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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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生活保守主義としての「食の安全」意識とナショナリズム5

前便で紹介した、「毒餃子事件報道を検証する」は、有害物質と政官財のかくれた関連性を歴史的検証してきた 原田和明さんの新シリーズ(旧ブログでは、大量に紹介した)なのだが、緊急性がたかい時事的話題をあつかっていることもあってか、異例のペースで、はやくも第5回が配信された。■ここでは、最近メディアでかわされている構図とは全然ちがった印象をあたえるだろう 原田さんの最新号をはりつけておこう(改行・リンク等は、旧ブログ等、ハラナによる編集あり)。■「メディアを まにうけるな」という、リスク対策としても、かっこうの事例研究になる。


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     世界の環境ホットニュース[GEN] 666号 08年02月29日
         ご意見・投稿 → post_ende23@upken.jp

           毒餃子事件報道を検証する【第5回】         

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 毒餃子事件報道を検証する   原田 和明

第5回 第二成分はあったか?

 さて、いよいよ本題です。千葉市と高砂市の2家族はメタミドホスを食べた量が少ないと推定されるのに、なぜ「死をも予感」させるような重篤な症状に陥ったのでしょうか? その答えは、「メタミドホスはダミーだったのではないか」という仮説をたててみると、見えてきます。つまり、重体に陥った主因の毒物は他にあり、メタミドホスは主因となる毒物をカムフラージュするために仕込まれていたというわけです。そして、その主因となる毒物は、通常の化学分析では検出が難しいもの、あるいは通常の分析では気付かない程度の微量で劇的な効果を表すものであったなら、メタミドホスの陰に隠れて見落とすこともあろうと推測されます。

 主因となる毒物を仮にAとします。もし、餃子にAだけが仕込まれていたとしたら、重篤な症状がでたが、原因物質は見つからないという状況になり、様々な分析が試みられることでしょう。すると、そのうち、Aの痕跡か、あるいはAそのものが検出されてしまうかもしれません。

 ところが、ダミーにメタミドホスを入れておけば、こちらは容易に分析可能です。それが残留農薬とは桁違いの濃度で検出されれば、誰もメタミドホスが中毒の原因物質と信じて、それ以上の分析は行なわないでしょう。ダミーの存在によって、Aの存在を気付かれずに済むのです。

 これが、「重篤な症状でありながら、有機リン中毒に特徴的な縮瞳は起きなかった」と「メタミドホス濃度が低いのに、重篤な症状になった。」という現象を同時に説明できる数少ない可能性であると考えています。

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テーマ : 食に関するニュース - ジャンル : ニュース

2月28日についての雑感

■先月「1月19日」の本文記事やコメント欄で、1月19日の過去のできごとや有名人の誕生日などをみると、気象データの「特異日」的なたとえをつかいたくなるとかいた。■実は、こういったことは、旧ブログの「コピーとしての事件名(「9・11テロ」ほか)」という記事で、ほぼおなじようなことをかいていることに、きょう きづいた。

■それはともかく、記念日というのは、「サラダ記念日」にかぎらず、個人的要素や小集団のかかえる特定の属性が決定的刻印をのこすことがすくなくない。「9・11」にかぎらず、「2・26」とか。あるいは、「5・15」とか「10・10」など、沖縄県関係者かどうかで、その意味が全然ちがうとかもね。
■たとえば、きょう2月28日などは、ほとんどのひとにとって、全然特別な日にはならないはずだが、台湾のひとびとにとっては、決定的でわすれられない「記念日」=二・二八事件(のろわしいという意味でだが)だ。そのことについては、ちょうど一年まえ旧ブログでふれた。■1年まえに、どういった問題が世間をさわがせていたか? ちょっとおもいかえしてみると、びっくりする。1年間は、あっというまにすぎるが、社会システムや人心には、おどろくほど「進歩」がないことに、おどろかされる(笑)。■ひとは、「光陰矢のごとし」と、年月のすぎることを、自分の老化を象徴するものとしてモノサシにしてさわぐが、社会がおびただしい事件・事象をひきおこし、くりかえす悲喜劇の総体を冷静にかんがえると、個人のものがなしい喜怒哀楽同様、社会全体が狂奔の日々をくりかえしているいえるかもしれない。

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しのびよる疾走者の恐怖=自転車の「とおりみち」8

■旧ブログ:自転車の「とおりみち」シリーズのつづき。といいたいところだが、実際には、睡眠不足のうえに 大量の雑務をこなしたための疲労で、まとまった文章がかけそうにない。■なので、今晩、ひさしぶりに あじわった さむけを、おもいだしながら、みじかめのを…。

■旧ブログがシリーズ化したのは、電動アシスト自転車の功罪という文章だった。■そこでは、中年のオバさまたちに、かなり意地わるな視線で、つぎのような文章をかいた。

……
■高齢者や育児中の層が、電動アシスト自転車で移動することは、なにも問題ないし、むしろ「福音」といってよい。■しかし、「時速24km以上では補助はなくなる。外国から日本国内に輸入される電動アシスト自転車の多くは、こうした制約が科せられていないものが」おおいといった記述を逆によめば、高齢者でも時速20キロ以上を簡単にだせてしまうことを意味する。■このような「アシスト」をえた中高年が道交法の趣旨というか、良識をわすれて疾走することになれば、元気な自転車のり(中年女性にもたくさんいるが)の現在の横暴に、あらたな参入者がくわわるということになりかねない。
■つまり、「自分たちは障碍者に準じた存在として、電動アシストを利用している」という明確な自覚がない層は、いわゆる「シニアカー」や「電動車椅子」などとちがって、「はしる凶器」になる危険性がでてきたのだ。……

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生活保守主義としての「食の安全」意識とナショナリズム4

■シリーズものだが、前回とは ちょっとちがった きりくちで。

■『憂国広場Ace』の先日の記事「北京市 オリンピック食料持参を禁止 選手の健康維持絶望」(2008-02-23)

日本では中国産冷凍食品が農薬まみれであることが発覚し、国中がパニック状態になっているが、外国でも中国食品に対する不信感は根強い。
アメリカなどは代表チーム用の全ての食材・飲料水を中国の外から持ち込む予定だった。
ところが、それを国辱と感じた中国政府は強硬措置に出た。

北京市食品安全弁公室の唐雲華氏は21日の記者会見で、「北京五輪大会用の食材の安全基準は国際基準より厳しいものとなっているばかりでなく、食材の種類では各国選手の食習慣の違いを配慮している。選手らの食安全需要に対し完全に満足でき、海外から食材の持参は認めない」と述べ、アメリカの計画を禁止する見解を示した。

