■平日夕刻以降の
新幹線は、あきらかに階級的空間だ。なぜなら、そこに収容され、輸送される客層は、どうみても、
サラリーマンが大半をしめることが、一目瞭然だからだ。けっして ドブネズミいろではないが、濃紺のスーツが大半で、その さまは、中学・高校、ないし防衛大学校など官立の養成機関の制服の一群にした圧倒的な威圧感がある。大半はペア・トリオではなく、単独行動のはずなのに。
■そこには、観光客はもちろん、いわゆる日常生活上の移動も、ほとんどまぎれこまない。あたりまえだ。平日に観光できる層自体がうすいうえに、わざわざ夕刻以降を移動時間帯にえらぶ必然性などほとんどないのだから。昼間に移動すればすいているし、平日に移動できる層が、午前や午後をさける合理的理由が、普通はみあたらない。
■また日常生活活において、数百キロにおよぶような移動がともなうほうが異常といえる。■そして、労働現場からはなれた空間にくらすことが不自然な肉体労働者はもちろん、交通費など、チャラにしたいだろう使用者たちが、派遣労働者を遠隔地から募集するはずがない。
■しかし、こういった消去法的限定では説明できないぐらい、夕刻以降の
新幹線のなかは、
サラリーマン密度がたかい。端的にいえば、百キロいじょうの距離=時間+運賃をものともしないオジサマがたの、すさまじい気迫がみちみちている空間こそ、夕刻以降の
新幹線車内なのである。■これは冷静にかんがえると、尋常ではない時空である(笑)。10代が集中的に収容されている学校とか、傷病者ばかりが収容されている病院なみに、属性の均質性が異様にたかい時空なのだから。【かきかけ】
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