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Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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ダライ・ラマが沖縄で講演「米軍基地が必要な時期続いている」(産経)ほか

ダライ・ラマが沖縄で講演「米軍基地が必要な時期続いている」
『産経』2009.11.5 22:59

 来日中のダライ・ラマ14世は5日、那覇市内で「平和と慈悲の心」と題する講演会を行い、この中で、沖縄県内の米軍基地問題に触れ、「米軍の基地がまだ必要とされる時期が続いている」と述べた。
 講演会は地元メディアが主催したもので、参加者の質問に答えた。
 ダライ・ラマは「(基地の存在は)長い目で見るなら、なくならなければならない」としながらも、「グローバルなレベルで考えないといけない」と、まだその時期ではないと説いた。
 ダライ・ラマは「アジアを見ると、北朝鮮では核開発が進み、中国も超大国で、世界のために建設的な貢献ができるはずだが、先が見えない」と、中国や北朝鮮を牽制(けんせい)。その上で、「米国は民主国家であり、自由をうたい、正義をスローガンにしている」と米国への期待を示唆。こうした現状から、「沖縄の地域だけを考えるのではなく、世界的な視野に立った考え方をしていかないといけない」とし、「米軍の基地がまだ必要とされる時期が続いていると思う」と重ねて強調した。
 また、米兵との間で起きるさまざまな問題については、「問題があることは認識しているが、法律的に取り締まる方向に努力していかないといけない」と述べるにとどまった。

--------------------------------------
■さすが「産経」といった感じ、『琉球新報』などは、これにはふれていないし、むしろ正反対の論調をダライラマがかたったようにしかよめない。■きょうあった、現地ちかくの集会とかを、あらかじめ印象をよわめようといった意図を感じるよね。



普天間移設:宜野湾で県民大会「新基地建設ノー」決議採択

2009年11月8日 17時5分 更新:11月8日 18時22分

宜野湾で県民大会

辺野古への新基地建設と県内への移設に
反対し、ガンバローを三唱する人たち=
沖縄県宜野湾市で2009年11月8日
午後3時31分、金澤稔撮影


 沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の米軍普天間(ふてんま)飛行場の移設問題で、「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が8日午後、宜野湾市の海浜公園であり、約2万1000人(主催者発表)が集まった。「民主党中心の新政権に代わった今、改めて県民の新基地建設ノーの意思を明確に伝える」とする決議を採択した。
 また、普天間移設について訪問先の米国で、日米合意通りキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)への移設を求めた松沢成文・神奈川県知事に抗議することも決めた。
 大会の共同代表で、普天間飛行場がある宜野湾市の伊波(いは)洋一市長は、普天間の辺野古移設や嘉手納統合に約7割の県民が反対し、県外、国外への移設を求める結果が出た毎日新聞と琉球新報の世論調査結果を引用。そのうえで「オバマ大統領に対し、基地が県民にとっていかに負担になっているかを鳩山由紀夫首相は強く訴えていただきたい。私たちはあきらめません」と訴えた。
 友人らと参加した西原町我謝(がじゃ)、城間(しろま)勇吉さん(72)は「この大会で声を出さないと、沖縄は押されてしまう。沖縄に基地はいらないと言っているのに、辺野古に新たな基地を建設するというのは許せない。鳩山首相は県民大会の意思を受けて県外移設を決断してほしい」と話した。
 社民、共産、民主など県議会野党会派や各種団体でつくる実行委員会が、13日のオバマ米大統領訪日前に県民の意思を示そうと企画した。自民、公明は組織としての参加を見送った。【井本義親、三森輝久】

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ダライ・ラマ14世:那覇で平和講演 民主化に伴い基地撤廃を

 初来県したダライ・ラマ14世は5日午前、糸満市の沖縄平和祈念公園を訪れた後、八重瀬町のホテルで琉球新報などのインタビューに応じた。その中で在沖米軍基地について「既にアジアでは全体主義的考え方、軍事力崇拝の気持ちは失われている。民主主義が広がり、より開かれた透明性のある世界が実現した時、当然沖縄の基地もすべてなくならねばならない」と話し、アジアの民主化に伴い、基地は撤廃されるべきだと強調した。「基本的に力を使うのは時代遅れ」と軍事力による問題解決を批判し、対話による平和的手段を主張した。

 基地から派生する事件・事故や犯罪については「米国の政治的なリーダーたちも、もっと関心を払ってほしい」と強調した。

 那覇市の県立武道館で5日開かれたダライ・ラマ法王沖縄特別講演(ダライ・ラマ法王沖縄招聘委員会、琉球新報社、沖縄テレビ主催)では、平和の礎を訪れた印象について「日本兵の名前だけでなく、米国の兵隊の方々の名前も同じように刻まれ、人間性の精神が本当に実践されている。敵、味方の区別なく、同じ一人の人間として米兵の名前も心から追悼の意を持って刻まれているのはポジティブな意味を持つ」と高く評価した。

 講演は「平和と慈悲のこころ」と題し行われ「最も大きな関心事は個々人の心がかき乱れていることだ」とし「愛や慈悲の心を内側から育てることが一人一人の幸せにつながる」と強調。その心を持ち人間の優れた知性と他者への敬意を結び合わせれば「どんな悲劇や違いも乗り越え平和的解決を見いだせる」と訴えた。

 また自身の経験から、どんな国や地域の人も「人間は皆、同じ。優しさの種は母や母のような人からの愛情だ。それを内側から育てないといけない。すべての人はその愛情をはぐくめる同じ可能性を持っている」と語った。(座波幸代)

(琉球新報)


“慈悲の心”の種 沖縄に ダライ・ラマ
『琉球新報』2009年11月6日

 糸満市摩文仁の沖縄平和祈念公園を5日午前訪れたダライ・ラマ14世。沖縄戦の戦没者24万856人の氏名が刻銘された「平和の礎」を訪れた後「唯一の被爆国である日本の人々が世界の平和構築の先頭に立ってほしい」と声明を発表した。県立武道館での特別講演では、会場を埋め尽くした3500人の聴衆がノーベル平和賞を受賞したチベット仏教最高指導者の言葉に熱心に耳を傾け「慈悲の心を広げたい」などそれぞれが感銘を受けていた。
 平和の礎を訪ねた後、沖縄平和祈念堂でしめやかに戦没者法要が営まれた。約100人の招待客ら全員が立ち上がり盛大な拍手で出迎えると、ダライ・ラマは応えるように手を合わせ、ゆったりと平和祈念像の前に立った。
 祈念堂を運営する沖縄協会の尚弘子理事からダライ・ラマに「命どぅ宝」の心を込めて手作りしたという琉球手まりが贈られた。ダライ・ラマからは感謝や敬意を表した「カタ」と呼ばれる白いスカーフが贈られた。尚理事は「予定にはなかったので、渡すことができてうれしい。平和の象徴として差し上げた」と満面の笑みで語った。
 講演会会場にはチベット仏教が根付いているモンゴル出身の大相撲横綱・朝青龍関の姿もあった。
 「形式張ることなくざっくばらんに話している。形式にこだわると皆さんとの間のバリアになる」と会場を和ませながら話すダライ・ラマ。会場から基地やチベット問題などを尋ねるため質問者が列を作った。
 来場した酒井美岐さん(26)=北中城村、看護師=は「法王から慈悲の心、愛を育てていくことを教えてもらった。愛の種が風に乗って広がっていけば、世界は平和にできると思う」と感慨深げに語った。

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ダライラマが、『産経』がのべるような発言を会見でしていたのなら、ほかのメディアは、つごうのわるい情報をふせたことになる。それは、かなりまずい。■一方、『産経』のような報道だけなら、平和のためにやってきたダライラマの全体像を 意図的にユガめ、親米保守の政治的利害のための、プロパガンダにほかならないといえそうだ。



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タグ : 真理省 1984年 ナショナリズム ハイパー独裁

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コメント

またまた失礼

僕はこの人胡散臭いなと感じるんですけど、左派の人達にとっては偶像としては完璧なんですかね?詳しく教えてくれたらうれしいです。

サヨクの偶像ではなくて、ウヨクの道具

■何度かとりあげていますが(http://harana.blog21.fc2.com/?q=%A5%C0%A5%E9%A5%A4)、影響力絶大ですが、あやしいかたです。■左派で幻想をいだいているのは、一部だとおもいます。
■右派で、ウィグル問題・台湾問題などとあわせて、妙にもちあげる層は、完全に、道具として利用したい部分(「敵の敵は味方」論)ですね。石原都知事とか、このての層には、あやしい発言・野蛮な暴言でみちあふれた人材がたくさん。■中国共産党にくしの、ひとびとにとっては、資本主義以外の大国が帝国主義をやらかしている2例(ロシア・中国)に抵抗するシンボルなので、これほどよい偶像はないのです。

■もちろん、アラファート議長(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%88)のように、なくなってしまえば、すがりついていたひとびとも、その幻想にきづくでしょう。ひとりのカリスマにたよるような運動は、所詮それだけのものであり、ながつづきしないと。カリスマ信仰は、あらゆる意味で、不自然な元気であって、薬物とおなじ、いずれ薬効がきれるし、きれた反動の方がこわい。

ダライ・ラマって面倒な人ですね

この胡散臭い人を県民大会に出してよかったんですかね?主催者側は大会の飾り付けか景気づけにでもなればと出したんでしょうか?

