューヨークタイムス紙の記事は日本のマスコミではまったく紹介されていないようなので、概要を紹介します。

 ニューヨークタイムス紙は、Starko博士がアスピリン原因説を証明するための検死報告書やその他論文をもっているわけではないとしながらも、「アスピリンの過剰投与」という博士の視点は、いくつかの歴史的事実にかんがみて卓越していると賞賛しています。

 当時のアスピリンのパッケージには服用量や毒性についての注意書きはありませんでした。そして、スペインかぜのパンデミックに際し、アメリカ海軍はアスピリンの服用を推奨し、海軍はアスピリンを大量に購入しました。そして、標準的なアスピリンの服用量に対して25倍もの量を服用するよう勧めていたのです。

 今年11月1日に発行の学会誌「感染症問題」に掲載されるStarko博士の論文は、専門家の間で強く支持されるというわけではありませんが、関心を呼んでいます。「Great Influenza」の著者ジョン・M・バリーは「その論文は独創的で、よい問題提起をしていると思います。ただし、どれくらいの人々が博士のいうような過剰投与を受けたのかは知る由もない。」とコメントしています。

 テネシー大学薬学部のPeter A. Chyka教授は、「Starko博士の理論には興味をそそられる。その当時、安全な投与量がどれくらいかほとんど知られていなかった。医者は患者に毒性のサインが現れるまで単純に投与量を増やしてしまうことがたびたびある。治療薬が病気を重症化させるという組み合わせは、ほかにもあるはずだ。(※筆者注:タミフルのこと?)」とコメントしています。

 国立衛生研究所の伝染病学者 David M. Morens博士は、「ウイルスの仕業だけでは、当時の若者の大量死を説明しきれない。Starko博士の論文は、スペインかぜの主要な原因を検証するきっかけになる。」とコメントしています。

 Starko博士は、アスピリンの過剰投与でどのくらいの人が死んだのか推計してはいませんが、「軍の書蔵庫を調べるなど、誰かにフォローアップしてほしい」と言っています。(記事の紹介終わり)

 浜六郎医師は当時の記録と、ライ症候群の疫学調査および動物実験の結果から、スペインかぜで死亡したとされる人の実に 85~97% はアスピリンの影響だと推計しています。(浜六郎「やっぱり危ないタミフル・突然死の恐怖」金曜日2008)

 1921年の文献によれば、一般市民の治療の場合、アスピリン不使用では 575名中死亡は 1名(死亡率0.17%)に対し、アスピリンが用いられた大学病院では294名中15名が死亡(同5.1%)でした。この場合、アスピリン使用群の死亡の危険度は約30倍。一方軍隊では、アスピリン使用群では 325名中 20%が死亡、アスピリン不使用群では3%未満で、この場合の死亡危険度は約8倍となります。この数値はライ症候群での疫学調査による死亡危険度(10-50倍)や 動物実験での死亡危険度(約10倍)とほぼ同じでした。この結果から 浜は、死者の9割はアスピリンの投与によると推算したのです。当時アスピリンの過剰投与があったとすれば、その割合はさらに高くなるかもしれません。

 前回、「残念ながら当時どのくらいの量のアスピリンを服用するように推奨していたのかはわかりませんでした。」と書きましたが、ニューヨークタイムス紙の記事には、当時の使用量が掲載されていました。

 当時のアメリカ医師会は、通常24時間にアスピリン錠剤1粒(325mg)を服用するところ、スペインかぜの流行時には3時間毎に1000mg(=1g)の服用を推奨していたとのことです。これは今日 安全とされている服用量の2倍に
もなります。(2009.10.12ニューヨークタイムス)

