■先日の、『朝日』の社説から。
“伊勢湾台風50年―警戒心が緩んでないか”(2009/09/22 社説)
明治以降、最大の台風災害だった伊勢湾台風から26日で50年になる。
戦後まだ、災害対策の制度や設備が十分に整っていない時期だった。超大型台風は、5メートルもの高潮を海抜ゼロメートル地帯にたたきつけた。
死者・行方不明者はじつに5千人を超した。ところが、当時、避難を徹底させていれば、犠牲者は250人に抑えられたのではないか。こんな衝撃的な報告書を、中央防災会議の専門調査会が昨年まとめている。
当時の気象台は台風の進路や上陸時間をほぼ正確に予測し、警報も上陸7時間前の午前11時過ぎに出していた。これを受け、三重県の旧楠町は午後4時までに避難を指示した。そのため、町の半分が水浸しになっても、死者は1人も出さなかった。
策が遅れたため最大の被災地となったのが名古屋市だ。警察が独自に一部の地域に避難を指示したのは、暴風雨さなかの午後8時になってからだった。海の近くで暮らしながら危険地帯という認識がなかった住民らは、津波のような高潮にのみ込まれていった。
このことをいま私たちは、「半世紀前の失敗」と片づけられるだろうか。今年8月の豪雨で兵庫県佐用町は夜、道路の冠水が始まってから避難を指示し、住民は逃げる途中で水に巻かれた。米国ではカトリーナ災害で千人を超す犠牲者が出た。
いまやインターネットで手軽に気象情報や川、海の水位を知ることができる。だが、そうした情報を、一人ひとりが避難に生かせるだけの防災の知識を持っているだろうか。
伊勢湾台風の2年後にできた災害対策基本法で、避難勧告・指示は市町村長がすることになっている。総務省は勧告のガイドラインもつくったが、安全に慣れた住民が逃げようとしない、という新たな問題にも直面している。
この半世紀、堤防が整備され、行政も住民も警戒心が緩んではいないか。…---------------------------------------
■事実問題として、「堤防が整備され、行政も住民も警戒心が」維持されないのは当然だ。最前線の軍人や海上防衛庁のような組織の警戒要員でもないかぎり、「有事」を意識しつづける方がどうかしている。ひごろ「有事」を意識しない、「無防備な心理」こそ、ゆたかさであり、平和なのだから。
■しかし、
“ハリケーン・カトリーナ”の事例をふりかえればわかるとおり、すくなくとも行政は、差別的で ムラのある対応をしでかし、一次被害はもとより二次被害を拡大することに、無自覚に加担する体質をかかえているものと、おもわれる(ウィキペディア:ハリケーン・カトリーナ「
被害」「
政府の対応」)■再三指摘されてきたとおり、自然災害の被害の相当部分は、「人災」なのだ。
■とりわけ、「
死者・行方不明者はじつに5千人を超した…が、当時、避難を徹底させていれば、犠牲者は250人に抑えられたのではないか」という、中央防災会議の専門調査会が昨年まとめた「
災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月 1959 伊勢湾台風」の存在は、かなり意義ぶかいものがある(
第3章 災害の特性 第5節 警報・避難情報と災害経験の減災効果【PDF7.6MB】,「2 避難効果」pp.133-7,「3 被災経験の減災効果」pp.137-8)。■報告書のなかで指摘されている、
朝日新聞社国土総合開発調査会『
伊勢湾台風調査報告』(朝日新聞社,1960)や、
柳田邦夫『災害情報を考える』(NHKブックス,1978)、
安田孝志「あの大惨事(伊勢湾台風)を繰り返さないために学ぶこと」(後
藤俊夫編『検証の災害とは何か』リバティ書房,1997)、楠町教育委員会『楠町史』(1978)など、そして
名古屋市『伊勢湾台風災害誌』(1961)を いま一度検証する意味があるような気がする。
■とりわけ、東海地域については、あの「
9・11同時多発テロ」(2001年)の記憶にかきけされてしまっているが、そのちょうど1年まえに、
東海豪雨を経験し、その際にも、行政が 予測をあやまって、被害を拡大したきらいがある。
伊勢湾台風50年といった、「十進数的くぎり」によって ようやく本格的な検証がなされるまで、結局、「
天災は忘れた頃にやってくる」(
寺田寅彦)という、にがい警句は いかされなかったのではないか? 名古屋市当局は うかつにも 実証してしまったのだから。
●「
2000年9月東海豪雨 研究関連情報」
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