ダライ・ラマ法王沖縄招聘委員会

『沖縄タイムス』2009年01月05日 社会

ダライ・ラマ来沖か/沖縄招聘委 実現向け準備進む

 チベット仏教最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ十四世が十一月に沖縄訪問を予定していることがわかった。ダライ・ラマ法王沖縄招聘委員会の長嶺信夫代表幹事(68)が四日、明らかにした。
 沖縄訪問では、沖縄戦戦没者へ祈りをささげてもらうほか、講演会なども企画されている。長嶺代表幹事は「沖縄戦戦没者の慰霊と県民が希求してきた恒久平和の願いを世界に発信したい」と話した。
 現在、県内の各界に趣意書を送付し、協力を要請。副代表幹事のサーカー・スニエル・ランジャンさん(59)とともに実現にむけ、奔走している。
 昨年八月には「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」の代表が来県。長嶺代表幹事らが、平和の礎や南部戦跡などを案内した。十一月には福岡県であったダライ・ラマ十四世の講演会で同十四世と直接面会するなど、沖縄訪問に向けて精力的に準備を進めてきた。十二月に入って来沖の方向性が固まったという。
 長嶺代表幹事は医師、サーカー副代表幹事は経営コンサルとして日常業務に追われながらも「沖縄招聘」実現に向け連日奮闘している。
 長嶺代表幹事は「全精力をかけてやる。来沖実現は確定ではなくまだ九割の段階。国際情勢で日程が左右されることもある。本人が来沖してはじめて確定だ」と話し、サーカー副代表幹事も「沖縄サミットに次ぐ大きなインパクトをもつ取り組みだ」と力を込めた。



ダライ・ラマ 11月5日講演 来県日程決まる2009年8月5日

 ノーベル平和賞受賞者で、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世の初来県の日程や講演会の詳細などについて4日、「ダライ・ラマ法王沖縄招聘(しょうへい)委員会」の比嘉幹郎委員長らが県庁で発表した。
 ダライ・ラマは11月4日に沖縄入りし、6日までに糸満市の魂魄の塔や平和の礎を訪問し、平和祈念堂では戦没者の追悼などを行う。5日には那覇市の県立武道館で「平和と慈悲のこころ」と題した特別講演(同委員会、琉球新報社、沖縄テレビ共同主催)を行う。
 比嘉委員長は「第2次世界大戦で悲惨な体験をした沖縄の地から人種や国籍、宗教を超越した平和へのメッセージを発信することは大変有意義」と話し、ダライ・ラマの持つ世界への発信力に期待を寄せた。
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のラクパ・ツォコ日本・東アジア代表は「今回の来県は同委員会の『沖縄に来てほしい』という情熱で実現した。沖縄の歴史を学び、法王が講演をするにふさわしい場所だと感じた」と話した。
 今回、四国地区仏教会連合が正式に招聘し、来日が決まった。10月下旬に来日し、東京や愛媛での講演を終えた後に沖縄に入る。
 11月5日の特別講演チケット(3千~5千円)は9月1日から発売。問い合わせは琉球新報社事業局(電話)098(865)5255、沖縄テレビ事業部(電話)098(869)4415まで。

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■代表幹事の長嶺さんというかたは、仏教徒なのかな? 「沖縄菩提樹協会」という団体の役員さんだそうです(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24654-storytopic-5.html)。■比嘉幹郎さんというのは、実業家。もと琉球大学教授(比較政治学・行政学)・もと沖縄県副知事。
■高額ではないけど、あきらかに収益をみこんだ講演会ですが、協賛メディアは、『琉球新報』系統のようですね。

■ちなみに、チベット自治政府は、インドに土地をかりて亡命していますが、資金はCIAなどアメリカ政府からもらっているという、まさに「敵の敵は味方」を実践して、共産党政権とわたりあってきた組織。■日本でも、あきらかに右派系の人士とかかわりをもっていることは、当方のブログでもとりあげきましたが、およそ きれいごとで反戦平和運動をやっている人士には、たちうちできない、つわものたちです。

つわものたちですね。

利益見込みで来県してもらったということですか。どんな組織でも誰かの利益の代表でなければ成り立たないと聞いたことがありますけど、大義とか虚栄とかが入り乱れたものなんですかねダライ・ラマの来県も?

出席者による報告

http://plaza.rakuten.co.jp/nahatektek/diary/20091105/
閉会の挨拶 代表幹事 長嶺信夫 
  今回の講演の簡単な収支報、今回はボランティア運営の度合いが高く、パンフレットに一切の広告もいれていない点、TV局や新聞社は一切のボランティアで司会者などもこのイベントの報酬は無い点、運営費は全て入場者のチケット代のみでまかなえたこと、協力してくれた印刷業者や警備会社、100名のボランティアと、来場者への感謝の言葉を述べ、余った500万円をダライ・ラマ事務局にその場で寄付。


■ちょっと、誤解をまねくいいかたでしたが、こういった講演会が、もちだし前提のボランティアのはずがなく、日本の「ダライ・ラマ事務局」(http://www.tibethouse.jp/home.html)とかの資金提供などの目的をともなわない、招聘はありえないとおもいます。■日本の、なまぐさボウズたちが、内容空疎な「法話」とやらをタレながして、集金業務にはげむのとくらべれば、おおきな社会貢献をしているとおもうんで、500万円の資金提供にウソがないなら、いいんでは?

偶像も道具もいっしょのような感じ

しかし、意地汚い社会貢献ですよね。チベット自治政府という事務所がダライ・ラマという清純派アイドルを世界中に必死になって売り出しているみたいな感じですね。まあなにかやろうとしたらお金がどうしても必要なんでしょうけど。

マイノリティは「清純派」を演出する必要にせまられるんです

■敵は、アメリカがツブせないと自覚する大・中国なんですから、つかえる資源は、「イジメられている清純派」というブランドだけです。■チベット仏教のお坊さんたちが日本国内などとは別格に尊敬されていることは事実なわけで、かれらが高潔かどうかなんて、内政的には無意味です。かれらを前近代的な搾取層だと非難した共産党は、収奪者ではなかったのか? 大量植民していった漢族は、侵略者ではないのか? そういった、世界史的な正統性闘争がくりひろげられているわけで、その次元では、中国共産党は完敗です。国内的に圧勝であっても、国際的には、ひどく悪者です。■しかし、それぐらいのブランド力の格差がないと、武力・人口・経済力には対抗できない。

障害者役割

とゆー、表現もありますな。もちろん、問題は「障害者」でわなく、「健常者」に存するのですが。

要は「多数派」学、「加害者」学ってことですね。

■障害学が、援助者中心の医療モデルにたった「社会福祉学」とか「リハビリテーション学」ではなく、社会モデルにたった「健常者」学的な本質をかかえるようになったのとおなじく、女性学が、その大半を男性学・男性性研究の性格をつよめていく宿命をかかえたいたように、少数派研究をすすめていって、問題の因果関係やヘゲモニーを解明していけば、必然的に「多数者」「加害者」を批判的に検討するほかなくなるってことですね。


■その意味では、チベット・ウイグル・モンゴル・マンシュリア等、中国大陸周辺の少数派の境遇を再検討することは、清朝と中華民国と中華人民共和国の本質の異同を再確認する作業=「漢族」研究を意味すると。■でもって、右派は、中国共産党にくしといった観点からのみ、少数派問題をとりあげる「敵の敵は味方」論なので、いつまでたっても、中華帝国=エセ・コミュニズムの幻影だけおってしまって、結局、日本式「黄禍論」から、ぬけだせない。■せっかく近代になって、中華コンプレックスを卒業して、大中華にとってかわれたとおもったのに、みじかい覇権時代で、かなしい。また文化的・経済的併呑の恐怖におびえるようになるのは、イヤだ…といった、被害妄想がつのる。あせるがゆえの、バッシング。…あまりに、みぐるしい。

