■「にほんご」とゆー ひとかたまりが あると、いーきれるかどーか、それわ かんがえる ひとによって、けつろんが かわってくるだろー。■でも、ざっくり いえば、「にほんぶんか」と、しょがいこくから みなされる ゆるい 「こくみん ぶんか」「みんぞく ぶんか」が いちおー あって、その いちぶとして「にほんご ぶんか」があるといって、それほど もんだいわ ないだろー。
■と、こんな かんじで、かんじお つかわずに かいてみたが、どんなもんだろー。■おーかたの ひとわ、しょーがっこー いちねんせー とか、よーじ むけの えほんの たぐいに、しょっちゅー ふれているわけでわないので、「よみづらい」と、もー よむのお やめてしまっていそーだ。
■それと、「
おとなが よむべきもの、おとなが じつむてきに ひつよーとする じょーほーの すいじゅんからしたら、かながきなんかで、ぜんぶが まかなえるはずない」って、しんじているので、「
しょーがっこー いちねんせー とか、よーじ むけの えほんの たぐいにだけ つかえる かながきなんて、かんがえるだけ むだ」って、かんがえているだろー。
■だけど、もーじんわ、にちじょーてきに かんじの じの かたちなんぞ、いちいち たしかめて、くらしているわけじゃない。にちじょーてきに、かながきに たいおーした 「てんじ」か、おとで にほんごお しょりしている。■たとえば、この きじに たまたま きづいたときに、どーやって よんでいるかといえば、おとに なおす そふとがあって、それで いやほんで、きーて よんでいるわけだ。■その ばーい、かんじに へんかんされているか、そーでないかわ、きほんてきに くべつがない。
■そして もっと だいじなことわ、らじおや えんげきに、せりふの てろっぷ ともなわないよーに、べつに もーじんでなくたって、おとだけで にほんごの そーとーぶぶんお しょりしている。■かいしゃや やくしょや、びょーいんや ぎかいや、ありとあらゆる こーてき・くーかんで、わざわざ かかれた もので、ぜんぶ くちにされたことが かくにんされていることわ すくない。■おーくの ばーい、はなしたまんま、きーたまんまで、おわっている。よく わかんなかったら、ききかえし、それに おーじて、くりかえすと。
■あと じゅーよーなのわ、こーして かいているのが よみづらい。「かんじが ないと、するする よめないぞ」って、かんかくの たいはんが、たんなる「なれ」の もんだいでしかないこと。■たとえば、
“
My name is HARANA Takamasa. I am a Japanese man,and ……”とか、かきだしたときに、「ろーまじわ、よみづらい。かんじがないと、よみたくない…」なんて、ごねる じんぶつわ、たんに えーごが きらい、にがてだってことにすぎないのであって、じつわ 「かんじ」うんぬんわ、むかんけーだってことと、じつわ、はなしが つながっている。
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