アメリカ五輪委員会(USOC)は、大手食品企業のケロッグやタイソンなどの支援を受けて、同国の代表チームに牛肉・豚肉・鶏肉などの肉類11トン3000キロを北京に空輸する計画だった。

記者会見に同席した北京五輪組織委員会競技サービス部の向兵萍副部長は、「国際五輪委員会の規則に基づいて、大会期間中、選手村に食材や薬の持ち込みは禁止となっている」と主張した。

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テーマ : 食に関するニュース - ジャンル : ニュース

障害学からみた学校の本質

■『hituzinosanpo』シリーズ第2弾。■今回も、虚をつく提起。


人権教育は、ありえない
2008年01月31日 15時47分11秒 / 障害学

……
なにが教育をなりたたせるのか。たとえば、学生みんなが席にすわって授業をきく。授業に参加する。これをあたりまえのことだと想定すること自体が、おそろしい発想である。

……わたしにとって、授業にならない教室というものは、とても自然なことだと おもえる。50分も席に すわりつづけるなど、すべての人間が できることではない。あたりまえのことだ。

ではなぜ進学校では、だいたい みんなが授業に参加できているのか。それは、学生を選別したからだ。


ある学校で、人権教育をおこなう。どのような人権をおしえるのか。どのような教育にするのか。それを議論することも大事だ。けれども、学生たちが その学校に かようようになるまで、さまざまな選別を通過している。学生たちは、選別に勝利したものたちだ。

選別というと、入学試験だけをイメージしているかもしれない。だが、そうではない。「就学時健診」による選別もある(小笠毅=おがさ・たけし『就学時健診を考える』岩波ブックレット、山田真=やまだ・まこと『子どもの健康診断を考える』ちくま文庫)。

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テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : ブログ

慣性の法則/制動距離/強者の論理

■旧ブログ:自転車の「とおりみち」シリーズの 2年ちかくまえの記事「自転車のベルの存在理由は?=自転車の「とおりみち」3」の関連記事。というのは、ウソ(笑)。

■「Wallerstein」氏の記事の全文転載。

自転車(比喩) 18:25
私は運転免許を持っていない。したがって公共交通機関を使うか自転車を使うか、である。自転車はエコで便利な道具である。しかし一つ間違えると凶器になる、という認識が必要である。

自転車が走行できる歩道で歩行者と交錯することがある。私は歩行者優先と学校で教えられたし、それを墨守してきた。歩行者がよけてくれるだろう、という考えは驕りである。それを少し意識するだけでずいぶん変わることだろう。

今のネット上での言論を見れば、どうもそうではないという意見もあるらしい。大きいのはよけるのが大変なのだから、歩行者が気をつけるべきだ、と。前をろくに見ずに突っ込んでくる自転車を歩行者がアクロバチックな身のこなしでよけろ、というような意見が結構目につく。日本で歩道を歩く時には気をつけた方がいいかも知れない。

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安保体制を擁護しつつ、性暴力被害者に責任転嫁できる神経=海兵隊の暴力体質は、綱紀粛正なんぞでは達成できない3

■「海兵隊の暴力体質は、綱紀粛正なんぞでは達成できない2」のつづきをかけずに だいぶたってしまったが、関連する論点をかきとめておかないと、大事なきっかけをわすれてしまいそうなので、はりこんでおく。

■歴史研究者「Wallerstein」氏の 「在日米軍による少女暴行事件の問題の所在」という、先日の記事の主要部分。

この問題を考察する際に、議論を単純化するために、一つの条件を措定する。日米安保は日本の平和に不可欠である、と。もちろん左右問わず批判はあるだろう。しかしここを取り敢えず前提としたい。その方が問題の所在がはっきりするからだ。

この事件の問題は、在日米軍の負担を沖縄に押し付けて、知らぬ顔を決め込む無責任にある。この「無責任」という批判は私に当然該当する。私は沖縄県民の苦しみの上に築かれた日米安保体制による日本の安全保障の福利を享受している。

在日米軍兵士による犯罪というのは、日米安保体制の負の側面である。それを見て見ぬふりをし、沖縄の人々に押し付けることで、私は日米安保体制の利益を我が身にも受けているのだ。沖縄だけではない。在日米軍が駐留することによる日本の安全保障と引き換えに負の側面を基地の周辺の人々に押し付けているのである。その上にあぐらをかいているのである。

まずはこの現実を直視する必要がある。もちろんそれを認めたうえで、将来の日本の安全保障政策をどうするべきか、という議論はある。安保体制の見直し、とか、安保体制を破棄する、とか、破棄した後、自主憲法を制定して独自の軍事力を保有するとか、非武装中立の道を歩もうか、とか、議論は自由だ。しかし現時点において私は日米安保体制による米国の傘の下に入る、という安全保障政策の下にいる。

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テーマ : 軍事・平和 - ジャンル : 政治・経済

「ひきこもり」を推計する意義

都が初の推計 ひきこもり2万5千人

 東京都は22日、都内に在住している、ひきこもりの人は推定で約2万5000人との調査結果を発表した。

 都は昨年9月から10月に初の実態調査を実施。15歳以上、34歳以下の男女3000人のうち、1388人が回答、10人がひきこもり状態だった。対象世代約349万人に当てはめて推計、出現率は1000人当たり約7人となった。

 10人のほか、相談機関などのひきこもり状態の18人の聞き取り内容を加えて分析したところ、ひきこもりは男性が7割を占め、きっかけは「職場不適応」と「病気」が各25%で最も多かった。 厚生労働省研究班の2004年度調査では、ひきこもり状態の人がいるのは全国で推計約32万世帯。
[ 2008年02月22日 18:36 速報記事 ]

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■いわゆる『スポニチ』の記事。■いや、スポーツ新聞だから、スポーツ以外のネタは水準がひくい、なんていいたいからではない。そうではなくて、「ひきこもり」の実態を地方自治体など行政組織が「推計」することの意義を、かんがえてみようということ。

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テーマ : 気になったニュース - ジャンル : ニュース

鎌倉時代の列島住民≒現代日本人って情報がそんなに重要か?