少数派研究って最終的に一般性、普遍性を持ったものにしないと単なるマニアックなものに終始してしまいますよね。どこまで多くの人に合わせて卑近させるかも課題だし、興味を持ってもらわなければそこで終わりですし。

というかですね

少数者の文化的実態に共感して接近する…とかいうんですが、ホントに接近したら、「ミイラとりが ミイラ」で、フィールドに いついて、かえってこないはずなんです。そこで、結婚してしまうとか(笑)。■つまり、マレビトとして歓待をうけて、またホームにかえってくるっていう距離のおきかたと、マニアックな関心が両立するってのは、のぞきみ趣味による搾取が大半なんですね。■すくなくとも、少数者が苦境にあるときに、マニアックに少数文化の研究するヒマがあったら、苦境を打開すべく、抑圧者である多数派研究・対策に時間をさかねばならないと。
■カネめあて、名利追求じゃなくて、単なる個人的趣味としての探求ってのは、純真にみえますけど、マニアックな研究に時間・資金をつかえてしまっている、そのユトリは、どこからでているかですね。自己資金じゃなかったら、税金とかが、かならずまとわりついているわけで、公費がらみで趣味追求して、社会に還元する気はないわ、少数者から情報提供させて知的搾取するわ、苦境の打開には全然精力・資金・人脈をつかわないわ…では、単なる「バカセ」だろうと(Hituziさんの師匠、安渓遊地さんの持論です。http://spysee.jp/%E5%AE%89%E6%B8%93%E9%81%8A%E5%9C%B0)。

純真な点では軍事マニア達は自己資金でやっているし善悪やイデオロギーを軍事に持ち込んだり、それで捉えるのを毛嫌いしますよ。
この人達もマイノリティだけど抑圧者(反戦平和主義者達かな?)対策はなにをやっているんだろう?論理の突き詰めかな?

無邪気なオタクの存在を否定しませんが

http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1798
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/572#comments

あたりで指摘したとおり、たとえば「週刊オブイェクト」(http://obiekt.seesaa.net/)あたりでもりあがっている層は、とても無邪気とはいえません。■あきらかに、既存の保守政治家や右派の世界戦略と呼応する政治意識をもっている。だから、反政府的なツッコミをいれると、しつこく攻撃してくる。■自分たちの軍事学的な知識の正統性がゆさぶられたとおもうんでしょう。軍事官僚としての合理性と、政権の安全保障戦略の正統性とはちがうんだろうに、オタクな関心は、実に保守的・右派的な政治判断にまみれていたのでした。

■そして、たとえばメカだけとか、組織原理だけに関心のあるマニアがかりにいるとしても、たとえば、そういった知識の、軍事空間での現実的機能を計算しない鈍感さがあるとすれば、それは無邪気といったかたちで、弱者・少数者あつかいできないでしょう。■イラクとかアフガニスタン現地では、そういった武器によって、住民が死傷しているわけで、軍事科学の進展を、「進歩」だなどと、SF的にたのしむことは、政治オンチというべきです。■一方、アフガニスタンでの反政府勢力掃討作戦に疑問を呈したり、沖縄の辺野古での騒動を批判したりすると、既存の日米政権べったりの擁護論にはしるなど、単なる右派的言動であって、無邪気とはおもえない。かれらは、その軍事的知識が「正義」のためのものだと、信じきっているんじゃないでしょうか?
■また、ちゃんと分析していませんが、田母神発言のときだって、軍事オタクはたぶん二分されていたんじゃないかと。軍事史的にダメダメだって、きりすてるがわと、あの暴言を擁護してしまう層と。後者は、それで歴史オタクなの? って、論外な気がしますし、前者だって、ダメというときの論拠は、かれらが自明視している「地政学」とやらの政治性・かたよりに無自覚なものだとしたら、問題おおありです。
■総じていえることは、かりに軍事技術信奉者だとしても、その政治性に無自覚なのは、差別される少数者などと、配慮するにあたいしないし、かりに安全保障論者にしても、それが、国体護持論なら、国民の安全保証ではなくて、政府・要人・大資本ほかインフラの護持でしかないと(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/251http://tactac.blog.drecom.jp/archive/307)。そこには、「住民」のなかに「非国民」だとかをふくめて、最初にきりすてる計算にいれられてしまう層などを自明視した、生命・尊厳等の序列化がみえていて、とても、ニュートラルな安全保障論とはおもえないわけです。戦前の「国体護持」論が、つまるところ、天皇制護持と帝国陸海軍の維持だったような意味で。

週刊オブィエクトは評判悪いですよ(笑)
「私は間違えない」と言う人は嘘ついてるはずですしね。
軍事オタクはアニメやマンガなどサブカルが絡んできますから軍事マニアを公称に使ったほうが無難かと。
外国では軍事を学問(日本にもあるけど国際政治学とか)として扱っているところもありますよ。
アメリカとかだと
米国の大学では「(広義の)軍事学」は3つに区分されて,それぞれの学科等で学ぶことになる.
(1)士官養成を目的としたROTCの「(狭義の)軍事学=military science」
(2)政治学科で開講される,国際政治学の一部としての「安全保障論=security studies」
(3)歴史学科で開講される「軍事史=military history」
軍事学は職業教育としての側面と,教養教育(即ち人文学・社会科学)としての側面の2つがある。
日本みたいに学部・学科制のような枠組みと似たような形式では米国には存在しない。
他、イギリスとかスイスとか。
ニュートラルな安全保障論とはなんなんでしょうね?
こういうものには謙虚さが大事だと僕は思いますけど、安全保障論を調べようとしたら兵器・戦術も必要ですしね。

いろいろ

■「週刊オブィエクト」の運営者自身には全然興味がありませんが、むしろ、かきこんでいるマニアが、気色わるい。■当方のブログにむらがってきたのも、運営者本人というより、ギャラリーたちだとおもいます。

■以前、旧ブログでかいたとおり(紹介ずみのURL)、軍事学は、平和運動の展開・追求のためにも不可欠です。女性の運動家にありがちなように、「自分たちは兵士たりえないので、非暴力主義です」はいいとして、「だから、野蛮な軍事学には、ふれることもイヤです」系のふんいきは、ダメだとおもいます。情報公開制度をつかって米軍のうごきを監視することができますが、それだって、最低限の軍事学的基礎知識が不可欠ですし、クラウゼヴィッツの「戦争」論ぐらいをふまえないで、地政学によってたつ、右派オヤジには対抗できません。現に米軍が存在し、すぐに軍縮がすすまない以上、あることを前提に、つかわせない運動を展開するしかなく、そのためにも、最小限の知的「武装」が必要です。■兵站など、軍隊の本質をしるうえでの技術論、地政学を「科学」と誤解して、イデオロギーと無縁の客観的知だと信ずる層の無自覚な政治性を充分把握するためにも。

■その意味で、「ニュートラルな安全保障論とは」というといは、無意味でないとおもいますが、すくなくとも、軍隊を前提にした安全保障である以上、ニュートラルはありえないとおもいます。武装警官がでた時点で、ニュートラルな治安維持などなくて、究極は政府をはじめとする現体制を護持するという組織・制度になるほかないように、「軍事力には軍事力でしか実効的な抵抗ができない」という論理にたつかぎり、軍隊を指揮命令できる組織、シビリアンコントロールにしろ政府といったものの政治的利害はなくならないので。

こんなのがありますが

1,人間が存在する限り,戦争は消滅しない.
2,戦争の本質は変わらない
3,戦争というのは様々な形態で行われる
4,未来の戦争は必ず政治的な理由にのっとって行われる 
5,戦争というのは政治・軍事的な面だけではなくて,かならず社会面,文化面でも行われる
6,未来の安全保障問題というのは,必ず予測不可能の事態に直面する
7,戦争は国際機関や国際法などの取り決めでは完全に防ぐことはできないが,なんとかコントロールすることはできる

雑感というか、ソボクな疑問

1,人間が存在する限り,戦争は消滅しない.
  ↑ ■「戦争」の定義によりますけど、それ次第では、わからないとおもいます。 ■そして、「戦争は消滅しない」という悲観論は、経験的な「あきらめ」というよりは、戦争に消滅してほしくないという男性原理的信仰/幻想を感じます。

2,戦争の本質は変わらない
  ↑ ■「本質」という表現が意味不明ですね。■すくなくとも、王族たちがおこなっていた戦争と、近代戦は異質ですし、近代戦と総力戦体制とかコンピューター制御のハイテク兵器や輸送システムの現代戦とは異質です。■「本質」の普遍性なんていっている時点で、歴史的比較の能力がないか、単に不勉強なのだとおもえてしまいます。

