■hituzi氏の最近の問題提起「
言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。」をよんだコメントをかきつらねていく。
■この提起の特異な点は、通常の「
言語帝国主義」の定義である、「
ある地域で特定の外国語が、その政治・経済・文化の力により圧倒的な影響力をもつこと」といった方向性での議論自体を「言語至上主義」だと、批判しているところだ。そういった問題のたてかた自体が「
人間はすべて、なんらかの「言語」という制度のなかで いきていると、信じて うたがわない」発想にねざしており、「言語帝国主義は、けしからん」という批判的視座自体が「
言語が だいすきでたまらない ひとたちによる、帝国の言語の批判で……「言語という体制」「言語という制度」をといなおすことはせず、 「言語の ぬるま湯」に つかって、権力を批判する」たちばだというのだ。■hituzi氏など、知的障碍者の施設につとめるスタッフからすれば、「言語至上主義」のらち外にある存在が、ちゃんと実在すると。
■そして、そういった無自覚な「言語至上主義」の古典的作品として、田中克彦『ことばと国家』の、おどろくべき差別性を指弾するのである。
「人間はふつう、だれでもことばを話している。それは、人間と他の動物とを分ける基本的なめじるしの一つと考えられている」(p.2)■「ふつう」じゃない存在を例外視=異常視する認識は否定できない。hituzi氏の批判は、実にもっともである。■だから、「
はてなブックマーク」でも、それなりの反応があったようだ。
■hituzi氏の批判は、実にもっともなので、主旨に異論はないのだが、では異論が全然ないかといえば、実はおおありなのだ。■戦略的に、議論をもりあげようと、わざとスキをかかえこんでいるのだとおもうが、それにしても、ワキがあますぎるとおもうのだ。
■いや、批判者の想定はともかくとして、読者層の想定は、あやふやだとおもう。この文章は、一体だれにむかってかいたのか?
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