 ところで、厚労省のマニュアルによれば、アスピリン肺水腫が起きる血清濃度が 30mg/dL 以上とされています。血液が体重の約8%、血液中の血清成分は約60%として計算すると、体重60kgの人の場合、血清量は60×0.08×0.6=約3kgとなります。さらに、服用したアスピリンがすべて血清中に移動すると仮定した場合、血清濃度が 30mg/dLになるには、900mg(=0.9g)のアスピリンの投与が必要ということになります。これは当時推奨されていた 3時間毎の服用量に匹敵します。実際には服用したアスピリンがすべて血清中に移行するということはないでしょうから、体重60kgの人が1g程度服用した場合に 血清濃度が 30mg/dL になるわけではないかもしれませんが、肺水腫を発症しかねないほどの大量のアスピリンを 3時間毎に繰り返し服用していたのでは、いずれ肺水腫が起きてもおかしくはなく、大量の死者が発生する可能性はかなり高くなるのではないかと思われます。その際、酸素欠乏により皮膚は青くなるのも特徴のひとつです。当時としては、大流行を食い止めるための措置としてアスピリンを多めに処方したのだと思われますが、それが逆効果になってどんどん事態が深刻化していったために、さらに投与量もエスカレートしていったのかもしれません。

 ニューヨークタイムス紙の 記事中に 登場する ジョン・M・バリーが 著した「Great Influenza」(訳:平澤正夫 共同通信社 2005)の冒頭にも、スペインかぜの症状の異常さが紹介されています。海軍少佐(軍医)ポール・ルイスが罹患した水兵たちに対面したときの場面です。(P8より以下引用)

  1918年の半ば、死はいままで見たこともない形で現れた。男たちが
 数珠つなぎになって次々と病棟でルイスと対面することとなった。今
 まで見たこともないすさまじい症例が多く、病人は血にまみれ、瀕死
 の状態だった。(中略)
  多くの者に見られる出血は、ほとんどが鼻血で、中には咳き込んで
 血を吐く水兵もいた。耳から血を流している者もいた。ものすごい咳き
 込みようだったので、死後、検死解剖してみたら、腹筋があばらの
 軟骨から離れてしまっている者さえ見られた。その多くが苦悶あるい
 はうわごとでも言うように七転八倒し、意思疎通のできる者のほとんど
 全員が、目の後ろの頭蓋骨にくさびを打ち込まれたかのような頭痛と、
 骨が砕けるかと思うほど激烈な体の痛みを訴えた。少数ながら嘔吐
 する者もいた。死の間際に、皮膚の色が変わる水兵がいた。唇の周り
 や指先が青みを帯びているだけなのだが、その色が濃すぎて、白人
 なのか黒人なのかちょっと見分けがつかないような者さえいた。
  黒色といってもおかしくなかった。(引用終わり)

 皮膚の色が青くなるのは、血液中の酸素不足が原因(チアノーゼ)と見られ、タミフルを投与された インフルエンザ患者にも しばしばみられる症状です。(浜六郎「やっぱり危ないタミフル・突然死の恐怖」金曜日2008)ある軍医は死者の皮膚の変化から「黒死病(ペスト)発生」と報告したとのことです。そのほかにも、インフルエンザや肺炎とは違う 症状に戸惑う 当時の医師たちがたびたび登場します。

 「鼻血などの奇妙な症状を伴う肺炎」(P139)「肺の病気は複雑ないし変化に富んでおり、ここ20年間に行なわれた数千という検死解剖でいつも目にしてきたものとは、とにかくかなり性質が異なるという印象を受ける。平年の一般的な気管支肺炎とは異なっていた。」(P140)「ときには、極度の酸素不足から患者はチアノーゼ症状を呈していた。体の一部もしくは全体が青みがかり、ときには濃い藍色に変色しつつあった。」(P141)

 そもそも、アスピリンを過剰に服用するようになったのは、当時インフルエンザが流行していたという事実があったからです。スペインかぜの発生地について、ウィキペディア「スペインかぜ」では、「発生源は 1918年3月米国のデトロイトやサウスカロライナ州付近である」とされていますが、ジョン・バリーは1918年春の「アメリカ公衆衛生報告」に掲載された「重症型インフルエンザ」という報告をもとに、スペインかぜは、1918年1月に、カンザス州 ハスケル郡で発生したのち、ウイルスは州を東に横断し、広大な陸軍基地(キャンプ・ファンストン)へと広がり、そこから米軍兵士の移動とともにヨーロッパに渡ったと推測しています。しかしながら、ハスケル郡の インフルエンザは 1918年3月に終息しています。それにハスケル郡での死亡率は、米国全体と比較してもわずかなものでしかなかったとのことですので、まだこの時点では、普通のインフルエンザ程度の認識だったと思われます。