3,戦争というのは様々な形態で行われる
  ↑ ■「様々な形態」? あたりまえでしょ? ■むしろ前項のような断定をできると信じる=普遍性信仰がある人物が イメージする「様々な形態」とは、なにをいいたいのか不明。

4,未来の戦争は必ず政治的な理由にのっとって行われる 
 ↑ ■クラウゼヴィッツのように「政治的交渉」の一種とみる古典的戦争観にふれていれば、なおさらですが、政治的理由がからまない戦争などありえないし、大義名分が必要になった近現代戦にあって、「政治的な理由」を演出しない戦争開始・維持は、不可能でしょう。■むしろ、「未来」という限定が意味不明。

5,戦争というのは政治・軍事的な面だけではなくて,かならず社会面,文化面でも行われる
 ↑ ■プロパガンダ戦のことでしょうかね? あるいは、ナチス期の戦争芸術でしょうか? あいかわらず、「かならず」といった限定が意味不明。

6,未来の安全保障問題というのは,必ず予測不可能の事態に直面する
 ↑ ■戦闘行為などあらゆる戦争は、継続中に「必ず予測不可能の事態に直面する」んだそうです(『補給戦』クレフェルト)。■戦争が「必ず予測不可能」である以上、安全保障といった制度も、そうでしょう。

7,戦争は国際機関や国際法などの取り決めでは完全に防ぐことはできないが,なんとかコントロールすることはできる
 ↑ ■前項までの検討の結果いえることは、確実なことは、なにもいえないということ。想定外のことが、大体おきてしまうという普遍的現実。■「なんとかコントロールすることはできる」という結論の具体的含意が、これまた意味不明ですが、戦闘の集積としての戦争が、いつまでもつづけられないことは、「後方支援」などの物理的条件から当然です。つまり、いずれ戦争は絶対におわる。おわってしまえば、「コントロール」可能でしょう。しかし、そんなことは、安全保障にとって、なんの意味もない。問題は、無用な紛争をさけることであり、紛争にともなう無意味な浪費・環境破壊・人的文化的損失なわけで、最終的におわるというかたちで「コントロール」が可能になったとかいった、最低の結末のばあいに、なにが規制できたのか、具体的にきいてみたい。

『なわばりの数理モデル』(共立出版)

という本を紹介します(ISBN-13: 978-4320018785)。参考までにどうぞ。

答えられるのだけ

僕が紹介した上の文はレーガン政権で五年間ほど軍事戦略アドバイザーをしていた戦略学者の話です。
上の文の諸点は戦争の本質は不変だと本人は言っています(説明不足でした)

戦争の定義になるとややこしくなるんですけど、戦争の原因は何か?ですと決定的とも呼べる回答を今から二千年ほど前ギリシャのツキディデス(Thucydides)という人物が答えています。
彼によると、戦争の原因(というか、あらゆる争いの元凶)というのは三つに集約されます。それは、

1,恐怖 (fear)
2,名誉/面子 (honor)
3,利益 (interest)

ということです。

 この三つのどれが正しいのか?といえば、答えは「全部」、ということになります。

 もちろん陰謀説などを唱える人は(3)の「利益」がすべてだ!というようなとらえかたをしがちですが,世の中それがすべてだ,とは言い切れない部分もどうしても出てきます。

 たとえば,この場合は支配層の(2)「恐怖」という部分にも注目しなければなりません。

 リアリストはどうかというと,この三つの要素の中では(1)の「恐怖」と(2)の「名誉」という要素を重視しがちです。

 この三要素は,国家関係のみならず,個人的な人間関係など,すべてのことにもよく当てはまるような気がします。
 昔のギリシャ人はスゴイ。

という感じで戦争の根本は最終的に心理学的なものにあたるので戦争の消滅はないんじゃないですかね。

戦争を望む人は少ないと思いますよ。下手したら自分達が死ぬことになるかもしれませんし損することも、経験によるあきらめも軍事を深く知っている人はリアリストが多いけどニヒリストではないですから的外れだと思いますよ中にはいるかもしれませんが。
法律を守らせようする強制力は法律の存在だけでは力不足ですから、どうしても暴力を担保にする必要があります(国連は独自の実力行使手段、ようは武力がないから比較的無力)
法秩序は強制力があって初めて意味を持つと思いますから。

未来の限定は、未来の戦争を説明するためだと思いますよ。

コントロールの話はこれでも
 戦争根絶は人類の悲願と言えます.
 しかし,現在のように対等の主権を持つ国家が並列する状況では,人間の間にまったくケンカがなくなることはないのと同様,国家の利害の衝突が戦争に発展する危険性は常にあります.
 残念ながら,「戦争反対」のスローガンを叫ぶだけでは解決しないようです.
 例えば,永世中立国として知られるスイスも,次のように述べています.

 平和と自由は,一度それが確保されたからといって,永遠に続くものではない.
 スイスは,何ら帝国主義的な野心を持たず,領土の征服などを夢見るものでもない.
 しかし我が国は,その領土を維持し,自ら作った制度を守り続けることを望む.

 そのために力を尽くすことが,我が国当局と国民自身の義務である.
 軍事的防衛の準備には,絶えざる努力を要するが,精神的防衛にも,これに劣らぬ力を注ぐ必要がある.
 国民各自が,戦争のショックを蒙る覚悟をしておかねばならない.その心の用意なくして不意討ちを受けると,悲劇的な破局を迎えることになってしまう.

「我が国では決して戦争はない」
と断言するのは軽率であり,結果的には大変な災難をもたらしかねないことになってしまう.
 では,根絶するには現実的にどうすればいいのか?
 いかなる学者もこの問題に答を出せてはいません.
 いわゆる「地球政府」も,その樹立に至る過程で反地球連邦主義者との激しい戦いが発生するでしょう.

 また,以下のような試みも行われましたが,結局は失敗しています.

 私は13年間,外務省の委託で事務局長特別顧問を務め,ユネスコの「伏魔殿」の深刻さを身をもって経験した.

 そもそもユネスコは,国連本部,とりわけ安全保障理事会を中核とした「力による平和」の維持というレアル・ポリティーク(現実政治)に対し,平和という目的を達するために,平和的な手段を選ぶという理想主義を原点としている.
 古代ローマ以来,「平和を望むなら戦争に備えよ(Si vis pacem para bellum)」が為政者の常識とされてきた.
 しかし,進化論に立つ動物学者,初代事務局長のジュリアン・ハクスレーらの高度な知性を誇る創始者達は,この常識に挑戦する.
 人種差別・貧困・社会的不正・政治・言論の抑圧など,戦争の原因を取り除くには,教育・文化・科学・コミュニケーションという手段を通じ,地道に人間の意識改革をする必要がある.それがユネスコであり,そのために世界の叡智を集めて智恵を絞ろうとしたわけである.

 事実,初期のユネスコには優秀な人材が集まり,草創期の熱気が見られた.
 例えば,あまり知られていないが,既に1949年,戦争の記述に関する教科書の見直しが,専門家を集めて綿密に行われ,1952年には,特に2度に渡る大戦の原因となった独仏の教科書改訂が,ユネスコの枠の中で実行された.
 〔略〕

 世界の叡智を結集する場は,憲章第5条に基づく執行委員会で,国の代表としてではなく,個人の見識でメンバーが選ばれた.インドの故ガンジー首相などは,イギリスの推薦でその栄えある座を得ている.
 つまり,いわば知識人のサロン的雰囲気で,広い意味の文化が話し合われたのである.
 職員も,難しい試験を通った人達を,シャトーに集めて厳しい研修をした.

 けれども,この「文学青年」や「科学的知性」によるサロンの雰囲気は,冷戦の進行と途上国の大量参加で,脆くも現実政治の前に潰えてしまった.
 〔略〕
 執行委員会もサロンから,東西南北のイデオロギーが戦わされる,労使の団体交渉のような怒号の飛び交う場となってしまったのである.

・21世紀の脅威には,従来の安全保障の概念以外の物が必要である.

・テロリストを支援している国家が明確に立証される場合は少ない

・ウェストファリア的な考えでは,新たな脅威に対処できない.

***

 テロリストに対して,従来の抑止が限定的であることを見ても,新しい概念の安全保障が必要になるだろう.

(※ただ,これは散々言ってきたが,従来の安全保障が必要なくなるということではない,
 そうではなく,従来の安全保障だけでは十全ではなくなってくるという意味.
 だから厄介なんだけど.)

 アフガニスタンのように,ある国家がテロリストを支援していることが立証される場合はともかく,報復先が明確な場合は稀だからだ.