鎌倉時代人と現代日本人、
     ミトコンドリアDNA同じ特徴

2008年02月21日10時59分(asahi.com)

 今日の日本人は、古くから列島に暮らしていた縄文人に、大陸から渡ってきた弥生人が合わさり誕生したと考えられている。それでは、両者の融合はいつごろから進んだのだろうか。日本人の形成をめぐる大きななぞに、遺伝子の面から一つの回答が示された。鎌倉時代に関東地方に住んでいた人々のミトコンドリアDNAの特徴は現代人とほぼ同じだというのだ。これまで「顔立ちが独特で不可解な存在」とされてきた中世人。その成り立ちが最新の科学技術によって見えてきた。

■中世の人骨61体を解析

 国立科学博物館人類史研究グループの篠田謙一研究主幹(分子人類学)が、神奈川県鎌倉市の由比ケ浜地域の二つの遺跡で発見された鎌倉時代の人骨61体からミトコンドリアDNAを抽出し分析した。

 ミトコンドリアDNAは母親から子どもへと受け継がれる遺伝子で、現在の地球上のすべての人類は、かつてアフリカにいた1人の女性の子孫だという「イブの仮説」を生み出すなど人類の歴史の解明に新たな世界を開いている。微量でも分析が可能な方法が開発されたことで1990年代後半から急速に研究が進み、日本では縄文人や弥生人のDNAが調べられ、現代人との比較が進められてきたが、その中間となる中世の人骨を対象としたまとまった研究は、これまでなかった。

 配列の特徴によってミトコンドリアDNAはハプログループという集団に分類する。血液型のように人はどこかのグループに属し、グループにより分布に特徴があることが分かってきている。Dは東アジアに広範に存在し、Gはシベリアなど北方に多い集団。Bは中国南部で誕生したらしい。M7aは沖縄に多いのが特徴で、旧石器時代に南から伝わり日本列島に住み着いた縄文人を代表するグループとの見方が強い。Aは、北米・中米の先住民では最も多いが、ユーラシア大陸では北方に限定……といった具合だ。

 篠田さんは61体のDNAを分析・分類し、その構成比を1月に東京であった研究会で発表した。DとGでほぼ3分の1を占め、AよりもBの頻度が高く、M7aの比率も現代の本土日本人とあまり違わなかった。


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テーマ : みんなに紹介したいこと - ジャンル : ブログ

国家神学者たちによる歴史埋設(「沖縄返還「密約」存在判断せず」琉球新報)

■いわゆる「沖縄密約」事件(「西山事件」)の高裁判決。

沖縄返還「密約」存在判断せず
           西山氏の控訴棄却

 1970年代の沖縄返還交渉時に日米両政府間で交わされた「密約」を報じ、国家公務員法違反(秘密漏えいの教唆(きょうさ))の罪に問われて有罪が確定した元毎日新聞記者の西山太吉氏(76)が、米公文書で密約が裏付けられた後も日本政府の否定発言などで名誉が傷つけられているとして国に謝罪と慰謝料を求めた訴訟の控訴審判決が20日、東京高裁であった。大坪丘(たかき)裁判長は昨年3月の一審・東京地裁判決と同様、密約の存在についての判断をしないまま除斥期間(不法行為に対する損害賠償請求権の存続期間)を適用し、西山氏の控訴を全面的に棄却した。西山氏は上告する方針。
 大坪裁判長は密約の認否には一切踏み込まず、除斥期間の適用で原告の主張を退けた1審判決を踏襲した。西山氏は「米公文書が報道された2002年6月まで文書の存在を知らず提訴は不可能だった」などとして「除斥期間の適用は正義に反する」と訴えていたが、判決は「除斥期間の援用に対して信義則違反や権利乱用を主張する余地はない」と主張を退けた。
 西山氏の「公文書の発見で密約が裏付けられ、原告の無罪は明らか。検察官が再審請求しないのは違法」との主張については「検察官の再審請求は国家の秩序維持が目的で、有罪を言い渡された者の利益を回復するためのものではない」として、検察官が再審請求しないからといって西山氏の利益が侵害されているとは言えないと判断
した。
 02年の米公文書発見直後、河野洋平外相(当時)が、返還交渉を担当した吉野文六氏(元外務省アメリカ局長)に、取材に対しては密約を否定するよう口止めしたとされることについては「仮に要請があっても、外務省OBの吉野氏に政府の公式見解に沿って報道に対応するよう働きかけたにすぎない」として違法性はないと判断した。
 02年の米公文書発見以降も政府が密約を否定し続けていることについては「政府の公式見解を一般的に述べただけ」との国側の主張を認めた。


(2/21 9:56)

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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 真理省1984年ハイパー独裁

東京マラソンはちゃんと総括されて第2回をむかえたのか? 2

前便つづき。■2回目の開催に批判があることは予想していたが、この日記よりも毒舌の記事を発見(笑)。



2008-02-08 08:41:09

悪評!迷惑! 今年も東京マラソン強行
                        Theme: 憂国
【画像割愛:ハラナ】
慎太郎が都民の迷惑を顧みず、あの東京マラソンを今年も実施する。こんな慎太郎の悪趣味のために、都内の交通は麻痺するわけだ。
どさくさ紛れに「東京マラソン宝くじ」など関連グッズを売り出して馬鹿を引っかけようというのだからあくどい。寺銭率は55%で儲けは慎太郎と天下りで折半である。

実際に企画しているのは競艇の「 笹川スポーツ財団 」である。馬鹿都民の洗脳要員はナベツネの読売で、手先の子分が大阪のやくざ御用達の犬右翼新聞である産経だ。

コースは見るもおぞましいナチスの鉤十字型で、しかも、コースの60%はかつての獄門磔江戸市中引き回しコースと重なっている。慎太郎の悪趣味丸出しである。

今回の目玉が「エコ」とか抜かしているから、本当に目玉が飛び出るくらい驚いた。

6時間も主要道路をストップさせ、車を強制迂回させてどこが「エコ」なのか聞いて呆れる。馬鹿じゃなかろうか?
参加料はフルマラソンで10000円、10キロコースでも5000円ぼったくる。

ちなみに、朝日がやっていたので、読売と東京都の妨害で中止させられた東京国際女子マラソンは参加料5000円であった。

10000円も払って肺の中に硫化化合物を満たして市中引き回しの気分を味わいたいのは人の勝手だが、周辺都民はたまったものではない。

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テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : ブログ

『高学歴ワーキングプア』(水月昭道)続報2(女子篇)

■「『高学歴ワーキングプア』(水月昭道)続報」の続報。その意味では、旧ブログの「高学歴ワーキングプア(水月昭道)」シリーズの続報2弾。■副題をつけるなら、「女性と高学歴ワーキングプア」あたり。

■まずは、2年半ちかくまえの、わかい女性のブログを紹介。


2005年10月31日
文系女子院生はどこにいるのか?

