■ご常連、
貝枝さんのご指摘があったので、せっかくだから、「
日本常識力検定」を、ネタとしてとりあげる。
日本常識力検定とは?
日常生活の中で、あまりにも常識が欠如している今日この頃ですが、いかがお感じになりますか。
一般的に「常識」と呼ばれているものは、私たちの日常や社会生活での潤滑油的役割を果たしたり、より豊かな人間関係を形成していく上で基本となるものです。しかし昨今では身勝手な振る舞いや会話などで、時には誤解を招きお互いが傷ついてしまう場合も少なくありません。
社会は常に進展、変革を求められ変化し続けています。それに伴い考え方、行動においても変化し、世代間格差が広がってきています。人と人、お互いが相手のことを考えて会話や行動をするときに、どんなに時代が変化しても、人間としては変わらないものがあるのではないでしょうか。その共通認識である知識や表現を再度「常識」として捉え直し、それらを統合した力(人間力)を「常識力」としました。そして、その評価基準の必要性を痛感し、日本常識力検定試験をスタートさせました。この検定試験を通じて、共感しあえる心豊かな人間社会の形成に皆様のご理解とご協力をお願いするとともに、一人でも多くの方が参加されますよう、心からお願い申し上げます。
常識は人間にとって基本的存在条件
文学博士 水口 禮治
日本常識力検定協会 代表理事
立教大学 名誉教授
東京総合心理研究所所長
人間同士で相互理解が円滑に行われるためには、共通基盤となる常識(common sense)が不可欠であります。常識はいつの時代でも、社会を生きる人間にとって基本的な存在条件であります。ところが、いま、その常識の欠如・喪失が著しく、親子間・世代間・対人間でのコミュニケーション(対話)が通じにくくなっております。価値多様な社会ではいっそう深刻になります。
そのため良識や公徳心に乏しく、しつけや社会性を欠いた奇異な行動が目立ち、社会を悩ませています。
こうした世相にあって、自分の常識がどのレベルあるかを診断することは、自己の位置づけを確認し、その自覚に基づいて自己啓発を図る手段として役立ちます。その意味で、この常識力検定は画期的な試みであると評価できます。-------------------------------------
■「
日常生活の中で、あまりにも常識が欠如している今日この頃」って、どんな層にとっての「日常生活」をさし、また、だれの「
常識が欠如」していると、発信者がいいたいのか全然不明ななか、「
いかがお感じになりますか」などと、とわれても、こたえようがなかろう。■たとえば、「
どんなに時代が変化しても、人間としては変わらないものがある」といった主義主張を、おしつけようといった、このての「常識」論が、とても普遍的なものとはおもえず、その意味では、こういった独善的な主張の唱道者たちの存在と、われわれのような見解をもつ層との断絶こそ、「
どんなに時代が変化しても、人間としては変わらないものがある」といった主義主張の非普遍性をものがたっているとおもうが、「
いかがお感じになりますか」?
■「
常識の欠如・喪失が著しく、親子間・世代間・対人間でのコミュニケーション(対話)が通じにくくなっており…価値多様な社会ではいっそう深刻になり」というのだが、これは、普遍的であるべき共通認識なるものが虚像・幻想であるという現実を直視できないでいる、旧世代/保守層の無残な現状認識の水準を例証しているとおもえるが、「
いかがお感じになりますか」?
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