 また,911以前のアメリカにおける最悪のテロはオクラホマ市の連邦ビル爆破に見るとおり,完全に国内的な問題だったが,現在では国際的な問題であることが多い,国際的なテロリズムのネットワークが情報革命とともに確立されたから.

 テロ組織の行動について,ナイ教授は以下のように分析している.

-------------------------------------------------------------------------
 犯罪集団が,ある国家の政府を制御しながら,表向きは国際法を遵守して行動し,内政干渉に対して主権保護の権利を主張するかもしれない.
 このような場合,他国は干渉することに正当性を見出すだろう.

 ラテンアメリカやカリブ海には,この状況に近づいているところもある.
 1989年のアメリカによるパナマ侵攻とマニュエル・ノリエガ大統領の拘束,そして麻薬密売の罪によるアメリカ国内での裁判がその例である.
 2002年にジョージ・W・ブッシュ大統領は,テロリストの脅威に直面した場合の先制攻撃を容認する,新しい「国家安全保障戦略」を発表した.
-------------------------------------------------------------------------
 国家の枠組みを超えた脅威が広まるにつれ,国内問題と国際問題を区別するウェストファリア条約的な基準で国家を捉えることに疑問が生じるだけではなくて,それを超えた安全保障と防衛の概念が生まれている.

 国家を超えた安全保障の概念に関して,ナイ教授は以下のように述べている.

-------------------------------------------------------------------------
 新たな脅威の大部分は,強大な軍事力では対応できないものとなるであろう.
 民間セクターによる施設の保護や防犯対策とともに,諜報,税関,警察組織の緊密な協力が重要な役割を見出すであろう.
 もし民主主義がこうした課題達成に失敗し,大量破壊兵器を用いるテロリストが,国家間ではなく個人間の無政府状態を創出すれば,将来に関するフクヤマの見通しはより怪しいものになろう.
 もちろん諸国の政府がこの挑戦に立ち向かいテロを封じ込めることができたとしても,国家間秩序に関するより伝統的な問題は残るであろう.
-------------------------------------------------------------------------
EUは,NATOとは異なった目的と形での独自の安全保障政策を進めようとしている.
 98年の英仏首脳会議でのEU独自の安保機構を構築するための合意以来,EUの緊急展開部隊創設の準備は進められているが,2003年末にはEUとして初めての独自の安全保障戦略(ソラナ報告)を発表した.
 イラク戦争での反省から,EUはアメリカからの批判に応えて,世界の安全保障への積極的なコミットの姿勢を表明した.
 そこで強調されたのは,国連を中心としたマルチラテラリズムの対応や,予防外交の重要性という,アメリカとは異なった力点を持つ主張だった.

 そして昨年9月には,軍事力と文民組織を混合した軍民組織(警察,法律家,人権監視員,税専門家,医師,看護師等を含む)の派遣を含む「人間の安全保障」ドクトリンを発表した.純粋な軍事機構ではなく,文民の比重を重んじた,平和維持活動と軍事介入の中間的なものと考えられている.

 知り合いのフィンランド人のEU開発支援専門官も,
「EUのやり方は,ゆっくりとだが,堅実なのだ」
と強調する.
 〔略〕
 EUの決定は確かに,多数の加盟国で協議した結果であるので,遅く,また,妥協的なものである.
 それは現地の政府やアメリカや他の国際機関との協調的・補完的活動なのである.

いろいろ2

■つかれているのと、時間がないのとで、ちゃんとよむのは、のちほどにします。

■①出典(情報源)は、なんですか? まさか、全部、ご自分で作文ってことはありませんよね。■典拠と引用箇所と、自分の分析とが明確にわかれていないかぎり、議論になりません。

■②戦争に普遍的な要素があることは事実でしょう。たとえば、名誉・恐怖・利益という3要素は、おおかたの戦争に内在していたでしょう。しかし、ホントにそう一般化できるか、留保が必要です。将来かわるかもしれませんし、過去にも一部しかかかえこんでいない戦争(当事者意識)があるかもしれません。■それと、「利益」ひとつとっても、国王/近代政府とでは利害がちがうし、「死の商人」が資本主義のなかで制度化した現在と、前近代以前とはちがいます。総力戦体制で犠牲をいとわない国民は、国家という宗教の殉教者でしょう。

③■テロリスト(といっていいか微妙だけど)、国家以外の武装組織が、ABC兵器のような大量破壊兵器をかえるようになった現在は、宣戦布告といった、陸戦法的な国際法秩序がこわれました。■名誉・恐怖・利益といった要素を勘案することで、あるいは戦争要因を除去・軽減することで、勃発をへらしたり、おくらせたりはできそうですが、そういった一般的な抑止の努力と、小規模集団の暴走などのリスクとは、別個の次元に属します。テロをなくす予防策はとるべきですが、その完全封殺は不可能です。それなのに、「できるかぎりの安全保障を」といった論理で軍縮はすすまず、「テロ対策」といった論理が軍事費や公安警察維持費を正当化します。現に、そうして軍隊がはりつけられ、膨大な破壊と利潤がくりかえされています。■テロリズムの温床の除去という中長期的な方針と、テロリズム封殺の警察力などの充実のための予算とのバランスは、どこに「最適解」があるか、だれにも不明です。

出典は ジョゼフ・S・ナイ教授の国「中央公論」, 2005/7, P.155-156際紛争 第九章 スイス政府編「民間防衛」,原書房,1995/3/12,p.25 磯村尚徳「日本人はなぜ世界が読めないのか」,
朝日出版社,2003/1/31, p.136-137

議論するといよりは、こんなものがあるんだよと紹介してハラナさんの見解を知りたい身なので、ハラナさんの見解に対して感じたことがあるとすれば軍隊、警察に私怨をもってることを感じますね。

あと参考にどうぞいろいろなサイトから
 

 【珍説】
 軍隊を持たない国が,他国から攻撃を受ける筈が無い.

 【事実】
 無防備宣言運動を推進する人達の言い分に,
「軍隊を持たない国が他国から攻撃を受ける筈が無い」
というものがあります.
 自国に軍隊があるからこそ他国は疑心暗鬼になって危険になるのであり,軍隊が無ければ他国は安心して攻めて来ないだろう,という主張です.

 しかし現実には軍隊の存在しない国に対して武力侵略が試みられた例が存在します.
 それも国内の裏切り者が外国勢力を手引きして行われたクーデター行為,つまり外患誘致と呼ばれる方式でした.

 1988年11月3日,モルディブ共和国.

 インド洋に浮かぶ島々に人口30万人ほどが住んでいるこの南洋の楽園は当時,陸海空の戦力が存在せず,軍隊の存在しない平和な国でした.
 どのくらい平和かというと,殆どの国民は政治に全く関心を示さないので政党が存在しなかったという,ノンビリした国でした.

 そんな国でも,いやだからこそお手軽に「国家の乗っ取り」が試みられたのかもしれません.
 ガユーム大統領政権の転覆を目指すモルディブ人の実業家,アブドラ・ルスフィとサガル・ナシールの二人は隣国スリランカの極左過激派PLOTE(タミル・イーラム人民解放機構)の傘下にあるタミル人ゲリラ組織の構成員を傭兵として雇い,武力クーデターを図ったのです.

 しかしこの陰謀は,介入してきたインド軍(夜間に輸送機で一個大隊を運び,圧倒的戦力差に戦意を喪失し逃走するタミル人傭兵部隊を捕縛)により同日夜には終息しています.
 モルディブ政府はスリランカ政府に対してお前の所の無法者をなんとかしろと要請していましたが,スリランカの準備が遅れている間に,インド政府はそれを出し抜いて救援部隊を送りつけました.
 これは三国を巡る関係を考慮した恩義の押し売りですが,結果的に迅速な事態収拾が実現しています.

 現在のモルディブ共和国は国家保安隊を整備し,2004年には警察の機能を分離し,より軍隊的性格を強めています.
(ただしこれはむしろ,民主化プロセスの一環として権力の分散を図った結果)
 
【珍説】
 戦争は人間の理性をも破壊する行為だが,たとえ戦場にあっても,やってよいことと悪いことがあるのだと,昔から認識されていたし,今ではちゃんとした規定があるのだ.
 このことを皆が知り,さらに考えを深めたならば,やがては,
「理由のいかんを問わず,戦争を仕掛ける行為は,それ自体が犯罪である」
といったような国際的ルールを作り,戦争の恐怖を遠ざけていくことは,断じて不可能ではない.

 【事実】
 それは,地球に一つの統一された「正邪」観を全人類が持たない限り,不可能な話です.
 国際紛争では,簡単に白黒をつけ難いケースがゴロゴロしています.
 したがって何十年かかってパレスチナ問題一つ解決できていません.