……
 私も、選挙に関する日記でホームレスに関して触れているし、実際友だちと澁谷さんが日記でとりあげたような会話をしたことがあるので、自分の中の蔑みの視線に気をつけねばならないなと反省した

 そうなのだけれども、恐らく一部の文系女子院生にとって「ホームレス」という未来予想図は「極端な例」と言えるほどに非現実的なものでもない。

 以前、野宿者の支援活動をしている人と話していて思ったことなのだが、その方々は自分達は直接に野宿者の生活を目の当たりにしているので社会の現実を知っているが、あなた(=私)みたいな学問に携わる人たちは机上で物を考えているから、まるで世の中(とくに底辺のこと)を知らないのよね、という態度で私に接してくる。言わば、研究者や院生などというのは、野宿者の対極にある存在だと思っているらしい。

 実際、研究者やその卵たちが住まうアカデミズムの中に、野宿者や虐待児や危険な労働を強いられる外国人労働者やその他諸々の現状をいとも簡単に"例外"として位置づけ、日本には生命に関わるような貧困問題は"ない"と思っている人々がいることは否定しない。



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57音節系定型詩の本質

俳句川柳短歌狂歌、あるいは都々逸など、5音節・7音節だけの短型定型詩*は、方言ごとの音節イメージに地域差があることをわりびいても、ゆるい意味での「日本語」の音体系を前提にしている。■すくなくとも、われわれが通常前提にしている5・7系短型定型詩は、出版資本主義と公教育・兵役などを基盤にした標準語の支配的流通によって共有された、「日本語」意識と、それの機軸となる音節イメージが前提となる。

* 8・6が基調の琉歌は、音韻体系とか、言語体系が本来はちがうこともあり、おいておく。

■だから、①日本語と異質な言語体系のばあいは、基本的に この基準からはずれるし、②「日本語」というわくをとりはらっても、母音をともなわない子音とか、二重子音などが前提の言語のばあいは、形式をまねた3連とか5連などのフレーズをならべても、全然別物をやっていることになる。■それは、スパイスをすっていためることのブレンドから、南アジア・東南アジアの「カレー」文化なのであって、できあいのカレー・ルーをとかしてヤサイなどをにこんだものと一緒にしてはいけないのとおなじだとおもう。

■では、これら5・7系定型詩の本質はなんなのか?

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ひらがな市名は、どこか問題か?

■紹介しようとおもいつつ、さきのばしにしていた、安田敏朗『国語審議会』。■たちいった書評がでたので、紹介。『Nikkei Business online』の「毎日1冊!日刊新書レビュー」から。


「ひらがな」の市名、好きですか~『国語審議会』安田敏朗著(評:近藤正高)
2008年2月14日
 つい先日、文化審議会の国語分科会が、「常用漢字表」に新たに11字を加える案を承認した(1月28日)。案にあがったのは、「阪」「熊」「奈」「岡」「鹿」「梨」「阜」「埼」「茨」「栃」「媛」と、いずれも府県名に使われている漢字で、いままで常用漢字表に入っていなかったのが意外なくらいである。

 ところで、「国語分科会」という組織名に耳慣れない人もいるのではないだろうか。むしろ「国語審議会」なら聞いたことがあるという人のほうが多いかもしれない。

 実は、国語審議会という名前の組織はすでにない。1934年に文部大臣の諮問機関として発足した国語審議会は2001年1月に廃止され、新たに設置された文化審議会の国語分科会として文部科学大臣の諮問機関へと移行し、現在にいたっている。

 というわけで、タイトルにずばり「国語審議会」と掲げた本書の登場である。

 国語とはそもそも近代国民国家が国民を統合するため、政策という人為によって創出されたものだ。著者によれば、そのとき、大きく分けて二つの方向が提示されるという。

 一つは、国家の領域内において、地域的にも階層的にもあまねく通用するものにしようという方向であり、もう一つは、国家の歴史や文化をあらわすものにしようという方向である。

 この二つの方向は本来相互補完的なものだが、著者は便宜的に前者を「現在派」、後者を「歴史派」と名づけ、国語審議会を舞台にした両者のせめぎあいの歴史を検証している。

 話をふたたび常用漢字に戻すと、現行の常用漢字表はもともと「当用漢字表」にかわるものとして登場したものである。

 当用漢字表は、漢字の使用に制限をかけるものとして、敗戦後の1946年、「現代かなづかい」とともに公布された。その背景には、わかりやすい表記によって民主化を促進しようという日本国内での動きや、漢字廃止とローマ字の採用を求めるアメリカの意向もあったとされる。

 とはいえ、漢字制限自体は明治時代に国語政策がはじまって以来懸案となっていたものである。

現在派と歴史派の闘争
 先述の現在派は、国語普及のためにはことばの表記はできるだけ簡単であるべきだと考え、ことあるごとに漢字を制限しようというこころみを行なってきた。だが、そのたびに歴史派の強い抵抗にあってきた。

 たとえば、1942年に国語審議会が答申した「標準漢字表」もまた漢字制限をめざしたものだったが、歴史派の反対を受け、答申を受けた文部省もかなりの字数を追加したため、実質上そのもくろみは果たされなかった。

 このことに対する現在派の不満が、戦後再開された国語審議会で噴き出す。著者はこれをとりあげ、〈民主化云々にかかわりなく、戦前の標準漢字表制定という事業を継続するところから、敗戦後の国語審議会ははじまったのである〉と戦前との連続性を強調している。

 すなわち、戦後も明治以来の「国家統治のための要具」という国語観に変更はなかった、ということである。このような国語観は、主張の異なる現在派と歴史派のあいだでも共有され、国語審議会ではひきつづきことばの一元的な管理がめざされた。こうした歴史をふまえ、著者は序章で〈ことばは、政策的に管理されてはならない〉と訴える。

 さて、当用漢字表と現代かなづかいの公布後、表記の簡易化・漢字制限という政策の流れは定着し、国語審議会では現在派がリードする時代がつづく。これに反発して1961年には歴史派の委員たちが脱退するという事件も起きた。

 だがこの事件は結果的に、両者を次第に歩み寄らせることになる。具体的には、これまでの政策への反省から、当用漢字や現代かなづかいの全面見直しが行なわれ、1981年には常用漢字表が、86年には「改訂現代仮名遣い」が答申されるにいたった。

 当用漢字から常用漢字への最大の変化は、そのあつかいをあくまでも漢字使用の「目安」としたことである。このように規制の度合いをゆるくしたことに対し、〈戦前をひきついだ統制路線が修正された〉と著者は一定の評価をくだしている。当用漢字表には国語表現を束縛し、表記を不自然なものにするという批判もあったが、それも常用漢字表の登場によってある程度は是正されたことはたしかだろう。