 それに対し、ハスケル郡に隣接するアメリカ陸軍の訓練基地であるキャンプ・ファンストンで最初の感染爆発があったことがわかっています。キャンプ・ファンストンは平均で5万6千人もの新兵を抱える大きな訓練キャンプですが、アメリカの第一次世界大戦の参戦に合わせて1917年にわずか数週間で急造されたため、施設の建設が間に合わず、わずかな兵舎はすし詰め状態で、多くの兵士はテント暮らしを強いられていました。もちろん医療施設も当初はありませんでした。そこへもってきて、1917年から18年にかけての冬はロッキー山脈東部で観測史上最も寒く、その上、陸軍の報告書では、暖房も防寒衣料も提供できなかったことを認めています。そのため、兵舎では麻疹(はしか)が流行、患者は高熱と光に対する極端な過敏症状と激しい咳に苦しみ、合併症にはひどい下痢、髄膜炎、脳炎、激しい中耳炎、痙攣などがあったとされています。

 そこで、陸軍は感染防止の観点から、兵士たちが密集しないようにするため、兵士たちがストーブの周りに集まることを禁止する命令を出して、将校が見回りをするという信じがたい行動にでました。記録的な寒さの中、防寒衣料もないままテント暮らしを強要された上、ストーブで暖を取ることもできなければ、感染症が蔓延するのは当然のことでしょう。

 しかし、それでもキャンプ・ファンストンでは、1918年3月に 1100人あまりの兵士が体調不良を訴え、237人が肺炎と診断され、そのうち死亡者は 38人でした。この数は通常のインフルエンザで見込まれる死亡者数よりも高かったものの、その後のパンデミックで見られた死亡率よりはるかに低いものでしたから(ジョン・M・バリー「Great Influenza」訳:平澤正夫 共同通信社2005)、このときもまだ、異常事態というわけではありません。

 インフルエンザが アメリカからヨーロッパへ広がったのは、4月上旬にアメリカ兵が上陸したフランスのブレストからでした。フランス陸軍に続き、中旬にはイギリス軍、下旬には敵国ドイツ軍にもインフルエンザが流行しました。たとえば、イギリス軍は、5月に陸軍第一軍で3万6473人が入院、軽症患者は数万人、第二軍では弾薬隊 145人中15人しか部署につけない、といった状況でしたが、いずれも合併症は見られず、兵士のほぼ全員が回復しています。ここでも、罹患者は多数ですが、症状に関する限り通常のインフルエンザといった感じです。

 しかし、ヨーロッパでのインフルエンザの激増が、関心を集めることになりました。当時の医学雑誌には、一般的に良性と書かれていましたが、ことによると、必ずしも良性ではなく、インフルエンザが本当に猛攻を仕掛けてくるようになれば、とてつもなく凶暴なのだという情報も見られるようになっていました。(ジョン・M・バリー「Great Influenza」訳:平澤 正夫 共同 通信 社2005)

 そして、スペインかぜの特異性が報告され始めるのもこの頃からです。ある軍の報告には、「湿性の肺出血を伴う劇症肺炎」で「24時間から48時間後に死亡する」との記載が登場しています。さらに、シカゴ市民の犠牲者を検死解剖したところ、同様の症状を伴う肺が見られた。ケンタッキー州ルイビルでも、インフルエンザの統計に例外現象が現れていました。死亡者が多いだけでなく、死亡者の40%が20-35歳という若者に集中している点です。

 インフルエンザの流行が喧伝されるようになって、不安になった人々が特効薬を買い求める。しかし、それが重症化の原因になっているかもしれない…。スペインかぜ騒動は、こうしてみると、今年の豚インフルエンザ騒動と重なるところがたくさんあります。

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■浜さんや 原田さんたちの指摘・疑念・批判が、権力攻撃のための謀略論、不安をあおるだけの陰謀説だというなら、再三のべてきたとおり、当局こそ、これらの疑念に充分こたえる責務がある。

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テーマ : 新型インフルエンザ - ジャンル : ヘルス・ダイエット

タグ : 真理省 1984年 ハイパー独裁 安全

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