 カシミール紛争にせよ,
・同じイスラーム教徒であるということでパキスタン帰属が正解なのか(元元は独立を志向していたカシミールに対し,パキスタンは帰属派への武器援助をすることで,独立派を潰そうとしたのに?),
・カシミール自治を憲法に定めているインド帰属が正解なのか(事実上,その自治が現在では口約束状態なのに?),
・独立が正解なのか(印パ両国が綱引きをする緩衝地帯となるだけだから,それなら現状と大して変わらなくないか?)
……これといった明快な正解を出すことができていなら,何度もカシミールを発端とした戦争が起こったりはしません.

 あるいは自らの行いだけが正義であると信じるような政権があったら?
 ターリバーン戦争やダルフール紛争は,まさにそんな政権であるために起きたのですが.

 結局,平和は魔法の杖の一振りでもたらされるようなものではないのです.
 紛争当事者を抑止しうる有形の力,そして有能なネゴシエーター,紛争当事者の本音を探りうる正確な情報等々,平和達成のために必要とされるツールは多数あるでしょう.

 したがって,これだけははっきりしています.
 単細胞が,単純な見方によるチープなスローガンを何万回叫ぼうと,平和はやってきません.

 【質問】
 知識人の平和主義者が陥り易い陥穽は,どんなものか?

 【回答】
 彼らに代わって暴力を行使してくれる権力および狡猾な残虐性にすがりつこうとするかのような傾向が見られるという.
 以下引用.

 「オーウェル評論集」より,ナショナリズムについて

平和主義
 大部分の平和主義者は,正体不明の宗教団体に属するものか,人命を奪うことに反対するだけでそれ以上に論理を発展させようとはしない単なる人道主義者か,そのどちらかである.
 だが,このほかに,自分では認めていないが,本当は西欧民主主義を憎み全体主義を賛美するのが目的ではないかと思われる知識人の平和主義者が,少数ながら存在する.
 平和主義者の主張を煮詰めていけば,たいていは結局どちら側も悪いということになるのだが,若い知識人の平和主義者が書いたものを精読してみると,その攻撃の仕方はおよそ不偏不党からは程遠く,まず全面的に英米両国ばかりを目の敵にしていることがわかる.

 そればかりか,原則として暴力そのものを弾劾するのではなくて,西欧諸国を守るための暴力だけを弾劾するのだ.
 英国と違ってソヴィエトならば,戦争のような手段で自己を防衛しても非難されず,それどころか,この種の平和主義の宣伝文書となると,きまってソヴィエトや中国のことには触れようとしないのである.
 インドの場合も,その対英闘争で暴力を放棄すべきだと言われることはない.
 平和主義者の文章にはそもそも訳のわからないものが多いことは別にしても,これではチャーチル型よりはヒットラー型の政治家のほうをよしとし,暴力もそれなりに徹底すれば筋が通ると言いたいのではないかとさえ思われる.あやしげな言葉が氾濫しているのだ.

 
 【質問】
 軍備を肯定することは,平和主義と矛盾しませんか?

 【回答】
 矛盾しません.

・戦争以上に次元の高い国際紛争解決の新メカニズムを,人類は現状持っていない.

・しかし,国際紛争解決の新メカニズムを求める努力は続けるべきである.

・その努力とは,国際法の成熟に向けた試行錯誤と,現行国際法の範囲内での戦争回避努力の継続である.

・しかし一方で,現実の戦争リスクに物心両面での備えをしておくことは平和主義と矛盾しない.

・むしろそれをしないことのほうが,結果として平和主義と矛盾する

【質問】
 「平和」とは何か?

 【回答】
 地政学者・奥山真司によれば,「平和」とは何からの政策によって生まれた「結果」の状態のことであり,その「平和」という状態を作った「原因」が,「政策」やら「戦略」ということになるのだという.
 そして,リアリズムや地政学では,「平和」というのは戦争の間の休止状態である,という思想があるように感じられ,「戦争というのは平和のために行うものである」ということをハッキリと明言しているものさえあるという.

 また,彼によれば,日本人の間では「平和」というのは,追求すべき「政策」や「戦略」だと思われているようなフシが多く見られるという.

 最後に彼はこう述べている.

>やはり日本の常識は世界の非常識,というのはまんざらウソでもないようで

【質問】
 日本の自称「平和主義者」は,異論のある者や,軍事に関心を持つ者をどんなふうに迫害してきたの?

 【回答】
 俺は機械とか歴史が好きでさ,で軍事にも興味持ったんだよね.他にも色々興味はあるけどさ・・・.
 結構軍事も歴史的地理的背景やその人間模様やマシーンとしての興味とかで,色々面白いんだよね.

 だけど,家族を含めて軍事に興味がある.っつーと全く理解されないんだよね.
 時には批判の対象になるんだよね,軍事ヲタって.

 多分,戦後の日教組教育を受けて来た60~70年代生まれの連中って,軍事に興味持ってるやつをあからさまに嫌がるやつが多い感じだね.
 純粋に学問としての軍事学は日本の土壌ではまだまだ成立しずらいんだろうね.
 感情論が先立つ国民性があるから,軍事に興味持っているだけで
「好戦的」
「軍国主義者」
「子供達を戦場にかりたてるつもりか」
とか言う連中はわんさかいるよ

 高校時代の文化祭の時,友人3人と太平洋戦争の各国歩兵装備と戦術を純粋に比較検討した催し物をやったんだけど,一方的批判に曝されてポシャった経験があるんだよね.
 それにしても軍事に興味を持った閲覧物展示をしようとしたら生活指導はねぇだろ!
 何で反省文書かされて,PTAからも攻撃喰らわにゃならんのよ?

 社会人になってからも,武器や戦術に詳しい感じの発言をうっかりすると,興味を持ってくれる人がいる反面,白い目を向けられる時もあるよ.
 まぁ,日本人って戦時中は戦争一色で「軍国乙女」とかって言葉まで出て,戦後は平和平和つって,軍事アレルギーで単純に軍事に興味を持っただけで,ある意味不可触選民扱いの極端な国民性なんだね.

 「自衛隊違憲論」の被害者は,いうまでもなく27万自衛官とその家族達である.
 社会党の自衛隊違憲論は,必ずしも党執行部が意図し,指令したものとは思わないが,イデオロギー闘争の現場では,多くの偏向,多くの行き過ぎが,自衛隊員とその家族達を長い間苦しめてきた.

 優秀な運動選手であっても,地方によっては自衛官であることを理由に,国民体育大会に参加することを拒否された.
 また,年に一度,1月15日に全国至るところで催される成人式の行事に,革新勢力の強い地方自治体では,意図的に自衛隊員たちは招待されなかったという嘆かわしい事態も起きた.
 教育の現場でも,この種の差別が公然と行われていた.
 私はかつて自衛官の教育訓練を司る人事教育局長だったことがあるが,防衛大学校を卒業し,さらに向学心に燃えて国公立大学や私立大学の大学院博士課程を希望する若手幹部自衛官たちが,自衛官であることを理由に「軍楽提携と批判される」といって敬遠され,筑波大学,埼玉大学などごく一部を除いて,彼らの進学が拒まれたこともあった.

 もう一つ,私の35年余に及ぶ危機管理担当官としての人生の中で実際に体験した,まことに人道上許し難い児童に対する日教組の差別扱いについて,社会党が政権政党になった〔執筆当時.引用者注〕この機会に,事実を公にしておきたい.
 私が第2次反安保闘争警備の責任者だった昭和43年後半の頃,世田谷区立・中丸小学校の低学年児童だった次男が,泣きながら帰宅した.
 聞けばSという女教師が授業中,
「このクラスでお父さんが自衛官,警察官の子供は立ちなさい」
と命じ,何人かの児童が何事かと訝(いぶか)りながら起立すると,S女教師はクラス全員に向かって,
「この子達のお父さんは悪い人です」
と放言し,子供達を立たせておいたというのだ.
 激怒した私は校長に対し,教育委員会に提訴してSの処分を要求する旨通告したところ,S女教師が来宅して土下座して謝罪したので,提訴を取り下げたことがある.

 〔略〕

 また同じ頃,全国警備課長会議が東京で催された際,京都府警本部警備課長が日教組の偏向差別教育の実態を報告し,東京の小学校で「オール5」だった息子が,他の警察官,自衛官の子供達と共に「オール3」の成績評価を受けたという事実を報告し,子を持つ親である全国の警備課長達を憤激させた.