 こうして、長年現在派と歴史派の対立点だった〈国語の表記をどうするかといった技術的な議論〉はいちおうの終焉を迎え、国語審議会および国語分科会では〈国語によってなにができるのかという精神論へと重点が移っていく〉。その答申でも、国語を通じて「郷土愛」や「祖国愛」を身につけることが謳われるなど、多様化・複雑化する社会を統合するため、国語が規範を示すべきだという主張が強まる。ようするに、説教くさくなっていったのだ。

 このような近年の傾向に対し、著者は国語観の硬直性を指摘する。そのうえで、さまざまな国語が存在することをうけいれるような、柔軟な国語観の確立が必要だと説く(なお、著者のいう「さまざまな国語」には、〈簡単な日本語から複雑でめんどくさそうな日本語、そして日本語以外のことばが入り込んだ日本語まで〉もが含まれる)。

 ところで漢字制限論は、これまで紹介してきた流れとは別に、ワープロやパソコンの普及によって完全に打破されることとなった。

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「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」というのは正論だとはおもうが…

■hituziさん〔『hituziのブログ 無料体験コース』〕の最近の記事「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」という文章は、一見奇矯にみえるけど、実は正論。

……
ベジタリアンを菜食主義者ということがあるが、これは単純な翻訳の問題ではない。それぞれ微妙に ちがった定義である。

ベジタリアンとは、なんらかのかたちで肉食に制限をおいているひとのことである。英語で「まったく肉をたべないひと」は、ビーガンという。ベジタリアンには いろいろと類型があって、サカナは たべるベジタリアンとか、トリ肉は たべるベジタリアンなどがいる。

菜食主義といってしまうと、肉食を完全に拒否しているひとというふうに感じられてしまう。だから、菜食主義者はベジタリアンの一部をさす表現であるとはいえるけれども、ベジタリアンの全体をよびならわす表現には なりえない。ベジタリアンも肉をたべるのだ。肉を まったく たべないベジタリアンもいるということなのだ。

なぜ肉をたべないか。それは、倫理的、宗教的、健康的、体質的、味覚的な理由から、ある肉や あらゆる肉をたべないことにしているのだ。それがベジタリアンの実態である。


そして!

人間すべての本質でもある。

つまり、ひとは すべて、倫理的、宗教的、健康的、体質的、味覚的な理由から たべるものをえらんでいる。すべての食材をたべるひとは どこにも いないのだ。
……

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テーマ : みんなに紹介したいこと - ジャンル : ブログ

東京マラソンはちゃんと総括されて第2回をむかえたのか?

東京マラソンがまた、あす開催されるようだ。第1回については、ほぼ1年まえに旧ブログで2本記事をかいた(「東京マラソンで都心「大封鎖」 2月18日、銀座6時間(朝日)」「まつりは、基本的に迷惑行事である(東京マラソン)」)。■そして、ついさきほど、当時まともに収集しなかった、大会への批判的見解をまとめてコメント欄におさめておいた。■その際、非常にバランスのとれたコメントを発見したので、全文はりつけておく。

2007 / 02 / 19
  東京マラソンは本当に成功なのか

月18日(日曜日)、約3万人の市民ランナーが参加する第1回東京マラソンが開催された。最大で7時間近くに亘って、首都の主要道路封鎖を余儀なくした大イベントである。

世界の他の大都市マラソンのように、競技者側・市民側から発展し成長していったレースではない。日本陸上競技連盟(陸連)が主導してつくり上げたレースでもない。競技者が欲しがったわけでも、マラソン競技の中心団体が欲しがったわけでもなく、政治が欲しがったイベントだ。

都知事が思いつきで始めた、選挙対策の話題づくりイベントで、東京五輪招致の宣伝の一環、石原電通マラソン・・・等々といった冷めた見解は置いておくとしても、12億5千万円もの運営費を投じて開催すべきイベントなのか。ほとんどのメディアが伝えているように、本当に大成功なのか。さすがに甚だ疑問である。

ず、都知事選(4月)や他の5大都市マラソンとの兼ね合いで急遽選んだ開催日程からして、極めて利己的だ。市民レースとして40年来の人気を誇る、同じ都内で開催される伝統の青梅マラソンと全く同日に開催日を設定し、結局は青梅マラソン側が開催日を変更せざるを得ないハメになった。

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海兵隊の暴力体質は、綱紀粛正なんぞでは達成できない2

■ブッシュ政権がうちだした「落ちこぼれゼロ法」(No Child Left Behind Act)という、あまりにうつくしい教育改革法は、国防総省が やすあがりにリクルート(原義どおり「新兵補充」の“recruit”)のコスト削減(合理化)のための、個人情報収集の策略だった。■貧困家庭が集中する地区=学校財政が窮迫している=補助金なしでは廃校になるという地域から、集中的に兵士(将来の将校候補層はいない)を募集できるようなシステム。公立学校の財政的窮迫と生徒たちの家計の窮状という、あしもとをみた法律なのだ。「貧乏なので、大学進学は絶望的だ」「大学進学できなければ、両親世代同様貧困からぬけだせない」という、きびしい現実。そういった貧困層が集住する地区の公立学校は財政がくるしい。補助金ほしさ(廃校をさけるため)に、生徒の個人情報をさしだすしかないという、「兵糧攻め」だ。■米軍が、そういった個人情報リストから、絶望的な状況の家庭にそだった生徒の〈厳選リスト〉を作成して「リクルート」するのは、実にラクだろう。
■堤 未果『ルポ貧困大国アメリカ』が指摘するとおり、米軍がわかものたちに提案する「条件=エサ」は、実に巧妙だ。前回ものべたとおり、かれらの主体性(たとえば「良心的兵役拒否権」)を尊重するようなポーズは、カムフラージュにすぎない。リクルート関係者は、よくわかっているのだ。わかものと出身家庭が、経済的窮状にあるがゆえに、ふたつの〈魅力的なエサ〉にとびつくほかない(選択肢がない)ことを。■〈魅力的なエサ〉とは、大学進学と医療保険だ。

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旧ブログから通算3周年

■公私の諸事情から、いまだプチ・ウツ状態を脱出しえずに数日。■うわむかない気分を、浮上させるために、「おはやし」的な「てまえみそ」記事をあえて。

■日記等で何度かかいたとおり、旧ブログをかきはじめてから通算で3周年をむかえた。■旧ブログだけで2年半以上、2000本以上の記事をかいた(アクセス数は、現在まで63万強)。このブログにうつってからは、2か月半、100本強の記事(現在まで、アクセス数5300強)。