私は大学時代はデザイン学科に所属しており,卒業研究では3DCGでの零戦解説動画を作成しました.
 教授達からも概ね好評で,各研究室から一人選ばれる学科賞となるはずだったそうなのですが,教授の一人にサヨ教授がおり,この教授が
「人殺しの道具を作品の題材にするとはどういうことだ!」
と猛反発したらしく,結局学科賞は別の学生が選ばれることになりました.

 まぁ,卒業まで取り消されなかっただけマシかもしれませんが・・・
 一年間,自分なりに苦労して作り上げた作品だったのですが,具体内容よりもイデオロギーで評価をされてしまったことが,今でも納得がいかない気持ちです.

 僕は高校の頃,マンガを描きはじめ,作品の内容から銃器や軍の編制,成り立ちについて勉強する必要があって,当時ブックオフで大量に100円で売られていたコンバットマガジンやアームズマガジンを読み漁っていました.
 ただ,知れば知るほど,書いてあることの裏側の真理めいたものにたどり着けないもどかしさがあり,それならいっそのことプロとしての感覚を知ったほうが近道じゃないか,と思って自衛隊に行ってみたいと進路指導の先生に話したところ,
「特進科の生徒を一般隊員にするのは勿体無い」
とのことだったので,
「じゃ防衛大で」
と言ったら,担任をはじめ教師の多くがはっきり応援してくれて心強かったです
(イデオロギー的に合わない先生からも,進路の点に限っては善意の無関心を以って接してくれました).

 ただ,高2の秋ごろ,塾の経営者が変わり,その人に呼びつけられて,自衛隊の悪口を散々話した後に,
「君の成績では受からないから別の大学を受けろ.それでも防衛大を受けるなら塾をやめろ」
と言われました.
「日本には軍隊がいる必要などない.自衛隊に入ろうとする君も応援する教師も頭がおかしい」の一点張り
で取り付く島も無く,私は退塾しました.
 その後も,
「ウィナ・ツァハルに防衛大を受けさせるな」
と私の高校の進路担当者に申し入れたそうです(その塾は札幌市で一番の規模なのです)

 結果…
 模試では評価Dだったのですが,1次・2次とも合格しました.
 晴れて入校,自衛隊員の仲間入りを果たした次第です.
(結局辞めちゃいましたが)

【質問】
 大学でクラウゼヴィッツ読んでただけで,軍国主義者扱いされた時は流石に参ったぜ.

 【回答】
「レーニンに読むよう勧められたんだ」
って言えば良かったのに.
(これはマジ)

 ガチの「左」は,レーニンやエンゲルスが軍事思想家でもあることをきちんと認識しているし,毛沢東の
「革命は銃口から生まれる」
って言葉をしっかり理解している.
 相手がお花畑さんならともかく,本物だとしたら下手に関わらん方がいい.

【質問】
 なぜ異論を差し挟む人間に対して無闇に攻撃的な,自称「平和主義者」が存在するの?

 【回答】
 冷戦期に東側陣営が西側社会を切り崩す戦術って「反戦平和,反核,人権,民族解放」でしたよね.
 私はこの流れの平和活動を疑問視してます.
 冷戦期のホットゾーンだった北海道で,自衛隊が演習する度に,ソ連大使館員(世論誘導を担当している諜報機関関係者なんでしょうね)が,”反戦デモ”を先導している,
 そんな写真を何度も,テレビでも見ましたよ.
 この事実冷戦終結後更に明らかになってますよね?
 デモを先導していた元ソ連大使館関係者当人が,インタビューに答えていた事すらあった.

 この時の影響が,未だに抜けていない人って多くないですか?
 キケンですよこーいうの.だって特定の勢力が起こす戦争は,”聖戦”になってしまうじゃないですか?
 人権活動家や平和運動家が,ソ連,中国大使館や朝鮮総連にデモかけた事あります?

 結局,普遍的平和運動と違って,そういうのって政治利用したいだけだから,「オレの言ってる絶対正義だけを信じろ.それ以外は異端者だ」になってしまうのですよ.

 それがどういう結果になるか?
 戦争の話をする時は,反戦にからんだ思想でなければ”戦争したがっている異端者だ”,
 正に宗教裁判の異端審問ですよね? コレって.

 結局〔はたから見れば〕,平和の事なんて考えていないジャン,結局特定の政治勢力に,気付いている/無いは別として利用されてるだけじゃん.となるわけです.

 〔略〕
 私は現在の問題として,「平和が正しい,以上」になっている,コレが問題と言いたい訳です.
 (別に軍事オタクになる必要なんて無いのです)

リデル・ハート曰く,
「戦争を研究すればするほど,戦争の原因は政治的や経済的よりも,根本的に心理的な理由であると気付くだろう.
 戦争屋と話をすれば,平和を目指す努力以前に,彼等の人間性の鈍感さに困惑するが,それ以上に反戦主義者の好戦性によって戦争を排除することに絶望する」

 【質問】
 軍事マニアにとって,平和主義者は敵なの?

 【回答】
 別に軍事マニアと平和主義が対立しているわけではないが,自称平和主義者がその構図を勝手に持ち込んでくれば何らかの切り返しは来ますよ.

 別途,

・平和あっての軍事マニア
・戦争有っての平和主義

という構図ならば,平和の恩恵を受けているのは軍事マニアであり,平和主義は戦争無しには成り立たない.
 つまり平和主義は,平和を必要条件としている軍事マニアの敵性である.
 非軍備を平和主義とした場合,軍事マニアと対立するとも考えられるが,別にマニアが軍隊を作っている訳ではない.既存のものに興味があるだけである.

 先に絡むような言動をする者が悪い.

 ま,目立つというあらゆる局面での真実がここでも表面化してるだけでしょ.
 平和主義者がみんな脳軟化現実逃避傾向でもないでしょうし,軍事マニアすべてが支離滅裂直情径行のタカ派集団でも無いわけですから.


【質問】
 最近,
「軍事問題については,一般的に護憲派よりも改憲派のほうが詳しく,論争にも強いことが多いようです」(マガジン 9 条)
などと言われて,『護憲派のための軍事入門』とか『反戦軍事学』とかいった本が出版されているけど,正しい軍事知識を得ることができれば,反戦運動は説得力あるものになるのですか?

 【回答】
http://www.kojii.net/opinion/col070312.html
によれば,必ずしもそうはならないという.
 正しい知識を持っていれば,墓穴を掘るようなトンチンカンな言動は確かに減るだろうが,現実と理想の間を結ぶロードマップを作ることができるような現実的思考を持っていなければ,正しい知識を持っていても正しい判断は出来ないだろう,という.

 以下引用.

 安全保障問題を論じる上で,たとえば各国の軍事力に関する組織,編成,戦闘序列,はたまた装備の数量やスペック,調達価格,ドクトリンといった情報を知ることは,もちろん重要.
 ただし,これらはあくまで「データ」だから,それを実際に目的達成に活かすには,手に入れたデータを解釈して意味づけを行い,「理念」や「具体的な政策」といった形にまとめる必要がある.
 つまり,data を information という形で整理して,そこから intelligence を導き出す作業が必要,ということ.

 〔略〕

 だから,データだけ知っていても正しい結論は導き出せないので,そのデータから正しい結論を導き出すための触媒が必要になるはず.
 それが何かといえば,リアリズム,あるいは現実的思考ということになるんじゃないかと思う.

 つまり,理想は理想として措いておいて,まずは目の前の現実にきちんと向き合うこと.
 その現実に即した対応策を,逃避することなく導き出すこと.
 そして,現実と理想の間を結ぶロードマップを作ること.
 それができないで理想論ばかり振りかざしていると,「お花畑」といって笑われる.

 このように定義される「リアリズム」を欠いていると,「結論先にありき」「まず叩きありき」の態度に終始してしまい,せっかく集めたデータを都合良く歪曲してしまったり,最初から決まっている結論に合うような "都合のいいデータ" だけをピックアップしてしまったり,ということになりがち.

 それでは正しい判断ができないし,「反戦と軍事学」の例についていえば,軍事学に関する知識も役に立たなくなる.
 すると,「やっぱり論戦に勝てませんでした」ということになりかねない.
 最悪なのは,その結果として「やっぱり軍事について勉強したって無駄 !」「我々の高邁な思想を実現するためなら手段を選ぶべきではない !」といって尖鋭化,過激化すること.
 実際,平和主義者を自称する人がむやみに攻撃的になるのは,案外とよくあること.
-----------------------------------------------

 結局のところ,「知識」と「知恵」はイコールではない,という当たり前のところに落ち着くんじゃないだろうか.