■なかば「勤行(おつとめ・修業)」のように毎日更新していると、うちこみや情報収集が少々はやくなる。■100本単位の記事を数か月でかきつづけるペースが1年・2年とつづけば、情報集積としても、それなりの分量になって、検索すると なにかと便利な記録庫となる。■こちらのブログも旧ブログに依存せずに質・量をそなえられたらとおもう。そのためには、一に体力、二に環境整備か?節制と身辺整理にこころがけたい。
■と、過去をふりかえっても、やはり「もりあがらない」なぁ(笑)。週末のうちには、たちなおりたい。


●「ことしの20冊:2005年
●「この日記の1年をふりかえる
●「年頭にあたって
●「2周年をむかえて
●「アリバイ的更新
●「ようやく2000本に到達
●「今後の方針と新ブログとの関係

●「『週末作家入門』
●「四○歳からの勉強法

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海兵隊の暴力体質は、綱紀粛正なんぞでは達成できない1

学力問題は、このブログに移行してからもいくつも記事をかいたが(旧ブログでは たくさん)、一部訂正をする。■「学力低下妄想?(OECD生徒の学習到達度調査)」では、「アメリカ・ドイツ・フランス・イギリスなどサミットの主軸である大国が日本よりすべて下位にあるようにみえる点」を強調して、国際的な学力比較でヒステリックになっているのは、小国と日本だけみたいなかきかたをしたが、どうもそうではないらしい。
■堤 未果『ルポ貧困大国アメリカ』によれば、2002年はるブッシュ政権がうちだした「落ちこぼれゼロ法」(No Child Left Behind Act)は、「アメリカでは高校中退者が年々増えており、学力テストの成績も国際的に遅れをとっている。学力の低下は国力の低下である。よってこれからは国が教育を管理する」という方針のもと、「全国一世学力テストを義務化する。ただし、学力テストの結果については教師および学校側が責任を負うものとする。良い成績を出した学校にはボーナスが出るが、悪い成績を出した学校はしかるべき処置を受ける。たとえば教師は降格か免職、学校の助成金は削減または全額カットで廃校になる。…競争システムがサービスの質を上げ、学力の向上が国力につながるという論理」にそったものだそうだ〔pp.100-1〕。
■表題と全然かみあわない気がするが、実はそうでもない。これが、米軍のリクルートと、密接な呼応関係にあるからだ。

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徳島刑務所暴動続報

■旧ブログ「徳島刑務所」関連記事および「暴動をおさえこんだ刑務官たちは公務執行?」の続報。■ほぼ、ひとつきまえのブログ記事と、先月すえのシリーズ記事をリンク。

●「徳島刑務所暴動事件は、受刑者の逮捕で次のステージへ」『なるしす日記』(2008/01/12)
●「徳島刑務所暴動、25日書類送検でわかった、暴動の中身 問題の松岡医務課長は「左遷」」『デジタル紙の爆弾』(2008/01/30)
●「徳島地検が、徳島刑務所暴動の捜査を本格化 松岡医務課長にメスが入るか?」『デジタル紙の爆弾』(2008/01/31)


■重要なことは、①刑務所は、法務省の管轄組織であり、そこでの不祥事を現地の官僚たちがモミけそうと画策してきたことが、あきらかなこと(医師による暴行・傷害の隠ぺいと、暴動の隠ぺい)。■②のりこむ検察官は法務省と人事交流する(というか、ジグザグ人事でエラくなっていく)ひとびとであり、刑務所での不祥事を担当するには不適当な層であること。■③こういった事件こそ、可視化が不可欠なのであり、自浄作用はあまり期待できないこと(警察内での自浄作用と同様)だ。
■最近、メディアのとりあげかたも暴行と暴動をきりはなすような記事になりがちな状況である以上、監視をおこたらないようにしないと。


●Google検索「徳島刑務所」

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建国神話と植民地状況の否認

■いろいろあって、長文をかける状態にない。リハビリ途上なので、みじかく。

●「岩国市民の声「国に逆らって、なにかいいことありますか?」」『低気温のエクスタシーbyはなゆー』
●「米兵が中学生暴行」『なごなぐ雑記』
●「沖縄の少女レイプ事件、もう岩国の「勝利」を石破防衛相始めとする方々は喜んでいないでしょうね?」『Like a rolling bean (new) 出来事録』


■自主憲法制定をわめきたてる政治勢力が、「おしつけ憲法」の主体であるはずの米国と同盟関係を維持したがっていることの矛盾、駐留外国軍による非道に対して「よわごし」以外のなにものでもない植民地状況については、旧ブログから再三かいてきた。■「建国記念の日」とやらの集会で気勢をあげるひとびとにとって、米軍駐留は、いかなる意味をもっているのか?

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経済階層上中位世帯の学歴獲得戦略と可能性

■「国際的に学力水準が地盤沈下しているじゃないか?」*とか、「公教育が競争原理の機能しない『聖域』のまま放置されておくなんて、おかしい(=「市場原理によって徹底的に合理化すべきだ」論)」**とか、学区の廃止やら受験塾との提携などを当然視する論調がたかまっているようだ。■学歴と職務との関係性がはたして徹底的に整合化できるか(たとえば、学校の機能の相当部分を職業訓練校=就職予備校化してよいのか?/学歴とポストの対応は透明化できるか?/……)など、さまざまな問題をかかえているのに、学歴がたかいことは、モンクなしに(ひくいより)よいことという前提が当然視されているのは、奇妙である。■たとえば、以前問題にしたような、人文・社会系大学院博士課程とか、法科大学院のような、「高学歴ワーキングプア予備校(すくなくとも、「ハイリスク・グループ」を大量にかかえこむことを前提に組織が成立・運営されている)」はもちろんのこと、おおくの4年制大学の「専門教育」とか、専門学校の実戦教育とやらが、はたして対費用効果として、合理的かどうかさえも、ちゃんと試算されたうえで、生徒・保護者に提示されていないような日本列島にあって、うえのような自明視は、それ自体非常に非合理的な発想・姿勢というほかない。