 知識は本を読んだり Web 検索をかけたりすることでそれなりに入手できるにしても,その知識を土台にして「知恵」につなげるには,さまざまな人とのやりとり,あるいは自らの経験などが関わってくるはず.
 その部分で偏りや不足があったり,リアリズムを欠いた取り組みをやらかしたりすれば,得られるものは "間違った知恵" になってしまう.

 冒頭の話にしても,「反戦派が議論に勝つために,正しい知識を手に入れよう」というのは,いささか本末転倒,結論先行型の感がある.
 データが仮に正しいものだとしても,それを消化する課程でバイアスがかかれば,バイアスのかかった結論しか出てこない.
 おまけに既存の事例を見ていると,知識を得るためのソースの選択を間違えた,あるいはソースの内容に問題があった,なんて事例もある様子.

 そもそも本来であれば,「紛争・戦争の抑止を図るために,どういう対応をするのが最善なのか」を模索するのが最終目的になるはず.
 ところが,安全保障問題に関する知識を得ることが「ネット右翼 (本当にそういう人種が実在するかどうかは別の問題なので,措いておく) にやりこめられないようにして自分たちの主張を通すには,相手と同じレベルの知識が必要」という程度の動機なのだとしたら,その知識を現実の主張や政策に落とし込む時点でボロが出て,結果的にやりこめられてしまうのでは.

 まず,知識がどうこうとかいう前に目の前の現実に向き合う態度が問題なんで,それをどうにかした方がいいと思うのだけれど,なんともかんとも.

 ちなみに私の場合,「軍事面でのバランスを取って抑止を図りつつ,対話のチャネルも維持する」「軍事力だけでなく,政治的・経済的・文化な手段も考える」といったところに落ち着く.
 場合によっては,「相手にわざと軍事費を大量に使わせる方向に仕向けて,経済的に疲弊させる」なんて戦略もあり.
 この見解は,
「なぜ反戦平和主義者はネット上での議論において,無闇に攻撃的になりがちなのか?」
という部分も説明できていて,腑に落ちるところ大.

 もっとも,日本のインテリには日本的モデルニスムスがまま見られることから,
「目の前の現実に向き合う態度」
を造るのがそもそも難しいのかも知れない.

 【珍説】
 「暴力を容認する者は反戦を謳う資格がない」というのは簡単ですが,それが安全地帯から自らの手がまったく汚れていないかとの錯誤からの「お花畑」「平和ボケ」的発言であってはならないでしょう.
 そもそも私たち先進国の"安全”な生活自体が世界に偏在する南北問題(軍事的対立,抑圧を内包していますね)の上に成り立っている事実を鑑みれば,わたしたちの手が暴力に汚れていないと言えるのでしょうか?
 パレスチナ,コソボ,ルワンダ,,,
 歴史上,多くの土地で,「殺し,殺される」泥沼の中で,自らの手が汚れていることを自覚した者たちが,その汚れを罪として引き受けつつ,自らの銃を降ろすための行動を模索してきた「反戦」の実現を,いったいどう見るつもりなのでしょう?


【事実】
 パレスチナ,コソボ,ルワンダには国連平和維持軍が介入しました.
 貴方は国連平和維持軍の活動を「反戦平和運動」と定義されるのですね.
 それならば国連安保理の決定で為される武力制裁も,「反戦平和運動」となりますね.

 軍事力による平和の肯定.「反戦平和運動」とはそれに行き着く,と.



 



 

 

 




また、さきおくりですが

■当方は、軍隊や警察に私怨などもっていません。冷徹に本質を批判いているだけ。ただ、冤罪事件とか隠ぺい工作については、かなり きつい筆致でかいてきましたんで、関係者は、「粘着」系って誤解しているかも。

■資料のでどころは、ナイさんの以外は、やはり不明なのですね。時間がないので、検索エンジンかけて、徹底リサーチする余力も気力もありません。■なので、1点だけ、コメント。

国際紛争では,簡単に白黒をつけ難いケースがゴロゴロしています.
 したがって何十年かかってパレスチナ問題一つ解決できていません.

 ↑ ■これを、論者は、「事実」とのべているようですが、すくなくとも、パレスチナ問題の最初の「ボタンのかけまちがい」は、イスラエル政府に一方的責任があり、パレスチナがわには皆無です。■イスラエル国民の2世世代の大半は悪意なく定着しているので、でていけ論は、非現実的ですが、正邪という意味では歴史的経緯で判断がはっきりしているのであり、イスラエルがわに正義がみとめられるなんていってるのは、欧米先進地域の右派・保守系の層だけです。要は、アメリカ政府のイスラエルに対する超えこひいきに反対できないか、無批判なだけど。■この程度の歴史認識で「事実」とかいっている層は、おのれのかたよりをモニタリングできない能力的欠如があるわけで、冷静な議論がはじめから不可能な層といえます。
■現在のパレスチナがわにテロリズムが否定できないにしろ、イスラエル軍による戦争犯罪は火を見るよりあきらかで、これ前者をあしざまにいうだけで、品性がしれます。

パレスチナ問題の根本はこんなのが
http://www.nes-lab.com/growup/jerusalem.html

質問

パレスチナ問題についてですが、古代エルサレムにはユダヤ人が住んでいたが、ローマにより迫害され追放され、難民となった。そして月日は流れ、今のパレスチナ人が住むようになったが、ユダヤ人は自分たちの聖地に帰りたいという願望を抱き、エルサレムに戻ったが、パレスチナ人はもちろん拒絶。ここから、パレスチナ問題(中東問題?)が発生と認識しているのですが、これはあっていますか?またエルサレムにはイスラム・ユダヤ・キリストの聖地とも聞きましたが、キリストはイエスの処刑された場所、ユダヤは元々の聖地?(あいまいだが)、イスラムは何なのでしょうか?長くてすいません。教えてください

回答

パレスティナ問題の発端は、根本的な部分はその通りですが、そこにイギリスの三枚舌外交が絡んできます。
第一次世界大戦中に、敵国ドイツ・トルコを倒すためにアラブ人(パレスティナ人)に協力を依頼します。独立をほのめかして…。一方でユダヤ人にも同様の依頼をし、フランス・ロシアとは、パレスティナを国際管理の地にしようという約束をしたのです。もちろんいずれも秘密裏にです。

神はアブラハム(最初のユダヤ人)に、その子孫を星の数ほど多く、約束の地に増やすことを約束しました。その約束の地がイェルサレムです。

イスラム教では、本来はメッカが最も重要な聖地となるのですが、母体がキリスト教・ユダヤ教でもあるのです。
アブラハムのこの一人が最初のアラブ人とされてもいます。
ですから当初彼らイスラム教徒は、キリスト教徒とユダヤ教徒を自分たちに先立つ「啓典の民」と位置づけていました。

かきこみの意図が不明です

■イスラエル国民が依拠しているシオニズム思想というのは、イエスがいきていたころまでイスラエル国民が、エルサレム付近に居住していたという伝承にもとづいて、故地を奪還してよいという、誇大妄想的な幻想です。■2000年ちかくまえに、ある集団が定住し国家を形成していたと実証史学が立証してくれても、それを信じる、えたいのしらない集団が、それを口実に不法占拠できる道理がありません。■なにしろ、いわゆる「人種」的に、ヨーロッパ系・アジア系・アフリカ系が混在しているといわれるユダヤ系諸集団。かれらの先祖全員が、2000年まえにエルサレム付近に定住していたなんてのは、立証不能ですし、おそらく妄想にすぎません。■したがって、現在のイスラエル国民が定住権を歴史主義的に主張するのは論理的に破綻していると告白しているようなものです。そんな政治的主張は、アメリカ(とその同盟国)あたりしか同意しないイデオロギーでしかありませんし、そんなことで、数十年まえまで事実として定住していたパレスチナ諸集団の居住権に優越するなんてのは、単なる狂気ですね。■ただ、二世として定住しているイスラエル国民に全員退去しろというのは、現実的でないので、それをパレスチナがわがゴリゴリ主張するのは、現実的ではないと。しかし、「入植地」とかいって、パレスチナがわにどんどんでていくのは、あきらかな侵略です。■それと、パレスチナがわからの批判・攻撃に対して被害妄想にかられて、弱者きどりのイスラエル人は、それこそカルト集団的な心理状況だし、すくなくとも
イスラエル軍の非道を正当化している層は、全員外道ですね。かれらは、かりにテロなど反撃によって死滅しても、しかたがないでしょう(乱暴ないいかたですが)。イスラエル軍の非道に対する自己批判をもたないイスラエル国民は、要するに植民地主義者ですから。

パレスチナ問題にはさらに根本が。イスラエル側に無理があるのは事実化もしれませんが、これを

http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/481.html

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