 * 実は、こういった断定は基本的にデマ
 ** 実は、企業だって、徹底した市場原理にさらされている領域はかぎられている。


■しかし、まあ、うえにあげられるような「学歴依存症候群」「学歴インフレ構造」「学歴詐欺商法」等々の問題は、とりあえずおいておこう。■ともかく、過熱化しているとしかおもえない、6年制一貫教育指向とか、学区廃止や公立小中学校の自由選択制等々への加速化の動向をみるにつけ、富裕層以外が、富裕層に準ずるような「勝ち組」ポスト獲得ができるのか? その可能性を冷静に試算しておく必要があるだろう。■もし、富裕層以外が、富裕層に準ずるような「勝ち組」ポストを獲得できる可能性が非常にひくく、学歴獲得競争に狂奔するのが、いわゆる「ハイリスク・ハイリターン」戦術なのだとすれば、それは、プロ・スポーツ選手になるとか、芸能人になるといった生活戦略とにたものだという、さめた感覚で冷静に動向をみつめられるはずだから。

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「世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準」考

■「世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準ではないか」とのべたのは、日本列島の成人にアンケートをとったら、8わりちかくいきそうな知名度バツグンの企業家である。■この指摘を正論だという議論は、存外おおいことは、検索エンジンをまわしてみるとよくわかる
■もちろん、つぎのような痛烈な批判はある。しかし、ここまで分析的に反応できたひとは、あまりいないようにおもえる。

……
●●はどうやら本気なのである。
それとも、これをして、いさぎよい生き方であると賞賛されたいのか。
むりだね。
どうしてかって。

●●は、金で買えないものがあると思っている。それは、血筋とか、家系、毛並みだという。あるいは、そういったものを背景にした利得、権益がはなからフェアネスを欠いていると批判しているわけだ。
そして、カネだけが、無色透明でフェアな基準である。と。
●●君よ、君の言っていることはまったく正しい。
その通りである。
もし世界が、●●が言うところのカネで買えるものと,●●が考えているらしいカネで買えないものだけで構成されているとすればの話である。

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組織内のイジメとかと同質の「国技」の暴力体質

■日本相撲協会は例外的な暴走と主張し、親方たちは「とばっちりをくって迷惑」との態度のようだが、とてもそうはみえない。■逮捕された まえの時津風親方たちの言動が、大量にニュース配信されているので、コピーしておく。まずは、『スポニチ』から。


悲鳴聞きながら食事続けた前親方

 大相撲の時津風部屋の傷害致死事件で、死亡した序ノ口力士、時太山=当時(17)、本名斉藤俊さん=は死亡前日の昼から食事を取らず、夕食のちゃんこも与えられないまま暴行を受け、就寝前には衰弱し切っていたことが8日、愛知県警の捜査本部の調べや関係者の話で分かった。

 捜査本部は、体力が衰えた斉藤さんが翌日の兄弟子による過度なぶつかり稽古で死亡に至ったとみている。

 また死亡前日、前時津風親方の山本順一容疑者(57)が斉藤さんを柱に縛るよう兄弟子に命じた後「場所前なのに縁起が悪い」と、ロープをほどかせていたことも判明。山本容疑者は斉藤さんの容体には無関心な様子で、兄弟子の暴行で斉藤さんが悲鳴を上げているのを聞いても、そのまま食事や飲酒を続けていたという。

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常野雄次郎氏の「君が代」不起立問題への反応は、ふかい

■常野雄次郎氏(『(元)登校拒否系』)の「君が代」不起立問題への反応(「みんなが職務違反できる明るい社会をーー「君が代」不起立問題に寄せて」)は、実にふかい(「不快」じゃないよ。w)。■冒頭部を少々転載(少々ではない分量かもしれないし、常野氏は、本題にはいらないところで、ブツっとキレるのが、不快かもしれないが)。

 人民のみなさん。社会問題に対する正しい左翼的リアクションを指導して30年、反自由党です。


「君が代で起立せず」不採用の元教諭勝訴 「裁量逸脱」

 都立高校の卒業式などで職務命令に反して「君が代」の斉唱時に起立しなかったことを理由に、都が退職後に嘱託職員として採用しなかったのは違憲だとして、元教諭ら13人が都に慰謝料などを求めた訴訟の判決が7日、東京地裁であった。中西茂裁判長は、都による不採用の判断は「職務命令違反をあまりに過大視しており、裁量を逸脱している」として、13人に計2700万円を支払うよう命じた。

 一方で中西裁判長は、君が代斉唱時に起立を命じた職務命令は、憲法が保障する「思想及び良心の自由」に反せず合憲だと指摘。起立しなかった教師の処分を含め、都教委が国歌・国旗の取り扱いを定めた03年の通達についても、「教育は不当な支配に服しない」とした旧教育基本法に違反しないとの判断を示した。

 その上で判決は、職務命令違反を理由に不採用とした都教委の判断について「元教諭らは積極的に式典の進行を妨害したのではなく、起立しなかったこと自体がただちに採用を否定するほどの行為というのは疑問だ」と述べた。

http://www.asahi.com/national/update/0207/TKY200802070355.html



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内田樹『先生はえらい』再論【追記あり】

■旧ブログで3年ちかくまえにかいた「内田樹『先生はえらい』」の補足記事。■先日、そのコメント欄に転載しておいたブログ記事「「教員」は「先生」ではない」『数学屋のメガネ』(これまた3年まえ)を再掲。


……
「先生」というのは自分から名乗るものではないのだ。「師と仰いでくれる弟子」がいて初めて「先生」になるのだということだ。「教員」を「先生」と呼ぶのに違和感があるのは、こちらから「先生」と名乗ることへの違和感だったのだ。相手が勝手に「先生」だと思ってしまうのは仕方がないが、こちらが図々しく「先生」と名乗るのは間違いなのだと思った。

「教員」というのは単なる職業だ。普通の人の中に尊敬できる素晴らしい人もいるように、「教員」の中にも素晴らしい尊敬できる人物もいる。しかし、それよりも圧倒的にたくさんの教員は平凡な一市民であり、尊敬できる人物と同じくらいに、どうしようもない軽蔑にしか値しないようなものもいる。それは、普通の人間の中に、一定の割合でそのような人物が混ざっているように、「教員」の中にもそういう人間がいるのだ。

全ての教員に「先生」を期待するのは幻想だし、そんな期待をされたら、社会的な職業として成り立たなくなる。「教員」は一定の技術と知識を持っていれば勤まるという職業でなければならないのだと思う。そして、そういう普通の教員が勤まらないような状況がもしあるとしたら、それは教育の制度の方にこそ問題があるのだと考えなければならないだろう。僕は、現在の教育の問題というのはそれだと思う。「教員」の資質の向上で何とかなるものではないと思っている。
……


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おもいやり用地確保のための偽装公共工事(?)

■『JCJ神奈川支部ブログ』の最新記事「岩国市長選挙で問われるもの 『貧者の一灯』を見て」の転載。

 2月5日、三鷹市であった『貧者の一灯』の試写会に行ってきました。
 西山正啓監督の岩国を描いたドキュメンタリー映画です。
 第一作目の『米軍再編・岩国の選択』では、岩国市の住民投票が描かれました。二作目の『消えた鎮守の森』では、岩国市内の愛宕山という山を削りその岩国基地の沖合い移転の用土にし、愛宕山はニュータウンを整備するという山口県の計画が、ニュータウンの需要が見込めないとして、途中から米軍住宅に変わりそうになっていることが描かれています。
 市民に親しまれた桜の名所である愛宕山は削られ、愛宕神社の鎮守の森も失われました。山口県のニュータウン構想は、どうも最初から米軍住宅のための計画ではなかったのかと住民は疑念を抱いて反対運動を続けています。

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「賢者の表現」と「相対的愚者の理解力」問題2

■旧ブログでかいた記事「「賢者の表現」と「相対的愚者の理解力」問題」の補足。補足といっても、かくべき、というか おもいつきそうな論点は、あらかたかきだしてしまったとおもうので、別のひとのかいた文章の紹介と、それへのコメントを少々。

「解りやすく教える」ことと「学ぶ気持ち」

ずっと以前に同じことを書いた記憶がありますが、大学時代のゼミの先生の言葉で印象に残っているものとして「どんなに高度な内容でも、子供にも解るように説明することはできる」というお話が記憶に残っています。実は、民法の中でも理論法学に近い「不法行為」のゼミで、その中でもはたまた理論的な「故意・過失と違法性」を2年かけて学習していましたが、先生のお話は、難解な理論を具体例などを使いながらとても解りやすく教えていただきました。

そのお話の続きとして、言葉や漢字の問題さえ取り払えば「小学生でも司法試験に合格することもできる」というお話をされていました。内容としては比喩的であり、多少誇張した表現ではありますが、お話されていた内容は「学ぶ意思さえあれば、わかりやすく教えることで、理解できないことは無い」ということが本来伝えたかった内容だと思います。

学ぶ側から、社会経験を経て、ビジネスの世界で教えることが多くなって、「解りやすく簡単に説明できているか」と自問自答すると、まだまだ行き届かないことのほうが多いと思います。
【以下略】


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生活保守主義としての「食の安全」意識とナショナリズム3

■旧ブログの「生活保守主義としての「食の安全」意識とナショナリズム1」「」の続編。■いわゆる「餃子に農薬」騒動をネタに。

■騒動の概要としては、つぎの一連の記事が、なかなかまとまっている。
●「ギョーザに何が起こったか
●「毒ギョーザとフェアトレード
●「「安くて安全」のカラクリ

■ブロガーmugendai氏ものべるとおり、「安く安全」なんて、つごうのいいハナシが なりたつはずない。食材が安価に調達されるというのは、単に労働単価がひくい地域から「輸入」した みかけ上の「安さ」であって、地球全体・人類全体の中長期的なコストという意味で「安く」ついているわけではない。■マクドナルド化McDonaldization)は、微視的にはサービス労働と その研修過程をふくめた管理労働を全面的にマニュアル化=低コスト化するが徹底追求されるが、巨視的には食材調達の無国籍化が徹底追求される。そこに(長期的な健康面もふくめた)安全第一とか地球環境全体への中長期的配慮なんて、あるわけない。■トヨタのKaizen運動が、労働者や関連企業からの合理的収奪の徹底ではあっても、けっして予定調和的な共存共栄ではないように、マクドナルドなどの外食産業が徹底化した合理化はサービス労働と提供物調達の低コスト化は徹底しても、労働者本位と消費者本位の合理化追求にはならない。■なぜなら、株主(投資家)がよろこぶような収益増大・株価向上こそが、経営陣の至上命題であり、中間管理職や前線指揮官(店長や各種監視員たち)のノルマだからだ。
■逆にいえば、安心・安全を確保したければ、コスト削減を徹底しない「上品な商売」空間で、かなり わりだかな商品を購入するしかない。だから、日米でわきおこった蔑視をともなった中国製品バッシングがはじまるずっとまえから、生活保守主義にたつ富裕層は、「安全を 妥当な価格」でてにいれる姿勢を明確にうちだしていた。■そこにあるのは、(学歴主義や階級差別などがからんだ)文化資本の格差を前提にした、大衆蔑視なんだとおもう。民族差別といった次元でなく、国籍に無関係な階級差別・身分差別ね。

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有名人による失言=メタ言語論(素描力・批評力・反撃力7)

■掲示板やブログのコメント欄の実態は、最初の話題が現実にメタ言語の連鎖になっているわけではないし、「あらし」があったりすることで、議論があらぬ方向にそれていくことが すくなくない。■いや、むしろ その方が一般的かもしれない。それは、通常の会話がどんどんそれていくのはもちろん、もともと話題が設定されていたはずの対談やらシンポジウム自体が、おもったような方向に議論が進展しないのだから、そういった規制がない領域では、当然の展開だろう。■しかし、いわゆる「あとだし」の絶対的優位は支配的である。
■もちろん、最初の発信者が、「土俵」づくりをしてしまい、そのあとの発言者の「批評」「反撃」をほとんど封殺してしまうばあいも、ないではない。しかし、それは実に困難である。すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこんだ立論は不可能にちかいからだ。■たとえば、すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこむかのような学術論文の周到な構成も、その大半は、予想外の「批評」「反撃」をひきだすことになる。というか、予想外の「批評」「反撃」をひきだすことに成功しない学術論文は、無視・黙殺された存在ともいえる。■つまり、支配的な「土俵」をつくる運営者はありえるが、こと、特定の話題について、すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこむ「土俵」を設定して、封じてしまうことは、まずできない相談だ。■ひとは、絶対神のように全知全能ではないから。

■そして、なんといっても、いわゆる「あとだし」の絶対的優位が典型的に確認できるのが、「有名人による失言」へのツッコミである。■最近の話題でいえば、歌手の倖田來未氏のラジオ番組での「35歳以上のお母さんの羊水は腐ってくるんですよね」発言問題だろう。

●「「35歳でお母さんの羊水が腐る」 倖田トンデモ発言に批判」←コメント集
●「倖田來未の「羊水発言」 下品?無知?」←コメント集
●「「キレイな体」という「ピュア信仰」 倖田「羊水腐る」発言の背景?」←コメント集
●「「羊水発言」倖田を勝谷弁護 「悪意ない。謝ればいい」」←コメント集

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